pixivは2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ゆう
いつだって、愛は身勝手って話 - ゆうの小説 - pixiv
いつだって、愛は身勝手って話 - ゆうの小説 - pixiv
21,682文字
いつだって、愛は身勝手って話
001
2024年4月19日 07:18


生まれた時からそばにはサッカーボールがあった。

小さな頃の俺はそれがなんのためのものなのかよく知らなくて、それをただの遊び道具としてしか扱わなかった。
そんな俺を父は自身の膝に座らせて、テレビでサッカーを見せてくれた。

「見てごらん、利暮(りく)。これはこう使うんだよ」

当時2歳の子供に父はそう言い聞かせた。

父は真面目な人だ。仕事が忙しいのか、あまり家には帰ってこなかったけれど。
帰ってきた日にはこうして俺にいつも何かを教えてくれる。

テレビを見て、サッカーをしているのを見て。
今まで遊んでいたものが“サッカーボール“であることを知った。







その日、父が見せてくれたように、父の前でリフティングを披露してみせた。
忙しい中で俺に会いにきてくれる父への日頃の感謝のつもりだった。



その日から父の俺を見る目が変わった理由を、今もわからないでいる。









─────────────────────────








授業が終わったその場で、先ほどまで動かせなかった背を伸ばす。

父親の仕事の都合で途中で学校を変えないといけなかったが、次の学校も前の学校とあまり雰囲気は変わらなかった。
この学校の同い年の子供と遊ぶのも好きだ。勉強も嫌いじゃない。

「おいりくー!!早くグラウンド行こうぜ!」
「早くしねぇと取られるだろー!」
「わかってるって!!」

休憩時間に誘ってくる奴らにそう返す。
遊ぶのは楽しいし早く行きたいけど、その前に次の時間割を机の上に出しとかないといけない。後で急ぐのは嫌だ。

机の中から急いで教科書を取り出す。ちゃんと次に使う教科書であることを確認して、彼らと同じ方向へ走った。
早くいかないと遊ぶ時間がなくなってしまう。

廊下を走りながらふと、窓から教室の中を見た。

教室の隅の机。
そこにはいつも通り、自分の席で本を読んでいる静かなあいつがいる。

「…変なやつ」

ぽつりとそう呟いて、その場から振り返ることなく走り去った。






体育の時間も好きだ。女子などが体育を嫌がるのを見て、別にこのくらいの運動どうってことないのになと思う。走るのも、跳び箱も縄跳びも好きだ。

でもどうやら今日はサッカーをする日らしい。
それを聞いて、がっかりする。

あの日から父さんは俺のサッカーを見ることにとても熱心になった。
帰ってくる回数は多くなったが、帰ってくるといつも笑って俺の頭を撫でた後、サッカーをしようと言ってくる。父さんと遊ぶのは楽しいので別に嫌じゃないけど、たまにはサッカー以外をして遊びたい。

「…授業でくらいサッカーじゃなくてもいいのにな」

俺の発した言葉なんて聞こえなかったらしいクラスの彼らはサッカーをすることをとても喜んでいた。それを見て、少し考えを改める。
よく考えたらこいつらとサッカーはあまりしないのだし、別にサッカーだって悪くないか。

彼らと話してる間に先生によるチーム分けが終わる。
四人に分けられたチームのメンバーにいつもの見知った顔はいない。それを少し残念に思いながらチームメンバーを確認していれば、その3人の中の一人にいつも教室で本を読んでいる奴がいることに気づいた。

整ったかわいい顔立ちに水色の髪、青色の目。

「よろしくな、氷織」
「…うん、よろしくな。
浅黄(あさぎ)くん」

初めてそいつと言葉を交わす。いつも座っているそいつから放たれた声は思っていたよりも透き通っていて、耳に心地よかった。

「氷織ってサッカーできんの?」

パス練習をしているとき、思ったより慌てずしっかりとボールを蹴っている氷織を見て、不思議になってそう聞く。
本を読んでばかりだから、てっきり運動はできないものだと思っていた。

俺の問いを聞いて、氷織は少し鬱陶しそうな顔をした。

表情の理由はよくわからなかったが、楽しそうな表情ではなかった。
俺の問いが煩わしかったのかもしれない。

「…できるよ」

キッパリとそう言って、氷織は俺を見た。品定めするみたいな目だった。いつもの全てに興味がなさそうな目はどうしたのか。
たくさんの感情が混じっていて、どれが本当のこいつの色かわからなかった。

それに少し驚いて、氷織の目をじっと覗く。
覗いても、よくわからないその目に向かって、にやっと笑いかけた。

「…いいじゃん。サッカーは俺もできるぜ」

この目がこいつの本当の目ならいいのに。



もしそうだったら俺は多分こいつのことを好きになれる。














氷織は本当にサッカーが上手かった。宣言通り、ちゃんと“サッカーができる“。
パスもシュートもドリブルも全部上手かった。それに素直にすごいなと思う。
一体どれだけ、練習を積み重ねればああなるのか。

俺の元へ来たボールを蹴りながら、周りを見渡す。氷織の周りに人がいない。
そう認識して、氷織に向かってパスを出した。パスは得意だ。


狙いを定めて蹴ったボールは、きちんと氷織の元まで届く。


「あっ」


誰の声だったか。
氷織の元まで届いたボールは、氷織に止められることなくそのままコートの外まで出る。

外に出たボールを考え事でもしていたのかと思いながら眺める。
まぁ、コートの上で考え事くらいするだろう。

何考えてたんだよと氷織に軽口を叩きに行こうと、氷織の方へ目を向けた。

目に入った氷織は、何故か俺よりも驚いた顔をしていた。それに俺もまた驚く。
コロコロと焦ったように変わる表情を見て、何故か少しムズムズした。
知っていると勝手に思っていたやつの、知らないところがたくさんある。

なんだか、今日はいつも通りじゃないあいつばかり見る気がする。

外へ出たボールを眺めて、氷織はやっと状況を飲み込んだかのようにサッと顔色を変える。キョロキョロと周りを見渡してから俺を見つけた氷織は、すぐに俺の方へ走ってきた。

「どうした?氷織」
「ごめんな、浅黄くん。見逃してもうた」

氷織の言葉にきょとんとする。そんなことをいちいち言いにくるとは思わなかった。
氷織は本当に申し訳なさそうにしながら「あれ見逃さんかったら一点入っとたんに」と言ってくれる。それが不思議だった。
どうしてこんなにこいつは申し訳なさそうに謝るんだろう。まるで氷織にこのチームの勝敗がかかっているみたいに。

