モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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小百合を駅まで送り届けた達也は押し付けられるように託された
普段誰かに電話を掛ける時よりも複雑な手順を踏んで開いたのは、独立魔装大隊司令部に直通する秘匿回線だ。
『街路カメラの方は心配するな。既に処理を始めている』
「ありがとうございます、少佐」
通話口の前に立つなり放たれた言葉に、達也は折り目正しく一礼を返した。
十師族『四葉家』に属する立場や特務士官としての身分を隠す必要のある達也としては、街路カメラやセンサー等から身元が割れてしまうのを避けなくてはならない。
政府主導の下で管理・運営されているこれらの設備に対し、データや履歴の処理を行う技術自体は達也にも心得があるものの、適正と経験は大隊所属の響子以下技術士官の方が何枚も上手だ。秘匿すべき魔法を使わされた以上、意地を張るよりも素直に頼るのが正解だと達也は考えたのだった。
顔を上げた達也の眼前で、略衣姿の風間がモニター越しに唸りを漏らす。
『それにしても、随分と思い切りの良い相手だな。郊外とはいえ都内でいきなりライフルをぶっ放すとは』
「油断していたことは否めませんが、恐るべき技量でした」
『魔法は使っていなかったのだな?』
「間違いありません」
風間の問いに達也は断言を返す。
ライフル弾による狙撃を受けた直後、《
達也に認識できないほどの隠蔽方法を併用していたのなら話は別だが、そんな能力を持っているのならわざわざ物理的な痕跡の残る狙撃銃を使用するメリットがない。
達也の『眼』と能力については風間もよくよく知っており、だからこそ達也の言に疑問を挟むことはなかった。
『夜間、光学スコープのみで千メートル級の狙撃を成功させる、か。それだけの腕を持つスナイパーを調達できる組織は世界でも限られてくる。ジェネレーターの存在も含めれば、敵の正体はほぼ判明したと言っていいだろう』
「ではやはり、連中は大亜連合の?」
2095年現在、大亜連合はUSNAや新ソ連に次ぐ軍事力を有すると言われている。魔法師戦力こそ先の二国やヨーロッパ諸国、日本などに後れを取っているが、膨大な人口を基にした総合戦力は侮れるものではない。
またジェネレーターは香港系国際犯罪シンジゲート『
『無論、ノーヘッド・ドラゴンが単独で動いている可能性もあるが、現下の情勢を鑑みた場合、大亜連合軍が大きく関与しているのは間違いないだろう』
断定するように頷いた後、風間は僅かに眉を寄せて続きを口にする。
『加えて内情(内閣情報管理局)ではオーストラリア人魔法師の潜伏も確認している。情報部との照会を経て捕縛へと向かったが、《オゾンサークル》らしき魔法で撃退されたそうだ』
これには達也も驚きを表さずにいられなかった。
停戦協定の結ばれていない仮想敵国や記憶に新しい犯罪組織の動向に関しては風間たちから情報を得られる上、達也自身もできる限りアンテナを張るように努めている。
だがそこに実質鎖国状態にある国の工作員まで紛れ込んでいるというのは、まったくの予想外であり初耳だった。
静かに驚きを示す達也をそのままに、風間は件の人物の画像を通話画面へ表示させる。
『男の名前はジェームズ・ジャクソン。パスポート上の職業はジャーナリストで、娘を連れて入国している』
画像はパスポートから写し取ったもののようで、並べられた男性と少女の間にはどちらも白人であること以外に似通った特徴は見受けられなかった。
「似ていない親子ですね」
『本当に親子だとすればな。娘の方はジャスミンという名で、サイオンセンサーの記録を分析したところ、《オゾンサークル》を使ったのはこちららしい』
そこまで言われて、達也はなるほどと納得した。
