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チャッキー・ブギーマンという存在 - インドの大運動会/ドスベロの小説 - pixiv
チャッキー・ブギーマンという存在 - インドの大運動会/ドスベロの小説 - pixiv
103,132文字
悪化した闘病日記
チャッキー・ブギーマンという存在

病気が悪化しました。
頭がおかしいので創作NRC生×監督生の話を映画祭の息抜きにラクガキしたのですが、完結したのでここに投げます。

チャッキー・ブギーマン(創作オクタヴィネル生)というサイコパスの男と女監督生のCPです。
捏造以外に何もない。
暴力表現・人が死ぬ表現あり(描写はぬるいですが読んでて具合が悪くなる人がいるかもしれません。その場合はすぐにやめてください)

満開ラブラブビックバンハッピーエンドです。安心してください。
最後まで読むと意味がわかる話です。

なんでも許せる人向け。
本当になんでも許せる人向け。
村を焼かれても許せる人向け。
監督生の名前は勝手に「九条ユウ(くじょうゆう)」としています。

蛇足
コモンデスアダー(創作オクタヴィネル生)という存在を書き始めてから人生が音を立てて崩れていくのは感じていましたが、まさか新キャラが出るとは思いませんでした。
この男はTwitterでデスアダーの話の続きを書いていたら突然出てきた男で、フロイドとデスアダーの友達です。
私はかねてよりフロイドには友達が多く、いるなら狐と蛇が良いなと勝手に思っていました。どうしてもフロイドが他のNRC生と仲良ししているのが見たくて、頭を掻き毟っていたら出てきた幻覚でした。
その幻覚はだんだん音をつけ色をつけ、存在を明白にしていき、影が立った為に、私はこの男の恋が知りたくて、監督生との恋を書きました。
幻覚は日増しに膨れ上がり、脳を圧迫し、熱で体が膨張していくようでした。目の奥から洪水のような音がして、脳味噌のダムが渦を巻いていく感覚がして、最後にはジトジト雪が降るような音を立てました。
気が付いたら書き終わっていました。
指の痙攣がそのまま文字になっていたのです。私のTwitterはすでにこの男に侵食され、他のことは何も考えられなくなってしまいました。
この男は私の中でクッキリと存在しています。
ラジオの嫌なジーという音を立ててこの男がキリキリ動き回るのが見えるんです。

このままオクタヴィネル生を全て書き上げてこの男達をアズールが束ねている、という事実に頭を掻き毟りたい衝動が手の形をして心臓を掴んでいますが、なんとか堪えています。
NRCの学生をすべて知りたくて喉が裂けそうです。モブの設定資料集でないかなと思っている特殊な人間です。怖いですね

これはシリーズ物の映画祭を書きながら、隙間隙間に明確な輪郭を持ってしまったこの男に方をつけたくて呻きながら6日で書いた話です。
脳味噌が二つに分かれて頭蓋骨の中でギチギチ音を立てていたのですが、やっとスッキリしてなんの音もしなくなって、血が清潔になったので、映画祭の続きを書きたいと思います。
とても嬉しいです。
書きたい衝動は治ったので、やっと息が吐けます。文字を書くまで治らない病気とは厄介ですね。
悪夢は絵や文字に吐き出すことで回復に繋がると心理学でも言っていたので、そうしました。
インドさん、ダメになっちゃったんだな、と思ってください。

ここは全裸でトウモロコシ畑を走り回って奇声を上げているタイプのアカウントなので、相手にしないでください。
繰り返しますがブギーマンは実在しません。
そんな存在は私の中にしかいないのです。
これを書きながらその事実に気が狂いそうです。

自分の体が元の形に戻るのを祈っています。

は?チャキ監ってなに?笑

殺して
楽になりたい
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2021年7月11日 15:02


最近不思議な夢を見る。
元いた世界、日本に居る夢だ。

自分はその夢の中、昔住んでいた実家の自室で、いつも通り目覚め、お父さんとお母さんにおはようを言って高校に行くのである。
その高校は、ワンダーランドへ行かなければ本来通うはずだった学校である。

不思議の世界へ飛ばなければ、自分に訪れていたはずの平穏。
それだけならば故郷が寂しくて脳が見せてくれた夢なのだとわかる。本当だったらこうなのになぁという幻想。

が、しかし。
どうしてかその夢に、不思議な男が必ず現れるのだ。この平穏な夢にはどうにも不釣り合いなその男。
彼が夢に出ることが、この夢を不思議たらしめるのであった。

「はよしろ〜」
「あ、うん。うん、待ってね」
「………」
「すぐよ。もうちょっと…」

夢の中で彼は、必ず朝に迎えに来る。
縁側にドッカリ座っていて必ず急かしに来るのである。
その男の名はチャッキー・ブギーマン。
狐の獣人であった。
真っ黒で大きな獣の耳と尻尾が生えていて、ふわふわとかわゆいのだが、ボサボサの黒髪とハラキリ介錯その道30年みたいな真っ黒に濁った目がかわゆさを台無しにしている具合であった。

体は大きくて、凶悪である。
見た目だけではなく、性格も凶悪なのである。
異常残虐色情家であり、歌舞伎町のネズミ走る裏路地の暗闇に佇んでいるのがよほどしっくり来る男だった。
彼女はよく夢の中でこの男に虐められてクシクシ泣かされていた。
なのにどうしてか、自分はいつも彼と一緒に学校へ行くのである。

「ごめんね、行きましょう」

自分はセーラー服を着ていて、彼は真っ黒な詰襟を着て、素足に下駄を履いていた。
朝のまばゆい田舎道をサクサク二人で歩いて行くのである。
彼の下駄が土の地面に擦れ、ココ、カカ、カラン、と鳴るのが妙にリアルであった。
会話はあまり無い。彼はそもそも快活に喋る男でも無いし、怖いからあんまり話したくないのだ。

「またね」

学校につけば、彼女は一年生の自分の教室へ行って席に着く。友達におはようを言って、朝のホームルームが始まるのを待つのだ。
けれど。みんなが何となく自分の席に着き始め、先生が黒板の前にやって来るのを待つ時間。

ブギーマンはいつも突然やってくる。

ガァン!と下駄の裏を半開きのドアに引っ掛けて勢いよく開け、ココ、カカ、カロン、と教室の中に入ってくるのだ。
もうほとんど強盗とかテロリストの入り方だった。
そして彼女の隣の席に座っている少年の後ろに立って、その少年の首をガシッと掴んで喉仏をゴリゴリ指圧するのである。

「おぁよう(おはよう」

と言って。
開いた手で机の上に置かれた少年の鞄を持ち、窓の外にポイと簡単に放り投げて。

「…ワンワン。」
「………」
「取ってこいよ」

顎で窓の外を示すのである。
喉を圧迫された少年は恐怖で動けない。
振り返ることすらできなかった。教室はこの男の来訪によって沈黙に染まり、ムッツリと黒板さえ黙り込んでいる。彼が来ると必ずこういう具合になるのだ。
彼は人間の形をした最悪なので、来るというより、襲来である。

「ぁ、う」
「行かねえの。焦らすねえ」
「………っ、」

彼女の隣に座っていた少年は汗をかいて、なんとか立ち上がり、追い立てられるように教室から逃げていった。
ブギーマンはそれを見て、

「はは。は、ぁー、はぁは……」

と、喉の奥で、声を引きずるように笑った。
彼はいつもこういう風に笑う。ボソボソ喋ってボソボソ笑うのだ。
悪夢を笑い声にしたらこんな感じではないかしらという調子で。
さて席が空いたので、彼は2年生なのにドスッ、と一年生の教室の椅子に座った。
体が大きいので、子供用の椅子に無理やり座っているように見える。長い足が机の中に収まらず、椅子を少しだけ下げていた。

「おー、取ってる」

窓から下を見下ろし、鞄を回収している少年を見て彼は低く笑う。

「素直だよなあ。子供は素直が一番だ。はは」
「…狐さん」
「ん?」
「よ、よして」

夢の中の自分は、この物凄く怖い男(ひと)に注意することができた。
現実ではきっと絶対に無理なのに、何故かいつも一緒にいるから。いけないことはいけないのよと言うことができた。
ブギーマンは自分の指にハマった黒い指輪をいじりながら、面白そうに笑うだけだ。

「狐さん、二年生でしょう。教室にお戻りになって…」
「………」

一生懸命言った。
ブギーマンはいつも、どうしてか彼女の隣に座りに来る。隣の席の男を嫌なやり口で追い払って、机に足を乗せてジーッと彼女を脅迫的な目で見つめるのだ。
胃がシクシクするし、怖いからやめて欲しい。
教室の空気も一気に氷点下になるし、指先が霜焼けしそうなほどだ。
ブギーマンはハンサムな顔をフと彼女に向けた。

「ど、どうしていつも隣に来るの」

彼女は自分の指を落ち着きなく触りながら、小(こ)まい声で言った。
するとブギーマンは喉の奥を引っ掻くように笑ってから、

「長生きすりゃ分かるよ」

とこれまた低い声で言うのだった。

「っ、と、隣の席の子、いじめるの、よして」
「なぁ」
「…う、うん」
「なんでイジメってなくならねぇか分かる?」
「……」
「ワクチンがないからだよ。抑制剤ないと、無理」

彼は人差し指と中指を立て、手で拳銃みたいな形を作ってトントン、と彼女の側頭部をつついた。彼女はビクッとしてピンクの唇を小さくして俯く。

「隣人愛なんて教えられてもな。直接動脈に打ち込んでくれねぇと」
「………」
「それに、向こうがオレに立ち向かってくりゃ、イジメじゃなくて喧嘩になるだろ。一対一なんだから」

ブギーマンはピコ、と大きな片耳を立て、少し笑ってからそれきり黙ってしまった。
彼女も仕方なく黙り、冷え切った空気の中教師を待った。教師は勝手に居座っているブギーマンになんの意義も申し立てなかった。
怖いのである。

全員が存在に気がついていないみたいに扱っていた。電車で突然暴れ始めた人間がいれば、その方向を見ないようにして関わらないようにすると言うのが社会の常なので。
音のしない授業が始まり、怖い中休みを過ごし、味のない昼ごはんを食べる。
その間もブギーマンはずっと隣に座っていたし、彼女が立てば彼も面倒くさそうに立った。
何故か夢の中で自分は彼のお世話係みたいな位置なのである。いつも一緒なのである。…
ガタイが良くて身長の高い彼は明らかに日本の高校では浮いていて、他の生徒と並ぶと子供と大人みたいに見えた。
自分の体が物凄く小まく感じるくらいだ。
狐と野ネズミみたいなもの。
彼を見上げて怖くて鼻をヒクヒクさせている自分は本当に小ネズミみたいだった。

「なに。怖いの」
「こあい」
「ハ」

その度にこういう会話をする。
黒い狐はユラ、と尻尾を一つだけ煙のように揺り動かすだけで、それ以外なにも言わないのであった。
…放課後になれば仕方なくブギーマンと一緒に帰る。
カカ、ココ、コロンと言う足音を横に連れて。彼の足の爪は黒くて、鋭くて長く、下駄やサンダル以外履けないみたいだった。
彼女はいつもこれを見るでもなく見て、チマチマ横を歩く。

「じゃ」
「うん」

彼女の家まで辿り着くと、ブギーマンはポケットに手を突っ込んだまま田舎道を歩いて去って行く。いつも送ってくれるのだ。
彼がどこへ帰っているのかは知らない。
民家なんてない山の方へ、ひぐらしの声を背負いながら去っていく彼を、彼女は黙って見つめるばかりだ。

「明日ね」

彼女はその背中を見るとなんだか不安になって、怖いのに声をかける。
ブギーマンは振り返らない。
ヒラヒラ大きくて怖い手を揺らめかせるだけで、去って行くのであった。





「はっ」

夢はいつも、彼と別れるところでぶつ切りに終わる。小エビはパチッと目を開けて起き、むにむに口を動かして寝返りを打った。
今日もいつもと同じ夢を見たなと思った。
不思議な夢を。

「………」

目が覚めてからでないと、彼女はあの夢が異様であると気が付かない。
〝彼〟はフロイド・リーチの友達だ。
オクタヴィネル2年生、手足の付いた赤信号。いつもテンションが低くて、いつも嫌なことを考えている怖い男だった。

フロイドにはたくさん友達が居て、その中でも特に仲良しなのは蛇のお兄さんと狐のお兄さんの二人だ。
狐と蛇、万人に嫌われるストライクど真ん中である。
蛇のお兄さんはコモン・デスアダーという名前で、よく体温の低いフロイドにハンドリングしてニョロニョロすりすりしている軽薄な男だった。
そして狐のお兄さんというのがチャッキー・ブギーマンである。
もし犯罪心理を研究している若者が居て、血の代わりに氷水を体内に巡らせているようなサイコパスの資料が足りないとしよう。
その場合その若者は、ブギーマンと暗い穴に三日間閉じ込められれば資料は満ち足りるであろうと言われるような人物だ。

因みに小エビは彼と話したことは一度もない。
よくフロイドさんと一緒にいるお友達という認識くらいであった。
目が合うとたまに右手で狐のハンドサインをしてくれる人。後、こあい人。という認識。

そんな男がここ連日夢に出てくるのだ。
どんな性格か、どんな仕草をするのか、どんな考え方をする人なのか一切知らないのに、夢の中の彼の輪郭は実にシッカリしている。
性格はブレないし、返答もブレない。
どうしてか小エビの中で彼の存在は確かな形を持っているのだ。
だから気になって、最近は大きなふわふわした尻尾を見ると目で追いかけるようになった。
けれどもその正体は掴めない。
だって話したことがないから。

「んしょ」

小エビはスッキリ起きれたので、朝の準備をして、制服を着て、学校に向かった。
いつも通り授業を受けて、いつも通り食堂へ向かう。そしていつも通り帰っていつも通りあの夢を見るかと思えば。

「あ」

中庭にて、フロイドとブギーマンを見つけた。見つけたと言うより、フロイドの大きな声が聞こえてビクッとそちらの方向を見たのだ。

「おめでと〜ッ」

フロイドは何故か、そう言いながら左手に持っていた瓶をブギーマンの頭にひっくり返していた。中の水がダバダバ彼にかかって、芝生にボトッ、ビチャビチャという生々しい音が聞こえた。
昼の光に水が煌めいている。
ブギーマンは無抵抗にかけられるまま黙っており、かけられ終わると頭を獣の仕草で振って水気を切った。
俯いた彼が、フッ、と蝋燭を吹き消すみたいに息を拭く。すると唇についた水が霧状になって、空気の中に溶けて行った。

「おめでとぉほんとに。乾杯しよ乾杯しよ」

フロイドは彼の体を自分の体みたいにバシバシ触って、魔法で何もないところから茶色い瓶と小さなショットグラスを二つ取り出した。まばたきした瞬間に現れたもので、なんだかマジックみたいだった。

「乾杯〜」

フロイドは彼にグラスを持たせ、雑に中身を注いだ。ブギーマンはショットグラスを摘むように持って、カツン、と少々乱暴にフロイドのグラスにぶつける。そして溢れる前に中身を飲んで、カッと顔を赤くした。

「アハハ。効くぅ?」

ブギーマンは彼に対して何か言っている。
けれどボソボソ喋るから、何も聞こえない。フロイドのカラフルな声しか響かないのだ。
ブギーマンは笑っていた。
頭を大きな手で撫でられて笑っている。
小エビはこれをスカートを無意識に握りしめながら見つめていた。

夢とのギャップが大きいからだ。
夢の中の彼は強者であり、恐怖の使者である。
けれどNRCの中で彼を見ると、普通の人…とまではいかないが、それほど浮いて見えない。きっと生徒たちの体がみんな大きくて、みんなちょっとずつ怖いからだろう。
だから馴染んでいるのだ。

「!」

ボケッと見ていると、その真っ黒な目と視線が合った。
小エビはここで自分が無意識に彼を観察していたことにやっと気がつき、何も見ていなかったふりをしてソソクサその場を立ち去ろうとした。

「通行止め〜♡」

けれど。
目の前を長い足がガツン!と横断する。フロイドが壁を踏んで、目の前を阻んだのだ。ズボンのポケットに両手を突っ込んで。

「小エビちゃん、どしたの。青い顔してどこ行くの」
「ひえ」

フロイドは嬉しそうに首を傾けて、ニコ。と笑った。それは普段から死体にマーマレードを塗って食べるのが趣味の人間しかしないような恐ろしい笑みだったが、その実友好的な笑みである。
というのも、フロイドは彼女がコソコソ何かから逃げるように歩いているのを視界の隅で確認したので。誰かにいじめられたのかしらと思って、そんなら構ってやろうと思ってやって来ただけなのだ。

つまり助けに来たのである。
可愛がっている後輩だから。
けれど彼女はフロイドが来たというのに、安堵するでもない。むしろさらに青くなって困っている。
いつもならペカペカ笑うくせに。

「え?なに?」

フロイドは意味が分からなくて、クッと眉を寄せた。
けれど彼女は汗をかいて、「の、のいてください。すいません、急いでて…」とチラチラ背後を気にしながら言うのだ。

「い、今、その、忙しくて」

小エビは必死で言った。
フロイドの疑問を解消する隙間もなく、〝後ろ〟を気にして。
…背後にブギーマンがいるからだ。
彼が転移したフロイドを追いかけて、ボタボタ髪から顎から水滴を垂らしながらゆっくりやってきている。

陽炎みたいに曖昧な動きで。
後ろからザザ、ズリ、ペタン。と、サンダルを引きずって歩く音が聞こえた。夢の中とは異なるが、非常によく似た音。
小エビはこれがどうしてかとても怖くて、フロイドに退いて退いてと一生懸命言った。別に足を潜るか回り込んで通り過ぎて行けば良いのに。律儀なことである。

「なあに?何が怖いわけ」
「な、なにも」
「そぉは見えなあい」
「あの、ほんとに、急ぐの。…あ」

ズリ、ザザ、ペタン。と。
真後ろに足音が追いついた。
小エビは目の前に突然虫が飛んできたみたいにビクッとして、動きを止める。
自分の影がすっぽり覆われて、後ろの巨体のシルエットが体に被った。
蓮華升麻の香りが満ちる。

「あぁ、はは。…は」
「っ」

夢で何度も聞いた声が、背後から聞こえた。
小エビは滝汗をかいて唇を小さくし、俯いてフロイドのピカピカ光る革靴をじっと見つめる。
頭皮に鳥肌が立ち、本能的な恐怖のサイレンが鳴った。
何故こんなに怖いのかはわからない。
けれど逃げなくては行けないと思う。

「〝小エビちゃん〟だ」

後ろから眠そうに言われ、「ひぃ」と反射的に声が出た。フロイドは明らかに自分の友人に怯えている小エビを見て、「ああ、成る程。こいつが原因か」と気がついてアッサリ足を下ろした。

「行きな」

顎で向こうを指して、言ってやる。その顔は物凄く大人っぽくて無邪気さとはかけ離れていた。
小エビはペコ!と頭を下げ、ピャ!とそのままスカートをひらめかせて去って行った。

「…あは」

首筋をさすり、フロイドは目の下に小さなシワを寄せて笑う。そして真隣に立ったずぶ濡れの友人を見て意味深に唇の端を引きつらせた。

「ピラニアちゃん。小エビちゃんになんかしたぁ?」
「なんかって?」
「怖がられるようなこと」
「話したこともねえよ」
「勿体ぶんないで。そういうのウザい」
「………は」

ブギーマンはドンッ、とフロイドに肩を組み、一生懸命逃げていく小エビの背中を見つめるまま面倒臭そうに瞬きをした。

「夢通い」

彼は低い声で言った。
フロイドはそれを聞いた瞬間パチ!と目を見開いて、彼を見つめ。握り拳で自分の口を隠し。

「えっ……好きなの…!?」

と思いがけず乙女みたいな声を出した。
だってワンダーランドで「相手の夢に通う」というのは、つまり、相手の無意識に潜りこみたいほど好きだという熱烈なアピールなのだ。
小エビはそんな道理を知らんから何故ブギーマンが夢に出てくるかを知らない。ワンダーランド生まれであれば物凄くわかりやすいアピールだと気が付いただろうが。
マ因みにこの夢通い、法律違反である。

「え!?なに、このサイコパスが人を好きになることあるのっ?」

友達の姿が見えてやってきたデスアダーが、話を断片的に聞いてデカい声を出した。ブギーマンの胸板に大きな体をドン!とくっ付け、「お前がっ?」と素っ頓狂な声を出した。

「えー、なんで?聞かせてみ…?」
「恋の話…?人魚そういうの好きだよぉ…?」
「オレ口説き方教えたげよっか…?なんでも教えるぜ…?」

蛇とウツボは乙女みたいな声を出して目をキラキラさせた。ブギーマンはそれを鬱陶しがることなく、首を長くて鋭い爪でかいて「んー」と低音を出す。

「なんか、モストロで小エビプレート一生懸命食ってんの可愛かったんだよなぁ。死ぬときも一生懸命死ぬのかなと思って?」
「動機じゃなくて惚れたきっかけ教えろ」
「被告人しか言わねえんだよなぁ、それぇ」

惚れたんじゃなくて、それ、〝リスト〟に載ったって言うんだよ。と、デスアダーはつまらなそうに言った。
けれど夢通いはかなり体力を使うし、真剣じゃないとできない芸当だ。
そこまでこの男が何かに執着しているところは見たことがない。だから一応話は聞いてみようと思うのだ。 

「大丈夫そ?一人で口説けそ?」
「いやぁ。はは。ぁー、…」
「もしかして夢の中で殺してるぅ?オレそれは許せねえよぉ?」
「ないない…遊んで貰ってるだけ」

ブギーマンはフロイドから離れ、もう一度ブルブル水を切って目を強く閉じたり開いたりした。先程何故祝われていたかと言うと、今日は彼の誕生日だったからだ。

「マァでも良いんじゃない。オレおもしれーから応援するぅ。でもぉ、あんま〝行き過ぎる〟んならギューって絞めちゃうよ?」
「絞めたら拐う」
「拐ったら噛む」
「………」
「………」
「………」

3人は一拍黙って、それからニコ。と。
リモコンで操作されたみたいにおんなじタイミングで、おんなじ顔で笑った。
似たもの同士だから仲良しなのだ。

「ふう」

さて何も知らない乙女はここまで逃げたら大丈夫かと汗を拭い、自分の教室に帰った。
その内ブギーマンに拐われることなど知らず、間一髪だったわとバカの顔で思いながら。





「自撮り棒の耐久性を調べたい。」

ブギーマンはいきなり現れて、いきなりそう言った。
どこに現れたかといえば、人気のない校舎裏。
どんな状況かと言えば、小エビが3人の乱暴者に性暴力を受けかけているところ。
小エビは先刻、名を知らない・一年生のガタイの良い男に囲まれて校舎裏に無理やり連れて来られてしまった。そして様々な理不尽を押し付けられ、服を脱がされかけている状態である。
3人の乱暴者は、突然現れたブギーマンを見てピタ、と止まった。
そして顔を真っ白にして、視界をモノクロにするのである。
倒れ込んだ彼女にのし掛かった一人と、地面に腕を押さえつける一人と、真横にしゃがんでタバコを吸ってニヤニヤしていた一人。
そんな彼らをちょっと離れたところから見下ろしているブギーマン。

彼はやる気なさげに、自撮り棒をパシパシ片手に打ち付けて真っ黒な目で突っ立っている。
彼の着用している半分投げかけたグレィのカーディガンが、風にブラブラ揺れていた。

「これ、鉄でできてんだよなあ。コモンのヤツなんだけど。これ、どうなの?武器になンの?」

ブギーマンはいつも通りボソボソ言った。
現場が深い沈黙に包まれているからなんとか聞こえると言った小さな声である。

「オレが貸した〜」
「ねぇそれもともとオレのなんだけどぉ。なにすんのお?」
「バッティングセンター。無料の。…はは…」
「お、いいね」

遅れてやって来たフロイドが笑いながらブギーマンの肩に寄りかかり、デスアダーが彼らの前にしゃがんだ。
3人の乱暴者は自分より遥かに強い、恐ろしいと有名な先輩が来たことでサッと顔色が地の底に落ちる。
「お疲れ様です」と震える声で言いたいのに、体はズッシリ土が詰まった袋みたいに重くて動かなくなった。
そんな3人に構わず、キョトンとしている小エビにも構わず。3人は自分たちしか見えていないみたいに笑いながら話していた。