「次は絶対見逃さんから」
「?全然いいよ。別にお前にそこまでしてほしいなんて期待してないし」

別に氷織だけを責めるつもりはない。大体、あそこで誰かを責めるなら責められるのは俺だ。


あの点を確実に取りたいなら、パスなんてせずそのまま俺がゴールを決めるべきだった。


少し冷たい言い方になった気がして、氷織の目をじっと見つめる。
今度は、ちゃんと色がわかった。驚いたような色をしている。

「でも、お前は俺に期待していいぜ」


あぁ、やっぱりこいつのこと好きになれそうだ。


目を見開いて驚く氷織に、そう言ってまた笑いかけた。









─────────────────────────








「氷織、ー緒に帰ろう」
「…また?」
「またってなんだよ」

眉を顰める氷織にそう言い返す。一緒に帰るのにまたも何もない。

「浅黄くんはなんで僕に構うん?いっぱい友達おるやん」
「変なこと聞くんだな。俺はお前と帰りたいのに」
「…浅黄くんは変な子やね」
「そうかな」

首を傾げる俺を見ながら氷織は微笑んだ。「いいよ、帰ろか」とランドセルを背負って歩き出す。許可が出たので遠慮なく氷織の隣に並んだ。

「浅黄くんは他の子みたいに放課後遊ぼうとは言わんよね」
「俺放課後は遊べないから」
「奇遇やね。僕も、放課後は遊べんのよ」

明日のことや昨日の晩御飯のこと。そういうくだらないことをぽつりぽつりと話しながら帰る。
「休日に遊ぼう」とか、そういうことはお互い一度も言い出さなかった。自分が遊べないのに相手を誘えるわけもない。

一つ話が終わってまた沈黙が戻ってくる。その時ぱっと氷織が足を止めた。急に立ち止まった氷織に「氷織?」と声をかける。
氷織は下を向いていて、表情がうまく見えない。俺に返事はしないまま、氷織は閉じていた口を開いた。

「…浅黄くんの親はさ」
「うん」
「浅黄くんのこと、ちゃんと好きなん?」

会話会話の間、少しの沈黙の後。氷織は少し言葉に詰まってから俺にそう聞いた。どうしてそんなことを聞くんだろうなとそれに不思議に思う。
氷織の質問は、たまに意図がよくわからない。

「それって、何か俺と関係あんの?」
「…はは、やっぱり浅黄くんは変な子やね」
「そうか?」

氷織はちょっとだけ深く息を吸って、すぐに困ったように笑った。

「そうだよ」

そう断言する氷織は困っているように見えるのに、何故か少しだけ嬉しそうに見えた。











氷織はよく俺と行動を共にするようになった。

氷織が俺のことをどう思ってるかはわからないけど、俺は氷織のことが嫌いじゃないので別にいいかと思ってそれを俺も受け入れている。

「今日の体育サッカーだってさ、氷織」
「うわ、嫌やなぁ。ただでさえ毎日サッカーやっとるのに今更学校でまでしたくないわ」
「俺はそれなりに楽しいけどな」

中学に入っても俺と氷織は一緒だった。二人とも進学校に通う気がなかったのもあって、流れるように同じ中学にいたせいもある。

「あっ、チームは自分たちで選んでいいって」
「やった、じゃあ浅黄くん一緒に組も」
「他の二人は?」
「そこら辺の捕まえればいいやろ」

体育の先生の話を聞きながら二人で小さな声でコソコソと話す。先生は前の方にいる態度の悪い生徒に夢中でこっちの様子には気づいていない。

「でも俺と氷織が組むと他がついてこれないじゃん」
「?なんか悪いん?そんなん僕たちに組むなって言ってこん先生が悪いわ」
「本気でキョトンとするなよ…まぁ、それもそうか」

先生への理不尽な言い草に苦笑する。でも、確かに駄目とは言われていない。

「今日も浅黄くんが打つやろ?」
「そうなるだろうな」
「ええやん。僕はパス出す」
「それじゃあいつも通りじゃん」
「…じゃあ、僕が打とうか?」
「え?そりゃ氷織が打ちたいならそれでいいよ」

そう言った俺の言葉を聞いて、氷織は何故かおかしそうにふふっと笑った。笑った理由がわからず、思わず眉を顰める。

「…何がおかしかったんだよ」
「いや?別に」

別にと言いながらも氷織の笑いは一向に引かない。それにムッとする。ツボにハマった理由はわからないが、こうも笑われると流石に面白くない。
他所を向いた俺を見て氷織は「ごめんて」とまだ笑ったままの顔で言ってきた。せめて笑いが引いてから謝ってきてほしい。

「…なぁやっぱシュートは浅黄くんが打ってや。僕、パス出したいわ」
「じゃあそうするか」

一呼吸ついた後、氷織はそう言う。俺もそれに頷いた。

「絶対決めてくれるんやろ?」
「おう、期待してていいぜ。絶対失敗しないから」

氷織は一瞬眩しいものでも見るように目を細める。
その後いつものように少し困った顔をしながら、「頼もしすぎるなぁ」と言って笑った。












「浅黄くんはチームとか入らんの?」

学校からの帰り道。高校に入る準備をする時期に氷織は俺にそう聞いてきた。
俺は冷たくなった手に息を吹きかけて温めながら、それに曖昧な返事をする。

「父さんに入れとは言われてるんだけどな。入るチーム自体はどこでもいいって言われてるから悩み中」
「ならちょうどいいわ。浅黄くん、大阪とかどう?」

そう言って氷織は鞄から一枚のチラシを取り出した。ペラペラとチラシを動かしながら俺に渡してくる。

「大阪?ちょっと遠いな。ってうわっ、有名なチーム。どうしてここ?」
「うちの親がそこにしろって言うから。ついでに浅黄くんもどうかなぁって思って」
「ついでかよ」

帰り道で買ったまだあったかいコロッケを食べながら氷織は何かをもふぁもふぁと喋る。コロッケを食べているせいで全然聞こえない。
なんて言ってるかわからない氷織はそのまま無視して、渡されたチラシをちゃんと読む。

「…じゃあここにしようかな。父さんも喜ぶだろうし」
「決まりやね」

コロッケが無くなった袋を潰してポケットに入れた氷織は、嬉しそうに声を少し弾ませる。そのまま俺より3歩ほど前に出た。まるで今すぐスキップでも始めそうだ。
嬉しさが隠れていない氷織に思わず苦笑する。

「なんでお前がそんな嬉しそうなんだよ」
「…?嬉しそう?僕が?」
「あ、俺が勝手に思っただけ。違った?」

俺の言葉を聞いて氷織は理解ができないようにきょとんとした。
きょとんとする氷織は嘘をついてるようには見えず、違っていたことに驚く。本当に嬉しそうに見えたのだが、どうやら氷織はそう思っていなかったらしい。

