この施設に雄英の学生がきて2日目、目覚めた洸汰少年の側にはだれもいなかった
ヒーロー達は皆、朝早くから訓練に向かい、それに付随してプッシーキャッツのメンバーもいない。
彼は誰もいない施設で一人過ごそうとするが、外からかすかに人の声が聞こえてしまう。
よく耳をすませばそれは雄英生達の声であった。おそらく個性の特訓の掛け声か何かであると気づいた少年は顔を歪ませた。
それが嫌で森の方に向かおうと施設から出ると声はさらに大きく聞こえる。
「うぉおおおおおお!!」
「よぉおし! そのヘボ個性を千切れるまで伸ばせ!!」
「イエッサー!!」
木々の隙間から見ればいつかの目デカ癖毛の男が雄たけびを上げながら体を鍛えていた。
その姿を見た少年は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
あいつは特に気に入らない、ヒーローが大好きで大好きでたまらないって感じがダメだ。
あんな弱っちそうな奴がヒーローを勘違いして、敵に負けるんだ。
彼はそう思いながら、逃げるようにその場を離れた。
ようやく静かな場所まで移動すると、彼はようやく息をついて腰を下ろす。
手入れされていない自然はこの夏の日差しの中でも暗く、ひんやりとしており、それだけで人の気配というものを遮断していた。
その中に居れば彼は寂しさを感じるよりも、それ以上に安心していた。
自分が傷つくことも、拒絶して傷つけることも、彼は嫌いで、だからこそ一人が好きだった。
というより好きになるしかなかった。
大人は自分を腫れ物扱いで、自分と同じ年の子供は皆ヒーローごっこに夢中
これでまともに他人と関われるわけがない。
彼は静かなそこを散策するうちに疲れて座り込む、マンダレイの用意してくれた弁当を食べてすこし休んだ。
木漏れ日が差し込み、暖かな陽気と満腹感に彼はそこで少し眠り、夢を見る。
やさしい夢だ。
少年は遊んでへとへとに疲れてから普段より遅れて家に帰る
家からはカレーの香り、既に母親が帰っていると気づいた少年は疲れも忘れて駆け出した。
そうすると心配そうな顔をした母が玄関で立っていて、自分を見ると少年を叱る
さっきまでいい気分だった彼は思わず、いつも家を空けがちなのはそっちの方だと反論してしまう
言い過ぎたと、すぐに思ってしまうが、もう遅い
不安そうに見上げるとただ彼をギュッと抱きあげて家の中に入れてくれる。
泥だらけの彼をお気に入りのエプロンのまま抱き上げる母は最後にゴメンねと一言だけ彼に謝るとお風呂場に連れていく。
お風呂場には父がいた。
父は汚れた自分を見ると、笑いながら今日はどんな冒険をしたか聞いてきた
少年は待ってましたと言わんばかりに今日自分が体験したことを整理もしないまま話し続ける。
父はそれを楽しそうに聞いていた。ようやく話が終わり、そして彼はバツが悪そうにポツリと家から帰ってきてからのことも話した
父は何も言わずに最後まで話を聞いていた。
最後に少年が謝りたいと言うと、やっぱり笑って彼の水を吸った髪をワシャワシャとなでた。
お風呂が終わった彼が謝れば母はあっさりと許してくれた
そして彼が今日何をして遊んだか自分も聞きたいというのだ。
なので、彼はみんなで夕ご飯を食べながらなんでもないようなことを話し続けた。
嬉しくて、楽しくて、あまりに幸せで
あぁ、これは夢なんだなって気づいてしまって
目が覚める。
すでに日は傾いていた。
あれだけ暖かかった場所は、夏だというのに冷え込んでいた。
まっ赤な日差しを遮る木の真っ黒な影が手のように自分にかかっている。
彼の体はいつの間にか震えていた。
無性に寒かった。
「……一人だって平気だし……」
彼は誰に聞かせるわけでもなく、そう呟くと立ち上がって、施設の方へと戻る。
森を抜けると、どこからか懐かしい甘いカレーの匂いがする。
ハッとして彼が顔をあげる
