作:朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足
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シロの暗殺計画は
あらかじめ薬剤を散布することで粘液を出し尽くさせ、水を防ぐ手段を奪っておく。それからプールの堰を壊して生徒ごと放流。殺せんせーが彼らを助けざるを得ない状況をつくり、彼の触手にこれまた薬剤入りの水を吸収させることに成功した。
殺せんせーを確実に殺すための、徹底的な弱体化。
対して、糸成の方は大幅に性能が強化されている。
「さあ、兄さん。どっちが強いか改めて決めよう」
そう言って糸成は触手を勢いよく振り下ろした。
前回よりもはるかにスピードとパワーが増したその一撃を殺せんせーは何とか受け止める。だが、そこからは防戦一方であった。彼がここまで押されている要因は通常より弱っていることもそうだが、触手の射程圏内にまだ三人の生徒が取り残されていることも大きい。……無論、これもシロの計算通りである。
マスクの下、彼はにんまりと笑みを浮かべる。
数々の計算を積み重ねて練った計画だ。穴などある訳がない。もはや、やつの敗北は時間の問題だろう。
しかし、往々にして
「――とう! 助っ人参上!」
たった一匹の妖精が場を掻き乱す。
この日、シロはとある一人の生徒の存在を知覚した。
穂波水雲――その少女は、後に再び彼の計画を狂わせる大きな障害となる。
「助太刀いたす、殺せんせー。悪党どもに咲く徒花は血桜のみぞ。……な〜んてね♪」
いやー、一回言ってみたかったんだよね! こんな感じの格好いい決め台詞!
対峙する両者の間に突如として降り立った彼女は、そう声高らかに宣言したのだった。
その二人は久しぶりに僕らの前に現れた。
律と同じ転校生暗殺者であるイトナ君と、そしてそんな彼の保護者を務める白装束の人物――シロ。
前回の時にも様々な策を弄して殺せんせーを追い詰めた彼らだけど……今回はその比じゃない。実際、僕も含めて何人かの生徒は殺されかけた。シロは殺せんせーが僕らを助けると分かっていて実行したみたいだけど……それでも危険な目に遭ったことに変わりはない。
とはいえ、その計画がよく練られていることも確かだ。
今、殺せんせーはかつてない程に追い詰められている。
あの闘いに普通の人間が介入することは不可能だろう。高速で繰り返される触手の応酬、その残像を目で追うのが精いっぱいだ。悔しい気持ちはあるけれど、僕らには傍観する以外の選択肢が――
「ん〜……かなりまずいことになってるね」
だから、この場に駆けつけてきた穂波さんがあの二人の間に一切の躊躇もなく飛び込んでいった時、僕らは彼女の正気を疑わざるを得なかったのだ。
いや、僕らだけじゃない。唐突な彼女の乱入は、闘いの真っただ中だった殺せんせーとイトナ君、そしてシロをも驚かせた。……それも当然だ。こんな展開、果たして誰が予想できただろうか。
時折とんでもない行動を取ることがある彼女だけれど、今回は特にぶっ飛んでいる。多分何かしら考えがあっての行動だとは思うけど……。
「……これはこれは、随分とまあおてんばな子だね」
自ら闘いの舞台に降り立ち、周囲に殺せんせーへの助勢を表明した穂波さん。そんな彼女にまず声をかけたのは、この暗殺計画の立案者であるシロだった。
愚かな生徒だ、とでも思ったのかも知れない。その声色には嘲笑の感情が少なからず含まれていた。
「助っ人、と言ったのかな? 面白い冗談だね。君如き、イトナの触手の前では時間稼ぎにすらならないよ。怪我をしたくなければおとなしくそこを――」
「シロさん、でしたっけ? 正直、殺せんせーをここまで追い詰めたのはすごいと思います。綿密に練られた計画、さぞたくさんのシミュレーションを重ねたことでしょう。その完成度の高さには感服しました。……
――私、こう見えても今結構頭にきてるんですよ。
顔は笑っていても目が笑っていない。
いつぞやの誘拐の事件の時よりも彼女が怒っているのは明白だった。
「やれやれ、仕方ない。……イトナ、その子を黙らせろ」
その場をどこうとしない穂波さんに業を煮やしたのか、ついにシロはイトナ君に命令を下す。
