左馬刻が倒れたと聞かされた私はその瞬間、全てを投げ捨ててでも彼の事務所に走って行きたかった。もちろんそんなことが許されるわけがない。部屋を見張っている舎弟から外に出るなと言われれば、私には拒否権は無いのだ。少なくともここら一帯の安全確認が取れるまでは、左馬刻は私を外に出すことを許さないのだから。
結局私が左馬刻の事務所にたどり着いたのは、連絡が届いてから三時間ほど経った頃だった。重厚なドアを蹴破るように開けると、そこにはソファに寝そべった左馬刻とその傍らでパソコンを弄っている銃兎の姿があった。
「おや」
「コラァっ! 左馬刻!」
目をあげた銃兎よりも先に、私は罵声を浴びせる。
「うるっせぇなァ……」
「何してんだお前! 勝手にくたばってんじゃねえ!」
怒りが収まらない私を舎弟が収めようとするが、そんなものに構っている場合ではない。
「まあまあ、落ち着いてください……こちらからも話すことはありますから……」
仕方がないな、という顔を浮かべて銃兎は立ち上がって私を手招きする。憮然としながらも、私は銃兎の向かいのソファに座った。
「……すみませんね、お呼びしたのは私なのに左馬刻が外に出すな、だなんて言って」
「いえ、どうせ左馬刻の言うことを聞かない彼らではないでしょうから」
ふう、とため息をついた私をちらりと見て、左馬刻が口の端をあげた。
「……はあ、まあいいです。それで? 話とは?」
「そうですね、順に説明しましょうか……まず、左馬刻が私と食事を終えて帰る道で別の組の人間に襲われました。おそらく先日、左馬刻が潰した組の者でしょう。今そちらの様子はあなた達の舎弟が探ってくれています」
一度口を閉じてこちらを見た銃兎は、質問が無いのを確認するとまた口を開く。
「私に向けて撃った相手の銃が左馬刻の脇腹を掠めましてね…………本来、私が受けるべき攻撃だったのに、誠に申し訳ございませんでした」
私にしっかりと頭を下げた銃兎のそれは、極道のそれに似ていた。こういう時に銃兎が組対の者であり、左馬刻と対等に渡り合ってきたことを実感させられる。
「…………いえ、銃兎さんのせいではないです。左馬刻の注意不足です、それは」
「おいこらお前、俺様のせいだってか」
「実際そうでしょう、銃兎さんが避けたのは当たり前の行動じゃないですか。それに気を配れなかったのは貴方の責任でしょう」
平然と言ってのける私を、舎弟は怖々と見つめる。
「……ですから、銃兎さんが気に病むことは無いです、全然。むしろその後ここまで連れてきてくださって、こちらこそありがとうございました」
今度は私の方が頭を下げる。本来なら左馬刻にやらせたいところだが、今の左馬刻では立ち上がることも困難だ。私が下げなくてどうする。
「…………フフッ」
銃兎さんの笑い声が聞こえて顔を上げると、銃兎は顔を隠して笑いを堪えていた。
「いや、撃たれた時の左馬刻を思い出して、つい……」
「おいこら銃兎、なに思い出し笑いしてやがる」
左馬刻が身体を起き上がらせようとしたが、痛みからか顔を引き攣らせる。私は仕方なく左馬刻の側に寄って、起きるのを手伝ってやった。全く手のかかる若頭である。
「……いえいえ、二人揃って似た顔をするものだなあと思っただけですよ」
へえ、とぱちくりと目を丸くした私に、銃兎は笑いかけた。
「左馬刻も私に謝ってきましたからね。撃たれたっていうのに呑気なもんです」
「かすり傷にワアワア言ってたのはお前の方だろうが」
フンと鼻を鳴らした左馬刻におっと、と銃兎は戯けたように両手を挙げた。なんだかんだ仲が良い二人である。
「とにかく、今日のところは安静にさせておいてくださいね。傷でも開いたら後が面倒なので」
そう言って笑う銃兎さんの心は、どうやら落ち着いたらしい。銃兎さんはいつも、私よりもよっぽど左馬刻のことを心配する。それは組対としてのメンツの問題か、はたまたチームメイトとしてか。もしかしたらそれが彼自身の本質なのかもしれないけれど。
それでは、とひらひらと手を振った銃兎さんはいつの間にかパソコンを閉じていて、ドアに向かっているところだった。慌てて一礼すると、意味深に微笑まれる。それを見ていた左馬刻が咄嗟に私の腰を抱き寄せた。
「オイ、何考えてんだ」
「…………別に?」
本当に何も無いのに意味有りげに間を作る銃兎さんは、本当に性格が悪い。
■ □