「洸汰……!」
こちらを見てほっとした顔を見せるマンダレイがいた。
「あっ……」
ふと少年は自分が怒られるのではないかとなぜか思った。
「……洸汰、お帰りなさい、中にいないからちょっと心配したわよ」
だがマンダレイは怒らなかった。
「昼はかなり適当なものにしちゃったし、夜はちゃんとしたの作るわ、夏野菜カレー、揚げた野菜乗っけてあげる」
別に怒られたいわけではない、こういう時むしろマンダレイは怒る時もある。
「……いらない」
ただ無性に切なくて、その理由に思い至った瞬間、少年は自分に愕然とする。
「お腹減ってないの?」
「いらない!!! ヒーローがマッ……、母親ヅラッ……すんじゃねぇッ!」
どうしようもなく苦しかった。
マンダレイを見てほっとしてしまった自分、母親の面影を重ねてしまった自分、そして人を傷つけてしまう自分。
「なんで、よりによってヒーローなんだよ……、そんなに優しくするならやめてくれよ……」
普段こんなことはない、タイミングが悪かった。
感情が自由にできない、そんな苦しみから少年はその場を逃げようとする
「洸汰」
だがマンダレイは目の前に座り込んで、少年の肩に手を置いた。
「アンタが個性が嫌いなのは分かるわ」
「そうだ! そんなもの無ければ!! なかったら……」
「……そう、あんたのパパとママは死ななかった。……ウォーターホースはね、確かにあんたを遺して逝ってしまった」
似たような話を少年はマンダレイから一度聞いていた。
それはマンダレイが彼を引き取った時だ。
「でもね、そのおかげで守られた命が確かにあるの、あんたもいつかきっと出会う時が来る。そしたらわかる」
かつて同じようなことを言われたその時、少年は何も言わず、無表情で聞いていた。
別に反論しても良かったが、似たようなことを言ってくる大人は何人もいて、それらしいことを言わせてすっきりさせてやった方が話が早く終わることを少年は知っていた。
言い終わった後、大人たちは物知り顔だったり、笑顔だったり、かわいそうなものを見る目をして去っていく
あの時、少年の心は何一つ動いていなかった。
「命を賭してあんたを救う、あんたにとってのヒーローに」
だが、今思えば、目の前のこのひとだけは、何も言わない自分に対してつらそうな顔をしていたと、少年は今更に気がついてしまう。
彼は心を閉ざして背を向ける。
自分は謝ることさえできないと知っている彼は。それ以上その場にいることが出来ず立ち去ることしかできなかった。
彼は一人で、秘密基地に向かって歩き出す。
その道中、雄英の生徒達が騒いでる場所の横を通らなければいけない場所があった。
近寄りたくもなかったが、相手のためにわざわざ避けるのも癪に感じた彼はそのまま脇をずんずんと進んでいく。
「おーい!洸汰くーん!」
突然呼び止められ、体が不意に跳ねる。
「私の横の彼、緑谷君があなたに用事があるって」
緑谷と聞いて、彼はいつぞや、殴りつけた男を思い出す。
自分にどうこう言うつもりかと身構え、舐められないように彼は相手を睨みつける
だが、男はヘラヘラとカレーを食べようなどというものだから彼はイラついた。
しかも断るはずが、空腹から思わずカレーを取ってから逃げ出してしまう。
秘密基地で、今更捨てるわけにもいかないカレーを食べ、膝を抱えて一人で座り込む。
一人でいれば気が楽だと彼は信じている。
せめて、この穏やかで空虚な時間が続いて欲しい、彼はそう願わずにはいられなかった
過去、一人を好む彼に対して、説教を始める者もいた。
“君は孤独じゃない、人は一人で生きていけない、誰かと繋がらずには生きていけない”
それはそうだろう、人は常にだれかと関わって生きている。
だがそういう話ではないのだ。
人が作った衣を着て、人が作った食べ物を食べて、人が作った道を歩いて、人がいる場所で働けばそいつは孤独じゃないのか?