「――よっと。渚君、今どんな状況?」
「……」
時を同じくして、カルマ君と寺坂君も駆けつけてきた。これでE組の生徒全員が揃ったことになる。
そんな中、彼女を攻撃するよう命令を受けたイトナ君は一本の触手をゆっくり動かすと、それを勢いよく横払いに放ったのだった。
恐らく加減されているとはいえ、それでも十分な速さと力を伴った攻撃である。この場の誰もが彼女があっけなく吹き飛ばされていく様を幻視した。
ところが、その触手による一撃は――
「――!?」
状況を説明するのなら何ということはない、イトナ君の攻撃を穂波さんがかわしただけだ。……それだけならまだ驚きも少なかったかも知れない。だが彼女の場合、それに加えて反撃も同時に行っていたのだ。
まさか避けられるどころか逆に攻撃されるなんて思いもしていなかったのだろう。触手の一本を僅かに溶かされたイトナ君の表情は驚愕の色に染まっている。
地面と平行になるまで膝を曲げて後方に体を倒していた彼女は、その後腹筋を使いながらゆっくりと上体を起こすと目の前のイトナ君を見て鼻で笑った。お前なんか大したことない、とでも言わんばかりの態度である。
完全になめられている――彼女の得意げな様子に憤りを覚えたらしい彼は、続けて第二、第三と触手による攻撃を放った。連続で、そのうえ先程のものよりもさらに速さと力が増している。
しかし、当たらない。彼の攻撃は空振るばかり。
まるで未来でも見通しているかのように彼女は避ける、避ける、避ける。時折反撃も加えつつ、その妖精は水面で軽やかに舞い踊り続けた。
「あ〜、そういうこと……」
「カルマ君?」
「今の内に原さんたちを助けろ、ってことでしょ。さっきこっちに向かって目配せしてたし」
闘いが再開してしばらく、カルマ君が何かに気づいた。
未だイトナ君の猛攻を対処し続けている穂波さんだが、どうやらそれだけではない。触手の射程圏内に入っている三人から引き離そうとさりげなく彼を誘導している。
シロは気づいているっぽいけれど、頭に血が上っているイトナ君は気づいていない。これはチャンスだ。
触手もちの相手に恐れず立ち向かえる彼女がすごいのは当然として、彼女のアイコンタクトとその意図に気づいたカルマ君もさすがである。
「俺らもぼうっとしてる場合じゃねぇわな」
「とりあえず、あの三人を何とかしないと……」
……そうだ、こうして傍観している場合じゃない。
蚊帳の外に置かれた僕らにもまだできることがある。
我に返った僕たちは取り残された三人を助けるべく各々動き始めたのだった。
堀部糸成には己が強者だという自負があった。
実際、その認識は正しいものである。触手という強大な力を手に入れた彼に敵などなく、しかし唯一の懸念として同じ触手もちの殺せんせーがいるが、それももはや杞憂となった。シロの策略によって弱体化し水風船のように体を膨らませつつある姿は無様でしかない。
俺は勝つ。これで兄さんより強いことが証明される。
沸き上がるのは勝利への絶対的な確信、そしてさらなる力を得たいという飽くなき渇望のみ。
ゆえにその少女が自身の前に立ちふさがった時も、彼は別段何も思わなかったのだ。こんな女、赤子の手をねじるよりも簡単に鎮圧できる。
そもそも
初めてE組の教室を訪れた時分、この女からは特に何も感じられなかった。リーチはそれなりにあるが、その他で印象に残るものはない。強いて言うなら髪色くらいか。
これならまだあの赤髪の方が手強いだろう。
それでも単純な力比べならば間違いなく糸成に軍配が上がるが。
……いずれにせよ、こんなやつ俺の敵じゃない。
そう判断した彼は道端に転がる小石を蹴り飛ばすような感覚で触手の一本を振るって――あっさりと水雲にそれを回避されたのだった。今から数分前の出来事である。
(――なぜだっ! なぜ当たらない!?)
それから今に至るまでに攻撃を続けているものの、未だ一度として彼女に直撃は与えられていない。それどころか逆にこちら側がダメージを負う始末で。回避すると同時に放たれるカウンター、これが厄介なことこの上ない。
かつて、この女からは
今もそうだ。相変わらずこの女からは何も感じない。
……いや、それこそ一番おかしいのではないか?