氷織は「違うと思う」と言いかけて、何かを考えるように数秒黙った。
目を数回瞬かせた後、氷織は自身に巻いていたマフラーで口元を隠して笑う。

「ううん、違わんかも」

あぁ、冬が似合うなと思った。

寒さで赤くなった顔で氷織は「そっか」と満足げに一人でうんうんと頷く。
自分の中で納得できる答えを見つけたらしい氷織はまた笑って、ぽんぽんぽんと俺よりさらに前に出る。
見つけたらしいその答えを、俺に教えてくれる気はないらしい。

「楽しみやね、浅黄くん」

今度こそ嬉しいという感情を隠さないまま、氷織はそう言った。それに俺も笑い返す。

「まぁ、お前がいるから楽しみだよ」
「うん、僕も。…浅黄くんがいるから楽しみや」















二人で行ったクラブチームはチラシに書いてあった通り大きく、それなりに人がいた。それに二人で「人が多いね」なんて言いながら少し騒ぐ。

「コーチ呼んどるよ。行こうや、浅黄くん」

当たり前のように俺にそう声をかけて一緒に行動しようとする氷織に少し困る。なんだか二人でいるのが当然になってしまっているような気がする。

相手に依存するのは、お互いに利益がない。

「なぁ氷織、クラブでは別行動するようにしようぜ」
「…えっ、なんで?」

心底不思議そうに氷織は俺にそう問いかける。それに曖昧に笑った。

小学校の頃から、氷織とはなんだかんだずっと一緒にいる。遊んだりだとかそういうことができない俺たちにとってお互いは誰より一緒にいるやつと言っていいだろう。
きっと客観的に見れば俺たちの関係は友達というのだ。

それがわかっていても氷織と俺は友達なのだ、なんて言えなかった。
氷織との関係に何か名前をつけられる気がしなかったから。

俺はそれでもいい。氷織と一緒にいたいからいる。でも氷織にとって友達といえる存在がいないことは正しいことなのか。

俺の都合に、いつまでも氷織を巻き込むつもりはない。

きっとこれを伝えれば氷織はそんなことないと言ってくれるんだろうな。
そう一番に考えた自分に、また笑った。

「いいだろ。別にクラブ以外ではいつも通りなんだから。クラブでも話すな、って言ってるわけじゃないんだし。俺、氷織以外からのパスも受けてみたいんだよ」
「…僕のパスじゃ不満だった?」
「まさか」

氷織の言葉に肩をすくめる。氷織からのパスに不満なんてない。
提案を流されることのないようにパッと氷織の方を向いた。

「な?」
「……わかった。せやけど学校では絶対いつも通りにしてな」
「当たり前だろ」

少し悲しそうな氷織を安心させるように笑いかける。氷織もそれにぎこちないながらに笑い返してくれた。氷織が何を考えているのかは、いつも俺にはイマイチわからない。

氷織はたまにこうして、俺に対して一つ壁を作るような表情をする。それにまた気づいて少し悲しくなった気がした気持ちを隠して笑った。

「(なぁ、氷織)」

お前は俺のことを、どう思っているんだろうな。














「聞いてや浅黄くん。今日すごい人にあったんよ」

クラブから帰る最中、氷織はそわそわしながらそう言ってきた。それを宥めながら「わかったわかった」と相槌を打つ。

「あんな、烏くんって人でね。すっごいサッカーがうまいんよ」
「えっ、氷織よりも?」
「…それは、試してないからわからんけど」
「へぇ、いいじゃん」

言い淀んだ氷織を見て、すぐにその話題を流す。よく考えなくても無神経な質問だった。驚きでつい心の声が口に出てしまった。

氷織は烏くんとやらについて少し楽しそうに話した。こんな話をした、こう呼ばれた。
氷織がここまで嬉しそうにしているのを見て、微笑ましくなる。よかった。クラブの間は別行動をしようと言ったのは間違っていなかったらしい。

「ちゃんと聞いとる?」

頭の中で色々考えすぎてぼーっとしていた俺の目を氷織はそう言って覗き込んでくる。その氷織の行動ではっと意識を現実へ戻した。
聞いていなかった俺に気づいた氷織は、じとっと咎めるような目で俺を見てくる。

「ちゃんと聞いといてや」
「ごめん。色々考えててさ」
「ふぅん、例えば?」
「その烏くんってのに会ってみたいなぁ、とか?」
「えっ、いいやん」

氷織は俺の返事を聞いて目を輝かせる。おい、急に乗り気になるな。
烏くんに興味があるのは本当だが、氷織の今日できたばかりな友人関係に、さっそく首を突っ込みにいくつもりはない。ないのに、なんでそんなに氷織が乗り気なんだ。

「実はな、今日烏くんにも浅黄くんの話したんよ。二人絶対気いあうと思っとったんよなぁ」

「楽しみやわ」と言い出す氷織を見て否定しようとした口を閉じる。ここまで言われてしまったら否定する気も起きない。

本当に楽しみにしているようで、氷織は「明日一緒に会いに行こか」ともう明日の予定を立て始めている。
置いてけぼりにされてしまったが、まぁいいかと思い、「待てよ」と前にいた氷織に走って追いついた。

「烏くん急に俺がクラブで話しかけたらびっくりしない?」
「せんやろ」
「そっかぁ」












「ただいま」

玄関からそう声をかける。誰もいない静かな家に俺の声だけが響いた。
どれもいつも通りで、特に何も思わないままに自分の部屋へ行く。今の時間帯は母親も父親も仕事でいない。俺一人だ。

無造作に鞄を定位置へ置く。疲れているし、すぐにでも布団に寝転がりたい。
だが先にお風呂とご飯を済ませてしまわなくては。

着替えを済ませお風呂へ行こうとしたその時、スマホの連絡音が聞こえた。自分のスマホから聞こえたそれに反応し、手に取って確認する。連絡は父からのものだった。

『クラブはどうだった。問題はないか?』

父からの文章を読んで『いいところだった』と返信を打つ。
すぐついた既読を見てから、スマホを布団へ投げようとする。その前にピロンともう一度音が鳴った。

『期待している』

それに一つだけスタンプを返し、今度こそスマホを布団へ投げる。今日は慣れないこと続きだったので少し疲れた。

期待している

「…」

父からの言葉が頭の中で蘇る。別にあの人がそう言うのは珍しくない。いつだって父は俺に期待していると言った。それを不満にも重荷にも、感じたことはなかった。

できるから期待をされる。才能があるから期待をされる。
よくわからないが期待というのは多分そういうもので。ならそれが俺に向くのは当然だと思った。


だって、俺はできるから。


「…気になるなら見に来ればいいのにな」

それがあの人たちにできないことをわかっていながら、そう呟いた。









─────────────────────────







「お前が浅黄くんってやつか、よろしく頼むわ」
「そっちは烏くんだろ。氷織から聞いてる。よろしくな」

会った烏くんは思っていたよりもかっこいいやつだった。大阪弁で喋る子で、話も面白いし雰囲気も話しやすい。
これは氷織も懐くわけだななんてどの面目線なことを考えていると、ふと烏くんがじっと俺を見つめていることに気がついた。