潜入工作というデリケートな任務に当たりなぜ子どもなどを連れているのか。カムフラージュのためというだけでは非効率的だが、英国の十三使徒、ウィリアム・マクロードが得意とする戦略級魔法《オゾンサークル》を扱えるとなれば話は別だ。
指定空間をオゾンガスで満たす《オゾンサークル》は対抗手段に乏しく、また正体を知らなければ危険を察知することすら難しい。隠密行動中に使う対人魔法としては非常に有用な魔法と言えるだろう。
一方で《オゾンサークル》を実戦で活かすには複雑な工程を含む起動式を迅速に処理するキャパシティが必要で、これほど高度な魔法を十二、三歳ほどの少女が振るったとなれば、その正体についてもおおよその予想が立った。
「特定の魔法に特化した調整体となれば、見た目通りの年齢でない可能性もありますね」
『藤林も同じことを言っていた』
同意の代わりにそう言うと、風間は表示していた画像を消して机上に手を組む。
それまでにも増して真剣な表情を浮かべ、重く囁くような声で呟いた。
『用心しろよ、達也。今回の一件、どうやらUSNAも関心を持っているようだからな』
「USNAが?」
忠告に対してオウム返しに問うと、風間は小さく頷いて応じる。
『今月初頭、USNA大使から政府へ通達があった。大使館に駐在する武官の配置換えに関するもので、新しく駐在武官となる者はどうやら『スターズ』の人間らしい』
USNA軍参謀本部直属の魔法師部隊『スターズ』は、USNA政府が抱える魔法師戦力の最高峰に位置する集団だ。隊員はそれぞれが星の名を冠したコードネームで呼ばれ、対外的には本名を始め素性や経歴までもが秘される重要戦力である。
「虎の子の実戦魔法師を駐在武官に、ですか」
第三次大戦以降、USNAは一応の同盟国とはいえ魔法師戦力の拡充に関しては競合相手だ。互いに手の内を探り合う仲なのは国防軍所属の士官であれば知っていて当然のことで、そんな相手の実戦魔法師がわざわざ海を越えてやって来るというのは、日本で何かが起こることを予期していると言っているようなものだった。
『目的はわからんが、ただの観光というわけでもあるまい。心構えだけでも持っておくべきだろう。お前自身はともかく、お前の友人たちはな』
念押しのように言われて、達也は少しだけ居心地の悪さを覚えた。
まるで保護者扱いをされているような、微笑ましく見守られているような、そんな眼差しに耐えかねて、一つ咳払いを零した。
達也の反応にふっと静かな息を漏らした後、ふと風間が手元に視線を落とす。
映像越しには見えない卓上端末を操作しつつ、風間は目線だけを達也へと戻した。
『――っと、今報告が入った。車の方は見つけたそうだ。こちらで取り調べた上、処分しようと思うが、構わないな?』
どうやら小百合を襲撃した黒の自走車が発見されたらしい。意識を奪った男たちがまだ乗っているとすれば背後関係を洗う手掛かりになるだろう。
本来は達也自身が実行するつもりだったが、軍で処理してもらえるのならば断る理由はない。悔しさを晴らそうなどという無為な拘りは、元より達也の中にはなかった。
「お手間を掛けます」
事後処理を任せることへの感謝と共に一礼して密談は終了。
暗転したディスプレイに背を向けた達也は、ローテーブルに置かれた聖遺物を一瞥して小さく息を吐く。
論文コンペの作業や聖遺物の解析までならばともかく、諸外国の工作員や犯罪組織への対処にも注意を傾けなくてはならないとは、どう計算したところで業務過多なのは明白だ。
せめて論文コンペが終わるまでは何事も起こらずにいて欲しいと願いながら、そうもいかないのだろうなと予感めいた諦めが達也の脳裏に浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
週明けの月曜日からは、いよいよ論文コンペに向けた準備が始まった。
校内では実験装置の組み立て作業員が募られ、放課後には早速共同警備隊メンバーによる合同訓練が行われた。第二小体育館に集まった警備隊メンバーは道着姿になり、体力練成や格闘訓練などを行って汗を流す。