「どうする?ルール設けるぅ?」
「鼻100点。打ち抜きゲーム」
「待ってオレノーコンなんだけど。ルール改正希望」
「アハ、最下位罰ゲームね♡」

彼らは彼らだけで話し、突然。
フロイドが乱暴者の、一番ガタイの良いやつの髪を掴んで無理矢理立たせた。
そのまま羽交い締めにして固定する。
乱暴者は「え!あ、」と初めて声を出した。フロイドの腕から逃れようとするが、力が強過ぎて全く動けない。

「な。なんすか。なんすかっ。ちょ、や、ち、違うんすよ」
「記念すべき一番バッターはこの男ッ。身長!188センチッ。体重!89キロッ。ガンジャをガキの皮で包んで焼いて吸うのが生き甲斐ッ、ァチャッキーーーーッッ・ッブギーマァン!」
「はは…ぁー、…不名誉だわ〜」

デスアダーが腕を組んで壁に寄りかかり、ヘラヘラ笑いながらブギーマンの紹介をした。
フロイドも乱暴者を羽交い締めにしたままヘラヘラ笑った。ブギーマンは自撮り棒のグリップを両手で掴んでバッドのようにフォン、フォン、と素振りしている。
素振りだけでも物凄い勢いだと分かる風を切る音で、小エビは乱暴を働かれるよりも怖くなって、青くなってそれを見上げた。
まさか。その自撮り棒で乱暴者の顔を殴るのだろうか。

「ちょっ。ちょ、ゃ、っあ」

乱暴者はパニックと恐怖で掠れた声を出した。言葉がうまく出てこなくて、「やめてください」すら言えなくなっている。
押さえつけているフロイドは、ブギーマンに「お前オレに当てんなよお?」と笑っていた。
するとブギーマンはホームラン宣言をする野球選手みたいに、自撮り棒をピタ、と乱暴者の鼻の先端をくっつけ。

「はー、はは。ぁあはは…」

といつも通り不気味に笑った。
怯えている姿が面白いのだろう。
そしてふさふさした片耳をピコ、と上げて、「よし」と呟く。

「いきまーす…」
「よっ。いけ!」
「頑張れ〜」

乱暴者は「あっ」という隙すらなかった。
ブギーマンはそのまま、豪速球をバッドで打ち抜くように。綺麗なフォームでカキンッ、と。
正確にはゴギャッと。乱暴者の鼻を正確に打ったのであった。

「ワアアァアッ」

悲鳴を上げて腰を抜かしたのは、まだ小エビを押さえつけた格好のまま動けなかった乱暴者である。打たれた乱暴者は声すら出さなかった。
フロイドは素早く打たれた彼の顔を確認し、鼻を見て。

「100点っ。スゲーッピラニアちゃぁん」

見事命中だとはしゃぐ。
ブギーマンは片手でガッツポーズをして、「手応えあり!」といつもより大きな声を出した。デスアダーが「ストライクッ」と人差し指で天を刺す。

「いぇーい。次オレぇ〜」
「自撮り棒結構耐久性あるな」
「武器で使えるぜこれ。銃刀法にも引っかかんねえし」

小エビは声が出せなかった。
鼻を打たれた男は顔面を押さえて地面に崩れ落ち、物凄く荒い息を吐いて足を見たことないくらいガタガタ震わせている。

「二人目〜。押さえろ押さえろ」
「あっ。あっ、待っ、フロ、せんぱ、」
「じゃあお前」

デスアダーが新たな男を抑えて、フロイドが打席に立つ。
しかし打ち方は野球のフォームではない。両手で自撮り棒を持ち、上に振りかぶったのだ。
スイカ割りみたいに天高く掲げ、「いきまぁす♡」と笑って。
そのまま振り下ろしたのである。

「お、スゲ。100点」
「マジかよ!なにお前ら凄くね?」
「ッシャー!キタァーッ。オレすげぇ〜」

フロイドは自撮り棒で自分の肩をトントン叩き、嬉しそうに笑った。その顔はまさに青春的であり、バスケ部で華麗にシュートを決めた時と全く同じ表情である。
さて最後、失禁した男を掴んで、ブギーマンが押さえた。デスアダーが打席に立ち、不安そうにフォームを確認している。

「あー、いけっかな。不安…」
「お前行けなかったら罰ゲームな」
「頑張れぇ」
「うー…プレッシャーえぐいわ〜…」

ブォン、ブォン、と自撮り棒を素振りし、スローペースにして鼻の位置を振り抜けるか確認し。デスアダーはフーッと溜息をついて「行きまーす」と覚悟を決めたような声を出した。
乱暴者が見た景色は、太陽がデスアダーの頭に隠れて、逆光で顔ナシになった彼の姿だった。みずみずしい青空と、吹く風。
真後ろから聞こえる、「はは…」というブギーマンの笑い声。

「よっ」

デスアダーは彼を打った。
けれど鼻には打つからず、頭にぶつかってしまう。

「ッアー!ミス!」

デスアダーは打った瞬間自撮り棒を床に放り投げ、頭を抱えて後ろを向いてダラダラ歩いた。
乱暴者は地面にドシャッと崩れ落ちる。体が物凄く痙攣していた。
フロイドは「30点!」と面白そうな声をあげた。
3人の乱暴者は見る影もなく、床に倒れたもの、まだ鼻を押さえて泣いているものとで別れた。
自由になった彼女は座り込み、カタカタ青くなって震える。
デスアダーは罰ゲームを受けることに決まり、「なにすりゃいいの」と凄く嫌そうな声を出した。するとフロイドは残酷な顔をして「オレペパーミントキャンディ♡」と言い、ブギーマンは「シュークリーム」と低い声で言う。

「やす。罰ゲームじゃなくても別に買ったるわ」

ははは、と陽だまりの笑い声が小規模に上がった。そしてブギーマンは自分の後頭部をパシパシ叩きながら肩を揺すってやる気なさげに笑い、「あー、こいつら、いくら持ってンの?」と言う。
するとフロイドが面白そうな顔をして乱暴者達の財布を巻き上げ、中身を確認し。

「しめて二万三千マドル也。なぁに。これどぉすんのぉ?」

と面白そうに笑った。
流れるようなカツアゲである。
ブギーマンはその金を手にとり、お札を数えながら。

「募金してバランス取る」

と言った。フロイドは派手に笑って、「よし募金しよ」と膝を叩く。

「恵まれない子供達助けよ」
「社会貢献しようぜ。はは」

巻き上げた金は募金するらしい。
小エビは失禁しそうになりながら笑い合う3人を見ていた。ちょっとでもつつかれたら倒れてしまいそうな具合で。
すると。フロイドがスッとこちらを見て。

「小エビちゃん大丈夫?怖かったねぇ。もう大丈夫だからねぇ」

と物凄く優しい声を出した。
「オレ達、助けに来たんだよお」と。
小エビはカタカタ震えたまま黙っていたが、デスアダーが突然ブギーマンの着ていた大きなカーディガンを毟るように脱がせ、彼女の肩に優しくかけた。
それはちょっとタバコ臭くて、蓮華升麻の香りがする。

「ユウちゃん、懲らしめておいたからね。またなんかあったらオレら…。…〝チャッキーが〟助けに来るから。なんか怖いことあったらチャッキーくん助けてーって言うんだよ。誰よりも速く助けに来るから。何故かは知らないけど…」
「そーそー。ピラニアちゃんが率先してぇ、助けに来るから。呼ばれた瞬間くるから。音を置き去りにして。何故かは分かんないけどぉ」

2人はニヤニヤしながらブギーマンをチロチロ見て、彼女の背中を優しく叩いた。
次は自分が自撮り棒で滅多打ちにされると思っていた小エビは顔を白くさせたまま、ぼんやりとブギーマンを見上げる。
ブギーマンはワイシャツの中に着ている黒のハイネックの袖を引っ張って自撮り棒についた血を拭き取りながら、こちらを見て目を細めていた。

「ぁ、う…」
「立てる?行こっか。ほらチャッキー手繋いでやれって」
「差し伸べてやれってぇ。何してんの」
「え。ぁー…はは。オレなんだ」
「お前だろバカ」

チャッキーは刑事に殺人容疑で激しく問い詰められているのに、ヘラヘラ小さく笑っている容疑者みたいな顔で自撮り棒をカシャンと小さくしてポケットにしまう。
そして彼女にゆっくり手を差し伸べ、顎をしゃくった。「掴め」と言う意味だろう。
しかし小エビはこの手を掴んだら死ぬと思って、ふるふる震えて手を見つめるだけだった。

「ほら」

催促され、彼女は。
掴まなくても死ぬ、と思って。
震える手で従い、彼の大きな手を物凄くゆるく掴んだ。

「ひえ」

グイッと引き上げられ、立たされる。
ブギーマンは正体のつかめない顔で薄く口角を上げていた。
これから人を殺すみたいな顔だったが、これが彼の基本なのだ。
彼女は細い足をカクカク震わせて、そのまま3人にオンボロ寮へ拉致…ではなく、優しく送り届けられるのであった。

「またね小エビちゃん。なんかあったら、呼んでねぇ」
「ばいばい」

ソッとソファに座らされ、頭を撫でられ、クッキーをもらってボケッとしていれば。3人はぞろぞろ連れ立ってオンボロ寮を出て行った。

「……こ、殺さりるかと思った」

小エビは静かになったオンボロ寮にて、ちいこい声を出してキュッと丸くなる。
しかし彼女の心情など知らず、3人の男達は満足そうに笑って歩いていた。

「いやー、好感度上がったよチャッキー。お前王子様じゃん」
「小エビちゃん見惚れてたじゃあん。隅に置けねー」

人の心が分からない夜行性のバケモノ達は本気でそう思っていた。
暴漢に襲われた乙女を颯爽と現れて助け、見惚れている乙女に手を差し伸べて助けたと思っている。
いや、事実その通りだが、彼女に与えた印象は大きく異なっていた。
小エビは部屋で1人になっても、助けられたとは思っていない。命をなんとか寸前で見逃してもらったと思っている。
自分もあの乱暴者と同じように仕留められるところを、何故か命乞いをする前に気まぐれで許されたと思っていた。それほどウツボのお兄さんと蛇のお兄さんと狐のお兄さんは怖かった。
悪夢を見る程である。
なに、乱暴者3人に虐められると思ったら、もっと怖い乱暴者がやってきただけであった。
小エビは怖かった、次は見逃してもらえないかとすら思いながら布団を被り、とりあえず生き残ったことにホッとする。

「今頃小エビちゃんお前のこと考えてるよぉ」

フロイドが言った。
確かに彼女は考えている。
怖い怖いと思って怯えている。

「ちゃんと口説いて来いよ。第一印象バッチリだぜ」

第一印象はバッチリ物凄く怖い人だと固まった。
デスアダーとフロイドはそれを知らず、嬉しそうにニコニコするのであった。
友達の恋路がうまくいくと良いなあという、サッパリした気持ちで。





さて小エビ、やっぱりその日は悪夢を見た。
いつも通りブギーマンと学校に行き、いつも通り教室で授業をぼんやり受けていると。
突然ブギーマンがガァン、とドアを開けて、やっぱりやって来たのである。
理科のカッコいい男の先生は、突然入って来た彼に驚いて「な」と声を出した。

「お、お前。二年生だろ。教室に帰りなさい」

教室は静まり返った。
誰もが皆ブギーマンを見ていた。
彼女は「狐さんが来ちゃった」と思わず背筋を伸ばす。

「き、狐さん」

小さな声で言う。
その声は静まり返った教室によく響いた。
ブギーマンは教室の黒板側のドアを開けた格好のまま、ボケーッと陽炎みたいに曖昧に突っ立って、理科の先生を見ていた。
理科の先生は明らかにブギーマンを怯えて見つめていたが、生徒から人気のある快活な彼は体裁とプライドがある。
だからなんとか追い払おうと、気丈に彼を教室から出て行くように言った。
けれど迫力はない。ブギーマンの体格と、教師の体格はまるで違っていて、あんなに大きく見えた先生が少年のように見えた。

ココ、カカ、カロン。
ブギーマンは下駄を引きずって、中にのろのろ入って来た。彼女はいつも通り自分の隣に来るものだと思い、困った顔で椅子を用意しようとしたが。

「きゃあ」

ブギーマンはいきなり、理科の教師の頭を掴んで黒板にバァンと打ち付けたのであった。
教室には短い悲鳴が満ちる。
ブギーマンはホロ、とやっと笑って、いつも通り、「はは、ぁー、はぁは…」とやる気のない笑い声を出すのであった。

「…あっちょんぷりけ。ビックリした?」

大きな尻尾がユラ、と揺れる。
小エビは立ち上がったまま硬直して、思い切り黒板に打ち付けられた教師を見つめた。誰もがみんな固まっていた。
ブギーマンは教師から目を離さず、手も離さず、眠たそうな顔をする。

「教えるより脳味噌見せた方が早いんじゃ、ねえの。賢いんだろ?」
「がっ。…ゴ」
「でんでんむしむし」
「ゴボッ」
「お前の頭はどこにある?」

ブギーマンは教師の頭を掴んで、床にガァンと怪力で投げた。そして失神した彼の体を踏みつけにしながら、小エビを振り返り。

「おぁよう(おはよう」

と笑ったのだった。
「ひえ」と勝手に声が出て、彼女の顔は真っ白になる。ブギーマンはヘラヘラ笑って、教壇の前からカラン、コロン、と下駄を鳴らして後ろの席にいる彼女へ歩いて来た。
並べられた机の隙間をゆっくり歩いてくるので、クラスメイトはサッと椅子に座ったまま離れようとした。ガタガタ音が鳴る。
彼はクラスメイトを一切見なかった。
視線は小エビに固定したままだったけれど。

「あー、バコン」

通り過ぎざま。
彼はなんの脈絡もなく、机の上にあった硬そうな筆箱を適当に掴んだ。それを彼女の1番の友達であるマリちゃんの顔に思い切り打ち付けるのである。

「……」

バコン、と確かに音がした。
マリちゃんは椅子から落ちて、顔を押さえた。リノリウムの床に血が落ちた。
教室に悲鳴が再び立ち上がった。
どうやら女にも容赦ない様子である。

「のけ」

ユウの隣の席にいる男子に、ブギーマンが言えば。彼はすぐさま立ち上がって壁に背中をくっつけ、青ざめてブルブル震える。
ブギーマンはよっこらせ、と彼女の隣に座り。机をくっつけて長い足を机の上に乗せた。

「なんの授業?」
「へ、ぁ」
「今なんの授業?」
「り、…理科」
「おぉ。……?はよ座れ」
「ぁ…」

小エビは促されて、彼の真隣に震えながら座った。彼は机の上にあった理科の教科書を物珍しそうに見て、「日本語読めねえな」とちょっと困った声を出している。

「マァ良いや」

不自然なほど静まり返った教室、地獄の空気。
泣いている女の子もいた。
小エビも怖くて怖くて震え、ホロっ、ととうとう泣いてしまった。ブギーマンは隣で静かにそれを見て、いきなり彼女の右手を強く握る。

「きゃっ、」
「小ウサギちゃん」
「ぁ、あう」
「…安心しろよ。お前の周り、みんな殺してやるから」
「……っ」

握られた手はとても暖かかった。
感触は物凄くリアルだ。カサついた手のひらは硬い皮がざらざらしてちょっと痛い。黒くて尖った爪が食い込むのだ。

「だから、はは、…は。泣くなよ…」
「、」
「そんな顔されると、興奮するな」

そう言って彼は黒い血液みたいな笑い声をボタボタ落とすのであった。
彼女は彼のキラキラ光る黒くて短い睫毛を見つめ、濁った瞳を見つめたまま少しだって動けない。

「夢の中だから何回でも殺せる」

カリカリ手の甲を優しく引っ掻かれ、その瞬間チャイムが鳴る。
ブギーマンはなぁんだ、という顔をしてつまらなそうに教科書をヒラヒラやって床に捨てた。

「オレは良い話を持って来たんだよ」

彼は徹底してそう言うのであった。
小ウサギはクシクシ泣きながら、結局彼と一緒に帰った。何故か自分はそれでも彼から逃げたり隠れたりせず、くっついて行動するのである。
黒狐は機嫌が良いんだか悪いんだか全くわからない顔で隣をいつも通り歩き、「じゃ」と家まで送ってくれると、カラコロ去って行った。

「…明日ね」

小まい声で泣きながら言った。
彼は振り返らず手を振るだけだった。
夢はいつもそこで、ぶつ切りに途切れる。

「はっ」

彼女は布団でパチ、と目を開き、今が随分に早い朝だと気がつく。空はまだ暗く、鳥も虫も鳴いていない。
グリムだってまだ眠っている。
そう言えばあのまま眠ったのだっけと思って、起き上がり。布団を降りて、歯を磨きに行こうと思ったところ。

「あ」

部屋のクローゼットに、ブギーマンのカーディガンをかけていたのを思い出す。
恐る恐る開ければ、中には確かにハンガーにかけたカーディガンがあった。グレィの大きいそれは、蓮華升麻の香りがする。
夢の中で何度も嗅いだ彼の香りだ。
よく見れば黒い毛が少し付いていた。これは狐の毛だ。尻尾の毛なのかなんなのかは分からないが、明らかに動物の毛である。

「………」

小エビは突然物凄い量の汗をかいた。
何故って、このカーディガン、返しに行かなきゃならないからだ。
昨日貸してもらったから。
どうしよう。返さなきゃ行けない。
あんなに怖い人に自分から会いに行かなきゃならないのだ。

「…あぁ…」

絶望の声を出した。
いや、早く起きてよかったのかもしれない。
取り敢えずこれは洗って返そう、と思って。洗濯機に入れる前、ポケットに指輪が二つ入っていることに気がつく。
彼がいつも付けている太くてゴツゴツした黒い指輪だ。
触ってみると結構重くて、付けてみるとブカブカだった。
彼はいつも指輪をいくつも付けている。日によって全然違うデザインのものを。彼女はそれをバスタオルの上に置いて、カーディガンを洗った。干しても時間までに乾かないからしつこくドライヤーをかけて、なんとかふわふわにする。

蓮華升麻と煙草の香りは消えた。
あるのは優しい柔軟剤の香りと、綺麗なお日様の香りである。安心して丁寧に畳んで、可愛い紙袋に入れた。すると準備をするには良い時間になって、小エビは準備をして紙袋を持って学校へ行く。
道中購買に向かって、シュークリームを二つ買った。それを入れて…お手紙を書く時間はなかったので、簡単に可愛いメモ帳に「貸してくれてありがとうございました」と書いてシュークリームの袋に貼っておく。
小エビは昨日デスアダーに彼がシュークリームを強請っていたのを覚えていたのだ。もしかしたらお好きなのかもしれないと思って入れた。
しかしこれは「ありがとうございましたシュークリーム」ではない。「殺さないでくださいシュークリーム」だ。
命乞いシュークリームも入れたから、もしかしたらなんとかなるかもしれない。ならないかもしれないけど。

彼女は怖いわ、嫌だわと思いながらトボトボ歩き、二年生の教室の廊下まで行った。
心臓が恐怖でバクバクして、脳からシーンという音がする。皮膚が冷たくなっていく感覚がするのだ。
怒られたらどうしよう。校舎裏に連れて行かれたらどうしよう。そう思いながら涙目になって彼の教室の前に立つ。
中からはワイワイ男の子の声がして、きっとある程度みんな揃っていた。

「アレ。なに。カントクセーちゃんじゃん」
「どしたの?」
「あっ」

恐々中を覗いていたら、後ろから声をかけられた。サバナクローのカッコいいお兄さんだ。このクラスの人らしい。
小エビはドキドキバクバクしながら、紙袋を抱きしめ、盛大にまごついてから。

「あ、あの」
「ウン」
「狐さ……チャッキー、さん、いますか。あの、チャ、チャッキー・ブギーマンさん…」
「え?」

お兄さん達はびっくりした顔をして。
それから教室にガバ!と顔を突っ込み。

「チャッキー!可愛いの来たよーッ」

と小エビの頭に手を乗せて大声を出した。
クラスの男達の過半数がこちらをフッと振り返る。ドアに立っている彼女と、お兄さんを見ている。
その中にはブギーマンもいた。
ブギーマンはフロイドのテーブルに座って携帯をいじっていたようだ。フロイドとデスアダーも居て、2人は目を見開いてこちらを振り返っていた。そしてゆっくり自分の口を大きな手で覆って。

「チャッキー!」
「来たよっ、ちょ、来たって、ワンチャンあるって!」

大声を出したのである。
誰よりもはしゃぎ、誰よりも興奮で顔を赤くしてブギーマンを揺さぶっていた。ブギーマンもちょっと驚いた顔をして、「なに?」という顔でこちらを見ていた。

「やばいって、やばいって、あ、オレの方がドキドキして来たぁ」
「やばいやばいやばいやばい、いや、お前行けって。行けって早く」

フロイドとデスアダーは女の子みたいにキャアキャアはしゃいでブギーマンを追い立てる。

「え?…」

ブギーマンはびっくりしてキョロキョロしながら、眉を寄せ、こちらへフラフラ歩いてくるのだった。
彼がドアの方向へ向かえば、他の男の子達もヒューヒュー言って仲間内でくっ付いて囃し立てる。「フーッ!」と甲高い声を出して赤い顔で目をキラキラさせ、急にやって来た青春に大興奮の様子だった。

「あぅ、」

ブギーマンが目の前に立つ。
大きな体の圧迫感が増し、高い位置に顔があった。
彼はワイシャツとハイネックで、昨日のカーディガンは来ていない。ズボンのポケットに手を突っ込んでこちらを見下ろし、「なに?」と簡素に言った。たくさんまばたきをしながら。
小エビがやってくる覚えが本当に無いという顔で。
彼女は滝汗をかきながら、彼を見上げて。あうあう口を動かしてから覚悟を決め。
殺されませんようにと思いながら紙袋を震える手で差し出した。

「あっ、あの」
「はい。」
「き、きの、昨日」
「はい?」
「昨日、あっ、ありが、あう、ありがとうございました…」

文末は尻窄み、足は震え、目はグルグル回りそうになった。けれどブギーマンは一瞬片眉をキュッと上げてから、紙袋を受け取って中を見た。

「ああ」

そして納得した声を出す。
小エビはなんとかかんとかペコッと頭を下げ、そのまま「失礼します。きゅ、急にごめんなさい」と言って早足で一生懸命去っていくのであった。

「なになになになになに」
「なに!なに!なに!なに!」

フロイドとデスアダーがハアハア言いながらブギーマンに肩を組んで紙袋の中を見る。
そして丁寧に畳まれたカーディガンとシュークリームが二つあるのを見て。シュークリームに「昨日はありがとうございました」とかわゆい文字で書いてあるのを見て。
デスアダーはキュンとして胸を押さえ、「うっ」と言ってしゃがみ込んだ。
フロイドはバンバンブギーマンの背中をたたき、「いけるよ!いける!あとは甲子園に連れてくだけ!あーっ、ドキドキするぅ。あっ、喉渇いてきた。なに?!チョー楽しいんだけどぉっ」とキラキラした顔をする。

「シュークリーム好きなのバレてるじゃん!良かったじゃん!かわいっ。やべーっ。ドキドキする、酸欠になる」
「チャッキーチャッキーチャッキーなになになに。どうしたの。何もらったの」
「えっ?付き合ってんの?付き合ってんの?付き合うの?これから付き合う?」

男の子達は意外にも大興奮してハアハアしながらブギーマンに集った。しかし当の本人は、キョトン…としたまま紙袋を持って去っていく彼女の背中を見つめるままである。
彼は昨日の夢で彼女が泣いていたので。物凄く怯えていたので。カーディガンを返しにくるとは思わなかったのである。
アレは諦めようとすら思っていた。
好きなブランドのパーカーでも買おうかなとも思っていたのだ。
まさか直接返しにくるとは。
ブギーマンはものすごく眩しいライトを目に当てられたみたいにショボショボまばたきをして、何も言わない。デスアダーは彼の頭を掴んでグワングワン揺らしながら、「このポンコツがよぉーっ。なんか気の利いたこと言えよ」と言い、フロイドは「オレも恋してぇ〜…」と背中に寄り掛かった。

一方その頃、小エビが彼の指輪を洗面所に置きっぱなしだったことを思い出して悲鳴を上げているとも知らず。





「ガルルルル」
「あっ、だめ。だめよ。いけません」

ブギーマンは狸の置物に鼻にシワを寄せて威嚇した。小ウサギはそんな彼のカーディガンをちまこく掴んで、学校へ行こうとする。
彼は嫌そうな顔をして狸をチラチラ振り返りながら、結局は彼女に従って歩いた。
今日も晴れ。
お日様は優しく、ブギーマンは優しくない。
それはいつも通りのことだった。

