作:朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足
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『糸成、見てごらん。この小さな町工場から世界中に部品を提供している。うちにしか作れない技術なんだ』
『勉強を重ねた腕ききの職人、研究を重ねた製造機器』
『誠実にコツコツとやっていけば……どんな大きな企業とでも勝負ができる』
そんなものはまやかしだった。
どれだけ勉強しようと、誠実に積み重ねようと、それを上回る圧倒的な力の前には意味がない。
だから俺はひたすら力を求めた――全てに打ち勝つことができる、ただただ圧倒的な力を。
……その結果がこの様だ。
惨めにも俺は負け続け、挙げ句の果てには協力者からも見捨てられた。
俺は無力だった。
俺には力がなかった。
俺は弱かったのだ。
もはや俺にはビジョンがない。加えて頭も割れるように痛い。耐え難い激痛がずっと俺を蝕み続けている。このまま続けばやがて死に至るのだろうなと、学のない俺でもそう悟ってしまえる程だ。
……それでも俺はこの
『――俺らのところでこいつの面倒見させろや』
詰み。袋小路。行き場のないガキ。
そんな俺に手を差し伸べたのは四人の人間だった。
『まずいだろ? うちのラーメン。親父のやつ、何度言ってもレシピ改良しねぇんだよな。……ああ、そういや穂波は前食いに来た時うまいっつってたっけ』
『えぇ……。マジか……』
『お人好し極まってるわね、あの子』
村松とかいうやつは俺にめちゃくちゃまずいラーメンを食べさせてくれた。
『どーよイトナ!? 嫌なことなんざスピードで全部吹き飛ばしちまえ!』
吉田とかいうやつは俺をバイクの後ろに乗せて走り回ってくれた。
『シロのやつに復讐したいでしょ? まずはこれを読んで暗い感情を増幅させなさい』
狭間とかいうやつは俺にやたらと分厚い本を読むようすすめてきた。
『無理のあるビジョンなんざ捨てちまいな』
『一度や二度負けたくらいでぐれてんじゃねぇ。
『今日みてーに馬鹿やって過ごすんだよ。そのために
そして寺坂とかいうやつは、俺の触手による一撃を受け止めたうえ、さらに俺を諭してきた。
……馬鹿な連中だ。こいつらは日々を楽観的に、適当に過ごしているんだろう。誠実とは程遠い。
でも、その言葉は不思議と俺の胸に染みた。
……俺は焦っていたのかも知れない。これまで結果を追い求めるばかりだった。執念のままに生きてきた。そんな俺だからこそ肩の力を抜くことが必要だったのだ。
「目の色が変わりましたね、イトナ君。今なら君を苦しめる触手の細胞を取り除くことができますが?」
「……勝手にしろ」
この触手も、兄弟設定も、もう飽き飽きだ。
この日を境に俺はただの『堀部糸成』になった。
当然失ったものは大きい。けれども、代わりに得られたものはそれ以上に大きかった。
触手を取り除く決意をしたイトナ君。
そんな彼の姿を目にした僕は他の皆と同様にほっと安心のため息をついた。
イトナ君がまた暴走し出した時はどうなることかと思ったけど、最終的には丸く収まったようだ。クラスの中では一番不真面目な寺坂君だけど、そんな彼だからこそイトナ君を説得できたのかも知れない。……ううん、きっとそうだ。これは彼にしかできないことだった。
緊張が解けた僕は何となしに隣を見た。
理由なんてない。本当に何となくだった。
何となく隣を見て、そして――驚愕した。
「……え?」
僕の隣に立っていたのは穂波さんだった。
……いや、それは別にいい。彼女もまた皆と同じようにこの事態を外から見守っていたのだろうから。
ただ、その時の彼女の表情がとても印象的だったのだ。
彼女は、酷く寂しそうな顔をしながらイトナ君のことを見つめていた。他の皆のように安堵の表情を浮かべる訳でもなく、ただただ寂しげな顔でイトナ君の方を見ていた。