警備や護衛に携わったことのない人には勘違いされがちなのだが、魔法師だからといって常に魔法が使えるわけではない。非常時を除けば警察や軍人ですら法律の制限を受けていて、ボディガードなんかでもそれは同じだ。
正当防衛を始め他に方法がない場合にしか魔法は使えず、一介の暴漢程度であれば身体を張る必要も出てくる。女性は比較的ハードルが下がることも多いが、男の場合は「魔法を使わなくても対処できたのでは」と判断されることも少なくないのが現状だ。
こうした男女差の観念は前世紀から残っていて、疑念を呈する声は常に在りながら、現在に至るまでほとんど変わっていない。
「ふっ――うわっ!」
脇腹を狙った掌底打ちを片手でいなされ、突き出された拳を左手で受けた瞬間、受け止めた拳が瞬時に回転して腕を掴まれ、懐に滑り込んできた身体に背負うように浮かされる。
がっちり握られた手から抜け出すことはできず、畳の上に転がされる間際、どうにか受け身だけを取って痛打を避けた。
すぐに起き上がろうとするも肩を踏んで止められ、仰向けにされた胸に拳が軽く当てられる。
誤魔化しようのない完敗に抵抗を止めると、頭上から軽妙な響きの声が降ってきた。
「さすが、森崎くんは動きが良いね」
「投げられたばかりの相手に言われてもな」
苦笑いで応じ、差し伸べられた手を取って立ち上がる。
目礼を向ける相手は僕よりも頭半分ほど小柄な同級生で、あどけなさの残る顔に屈託のない笑みを浮かべていた。
「マジック・アーツ部員の僕が格闘技で負けるわけにはいかないよ。それに実戦を想定するなら、僕は多分、君に近付くことすらできないだろうしね」
謙遜して見せる彼は百家《十三束家》の直系にあたる
十三束は生来の体質が理由で遠隔魔法を苦手とする反面、ゼロ距離での格闘戦では無類の強さを発揮することで知られている。近接戦闘に限れば八雲法師の指導を受けた達也すら苦戦させるほどの実力者だ。
「魔法を使う余裕があればな。《自己加速》もなしに十三束から距離を取る自信はないさ」
面と向かった状態で僕が対抗できる道理はなく、全力で距離を取って初めて土俵に上がれるかどうか。遠隔魔法が飛んでこないのと同じ理由でこちらの魔法も大半が無効化されてしまうので、スタミナが切れるまで追いかけっこをする羽目になるだろう。
肩を竦めるついでに言うと、十三束は何やら考え込むように腕を組んだ。
てっきり相槌を返してくるものだと思ったのだが、返事はおろか反応すらない。
「十三束? どうかしたのか?」
焦れて呼びかけてみると、十三束はようやく顔を上げて答えた。
「いや、距離の話でちょっと思ったんだ。もしかしてなんだけど、君も本当は接近戦の心得があるんじゃないかな」
手も足も出せずに組み伏せられた相手に何を言っているんだろうか。
自ずと浮かんだ苦笑いには気付くこともなく、十三束はつらつらと続きを口にする。
「手合わせしてみて思ったんだ。間合いのはかり方が剣道や剣術の経験者に近いなって。君の家の家業から考えると、警棒が武器になるのかな?」
確かに護衛業に従事する関係上、警棒の扱いには多少の心得がある。現場での役割によっては携帯することもあるし、逆に素手での格闘に臨む機会は全くと言っていいほどない。
或いはそうした経験が自然と動きに現れていたのかもしれない。春にエリカの家名を言い当てた際のイカサマめいた洞察の、本来の姿がこれなのだろう。
「それだけで判るとは、さすが《レンジ・ゼロ》と称される俊英だ」
「止してくれ。他人より少し見慣れているだけだよ」
恥ずかし気に十三束が頬を掻く。と、ちょうどそのタイミングで休憩の号令が聞こえてきた。
そのままマジック・アーツ部の先輩に呼ばれた十三束と互いに労ってから別れ、とりあえずは一息つくために入り口脇の水飲み場へ向かった。
よく冷えた水を飲みながら、十三束に言われたことを反芻する。
