「あ、そろそろ出発するみたい」
「いよいよかー。京都、楽しみだね!」
暗殺教室でも行事の予定は目白押しだ。
中間テストを終えた僕らを待ち受ける次のイベントは、京都への二泊三日の修学旅行。
もちろん旅先では既に凄腕のスナイパーが配置されていて、僕らも殺せんせー暗殺計画に一枚噛んでいるのだけれど、そういったことはともかくとして。
未知の地形に未知の景観、未知の文化に未知の食べ物。
ありとあらゆる未知で盛りだくさんのこの旅行は、僕らにとって非常に楽しみなものだった。
「到着が待ち遠しいなー。……ふわぁ〜」
「そうだね。……穂波さん、また欠伸してる。もしかして昨日あんまり寝れなかった? まだまだ時間かかるみたいだし、少し寝たら?」
「ううん、大丈夫だよ。そこまで酷くないし、それに旅行の醍醐味は道中も楽しんでこそだからね!」
「それじゃあ穂波さんの眠気覚ましのためにも、皆で何かお話しするのは?」
「神崎さんの言う通りだね。テーマは……各々京都で一番楽しみにしていること、で。はい、奥田さん!」
「ええっ、私からですか!? えっと、その、私が楽しみにしているのは――」
僕の班は、男性陣は僕と杉野とカルマ君の三人、女性陣の方は茅野と奥田さんと神崎さんと、それから穂波さんも加わっての四人。計七人のメンバーで構成されている。
……成り行きとはいえ、随分と錚々たる顔ぶれが揃ったものだと思う。
特に、杉野が以前から誘っていたクラスのマドンナたる神崎さんや、茅野が誘った、学校内では言わずとも知れた西洋風美人の穂波さん。この二人の存在は大きい。
「それにしても、穂波さんの髪って地毛? すっごく綺麗な色してるよね。ハーフとかだったり?」
「正確にはクオーターだよ。……私としては、神崎さんの長い黒髪も素敵だと思うな。ほら、日本には大和撫子って言葉があるけど、神崎さんにぴったりじゃん!」
お淑やかが印象の神崎さん、明るく活発な穂波さん。
外見や性格がほぼ対照的な二人だけど、彼女たちは既に打ち解け合っている。何でも道中神崎さんが落としていた修学旅行の日程帳を、穂波さんが拾ったのだとか。
「あ〜、いいなぁ……俺も神崎さんと話してぇ〜……」
「杉野も混ざってくれば?」
「いや、さすがにそれは無理だわ! あの中に割り込むのは相当勇気いるって!」
実は神崎さんに密かに想いを寄せている彼は、遠くから彼女を眺めるだけに留まっていた。
発破をかけた僕が言うのもなんだけど、確かにあの中に男子が参入するのはかなり厳しいだろう。彼女たちのあの空間は、すっかり完成されているような雰囲気がある。
でも、そんな杉野にもチャンスが回ってきた。
「渚ー! ちょっと来て! 杉野君もー!」
声のする方を見れば、茅野が手招きをしていた。
一体何事だろう。顔を突き合わせた僕らは、とりあえず呼ばれるがままに彼女の元へと向かう。
「じゃ、じゃあこれは? 鴨川の縁でイチャつくカップルを見た時の淋しい自分の慰め方――」
「『自分は平安貴族だと自分に言い聞かせる。平安貴族の求愛は人目を忍んで行うものなんだから、今この場で一人ぼっちでも何ら不自然ではない』……だったかな?」
「すごい! 正解です!」
僕らが向かった先では、奥田さんと神崎さんが殺せんせー自作のあのとても分厚い修学旅行のしおり片手に、穂波さん相手に様々な問題を出していた。
……いや、本当にどういう状況なんだろう。
中間テストはつい先日に終わったばかりなのに。まるでテスト前に戻ったかのような光景だ。
「穂波さんがしおりの中身を全部暗記したって言うから、その中から皆で問題出してたんだ」
今のところ全問正解らしい。「すごくない?」と茅野が僕らに同意を求めてくる。
確かにすごいけど……正直、中身を全部暗記する必要があるのかどうか……。しおりの中には、今回の旅行に関係ないこともたくさん書いてあったし……。
