襲いかかる魔の手
宰相の執務室。
セリーナからの報告書を読み、宰相は天井を見上げた。
「ライナス殿下の件も問題だな」
敵国が弱ってくれるならいいが、敵もそこまでお人好しではない。
勝った方に利益を求めてくるはずだ。
その利益を用意するのは、ライナスではなく帝国に仕えている自分たちになる。
皇帝になるために、と勝手な約束をしないで欲しいのが宰相の素直な気持ちだった。
だが、このようなやり取りは帝国の歴史の中で何度もあったことだ。
慌てる必要はない。
むしろ、問題なのはリアムの方だ。
積極的に他国と関係を築いており、今では大量の物資を他国に支援している。
ライナスが関わっている陣営と敵対している側へ積極的に支援しているのだ。
この動きはライナスも察知していた。
お仕置きのつもりだったライナスからすれば、手袋を投げ付けられたようなものだ。
おまけに、クレオ派閥を立ち上げてしまった。
派閥入りした貴族たちは二百名にも満たない。
立ち上げは百名程度だったが、徐々に増え始めている。
増えたのは自力では領地経営もおぼつかない家が多い。
言ってしまえば、力のない家ばかりだ。
そんな家を支援して、クレオは存在感を高めている。
実質的に支援しているのはリアムだ。
「真っ当な領地経営で地力を得ていたか。地に足の付いた領地経営だな」
レアメタルが取れるからと、他を軽視しない領地経営には宰相も好感が持てる。
ただし、それが意味するのは――ライナスとの全面対決である。
「さて、ライナス殿下がどう動くか」
宰相はこの勝負がどう転ぶのか、少し楽しみにしていた。
◇
ライナスの部屋。
そこでライナスは、机の上にある物を手でなぎ払った。
「あの小僧がぁぁぁ!!」
ここ最近、ライナスについて悪い噂が広がっていた。
他国と裏取引をしたという噂だ。
それも事実であり、リアムの情報収集能力の高さを見せつけられてしまった。
ただ、それでライナスを追い詰めるつもりはないらしい。
むしろ、カルヴァンの派閥がそこをネチネチと突いてくる始末だ。
本気でリアムを潰したいが、隙を見せられないカルヴァンがいる中でライナスは悩んでいた。
息を切らし、そして指を鳴らすと床から男たちが姿を見せる。
独特の仮面を付けた男たちは、ライナスの前で膝をついていた。
帝国の裏で暗躍する組織の一つ――彼らをライナスが従えていた。
「お困りのようですね、ライナス殿下」
リーダー格の男が口を開くと、仮面を付けているのにくぐもった声ではなかった。
ライナスは乱暴に椅子に座り、不満を隠そうともしない。
「お前らの出番だ。クレオを見せしめにしろ――そして、リアムを殺せ」
彼らは暗殺などの後ろ暗い仕事をする組織だった。
今はライナスに雇われている。
「リアムもそうですが、クレオ殿下を暗殺するとなると少々値が張りますね。側にいるあの女騎士は手練れですよ」
ライナスは額に血管が浮かび上がり、片目がピクピクと動いていた。
「それがどうした? さっさと消してこい。この私に逆らった馬鹿共を消してやる」
仮面を付けた男たちはクツクツと笑っていた。
「まぁ、うちも手の者を殺されましたからね」
「末端とは言え、やり返す機会ですね」
「――ですが、よろしいのですか? カルヴァン殿下がいるというのに、クレオ殿下に戦力を割いて?」
ライナスだってそれは理解している。
クレオよりも厄介なのはカルヴァンだ。
しかし、このままクレオ――リアムを無視できない。
「――消せ」
ライナスの言葉に仮面の男たちが、膝をついた格好のまま床に沈み込み消えていく。
ライナスは天井を見上げた。
「剣の腕に自信があるようだが、帝国の闇で暗躍してきた者たちだ。お前程度が、どうにか出来ると思うなよ――リアム」
彼らはこの二千年、帝国で暗躍してきた者たちだ。
強い騎士もその手腕で暗殺してきた。
強いだけではどうすることも出来ない連中だ。
「リアムが暗部を持っているとは言え、帝国ほどの人材はいないだろう。お前は、怒らせる相手を間違えた」
◇
後宮が夜に包まれた。
部屋で一人、窓の外を見ているクレオは嫌な汗が出て寝付きが悪かった。
「嫌な気分だな」
ライナスから宣戦布告され、あれから寝付きが悪くなった。
自分がこれほどまでに気が弱かったのかと思うと、情けなくなってくる。
そんなクレオの後ろ――床から仮面を付けた者たちがゆっくりと姿を現してくる。
振り返るクレオは驚いて一歩下がる。
隠し持っていた剣の柄をすぐに手に取ると、レーザーブレードが出現した。
「何者か!?」
仮面を付けた者たちは、どこか雰囲気がおかしかった。
強いというのは分かるが、騎士とは違って異質な強さを持っている気がする。
仮面を付けた者たちが、床から出て全身を見せると――その手には同じように仮面を付けた者たちの頭部を掴んでいた。
胴体がある者もいれば、首だけの者もいる。
クレオは冷や汗が止まらない。
(こいつらはいったい!?)