「俺の顔に何かついてるか?」
「…いいや、何も。ところで氷織から聞いとるで!あんた、サッカーうまいんやろ?」
「上手いかと聞かれれば、多分上手い方だと思う」
「浅黄くん、その謙遜はよくないわ」

烏くんの問いに答えた俺の返事を聞いて氷織は俺を咎めるように俺の肩にぽん、と手を置く。「現行犯逮捕や」と首をふるふると振った。
氷織のその言葉を聞いて烏くんも「なんや、嘘ついたん?悲しいわぁ」と悪ノリしてくる。こいつら本当に昨日会ったばかりか?仲良すぎるだろ。

「…じゃあ氷織はサッカーどのくらい上手いんだよ」
「…ある程度?」
「いやお前のある程度は普通に嘘やん?」
「何がある程度だ。嘘つきの容疑で現行犯逮捕します」

わーきゃーと3人で中身のない会話をしながら烏くんの何となくの人となりを掴む。わかった、こいつ本当に面白いやつだ。演技とかじゃない。素で面白い。
こういうやつが友達になると生活が楽しいんだろうな。

「(…でも)」

ふと烏くんを見れば、烏くんと目があった。
目が合った烏くんはにこっと笑って、俺へひらひらと手を振ってくる。それに手を振り返した。

「(やっぱり)」

さっきといい今といい、烏くんに観察されるような目で見られている。
相手に気づかれない程度なそれはずっと俺を見つめていた。品定めするような目だ。
いつだったか、氷織にも同じ目で見られたことがある。随分と昔のことだ。

一体、何を見定めているんだか。

少しだけ考えようとして、まぁいいかと考えるのをやめた。
相手が何を観察してようがどうでもいい話だ。少なくとも氷織は烏くんのことを好意的に思っているし、俺も烏くんのことが好きだ。一緒にいたくなる。きっとそれでいい。

烏くんのことを考えていたからか、無意識に烏くんを見つめていたらしい。
俺の視線に気づいた烏くんが「さっきからじっとこっち見て、どうしたん」と聞いてきた。
じっと見てたのはそっちだろと思いながらそれに「何でもない」と返す。

「お眼鏡には叶いそうか?」

ふっと笑って烏くんにそう聞いた。
一瞬驚いたような顔をした烏くんは、すぐににやっと笑い返してくる。


あぁやっぱり、俺はこいつのことが好きだ。


「心配せんでも、お前は面白いやつやで」

喰えないやつだなと思いながら、それに「そっか」と返事をした。














「おい浅黄!ちゃんと取れや!!」
「うるさいぞ烏くん、今集中してるんだよ!!」
「浅黄くん、頑張れ頑張れ」

後ろのやかましい応援を聞きながらボタンを押してアームを動かす。狙いは一つ。凄くでかいふわふわくまのぬいぐるみだ。

「もうちょい右なんとちゃうか?」
「何言うとるん?どっちかと言えば左やろ」
「両方静かにしろ」

俺の言葉を無視して二人は後ろで「いや絶対右や」「しつこいで、烏」とどっちの意見が正しいかを言い争い始める。だからうるさいって言ってるだろうが。

「あっ」

いいところまで行ったくまさんは結局出口に着く前に落ちてしまった。

俺が失敗したところを見て言い争いをしていた二人は急に静かになる。
咎めるように後ろの二人に視線を送ったが、そっと目を逸らされた。どうやら、悪いことをしたなとは思っているらしい。

「…烏くん、氷織?」
「…別にこれは俺等のせいとちゃうんじゃ」
「烏くん」
「悪かった」
「そうやそうや。駄目やろ、烏。浅黄くんの邪魔しちゃあ」
「氷織」
「すみません」

二人に一度だけため息をついて「もういいよ」と言う。素直に謝ってくれたので許すとしよう。全部が二人のせいなわけじゃない。
もう一度クレーンゲームにお金を入れる。氷織がそれを見て「まだやるん?」と聞いてきた。

「もう大分お金使っとるやろ」
「これ取るまでは帰らないから」
「それまでどんだけ時間かかるんや…」
「失礼だな、次で取れるかもしれないだろ」

呆れる烏くんを睨んで、またボタンを押す。氷織は珍しいものでも見るように、じっと俺と機械を見つめていた。

「なんで浅黄くんこれにそんなこだわるん。くま好きやったっけ」
「嫌いじゃない。特別好きってわけでもないけど」
「なんや、別に好きやなかったんか?」

氷織に一瞬だけ視線を移して、また視線を機械に戻す。
烏くんは俺の答えに驚いた顔をしていた。
そりゃそうだ。これだけお金と時間を使っているのだから。そんなの好きじゃなきゃしようと思わない。

俺の答えを待っているのか、それともさっきの出来事があったので口を閉じてるのか。二人はそのまま静かに待つ。

沈黙に耐えきれなくなり、一つため息をこぼす。
目線は機械に向けたまま、先ほどの二人の問いへ答えを返した。

「昨日、帰ってきたら家に珍しく母さんが居てな」
「おん」
「久しぶりだって言った後、お金出してきて。“今まで寂しかっただろうからこれで遊んできなさい“って」

そう言いながら持っていた財布を二人に手渡す。
中にはそれなりの数の千円札が並んでいるはずだ。

「お金だけ渡されてもどうしたらいいんだろうな」

何か欲しいものがあったわけでもないので使い道に困っていたところ、目に入ってきたのがこの大きなくまさんというわけだ。
最近布団周りも寂しかったので丁度いいか、とこのくまに全財産をかけることに決めた。
元々一人で来る予定の場所に、二人がついてきたのは予想外だったけど。

二人から返事は帰ってこない。
てっきり烏くん辺りに「財布渡すんは不用心すぎるやろ」とツッコまれると思っていた。

まぁ静かなのはいいことか、とそのまま目の前のクレーンゲームに集中する。
何回も挑戦したが、くまはあまり近くに寄っていない。大きいしアームが弱いので仕方がないのだが、ここまで自分がクレーンゲームが下手だとは思っていなかった。