こうして闘っているというのに、なぜ相手からは敵意や害意が感じられない? ……不気味だ。あまりにも不気味過ぎる。得体が知れない。ただただ薄気味悪い。
(これはまずいな……)
一方でシロは糸成とはまた違った分析を行っていた。
あの生徒に関して、その驚異的な動体視力と反射神経にまずはどうしても目がいってしまうが、そこばかりに気を取られてはならない。他にも注目すべき部分はある。
例えば、回避の仕方。先程から水面で舞い踊るかの如く糸成の攻撃を避けているが、あれはわざとだ。恐らくはああしてあえて水しぶきを立てることで彼の触手に少しでも水を吸わせようとしている。でなければわざわざあんな非効率的な避け方をする必要がない。
間合いにしてもそうだ。まずあの三人から引き離すことを目的とした距離の取り方で、その誘導のさりげなさと言えばシロですら気づくのに遅れた程である。
(完全にしてやられたよ。計画は台なしだ。まさかあんな生徒がいたとはね……)
触手の数を減らしたことも不利に働いている。
元々は対殺せんせーのためだが、防御より避けることを意識している彼女相手ではその効果も薄い。増幅した力も結局は当たらなければ意味がないのだから。
すっかり彼女の術中に陥っている糸成。
もはやシロが声をかけたところでどうにもならない。
ところが、そんな彼に大きな好機が到来した。
今の今まで回避行動を取り続けていた水雲がついに足を滑らせたのだ。いや、むしろ足場の悪い中でよくここまでもったものだろう。
一瞬だけ動きを止めた彼女に、しめたと糸成はその隙を逃すことなく仕掛ける。
「全く……貴女はいつも突飛な行動に出ますねぇ〜」
しかし、その攻撃は別の触手によって防がれた。
存在を忘却していた訳ではないが、知らず知らずの内に頭の片隅へと追いやっていたのは事実で。
「危なかった〜……。サンキューです、殺せんせー!」
「貴女にも色々と言いたいことはありますが、とりあえず今は彼をどうにかしなくては――」
「んじゃ、防御は任せました!」
「――あっ! むやみに突っ込むのは危険ですよ!」
あまり認めたくはないが、たった一人の少女にさえ手を焼かされている現状。
そこに、弱体化しているとはいえ自身と同じ触手もちの超生物が加わった。
「――にゅやッ! 穂波さん、それは私の触手です!」
「あれ? もしかして見間違えたのかな? ……ああ! 言われてみれば確かにそんな気もしたような――」
「絶対わざとですよね!?」
……沸々といらだちが募る。
一度とならず二度も負けるのか、俺は。力を手に入れたのは何のためなのか。勝つためじゃなかったのか。勝って勝って勝ち続ける、そのために俺はこの力を――
「イトナ、そこまでだ」
シロの一言で彼はぴたりと停止する。
糸成の触手がある程度のダメージを受けただけでなく人質にしていた生徒たちも救出されたとなれば、ここから逆転するのは些か厳しいものがある。
これ以上の続行は時間の無駄でしかない。そう判断しての撤退命令であった。
諦めて去っていく両者。シロはともかく、糸成の方はやや不服そうではあったが……。
とはいえ、あの二人は必ずまた現れることだろう。
殺せんせーを殺すために、次はもっと巧妙で強かな策を用意したうえで。
彼らがいなくなったことでようやく緊張が解けた。
大きく息を吐きながら、E組の生徒たちは互いの無事を喜び合う。プールから放流された時は焦ったが、最終的に何とかこうして助かることができた。
安堵感を得た全員が次に思ったのは二つ。
一つはもちろん、この騒動の解決の立役者となった水雲への感謝の気持ちで、そしてもう一つは。
――早く帰ってシャワー浴びてぇ……。
もっともな願望であった。
『お前の目にはビジョンがない』
そう言って糸成はこちらの顔を覗き込んできた。
自然と彼の瞳の奥が明らかになる。そこに渦巻いていたものを見て、竜馬は固まった。
そこにあったのは強い意思だ。あるいは信念とも言う。
つまるところそれは彼が心の底から正しいと信ずるものであり――今の竜馬がもっていないものでもある。
その目には見覚えがあった。
いや、見覚えがあるどころか今でも毎日見ている。
穂波水雲――A組からE組に移ってきた生徒。
竜馬にとっては大嫌いなエリートであり、加えていつも何かと絡んでくるうざったい存在である。……確か彼女もこのような目をしていたように思う。
これをビジョンと糸成は言っていた。いわゆる先見性の有無、強者なら誰もが備えているものなのだろう。
彼には、竜馬にはそれがない。その日その日をただ楽に暮らせればいいと、そう考えていた。
その結果がこの様である。
シロに都合のいいように扱われ、そしてクラスメイトを殺しかけた。無計画な愚者は操られる運命にある。そんな当たり前のことを今更ながらに理解したのだ。
「寺坂君」
不意に自身の名を呼ばれ、彼は顔を上げた。
そこに立っていたのは例の人物だ。今回大活躍を見せた彼女は相変わらず力強い目をしている。
だから、竜馬はこの少女が苦手なのだ。
このどこまでも先を見通しているかのような目、彼には決してまねできないもので。
しかし、彼女に自身の尻拭いをさせたことは事実。
その恩を無視できる程の常識知らずという訳でもない。
「……何だよ」
「今回の件、貸し一つね」
返済期限は無期限だから。にこやかに笑みを浮かべつつそれだけを告げると水雲は行ってしまった。
……先見性の有無どころか器の大きさまで違うとは。
少しは認識を改めてもいいのかも知れない。少なくともこちらを見下すばかりの本校舎のやつらよりは断然ましな人物である。
あんな風には絶対になれねぇだろうが、せめて操られる相手くらいは選べるようになりてぇ――今日初めて竜馬はそのように思い立ったのだった。