……今にして思えば、これが最後のチャンスだった。
たらればの話になるけれど、もし僕がこの時彼女に何か声をかけることができていれば、あるいはあんな事態は起こらなかったのかも知れない。
そして、それからは様々なことがあった。
A組と体育祭の棒倒しで勝敗を競い合ったり、保育施設の園長先生を怪我させてしまい、その償いとして二週間施設でただ働きしたり、結果ろくに勉強できないまま二回目の中間テストを迎えてしまったり……。
この中でも特に大変だったのは体育祭だ。
ある日、浅野君はいつもの四人とともに突如として磯貝君が密かに働いている喫茶店に押しかけ、そしてこう言ってきたのだった――『今度の体育祭の棒倒しで勝負をしよう。さもなくばこのことを学校側に報告する』と。
いつぞやのようにまた穂波さんの所有権を賭けてどうのこうの言い出すのかと思ったけど、そんなことはなく。どうやら彼はただ単に僕たちに期末テストの時の仕返しがしたいだけのようであった。
『期末テストでは随分と世話になったからね。その雪辱を果たしたいんだよ、僕たちは』
……しかしながら、じゃあ彼が彼女のことを完全に諦めたのかというと別にそうでもなくて。
『……は? 諦めた? 僕が穂波さんを?』
『寝言は寝てから言ってくれないか。僕は彼女を諦めてなんかいない。ただ、少し考えを改めただけさ』
『さすがに僕ももう察してる、彼女がE組に留まっているのは彼女自身の意思によるものだと。……逆に言えば、
『実際その通りだった。彼女がE組行きとなってから、非常に、非常に癪なことに、君たちの成績は著しく飛躍している。それこそ僕たちに迫る程に』
『つまるところ、僕らが取るべき手段は一つ――君たちをこてんぱんに打ち負かせばいい』
『そうすれば彼女はきっと愛想を尽かしてA組に戻ってくるだろうし、僕たちの溜飲も下がる』
一石二鳥とはまさにこのことだね――そう当たらずといえども遠からずな推理を披露した浅野君。
彼のそれはかなりいい線行ってるけれど正解ではない。まあ、いくら彼が優秀といってもノーヒントで殺せんせーの存在までたどり着くのはさすがに無理だろう。
いずれにせよ磯貝君が退学処分になってしまう可能性がある以上拒否することもできず、こうして僕らはまたしてもA組の生徒たちと争う羽目になったのだった。
結果的に勝てたからよかったものの、この勝負では彼の大胆な策略を見ることができた。まさか勝つためにわざわざ外国から助っ人を呼んでくるなんて……。
本当に、本当に様々なことがあった。
こんな濃い体験、中々できることではないだろう。
とても大変だったことは確かだ。成功だけじゃなく、時には失敗をしてしまうこともあった。
けれども、だからこそクラスの結束は強まっていった。
当初の頃とはえらい違いである。この時の僕たちは、例えどんな大きな壁が立ちはだかっても皆で力を合わせれば必ず乗り越えていけると、僕らは確かな絆というもので結ばれているのだと、そう信じていたのだ――彼女が、穂波さんが
……あんな事件が起こるなんて誰も思いもしなかった。
ただ一つ言えるのは、僕らは同じ組の仲間であった筈の彼女について何も知らなかったということである。
ある日の午後、僕が表向きに経営している花屋に一人の客が訪ねてきた。金色の髪に碧色の眼という日本では非常に目立つ容姿をした少女である。
この少女、確か名前を穂波水雲といったか。
僕の次の標的であるあの百億円の賞金首、地球の破壊を目論む存在でありながら、同時になぜか椚ヶ丘中学校三年E組の担任教師としても働いているという超生物――集めた情報によれば、彼女はその怪物に教えられている生徒の内の一人だった筈だ。
「プレゼントに花束を?」
「はい。本当は当日に渡したかったんですけどね……。まあ遅れてしまったものは仕方ないってことであちこち探し回っていた時に偶然ここの花が目に入って、それで花とかどうかな〜と思い至ったんですが……」