少なくとも彼にとっては違う。
両親の死を賛美する他人、同情の目を向ける他人、個性を肯定する他人。
彼が孤独を感じたのはいつだって人の中にいた時だった。
彼が一人でしばらく過ごせば、夜は更けていく。
流石にこれ以上遅くなればマンダレイも看過しないと分かっていた彼は大人しく戻る。
帰るとなぜかプッシーキャッツのメンバーと学生たちがまだ騒いでいた。
「いやだからな、無駄に輝く青山に砂藤の持ってきた業務用シロップを塗りたくればきっとカブトムシがだな」
「ノン! 絶対に承諾しないよ!!」
「うえぇ……おれのテープをライトの近くにぶら下げればと思ったけど見ろよコレ」
「こっちに寄るんじゃねーッ!! 醤油顔ォ!!」
「すごい羽虫の数……、ハエ取り紙みたいね……」
「え? ハエ取り紙ってなんですかピクシーボブ?」
「う、嘘よ、地域差の範疇よね! ジェネレーションギャップじゃないわよね虎ぁ!」
「……そうだな」
「おっ、洸汰君は無事に帰ってきたみたいだぜ!」
「えー、じゃあこれで解散? どうせなら洸汰君ともお話ししようよ!」
此方に向かって手を振る雄英生達を彼は睨みつける。
「……おいお前ら、いい加減そろそろ寝ろ、明日も早いぞ」
「ちぇ~」
「また明日ね洸汰君」
「おやすみー」
嫌味の一言でも言ってやろうかと思ったが、無精ひげを生やした男の一言が割って入ると、生徒たちは残念そうに建物へと戻っていく。
「ほら洸汰、アンタも歯を磨いて寝てしまいなさい、お皿は置いてっていいから」
しばらく動けず立ったままの彼はマンダレイに話しかけられたことを機に苛立たし気に呟く
「子ども扱いしやがって……」
「子供でしょうが……、そこの緑谷君が心配だから待とうって言ってくれたんだからお礼ぐらいいなさい、アンタまだ彼に謝ってもないでしょ」
彼はギョロリとあたりを見回すと、申し訳なさそうに眉を下げた男と目が合う。
「ごめんね、出過ぎた真似かなって思ったし、言われたんだけど、どうしても心配で……」
「俺はお前らなんかとつるむ気はねぇ、さっさとお前もどっか行け」
「コラ! 洸汰!」
「いいんですマンダレイ」
「昼に見てたぜ、お前らの訓練とか言うやつ」
「えっ、見られてたのか。なんか恥ずかしいな……」
「個性を伸ばすとか張り切っちゃってさ……、気味悪い、そんなに力をひけらかしたいかよ」
彼は明らかな敵意をもって彼を見据える。
「洸汰!いい加減にしなさい!」
それを咎めたマンダレイであるが、彼は口を堅く結んで黙り込む。
「あっ、その良いんです。謝るとかもそんな」
目の前の男はそういうとこちらを見る。
「なんだよ」
男はあたりを見渡し、人が減ったのを見ると、彼に対して慎重に語り掛けてくる
「……その、僕は逆に君に謝らなければいけない、実はさっきさ、君の話を聞いちゃったんだ。……君の両親さ、ひょっとして水の個性のウォーターホース、……かな?」
「……マンダレイ!!」
彼はマンダレイを睨みつけるが、慌てたように男は言い訳のように首を振る。
「ごめん! 聞いたのは事件のことだけ、名前は僕が勝手にそうかなって推測しただけなんだ。……残念な事件だった。覚えてる」
「うるせぇよ」
彼の目じりが吊り上がり、すぐにその目線は帽子に隠れる。
「頭イカれてるよみーんな……、馬鹿みたいにヒーローとかヴィランとか言って殺しあって、個性とか言ってひけらかしてるからそうなるんだバーカ」
目の前の男は何も言わずにいて去る気配はない、それに苛立って彼は声を荒げた。
「なんだよ、もう用がないなら行けよ!」
彼は俯き、少し間をおいてポツポツと言葉をこぼす。
「いや、あの……、うん、友達、これは僕の友達の話なんだけどね、そいつは個性が親から受け継がれなかったんだ」
「……だから何だよ」
「先天的にまれにあるらしいんだけど……、でもそいつはヒーローに憧れてさ、でも個性がないとヒーローになれなくて、そいつは周りに受け入れられずにいた」
「ただの馬鹿だろそいつ」
「はは、そうだね、実際、周りにすごく馬鹿にされたんだ。 木偶の坊ってね、でもそいつは諦めが悪くてさ……、火を噴こうとしたり、物を引き寄せようとしたり……、個性に対する考えはそれぞれあって、一概には言えないけど……」
「……」
目の前の男はそこで言葉を切って黙り込む。
彼はうんざりした。
またこれだ。
どいつもこいつも口だけで、何をするわけでもない
彼は目の前の男が何か説教じみたことを始めるならすぐさま噛みつこうと顔をあげた。
「……いや違うな、うん、今の友達の話はやめだ。 やっぱり僕の友達の話をしていいかな?」
「……はぁ?」
だが男は突然会話を切り上げ、申し訳なさそうに眉を下げる。
「僕の友達の話……というか、その友達と僕達を襲ってきたヴィランのことなんだけどさ」
「しかも友達の話じゃねーのかよ」
「い、いや、話は繋がってるっていうかさ」
彼は怒る以前にあきれてしまう。
「……そのヴィランはヒーローが大っ嫌いだって言って悪いことを繰り返すんだ。僕にそいつの言ってることは全然理解できなかった。だって僕はヒーローが大好きだから」