すると、ドアを乱暴に開け放ってティアが入ってくる。
「ご無事ですか、クレオ殿下!」
ティアの手にはレイピアが握られており、刃は血で汚れていた。
ティアも返り血を浴びたようで、服に跡が残っている。
クレオがティアを見て声をかける。
「気を付けろ! この者たちは危険だ」
そんな危険な連中が、ティアを見ると道を空ける。
その道を歩いて、ティアはクレオに近付き無事を確認する。
「大丈夫そうですね」
驚いたクレオは、仮面を付けた者たちを見て理解する。
「味方なのか?」
「はい」
ティアはクレオの安全を確認すると、通信機を使って連絡を取り始めた。
「私だ。――そうか、分かった。リアム様のお命が最優先だ」
通信を切ったティアは、クレオを見て状況を説明する。
「ライナス殿下が動きました。我々、そして同時にクラーベ商会のエリオット殿へ暗殺者を派遣したようです」
「暗殺者?」
クレオは後宮にも出入りしている暗部を思い出し、仮面の者たちが持つ死体を見た。
(まさかこいつらが? 初めて見た)
しかし、そうなると仮面を付けた連中が問題だ。
何しろ、同じような仮面を付けているのだ。
「こいつらは本当に味方なのだろうな? 似たような格好をしているが?」
同じ組織の者で、リアムに雇われているのだろうか?
そんなことを考えていると、ティアが急かしてくる。
「それよりも急いで移動しましょう。リアム様が心配されています」
「――分かった」
◇
クラーベ商会の本社ビル。
その会議室は血で汚れていた。
椅子に座るエリオットは、目の前の光景に動じないふりをしている。
脚と手を組み、目の前にいる裏切り者たちを見ていた。
「――私を裏切ったのはライナス殿下の指示ですか」
捕らえられたスーツ姿の男たちは、クラーベ商会の幹部たちだ。
彼らの周りには、雇われた暗殺者たちが転がっていた。
「会長、申し訳ありません!」
「で、ですが、こちらもクラーベ商会の存続を考えた結果で!」
「二度とこのようなことはいたしません!」
エリオットの周りには、仮面を付けた男たちがいた。
ナイフをクルクル回して遊んでいる男が、幹部たちに顔を近付けて赤い瞳を見せる。
すると、幹部たちが泡を吹いて倒れていく。
エリオットの周りには、リアムから派遣された護衛三人がいた。
会議室の窓は貫かれて細かいひびがびっしりと入っていた。
狙撃された跡だ。
「エリオット会長さん――こいつらはどうやら、ライナス殿下の動きに合わせてあんたを亡き者にしようとしたみたいですね。まぁ、勝手に動いた結果です」
「そうですか。残念ですね」
エリオットは背中が汗で濡れていた。
(これほどの人材を抱えているとは思いませんでしたよ)
護衛として派遣されるのは、腕の良い騎士と考えていた。
しかし、実際に派遣されたのはククリの部下たちだ。
三人が倒した雇われた暗殺者たちの数は十人を超えている。
窓の外――狙撃手も既に始末したようだ。
仮面を付けた男たちが相談を始める。
「リアム様は?」
「頭目が護衛している」
「それよりも面白い話がある」
死体を前に嬉々として話し合っている護衛を見て、エリオットは複雑な心境だった。
(これは、下手に裏切れば私もこいつらと同じ道を辿りますね)
リアムが恐ろしい。
しかし、同時にとても頼もしく思うのだった。
(リアム様、利用させてもらいますよ。私がこの商会で名実ともにトップに立ち、商会を大きくするには貴方の力が必要だ)
大商会を引き継いだ時から、荒事も覚悟していた。
今は強力な味方が手に入ったと喜ぶエリオットだった。
◇
その頃。
リアムが宿泊しているホテルの屋上では、仮面を付けた者同士が激しく争っていた。
ククリと戦っているのは、組織の中でも指折りの実力者だった。
そんな男が焦っていた。
「お前たちは何者だ? どうして我々と同じ技を使う!?」
男が焦った理由は、自分たちと同じ技を使うからだ。
似ているのではなく、同じであるとすぐに理解できた。
ククリが答える。
「同じ? いいえ、違いますよ~。同じではなく、貴方たちが私たちを真似たのです」
「な、何を言っている!?」
混乱する男を前にして、ククリは肩を震わせて笑っていた。
「同族ではないですね。我々の技術を盗み、新たな組織を立ち上げたのでしょうか? 道理で技術が拙いわけだ。口伝が失われている」
男が周囲に気を配る。
仲間たちが次々に討ち取られていくため、焦りが増している。
旗色が悪いと逃げようとするが、ククリの部下たちが囲んで逃がさない。