そんな銃兎さんから電話がかかってきたのは、事件が起こってから一週間ほど経った頃だった。そろそろ左馬刻の規制も緩くなって来た頃でしょう? だなんて楽しそうに言うから私は抗議の声を上げる。
「面白がってる場合じゃないですよ! あの後すごく面倒くさかったんですから!」
「へえ、いつもみたいに仲直り、じゃなかったんですか?」
仲直り、にハートマークでもつけていそうな銃兎さんの声に思わず渋面になる。あれは仲直り、だなんて軽いモノでは無い。二日間監禁されて、その後も三日間は仕事以外の外出を禁じられた。会社には左馬刻の方から電話をかけたらしい。私の普段の行いが良いから突然の有給を取ってもなんとか許されるが、こうも急に休みすぎるとまた辞めさせられる可能性だってある。左馬刻はそれも狙っているのだから、絶対にその前に別の仕事を見つける気ではあるが。左馬刻の家に入れば辞めさせられるのは分かっているし覚悟もしているが、せめてそれまでは普通の社会人でいたいものだ。
「まあ、貴方に言うまでもありませんが左馬刻は自分の領域外のことについては無頓着な一方、自分のモノと認めたものについては執着が強いですからね。貴方を離す気は当分無いんでしょう。勿論逆も真なり、ではあると思いますが」
淡々と話す銃兎さんだが、その裏には安堵のようなものが見え隠れしている。左馬刻と私はもともと金でつながった関係で、その後お互いの顔が気に入ってセフレになって、最終的になんとか愛人というか、情婦になった歪な関係だ。お互いに愛はあると自負しているが、どちらも意地っ張りで言葉足らずだから、争いが勃発することも少なくない。銃兎さんはそれを知ってから、こうして稀にお互いの気持ちを確認し合う場を作ってくれている。いや、頼んではいないので今回のは迷惑と断ってもいいぐらいなのだが。
「そんなことよりなんですか、左馬刻をやった奴を見つけたんですか」
「おや流石、察しが良いですね。そうですよ。左馬刻の舎弟よりもこちらの方が一歩早かったようですね」
ニンマリとした顔が目に浮かぶようだ。いつものごとく調査は銃兎さん一人でやったのだろうから、それで彼らよりも速く見つけたというのは確かに称賛すべきことなのかもしれない。
「わかりましたよ。それで、どこにいるんです? どうせもう隠れ家まで特定できているんでしょう?」
「そうですね。ですがまだ集まる時間でもないようなので、先に貴方の仕事場に迎えに行きましょうか。定時で大丈夫です?」
お願いします、と食い気味に返して電話を切る。スマホを置くときにちらりと見えた手首の傷跡に、思わず苦笑いが漏れた。左馬刻が一週間前につけた、私への執着心。長袖の服を着ているのでバレないが、かなり際どい位置につけられた噛み跡は左馬刻の怒りを象徴する物のようだ。そんなことしなくたって私は離れて行かないのに。
そこまで考えたところで、私は慌てて作業に戻った。銃兎さんが来るのは六時を過ぎた頃。それまでに仕事を片付けて、いつでも出られるようにしておく必要がある。幸いにも今日の仕事はそれほど残っていないので問題ないだろうが、念の為だ。
――生まれてきたことを後悔させてやる。
心の中で闘志を煮えたぎらせながら、私は一層仕事に向かった。
■ □
「それにしても流石、時間通りでしたね」
「まあ、普通にブラック企業ではないですから」
首を竦める私に銃兎さんはふふっ、と笑った。銃兎さんの職業を考えたらどこの職場だってホワイトだとは思うが、それはさておき。
「で、ここがアジトだと?」
「まあそうです。といってもこの店自体はフェイクですね。地下が本拠地というか、まあアジトになっているようです」
目の前には明らかにラブホのような建物がそびえ立っている。銃兎さんと入っていくところを左馬刻が見たらブチ切れるだろうな、とありそうな展開に思わず苦笑いが漏れた。
「さ、では行きましょうか」
胸元に手を入れた銃兎さんはおそらく警察手帳とヒプノシスマイクを確認している。私にはマイクはないので素手だ。まあ一応のためと左馬刻に持たされたスタンガンと、靴の爪先部分に隠した刃物だけは持っているけれど。