今回も取り逃がしたくまを見て本当に自分にゲームの才能がないことを実感する。
もう一回挑戦しようとお金を取り出そうとしたところで、財布を烏くんたちに渡していたのを思い出した。

「財布くれ」と伝えようと俺が後ろを振り返る前に、ズンズンと無言で烏くんがクレーンゲームの機械に近づいてくる。

「烏くん、それ俺の財布なんだけど」
「知っとるわ」

知ってると言いながら烏くんは俺の財布からお金を取り出して勝手に機械に入れる。思わず「何やってんの?」と口から言葉が飛び出た。
俺のセリフにも動じず「クレーンゲームしとる」と烏くんは答えてくる。それは見ていれば嫌でもわかるが。

俺と会話をしている間にも烏くんはアームを動かす。
アームは、きちんとぬいぐるみを掴んだ。

「ん」

ボトン、と先ほどまで何度やってもならなかった音がなる。
出口に落ちてきたそれを拾って、烏くんは俺に差し出してきた。
俺は今きっとぽかんと口を開けていることだろう。

「なんや、欲しかったんやろ」
「は?いや、えぇ…?」
「ほら、持つ持つ」

「ついでにこれもな」とくまと一緒に財布も俺に渡してくる烏くんに、また困惑の声が漏れる。ずっと黙っていた氷織が「ここらで他に遊べる場所何個か見つけたで」とスマホを片手に言った。それに烏くんが「ナイス」と返す。
どうやらついていけていないのは俺だけらしい。

「ほら目的のもんも手に入れたし、さっさと次行くで」
「次ってなんだよ」
「いいからいいから。氷織、どこ行くんや」
「近くにパンケーキ屋があるんやけど」
「うわっ、この大きいくま持ってパンケーキ屋行くんか?面白そうやんけ」
「持ってるの俺だろうが」
「まぁまぁ、浅黄くん何食べる?僕はバターだけのやつ」
「俺苺な」
「えっ、きゃ、キャラメル…?」
「ええやん」

ぽんぽんと進む会話と一緒に歩き始めようとする二人についていけず、その場で動けず立ち止まる。脳が一向に追いついていない。
一体二人はさっきから何の会話をしているんだろう。

「浅黄くん、置いてくでー!」
「はよ歩かんかい、浅黄」
「いや、えっ?今からどこ行くんだよ」
「パンケーキ屋って言ったやろ」
「何で行くんだ?」

二人はキョトンとする俺を見て、お互いに目を合わせる。
立ち止まった俺の方へ近づいてきた二人は同時に俺の手を前へ引っ張った。
もつれそうになりながらも、俺は足を前に進ませる。

俺の顔を見て、氷織は困ったように、烏くんは呆れたように笑った。
「それ」と氷織が俺の財布を指差す。

「遊ぶためにもらったんやろ?」
「今日は全部浅黄の奢りやな」

「いやー楽しみやわー」と棒読み気味に言いながら烏くんは前に歩き始める。
俺の手は離さないままに。

「この後観覧車にも乗りに行くから」
「このメンバーで?地獄か?」
「ええやろ、男同士の友情」
「きついわ」

そう話す二人に手を引かれながら歩く。
歩きながら、じわじわと今の状況を理解した。強引すぎる二人の行動に思わず笑いが溢れる。

「ありがとな」

二人は俺へ笑いかけただけで、俺の言葉に返答はしなかった。














「ブルーロック?」

キョトンとした俺ににやっと笑い返して「そうや」と烏くんは俺の前に手紙を差し出してきた。

「浅黄は来てなかったんか」
「さぁ?今のところは見てないな」

ふぅん、と聞いてきたくせに端的に返事をする烏くんを少しだけ睨む。
興味がないなら最初から聞いてこなければいいのに。

「なんや、浅黄に来てないなんて、ブルーロックとやらは随分節穴やな」
「なんだそれ、不機嫌な理由それかよ」
「はぁ?他に何があるん」
「興味がなくなったのかと」

俺の返事に呆れた顔で烏くんはあのなぁ、と言ってくる。

「自分で聞いたくせに、急に興味なくしたりせんわ。なんや、俺はそんなに薄情に見えるんか?」
「割と」
「何が割と、やねん」

言い終わるのと同時に降ってきた手が俺の頭をぱしんと叩く。今回は俺が悪い気がしなくもないので、甘んじて受け入れた。
痛くもないそれを行うことで満足したらしい烏くんは、ぶつくさ言いながらももう文句は言ってこない。
烏くんのこうやってすぐ切り替えのできるところが、俺は好きだ。

「二人で何話しとるん?」
「ブルーロックだって。烏くんに来たらしいよ。氷織にも来た?」

何かに気づくような顔をした氷織を見てなんとなく感づく。
どうやらそのブルーロックとやらの手紙は氷織にも来たらしい。

「えっ、浅黄くんには来てないん?」
「残念ながら」
「な?ありえんやろ?」

ありえんありえんと二人は俺そっちのけで頷き合う。そんな二人に「早くこないと置いてくぞー」と声をかけた。
すぐに隣に並んできた二人と他愛もない会話をしながら、今朝のことを思い出す。
ブルーロックねぇ。手紙…手紙?

「あっ」
「「あ?」」
「…今日朝珍しく母さんがいたんだよな。だから俺、郵便物今日は確認してないんだよ」
「じゃあ3人でいけるな!!!」
「せやね、よかったわぁ」
「いや、まだ来たって決まってないんだけど」

俺の返事など聞こえてないとばかりに、二人は今度はよかったと言い合う。
二人に対して同じセリフをもう一度言おうとして、辞めた。



結局、朝に郵便受けを確認した母さんが手紙を持っていたことが後で分かった。
「誇らしいわ」と言った後に、もう行くと言っておいたという母さんの言葉を聞いて、なるほどなと理解する。

そんなことをしなくても、別に断りなどしないのに。

「来てた」と送ったメッセージに二人からやっぱりなと返事が返ってくるのを見て、少しだけ笑った。









─────────────────────────






「なぁ、お前浅黄利暮だよな」

ブルーロックに来てしばらくした頃、食堂でそう声をかけられた。

日本人らしい特徴の顔に、ショートカット。顔は見たことがあるが、名前を思い出せない。
何処にでもいそうなその少年は少し緊張したように俺に話しかけてくる。

「そうだけど、俺なんかした?」
「あっいや!!すごいプレイしてたの見てたから話してみたくてさ。俺は潔世一」
「そっか、ありがとな。知ってるみたいだけど俺は浅黄利暮。よろしく、潔」