「狐さん、あのね」

歩きながら恐る恐る横を見上げて、話しかける。夢の中の彼女は現実の自分と区別が付いていないので、記憶は混濁していた。

「今日、カーディガン返したでしょ。その時ね、ポケットに入ってた指輪、持っていくの忘れちゃったの。明日持って行くね。ごめんね」
「ア?…あー、あぁ…」

彼は耳をキュッとこちらに向けて、物凄く興味がなさそうに返答をした。何を考えているかは、やっぱりよくわからなかった。
野生動物によく似ていて、たまに手の甲を特に意味もなくザリ、と舐める。
学校に着き、彼女はいつも通り入って行こうとしたが。しかし生憎休校日らしく、門は開かない。

「あれ」

小ウサギはビックリした。
今日は学校がないんだ、と今気がつく。休日だっけ。カレンダー、見てないや。
困った顔をすると、隣に立っていたブギーマンは。眠たそうに中を見つめるまま、「…そういうパターンもあるのか」と呟いた。
言っている意味はよく分からなかった。

「じゃ」
「あ」

黒狐は興味を失って去って行った。
大きな尻尾が居なくなっていく。彼女は何故かそれを残念に思って、仕方なくお家に帰る。
さて時間が空いてしまったので。それならどこかに出かけようかしらと思う。
そういえば靴が欲しかったのだっけ。あの、かわゆい真っ白なミュール。クリアクリスタルがたくさん付いていて…。あれ、どこに売っているんだったかしら。

小ウサギは退屈そうにそれを調べ、ブギーマンと行きたかったけれど、いないので。
仕方なく1人で行くことにした。コトコト電車に揺られて街へ行き、あちこちお店を回って目的である綺麗なミュールを買った。
嬉しくて彼女は履いて帰ることにして、何度もそのミュールを履いている自分をショーウィンドウで眺めてウキウキ帰ったのである。

田舎の電車は最終に向かうにつれ、本当に人が少なくなる。駅も全くの無人であることも多い。
電車に乗って家に帰る小ウサギは、コトコト揺られているうちに眠ってしまった。
次第に電車は無人になり、人の気配というものがなくなる。小ウサギはやっと目を覚まし、あと何駅だろと表示を見てまだ先であることを認識した。

「ふう」

グッと体を伸ばし、早く着かないかしらと待っていると。とある駅で、太ったおじさんが乗ってきた。
無人の電車、その中で。
おじさんはいきなり彼女の真隣にドス!と座ったのであった。

「…!」

彼女の体が張り詰める。
中はガラガラなのに。いきなり隣に座られるなんて、明らかに異常だ。
小ウサギは怖くなって俯いた。隣からは酸っぱい体臭が立ち込めていた。フウフウ息を吐く音が聞こえて、縮こまる。

「おっぱいと言ったらパイズリ!」
「っ、」
「パイズリと言ったら射精!」
「、…、」
「射精と言ったらまんこっ」

そのおじさんは、パンパン手を叩きながら大声を出した。彼女は怖くて怖くて手を震わせた。膝をキュッと合わせて、震えながら俯いたまま動けなくなる。
おじさんの声は無人の電車内に響き、おじさんの手は不健康な蛍光灯の灯りに照らされて油っぽく光っていた。

「まんこと言ったらまんこき」
「……」
「まんこきと言ったら女子高校生」
「、…!」
「女子高校生と言ったら。あっ、」
「、」
「いたーーっ!」
「〜〜〜ッ」

おじさんは彼女を見て、大声を出して指を指した。小ウサギは怖過ぎて目を見開き、喉から悲鳴がせり上がってくるのを感じる。
けれど声すら出ないのであった。出るのは掠れたため息のような頼りない音ばかりだ。
電車はコトコト揺れ、次の駅までつかない。けれど次の駅に着いたってきっと無人だから、何の意味もなかった。

「女子高校生でしょ。ユウちゃんでしょ。知ってるんだもんね」
「ぁ、」
「脱げ」
「ひっ」
「脱げ。全部。おまんこ見せろ」
「ぁ、…あ」

おじさんに手を掴まれた。
彼女は信じられないくらい自分の手が震えているのを見て、もっと怖くなる。おじさんはフウフウ興奮していて、鼻の脇に汗をかいていた。
おじさんはフウフウ言いながらズボンを脱いだ。酸っぱい匂いがもっと濃くなった。
小ウサギは半狂乱になって叫びたかったのに、動くことも悲鳴を上げることもできなくなった。

その時である。
電車の連結部が開いて、カカ、ココ、カロン、と。よく知っている足音がした。

「よく襲われるなぁ」

ビクッとしてそちらを向けば。
フードを深く被ったブギーマンが立っていた。
おじさんと自分は驚いて彼を見つめていた。
ブギーマンも多分こちらを見つめていたのだけど、黒髪とフードのせいで目は見えなかった。

「ぁ…」

ブギーマンはカロン、コロン、と近づいてきて、彼女の足元にしゃがんだ。そして履いている白いミュールをスルリと片方脱がせて持ち、それを持ったまま立ち上がるのである。

「邪魔するんじゃないよお」

おじさんが巨大な声で言った。
目も開けていられないくらいの大声だった。
けれどブギーマンは一切表情を変えず、おじさんの胸ぐらを掴んで立たせ。

「あー、ブスン」

と言って。
ミュールの靴底でおじさんの顔をバチン、と叩いた。音は大したことない。
けれど。ミュールの細いヒール部分が、おじさんの目にブッスリ深く刺さっていた。

「キャアァッ」

小ウサギは悲鳴を上げて口元を覆う。
慄いて背中を背もたれに擦り付け、コトコト揺れる電車にすがりついた。
おじさんは仰向けに倒れて、辛そうな顔をして猿みたいな声を上げている。
ブギーマンはこれを見下ろしてフードを脱いだ。

「はは…は…ぁーは、…はは…」

よく知った笑い声だった。
彼はそのまま下駄を足の動きだけで脱いで、おじさんの顔の上にあるミュールを履いて体重をかけた。おじさんは大声を上げてブギーマンの足を掴む。

「頭おかしい奴が、自分だけだと思うなよお」

彼は静かに言った。

「犯罪者が自分だけだと思うなよ。珍しくもねえよ…」
「……」
「毎日殺人事件のニュース流れてんだから。いるよ。いるいる。どこにいると思う?殺人鬼と言ったら…あっ、いた」
「……」
「ここ〜〜〜〜!!」
「っ」

ブギーマンは自分の顔を親指で指した。
さっきのおじさんよりよっぽど怖かった。小ウサギはまたもや声が出なくなって、目の前の光景を見ていた。
おじさんは穴だらけになった。
人ってこんなに柔らかいんだと思った。

するとコトコト揺れていた電車が停まり、ドアが開く。小ウサギはそれでも動けなかった。黒狐は最終に着いたことに気が付き、耳をピコ、と上げ。ちいちゃいミュールを履いて足を上げて下駄を履き直す。
そしてヒールについた色々なものをおじさんの服で丁寧に拭うのだ。

「これお気に入り?」
「ぁ、…ひゅ、」
「そうでもない?」
「きゃっ」

ブギーマンは彼女にミュールを履かせ、手を繋いで電車を降りた。
腰が抜けた彼女を駅の椅子に座らせて隣に座る。小ウサギはドアが閉まって去っていく電車を眺め。
電車がいなくなったのを見て。

「……っ、あ、」
「ウッ」

隣に座っている狐の大きな尻尾を震える手で掴んだ。そしてそろそろ足を上げ、椅子の上に裸足で体育座りして、ふわふわの尻尾を抱きしめ。

「うわーん」

堰を切ったように泣いてしまうのだった。
物凄く怖かったから。隣に座っている人も物凄く怖いけど。夢の中の彼女はどうしてかブギーマンに縋ってしまうのである。
この男の死体を分解すればきっと体の中には獰猛で牙が鉄でできた人形の頭が大量に詰まっているだろうに。頭の中には見たこともないような怪物めいた寄生虫が頭蓋骨一杯に犇いているだろうに。
どうしても縋らずにはいられないのである。

「うええぇん」

小ウサギは号泣して肩を震わせ、尻尾をびしょびしょに濡らした。尻尾はボワッと大きくなって毛が逆立っていたが、気にせずに顔を埋めて泣いた。蓮華升麻と、獣の匂いがした。
暫くして泣き止んで顔を上げると、隣に座っているブギーマンは耳をベシャッと下げ、物凄く悲しいことを聞いたみたいな顔をして目を潤ませていた。
獣人にとって尻尾は非常にデリケートなので、長時間人に触られていると誰でもこうなるのだ。
しょぼしょぼまばたきをする彼を見て、小ウサギはそれでもメソメソ鼻をすすっていた。

「………」

ブギーマンはもう耐えられなくなったのか、よろ、と尻尾を彼女から取り上げて立ち上がる。尻尾は足の間に入ってしまって、もう触れなくなった。

「帰ります……」

物凄く元気がなくなった彼は低い声でそう言って、彼女にミュールを履かせて腕を掴んで歩き出す。
小ウサギは黙って目をこすりながら、トボトボ彼について行った。
電車に乗る頃はアザみたいな赤と薄紫色をしていた空はもう黒くて、街頭の光がそれを削っている。
2人は無言で帰った。
ブギーマンはずっと耳をしょんぼり下げたままだった。よっぽど辛かったのだろう。

「きつねさん」
「……」
「ごめんね…」

クシクシ泣きながら言うと、彼は突然振り返って彼女の細っこい首を片手でガシッと掴む。
そして喉仏のあるあたりを親指でグリグリ指圧しながら歩くのだった。

「おぇっ。あっ、あう」
「………」
「えっ、お、…ぅぐ」

痛かったし苦しかったので、彼女はえづきながらヒンヒン泣いて家まで歩いた。
復讐だろう。意外と容赦なかった。
指輪がゴリゴリして痛くて、彼女はブギーマンの手首を両手で掴まながら歩く。
そして家にたどり着けば、手が離れて安堵した。

「けほ、っこほ」
「じゃ」
「……あ」

小ウサギは首を押さえながらケンケン咳をして、顔をあげて。
ビショビショの尻尾を丸めて帰っていくブギーマンを見つめて。

「明日ね」

といつも通りよわよわと言った。
ブギーマンは、手を振ってくれなかった。




「お前シュークリーム人生で何個目?」

デスアダーは左手でシュークリームのこぼれたクリームを受け止めながら言った。
ブギーマンはそう言われて、怒られている犬みたいな顔をする。
彼は小ウサギに貰った命乞いシュークリームを教室で食べていたのだ。二個貰ったから、昨日ひとつ食べて、今日は中休みにひとつ。
別に毎日食べるほど盲目的に好きなわけじゃないが、購買に行ったら必ず買うレベルではあった。
けれど彼は信じられないくらい食べるのが下手で、ハンバーガーみたいにシュークリームを食べるのだ。すると当然下からクリームが溢れて全部溢す。そして中身のないシュークリームを「アレ…?」と言いながら食べる。
学習する気がないらしい。
いつも何?と思いながら食べ、何?と思いながら汚れた机を見つめるのだ。
馬鹿なのである。

今日もクリームを受け止めてくれたデスアダーはもう諦めているが、気分でブギーマンを叱っているのだ。

「18年間食ってきて今何個目?何でわかんないの?いい加減食い方練習してくんね。この年でこんなに溢すやつ居ないよ?他に」
「………」
「恥ずかしくねーの?これからもこぼし続けんの?オレ達いつまでも居ないぜ?死ぬまで1人でこぼしながら食うの?どうなの?」
「…ッうああぁっ」

厳しい口調でデスアダーに怒られたブギーマンは突然、隣にいたフロイドに抱きついて派手に泣いた。明らかな嘘泣きだった。
デスアダーはそれを知っていて「泣いても許さねえぞ」と大きな声で言う。別に怒っていない。そういうノリというだけだ。

「ううぅ、う"ーっ、ヒック。ううう」
「いや泣き真似ウマ」
「うあぁあ」
「皿使って食えっつってんじゃん」

ブギーマンは大きな体を縮こめて、尻尾を丸めて耳を下げ、クシクシフロイドの背中に抱きついて泣いた。フロイドはスマホをいじっており、ブギーマンに一切反応しない。

「お前今日うまく食えるようになるまで帰さないからね」
「ううぅうーっ。うぅ"ーっ」
「いやうまいうまいうまい」

彼の泣き真似は本当に泣いているみたいだった。過呼吸気味になるところまで物凄く上手だ。教室の外でそれをこっそり見ていた小ウサギは話しかけるタイミングを失って、ジッとそれを見つめてしまう。

「練習すんの!?しないの!?」
「うううーっ」
「……」

指輪を返しにきた小ウサギは暫く見詰め、そして。
フッと教室を後にして、オンボロ寮へ行った。
休み時間に間に合うように足早にキッチンへ向かい、お皿をしまっている戸棚を背伸びして開け。
食パンをたくさん買ったことで付いてきた、ミステリーショップのお皿を取り出した。
これは新品で、箱に入っている。
彼女が一生懸命パンを食べて貰ったもので、狐のキャラクターが入ったかわゆいものだった。
彼女はブギーマンがシュークリームをこぼして食べて怒られているところを見て、これを渡そうと閃いたのだ。ちょうど狐だし、と思って。
いつ使おうかしらとニコニコ楽しみにしていたが、困っているならあげようと思った。

優しさ半分、命乞い半分だ。
だって彼女は今日指輪を彼に返さなければならないから。ちょっとでも彼の機嫌を向上させなければならないのである。
それでもう関わることもないだろう。
今までだって話したこともないのだから、これで終わるはず。

そう思って小ウサギはかわゆい皿をかわゆい紙袋に入れて、指輪をハンカチでくるんで2年生の教室まで歩いた。
するとブギーマンはとっくに泣き真似に飽きていて、フロイドの膝に頭を乗せて新聞を読んでいる。フロイドは物凄く真剣な顔をしてトランプでタワーを作っており、デスアダーはそれを隣で心臓をドキドキさせながら見ていた。
彼女はそれを見て「あっ」と思う。ここで話しかけたらトランプタワーがバラバラになってしまうかもしれない。
これでは話しかけられない。
どうしよう、と困り。彼女はやっぱり話しかけるのが怖いので、廊下を歩いているポムフィオーレのお兄さんに声をかけた。

「ん?どうしたんだい」
「あの、お願いが…」
「おやおや」

お兄さんは紳士だった。彼女が話しかけるとゆるく目を細め、スッと片膝をついて「なんなりと」と言ってくれるのである。
彼女はかっこいいなぁと思いつつ、「これ、チャッキーさんに渡して頂けますか」とお願いした。

「チャッキー?ブギーマンくんかい?」
「はい。ごめんなさい。お、お願いできますか」
「分かった。責任を持って僕が渡しておこう。同じクラスなんだ」

小ウサギはホッとした。
これでトランプを崩さずに済むし、怖い思いもしなくて済むからだ。優しい人がいて良かったと思って嬉しく思い、手を振って去っていく彼に頭を下げようとしたところ。

「ありがとうござ───…ッ!?」

目の前が突然暗くなった。
顔に後ろから布が押しつけられ、驚いて息が一瞬できなくなる。

「キャッ、」

動物が絞め殺されたような声を上げ、彼女は紙袋を落とした。顔に押し付けられた布は目が粗く、色はグレィであった。服の素材であることがなにとなくわかる。
息は苦しいが、できなくなるわけではなかった。外がわずかに透けて見える。

「!?あっ、あう」
「ぁ"ー、は、はは、……ハ」

蓮華升麻の香りだった。
チャッキー・ブギーマンである。
小ウサギは広げたカーディガンを、顔にかぶせられ、後ろにぐいぐい引っ張られているのだ。
カーディガンは後ろから引っ張られていることで彼女の顔の輪郭に浮き上がる。

「あ"ーっ」

犯人は分かったが、なす術なし。グッとそのまま強く引っ張られ、背中が彼の胸板にぶつかった。頭をすっぽりカーディガンで覆われて隙間なく掴まれてしまったので、振り返ることもできなくなる。
これがビニール素材だったら呼吸ができなくて死んでいた。そういう殺し方が確かあった気がする。袋をかぶせて引っ張って窒息させて殺すやつ。
多分今それをやられている。

「ハ、は、は。はは」
「きゅっ、く」
「あぁは」

小ウサギは殺されると思ってなんとか抜け出そうともがき、しゃがもうとしたり、首に引っかかったカーディガンを上に引っ張ってスポンと抜けようと一生懸命ふうふう頑張った。
けれど力が強過ぎて無駄だった。抵抗しようとすればするほど引っ張られ、彼女はパニックになって目をバッテンにし、アーッと泣き始めてしまう。
何故こんなことをされているのかは分からない。けれど分からなくても仕方ないのかもしれなかった。この男はいつも脈絡がないから。
夢の中で散々見てきたから知っている。

小ウサギはキュウと伸びて、カクンと座り込んでしまう。するとブギーマンも背後でしゃがんだらしく、パキッと膝の関節が鳴る音がした。
カーディガンがやっと床に落ちる。目の前に落ちたカーディガンは、布地が彼女のグロスやアイシャドウでキラキラ光っていた。

「あう"っ」
「はは…」

後頭部を後ろから掴まれ、床すれすれに押さえ付けられた。彼女は土下座するような体勢になって、ヒッと喉をつまらせる。
ブギーマンは後ろから覆いかぶさるように床に手をつき、彼女の後頭部を押さえつけて下げさせたまま引き笑いをして、

「えっと…」

と低い声を出してから。

「なに?」

と、聞いてくるのであった。
彼女はビクッとして床をじっと見つめる。「なに?」はこっちのセリフだ。
どうしてこんなことをされたのか全く分からない。怖くて地面を見つめてブルブル震え、やっぱり来なければ良かったと思う。
怖い。殴られるかも。かじられるかも。
床に頭を打ち付けられるかも。
そう思うと足が震えて、反射的な音のない涙が出た。

「た、助け…」
「は?」
「ぁっ、…う」
「なに?」
「………」
「あ、そ。言わない。へえ」

答えられないまま混乱して震えていると、ブギーマンはそのまま彼女の腕を掴んで無理やり立たせた。

「ひっ、ひえ」

彼は廊下を歩いていく。
チャイムが鳴っているのに教室に戻らない。引っ張られてヨロヨロこわごわついていくと、彼は音楽室のドアを開けた。
中には一年生が居て、驚いた顔でブギーマンを見て。一瞬で目を逸らした。
物凄く怖い先輩だからだ。その中でも体格の良い男の子が「お疲れっす」と声をかけたが、ブギーマンは無視して音楽室の奥へ歩いて行き。
縦長のロッカーを開け、中にあるものを全てガシャガシャ乱暴に出し始めた。

「ひっ」

モップやらバケツやら、なにやら。
全て床に投げるみたいに出し、大きな音を立て続けると。

「入れ」
「きゃあ」

小ウサギをロッカーの中に入れた。
彼女は無理矢理押し込められ、閉じ込められる!と一瞬で理解して悲鳴を上げようとしたが。

「へっ、」

ロッカーの中に、ブギーマンも一緒に入った。
物凄く狭くて近くて暗かった。
ロッカーのドアがバタンと魔法で閉まり、中はギチギチになる。小ウサギは意味が分からなくて、「ひ、きゅ、」と喉が勝手に立てる音だけを立てた。
体の全部がブギーマンに当たっていて、顔だけが辛うじて当たっていない。ブギーマンはロッカーより大きいので、頭を俯かせてこちらをジーッと見下ろしている。

「なに?」

彼はもう一度聞いた。
小ウサギは質問の意味が分からなくて、本当に怖くて、「あ、あ」と震えて心臓をドキドキさせる。
逃げようにも絶対に逃げられない。
入り口は彼が塞いでいるし、どんなに隙があろうとこんなに狭くて身動きが取れなくては無理だ。
黒い箱の中、彼の息遣いと緩やかな心臓の音と、耳に付けられた長いピアスがチャリチャリ言う音だけが聞こえた。

「ごっ、ごめ…ごめんなさ、」
「なにが?」
「ぁ、あう、…こっ、殺さないで」
「なんで?」
「ひっ、ひゅ」
「なんで命乞いしてんの?面白いからいいけど」
「キャーッ」
「ハハハハハハハハハハハハハハ」

長い爪で首をガリガリガリッと引っ掻かれた彼女は、痛くはなかったが恐怖で堰を切ったように叫び始めた。それを聞いてブギーマンは大笑いし、ロッカーの中が笑い声で満ちた。
外でみんなが聞いているはずなのに、誰も助けにこなかった。
ロッカーの中から彼の大笑いと、女の悲鳴が響いているのはさぞ不気味だろうに。

「やーっ。イヤァアアッ」
「ハハハハハハハハ」
「助けてえっ」
「ぁー、んハハ。はー、はぁ、ハハ。何で怖がってんの…そんな、はは。燃えるな…」

会話は全く噛み合わない。
このバケモノ系男子は脳内で全てが完結しているのか、それとも意味のわからない言葉を言うことで痛ぶっているのか、説明する気がないのか、分からないが。
とにかく何かを聞こうとしていたが、小ウサギがあんまり怖がるので面白くなってきて脱線しているような、そんな印象を受ける。
それが正しいのかも分からないが。
先程までシュークリームをこぼして食べていた男と同一人物だとは思えない。
人格が分裂しているのか、どちらも彼なのか。

「帰せなくなるな…泣かれると…」
「うええぇん」
「はー、は、は、は、は」

残虐色情家は音を立てて笑い続けた。
小ウサギが鼻をヒクヒクさせて分かりやすく怯えるのにはしゃいでいる。
思考回路が全く分からない。彼女はこの凶器が心臓を持ったような男にいじめられて、なにを言えば良いのか分からなくて、エーンエーンと泣いた。
ブギーマンは好きなだけ笑っていた。
けれど。暫くして。
彼はピンッと耳を立て、「あぁ…」と残念そうな声を出す。

「タイムオーバーだ…つまんねぇの…」

上からそんな声が降ってきた。
その声は本当に悔しそうな音だった。舌打ちの音がした。

『監督生、大丈夫か!』

すると外から教師の声が聞こえたのである。
彼女は助かった!と思い、けれど助けを求めるのが急に怖くなって黙り込む。
ブギーマンの機嫌が急に下がったので、意に沿わぬ事をしたら殴られるかもしれないと思ったのだ。
けれどロッカーは素直にガチャンと勢いよく開けられた。光が中に刺し、眩しくて一瞬目を閉じる。

「ぁ、」

すると。
目の前を塞いでいたブギーマンが、ドアを開けられた瞬間。グラ、と揺れ。仰向けにバタァンと倒れたのであった。
支えを失った人形みたいに無抵抗に外へぶっ倒れ、音楽室の白い床に彼の体が転がる。

「きゃあ」

ロッカーの中にまだ立っていた彼女は悲鳴を上げ、教師もウワッと悲鳴を上げた。
生徒達もギョッとして床を見て、やがて目を見開いて半端に立ち上がった格好のまま停止する。

「………」

一同は倒れてピクリとも動かないブギーマンを見て呆然とした。沈黙に包まれ、異様な空気が立ち込める。
何故って、仰向けに倒れているブギーマンは。
ブギーマンの服を着た真っ黒なマネキンの姿に変わっていたからだ。倒れた衝撃で首が外れて、転がった。
腕は変な方向に曲がっていて、顔を持たないマネキンはただ黙って動かない。

「……ひ」

彼女は腰が抜けて座り込んだ。
分からないけど、きっと彼は魔法を使ったんだろう。どのような魔法かは分からないが、転移して、マネキンだけを残して去って行ったのだろうか。
それとも暗くて見えなかっただけで、最初からマネキンだったのか。
小ウサギはカタカタ震えるままマネキンを見つめていた。

「ひあぁっ」

頭が取れたマネキンの首から、突然ビューッと血が噴き出した。マネキンの腹に埋め込まれていたらしい笑い袋が、「ハハハハハ、アーハハハハ」と機械的な笑い声を響かせる。
深い沈黙の中、笑い袋の笑い声ばかりがクリアだった。
彼なりの最悪のサプライズである。
教師は汗をかいてそれをじっと見つめていた。
精神に異常をきたしている人間しか思いつかないタイプの、物凄く嫌な魔法の使い方だった。