「えー、だってあんな重いの持ち歩きたくないもん……」
だから丸々暗記したのだと穂波さんは言う。
……そういえば、彼女には天然なところがあった。
明らかに願望とそれに対する労力が釣り合っていないのだけれど、彼女らしいと言えばらしいだろう。
初回特典の金閣寺もしっかり組み立てたと胸を張る彼女に、僕はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
〈穂波さんメモ その5〉
努力の方向性がおかしい
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でも、おかげで班のメンバーの仲が深まった。
杉野も神崎さんと話せて嬉しそうだ。後はカルマ君だけなんだけど、きっと彼のことだから――
「へぇ? 皆なんか面白そうなことやってんじゃん。俺も混ぜてよ」
ほら、やっぱり。これで全員が揃った。
「――しおりの中身を全部暗記……? あー、うん……。穂波さんって、やっぱ
「……あれ? 赤羽君、あれってどういう意味?」
「じゃあ、俺からも一個問題ね」
「いや、それは別にいいんだけど……そんなことより先にあれの意味を教えて――」
「クラスメイトが拉致られた時の対処法……が
カルマ君が出した問題は、少し意地悪だ。
内容ではなく、その内容が記されているページの場所を問うもの。人の心理的な盲点を突くような問題。
けれど、さすがは穂波さん。期待を裏切らない。
言葉に詰まったのは一瞬だけで、すぐさま口を開き解答を述べる。
「千二百四十三ページ。覚え方は、不
「……大正解」
両手を上げて降参のポーズを取るカルマ君。
彼女の解答は正解だった。それも、覚え易いよう丁寧に語呂合わせをつけてまで。
「すっげぇ……けど、実際これって役に立つのか? 拉致られるって、そんなこと起きねぇだろ。ふつーは」
「まあ、確かに……」
「あはは……殺せんせー、恐ろしくまめだから……」
杉野の正論に僕らは笑う。旅先でそんな馬鹿げたことが起きる筈ないと。取るに足らない杞憂だと。
この時の僕らは微塵にも思っていなかったのだ。
旅先の京都で、まさか本当にあんな事態に巻き込まれるなんて……。
「ねえ、赤羽君。結局さっきの私があれってどういう意味なの? あれが何を指しているのか考えても分からないんだけど……。指示語じゃないの? 名詞? あんな切り方されたらすごく気になるよ。……赤羽君? ちょっと目を逸らさないで、こっち向いて――ねえ教えてよ赤羽君!」
「……渚君、パス。俺寝るわ」
「ええっ! 僕に丸投げしないでよ!」
「潮田君なら分かるの!? 私があれって、一体どういう意味なの? 潮田君もそう思ってるってこと?」
波乱に満ちた修学旅行が今まさに始まろうとしていた。
「おい、リュウキ! 隣の車両見たか? あの金髪の子、すっげー美人だったな!」
「どこの学校よ? そういや前の方のグリーン車にも同じ制服がたくさんいたな」
「あれは多分……椚ヶ丘の中学だな」
「おいおい、あれで中学生ってマジ? 最近の子は随分と発育がいいんだな!」
「おまけに頭もいいんだろ? エリートってやつか」
「それなのに俺らみたいな馬鹿高校と隣の車両かよ!」
「……なあ、あの子に俺らから勉強でも教えてやろうぜ。馬鹿ってさぁ、意外と結構知ってるもんなんだよ」
それは、突如として渚たちの前に現れた。
「お、情報通りいやがったぜ」
「なーんでこんな拉致り易い場所歩くかねぇ」
高校生――渚たちより一回り以上大きな体をした、未知の生物の襲撃。そんな彼ら相手に男性陣は軒並み倒され、女性陣は全員攫われることとなる。
「うひゃひゃひゃ! ちょろ過ぎんぞ、こいつら!」
「言ったべ? 普段計算ばっかしてるガキはよ、こういう力技には丸っきり無力なのよ」
狭い車の後部席に無理やり押し込められた四人。