俺の返事を聞いてぱぁっと花が咲いたように潔の顔が明るくなる。
隣に座っていいかと言う問いにもちろんだと頷いた。今は氷織も烏くんもいない。

昼ごはんを食べながら、他愛もないことを二人で話す。
潔はコミュニケーション能力が高いのか、すらすらと会話が続いた。
人懐っこいやつだと思う。

「だから俺、ずっとご飯たくあんなんだ」

「多分今人生で一番たくあん食べてる」と言う潔に笑う。
どの話も楽しそうに話していたが、潔が一番食いついたのはやっぱりサッカーの話だった。

「あの時の映像見たんだ!!それで、話してみたくて」
「俺も潔の顔は見たことあるぞ。最初の試験の時、あれよくやったなぁって思ってた」
「うおっ、他人から自分の話聞くの恥ずいな」

照れる潔と笑い合う。なんだか、思っていた印象と違った。
試合になると雰囲気が変わるのだろうか。

「(…よくわからないやつ)」














「浅黄!」

ブルーロック対日本代表の試合前。氷織と烏くんと話していると聞き覚えのある声が俺を呼ぶのが聞こえた。その声の方を振り返る。

「潔」
「浅黄くん潔くんと知り合いなん?」
「食堂で話したことあるんだ。二人がいないときに」
「浅黄、氷織と烏と知り合いだったのか」
「おんなじチームにいたんだ」

3人とも納得したのか、それ以上問いが出てくることはなかった。なのでその沈黙に甘え、潔に言いたかったことを伝えることにする。

「潔、スタメンに選ばれてただろ。名前を聞いてたから、おめでとうって言いたかったんだ。話せてよかった」
「浅黄は控えメンバーだったよな」
「それ、ほんまに納得いってないねんけど」
「はいはい、ありがとな」

スタメンに入っていた烏くんが少し不満げにそう言うのを嗜める。烏くんはなんだかんだ真面目で情に熱いからな。
「俺は今回のメンバー納得してるよ。良いメンバーだ」と言う俺の言葉に烏くんは何か言いたいことがあるように眉間に皺を寄せる。でも俺の言葉には大体同意らしく、それ以上何かを言うとこはなかった。黙っていた氷織も同じらしい。

納得がいっていない二人に仕方がないな、と笑う。

「そんな顔すんなよ。他人の心配してて良いのか?


___あんまり油断すると奪っちまうぜ」


彼らは確かにスタメンだが、それはいつでも変えられてしまうことだ。
彼らがずっとフィールドにいるには、彼らの価値を証明し続けないといけない。


ベンチの俺たちより劣っていては、彼らはフィールドにいる意味がない。


一瞬驚いた顔をした烏くんと潔は、楽しそうに笑う。

「「上等」」

嬉しそうに見える二人を見て、氷織と共に俺も笑った。















「浅黄利暮」
「なんですか、絵心さん」
「お前はスタートメンバーに選ばれる実力がある。きちんと選ばれていない理由を説明すべきかと思ってな」
「…別に要りません。今回のメンバー、俺は納得してる」

先ほど言われたことと同じようなことを言われ、少しだけ呆れる。絵心さんといい、氷織と烏くんといい、どうしてこうも人のポジションを気にするのだろう。
俺が選ばれなかった理由なんて決まっているのに。

「俺が、彼らより劣っていただけの話だ」
「…何か勘違いをしているようだな」

絵心さんがもう一度俺の名前を呼んだ。それに返事をする。

「お前は試合中、誰かに期待したことがあるか」
「…?」
「これまでの試合中、お前は誰かが失敗しても責めたことがない。そして他人にパスをすることもない。お前がパスを出すのはいつも相手のチームに囲まれた時だけだ。浅黄利暮、これは優しさ故の行為か?」

絵心さんから言われることがよくわからず、首を傾げる。
そんな俺を見ても、絵心さんは言葉を紡ぐことを辞めない。

「お前のその行為はお前の中にあるエゴでもなんでもない。目に熱も、
夢も何もない。…何故、そうする」

少しだけ、考える。絵心さんのことだからきっと大事なことなはずだ。だが、その問いへの答えを俺はずっと一つしか持っていない。だからこそわからない。

この人が、どうしてこんなに簡単なことを聞いてくるのか。



「だって、俺が一番できるだろ」



俺の言葉を聞いて、絵心さんが黙る。

「そうか」

少しの沈黙の後、静かに絵心さんはそう言った。









─────────────────────────







思いの外うまくいってるな、と言うのが俺の日本代表戦の感想だった。

先制点は取られたがちゃんと取り返しているし、そこまで技術差もあると思えない。勝てるかはわからないが勝負はできている、と思う。

「(あれが糸師冴か、すごいな)」

きっとあれを天才と呼ぶのだろう。敵ながらつい感心する。
後半に士道が入ってから、ブルーロック側の調子が悪い。だが馬狼が交代で出されたしあの絵心さんのことだ。多分うまくやるだろう。

「おい、浅黄」

先ほどまで試合をじっと見ていた絵心さんが、そう呼ぶ。最近、随分と名前を呼ばれるなと考えながら、絵心さんのもとまで行った。

「はい」
「お前を出す」
「はい……はい?」

は?なんで?

上手くいっているのに俺が出る意味がわからずついオウム返しをしてしまった。
そんな俺へ目も向けず、ただ「準備しておけ」と絵心さんは言う。反論は許さないとばかりに、またじっと試合を見つめ始めた。

意図がわからず呆然とするが、ピーッとなったホイッスルの音で正気に戻る。
入れと言われたのなら入るしかない。俺がするべきことも決まっている。
点を入れればいい。
サッカーのわかりやすいところだ。どうしたら勝てるのかだけは相手がどれだけ強くても変わらない。

雪宮くんと交代でフィールドへ入る。氷織たちが俺を見たのがわかった。
へらりと、彼らに少しだけ手を振る。試合中だと、後で怒られてしまうかもしれない。

ピーッと、試合再開の音が鳴る。その音と共に走り出した。

相手がパスしたボールを横から奪う。パスの仕方がわかりやすくていけない。これではすぐに気づかれてしまうだろうに。

「(パス、出さなきゃいいのにな)」

走りながら周りを見渡す。相手のDFが硬いのはわかっている。なら俺が囮になればいい。相手を惹きつけて、誰かにパスを出せばいい。

「…でも、俺が一番できるんだよな」

氷織や烏くんがいるのが見える。それに糸師凛も。
彼らは優秀だ。でも俺は彼らじゃない。彼らに今何ができるのか、彼らが今何を思っているかなんてわからない。

いつもそうだ。いつもそう考える。その度におんなじことを思う。
俺が唯一十分過ぎるほど理解していること。



それが俺は、できる。



俺がしたいことを一番できるのは誰か。
俺だ。いつだって俺が一番この場所で動ける。周りに渡す意味がない。
誰だって自分ができるなら自分がする。





小さい頃わからなかった両親の態度の変わりようの理由が、今は理解できる。

あれは両親の期待だった。あの瞬間両親は俺に価値を見出したんだ。
両親のしてほしかったことができたから俺は両親にとって宝物になった。
天才の子供という、とても大切な宝物だ。