首にカットバンを貼ってもらった。
クルーウェルが貼ってくれたのだ。
小ウサギは涙の痕を頬にいっぱい付けたまま、スンスン鼻をすすってココアを飲ませてもらっている。

「心配するな。責任を持ってオレが殴り殺しておくから」
「だ、大丈夫です…」
「大丈夫じゃないだろう。泣かされたんだ、これ以上の大事はない」
「すん」

クルーウェルの研究室にて、彼女は首をさすった。引っ掻かれた時は痛くなかったけれど、今はちょっとヒリヒリする。
エキノコックスになってないかしらと思いつつ、ココアを飲んだ。

「それで…仔犬。ブギーマンに襲われた理由に心当たりはあるか?」

クルーウェルはブギーマンの犯行現場の資料と類似事件を照らし合わせてプロファイリングしながら言った。
犯罪心理学の教師も珈琲を飲みながらデータを眺め、「これは常習犯だな」と頷く。

「わ、分かりません…」
「そうか。いや、良い。思い出させてすまん。クッキー食うか?」
「食べます…」
「よしよし。大きくなれ」

クッキーを与えられた彼女は黙ってそれを食べ、2人の大人の背中を見つめていた。
体にはコートをかけられている。

「ある程度調べましたが、典型的な異常快楽主義ですな。これはちょっと、手に負えませんよ」
「放置しておけば最悪のケースもあり得ますね…。それで、ブギーマンの行方は?」
「まだ分かりません」
「ハァ…。やり慣れてるな…」

小ウサギは疲れたその会話を聞いて、怖くなって縮こまってクッキーを食べた。
クルーウェルはホワイトボードにブギーマンの写真を貼って、彼が引き起こした今までの傷害事件や事件現場をまとめて眺めている。

「しかしこうして見るとターゲットに共通点がない。全部バラバラだ」
「今までのガイシャは皆男ですね。失礼、同性愛者の可能性は?」
「いえ、この前カウンセリングで男の方が丈夫だからと言っていました」
「何故そんな男を野放しにしていたんですか?」
「そんな男学園にたくさんいるから…麻痺して…」
「そうですな…」

なんだか犯罪者を調べている刑事みたいだった。小ウサギはホワイトボードを見て、こんなに怖い人だったんだと黙り込む。
フロイドの友達だからなんとなくそうなんだろうとは思っていたが。彼の交友関係は同族が多いので。

「とにかく見つけ次第捕縛、その後電気椅子で良いですか?」
「この学園電気椅子あるんですか?」
「私が趣味で購入しました。これで反省すれば良いのですが…」

クルーウェルは「んむむ、」と顎を撫でた。
趣味で電気椅子を買ったらしい。小ウサギは「電気椅子って売ってるんだ」と思った。

「しかし何故このような男になったんでしょうかね。家族仲は良好なはずですが…幼少時代は不自然なほど〝健康的〟だ」
「母子家庭でしたね?兄弟はいないと聞いています。随分母親思いな仔犬だったそうですよ」
「それが何故こうなるんですか?」
「それを調べるのも私たちの仕事です」

写真の中のブギーマンは、深くフードをかぶって薄ら笑いを浮かべていた。
彼はいつも笑っている。
それが本当に怖いのであった。

「あ、あの」
「ん?どうした」
「…お、オンボロ寮に来たりしませんか?狐さん…」
「その辺は任せておけ。近寄れないようにしておくから」
「はひ」
「お前は何も心配するな。安眠は約束する」

クルーウェルは彼女を勇気づけるよう、しっかりとした発音で言った。それは信頼に足る声だった。頷いて、ココアを飲む。
その後彼女はクルーウェルから5枚のお札をもらった。どうやらこれをオンボロ寮の四隅に貼っておくと、狐は近寄れなくなるらしい。
クローゼットには一番強力なものを貰った。
彼によるとここが一番危ないらしいので。

小ウサギはチマチマそれを貼って、ひとまず安心した。クローゼットにもそれを綺麗に貼る。
これで絶対に入ってこれなくなるらしいそうだ。
なんだか幽霊みたいだわと思った。
…そういえば、ブギーマンって幽霊がいたっけ。
クルーウェルからは、「夜の間は外に出るなよ。客人が来ても決してドアを開けるな。どんな声でも、どんな形をしていても、オレが来ても開けるな」と言われた。
ロザリオも渡されれば、益々お化けと同じ扱いだ。
小ウサギはそれをちゃんとメモし、頭に叩き込んで誰も入れてはいけないと胸に刻んだ。グリムにも今日のことを話して聞かせ、決してドアを開けてはいけないと約束した。
グリムはちゃんと話を聞いてくれた。

さて安心した彼女はまさか夢の中には侵入が自由だとも知らず。今日は怖かったと思いながら、けれどこれで安眠できると思って。
お風呂に入って宿題をし、呑気な顔で枕を揉んで布団に入るのだった。
夢の中に入る隙間、クローゼットの中から爪でドアを引っ掻く音にも気がつかず。





「九条、ちょっと良い?」

夢の中。舞台は日本。
彼女は学校で、2年生のカッコいい先輩から声をかけられた。確か陸上部の、人気のある人だった。ヒサシという名前の。
彼は少し緊張している様子だ。
呼ばれた彼女は何かしらという顔をして、素直に頷いて背中について行った。

「あのさ。九条って、カレシとかいんの」
「いいえ…」
「マジか。作んねーの?モテそうだけど」
「機会がなくて…。先輩はいらっしゃるんですか」
「や、いない」
「あら」

体育館の壁沿い。
彼の話は要領を得なかった。
なんだか同じようなところをループして、単なる雑談めいたものである。小ウサギはハッキリしない男が嫌いなので、何なのかしらこの禅問答はとは思いつつ、丁寧に相槌を打っていた。

「…あんさ」
「はい」
「…ダメだっ、たらいーんだけど。オレらさ、」
「はい」
「付き合っ、てみない?お互いカレカノいないし。お試しで」

ヒサシはセットしたマッシュの髪をいじりながら言った。明らかにドキドキしていて、顔は拗ねたような表情をしている。
横顔は前髪が長くて見えづらいが、ハンサムであることはよくわかるのであった。

「………」

彼女は「はい」と自分が言いかけていることに驚く。今までワンダーランドでどんなに告白されてもフり続けていた自分が、その告白の中でも一番面白味のない、保身に入ったセリフに靡いていることに疑問を持った。
どうしてだろう。何故ドキドキするのだろ。
と、おユウは彼を見つめて困った。
彼は舞踊人形のように美しいこの女に見つめられるとどうして良いか分からないようで、照れて無意味に地面ばかり見下ろしていた。

「は、…はい。お受け致します」

彼女はどうしてか胸を抑えて、小さな声で言った。

「!」

彼はパチ!と目を見開き、彼女を見て。ズルズル座り込んで「っあー」と高い声を出す。

「緊張したぁ〜」
「…左様(そう)には見えませんでした」
「いや、するって。フツーに」
「ふふ」
「九条、顔変わんねーし。焦った」

彼氏ができた。
今まで作ったことなんて一度もなかったのに、あっさりと。
彼は優しい人だった。少年らしく体裁を気にして言葉や態度を選ぶこともあるが、それでも笑わせてくれて、必死に彼女を大切にしてくれるのだ。
今時の男の子という感じで、なんだかそれが随分懐かしい。ワンダーランドとは違う、日本の男子高校生という感じがしてホッとするのだ。

「今日一緒帰ろ。話したいし」
「はい」

小ウサギはほろほろ笑って、約束をして教室に帰った。今日はブギーマンが居ないから安心して学園生活を過ごすことができた。
朝も居なかったし、放課後になるまで彼はこなかった。このままずっと来なければ良いのにと思う。
だって怖いし。
大きいし、何を考えてるか分からないし。
何をされるかわからないし。
あの先輩は私が守らなきゃとすら思ったのだ。

けれど。

「Hey!」

帰り道。
2人で照れ照れと手を繋いで帰っている道すがら。後ろからあの男の声が聞こえた。
小ウサギは全身に鳥肌が立つのを感じて、ビクッと震える。

「ヒサシくーん!」

彼の名前だ。
カラン、カラン、カロッ、と下駄が走ってくる音が聞こえた。2人で振り返ると、向こうから嬉しそうにブギーマンが走ってくるのが見える。

「あ、…ぁっ、」

小ウサギは目を大きくして、一歩後ずさった。
ヒサシは「誰?」という顔で怯えた彼女の手を強く掴んでくれた。そのまま引き寄せてくれて、守ろうとしてくれている。

ブギーマンはハアハア息をして、無害に笑って俯き、顎の汗を拭ってから。
ス、と顔を上げた。こうしてみると信じられないくらい大きく見えた。ヒサシがヒョロヒョロして見えるくらいだ。

「Hi」

彼は袖をまくって前髪をかき上げた。
初めて見た白い腕には黒いお経みたいなタトゥーがたくさん入っていた。いつも長袖のハイネックを着ているから分からなかったけど。
珍しく、鋭い狐目が柔和に笑っていた。

「え、だ…誰?」

ヒサシが困った顔で言った。
するとブギーマンが彼に右手を差し出し、ニコ!と笑う。

「I'm Chucky. Do you wanna play?」
「…え、ぁ、ちゃっ、きー?」

小ウサギはそのセリフを聞いてゾクッとした。どこか聞き覚えのあるセリフだ。これは確か、あの殺人人形の…。

「あ、握手しちゃダメ」

彼女は止めようとしたが、ヒサシ先輩は恐る恐ると言った感じで握手してしまった。
するとブギーマンは嬉しそうに笑って、目を細める。

「ヒサシくん。オレ達死ぬまで親友だよな?」
「え?あ…。…だ、誰?」
「はは。は。は…。だから、チャッキーだよ」

会話が噛み合わない。
握手した手は音が鳴るほど強く握られていて振り解けないようだ。
真夏の田舎道、突然やってきた怪しい男。
ヒサシの顔には恐怖が浮かんできた。

「な、なんなんすか」
「遊ぼうよ」
「は、な。…なんで」
「なにって。そりゃ、オレと」
「い、いや…あの」
「親友なのに?親友だろ?」
「九条、コイツ、誰」
「ヒサシくん。遊ぼう」

ブギーマンの真っ黒の目がキラキラ光っていた。小ウサギは怯え切って、けれど。
なんとか引き締まった喉から「き、きつねさん」と小さな声を出した。

「よ、よして。か、彼氏なの。私の」
「その前にヒサシくんはオレの親友だよ」
「し、親友じゃないわ。狐さんが無理矢理…」
「遊ぼうよ。行こうぜ」
「ぇ、いや…俺」
「親友なんだから。親友は遊ぶもんだから」

話が一切通じない。
先輩は流石に慄いて、手を振り解こうとした。けれどブギーマンは肩まで掴んで固定し、顔を限界まで近付けて「遊ぼう」と言う。

「オレとヒサシくんの仲だろ」

ジーン、と蝉の声ばかり響いていた。
青い空の下、田舎道は恐ろしいほど静かである。遠くではしゃぐ子供の声がうっすら聞こえる程度で、あとは虫の鳴き声ばかりだ。

「なんだよその態度。親友にする態度じゃないな」
「ぁ、」
「死ぬまで親友だって約束したろ。なんだよ。悲しいな」
「ぇっ、あ」
「あー、ドスン」
「カッ」

ブギーマンはそう言って。
ポケットに入れていた包丁を出して、彼の首に突き刺した。

「キャアァッ」

先輩は体の中の血がどんどん増えていくみたいに顔を膨らませ、もがき。けれどそのままガクンと倒れた。
先輩は暫く生きていた。けれどブギーマンが頭を蹴るとアッサリ事切れる。
彼女は腰を抜かして悲鳴を上げた。セーラー服にも血が飛び散っていた。

「ハア…」

ブギーマンは包丁を死体の上に捨て、手をブルブル振って血を切った。
血油を纏った包丁は太陽に煌めいていた。

「チャイルドプレイ、良いよなぁ。あの人形のデザインとか。アナベルも好きなんだよ。チャッキー・アナベル・ブギーマンだったら良かったのに。あ、待てよ。やっぱチャッキー・フレディ・ブギーマンが良いや。あの爪、好きなんだよ。カッコよくて」

ブギーマンは血のついた学ランを脱ぎ、ハイネックだけになって、腕に付けていた髪ゴムで髪を結んだ。ウルフカットの髪が雑に纏まり、首の汗が見える。

「マーティンも捨てがたいけど…」

スン、と彼は鼻をすすって立ち上がった。
サッパリした顔だった。
そして座り込んだままの青ざめた彼女を見下ろし、首を傾げるのである。

「なんでしらけてんの。お前のためにやってんのに」
「わ、…わた、私の、ため」
「そうだよ」
「私のため…?」

彼女は震える腕をそのままに、目の前の怪物を見上げた。そして恐怖と哀しみと怒りに揉まれながら。夢の中の自分は大胆にもスグに立ち上がり、彼に近づくのであった。
現実であれば声も出ないであろうに。
目の前で人が殺されたのだから。

「っ狐さん、頭おかしいわ」
「そんなのみんな知ってる」
「わ、私のためですって?こんなに幸せを壊しておいて。誰が殺してなんて頼んだのよ。酷いわ。もう、か、顔も見たくない!」
「あ、ライターつかねえや…」

彼女はブギーマンの胸板をドンッ!と叩いた。しかしブギーマンは煙草を咥えてライターをカチカチやっていて、なかなか火が付かず困った顔をしていた。やっと点けば、安心した顔をして煙を強く吸い込んで空に吐く。

「も、もう、私に関わらないでよ。大嫌いよ。人殺し。き、狐さんが…」
「ハブ酒ってさ、ハブで作るじゃん」
「狐さんが、し、…死んじゃえば良かったのに!」
「ってことは…山にいる青大将で作る酒は…ブルーマウンテン…!?」
「話聞いてよ!」
「聞いた上で無視してる」

ブギーマンはワンワン泣く彼女を放置して自販機でコーラを買った。
ついでに隣にあった水を買って、怒った彼女に差し出す。

「あっち行って。大嫌い。死んじゃえ、」
「共感。」
「、…は?」
「よく昔星送りの日にさ、〝ブギーマンが死にますように〟って星に願い込められたわ。はは…は…」
「………」
「でも死ねってマイナス思考が過ぎるよな。殺すはプラス思考だなって思うけど」

ブギーマンは彼女の肩を掴んで座らせ、自分も隣に座ってコーラを飲んだ。
田んぼを見ながら、2人は並んで座る。

「もっと頑張れよ。テメェで殺せよ。自分で動かないとなにも変わらないんだからって思う」
「……」
「けど、マァ。小ウサギちゃんの頼みだから、オレが代理でみんな殺してやるよ。虫も殺せねえだろうし…」

煙草の煙がゆるゆる上がる。
彼女は沈黙して、震えながら彼を見ていた。
何を言っているのか全くわからなかった。

「た、…たのん、でないわ」
「入道雲だ。エッモ」
「な、なんなの。…なんのつもりなの」
「ハ?…それはこっちのセリフだろ」
「ヒッ」

ブギーマンはそれを聞いた瞬間、グリンと隣の彼女を振り返って言った。
その顔は笑っていなくて、明らかに怒っていた。さっきまでぼんやりしていたのに、瞳孔が開いている。真っ黒な狐の目が近付いて、首に血管が浮いている。

「なんのつもりだよ。アレ」
「へ、ぁ、な、」
「クローゼットにまで貼りやがって。誰の差し金だよ」
「く、…クロ」
「フダ。あれ、なに?苦労した。入れなくて。お前、なんのつもり?オレはな」
「、」
「逃げられるのが一番嫌いなんだよ…」

彼は一度もまばたきをしなかった。
彼女は背筋を伸ばして、目の前の彼を見て…フダ、と聞き。フダの存在を思い出す。
そういえばクルーウェルにフダを貰ったのだった。
そのことを言っているのだろう。
けれど小ウサギはなんの声も返せなかった。

「起きたら、剥がせよ。全部。わかってるよな」
「ぁ、う」
「そのせいで遅れた。ギリギリ、1人しか殺せなかった」
「ヒ」
「剥がせよ。剥がせ。剥がせ。わかったな?」
「……は、ひ」
「あ。ユリコちゃんだ」

フッと彼は突然顔を逸らし、畦道の向こうを歩いている1人の少女を見た。
その少女は小ウサギの友達だった。
彼女はカバンを持って俯き、ゆっくり家に向かって帰宅している途中。
ブギーマンはそれを見た途端、「持ってて」と言って小ウサギの唇の間に自分の吸っていた煙草を差し込み。
死体の上にあった包丁を掴み、弾かれたように走り出した。

「ぁっ、ま、待って。やめて!」
「ユリコちゃーん!」

小ウサギは動けなかった。
ブギーマンは別人みたいに笑って彼女の元に走っていき、包丁を隠しもせずにユリコちゃんに話しかけた。
ユリコちゃんは血塗れで包丁を持った男を見て悲鳴を上げ、走る。けれどブギーマンは「ユリコちゃーん!」と爽やかな声を出して追いかけ…。

「あ」

小ウサギは彼の煙草を手に持ったまま固まった。2人目も呆気なく死んでしまった。

「うーん。命って儚い。スノーマンに似ている」

ブギーマンはユリコちゃんを穴だらけにしながら顎を摩った。
ユリコちゃんは動かなかった。

「子供の頃、ショックだったなあ。スノーマンが朝起きたら溶けて死んでて。死ぬなら死ぬって言って欲しかった」
「……」

ブギーマンは包丁を持って、のろのろ彼女の元へ歩いてきた。そして隣に座り、ボソボソ喋る。

「冬になったら、スノーマン一緒に作ろうぜ。そんですぐ、土葬しような」

彼は血塗れの小指を彼女に差し出した。
彼女は何故か、その指を見つめて。震えながら小指を絡めてしまうのである。
小ウサギは泣きながら、夕焼け小焼けの殺人鬼を見つめながら。

「あ、あしたね」

と小さな声で言ってしまうのだ。
ブギーマンはそれを聞いて、暖かそうな顔をする。
…本当に、悪い夢みたいに脈絡がなくて、会話の成立しない男だった。



「はっ」

小ウサギは汗びっしょり目覚めた。
酷い夢だった。まだ心臓がドキドキしていて、心が痛い。怖い夢を見た。
今日もまた彼の夢を見た。

「………」

彼女は暫く起き上がれず、横たわったままふうふう言って心臓を抑える。
手が震えていた。…きっと昨日あんなことがあったから、怖い夢を見たのだろう。
もう朝だ。眠った気が全くしない。

「うう」

小ウサギは布団を頭からかぶって深呼吸をして、怖かった、夢で良かったと思う。
大丈夫。怖いブギーマンはもういない。
それに指輪も返し終わったから、彼とはもう関わることもない。今日からはいつもの平穏な日が続くはず。
大丈夫…と。自分に言い聞かせた。
やっと落ち着いて起き上がり、顔を洗いに行こうと思う。立ち上がってスリッパを履き、伸びをして…。

「、」

彼女は部屋のクローゼットを見て、固まった。
何故って、確かに閉めて寝たはずのクローゼットが空いていたから。
内側に丁寧に貼ったオフダが、見るも無残な姿になっていた。
無数の引っ掻き傷があって、フダは原型を留めていない。真ん中に包丁が突き立てられていて、床にはロザリオが執拗に壊されていた。
ヒステリックな怒りを感じる破壊のされ方であった。

「………」

狐の毛が布団に付いている。
小ウサギはこれを見て、暫く動けもしなくなるのであった。





「でーーきた!!」
「お、どれどれ」
「苦心した」
「いや精神に異常をきたしてるヤツしか描かないタイプの絵じゃねーか」

ブギーマンは美術の先生に頭を叩かれた。
今は美術の時間。五時間使って(日を分けながら)一枚の油絵を描くものだった。
テーマは「愛」。
ブギーマンは完成したのが嬉しくて無表情のまま突然大声をあげ、先生に見てもらって、頭を叩かれたのである。

みんなが口を開けて天使の絵とか女とかを適当に描く中、彼が描いた絵は何十ものニキビだらけのぬいぐるみの顔が溶けてくっついて塊になっているものだった。それを物凄く細やかに・美しく・彩り豊かな花たちで飾り付けてあるのだ。
凄まじく精巧で病的なまでの書き込みであった。画力はかなり高い。

「タイトルは?」
「え?無性の愛」
「怖ッ」
「どんな形をしててもどんなに変わってもどんな心でも愛するよって言う…感じ」
「深ッ」
「この絵って燃やすと完成だから燃やしていい?」
「怖ッ」
「よく燃える…」
「先生はどう成績をつけたらいいんだ?」
「はは…ハ。は…。知らん」

ブギーマンは炎魔法でその絵を燃やし、ウンウンと頷いていた。妄想型統合失調症の人が自分の中の悪夢を追い出すためにこういう絵を描いていたなあと、美術の先生は黒い煙を吹き上げながら燃えていく絵を見詰める。
ブギーマンの白い皮膚はオレンジ色に照らされ、黒目が炎でキラキラと輝いていた。

「お前はどんな大人になるんだろうな。先生今から心配だよ」
「オレ?オレは…大人になったら人にありがとうって言われるような仕事につきたいんだよね」
「怖ッ」
「人の役に立ちたい」
「怖過ぎる…。…あ、そうだ。お前さ、なんかやらかして電気椅子送りになったって職員会議で聞いたけど…どうなんだ?」
「え?やってきたけど…」
「やってきたのかよ…えっ、大丈夫だったのか?」
「大丈夫なわけねーだろ!!」
「怖ッ」
「ストレスで白髪できた」
「その程度で終わるのか」
「死ぬかと思った。スゲェ貴重な体験したわ」
「改心したか?」
「してたら社会のために自殺しとるわ。もう治らねーんだから」
「ははは」

2人はドッと笑った。笑ってから、教師はハーッとため息をつく。

「はは」

ブギーマンはこの先生が大好きだった。
優しいし話を聞いてくれるから。
ブギーマンは頭がおかしいので、あまりキチンと話を聞いてくれる大人が周囲にいない。同情の目を向けるか、恐怖するか、資料として扱うかのいずれかだった。
けれどこの先生は人間として見てくれる。
怖がるっちゃ怖がるけど。
アズール寮長のことも大好きだ。彼も話を聞いてくれるから。普通の人間と同じように扱うからだ。
この2人と友達は、自分を腫物扱いしない。
おユウは可愛いから好き。彼は明白なのだ。

「お前何やらかして電気椅子なんだ?」
「後輩にちょっかいかけた。かけ方がよくなかったんだってさ」
「何したんだ」
「なんか、ソイツがオレに指輪返しにきたんだけど。オレに直接返さねーで他のやつに返してたから。え?なんで?と思ってなんで?って聞いても教えてくれないからさ。人のいるところだと喋りづらいのかなと思ってロッカーに入って聞いたら泣いちゃったんだよね」
「お前とロッカー入ったら誰でも泣くだろうな。…マァでも暴力は振るわなかったんだろ?それでなんで電気椅子なんだ?」
「相手がユウだからじゃない?」
「監督生は絶対ダメだろ!すぐ泣くんだからあの子は。先生の間でも評判なんだから」
「可愛いよな…」
「好きなのか?」
「ウン。仲良くなりたい」
「女の子との仲良くなり方教えてやろうか?」
「いや、…これで合ってるからいらねーや」

ブギーマンは燃え尽きた絵を片付けながら言った。彼は彼女に夢通いをして、彼女の周囲の人間を殺すことが一番仲良くなれる方法だとよく知っている。
別に、彼女を孤立させて自分だけを頼らせようとか、そういう歪んだ思想ではない。ストックホルム症候群を狙ってるわけでもなかった。
これは彼女のための愛なのだ。
ブギーマンは何よりも彼女に尽くしているのだ。
今は泣いている小ウサギも最後には「ありがとう」と華やかに笑うはずである。
それは、とても、綺麗だと思うのだ。
前回彼女をロッカーで泣かせたのは単純に趣味だけど。

「タバコ吸っていい?」
「絶対ダメだけど良いぞ。先生も吸うから気持ち分かるし」
「助かった」

ブギーマンは煙草の先端をまだ燃えている部分にくっつけて煙を吐き、目をしょぼしょぼさせた。煙が目に滲みたのである。

「……」

…いつか。
いつか彼女があの畦道を幸せそうに歩くのを見たい。その隣を自分が歩いてみたいと思う。
それは何よりも嬉しいことだと思える。
何よりも優しくて、洗い立てみたいに綺麗なことだと思うのだ。