数名が床に手を触れると、床一面に禍々しいルーン文字が浮かんで移動魔法を阻害していた。
男は逃げ場がないと判断すると、逆に冷静になっていた。
「――俺を惑わせるつもりだろうが、そうはいかんぞ」
ククリたちが石化されてから、二千年の歳月が過ぎている。
その間に、彼らがククリたちの技術を盗んで新しい組織を立ち上げたのなら、疑っても仕方がない。
まさか――二千年前の存在が、蘇るとは思わないだろう。
「惑わす? ふむ、職業病ですね。非常に疑り深い。さて、そろそろ終わりにしましょうか」
ククリが男との距離を縮めて腕を伸ばす。
すると男は、仰け反ってその腕を避けた。
ククリの手が男の仮面に触れて、口元の部分がさらけ出される。
男の口元は笑みを浮かべていた。
「一矢報いたな」
男がそう言うと、その背中からまるで昆虫の脚――蜘蛛のような脚が服を突き破って出現すると、八本同時にククリを抱き込むように突き刺した。
ククリの背中から突き刺さり、胸から先端を覗かせている。
周囲のククリの部下たちが驚いていた。
助けるために武器を持って近付いてくる。
男は死ぬのが分かっているようだが、ククリを道連れに出来て笑っていた。
「このままお前ら全員を道連れだ!」
男の体に仕込んだ爆弾が起動する。
それは、ホテルごとリアムを吹き飛ばすような威力を持っていた。
命と引き換えに任務を遂行できたと笑っている男だったが、殺したと思い込んでいたククリが動き出す。
赤い瞳が強く光ると、ククリは嬉しそうに男の胸に手を突き刺して爆弾を引き抜く。
爆弾は解除されていた。
口から血を吐く男は、ククリを見て驚くのだ。
「な、何故だ?」
「この程度で安心してはいけませんね~。だが、実に素晴らしい。今の技は我々にはない技術だ。君のことは徹底的に調べ上げましょう」
ククリは自分に突き刺さった脚を引き抜く。
その様子は命に関わる怪我をしたようには見えない。
男はククリの部下たちに拘束された。
ククリはそのまま男の体を興味深く観察し、触れていた。
「蜘蛛をモデルにした隠し武器ですか。しっかりと毒もある。ふむ――悪くはないが、良くもないですね。だが、興味はありますね。他の生物の特徴を再現する技術でしょうか?」
興味深く調べていたククリに、部下が話しかけた。
「リアム様がお呼びです」
「ん~、残念! では、半数は死体を回収して徹底的に調べるように。我々の後輩たちですから、死体は丁寧に扱うのですよ。それはそうと、彼は生きたまま調べたいので生かしなさい」
気を失いかけていた男の口が塞がれ、そして治療が開始された。
ククリはリアムのもとへと向かう。
◇
ククリを呼び出すと、暗殺者たちは片付いた後だった。
「もう終わったのか」
「はい。手練れを送り込んできたことからも、ライナス殿下は本気のようです」
「短絡的すぎるな」
煽りはしたが、条件反射のように暗殺してくるとは思わなかった。
皇子ならもっと思慮深くあるべきだ。
ククリは相手の気持ちを推察する。
「カルヴァン殿下との争いもあります。こちらはさっさと片付けたかったのでしょう」
「俺たちなら簡単に始末できると考えたか」
つまり、眼中になかった、ということか。
面白くない話だ。
敵が油断するのは歓迎するが、こちらを軽視するのは許せない。
だが、ライナスにすれば本命はカルヴァンだ。
俺たちなど邪魔な存在、程度の感覚だろう。
――おかげで俺にとても有利な状況だった。
ライナス、カルヴァン、そして皇帝――対処するなら一人ずつがいいからな。
まぁ、ライナスなんて小物にはすぐに消えてもらうとしよう。
この程度で我慢できずにこちらを消しにくるのだから、いずれカルヴァンに負けていたはずだ。
「それはそうと、お前たちが手練れというくらいには強い連中が送られてきたなら、クレオは危険じゃないのか?」
「無事に救出しておりますので、ご安心ください」
ククリは仕事が出来るし、働き者で実に偉いな。
どこかの馬鹿二人とは大違いだ。
こんな優秀な部下と出会えて幸せだ。
もしかして、これも案内人のおかげだろうか?
あいつには本当に頭が上がらない。
今日もお祈りしておこう。
「クレオのところに行く」
「かしこまりました」
若木ちゃん(゜∀。)「私消えない! 必ずみんなの心に残ってやるの。どんな場所にも出現して、爪痕を残してやるの!」
ブライアン(´;ω;`)「リアム様が大変な時に、変な植物にからまれて――辛いです」