曲りなりとはいえ、身体が技術を覚えているのなら活かしてみるのも有りかもしれない。
特に『あの術式』を使っているときはフライシュッツを用いるのが前提になるし、スタミナ不足を補うためにも非魔法的な対抗手段を持つのは有効だ。向かないと思っていた警棒術だが、改めて叔父に指南を乞うべきだろう。
頭の中のスケジュールに追加事項を刻み、喉の渇きが癒えたところで蛇口を止める。
上気した肌も秋風ですっかり冷め、そろそろ戻ろうかと入り口に足を向けた瞬間、不意に横合いから声を掛けられた。
「こんばんは、森崎くん」
儚げな声に呼ばれて振り返ると、そこには見知った先輩の姿があった。
「平河先輩。遅くまでお疲れ様です」
図書館からの帰りだろうか。タブレット型の端末を抱えた平河先輩が傍で立ち止まった。
体育館から漏れる明かりだけでは確かではないが、心なしか顔色が悪いように見える。
「体調を崩されたとお聞きしましたが、お加減はいかがですか?」
平河先輩が論文コンペの代表を辞退したという話は人伝に聞いていた。
原作のように学校を休むほどではないようだが、やはり心痛は軽くないのだろう。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ」
薄く笑みを浮かべた先輩は視線を手元へ落として呟く。
「論文コンペを辞退したのも、本当は体調不良だけが理由なんじゃないの」
端末を持つ手がキュッと握られるのを見て、先輩が依然として事故の記憶に苛まれているのを再認識した。
気休めの言葉が口を衝きかけて、危ういところで噛み殺す。
慰めも励ましも口にする資格はなく、呑み込んだ末に出てきたのはありふれた一言だけだった。
「ご心痛、お察し致します」
「……やっぱり、君は優しいわね」
気の利いた台詞の一つも言えない僕に、けれど平河先輩は穏やかに笑いかけてくる。
「あの事故のことは今でも覚えているわ。思い出すたびに後悔が湧いてくるし、体調が万全じゃないのも確か。でもね、私が代表を辞退した一番の理由は別にあるの」
痛いほど都合の良い笑みに胃の締め付けは強まったものの、続く告白には顔を上げざるを得なかった。
「他にもっと、ずっとやりたいことが出来たから。廿楽先生と市原さんに謝って辞退させてもらったの。だから本当は私の身勝手だったんだけど、廿楽先生が厚意で体調不良だってことにしてくれたのよ」
平河先輩の浮かべた笑みは本心からのものに思えた。
少なくとも噓を言っているようには見えず、だとすれば彼女は失意から立ち直る何かしらのきっかけを得られたのかもしれない。
それは達也が論文コンペのメンバーに選ばれること以上に、どうしてか嬉しく思えた。
「平河先輩が元気になられたのなら、僕としても嬉しく思います。論文コンペの代表を辞退されるほどとなると、どんなことなのか気にはなりますが」
「ありがとう。でも、それは言えないわ。ごめんなさいね」
口元を隠して笑う先輩の姿に釣られて笑みが浮かぶ。
罪悪感も嫌悪も決して消えることはないけれど、それでも今だけは繕う必要を感じなかった。
「――そういえば、君にもお礼をしなくちゃと思ってたの。よければ今度、何かご馳走させてもらえないかしら」
ひとしきり笑いを零した後、平河先輩が思い出したようにそう言った。
厚意自体は嬉しく思うが、以前も言った通り僕に何ができたわけでもない。
「いえ、あの件については五十里先輩のお力があってのことですので」
「遠慮しないで。それに、ちゃんとお返ししないと私自身も引っ掛かり続けちゃうから。今回だけでも、付き合ってもらえないかしら」
遠回しに断るも彼女は意外に頑なで、こうまで言われると拒むのも気が引ける。
「……そういうことでしたら、わかりました」
「ありがとう」
結局固辞するだけの理由がなく頷くと、先輩は胸に手を当てふっと微笑む。
瞬間、心底から嬉しそうに笑んだ彼女の瞳が一瞬だけ妖しい色を帯びたような、そんな気がした。