氷織を大切に思ってる。烏くんもだ。彼らといるのは心地いい。

烏くんも氷織も俺の強さを信じている。彼らは俺のことをよく知っているから。その期待にだって答えられる。

できるのだから、答えてやりたい。

『誰かに期待したことがあるか』

「…」

絵心さんの言葉が何故か頭に蘇った。

「(…期待?)」

そんなのしたことがあるに決まってる。これが決まればいいなとか、上手くボールが回ればいいなとか。あれは期待と呼ぶのではないか。
相手が失敗したからって責めたところで仕方ない。失った点や上手くいかなかった分は俺が働けばいいわけだし。仲間とはそういうものだろう。

『それは、優しさ故の行為か?』






観客の大きな歓声で思考が現実に戻る。しまった、試合中に考え事をしすぎた。試合にちゃんと集中しなければ。今は絵心さんの言葉は関係ない。

もう一度周りを見渡す。誰がどこにいるか、敵がどこにいるか。
少し遠いところに烏くんがいる。一番ゴールに近いのは氷織だ。
上手くパスは出せる。でも、氷織にパスを出したら氷織の近くにいるDFに取られてしまうかもしれない。

今、一番成功率が高いものを選べ。

一回だけ深く息をして、走る速さを上げた。
ちらりと見た烏くんが驚いているのが見える。氷織もだ。
何故驚いているのかと考えようとしてその思考を止めた。先ほどのようにそちらに集中しすぎてもいけない。試合より優先することでもない。

走る俺の目の前にDFが立ちはだかった。ここまでは予想通りだ。

後は、こいつらを俺が突破すれば__







__ぞわりと、肌が粟立った。





ばっと、その冷たさの方を見る。
敵から目を離すなと喚く理性とは裏腹に、本能はそいつから目を逸らすなと言っていた。ドクドク、と心臓の音が早い。

見たことがある顔だった。なのに、そいつは見たことがない顔をしている。


「__潔」


小さく呟いた俺の言葉なんて届いていないだろうに、潔は聞こえているとでもいうように何かを応える。

『よこせ』

聞こえないのに、聞こえた気がした。

「(…これは、なんだ?)」

また心臓が大きくどくりと揺れた。

俺ができるから俺がする。一番成功率が高いから俺がする。
他人に渡す選択より、たとえ難しくても俺が敵を突破する方が成功率が高い。
いつだってそうだ。
いつも、そう思っていたのに。

「(こいつに渡したい)」

俺が決めるより、こいつが決める方が成功率が高いと思った。
人生で初めて、自分より他人の方がいいと考えた。



これを、期待と呼ぶのだろうか。



笑いが溢れた。急に笑い出した俺に敵は怪訝そうな顔をする。
怪訝そうにしながらもボールを取ろうとしているのだから、彼らも根っからのサッカー選手だ。

「っ笑ってないで、ボールをよこせよ。ガキ」
「はは、黙っててくれよ。今人生で初めてを体感中なんだ」

そう言いながら足を振りかぶる。走るのを急に止めた俺に相手は不意をつかれた顔をした。

「_やめだ、俺が囮役になる」

それでお前が決められるなら。



ボールの蹴る音。ネットの揺れる音。一瞬だけ大きくなる観客の声。
全部初めて聞いたような気がして、また気分がよくて。

「(…世界の頂点に立つやつが俺以外にいるなら、それはお前がいい)」

俺は一体どうしたんだろうか。
あぁ、でも、これを世界が期待と呼ぶのなら。








俺はお前にずっと期待したい、なんて。













─────────────────────────








浅黄 利暮 (あさぎ りく)

金髪、黄色い目。小さい頃からサッカーをして過ごしてきた。
大体のことはそれなりにできる。だからか他人に期待することがあんまりなかった。
失敗しても全然いいと思う。そもそも失敗しても大丈夫なように無意識に次を考えてる。
他人がやるより自分がやる方が早いし効率いいよな、な効率厨。
氷織と烏くんのことはちゃんと好き。でも彼らが自分より優れているとは思わない。友達と聞いて頭に出てくるのが小学生のクラスメイトとかなので、氷織と烏くんは距離感が近すぎて友達って呼んでいいかわからない。
氷織にパスしなかったのに小さい頃の氷織のミスは関係ない。あれがあってもなくても同じ選択をした。
自分の行動が他人の行動を変えるかもしれないことを理解してない。なのでまさか自分が救った人がいるなんて夢にも思ってない。
人懐っこいしコミュニケーションも高いが、別にパーソナルスペースが狭いわけではない。

もしも自分より一つでも勝るやつがいるなら、もしもその一つが自分が生涯し続けたことであったなら。
その時初めて、自分に向けられる期待をどうでもいいことだと捨てることができる。





氷織羊

友達1
急に話しかけてきた変なやつにちょっとずつ救われながら生きてきた。
浅黄くんとやるサッカーは少しだけ息がしやすい。
烏と浅黄くんと一緒に遊ぶのが楽しいし、それなりに距離をとってくれる二人が心地いい。割と二人のことは大好き。
自分と同じように両親に期待されて、なのに全く自分に期待を向けてこない浅黄くんが心地よかった、はずだった。

自分には回ってこなかったボールと、目の前で楽しそうに笑う大切な友人。
その時初めて、あれだけ嫌だった誰かからの期待を、自分へ向けてほしいと思った。







烏くん

友達2
ノリいいしサッカー上手いし主人公と一緒にいるのは普通に好き。
男主が自分たちに“こうしてほしい“と言ってこないことに気づいていた。それでも男主の助けになろうと奮闘してた影のMVP。
男主も氷織も両親から離れた方がいいんだろうなと思ってる。
試合中一人でサッカーやってるみたいにこっち全然見ない男主はあんまり好きじゃない。
負けず嫌いなので「燃えてくるやんけ…」とか思ってる。

いつか絶対、お前からパス貰ってやるからな。






潔いつもこんな感じ世一

結局こうなる。
一人でサッカーしてる男主に「は?俺がいるんだが?」となった。
初めて一緒に試合に出て、初めて男主からパスを貰った。
本人は「こいつパスうまいなぁ」くらいしか思ってない。だって初めて一緒にやったもんな。

