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企画特集 3【神奈川の記憶】
(100)明治天皇盗撮された<幻の写真>
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■最古の姿 横須賀での宮廷装束
◆国際化が求めた君主の肖像
縦15センチ、横20センチほどの古写真が英国の美術品オークションに登場したのは2000年だった。「日本の天皇陛下とご一行」と台紙には英語で記されていた。
写っている人物の説明もあり、ひな飾りから抜けだしたような姿の中央の男性は「天皇陛下」、もう一人の和装の人物は「三条大臣」、右から5人目の立っている人物は「M・ヴェルニー」と記されていた。
明治天皇の公式の記録である「明治天皇紀」は、1872(明治5)年元日に明治天皇が横須賀造船所の開所式に行幸したと伝え、その際に「諸臣等と記念の撮影を為(な)し」たが、それは「蓋(けだ)し聖体を撮影せしめたまへる始なるべし」と記している。
史上初めて天皇が撮影されたとの記録だが、その写真が一般の目に触れたことはなかった。
天皇は「小直衣(このうし)、切袴(きりばかま)を著し、金巾子(きんこじ)を冠し、扇子(せんす)を把(と)りて椅子(いす)に凭(よ)りたまへり」という宮廷装束だったと「明治天皇紀」は伝え、写真と一致する。太政大臣三条実美やフランス人技師ヴェルニーが随行していたことも記録されていた。
〈幻の写真〉の出現であることは明らかだった。
どのように撮影されたかに関心は向かったが、横浜で写真館を営むオーストリア人のライムント・フォン・スティルフリートが、造船ドックの岸壁にいる天皇一行を、近くの船の帆に隠れ撮影したものだった。
そうした経緯が分かるのは、外交問題に発展し、横浜で発行された英字新聞などが報じていたからだ。スティルフリートは売り出すとして新聞に広告も載せていた。日本側は驚いたが、治外法権のため直接、手は出せなかった。最終的にはオーストリア側がネガとプリントを没収。一般に流通することはなかった。
◇
この写真は2014年に横浜の県立歴史博物館で展示された。高級外車にも相当する高値がついたのを日本にもたらしたのはフランス出身のクリスチャン・ポラックさん(67)だった。東京・日本橋でコンサルタント会社を経営するポラックさんは日仏関係資料のコレクションで知られる。文書4万枚、書籍1万冊、地図・版画・浮世絵・ポスターなども豊富で、古写真は1万枚に上る。
一橋大で博士号を得た歴史学者でもあるポラックさんは収集するだけが目的ではない。研究の対象だ。
横須賀での写真では、写っているフランス人の事績を追った。造船所建設に活躍したヴェルニーは、横須賀に名を冠した記念館や公園があり、よく知られる。
ヴェルニーの左隣に立つリュドヴィク・サヴァティエをポラックさんは調べた。海軍の軍医として来日し、ラテン語による初の日本植物大目録を残した。
サヴァティエの出した手紙をフランスで200通も見つけた。見知らぬ花々や新たな植物の研究に熱中する様子が伝わってきた。10年に及ぶ日本滞在で、1800種の植物を分類し標本として欧州に紹介したが、100以上の新種が含まれていた。欧州の植物を取り寄せ、日本の研究者に提供してもいた。
サヴァティエは長州藩との下関戦争などにも従軍。手紙は歴史の証言としても興味深い。日本の内戦状態を紹介し、「フランス人は中立をまもり、この喧嘩(けんか)にはかかわらないと宣言しました。横浜の町の日本人は、イギリス人より我々のことをずっと好ましく思っています」と記している。
知らなかったと驚くと、「日本の歴史からフランスの姿が消えています」とポラックさんに指摘された。
「この写真にフランス人がいるのも、日本初の近代的造船所がフランスの技術で築かれたから。世界遺産の富岡製糸場、海軍関係の技術、法律もフランスがモデルとなりました。それなのに日本人が気付きにくいのは、日本の歴史が薩長によって英国を中心にして作られたからです」とも。
◇
盗撮したスティルフリートの人物像は、英国・聖アンドリュース大講師のルーク・ガートランさんの研究で明らかになった。オーストリアに残る記録から、外交交渉の詳細も判明。日本はネガや写真の買い取りを考えたが、盗撮の横行を助長することになるとの批判で取りやめていた。
盗撮を契機に〈君主像〉はどうあるべきかという近代的課題に日本は直面し、軍服姿の〈ご真影〉が誕生することになったともガートランさんは指摘する。
スティルフリートは世界を旅した写真家だった。上海から横浜への定期航路は1864年に、サンフランシスコと横浜の航路は67年に開かれた。69年にはスエズ運河が開通。72年にはフランスでジュール・ヴェルヌが「80日間世界一周」を書き上げている。