「ん」

ブギーマンはピ、と両耳を立てて、窓から顔を覗かせた。
すると外には小ウサギとエースが笑い合いながら仲睦まじく歩いているのが見えて、彼はニコ…と笑った。

「は。…ぁー、…はは」
「怖」
「愛してるよ〜〜〜〜…」
「怖…」

ボソボソした声は届かない。
ブギーマンはハハ、と笑って椅子に深く座り直した。
あの子はオレの一等賞。
ならば一番に考えるのが筋だろう、と、彼は思う。




それから、夢の中のブギーマンの殺戮は激化していった。彼の前では女も男も関係なかったのである。

1.ブギーマンは突然現れる。
2.彼は必ず彼女の前で人を殺す。
3.ターゲットに脈絡はない。
4.彼に悪気は一切ない。

分かったことはこれだけだ。
その他は何も分からなかった。
クラスメイトは日替わりで殺された。特に小ウサギと一番仲の良いグループの女の子は執拗に暴力を振るわれて殺された。
小ウサギが大好きな理科の先生も何度も殺されていた。
優しいご近所さんも「オマケ」と言って殺された。

おユウの大事な人はほとんどみんな殺されてしまったのである。
一生分の悲鳴を聞いて、一生分の死体を見た。
ブギーマンはいつも「安心しろ」と言う。
「オレがみんな殺してやるから」と。
彼女がどんなに泣いても怒ってももぬけの殻のようになっても、彼の態度は変わらない。
彼女は一度夢の中で彼を包丁で殺そうとした。結局手が震えてできなかったけど。
ブギーマンはそれを見て、包丁を奪い、恨みに震える彼女を抱きしめるのであった。

『大丈夫』
『怒ってない。オレは気にしないよ』

と優しく言って。
そして怖くて怖くて泣く彼女を見て、いつも通り低い声で笑うのであった。
彼女は彼を憎んだ。幸せを壊す彼をこれ以上なれないほど嫌いになった。
けれどこれは夢の中の話で、自分の頭が勝手に作り上げていること(そう彼女は思っている。夢通いなど知らないからだ)。
現実の彼は何もしていない。
現実の彼はただただ怖いだけなのだ。
それに関わらなければ仲間内と楽しそうにやっているだけで、害はない。

「………」

けれど彼女は参ってしまった。
毎日嫌な夢を見るというのは体力を使う。しかもいつもいつもリアルで、凄く怖い夢は時折現実で起こったことのように思えるほどだ。
クルーウェルにも相談したけれど、まさかブギーマンが夢通いをしているとは思わない彼はよほどこの前のことが怖かったんだなと気の毒に思うだけだった。
だってブギーマンは彼女を害するような真似しかしない。そんな男が彼女を熱烈に愛しているだなんて思いもしないのである。
誰だって気づかないし、可能性に気がついてもバカバカしいと首を振るだろう。
だからこの夢は解決しなかった。

『どうにも辛いなら、学校は休んでかまわん』

クルーウェルは言った。
彼女はそう言われて安心し、辛い時は遅刻して学校に行くようになった。

「小エビちゃん、大丈夫?なぁんか最近元気なくね?」
「あ…」

しょんぼりした彼女は元気を出しに、ジェイドが考案した彼女専用メニューである「小エビプレート」を食べに来ていた。
出勤していたフロイドは一生懸命しょんぼりしている小エビを見兼ねて話しかけてくれたのだ。

「なんかあったの。聞いたげる。話によっては、助けたげる」
「…た、対価は」
「…アハ。対価?えらそーなこと言ってんじゃねえよ」

フロイドは隣にドス!と座って、持ってきた自分用の水を飲んだ。

「小エビちゃんにできることなんて大してないでしょ。カツアゲみたいな真似させんな」

彼は言った。
可愛がっている後輩だからこその台詞であった。彼女はそれをカッコいいと思って、ちょっと黙ってからほろっと笑った。

「大したことではないんです。ただ、夢見が悪くて」
「夢?…なあに。こあい夢でも見たの?」
「はい。ここ最近怖い夢ばかり見るんです。嫌ですね…」
「どんな夢?」

フロイドは突然、前のめりになって聞いた。
人の見た夢の話なんて面白くもなんともないのに、何故だか興味津々という感じである。

「あ、えと…特定の方がいつも出てくるんです。その方が…その…」
「ウン」
「私の大事な人を、みんな」

殺すのだ。
苦しめて殺す。
彼女は小さな声でポソポソとその話をした。ブギーマンの名は伏せて。
するとフロイドは目の色を変え、意味もなく一瞬振り返る。何か心当たりがあって、その人物を探しているような顔だった。
けれど店内に犯人はいない。フロイドもそれは分かっている。

「小エビちゃん。その話、ほんと?」
「は、はい」
「そのせいで元気ねーの」
「はい」
「分かった」

フロイドは頷いて、水を持って何も言わずに立ち上がってカツカツと去っていってしまった。
そしてハットをカウンターに置き、ジェイドに何か話すと。
腕まくりをしながら店を出ていった。

「………?」

取り残された彼女は意味が分からなくてキョトンとした。けれど彼の行動の意味を解説してくれる人がいないので、仕方なく。一生懸命小エビプレートをもそもそ食べる他なかった。


「お前何してんの」

一方その頃フロイドは。
ブギーマンの部屋に押し入り、いきなり胸ぐらを掴んで犯人を追い詰めたのである。
ベッドで怪獣映画を観ながらゴジラのフィギュアの埃を綺麗に拭いていたブギーマンは、いきなり友達に怒られて驚き、まばたきをたくさんしてキョトンとしている。

「小エビちゃんから話聞いたんだけど。お前夢ん中で小エビちゃんの周り殺して回ってるらしいじゃん」
「ああ」
「アーじゃねーよ。お前小エビちゃんのこと好きなんじゃねえの」
「好きだけど」
「じゃあなんでホラーショーみてぇなことになってんだよ」
「好きだから」
「狂ってんのぉ…?」
「見りゃ分かるだろ」

離してもらったブギーマンは眠いらしく、両腕を伸ばして背中を逸らし、猫とか犬とかと全く同じあくびの仕方をした。
フロイドはドスッと隣に座り、微妙な顔をして彼の背中をトン、トン、と叩いて眉をしかめる。

「オレピラニアちゃんのこと信用してっけどさあ。今回意味わかんねーんだけど。口説く気ある?」
「1年。」
「は?」
「1年かけて口説くつもり」
「…は?」
「準備過程なんだよ。邪魔すんな」
「…いや進展してなくね?小エビちゃんお前のこと嫌いだよ、今。チョー怖がってるし」
「へえ。愛しいねぇ…」

ブギーマンは大好きなゴジラを磨き終わり、コトンと棚に乗せた。
全く会話が成立していない。

「どんなに嫌われてもオレは好きだから大丈夫だろ」

彼は一切自分の考えを明かさなかった。
フロイドは眉を潜め、コンコンコンッ、とブギーマンの頭、頭蓋骨をノックする。

「こん中に何入ってんのぉ?」
「前向きなオレ」
「…〝前向きなオレ〟は何してんの」
「青春」
「やべー…」
「ぃダッ、」

フロイドはいきなりブギーマンの頭をベッドの横にあった灰皿でスカァン!と叩いた。
全く脈絡のない動作であり、力強い暴力であった。

「小エビのことあんま虐めないでくんね。応援はしてるけどさぁ…」
「虐めてねえよ」
「?んぇ?虐めてねーの?」
「うん。ホスピタリティ」
「え、なんだ。それ早く言ってよお」

上記2名には人の心がほとんどない。イビツな人の心を模したものがあるばかりで、ハリボテなのである。
だからフロイドは「虐めていない」という言葉を信頼し、あっさり納得した。人情で殺してるならそれは善行だよなあと思ったのだ。
一般論ではどんな事情があろうとも乙女を口説くために乙女の周りの人間を毎日殺す夢を見させるのは明らかに異常である。
それで口説き落とされる女など存在しない。 だがフロイドはよく分かんないけど事情があるんならと納得した。

「小エビちゃん。大丈夫だよぉ」

だからフロイドは、店に戻ってすぐに彼女へ伝えた。優しく撫でながらニコニコして、小エビプレートにプリンをつけてやりながら。

「今日も安心して寝な。将来大好きになる人が出てくんだからさ」

と、よく分からないことを言って。
彼女はプリンを食べながら、不安そうにフロイドを見上げるばかりだった。





「!グリム、」

小ウサギが寮に帰り、門を開けると。
遠く、玄関で毛を逆立てているグリムと、そのグリムの前にしゃがんで何かボソボソ喋っているブギーマンが居た。
彼女はそれを見た途端サッと青ざめ、鳥肌が立つ。何故って記憶の中のブギーマンはいつも彼女の大切な存在を殺すからだ。
脳裏に走ったのは、次の瞬間グリムが刺殺される映像。

「グリムっ」
「ふな」

小ウサギは弾かれたように走り出し、玄関に大慌てで向かった。そしてグリムを素早く抱き上げ、ブギーマンを見下ろす。
ブギーマンにはなんの表情も浮かんでいなかった。ただ彼女を見上げているばかりであった。

「な、…なに、を、話していたんですか」

次に毛を逆立たせるのは彼女の方だった。
彼は大きなハサミを持っていたからだ。それが鈍い光を放っていて、シャキ、シャキ、と開いたり閉じたりしている。
それはとても恐ろしい響きなのであった。
天気は曇天模様、そのほの白い昼の明かりの中、ブギーマンの真っ黒な目だけが凶悪である。
彼女は強くグリムを抱きしめ、可憐な心臓をドクドク鳴らし、一歩後ずさった。
腕が震えていた。

「…ご。…後生です」

小ウサギは舌が震えているのを感じながら、背中に熱い鳥肌を立てながら美貌を恐怖に固めてポツリと言った。

「わ、…わたしたちに…かっ、関わらないでくださいまし…」

後生です。
後退りながら、小さな声で言った。
ブギーマンは耳をピンと立ててそれを聞いていた。無表情のまま全く動かない顔は陶器のようで、叩けばパリンといって壊れてしまいそうなほど肉感というものがなかった。中は空洞なのではないかとすら思うのだ。

「接近禁止令が出た」
「っ、」
「オレ、お前に近付いたり付き纏ったり話しかけたり触ったり誘ったり遊んだり待ち伏せしたり連絡したり関わったりしちゃいけないんだってさ」

ブギーマンは突然立ち上がる。
大きな体が急に立ち上がると、それだけで脅しになる。故に彼女はビクッ!として、顔を白くして黙った。

「でもオレ多分連絡しちゃうから、できないように電話線切っちゃった。大元を断つってヤツ」

シャキン、とハサミが閉じられる。

「いや。大元を断つならお前を殺した方が早いか。それかオレが死んだ方が早いのかな」
「あ、ぅ」
「…なんかさ、子供の頃からオレが何かしようとすると必ず周りが邪魔すンだよ。疫病神でも付いてる?それが、大元?」

シャキン、シャキン、シャキン、とハサミが開いたり閉じたりする。

「油虫みたいで最悪だよな。こびりついて取れねんだから」
「………」
「オレのこと人間扱いしないくせに人間用の法律は適用されるのかよって思った。ムカつくなぁ…」

シャキンっ、と空気を切った後、彼はため息混じりに腕を組んで壁に背中をよりかけた。大きな尻尾が壁に擦れ、サリサリ音がする。
真っ黒な彼は立っているだけで死神みたいに見えた。彼女は足が震えて、ペタンと座ってなんの声も出なくなった。

「…えーっと。なに言いに来たんだっけ…」
「キャアァッ」

ブギーマンは言おうとしたことを思い出そうとして、小指で眉をカリカリかきながら。外からやってきた大きな蛾が壁に止まったので、その方向を見ずにガァン!とハサミで蛾を突き刺して殺した。ハサミは虫を串刺しにして壁に深く埋まって、手を離せばそのまま固定される。標本みたいだった。

「あ、そうそう」
「、…ぁ、…」
「シュークリームんまかった。ありがと」
「、…?」
「じゃ」

彼はヒラ、と手を振ってスタスタ去って行った。座り込んだ小ウサギは殺されるかと思ったから、腰が抜けて立てやしない。
暫くそのまま座り惚け、黙ってグリムを抱きしめていた。

「グ。…グリム。…な、なにされ、たの」

やっと声が出せるようになって、抱きしめた彼にそう聞いた。

「べ、別に。大したことじゃないんだゾ。木の上に登ったら、降りられなくなったから…あのまっくろくろすけが降ろしてくれただけなんだゾ」
「へ」
「ここまで運んでくれたんだゾ」

ふなぁ、と彼は。
元気なさげにそう言った。

「ほ、ほんとう」
「ほんとだ」
「…何もされてないのね」
「されてないぞ」
「……」

誤解だったらしい。
彼女は強くグリムを抱きしめて、頭にキスをして暫くそのまま動かなかった。
マしかし、グリムも先刻怖い目に合った。
木から降りれなくなったのは本当だ。太い枝の上で困ったなと思っていると、ブギーマンがドンッ、と目の前に降りてきたのである。
上から。どうしてか。
彼は爬虫類みたいに感情の読めない真っ黒な目で、ハサミをシャキシャキやりながら。

『Hi. I'm Chucky. wanna play?』

と言った。
グリムは突然現れた大狐にビャッと毛を逆立たせ、流石に威嚇をした。しかしブギーマンはそんなかわゆい猫ちゃんの威嚇を見ながら、「マァ聞けよ兄弟」と首を傾けるのである。

『どこもかしこも不況だよなぁ。殺人事件のアナウンスと政治家の汚職のニュースと就職難の話題ばっか。オレの恋愛だって景気悪い。お前も景気悪そう、な、顔してるよな。みんな不幸だ』
『な、なんなんだゾ。オマエ』
『フダ』
『ふな』
『ふなじゃないよ。フダ。四隅に貼ってあるヤツ。あれ一枚剥がしてくんない。傷をつけるだけでも良い。そうしたら、対価で降ろしてやるよ。命って助け合いだから』
『で、…でもアレは、子分が…剥がしちゃダメだって言ってたんだゾ』
『でも剥がして欲しいんだよ。オレも困ってるしお前も困ってる。このまま一晩中助けてくれって鳴くのか?オレは明日、お前が転落死したニュース見んの?』
『………』
『はは…は…ぁー、…は。それも…悪くはねえな』

そういうやりとりをした。
グリムは「気が乗らないんなら忘れてくれ」と去って行こうとする彼を慌てて引き留め、降ろしてもらった。
だってこの木は普段誰も通りすがらないような場所に生えているから。ここで見捨てられてはおしまいなのである。
彼は対価としてフダを引っ掻いた。
結界はそれであっさり壊れた。

『こ、これで良いんだな』
『イナフだ。ありがと〜』

それで契約は果たされたのである。
怖い狐のお兄さんは笑っていた。それだけのことだ。キッチリ口止めをされたグリムは哀しげに黙っている。
命を助けてもらったことには代わりない。
無償で助けてくれる人間なんてこの学園にはいないから、むしろ優しいのだろうけど。
彼は言葉も態度も見た目も怖いから、悪魔とやり取りしたように思えるだけだ。

「泣くな。アイツ、もう寮には来ないって約束してたんだゾ」

よわよわと泣く乙女の頬を、グリムはサリサリと舐めた。ブギーマンは電話線を切っただけで、それ以外は何もしなかった。
接近禁止令が出てるから、もうここには来ないとハッキリ言っていた。

「怖かった…」

彼女はクシクシ泣いて、すん、と鼻をすする。

「あの人、本当にもう来ない?」

グリムは頷いてくれた。
マァ彼は直接ここに来ないだけで、夢の中には来るのだが。





「うーん、壮観」

夢の中。
小ウサギの彼氏、好きな先生、大好きな友達、クラスの男子を学校の桜の木に吊るし終えたブギーマンは、さっぱりとした汗をかいて額の汗を拭った。
キラキラしい、青春の汗のようだった。

「暑…」

彼はハイネックを脱いで、上半身裸になる。すると腕から背中、首にかけて、ビッシリとお経のタトゥーが入っていた。耳なし法一みたいに。何語かは分からない。漢字にはよく似ていた。
彼女は彼のそばに体育座りをして塞ぎ込んでいる。もう何を言っても無駄だから、黙って頭痛をやり過ごしているのだ。

「なんか降霊術みたいだな。映画で見る分には良いけど、実際やると結構汚い。皮膚とか、こんなに色変わるんだな…」

ブギーマンは暑そうに顔をパタパタ仰いで好きなだけ桜の木を見物していた。

「人って死ぬとガラクタになるけど、生きてるとこんなに可愛いの、なんで?不思議」

そして彼女を見て言う。
善性がない生き物に言葉を覚えさせるとこんなことを喋るのかという具合の羅列だった。
辻褄があっているようで合っていない。
何を言っているか常によく分からないのだ。
彼は全てのことが脳内で完結してしまっているので、こういう喋り方になる。

「泣いてる。はは…」
「………」
「いい加減慣れろよ。…マァ、そっか。そんだけ感受性豊かだから自分でできねえんだろうなあ」

座り込んで膝に顔をうずめている彼女の隣、ブギーマンはゆっくり座って首に垂れた汗を手首の内側で拭った。

「美術の授業で絵、描いたよ。テーマが愛だったんだけど。お前、何描いた?」
「………」
「オレはぬいぐるみ」
「………」
「もし立体で愛を表現するなら、オレはアレ」

ブギーマンは桜の木を指さした。
黒くて長くて鋭い爪がキラキラ輝いていた。

「覚えてて。覚えて。いつでもやってやるから。焼き付けといて」
「………」
「随分遠回りしたな。オレ、それが言いたかったんだよ…」
「………」
「安心しろよ。オレお前に何言われても気にしないから。どんな態度取られても平気だから。それも覚えてろよ」
「………」
「1人にしない。約束する。はは…」
「………」
「ふ、は。は、は、…あぁは」

彼は彼女の頭を引っ掻くように撫でた。
掌を天辺において、残りの指でカリカリ引っ掻くのだ。痛くはなかった。
怖いだけだった。
彼女は心をとにかく硬くして、黙り込み、頭の中で念仏ばかりを唱えていた。
もうたくさんだった。
おかしくなりそうだった。
何でもするからこの男を追い払って欲しかったのだ。

「愛してるよ」
「………」
「はは。言えた。緊張したなあ。意外と」
「………」
「なあ」
「………」
「〝明日ね〟って言わないと、夢から出られなくなるぜ」

そう言われて、小ウサギは。
訳もわからず「あしたね」と誰にも聞こえない声で呟いた。
すると目の前が真っ暗になって、夢はぶつ切りに終わるのだった。





「フられたーッ」

デスアダーはひっくり返って大声を出した。
鏡の間、夏めく沈黙の中で。
アレから数ヶ月が経った、昼のことである。

監督生は元の世界に帰ることになった。学園長が方法を見つけ出し、道が開いたのだ。
彼女は一も二もなく当然帰ることを選択し、昨夜お別れ会も終えたばかりである。
泣いてくれる人も多かった。
別れを惜しんでくれる人も多かった。
彼女ももらい泣きして、きっとまた会いましょうねと友達や先輩にほろほろ泣きながら別れを告げたのである。
さて、物語が完結する数時間前。
フロイドとデスアダーは、ブギーマンの恋心を知っているから。

『お前、良いのかよ。ユウちゃん行っちゃうよ』
『ねえピラニアちゃんほんとに行かないの。意地張んなよ。最後くらい好きだって言えって』

と彼に詰め寄り、無理矢理彼を引っ張ってきたのだ。彼は尻尾と腕を掴まれて運ばれ、グルグル不満そうに唸っていた。
凄く困っている顔だった。
もう少しで鏡の中に入る彼女はブギーマンを見てギョッとし、一歩下がって隣にいたデュースの背中に半分隠れるようにした。
それに対して、何も言わないブギーマンに対して痺れを切らしたウツボが。

『小エビちゃん。コイツ小エビちゃんのことずっと好きだったんだって。なんか、言ってやって』

と言ったのだ。
ブギーマンは「おおやめろ照れるだろ」とフロイドの頭をスッ叩いた。けれど友達の恋が叶わなくて落ち込んでいるフロイドとデスアダーは本人よりも必死である。

『………』

彼女はそれを聞いて。
ジッとブギーマンを見つめた。
周囲にいた人間も黙っていた。2人が見つめ合っているのを固唾を飲んで見守っていた。

『私は』

彼女はしかし目を逸らし、辛そうにまばたきを二つして声を飲んでから、息を吸って。

『私は嫌いです』

と細い声で言ったのである。
デスアダーがひっくり返ったのはそれが原因だった。フロイドは「あーーーーやっぱり」と高い声を出して頭を押さえ、ジェイドによわよわ寄りかかって「あーーあ」と誰よりも煩くなった。

「み、見送りに来なくて、結構ですから」

彼女にしては物凄く強い拒絶だった。
それほどブギーマンは再起不能なほど嫌われているのだ。
けれど当の本人は「は」と喉を揺らして笑い、尾を一振りするばかりだった。

「きゃっ」

そして落ち込むどころか、めげるどころか、そのままズカズカ彼女へ歩き。
肩を強く掴んで顔をギリギリまで近づけて、「大丈夫」といつも通り言うのである。

「大丈夫だよ。気にしてない。…覚えておけよ。嫌われてもオレはお前を嫌いにならない。オレも気にしないから、お前も気にするなよ。いいな?」
「おい、やめろって」
「安心しろ。罪悪感なんて覚えてくれるなよ。何度も夢に見たろ。思い出せよ。覚えろよ。それだけ持って、元の世界に帰れよ」
「ステイ!ブギーマン!」
「お前、晴れがいい?雨がいい?」
「……、」
「答えないなら、どっちもだな。いいぜ。はは」
「おいっ、」

ブギーマンは他の男達に取り押さえられた。
彼女から引き剥がされて、部屋からズルズル摘み出されようとされている。
彼は腕を押さえられ、引きずっていかれながら目だけはシッカリ彼女に向けていた。その顔には喜悦がうかんでいた。

「好きだ。負けんなよ!オレが要らないなら、それでもいい!」

扉に差し掛かれば、ブギーマンは壁に長い爪をたててなんとか留まろうとして声をかけた。
彼女は真っ青になってデュースにしがみ付き、声を聞かないようにする。

「応援してるぞ。死ぬなよ。行くからな。負けんじゃねぇぞ!!」

顔だけで笑いながら、訳のわからないことを言われるのだ。
それを最後に部屋から引き摺り出され、部屋には最悪の沈黙だけが残るのだった。

「お前だけは1人にしない!」

廊下から薄く聞こえた大声は、呪いの言葉だった。彼女はその恐ろしさ・おぞましさ・嫌悪にワッと泣き崩れる。
けれどやっと彼から解放されるなら、もう良いと思えるのだ。小ウサギはそのまま友人に抱きしめられ、励まされながら、ワンワン泣くのであった。

もう彼には2度と会いたくなかった。





おユウは無事日本に帰った。
目が覚めたのは病院のベッドである。
驚いて辺りを見まわせば、父が見舞いに来ていた。

彼女はどうやら、三日間の間行方不明だったらしい。道端で倒れているところを警察に発見され、意識が戻らないため病院に運ばれたそうだ。
体は無傷。
発見当時、彼女は〝奇妙な〟制服を着ていたらしい。
奇妙な、と申せば。それはナイトレイブンカレッジの制服である。
つまり、彼女の長いワンダーランドの旅は、日本で言えばたった三日間のことになっているらしいのだった。

「ユウ、大丈夫か」

父は言った。
誰よりも自分を心配してくれて、自分を愛してくれる父は彼女の意識が戻ったことを心から喜んだ。強く抱きしめてくれて、どこか痛いところはないか聞いてくれた。
彼女は「戻ってきたのだ」と強くそこで自覚し、父を抱きしめ返すのであった。

さて日本に帰ってきてから一週間。
彼女は自宅で養生していた。警察は事件の可能性を考えて彼女に色々聞きにきたが、「何も覚えていない」と首を振り続ければやがて諦めてくれた。
彼女は誰にもあの世界のことを話さずに自分の胸に留めておくことにしたのだ。
きっと誰も信じてくれないし、心配されるだろうから。
けれど思い出を忘れたくなくて、養生している間はワンダーランドのことを細かく書き出してみた。
どんな人がいたか、どんな人が友達だったか、どんな魔法があったか。
どんなことが起こったか、どんな世界だったか。
…ブギーマンのことは、意図して一切書かなかった。彼女にとって一番忘れたい記憶だったからだ。いずれ風化してくれるのを願う。
自分が持って帰ってくるのは、楽しい記憶だけで良いのだから。