その内、下卑た笑い声を上げる連中に屈せず確かな気を保っていたのは、水雲とカエデの二名のみ。
そして水雲の方は、恐らくこの犯行が計画的に行われたものであろうと半ば確信していた。
人通りの少ない道で襲ってきたタイミングといい、予め武器を持って隠れていた者もいたことから、まず間違いはないと思う。計画的でないとしたらむしろ不自然だ。
しかしだとすると、この連中は渚たち全員の動向を把握していたことになる。
……そこだけが分からない。彼らは一体どのような方法を以ってして我々の情報を集めたのだろうか。
「何で俺らがあの場所に待ち伏せてたのか分かんねえって顔してんな」
――いいぜ、せっかくだから教えてやるよ。
仲間たちからリュウキと呼ばれているリーダー格らしき男は、そう言って水雲に懐から取り出したスマートフォンの画面を見せつけた。
そこに映っていたのは……水雲の顔写真。当然、彼女にこんな写真を撮られた覚えはない。それから写真の下には実に白々しい文章が書かれていた――『修学旅行先の京都で友人とはぐれてしまいました! この子を発見された方は至急ご連絡下さい! #拡散希望』『おかげさまで無事に見つかりました! ありがとうございます!』。
「お前らみたいないい子ちゃんは知らねえだろうが、最近の携帯は便利でね。無音カメラアプリなんてものもある」
……どうやらこの男たちは存外知恵が回るようだ。
無音カメラで水雲を盗撮し、それをSNSに載せることで情報収集を図る。言うまでもなく犯罪行為だが。
にやにやとした笑みを浮かべながら、リュウキは水雲の顔にカメラレンズの面を向けた。そのまま指で何度か画面をタップする。シャッター音は一切しなかったが、きっとそこには目を極限まで細めた水雲の顔写真が複数枚ばかり映っていることだろう。
「……っ! それ、犯罪ですよね? 勝手に人の顔写真を撮って、しかもSNSに載せるなんて……! 男子たちにも酷い暴力を……!」
「人聞き悪ぃこと言うなよ〜。修学旅行なんてお互い退屈だろ? カラオケでも行こうぜ」
「……なるほど、貴方たちの目的は分かりました。それなら私以外の三人は離して頂けませんか?」
「ちょっ、穂波さん!?」
「最初から貴方たちが狙っていたのは私一人でしょう? 彼女たちを巻き込む必要はない筈。カラオケでも何でも、私が全て付き合います」
彼らの狙いが水雲一人なら他は全くの無関係だ。
今すぐ自分以外の三人を解放しろ――言葉遣いこそ丁寧であれ、水雲が言ったのはつまりこういうことだった。
「ほぉ〜? 随分と仲間想いなんだな。嫌いじゃないぜ、そういうのは。……確かに
「……」
「だが、答えはノーだ。……目ぼしい女は報告するよう、いつもツレに言っててな。お前のこと、どっかで見たことあったのよ」
リュウキは、懐から今度は別の携帯を取り出す。
その画面に映っていたのは、現在とはまたかなり雰囲気が異なる有希子の姿。
「これは……神崎さん……?」
「俺には分かる。毛並みのいいやつ程よ、どこかで台無しになりたがってんだ。楽しいぜー? 台無しってのは!」
またしても車内に連中の下品な笑い声が響く。
そのあまりの悍ましさに、有希子は体を震わせた。
「私たち、これからどうなるのでしょうか……」
今の今まで黙していた愛美がぽつりと呟く。極度の不安から、彼女もまた有希子と同じように身を震わせていた。
彼女のその問いかけに答えられる者はこの場にはいない――たった一人を除いては。
「大丈夫だよ、皆。絶対に先生たちが助けに来てくれる」
水雲はそう断言する。
小声でありながらも、意思を感じさせる力強い口調で。三人だけに聞こえるように。
「どうしてそう言いきれるんですか……?」
舌先を少しだけちろりと出し、彼女はまるでいたずらが成功したかの如く微笑んだ。
「実は私ね、未来が分かるんだ♪」
本当に助けが来るかは分からない。