「うん、とてもいいと思うよ! 近頃、花束を贈るのは相手の迷惑になるからやめておいた方がいいだなんて風潮があるけど、それに流されるのはもったいない。色、形、そして香り……花程人の本能にはまるものはないんだ」
「なるほど。で、本音は?」
「……売り上げに響くから勘弁して欲しい」
「あはは、花屋さんも大変なんですね」
さて、十月の誕生花で代表的なのは……オレンジバラやカトレア、ガーベラといったところ。僕はそれらの中からいくつか見繕うと早速花束を作り始めた。
「この鉢植えは……」
「ああ、それはアセビだね。ちょうど今ぐらいの頃からつぼみをつけ始めて、その状態のまま冬を越し、そして春のまだ寒い内から開花し始めるんだ。実は木には有毒な成分が含まれていて、だから害虫がつきにくかったりする」
「へぇ〜、そうなんですか〜……。あ、これは知ってますよ! これってあれですよね、確か――」
その間、彼女は店にある他の商品を眺めていた。
しかしそれにしても……この少女もしょせんはただの子どもという訳か。クラスの中でも特に聡明とは聞いていたが、僕の正体に気づくそぶりを見せることはない。
いくら何でも不用心過ぎやしないかい? 今、君の目の前にいるのは死神とも呼ばれる暗殺者なんだよ?
まあ、別に取って食おうだなんてつもりはないが。
こんな子を手駒にしても意味はない。適当に相手をしたら返そうと、この時の僕はそう思っていた。
「――よし、完成だ。こんな感じでどうかな?」
「わー、すっごく綺麗ですね! これならイリーナ先生もきっと喜んでくれますよ!」
「それはよかった。気に入ってくれたようで何より」
「はい! あ、ついでにこのアセビの鉢植えも一緒に頂いていいですか? なんか見てたら欲しくなっちゃって」
「もちろんさ! 店として助かるし、僕個人としても花に興味をもってくれる人が増えるのは嬉しいからね」
「えぇ、花に
……ん?
「死、神……? 急にどうしたんだい?」
「うまく気配をぼかしているんですね。道理でこれまで貴方の正体を見破れる人間がいなかった訳だ」
おやおや。おやおやおや。
これは……どうしたことかな?
この態度、彼女は明らかに僕が死神だと確信しているようだが、一体いつから気づいていた? ……ひょっとして最初からか? 最初から気づいていたうえで、僕に対してあんな風に接してきたと?
「――面白い」
面白い。久方ぶりに僕は動揺という情動を思い出した。
限界まで極めた筈の変装の技術が、まさかこんな少女に見抜かれるなんて予想だにしなかった。
「改めて自己紹介をしよう。僕は殺し屋だ。その界隈では死神なんて呼ばれていたりもする」
「ご丁寧にどうも。それじゃあ私も自己紹介を――と言いたいところですけど、貴方の方は私のことをすでに知っているんでしょう?」
「そうだね。ただ、その情報も大幅に更新しなければならなくなった。……なぜ僕の正体が分かったのか、参考までに教えてくれないかな?」
「理由ですか……。ん〜、強いて言うなら……未来を知ることができるから、ですかね?」
精神の波長に乱れはない。いい加減なことを言って煙にまこうとしている訳ではないということか。
……いやそれ以前に、この子の波長は読みにくいな。
これも技術なのか? それとも先天的なもの? 気配をぼかすものとはまた別種であるような気がする。
彼女がもつ謎の技術を解明して自らのものにすることができれば、僕は殺し屋としてさらなる高みへと近づけるに違いない。……
「うーん、参ったな……。何にせよこのまま君を帰す訳にはいかない。僕の正体を知られた以上は、ね」
「安心してください。私も帰るつもりはありませんから。そうじゃなければ、わざわざ貴方に向かって堂々とこんなこと明かしませんって」
「確かに。なら、君は何を望むんだい?」
「……死神さんの次の標的、私の担任の殺せんせーで間違いないですよね? それなら――」
――
およそ中学生とは思えない程に艶やかな笑みを浮かべながら、少女は僕にこう提案してきたのだった。