父は彼女を心配して、彼女が「平気よ、もう大丈夫」と言っても家で休ませた。
「医者からも安静にさせるように言われた」と言って、「眠っていて良い」と彼女を寝かしつけようとするのだ。
彼は愛娘が元気なのを知っていても心配でしかたなかったのだ。まだショックが残っているかもしれないし、何も言わないだけで本当は怖い思いをしたかもしれないと思って。
彼女も父のその心を知って、取り敢えず安静することにした。家の中に1人でいるのも暇だから、たまにこっそり外を散歩したけど。

やっぱり慣れ親しんだ日本語が外に溢れているのが嬉しかったし、ご近所さんとお話しできるのも嬉しかったから。
優しい田舎は人の距離が近くて、彼女の噂はすぐに知れ渡った。周りは会うたび心配してくれて、彼女は「平気よ」とニコニコするのである。

…そして日本に帰ってきてから二週間。
父はやっと彼女が学校に行くことを許した。
「少しでも具合が悪くなったら帰ってきなさい」と約束させて。

学校とは、彼女が行くはずだった高校である。
彼女は入学式の日に行方不明になり、倒れ、二週間も高校を休んだのだ。
みんなが新しい高校に通っている間。
一年A組、「九条ユウ」の席は常に空席だった。
だからそのブランクを早く埋めなければならない。勉強にも追いつかなければならないし、友達も作らなければならないのだ。

クラスメイトと顔合わせもせずに休み続けていたから、ほとんど彼女は転校生のようなものだ。
この田舎は中学の卒業と同時に越してきた場所なので、全くのまっさらであった。彼女のことを知っているのはご近所さんくらいのものである。

だから彼女は頑張らなければいけないのだ。
初めて合うクラスメイトと仲良くしてもらうために、お友達を作るために。
小ウサギはその学園のセーラー服を着て、いざ登校1日目、学校へやってきたのであった。
ドキドキしながら職員室に行けば、扱いは本当に転校生と同じだった。朝のHR中に連絡事項と一緒に紹介されることになり、彼女は廊下で自分のことを紹介されるのをドキドキ待っていた。

担任は朝の連絡事項を話す前に、彼女のことを話した。ずっと休んでいた彼女のことを簡単に、ザックリと。
そしてドアを開け、彼女を自分の隣に立たせ。

「九条ユウさんだ。お前ら仲良くしろよ〜」

と簡潔に言った。
おユウはちょっと緊張しながら「よろしくお願いします」と細い声で言って、「仲良くしてね」と彼らに言った。
教室の人間は彼女を黙って見つめ、取り敢えず自己紹介が終わったので拍手をする。
すると壁際にもたれかかって座っていた少年が突然立ち上がり、

「あ、オレ彼女いないっす。それだけ覚えてもらえれば」

と拍手の後に言った。
クラスは笑い声で満ち、「オオタニ!」「お前は絶対無理」「死んでくれ」と彼をからかう声が飛んだ。多分一番目立つグループの男の子だった。近くにいたハンサムな男の子が「言ったよコイツ」とスマホを触りながら引き笑いする。
彼女はその光景を見ながら、「あ」と思う。
だって、このクラスの人間たちは。
夢の中で見ていた人間と全く同じだったからだ。

ワンダーランドで幾度も見た、クラス惨殺事件の被害者たち。そんな彼らが今目の前にいる。
ブギーマンに何度も殺された彼らだ。
間違いない。笑っている女の子も、男の子も。
彼女はそれに驚いて一瞬固まったが…なんとか愛想笑いをして、胸がスーーッと冷めていくのを覚えながら顔だけ取り繕った。
空いている席は、いつもブギーマンと座っていた場所だった。

「なんで休んでたん?」

座った瞬間、いつもブギーマンに追い払われたり苛めたりされていた隣の席の少年が小声で話しかけてきた。彼女は一拍遅れてから、「体が弱くて、入院してたの」と返答する。
男の子はヘェ、と変に気取った調子で頷いた。

担任は連絡事項の話に戻ったが、クラスの人間は皆チラチラと彼女を振り返って見ていた。
何故って彼女が、常識から外れているほど美しかったからだ。

花弁のような睫毛が光を受け、その下の柔らかそうな瞳が火打ち石の輝きを見せていた。純白の肌は油分というものが一切ない。
真っ直ぐ腰まで降りた黒髪は少女がときめく全てを持っていて、挙動のたびに香る「蓮華升麻」の香りは少年がときめく全てであった。
まさしく白蛇のような、寒椿の乙女であったのだ。
クラスメイトはあけすけに彼女の美を褒めない。けれど誰もが彼女に見惚れていた。
窓から入る風が黒髪を靡かせれば、それはアジアの国旗のようである。
心臓を冷たい指で弄ばれるような、非道徳的な美しさであった。

当然彼女は生まれてから、輝夜姫、舞踊人形、白雪姫、九条の姫さまと呼ばれてきた。
「おユウ」と呼ばれているのもその風情ある美貌が起因する。
田舎の学園にはあまりにまばゆい、花のような鬼だった。

「九条さん、東京から来たって聞いたけど、どこにいたの」
「九条さんなんで休んでたの」
「ね、ユウちゃんって呼んで良い?名前かわいいね」

最初のうちは遠慮して近寄ってこなかった女の子たちも…昼休みになれば彼女を気にし、勇気を出して話しかけてくれた。
1人が話しかければ2人目が来て、3人目が来て、一緒にお弁当を食べてくれる。
彼女はそれが嬉しくて堪らなかった。
なんせおユウには女の子の友達が居なかったから。ワンダーランドでは男の子しかいなかったから、こうして同世代の女の子とお話できるのが嬉しかった。

「嬉しい。ユウちゃんって呼んでくれるの?」

彼女はお弁当を食べながらほろほろ笑い、しとやかに言った。その細い、涼しい声と笑顔に、乙女たちは皆「ハッ」とした顔をする。
なにせ一瞬一瞬が美しいもので、微笑まれるだけでドキドキして何を話そうとしていたのか忘れてしまうのだ。
時代にそぐわぬ洗練された仕草は浮世離れしていて、決して足も組まない品の良さは夢の中にいるようだった。
それだけで特別感は増していくのだ。

「東京でカレシとかいなかったの?めちゃくちゃモテそう」
「ううん、居なかったの。お父さんが厳しくて…」
「でもモテたでしょ絶対」
「ふふん」
「あ!やっぱり」
「冗談よ。告白なんてされたことないの」
「えーっ。うそ」
「高嶺の花だったんじゃん?」

女の子達は飽きもせず質問をしてくれた。
彼女はそれにちょっとずつ返しながら、小さなお弁当を食べる。
なんだか新鮮だった。日本の、どこにでもある当たり前の教室が。
魔法のない空間。日本語しかない場所。
これが嬉しくて、彼女は意味もなく嬉しそうにずっと笑っていた。
寂しいけれど、やっぱり懐かしくて嬉しい。
肌によくなじむ空気は暖かかった。

「越してきて、日が浅いの。よければここのこと教えてね」

隣で静かにお弁当を食べていた女の子へ優しく微笑んだ。
女の子は彼女の美貌にビクッとしてから、懸命に顔を赤くして頷いた。

彼女は一日にして、この教室の女王となったのである。



小ウサギは幸せだった。
学校が楽しくて仕方がなかった。
魔法もエースもデュースもグリムもいないけど、当たり前の日常はその寂しさへの特効薬になってくれたのである。
それになにより、ブギーマンがいない。
無限地獄の狂気が靴を鳴らしてやってくることは決してなかったし、あれから夢にも一切出なくなった。
彼女にとってそれがどんなにか知れなかった。
ずっとこんな日が続けば良いと思った。

クラスメイトは皆親切で、彼女が困っていれば一番に助けてくれる。
教師も彼女の味方だった。特に人気のある理科の先生はわかりやすく彼女を贔屓した。
産声を上げた時から圧巻の美貌で傅かれてきたこの娘に敵はいなかったのだ。
黙って大人しく授業を受けていれば、教室の少年少女は当然彼女に視線を向ける。彼女が「あらっ」と声をあげればその方向を見る。
少年は彼女が来ればわざと大きな声を出して面白いことを言い、反応を伺った。
彼女が笑えば心中でガッツポーズをするのだ。

女の子たちは都会の空気を纏った彼女に夢中になり、美容の話や恋の話を懸命に聞いた。
特にクラスで一番目立つ女の子達のグループは真っ先に彼女を友達にしたがり、一緒に写真を撮りたがった。
彼女はそんな豊かな日々の中、ブギーマンのことなどとうに忘れ果てていた。それこそが幸せであったし、これ以上のことはなかった。

そんな全てが順風満帆に運んでいた日々の中。
暖かな日溜りの時間。
それは突然風向きが怪しくなったのであった。
幸せというのは長く続かないと相場が決まっている。


「九条さんって、不思議ちゃんだったんだね」

ある日、突然隣の席の男の子に言われた。
その声には僅かな嘲笑と、柔らかな揶揄が含まれていた。
彼女は言われている意味が分からなくてキョトンとしたが、そんな中、クラスの隅で手を合わせて「ごめん!」という顔をしている少女がいた。その子は仲良しのマリちゃんという女の子だった。

マリちゃんはこのクラスで一番仲の良い子だった。
目立つ女の子グループの3番目という位置の少女で、噂好きでお喋りな女の子だった。
彼女は一番におユウに話しかけ、「ユウちゃんユウちゃん」といつも親しげに、もしくは馴れ馴れしくする子だった。
彼女はけれど仲良くしてくれるのが嬉しくて、マリちゃんとよく話したり、行動を共にしていた。そんなある日彼女はマリちゃんに誘われて、彼女の家に泊まりに行ったのである。
2人は夜中まで話していた。
化粧のこと、好きな先輩のこと、2人の恋愛観、趣味のこと、あらゆることについて。
そんな風に深い話になってきた時、彼女は。
仲良しのマリちゃんになら、馬鹿にしないで聞いてくれるかも知れないと…。

今まで誰にも話してこなかったワンダーランドのことを話したのであった。
実は入院していた間、異世界に行っていたと。
荒唐無稽な話だから、信じてくれなくても良いと銘打って。
マリちゃんは目を輝かせてその話を聞いてくれた。笑い飛ばされると思っていたユウはそんな素直な反応が嬉しくて、ちょっとずつ、けれど着実に不思議な学園生活でのことを話したのだ。
みんなには内緒よと言って。
しかしその次の日。

その話は学園中に広まった。

「九条ユウは不思議ちゃんである」という言葉がくっ付いて。
マリちゃんが話してしまったのだ。
彼女の胸の奥にしまっていた大事な真実を。
突然そんな話を信じる人間などおらず、少年少女は面白おかしくこの話を広めた。
なんせこの学園一の美女である彼女の噂はみんなが知りたいところ。
ゴシップに飢えた田舎の人間はスグに食いついていった。

彼女はどうやら異世界の男子校に行っていたという妄想を信じ込んでいるらしい。
学校は魔法使い養成所だったらしい。
そんな場所で自分1人だけが女の子で、色々困ったけど、友達もできて、いろんな先輩と仲良くなったと。
みんなイケメンで、チヤホヤされていたなんて言葉も付けられて。
これを聞いた少年少女は「電波系?」「異世界転生に夢見てるんだ」「乙女ゲームかよ」「アー、ね。そういう感じか」と面白そうに話し合い、彼女に向ける目を少し変えた。

「マ、マリちゃん。言わないでって、約束したのに…」
「マジごめん。や、なんか、ここまで広まるとは思ってなくて?ごめんって」

マリちゃんは彼女の深刻さを笑うように、軽薄に手を合わせた。
まるでジュースを彼女の服にこぼしてしまったみたいに、なんでもない日常のミスとして片付けられてしまったのである。

さて学園、欠点のない彼女の欠点を見つけて喜んだ。
別に彼女を陥れたいわけではないが、彼女があまりに美しく・しとやかで・清廉潔白であるから。あんな人間いるものかと斜めに構えている者達もあったし、誰もがそれを思っていた。
何かひとつくらい欠点があったって良いじゃないかと。
例えば嘘つきだったり、男をたぶらかしたり、その実腹黒だったり、ナルシストであったり、など。
そう思っていた彼らはスッキリしたのだ。
ああ、不思議ちゃんだったか、と。
妄想癖なのかと。
そういう欠点を持っているのかと納得し、むしろそれに幻滅するというよりはありがたさを覚えたのだ。どんなに白い人間にも黒い噂の一つや二つあった方が、周囲の人間にとっては嬉しいもの。
特に多感な時期はそうなのだ。

噂は立った。
けれど彼女は、その噂で孤立するというわけでもなかった。確かに一瞬は浮いたし、色んなところで色んなことを言われたりしたけど。
それでも彼女の城は揺らがなかった。
のだが。

ある日のことである。

「あのさ、九条って、…カレシいる?」

陸上部のかっこいい先輩から呼び出されて、そんなことを言われたのである。
この男は何度もブギーマンに殺された夢の中の恋人だった。
彼女は驚いて、「…ひさし先輩」と小さな声で呟いてしまった。よく知った顔であったからだ。

「え、オレのこと知ってんだ」

ヒサシは嬉しそうな顔をした。
知ってるも何も、と思ったが。ヒサシはまさか彼女の夢の中で何度も死んでいると思わず、ユウもまたオレを気にしていたのかも知れないと前向きに思った。

「は、はい。存じております」
「え、いつ?体育祭の時とか?」
「友達が時折話していて…いつともなく」
「マジか。なに、悪口?とか」
「いえ、陸上部に格好いい先輩がいるって」
「いや絶対盛ってるそれ」

ヒサシは体育館の渡り廊下、コンクリートの段差に座って笑った。今っぽくて、ハンサムで、マッシュの髪が目を半分隠していた。
何度も見た姿だ。
彼女はジッと彼を見つめてしまい、彼は照れて目を逸らした。明らかに好意のある態度だった。

「や、その。話戻るけどさ」
「はい」
「なんでカレシつくんないの」
「機会がなくて…そういう話はするんですけど。ヒサシ先輩はいらっしゃるんですか?」
「や、いない」
「左様ですか」

現実離れした彼女の横顔は美しかった。
憂いを帯びた姿と、優しい声と、古めかしい口調はお嬢様のそれである。実際彼女は大きな一軒家に住んでいて、舞踊を習っているらしい。
そんな清らかな乙女にときめいたこの少年は、クラクラしながら、ドキドキしながら、話を進めた。

「カレシ欲しいとか思う?」
「そうですね。一度もできたことがないから…どんな感じなのかなって」
「…あー、…えっとさ」
「はい」
「じゃあお試しで、アレ。オレと、なんつの。付き合わない?」

ヒサシはドキドキしながらそう言った。
彼女はパッと目を見開き、彼を見つめた。
デジャヴ。
やっぱり告白された。
彼女は黙って固まり、夢の中のことを思い出す。
やはり日本に帰ってからというもの、夢の中でで見たことがその通りに起こっている。
あれは予知夢だったのだろうか。
何かの警告だったのだろうか。
ということは、この告白を受けて、彼と付き合えば…。

あの恐怖がまたやってくるのだろうか。

彼女は顔を白くして考えた。
けれど、スグに否と首を振る。
自分はワンダーランドから帰ってきたのだ。あれからブギーマンの夢も見ていない。そんなわけがない。考えすぎだ。
ノイローゼになっているだけで…。

「えっと…」

青い風が吹く。
渡り廊下に日が満ちる。
ヒサシ先輩は明らかにドキドキしていて、さっきからひとつも話さない。首の動きだけで前髪を右に流し、口をつぐんで小さな校則違反のピアスをいじっていた。

「……はい」
「!」

彼女はわずかに俯いて返事をした。
あの悪夢を払拭する為に、忘れる為に。
あの男はもうこない、来るはずがないと思いたくて。ブギーマンが居ないことに安堵したかったのだ。
夢の通りにしたけど、結局来なかったと安心したくて頷いた。
よくないことだとは分かっていたけど。

「よろしく、お願いします」
「…マジ」
「はい」
「あぁあ〜〜」

ヒサシはポケットに手を突っ込んだまま仰向けに倒れ、目を閉じた。
緊張が一気に溶けたのだろう。
筋肉が弛緩していくのが見て取れた。一世一代だったらしい。
彼女はそれを見つめ、僅かに愛しいと思う。
自分のために心を尽くしてくれたのが単純に嬉しかった。

「…じゃあ、九条オレのカノジョね」
「はい」
「あー、緊張した…」
「そうには見えませんでした」
「や、絶対変な顔してたって。暑いし。暑いほんと。何度?今日」
「23度…」
「微妙!」

彼は自分の顔を擦って、あっけらかんと笑った。ハンサムな顔だった。
背が高いけど薄っぺらな体は日本人の男の子という感じがして、それが何よりも嬉しかった。
彼女はその日、彼と照れ照れ手を繋いで帰った。
夕焼け小焼けの畦道を。
幸せだった。少し怖かったけど、あの足音はしなかった。
ただ虫の声と、子供の声と、優しい田舎の音ばかりが溢れていたのだ。

「じゃね」
「ありがとうございます。わざわざ送ってくだすって」
「全然。オレの家反対方向だからちょうどいいわ」
「ふふふ」
「明日」
「はい、また明日」

ヒサシは反対方向なのにわざわざ送ってくれて、嬉しそうに手を振って帰っていった。
彼女はこの極楽を喜び、ヒサシとの甘い帰り道を反芻して今更ドキドキするのだった。

が、しかし。
どうやらこれがいけなかった。
彼女はまた選択を誤った。

「九条さん。ちょっといい?」

仲良しだった女の子グループが、ヒサシとの付き合いをよく思わなかったのである。
というのも、マリちゃんはヒサシのことが好きだった。ずっと憧れていて、いつか付き合いたいと思っていた。
ユウもそれを知っていた。仲が良かったから、恋の話になった時に彼の名前をよく聞いた。
彼女もマリちゃんとヒサシが付き合うことを純粋に応援していたし、「告白したらいいのに。マリちゃん可愛いから、きっとうまくいくのに」とすら言っていた。

しかしマリちゃんは日に日に、「やっぱりいいや」「あんまり好きじゃなくなった」と言い始めた。
ヒサシのことがどうでも良くなったと。
彼女はそれを聞いていた。だって会うたびその言葉は増えていったから。
ユウはその言葉を素直に受け取っていたからこそ、ヒサシの告白を受けたのだ。
マリちゃんがまだヒサシのことを好きだと知っていれば考えただろうが。

「マリさぁ、ヒサシ先輩のこと好きだったの知ってるよね?」

女の子はちょっと剣呑な様子で彼女を囲って言った。マリちゃんは俯いていた。
彼女はビックリして、「知ってたけど…でも好きじゃなくなったって言ってたから」と慌てて伝えた。
けれどマリちゃんは、ただ「好きじゃなくなった」と言っていただけで、心の中ではずっと好きだったのだ。
なぜ嘘をついたかと言えば、幼いプライドからだ。いつまで経っても距離は近づかず、ヒサシは振り向きもしない。
それどころか同級生の女の子と随分仲良くやっていて、その嫉妬心と…どうにもならぬ自分への絶望とコンプレックスで口走っていたことだったのだ。
マリちゃんはその実自分に自信がない。
だから綺麗な友達やかっこいいカレシで自分という人格を輝かせて見せたがる子だった。
他人で自分を彩る娘だったのだ。

「ちょっと無くない?それは」
「別に別れろとは言わないけどさぁ」
「マリのこと考えた?」

彼女は責められて、ひたすら困った。
その困った顔は、女の子たちに仄暗い喜びを覚えさせた。
彼女は女王だったから。その美しさでみんなが夢中になるほどだったから。
自分たちも夢中になって彼女を仰いでいた。そんな彼女が自分たちの言動で困っている。
彼女たちは自分たちが女王より上の立場だと思わせる優越感を覚えたのだ。

「や、別にいいけど」
「好きにしたらいいと思うよ。ウチら別にそこまでは言わねーわ」
「…ごめんなさい」
「マリに言いなよ」
「マリちゃん、ごめんね」
「…いや、謝んなし」

亀裂が生じた。
ここから、彼女の幸せ学園生活は変わっていったのであった。

まずグループ内で孤立した。
いつも通り一緒にお弁当は食べるし、一緒に行動するのだが。明らかに彼女は会話の中に入れなくなった。
廊下で歩いている時も一番後ろになったし、遊びにも誘ってくれなくなった。
元々奇数のグループだったから、体育の授業でのペア決めは孤立した。
一見仲良しに見えるけど、内情は随分変わってしまったのだ。
逆にマリちゃんは前より明るくなって、よく笑うようになった。
彼女の不幸を養分にしているみたいだった。
教室に行くのが、ちょっと、怖くなった。
彼女は今までなんの気負いもなく話していたのに、言葉を選ぶようになった。沈黙するようになった。
その姿を少女たちは喜んだのであった。

「九条、なんか元気なくね?」

ヒサシはそんな彼女を心配していた。
まさか自分のせいで孤立しているとは思っていない彼は、「なんか言われた?」と2人きりの時に気にしてくれた。

「ううん、ちょっと…友達と喧嘩したんです」

彼女は事実を言わなかった。
言っても仕方がないと思ったし、もっと悪化すると思ったからだ。

「誰と?」
「マリちゃんと…」
「いつも一緒にいる子?」
「はい」
「え、なんかあったん」
「…仲直りしたら、話しても良いですか」
「…良いけど…。無理すんなよ」
「はい」

その心配は素直に嬉しかった。
傷付いていたから、優しい言葉はよく染みる。
けれどこれもいけなかった。彼女がヒサシと仲良くあればあるほど、グループ内での孤立は確定的なものとなっていったのだ。
この辺りから彼女は、ワンダーランドのことをからかわれるようになった。
女の子が「芸能人と付き合えたらな」というようなことを言えば、必ず「ユウじゃないんだから」とのツッコミが入るようになる。

笑い話のタネとして扱われるようになったのだ。彼女はその度に曖昧に俯いて笑い、心の中で傷ついた。
なんとか隠していたが、その傷心は敏感に伝わっていたようである。
いつしかワンダーランドは彼女たちの持ちネタになって、ますますからかわれ、嘲笑されるようになった。
そしてある日。
ヒサシと、キスをした日。

どうしてかそれが伝わって、お弁当は一緒に食べられなくなった。
彼女は決定的に爪弾きにされてしまったのである。お昼の時間はいつのまにか彼女を省いた仲良しグループの女の子達だけが机をくっつけていて、最初から彼女などいないように扱った。
そのくせ彼女が白い顔で1人でお弁当を食べれば、それをチラチラ見て笑っていた。
マリちゃんは嬉しそうだった。
マリちゃんは彼女が憎くて仕方がないようだった。

嗚呼、あの奇跡のような乙女が孤立している。
あの綺麗な女が困っている。
哀しんでいる。なんていい気味なんだろう、という具合で。

そんな風に唐突に孤立したユウを、当然周囲は訝しんだ。そして周囲は「なんで九条さん1人で弁当食ってんの」と囁き合って、「九条さん、マリの男とったらしいよ」という話に落ち着いた。
「不思議ちゃん」「ビッチ」という不潔なレッテルを貼られた瞬間だった。
それから根も葉もない噂が飛び交った。
「前の学校で男を食い散らかして転校してきたらしい」とか、「虚言癖?が凄くて虐められてたらしい」とか。
彼女のそんな仄暗い噂はスグに広まり、根をつけ、葉を付けた。
もう戻れないところまで来てしまったのである。

イジメが始まったのはそこからだった。
美しい娘が困っているというのはそれだけで良い見せ物で、自分の容貌にコンプレックスのある乙女は特にそれを喜んだ。
このイジメは良い娯楽になったのである。

「………」

彼女は体操着を隠されるようになった。
分かりやすく悪口を言われるようになった。
1人でお弁当を食べているところを笑われるようになった。
あからさまに無視をされるようになった。
美しいと称賛された黒髪をからかわれ、ワンダーランドでは当たり前だった薄化粧を「男を誘っている」と言われるようになった。