そうしたグローバル化の波の中、スティルフリートは日本へやって来た。欧米における日本への関心の高まりは、誰も見たことのない天皇の肖像が大きなビジネスチャンスであることを意味し、それが盗撮の動機だった。
ポラックさんはコレクションを明治大に譲った。フランス法の学校として設立された歴史を持つ。ガートランさんの研究には昨年、法政大がヨーゼフ・クライナー博士記念国際日本学賞を贈った。こちらもフランス法を淵源(えんげん)とする学校だ。
〈天皇の初の写真〉というだけにとどまらない多様な歴史が一枚の写真から浮かんでくる。明治維新とはどのような世界情勢の中での出来事だったのかもほのかに見えてくる。日本に閉じこもっていては見えない歴史があることを、今またグローバル化のうねりの中で戸惑う私たちに教えてくれる。
(渡辺延志)
■「神奈川の記憶」100話 担当記者の思い
◆「ひすいの空洞」探し、光を
「神奈川の記憶」が100話を迎えた。2015年秋の開始から2年5カ月をかけ節目にたどりついた。
ここまで続けることができたのは、何よりも読者の支えがあったからだ。取材に応じて下さった方々の力添えも大きかった。まず深く感謝の意を表したい。
「なんでそんなに歴史が好きなのですか」。そんな質問に出合うことがある。振り返ると小学3年の春から歴史の本さえ読んでいれば幸せな日々が始まっている。変わった人間に見えるかもしれないが、野球やサッカーに熱中する少年と何も違わず、気付けば還暦も過ぎ白髪頭になっていたというだけだと思っている。
それを仕事にしようとは考えたこともなかった。若いころは、ごく当たり前の新聞記事を書いていた。
◆覆された歴史像
転機は1994年に青森で遭遇した三内丸山遺跡の出現だった。整然と並んだ木柱は直径1メートルもあった。重さは1本数トンと推定された。金属のない時代に、どのように伐採して運び、立てたのだろう……。相当な規模の人間集団の存在を物語っていた。
家族ぐらいの単位で食べ物を求め移動し暮らしていたという従来の縄文像を根底から覆すものだった。
驚きだった。だが、同時に疑問がわいた。当たり前と思っていた歴史像とは何だったのか。その答えを求めるうちに、記者活動の方向は変わっていった。
社会は成長するとの考えは戦後の日本で一般的だった。春になれば毎年給料が上がった。それを前提に、列島の歴史の始点である縄文は〈遅れた社会〉であると考え疑問も持たなかったのではなかったか。歴史とは見る人間の認識によって制約されるものである。
ソ連の崩壊で社会の段階的発展を説く歴史観が説得力を失った。バブル経済がはじけ、成長は所与の存在ではなくなった。温暖化の懸念など成長の限界が意識されるようにもなった。
年代測定や遺伝子分析など新たな科学技術が研究に導入され、成果が出始めた段階でもあり、様々な時代や分野で歴史が書き換えられようとしていた。
国内でも、隣国との間でも、歴史をめぐる争いがしだいに目立つようになった。何が違うのか。なぜ争うのか。歴史認識とはどのようなことなのか。
次々とわいてくる疑問への答え、ヒントを求めて国内外の研究者をめぐるようになった。様々な分野の専門家が、研究の成果を惜しげなく教えてくれた。
◆佐原さんに衝撃
国立歴史民俗博物館の館長だった考古学者の佐原真さんのことは一度紹介しているが、再度記したい。
三内丸山で出土したひすいをめぐり、「どこに価値があるか分かりますか」と問いかけられた。
大きく美しい、遠方から運ばれたものだといった考えを述べると、「それでは縄文人の思いは分かりません」とたしなめられた。
「このひすいの価値は、石ではなく、石にうがたれた穴、空洞にあるのです」と佐原さんは指摘した。
ひすいはダイヤに次いで硬い石だ。そこに金属を持たない縄文人がどのようにして穴をあけたのか。
「この穴は半端な時間ではあきません。この石を見た縄文人は、その空洞にどれほどの労力が投じられたかを読み取ったのです。価値はそこにあったのです」
何かにうたれたような衝撃を、20年近く経った今も鮮明に覚えている。
この連載を始めるに当たりまずわいたのは、そのように個人教授してくれた数多くの研究者の言葉や考えを伝えたいとの思いだった。身近な歴史に応用すれば新たな視点、気づきを提示できるだろうと考えた。
新聞の可能性を追求してみたいとも考えた。ネットの普及で情報は膨大にあふれている。そうした中から信頼できる情報を選び出し提示することは、新聞が長年磨いてきた機能であり、最も得意とすることだ。新聞としては異形の連載かもしれないが、幅広く情報を集め精査し、確実な要素を組み合わせ、分かりやすい原稿に仕上げるという私の作業は、どこまでも新聞記者として身につけた基本動作によるものだ。
そうした思いがどこまで達成できているのか自信はないが、もう少しだけ書き続けてみたい。いたる所にあるはずの〈ひすいの空洞〉を探し、見つめる作業にしたいと願っている。
(渡辺延志)
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