ロビーは今どきの非対面式だった。監視カメラに怪しまれないためにもチェックインを済ませエレベーター、ではなくその横の非常階段を降りる。肉弾戦になることも考え、昼間とは服装を変えてきたが正解だった。会社の人は違う服で出勤したのを見ているから、良いアリバイになる。行き止まりのところにはドアがあり、その前で止まった銃兎さんはちらりと私を見た。私は無言で頷き、左の靴先で床を叩いて刃を出す。それを確認した銃兎さんはガチャン! と音を立ててドアを開けた。
「警察だ! 動くな!」
マイクと警察手帳を掲げた銃兎さんを見て、相手――おそらくは下っ端だった奴らなのだろう――は慌てふためいてこちらに向かってくる。すかさずヒプノシスマイクを起動した銃兎さんはニンマリと笑った。
「俺は今めちゃめちゃに気が立ってんだ、少しはマシなもん見せてくれるんだろうなぁ⁉」
彼らに狙いを定めてラップを刻む銃兎さんは、やっぱりかっこいい。何事も無くワンバースで終わった戦いに銃兎さんが一息ついたその時だった。
「おらあぁぁぁぁぁ‼」
「銃兎さん!」
後ろから殴りかかってくる人間に思わず手が出た。これは正当防衛、と信じたい。私の蹴り上げた左足先は見事に相手の腹に命中し、相手はぐえ、ともつかないうめき声を上げて倒れた。銃兎さんは間一髪で避けられたようで、素早く相手の持っていた鈍器を取り上げていた。
「……あなたねぇ」
「へへへ…………」
いたずらが見つかった子供のように笑って見せたが、銃兎さんは騙されてはくれない。
「腹を刺したとは……後始末が面倒ですよ」
「うう……ごめんなさい」
素直に謝ると銃兎さんはあはは、と笑った。
「……まあ、今回は私も助けられましたからね。良いように言い訳はしておきますよ。さ、貴方は」
「オイ、お前らなに仲良ししてやがんだよォ」
背後から聞こえた不機嫌な声に、一気にげんなりする。声だけでわかる。これは面倒くさくなる。
「左馬刻。もう大丈夫なのか」
「んなこと言ってんじゃねえ殺すぞこのウサ公」
この世全ての嫌悪感を煮詰めたような顔の左馬刻が、銃兎さんを睨みつける。やれやれとばかりにため息をついて見せた銃兎さんは、私の背中を押して左馬刻の方に押しやった。
「私は後始末がありますから。貴方は左馬刻と帰っていてください。アリバイが無くなります」
「何いってんだ俺らの獲物だろうが。こっちで片つけさせろ」
左馬刻は強引に私の肩を抱いた一方で、銃兎さんに文句を言う。確かに元は左馬刻に付けた傷のケジメだ。しかし、そこで引かないのが銃兎さんである。
「今回で言えば見つけてきたのは俺だ。コイツらには薬の売買ルートについて聞かなきゃなんねえことがあるんでね」
どうやら、左馬刻のケジメはついでだったらしい。おそらく、薬のルートを探っていた最中にでも見つけたのだろう。本当に、どこまでも抜け目のない人だ。
「チッ…………」
悔しそうに顔を歪めた左馬刻に、銃兎さんはニコリと笑った。
「まあ、不甲斐ない事ですが私も今回は助けられっぱなしでしたのでね。余罪を全部吐かせたあとなら引き渡しても良いぞ。どうだ?」
思わず目を丸めた私に、銃兎さんは意味ありげに微笑む。彼の出した最大の折衷案に、左馬刻は納得したようだった。行くぞ、とだけ言い残して腕を私の腰に回すと、大股で出口の方へ歩きだした。
「あの! ありがとうございました!」
必死に振り返って銃兎さんにお礼を告げると、どこかに電話をかけるらしい銃兎さんはひらりと手を振ってくれる。左馬刻は不満そうだったが仕方ない。今回の手柄は銃兎さんのもので、私はただその手伝いにきただけの……ただそれだけの関係だ。
無言でホテルを出ると、左馬刻の乗ってきたらしい車に乗り込む。自分で運転してくるなんて珍しい、と言えばバーカ、と返された。
「……何処に行くの?」
尋ねても答えは返ってこない。本気で怒らせたのかと左馬刻の顔を見れば、彼は拗ねたような、子供っぽい顔をしていた。
「…………明日、何の日か覚えてねえのかよ」
左馬刻がポツリと零した言葉に私はハッとして、そして次には笑いがこみ上げてきた。
「……あははははっ! 何、誕生日おめでとうって?」
「笑うんじゃねえ‼」
ごめんって。そう言いながら私は出てきた涙を拭った。本当に左馬刻様はかわいいな、だなんて普通の人間じゃ絶対に思わないことを考える。だって誰が、ハマの王様は情婦に誕生日を祝われなかったぐらいで拗ねる、だなんて考えるだろう?
「……左馬刻の家、行きたいな」
そう言えば途端に上機嫌になるもんだから、本当に大好きだよ、なんて私まで満ち足りた気持ちになったのだった。