学校へ行くのが怖くなった。
教室で笑い声が上がるたび、自分が笑われているような気がした。
学校がない日は心から安堵したが、外から女の子の笑い声が聞こえるとそれだけで心臓がドキッとするようになった。
クラスの男の子も女の子もなんとなく彼女に話しかけなくなって、話す人は居なくなった。
朝から放課後まで沈黙している日すらあったのだ。
そんなイジメが始まってから少し経って。
彼女はヒサシにフラれてしまった。
体裁に命をかけている彼は、「ごめんけど、色々聞いてさ。あの話なしにして」と気まずそうに言って去って行った。

付き合っていた彼は友人から色々言われてしまったらしい。「なんで付き合ってんの」とか「可愛いけどさ。顔は」とか。
「顔で付き合ってんの」だとか。
ヒサシは悪い噂を立てられるわけにはいかないので、「や、いい子だと思ったんだけど」とか「話しても全然つまんなかった」とか「スグセックスしよって誘われた。正直引いたわ」と、彼らに合わせて、彼らの喜ぶようなありもしないことを話してみせた。

こうくるとユウは「ヒサシにも見限られた」「ヒサシ先輩騙されて可哀想」と言われるようになる。
ヒサシには連絡先を全て遮断され、彼女は初めてその日、部屋で泣いた。
「そんなつもりじゃなかった」は誰も聞いてくれなかった。
ヒサシは自分も巻き込まれたくなくて、被害者のポーズをとりたくて、彼女を目の敵にするようになった。ますます彼女の居場所は無くなった。

イジメはエスカレートしていった。
彼女は昼休みに悪口を言われながら1人でご飯を食べたくなくて、人通りが少ない廊下に座ってお弁当を食べるようになった。
その時である。

「九条、そんなとこで食べてたら体冷やすぞ」

理科の先生が話しかけてくれた。
彼は優しくて面白くて、生徒に人気のある人だった。ユウも密かにかっこいいと思っていた若い先生だ。
彼は彼女を心配して、理科準備室の鍵を開けて中に彼女を招いた。そして椅子に座らせてくれて、「ここで食え」と言ってくれたのだ。

「なんか、うまくいってないんだろ。オレも昔そういうことあってさ。気持ちはわかるから」
「………」
「次からココ使っていいよ。オレに言え。他の先生には言うなよ」

先生は優しかった。
彼女は嬉しくて、ホッとして、チマチマ泣いた。ココアをくれたクルーウェルを思い出して、懐かしく思った。
理科の先生は優しく頭を撫でてくれて、「コーヒー飲むか?」と言ってくれた。
ユウは初めてホロリと笑って、「ありがとうございます」と俯くのだった。

それから本当に彼は理科準備室を貸してくれるようになった。鍵を渡してくれたり、一緒にいてくれたり。
色んな話をした。
彼女は昼休みの時間が大好きになった。
が。

「きゃっ」

そんな折。
理科の先生はだんだん彼女にセクハラをするようになったのだ。最初はセクハラかどうかも分からないようなスキンシップ。
ただ距離が近い人なのだとも思えるくらいの。
だから何も言わないでいれば、それは加速した。どんどんあからさまになっていき、最後には。

「男好きなんだろ」

と言って胸を触られた。
彼女にはもう頼る人間が自分しかいないと知っての狼藉だった。
当然ユウは彼を拒絶し、泣きながら理科準備室を出た。
怖くて涙が止まらなかった。
するとその日から、理科の教師も敵になった。
拒絶されたことに腹を立てたのか、授業中に彼女をからかうようになった。
女の子が足を開いて座れば、「九条みたいになるぞーー」とわざとらしく言ってクラスメイトを笑わせた。
教師でさえ彼女を拒絶するのだった。

ユウは心配症な父に迷惑をかけたくなくて、この一切を黙っていた。父だけには苦労をかけたくなかった。
だから家では取り繕って、居もしない友達の話や今日あったことを過剰に話して聞かせて安堵を買った。そして部屋ではジットリと黙りこみ、静かに涙を落とすようになったのだった。
悲しくて仕方がなかった。
嫌なことばかりだった。

「あいつら、ひでーよな」

けれど。
男の子たちはしばしばこのように彼女のもとにきた。
教室の中、みんなが見ている中では同じようにからかうのに。2人きりになった瞬間、周りに誰もいないと知った瞬間このように優しい言葉をかけるのだ。

「いや、オレも止めてるんだけどさ」
「あそこまで言うことないよね」

そうやってポイントを稼ごうとする。
彼女が美しいからだ。
自分だけは味方だと言って、彼女に微笑まれたかったのだろう。
けれどそんなあからさまな、脂ぎった保身の優しさなど嬉しくもなんともなかった。むしろ何よりも腹が立った。
彼女は「ありがとう」と素っ気なくいって、関わらないでおいた。すると男の子たちもプライドを傷つけられ、根も葉もない噂を流すようになった。
喋り方も仕草もからかわれるようになった。
こうくると味方が本格的にいなくなるので、みんなが見ているところでいじめられても誰も何も言わなくなった。

少女たちはこれを喜び、どこでも彼女をいじめるようになった。

「あーーごめん。わざとじゃなぁい」

早起きして作っていたお弁当を床に捨てられたのは一度や2度ではない。
靴を水浸しにされたことも、トイレで悪口を言われることも。

「あ、邪魔」

特にマリちゃんは先頭に立って彼女をいじめた。ドンッと彼女を突き飛ばし、ガムを噛みながら廊下の真ん中を歩いた。
彼女の可憐な悲鳴は馬鹿にされた。「可愛こぶってんじゃねえよ」と言われた。
「自分のこと可愛いって思ってそう」「毎日鏡ずーっと見てそう」「ウケる」「あの喋り方はなんなん」と言われた。
彼女は学校を見るたび、足が震えるようになった。
教室に入るのが恐ろしく、廊下で仲良しだったグループの子と通りすがるのが何よりも怖くなった。
再起不能になってしまった現実が怖くて、朝は起きたくなくて、明日なんて来なければ良いと思うようになる。
いつも心臓がドキドキしていて、俯いて歩くようになった。毎日が空虚で空気が重くて、苦しくて仕方なかった。


「なにそれヤバ」
「ウワーッ、ちょ、これはヤバいって」

そして。
これ以上なく心を裂く出来事が起こった。
ある日の昼休み。
彼女が大切に持っていた、ワンダーランドのノートを。少女たちが回し読みしていたのだ。
彼女が忘れたくなくて大事にしていたノート。
それを皆んなが笑いながら見ていた。
鞄の中にしまっていたのに、盗まれてしまったらしい。

「レオナって誰だよ。外人?」
「クルーウェル?デイ、なに?キャラ設定濃ッ」
「えー結構細かくね?ウケる。ここまでとは思わなかった」
「やば、待って見して。写真撮らせて」
「はいよー」
「あ!」

ノートは破られて回され、破られたページは写真を撮られた。少女たちは笑っていた。
彼女はその光景を見て、これ以上ないショックを受けて…。

「や、やめて」

回されたノートを取り上げた。
細い声を出して、必死に。
少女たちは初めて逆らった彼女を見て、「は?」と言い。
空気を一瞬で冷やしたのであった。

「え?なに。うちらが悪いの?」
「持って歩くそっちが悪くない?」
「妄想ノート持ち歩いちゃってんの普通にやばいって」

ガンっ、と机が蹴られ、彼女はノートを抱きしめてびくっと震えた。
足がカタカタ震えた。怖くて黙って俯いた。
するとその沈黙を面白く思ったのか、もしくは気に食わないのか。

「ヒサシに送ろ〜」

マリちゃんが笑って言った。
マリちゃんはあれから、彼女の根も葉もない噂を言い続け、ヒサシを慰めたり庇ったりすることで彼にとりいり、付き合い始めたのである。
なんとか仲直りしたいと思っていた彼女は、そんな心も崩壊してしまった。
初めて彼女はマリちゃんを憎んだ。
彼女たちを心から恨んだ。
大嫌いだと心の底から思った。

「、」

けれど言えるはずもなく、泣きながら帰る以外に他もない。
多勢に無勢なのだ。
みんな死んじゃえばいいのに、と思った。





彼女は学校を休みがちになった。
父に具合が悪いと嘘をついて、休む日が増えたのだ。
父は素直にその嘘を信じて仕事に行く。
安静にしておいでと頭を撫でて。
彼女はすまなそうに頷いて、家に引き篭もった。

けれど部屋にこもっていても嫌なことばかり考えるから、近くの自販機まで歩いていくと。
近所の優しかったおばさんが、「ああ、あの子」と噂している声が聞こえてしまった。

「ほら、九条さんのところの。ずいぶん遊んでたって」
「いじめられてるんですって」
「ま、ほんと」
「…!」

彼女はそんな声を聞いて、反射的に涙が迫り上がってくるのを感じた。
こんなところまで広がってるんだ!と思った。
学校にいかなければ平気だと思っていたのに。
田舎はすぐに噂が広がるのだ。
ユウは外に出るのも嫌になって、スグに家に帰って部屋の布団に篭った。
辛くて仕方なかった。
みんな大嫌いだと思ったし、死んじゃいたいとすら思った。
そしてカレンダー見て、今日が月曜日であることに絶望する。
続けてお休みなんてできない。
父に本当のことなんて言えない。

明日は学校にいかなければならない。
それがどれほど絶望的で、どれほど恐ろしいことか。
肩にのしかかる空気が肺を圧迫し、脳味噌から雪が降り積もるような音がする。
時間が進んでいくのが嫌で、夜になると苦しくて辛くて仕方なかった。
朝が来ないことばかりを願って、それでも朝は来る。

「…おはよう」

彼女は泣き腫らした目を冷やし、顔を洗って無理に父へ笑った。父は忙しいらしく、「ウン」と言って仕事の準備をしている。
何も悟られていないことに安堵し、ご飯を食べ。
ふと、彼女は家の縁側を見る。
どうしてかは分からない。
けれどこの時強烈に、ブギーマンの姿が脳裏に過ぎったのだ。

ワンダーランドにいた頃に見た夢。
ブギーマンは、毎朝彼女を迎えにきた。あの縁側に寝転がって、紫陽花の庭を見ながら。

『はよしろ〜』

とだるそうに言って。

「………」

彼女は誰もいない縁側をじっと見つめ、それを皮切りに。彼のことを次々に思い出す。
「待ってね」「すぐよ」と言って準備をし、彼のために急いだ時間を。
下駄を引きずって隣を歩く彼を。
そして教室に突然彼がやってきて、全員が黙る瞬間を。天災のように振るう暴力を。
夕焼け小焼けの残酷を。
あの恐ろしかった日々。大好きな友達や彼氏、先生やご近所さんに暴力を振るって殺し回った彼の姿を。

「………ぁ」

彼女は黒い目を震わせながら、彼の姿を脳裏に描き。忘れたかった記憶の蓋を次々開けていった。

『安心しろ。オレが代わりにみんな殺してやるから』

その言葉を思い出す。
彼女は声をなくして、縁側を見つめたまま固まった。
片目から一条の涙が落ちた。

「………」

蓮華升麻の香りが嗅ぎたくなった。
彼女はブギーマンがクラスのみんなを殺してくれる映像で頭がいっぱいになって、ひとつまばたきをする。
狐さん。
あんなに恐ろしくて憎くて、大嫌いだった彼。
そんな彼が今は脳内で何よりも鮮やかに、美しく、真夏の血を浴びて立っている。

『覚えてて。覚えて。いつでもやってやるから』

彼の低い声を思い出す。
彼女は顔を覆ってしゃくり上げた。
この時になって初めて。あの男は自分にとって、これ以上なく愛しい怪人になったのである。





「宿泊研修、いかないの?」

保健室の先生に言われた。
行かない原因は当然いじめられているからだった。彼女は一泊でも学校のみんなと居るのが嫌で、宿泊研修を辞退したがっていたのだ。
父には具合が悪いと嘘をつくつもりだった。けれど彼女が仲間外れにされていると知っている教師たちは、むしろなんとか彼女を宿泊研修に行かせたがった。
イジメを外部に悟らせないためである。

行ってみれば楽しいから、とか。
お泊まりするとこの人こんな人だったんだーとか色んな発見があって楽しいから、とか。
仲直りできるかもしれないし、とか。
そして最後には彼女に「逃げるな」と言う。
薄くて他人行儀な同情を向ける。
けれど彼女にそんな言葉は響かない。
「学校から逃げたってどうにもならない」といじめられっ子に言うドラマの登場人物を見ると殺したくなる。

「いつでも話聞くからね。話したらスッキリするよ」とか、「先生も考えるから」とか、「一度腹割って話してみようよ」とか、「学校が全てじゃない」とか、そういう言葉はなんの薬にもならなかった。
彼女には今すぐ学校がなくなるか、クラスメイトを殺してくれる人間が欲しかった。
それが1番の薬だった。
既に彼女は彼らを憎んでいて、もう仲直りしたいなんて一切思わなかった。元通りになりたいなんて思わない。

窓から投げ捨てられた自分の教科書を拾い集める時、「何かあった?」と教師に話しかけられ、見えないように足を強く踏まれて口止めをされた時、男子に嫌らしい言葉を浴びせられた時、ヒサシが仲間内に彼女のありもしないいやらしい嘘を話しているところを見た時、髪を引っ張られて転ばされた時。
みんな死ねばいいと強く思った。
死にたいとも思った。

息が吸えなくなって、胸が詰まって、楽しそうに歩く小学生の子を羨ましく思う。
駅のホームを歩く社会人を見て羨ましく思う。
会社は自分の意思で辞められるかもしれないけど、学校はどうやったってやめられない。
だから羨ましくて、線路に飛び降りたくなった。
俯いて歩くことが当たり前になった。

そして辛い時に頭の中で考えるのは、ブギーマンだった。
教室で笑われている時、孤独で泣きそうな時。
いきなり彼が教室に現れて、みんなを皆殺しにしてくれるシーンばかりを考えた。
その光景は夢で毎日見たからあまりにリアルで、一瞬妄想なのか実際に起こったことなのか分からなくなるくらいだった。

「九条、また教科書忘れたのか」

しかし理科の先生に怒鳴れるたび、現実に戻される。この男も死ねばいいと思った。
彼女が教科書を隠されているのを知っていて、みんなの前で彼女を立たせて怒鳴り続けるのだ。

彼女にとって今は、あの夢だけが心の支えだった。ブギーマンがやってくる、あの足音だけがとにかく恋しかった。
今すぐ現れて、さらってくれたら良いのにと思う。
今なら絶対に拒絶しない。
自分も殺されても良い。彼が全部めちゃくちゃにしてくれるところばかりを考え、それを望み続けるのだった。

…けれど彼女は、心から彼を恋しく思えない。
自分は散々彼を拒絶してきたからだ。夢の中で何度も酷い言葉を浴びせた。
現実でも拒否をした。
別れる時、嫌いだとハッキリ言った。
困った瞬間頼るのは浅ましく思えたし、彼もそんな自分を嫌がるだろうと思った。
彼にまで拒絶されたらもう耐えられないと思うのだ。

『大丈夫。オレは気にしてない』
『お前がどんなにオレを嫌いでも、オレはお前を嫌いにならない』
『怒ってない。安心しろ』

「………」

そして思い出す。
彼の意味不明だった言葉を。
彼女が彼を拒絶するたびに言われていた言葉を。

『オレがいらないならそれでも良い』

彼女は授業中、真っ白な顔で固まって数々の言葉を思い出した。底の方に押し込めていた記憶がふつふつと蘇り、符合していくのを感じて。

『もし立体で愛を表現するなら、オレはアレ』
『オレは良い話を持ってきたんだよ』
『罪悪感なんて覚えてくれるなよ』

「あ」

手が震え、ノートにくっ付けていたペンがミミズ文字を作る。でもそれに構えないくらい、記憶の方が大事だった。

『応援してるぞ。死ぬなよ。行くからな。負けんじゃねぇぞ』

『お前だけは1人にしない!』


「…あぁあ、」

震える声が出た。
反射的に涙が出た。
やっとわかった。彼の言っている意味がやっと繋がった。
全部が綺麗に整頓されて、顎が震えた。
彼は彼女の大事な友達、彼氏、好きな先生をいつも殺した。
それはのべつまくなしに見えた。けれど今考えてみれば、自分に嫌がらせをしていない人間には見向きもしなかった。
彼は彼女が憎んでいる者ばかり殺した。
彼女に酷いことをした者ばかりを狙って暴力を振るっていた。
嫌なことを言ってくる隣の席の男の子も、嫌な噂をする近所のおばさんも、みんな。

「……狐さん、」

お腹が震えて、涙が止まらなくなった。
彼は全てを知っていた。知っていて殺し続けた。「お前に頼まれた」と言って。
彼女に拒絶されるたび、「気にしてない」と言い続けた。彼女が全てを知って、本当に困った時素直に頼れるように。
「大丈夫だ」と言い続けたのだ。罪悪感なんて覚えてくれるなよと。

「え?泣いてね?」
「やば」
「悲劇のヒロイン気取りかよ」

泣いている彼女を見て、クラスメイトはギョッとした。けれど彼女はあの蓮華升麻が愛しくて、恋しくて、今すぐ来て欲しくて、周囲のことに構っている暇なんてなかった。

確かに彼は頭がおかしい。
それにしたってやりすぎだ。
でも彼だからこそやってくれる。
連れさらってくれるだけではなく、キッチリ復讐までしてくれる。
アレ程残虐な彼であるからこそ叶えてくれる夢。
みんな死んじゃえ、と思う甘い夢を。

「………」

彼は「行くからな」と言った。
それは叶うかどうかもわからない。
だって世界を跨いで来れるはずなんてないのだ。
…でも。
ハッキリ言った。
彼女の目を見て、「行くからな」と。

「きつねさん」

あんなに会いたくなかった彼に、今は誰よりも会いたかった。現金な女だと言って良いから、突き飛ばされたって良いから、謝りたかった。
やっとわかったと伝えたかった。
彼女はクシクシ泣いて、泣きながら教室を出た。

セーラー服に涙が滲んだ。





「……」

彼女はスンスン鼻を鳴らして泣きながら、とぼとぼ歩いた。鞄も持たずに勝手に学校を出ていって、勝手に早退した。
このまま家に帰るのも嫌で、けれどどこに行って良いかも分からない。
だから畦道を歩いて、自分の家を通り過ぎて…彼がいつも帰っていった道を歩いていった。
その道は山に向かう道。
暗くて人がいなくて、民家なんてないような場所だ。

とにかく1人になりたくて真っ直ぐ歩いて、おユウは木々の密集した小道にたどり着いた。
緑色の鬱蒼とした場所を歩いていくと、階段が見える。木で作った簡単なものだ。
こんな場所があったんだと思って登っていくと、そこにあったのは。
小さな稲荷神社だった。

赤い鳥居と、二頭の狐。
そして寂れた祠があって、中には薄汚れた鏡があった。鏡には緑色の森がぼんやりと浮かんでいる。

「……すん」

彼女はそれを見て、嗚呼、彼はいつもここから来ていたんだと思った。
そしてここに帰っていたんだと。
蝉時雨の中、山の麓。
小さな祠の前で、彼女は黙って手を合わせた。
やっと泣き止んで、階段に座る。
美しい山の風景を見ながら膝を抱いた。

狐さんはどんな気持ちだったんだろうと思う。
どんな気持ちでいつもこの階段を下って会いに来てくれていたんだろう。
彼はこの景色を毎日見ていたのだ。あの下駄でカラコロ降りて行ったのだろう。
詰襟を着て、暑い夏の中。
私だけに会いに来てくれた。私の願いを叶えるために一日もかかさず。

「…狐さん、ごめんね」

誰にも聞こえない声で言った。
祠を背にして座り、風を浴びながら。

「……。…会いたいわ」

涙で滲んだ声は誰にも届かない。
鳥と虫の鳴く音が反響しているばかりで、誰も答えてくれなかった。あの特徴的な笑い声が聞こえることもない。
蓮華升麻と煙草の香りがすることもない。
彼女はあの愛しい屠殺者を思い浮かべ、鳥居にもたれかかって目を閉じた。

「今度会ったら、拐ってね」

足を伸ばし、ずっとそこにいた。
蚊に刺されたけど、ここから離れたくなかった。

「…きっとよ」

ごめんね。
彼女はそう言って、疲れて少し眠ったのであった。





「好きだねえ」
「ぇ、あ」

コンビニ。
彼女はいつもいるおばさんの店員さんにそう言われた。一瞬何のことか分からなくて返答に詰まったけれど、スグに言われた意味がわかった。
彼女はここ最近毎日シュークリームを買っている。これは自分で食べず、あの稲荷神社にお供えしているものだった。
おばさんは毎日彼女がこれを買っていくので、随分好きなんだなとほっこりしている様子だ。

「はい。好きなんです」
「ふふ」

会話はそれだけで終わった。
けれど彼女はフッと顔をあげて。

「あ、あの。お父さんが吸うんです。あの煙草も買えませんか」
「え?」
「あれ…あの、黄色いの。今日ないって言ってて…お使いで…。ライターも。…いけない?」

ポソポソ小さな声で言えば、おばさんは彼女をあっさり信用して「ピース?」と言ってそれを買わせてくれた。随分キツいの吸ってるんだねと言葉付きで。
彼女は何度もお礼を言って、ピースと言われた黄色い煙草を買った。
これは確か、彼がいつも吸っている煙草だった。多分これであっているはず。
彼女はそれを持って、自分用の水を持ってあの神社に向かった。

そしてシュークリームとライターと煙草をお供えして、手を合わせる。
彼の好きなものはそれしか知らなかった。
煙草にいたっては合っているのかも分からないけど。
手を合わせ終われば、やることもなくなる。
けれど彼女はなかなか帰らず、彼が来ることばかりを祈って座り続けた。
…時間が経つに連れて興味を惹かれて、煙草を一本だけ拝借した。
どんな感じなのだろと火を付けてみる。
けれどなかなか火はつかなくて、あれ?と思う。

「…?…。あ!」

お父さんもブギーマンもクルーウェル先生も、確か咥えて付けていた。空気を送り込みながらじゃないとダメなのかも。
そう思って緊張しながら煙草を咥えて火を付けてみた。ちょっとだけ吸ったり吐いたりすると、あっさり火は点火する。

「…ぁ…」

その匂いはブギーマンの香りと酷似していた。
田んぼを見ながら吸っていた匂いと同じ。
彼のカーディガンから香ったのと。全く同じとはいかないが、物凄く似ていた。
香りというのは不思議なもので、香った途端に様々を思い出すものである。
確か彼はラムネを欲しがっていたっけ。売ってないの、と言っていた。
けれど結局ないからコーラを飲んでいた。
今度ラムネを買ってこようと思った。

あの時は命乞いシュークリームだったけど、今度はお供えシュークリームである。
彼がクリームをボタボタこぼしながら食べていたのを思い出した。
一枚くらい写真を撮っておけば良かった、と思う。彼の顔を忘れそうになるから。
今はどうしているだろう。フロイドさんと、コモンくんと楽しくやってるかな。ワンダーランドでいつも通り過ごしてるかな。
私のこと、忘れちゃったかな。
…会いたいなあ。
夢の中でも良いから。

思いながら煙草が燃焼するに任せた。消えそうになれば息を送り込み、燃え尽きれば、彼がやっていたように踏み潰して消し、土がついてぺしゃんこになった吸殻を持つ。

暗くなればとぼとぼ帰って、家に戻った。
煙草の匂いはできるだけ消して、フンフン匂いをかいでチェックする。多分大丈夫だとわかればお夕飯を作って、父を待った。
いつも通り彼女は、風鈴の音を聞きながら。

明日なんて来なければ良いのにと思った。





彼女は中休み、「ブギーマン」について調べるようになった。
本を買って、自分の席で1人本を読む。
ブギーマンの「ブギー」とは、「恐ろしい幽霊」を指す言葉なのだそうだ。
形を持たない幽霊らしい。
悪い子供を拐いにきたり、罰したりするそうである。
クローゼットやベッドの下から出てきて、子供を拐うそうなのだ。

だからクルーウェルはクローゼットを警戒したのか、とわかった。
彼はクローゼットからやってくるのだろう。
たまに彼は「拐う」と言う。それもここからきている。
フロイドは「絞める」。
デスアダーは「噛む」。
ブギーマンは「拐う」。
なるほど、明快だ。

けれど彼はたまに「遊ぶ」とも言う。
それは彼の名前であるチャッキーからきているのだろう。調べれば調べるほど物騒な男だ。
彼女は真剣に、うちにクローゼットはないから、押し入れにシュークリームをおけば良いのかしらと思った。
そしたら押し入れから出てきてくれるかしらと。
なんだかそれだとドラえもんみたいになっちゃうかも、と思って。
ちょっとだけ笑いを堪えた。