「しるかバカ、そういうところがキモいんだよ」
「うっ……、でもさ、その友達は、そのヴィランの言ってることが分かってるように見えたんだ。そして僕はそのヴィランのことは分からなかったけど、その友達が昔、すごく大変な目にあったのは知ってた」
「は? だからなんだよ」
「え、えーと、僕はそのヴィランの気持ちが分からなかった。でもその友達のことは知ってた。だから思った。きっとそのヴィランも、もしかして傷ついたことがあったんじゃないかって」
「だから何だ? お前の話、下手過ぎて意味わかんねーよ」
「あはは、ゴメン、ここからが本題でさ、その友達に聞いてみたんだ。傷ついている時どうして欲しいかってさ」
「……」
「行動で示せ……、だって、厳しいよね」
「……」
「こんな取り留めのない話でごめん、ただ言わせて欲しいんだ、君がヒーローが嫌いでも、僕はヒーローを目指すよ」
男は再度、少年に向き直り、膝をついてから目を見て話す。
「緑谷出久、ヒーローネームはデク、木偶の坊じゃなくて頑張れって感じのデクだ。その……よかったら名前だけでも憶えて欲しい」
「知らねぇよバカ、さっさとどっか行け」
「ご、ゴメン、じゃあお休みなさい、洸汰君」
男は全く、中身もない話をした後にそそくさと立ち上がって去っていく。
「何がヒーローだ。木偶の坊がズケズケと……」
男の言葉に彼は何一つ動かされていない、当たり前である。
話題にはまとまりもなく無駄に長い、無駄に長い言葉を一言でいえば、先ほどの男は自分の名前を名乗って帰っただけなのだから。
「俺に構うなよ……」
だがそれは今までの幾らもいた奴らの言葉の中で一番に彼を動揺させた。
まだ明かりが見え、学生たちの楽し気な声がまだ聞こえる。
自然と彼の足は光の外側を歩くように施設の端の方へと足が動いていた。
大人数の調理場が置かれたキャンプ場周辺にはいくつかの休息スペースが置かれてあり、その一つに腰掛けると彼はポツリと独り言を漏らす。
「……俺は一人でいいのに」
「私も一人になりたいと思ったら、一人になるべきだと思うけどね」
その声はすぐ近くから聞こえた。
「……お前は、こんな真っ暗な所で何してやがる」
「先生の巡回かと思って隠れたの、……というか君がそれを言う?」
意識の隙をつくかのように声をかけられたというのに、驚く隙すら与えぬほど自然に、女は暗闇の中、斜向かい横から顔を出す。
「俺に構うな」
「いやいや、一人でいたのに君がきて邪魔したんだよ、私も一人になりたかったのに」
女はからかうような声色で言い返し、自分の服で隠していたのか、小さなランプを取り出し、小脇に置いた本を開きなおした。
「じゃあテメェがどっか行けよ、寝ろって言われてただろ」
「それは洸汰君もだよね、マンダレイにいわれてたじゃない」
「ヒーローやってる奴の言うことなんか聞く必要なんてない」
「君の理屈で言うなら私の先生もヒーローだから聞く必要ないね」
「……うぜぇ」
デタラメな詭弁を話す女に彼は嫌そうな顔をしながら睨みつけるが、相手はこちらを完全に無視して本を読みだす。
彼自身もさっさとここから離れてしまえばいいというのに、ここを後にした場合の敗北感、それ以上に森を歩き回った疲労感からこの場を離れられない。
結局、ならこちらも相手を無視してやればいいと彼は決めて座り込んでしまう。
こうして彼は、この奇妙な空間での時間を過ごす
目の前の女は不気味なほど影が薄く本のページをめくっても紙ずれや衣擦れの音すら出さないので、目を向けなければ女の存在が分からないほどだ。
やることもないので彼は目の前の小さなランプを見た。
暗闇の中で揺らめく炎の揺らぎを見つめると自然と彼の心は落ち着いていく。
秘密基地でもただ静かな風景を見て時間を潰している彼は、存外それだけでも十分な暇つぶしになっていた。
会話はない
一人なのに一人でない
時間はゆっくりと流れているはずなのに、ふと彼が気づけば施設の方の明かりは完全に消えていた。
「これ、気に入ったならいる? 買ったはいいけどもう私は満足したから」
意識の外から言葉がかけられて、彼ははっとする。
あれからどれほどの時間が経ったか、いつの間にか女は既に先ほどの場所にはおらず、今まさに帰ろうとしているところだった。
「子供に火は危ないけど、多分君は大丈夫だし」
「……べつにいらねぇよ」
本当のことを言うなら、彼は目の前に置かれたチラチラと光を揺らすランプの火をほんの少しだけ気に入っていたがそれを言うことはない。
「というか興味本位で買って火をつけたはいいけど消し方が分からなくて、ここに置いとくしかないんだよね」
「……バカじゃねーの、もったいねぇ」
「大人は金持ちだから、もったいないことにお金を使えるの」
そういうと女はすぐに立ち去る。
残されたのは彼と小さなランプだけ
女は彼に何を求めるわけでもなかったことにほっとしてしまう。
しかしなぜかそれが自分にとってどうやら気を悪くするものではないと自覚した時、彼はじくりと胸が痛んだ。