もしかしたら、自分たちはこのまま酷い目に遭わされてしまうかも知れない。
それでも四人はその胸に希望を抱き続ける。殺せんせーたちなら必ず来てくれると、そう信じて。
クラスメイトが拉致られた時の対処法。殺せんせー作、修学旅行のしおりの千二百四十三ページに記載。ページの覚え方は、不
……特に意味はないと思われた電車でのしおり問答が、まさか本当に役に立つとは思わなかった。
おかげで茅野たちの居場所を突き止めることができた。
見張りの男は主にカルマ君がボコボコにし、僕らは堂々と敵地に乗り込む。
「さて……私の生徒たちよ。修学旅行の基礎知識をその体に直接教えて上げるのです」
さらにその後殺せんせーも駆けつけて、形勢はこちらが圧倒的過ぎるくらいに有利となった。
残すは……この事件の主犯格らしき男が一人。
「クソッ……!」
「どこへ行くつもり? 逃がさないよ」
自らの不利を悟ったのか、男は何の躊躇いもなくこの場から逃げようとする。そんな彼の前に立ち塞がったのは、全身を縄で縛られた穂波さんだった。
「私たちをこんな目に遭わせといて……許さないから」
「どけ! 邪魔すんな!」
男がポケットから取り出したのは――折り畳み式の小型ナイフだ。丸腰で、しかも今の身動きの取り辛い彼女にはあまりに危険過ぎる代物。
でも、彼女はとても冷静だった。
すかさず放ったハイキックでそのナイフを遠方まで蹴り飛ばす。
「なっ……!」
「ナイフの使い方がなってないよ。……これに懲りたら、ちゃんと心を入れ替えることね」
そして続く第二撃で、容赦なく彼の股間を蹴り上げた。
「ぐ、おぉ……!」
悶絶の声を上げて男は地面に倒れ伏す。
……そのままぴくりとも動かない。まあ、同じ男としてその痛みはよく理解できる。でも、同情はできない。
実際、彼はそれ相応の罪を犯した訳だから。穂波さんも珍しく険しい顔をしている。
「ま、自業自得だわな……」
「ひゅー。やるね〜、穂波さん」
何にせよ、これで事件は解決だ。
せっかくの旅の時間が削られちゃったけれど、全員無事で本当によかった。僕らはほっと胸を撫で下ろし――
「皆、本当にごめんなさい!」
突然の穂波さんからの謝罪に心底驚いた。
「ど、どうしたのいきなり!?」
「そうですよ! 穂波さんが謝る必要なんて……」
話を聞けば、どうやら彼女は今回の件を全て自分のせいだと考えているようだった。
……確かにきっかけは彼女の存在が彼らの目に留まってしまったことだけど、だからといって彼女が責任を感じるのは違うと思う。
僕らは全員被害者で、向こうが加害者。
そのうえ被害の大きさ的に見れば、実は彼女が一番深刻という。……何せ顔を全国に晒されてしまったのだから。
「私のせいで皆を危険な目に……。せめて盗撮されたことにでも気づけていれば……」
「もう、気にし過ぎだってば!」
「茅野さんの言う通りです。穂波さん、貴女が自責の念を抱く必要はありません。悪いのは彼らです」
「殺せんせーもこう言ってるし、もう気にすんなって! カルマもそう思うよな?」
「そんなことより俺喉渇いたんだけど。京都の甘ったるいコーヒー飲みたい……」
こうして僕らの波乱に満ちた修学旅行は終わった。
次からはまた旧校舎でいつものように暗殺教室が始まることだろう。
「……。……あ、そういえば赤羽君! 頭の怪我は大丈夫なの!? 消毒はした!? ちょっと屈んで屈んで――」
「え……いや、見なくていーよ別に。こんなのただの擦り傷だって……」
「それは駄目だよ! 頭の怪我は怖いんだから! 潮田君と杉野君も後でちゃんと見せてね?」
「う、うん……」
〈穂波さんメモ その6〉
怒ると結構容赦ない
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「……」
「殺せんせー? どうかしたの?」
「いえ、何でもありませんよ」