俺もお前に期待するから、お前も俺に期待していいぜ。







絵心甚八

できるが故にエゴがない男主を勿体無いなと思ってた。
男主の主張を聞いて、思うところがあって黙った。実際どの試合でも一番動けるのは男主だったから。
なら自分より動けるやつに会えばいいのでは?と思い試合に出した。

楽しそうにサッカーをする男主を、じっとベンチから眺めている。











─────────────────────────







「別にお前にそこまでしてほしいなんて期待してないし」

そう言った彼は一体どんな顔をしていたか。冷たい言葉とは裏腹に、随分とケロッとした顔をしていたと思う。

浅黄利暮という男に会ったのは、小学校の時だった。
季節外れの転校生。皆の興味の的だったその少年は、一ヶ月もしないうちに彼らに馴染んでしまった。まるで最初からそこにいたかのように。

初めて話したのは体育でチーム分けをした時だ。

「氷織ってサッカーできんの?」

その言葉を聞いてまた気分が少し下がる。できるに決まってる。あれだけ毎日してるのに、できないわけないんだから。

投げやりに答えた僕の言葉に、彼はとても楽しそうに笑った。

「サッカーは俺もできるぜ」

目がギラギラとしていて、体が一瞬石のように固まった。鼓動が早い。
相手は自分の目がどうなっているかなんて知りもしないようで、まだかななんて言いながら先生の指示を待っていた。


浅黄くんは思っていたよりもサッカーが上手だった。
パスもできる。点も決められる。
もしかしたらどこかでサッカーを習っているのかもしれない。試合中だというのにそんなことを考えていた。
学年の人気者の、知らなかったところを知ったからか。集中力が途切れたのか。

「あっ」

誰かの呟きでハッとする。気づいた時にはもう渡されたボールは線を超えていた。
ボールを眺めて、やっと今の状況を理解する。

どうやら僕はパスされたボールを受け取り忘れたらしい。

サッと自分の顔の色が変わるのがわかった。
すぐにボールをくれた浅黄くんを探す。張本人である彼は少し驚いたようにボールを見てから、こちらに目を向けた。

「ごめんな、浅黄くん。見逃してもうた」

そう謝った僕の言葉を聞いて浅黄くんはきょとんとした顔をした。

「全然いいよ、別にお前にそこまでしてほしいなんて期待してないし」

さらりと言われた言葉は随分と冷たくて、他の誰かが僕だったら思わず泣いてしまうんじゃないかなと思った。なのに、何故かその時の僕にはその言葉が心地が良くて。

「でも、お前は俺に期待していいぜ」

自分が初めて誰かに救われた瞬間があるとするなら多分僕はそこだった。僕が嫌なものを受けながら当たり前のように笑うのに、僕には一切それを向けてこない。

そう言った彼があまりに眩しくて、視界がぐらりと揺れた気がした。







その日から浅黄くんは何故か僕を誘うことが増えた。

一緒に帰って、一緒に話をして。もしかしたら先に絆されていたのは僕の方だったのかもしれない。

浅黄くんは本当に自分に何も期待をしなかった。こうしてほしい、あぁしてほしい。人間が他人と関わるときに必ず考えるであろうことが浅黄くんにはない。

「氷織が打ちたいならそれでいいよ」

あぁ、また。
そう言って心底どっちでも良さそうにする浅黄くんにほっとする。自分のサッカーが誰かにとってどうでもいいことであることが、何より救われる心地だった。

初めて会った時から変わらない浅黄くんに、思わずくすくすと笑う。機嫌が悪くなっていく浅黄くんに、ごめんと謝った。

浅黄くんとやるサッカーは少し息がしやすい。
浅黄くんとやるサッカーは少しだけ、楽しいと思う。

烏と比べられた時は焦った。だって浅黄くんが誰かのサッカーをそういうのは初めてだった。もしも僕が烏より劣っていたら、浅黄くんはどうするだろうかと考えてまた息がしにくくなった気がした。
すぐに流されたそれに僕がどれだけ安心したか、浅黄くんは知らない。

期待は嫌だ。期待されないことは心地いい。そう思っていたはずなのに。

浅黄くんがパスを出した。多分、自分の意思で。初めて見るその光景をただただぼーっと眺める。

「…僕には、回ってこなかったなぁ」

思ったより小さく溢れたその言葉に、何故か自分で傷ついた。

浅黄くんにとって僕のサッカーはすごくどうでもいいことなんだろう。多分、この場にいる全員どうでもいいんやろうなぁ。たった、一人を除いて。

世界で初めて浅黄くんからの期待を受け取った。それがどれだけのものか知りもせずに。

期待なんてほしくない。期待は嫌だ。そんなの窮屈で、痛くて、苦しい。
苦しくて、苦しくて


「…僕を、見てや。浅黄くん」


そんなことを呟いたって楽しそうに唯一と笑い合う彼に届くはずもないと、知っていたのに。











─────────────────────────

おまけ

太陽みたいなやつ。初めて見た時から思っていた印象だ。

太陽みたいな色して、眩しくて。恵まれていないくせに、相手からの感情を一つだってそんなものは知らないと捨てられない。
それなのに、相手に何も求めないあいつに何度腹が立ったことだろう。

「氷織から聞いてる。よろしくな」

そう笑った男は聞いていたよりも数倍きらきらと輝いているやつだった。主に髪が。髪に光が反射して、眩しくて眩しくて仕方ない。

「お眼鏡には叶いそうか?」

ぱちりと瞬きをする俺にそいつはにこりと笑った。食えないやつだと思う。俺の視線に気づいておきながら、そいつはそれを不快に思わなかったらしい。それどころか本人に真正面から聞いてくるときた。

「心配せんでも、お前は面白いやつやで」

こいつは、太陽からでも生まれてきたのだろうか。

浅黄は思っていたよりもノリが良かった。普段共にいる浅黄は好きだ。
でも、試合中のあいつは好きじゃなかった。

なぁ、浅黄。本当は気づいとったんや。お前が俺らに何も言ってこないこと。
そのくせ、お前は俺らを友達だと思っていること。

「…ほんま、嫌味なやつ」

目の前の光景をただじっと見た。自分には今どうする術もないから。あいつの目に映る方法も、あいつに求められる方法も。

もしかしたらこいつは、知らないのかもしれない。俺たちは確かにお前の友人だけど、その前にサッカー選手なんだ。そこにいるだけのその他大勢じゃない。

「…少しくらい、こっちみろや、ドアホ」

いつだって、愛は身勝手って話
001
2024年4月19日 07:18
ゆう
コメント
作者に感想を伝えてみよう

関連作品


こちらもおすすめ


ディスカバリー

好きな小説と出会える小説総合サイト

pixivノベルの注目小説

関連百科事典記事