…そんな風に教室で孤立し、凛と背筋を伸ばして本を読む彼女は美しかった。
触り難く、声をかけがたく、いじめられているとはまさか思えぬほど遠い上位の存在に見えたのだった。
もちろん少女たちはそんな彼女が気に食わない。なんだかんだ言いながらも見惚れている男子にムカついてしかたなかった。
だから。

「何読んでんのー」
「っ、」

そう言ってマリちゃんは、飲んでいた水を彼女の頭をかけたのだった。
バシャバシャッ、と音がして、水は髪の上を滑って落ちる。彼女の黒髪が束になった。
本はずぶ濡れになって、めくれなくなるほどだ。
セーラー服が濡れて透けた。
大人っぽい下着がクッキリ見える。
少女たちは「いったねー」「ウケんだけど」「やーめーろって。どしたマリちん」と暖かな笑い声を上げたのだった。
彼女はピシッと固まって、その声を聞いた。

「………」
「〝カントクセー〟だいじょぶ〜?」
「トイレ行ったら。鏡見てきなって」
「化粧直してきなよ。男釣れなくなるよ」
「つかさぁ、コイツ別に大してかわいくなくね」
「あ、言っちゃう?それ」
「フツーにブスだろ」
「アハハハハ、言った!」

少女たちはスマホをいじりながら、彼女を見ずに言った。マリちゃんはけれど、こちらを見てハッキリと「ブス」と言うのである。
彼女はそれを聞いて。ブギーマンの本が台無しになってしまったのを見て…。
最後の心の拠り所がまたしても破壊されたのを見て。

「───ブス?」

といって、その氷のような美貌をマリちゃんに向けるのであった。
彼女のこめかみに青筋が浮いていた。怒りで青ざめていた。
束になった黒髪と、睫毛が、一度見たら忘れられないほど美しいものだった。
美女の剣幕は何よりも恐ろしい。
笑っていたマリちゃんは、彼女の顔を見て蝋燭の炎が消えるように、フッと表情を失うのであった。
教室にピンと糸が貼ったような、そんな沈黙が流れる。
怒った姫様の存在感はそれほど強烈で、たじろぐほどであったからだ。

「ブス。…驚いた…」

細い声で彼女は言う。
まばたきもせずにマリちゃんを見つめたまま。
マリちゃんは黙っていられないくらい美しい彼女の顔を見つめていた。目が離せなかったのだ。
体が固まって動かせなくなった。
空気が全く変わってしまったのだ。

「自己紹介かと思ったわ。貴女、不器量だもの」

彼女は静かな声で言った。
教室によく響く声だった。
寒椿の乙女の手の甲には血管が浮いていて、白雪の肌は怒りでどこまでも白い。

「っ、」

おユウは立ち上がって、ハードカバーのその本をパタンと閉め。無表情でマリちゃんの元まで歩いて行き。

「キャあっ」
「うおっ」

思い切りマリちゃんの横っ面を本でぶっ叩いたのであった。バコォン、というか、パァン、というか、とにかく凄い音が鳴った。
マリちゃんはあまりの勢いに座り込んだ。教室には小さな悲鳴が響き、しかし一瞬で静まり返る。誰もが中途半端に立ち上がりかけたまま停止しているのだ。
マリちゃんを見下ろす彼女が神のような美しさであったからだ。

「自分の心配でもなすったらいかが。不器量な上性根も悪いと、嫁の貰い手がなくなる」
「、い、つ」
「遠慮しないで泣くと良いわよ。ブスでも弁が立てば庇ってもらえるから」

マリちゃんは泣かなかった。
頬を抑えて黙り込んでいる。彼女は失望した顔をして、「つまらない女」と言って本をゴトンと落とした。
そしてセーラー服を大胆に脱ぎ、ブラジャーとスカート姿のみとなる。
これにもワァっと声が上がった。
皮下脂肪のない細い腹と、大きなバストは見たこともないほど豊かであった。小ウサギはビチョビチョになったセーラー服を細い腕に引っ掛け、黒髪を一つに結んで。

「次は殺すわよ」

と言って教室を出て行った。
ゾッとするような殺気であった。
教室は彼女が出て行って一瞬経ってから、大騒ぎになった。九条、とうとうキレた、と。
彼女はその歓声とも恐怖ともつかぬ声を背負い、ずぶ濡れになって歩きながら。廊下で通りすがる少年少女がギョッとした顔でこちらを見るのを視界の端で捉えながら。

「………」

殴れたけど、殺せなかった、と思う。
これだときっとただ悪化するだけだ。次からは自分が暴力を振るわれる番になるだろう。

「…大元を断つ」

ブギーマンの言葉を思い出した。
思い出したけど、できるわけもなかった。
途方もないことに思えたし、人生がめちゃくちゃになる。お父さんを悲しませるし、思いついたってできやしない。

「………」

大事な本だったのに。
嫌なことを忘れさせてくれる本だったのに。
彼女は皮膚に流れていた水が乾いてくるのを感じながら、目も眩むような怒りを持て余して歩いた。
死ねはマイナス思考。殺すはプラス思考。
ブギーマンがそう言っていた。
言い得て妙かもしれない。
けれど現実はそこまで明快にはできていない。

薄ら目に涙を溜め、赴いたのは保健室。
躊躇いなくドアを開け、息を飲む保険医に。

「…濡らされてしまったんです。ジャージを貸してて頂きたくて」

と簡素に伝え、ソファに座った。
保険医は慌てて頷き、とにかく彼女に毛布を被らせた。

「あ、あなた、その格好で歩いてきたの?」
「はい」
「どうして」
「濡れたから」
「だからって、」
「着るものをくださる。風邪をひきます」

自暴自棄になった彼女は、まともに取り合わずに言った。保険医は保健室を出て行き、ジャージを彼女に手渡した。
彼女は黙ってそれを着て、濡れたセーラー服を持って教室に帰った。
教室は彼女が帰ってきた途端静まり返り、腫れ物を見るような目でチラチラとこちらを見た。
そのまま帰ると思ったのだろう。
意外だったのは、女子のグループが何も言わなかったことだ。

けれどやり返されるかもしれなくて、それが怖かったから。
彼女は黙って、ボーッとする頭で。
筆箱からハサミを取り出し、シャキン、と空気を切った。授業中はずっとハサミをシャキン、シャキン、と鳴らしていた。
これもブギーマンがやっていたことだ。
あれは恐ろしかった。だからこうすれば、きっと何もしてこないだろうと思ったのだ。
案の定誰も何も言わなかった。
教師も、誰も彼女を見ようとしなかった。
鬼火のような美貌の彼女が、無表情でハサミを鳴らしているのが恐ろしかったからだ。

「………」

おユウはその中途半端な態度が物凄く気に食わなかった。本気で殺してやりたいと思った。
あれだけ散々言っておいて、私が言い返すと途端黙るんだ、とも。
マリちゃんは被害者みたいな顔をして、一切こちらを振り返らなかった。
一度殴られたくらいで怒っていた。

シャキン、とハサミを鳴らして、ハサミを置く。彼女はそれ以上ハサミを触らなかった。もう十分だと思ったからだ。
なぜ私がこんなに怒らなきゃいけないんだろう、と思う。何故私がマリちゃんのせいでいろいろ考えなくちゃならないんだろうとも。
思い出が詰まったノートも破かれて、居場所も奪われて、いわれのないことでからかわれて、転ばされて踏まれて、どうして?と。

彼女はもうたくさんだと思って、黙ってホームルームを過ごして帰った。
誰も話しかけてこなかった。
けれど、帰り際。
ローファーを履いている時。
クラスの目立たない女の子2人が恐る恐るやってきて。

「く、九条さん。すごかったね。今日」

と話しかけてきた。
俯いて、メガネを直しながら。
おでこにできたニキビの群を前髪で隠しながら、こわごわと。

「スッキリした。カッコ良かったよ」
「あのさ。今日一緒に帰らない?ずっと話してみたくて…」

そう言われて、小ウサギはキョトンとして、カチンときた。
この女。のこのこ出てきて何を今更。ずっと教室の隅で笑っていたくせに。汚らしい噂を喜んで言いふらしていたくせに。
…と、彼女は。普段なら思わないようなことを思って、目を細めた。
延々胸の中で揉んできた恨みのせいで、見方が歪んでしまったのである。

「、わ」

彼女はスッと手を伸ばし、眼鏡の太った女の子の頬を触って…女の子の顔が真っ赤になるのを見て。
何か酷いことを言ってやろうとしたが…やめた。
喋る気力もなかったからだ。
黙って靴を履き、無視して学校を出る。

そして家に帰ってセーラー服を乾かしながら。
脱衣所でドライヤーを生地に当てながら、堰を切ったように大泣きした。
いつの間にこんな風になっちゃったんだろうと。
今はもうとにかくワンダーランドに行きたくて仕方がなかった。あれほど望んだ日本での学園生活は何よりも苦痛である。

「わぁあん」

しゃくり上げて目を強く閉じた。
全部が嫌で、みんな嫌いだ。

「ずび。ぐす。うう、」

涙は拭わなかった。意味がないからだ。
ただ一つ思ったのは、今日は神社に行けなかったと言うことだ。
行きたかったのに。お願いだから邪魔しないでよ、と思った。
朝を呼ぶ太陽が憎くてたまらなかった。




「……」

聞いただけで心臓がバクバク言うようになった目覚まし時計が鳴った。
彼女はそれを哀しげな目で止めて、晴れた空を見て、苦しげにため息をつく。
やだなぁと思う。それとセットで死にたいと思った。
昔は死にたいなんて思ったことなんてなかったのに、日本にやってきてから死にたいなんて慢性的に考えていた。
のろのろ起き上がって、黒髪をとかす。
顔を洗って準備をして、朝ごはんを黙って食べ、セーラー服を着た。

「…お父さん」
「ん?」
「学校行きたくない…」
「具合でも?」
「具合は悪くないの。行きたくないの」
「わがままを言わない」

お父さんは彼女が面倒くさくて行きたくないのだと思って、頭を撫でた。
彼女は暗い瞳で撫でられ、目を閉じる。
いじめられてるから行きたくない、と言おうかと思ったけど。やっぱりお父さんの優しい顔を見ると言えなかった。
男手ひとつで育ててくれたのだ。これ以上苦労はかけたくなかった。
これから彼は出張なのだし。

「うん。そうね…」
「今日は暑い。気を付けろよ」
「うん」
「…何かあったか?」
「ううん。眠いの」
「……そうか」

お父さんはクッと眉を潜めて彼女を見つめたが、やがて彼女が笑うから、納得して「じゃあ、行ってくる」と家を出て行った。
お父さんは出張で、一週間は帰ってこない。
家の中に1人になった彼女は、季節外れのセミがまだ鳴いていて、まだまだ暑い外を恨めしげに見つめた。

昨日、マリちゃんぶっちゃった。
なんて言われるかな。机捨てられてるかも。
教室に入った瞬間連れて行かれて殴られるかな。やだな。
怖いなあ。学校行きたくないな。
みんな友達がいていいな。おはようって言える人がいるの、羨ましい。
彼女は何度目かもわからないため息をつき、哀しげに靴を履いた。鞄を持って、重い足を引きずって蝉時雨の中を歩く。
汗が背中を滑り落ちた。外はサウナみたいで、しけっている。
みずみずしい青空が素肌を焼いた。
嗚呼、どこまでも一人ぼっちだ。

「………」
「あの子、教室で脱いだんですって」
「嘘でしょ」

回覧板を回しているおばさんがヒソヒソ話した。彼女はもう何も思わず、死刑台に上がる気持ちで足を進める。
いつもの狸の置物の前を過ぎ、不幸への畦道をしとしと歩いて行った。
嫌だなあ。死にたいなあ。
何にもしてないのに。
なんでこんな風になるんだろう。
学校、お休みになってないかな。

そう思いながら俯いて歩いていると。
ポッ、と空から雨が降ってきた。冷たい水滴が腕に落ちたと思えば、地面が水玉模様になり。
ザーーッとザンザン降りが田舎を濡らすのであった。

「あぁ…」

せっかく乾かしたセーラー服は濡れた。
彼女は頭の上に鞄を乗せ、なんてことと思う。
今日の天気予報は晴れだったのに。
空は明るいのに。天気雨なんてついてない。
隠れる場所もなくて、学校へ走るしかない。
けれど走って行きたくもなくて、生きたしかばねみたいに無気力に立ち尽くした。
今日は最悪なのね、と思い。恨めしげに彼女は天気雨に打たれる田んぼを見て。

「あ」

と、一つ言った。

『お前、晴れが良い?雨が良い?』

いつか、彼にそう言われたことを、突然今思い出したからだ。

『答えないなら、どっちもだな。いいぜ』

確かにブギーマンはそう言った。
「どっちもだな」と。
全く言っている意味がわからなかったけど。もしかしたら、どっちもって。
天気雨のこと?
天気雨って、確か、狐の嫁入り……。

「………」

彼女はこれに気がついた途端、ゾーーッと鳥肌が立つのを感じた。天気雨の中で突っ立ったまま、黙って山々を見つめる。
まさか。いや、でも。思い過ごしかも。
でも。

──カカ、ココ、カロン。

「!」

立ち込めたのは、なまめかしい蓮華升麻の香りだった。
背後から聞こえたのは夢にまで見た足音だった。
彼女はビシッと固まって目を見開いた。
まさか。まさか、と。そんなはず、でも。
そんな言葉ばかり考えながら、振り返ろうとすると。

「はは…は……はぁ」

と。
あの悪夢の笑い声が聞こえた。
彼女は反射的に涙を浮かべ、ガバッと振り返った。
すると、畦道の遠く。
焦がれに焦がれた大狐が、詰襟を着て、下駄を履いて、歩いてくるのが見えた。

チャッキー・ブギーマン。
会いたくてたまらなかった男。
私の愛しい怪物。

「……ぁ」

彼女は鞄を落とし、振り返った格好のまま彼を見つめ。ヒョロっと手を上げられたのを見て。
全身に鳥肌を立てたまま。
涙をこぼして、脳からシーンという音が聞こえるのを感じながら。
わなわなと手が震え。

「……あぁあっ、」

弾かれたように彼に向かって走った。
雨水をローファーで弾きながら、一生懸命彼のもとへ走って行く。黒髪がヒラヒラなびいた。
眉を寄せ、半分泣いた顔で走る。
会いたかった。心から会いたかった。
ずっと願っていた。それが今、お天道様の気まぐれで叶ったのだ。

「狐さん!」

ブギーマンは彼女が走ってくるのを見て、自分もまた彼女に向かって走ってきてくれた。
バシャン、バシャン、と大雨を下駄で弾きながら、泥で黒いズボンを汚しながら走ってきてくれる。
間近に近づいたその大きな体へ、小ウサギはピョンっと飛び跳ねて胸板にダイブするのだった。

「きつねさん、」

彼の体は大きくて、硬くて、きちんと実体があった。触った途端現実なのだと分かる力強さだった。
濡れた詰襟の感触と、金色のボタンが目の前にある。走ったせいで少しだけ荒くなった心臓の音がドクドク聞こえて、本物だ、と思った。
蓮華升麻の香りも、煙草の香りも、雨の香りもする。恋焦がれた匂いがして、小ウサギはグリグリ胸板に顔を押し付けた。
背中に太くて骨張った腕が回り、グッと抱き寄せられる。

「あ、」

彼女のほっぺは彼の頑丈な体に潰された。
信じられないくらいそれが嬉しくて、涙花がほろほろと溢れる。
喉が詰まり、迎えにきてくれた、本当に拐いに来てくれた嬉しさに涙ばかりが出ていた。
頭が痛くなるほど嬉しかった。
彼の背中にまわした手で強くしがみつき、強く目を閉じる。
あんなに大嫌いだったのに、今は離さないで欲しかった。小ウサギはンビャ!と泣いて、そのままちょっと間息を詰まらせていると。

「おそい"〜っ」

と言ってアーンと泣いた。
ブギーマンはそれを聞いてピンッ、と片耳を立てる。

「おお、ごめんとかありがとうじゃねえんだ」
「ずっと待ってたのに、ずっ、うえぇん。ま、待ってたのよ。遅いわ」
「厚かまし」
「もっと早く来てよおぉ」
「……」
「えーん」
「かわい」

雨がだんだん上がって行く。
天気雨はスグに去って行くのだ。
太陽は雨の輝きを照らし、キラキラと輝く。ブギーマンの黒い詰襟も光った。
彼女は片足も彼の足に巻きつけ、肩に腕を回して彼の体によじ登ろうとした。けれどブギーマンは一切手伝ってくれなかった。
真っ黒の目でただ見物しているだけだ。

「あうっ」

小ウサギは苦戦しながら抱っこしてもらおうとよじ登ったが。ぬかるんだ地面に足を滑らせ、べシャン!と地面に尻餅をついた。
セーラー服が泥で汚れた。

「うええん」

彼女はもっと泣いた。
ブギーマンはそれを見て、「はは…泣いてる」といつも通り泣いてる姿を面白がるのだった。
残虐色情家だから、彼女が泣いていればなんでもいいのである。
なに、彼はいじめっ子から助けてくれるヒーローではなくて、もっと凄いいじめっ子なだけだ。
目には目を、という具合で、いじめっ子にはいじめっ子なのである。

「ほら」

ブギーマンはやれやれと手を差し伸べてくれた。小ウサギはスンスン泣きながらその手をつかもうとしたが。すんでのところで彼がフッと手を上に上げてしまい、掴み損ねてまた転ぶ。

「!い"ーっ」
「はは…は」
「いけず!」

今度は怒りで細い声をあげ、ドンっ!とブギーマンの太腿の辺りを叩いた。
この男に情緒というものはないらしい。
感動の再会とか、そういうのはあんまり関係ないらしかった。
こんなところまで来て小ウサギをいじめるのである。小ウサギは座り込んだまま赤い目を擦ってしゃくり上げた。
するとそれを好きなだけ笑いながら眺めていたブギーマンがやっとしゃがみ、視線を合わせる。

「、」

彼女はスン、と小さく鼻をすすって彼を見た。
彼は両耳を立て、濡れた髪の隙間から、真っ黒の濁った目でこちらを見ている。

「どうして欲しい」

低い声が言った。
唇の端はわずかに吊り上がっていて、その顔は人間の女の肉だけを食って生きてきたみたいだった。
セミの声の中、小ウサギは目をちいこくこすりながら見つめ返し。
黙って学校の方向をピッと指さした。

「狐さん」
「応」
「みなごろしよ!」

丸っこい声で彼女は言った。

「はは…」

ブギーマンはそれを聞いてゴキ、と首を鳴らして立ち上がった。
彼女も立ち上がって泥を払う。

「良い女…」

そのまま「Ok.」と言って、カラン、カラン、と歩き出すのであった。
彼は歩きながら詰襟を脱ぎ捨て、中に着ていたブラックのハイネックもむしるように脱ぎ捨てた。黒いタンクトップ一枚になり、お経みたいなタトゥーが走る肌を晒して髪を一本に結ぶ。
小ウサギは慌てて隣をついて行きながら、それを見つめた。
ポケットからメリケンサックを取り出して拳にはめる姿も。「はは…ぁー」と笑う嬉しそうなハンサムな横顔も。

これを見て、物凄くワクワクした。
夢の中で何度も見た殺戮劇が今から起こるのだと思うと、喉が乾くほどときめいた。
爪先から登ってくるような高揚に頬が赤くなって、ブギーマンのズボンを掴んで隣を歩く。
大嫌いだった学校への道が清々しかった。青いトンネルみたいな空が応援してくれているような気がして、おユウはほろりと笑う。

「終わったら、ラムネ飲みましょうね」

ブギーマンはその言葉に、ゆらりと大きな尻尾を一つ揺らしてくれた。
同意の証だろう。





「どうなの、今日くんの?」
「や、流石に来ないでしょ」

一方、学校に居るマリちゃん達はおユウの席を見て言った。
マリちゃんはプライドを傷付けられて怒っていた。今度あの女にあったらただじゃ済まないとも。もしアイツが学校に来たら、あの顔をめちゃくちゃにしてやると思った。あの黒髪も踏みつけてザンバラにしてやるとも。

「マジアイツムカつくーっ」
「よしよし。痛かったね」
「うーっ」

マリちゃんは派手な女の子に抱きついて高い声を出した。女の子達は優しく彼女を慰め、「マジ調子乗ったな、アイツ」と言う。

「どーする?」
「とりあえず全裸土下座」
「やるかねー」
「は?やらせるっしょ」
「やば、ユリ本気じゃん」
「怒ってるー」

少女達は笑い合い、それを聞いていた男達は他人行儀に「怖。」と呟いた。
いつも通りの教室、いつも通りの非難。
開いた彼女の席。
いつも通りやってくる教師。

「九条…はいないか。誰かなんか聞いてないか?」
「知りませーん」
「ねーせんせー聞いて。ウチアイツに叩かれたんだけどぉ」
「なんだ喧嘩したのか」
「喧嘩じゃねーし…」

ひまわり咲く夏。
雨上がりのぬるい教室。
うちわがわりに仰ぐ下敷き、誰かの貧乏ゆすりの音。かわいい筆箱と化粧品。シーブリーズの匂い。湿った床に擦れる、ゴム底のキュリっとと言う高い音。

そんなどこにでもある日常の1ページ中。
廊下から、キュ、キュ、という小さな靴音と。カラン、コロン、という足音が聞こえた。

「んぇ?」

マリちゃんが、まさかあの女が来たのかなと顔をあげる。女子グループも廊下の方を振り返った。小さな足音は聞き覚えがあったからだ。
優しい、しとしとしたその歩き方は。
絶対に彼女だった。少女達はダラーッと椅子に座ったまま、スマホを持ったままドアを見つめた。

「来んのかよ」
「はは」

あの女の顔を見たくて。
どんな顔でやって来るのだろうと思って。
そう思って見ていたのに。


「コンチハーッ」


バァン!と凄まじい轟音を立ててドアが開き、入ってきたのは。
九条ユウではなく。
大柄な、狐の耳をはやした凶悪犯だった。
全員がキョトン、として彼を見る。
教室が沈黙に満ちた。
タトゥーだらけの外国人だ。ハンサムな顔立ちはボサボサのウルフカットと、どろっとした目で台無しになっている男。
そんな男が当たり前のように入ってきて、声が止まる。

「、」
「おはようございます」

そんな男にくっ付いて入ってきたのは、おユウだった。びしょ濡れで泥が足についていて、困った顔でスカートを払っている彼女。
来ないと思っていたのに、本当にやってきた。
いや、それよりも。

「…誰だ、」

担任が言った。
いや、正しくは言いかけた。
しかしそれよりもブギーマンの方が動きが速く。

「あー、ズドン」

そう言って彼は空を蹴った。
すると下駄が脱げ、教師の鼻面にガツンッ、と当たる。

「みぃ"っ」

凄い音が鳴って、彼は黒板に頭を打ち付けて崩れ落ち、失神した。

「手応えアリ」

ブギーマンは一発で決まったことにグッと拳を握った。小ウサギはそれを見ながら、慌てて教室のドアを閉め、鍵をかけた。
誰も逃げられないように。

「よし」

キチンとドアを閉め終わった彼女は満足そうに言った。その瞬間だった。

「わぁあっ、」
「なにっ、なにっ、なに!?」

教室は悲鳴に満ち、クラスメイトはみんな立ち上がってガタガタ机や椅子を鳴らしながら後ずさったのである。ブギーマンを中心にして、波紋みたいに。
小ウサギはそれを見て、「ごめんね」と言いながら歩いて行き、教室の前のドアも閉めて鍵をかけた。

「狐さん、これで良い?」
「イナフだ。good job」
「ふう」

一仕事終えた彼女は、教壇に座った。
一段高いところに座り、後はショーを見るだけ。ブギーマンは「はは、は…」と物凄く嬉しそうに笑って教室の人間を見回し、首をさすって。

「サイコーの気分だ」
「キャアァッ」

と、低い声で言いながら、彼はすぐそばにいた男の髪を掴んで壁にズドン、と叩きつけた。彼の全力は凄まじく、男の子はそれだけでほとんどの歯が無くなった。

「はは…」

ブギーマンはもう一束の下駄を飛ばして男の腹に命中させ、嘔吐させる。
少年少女はキャアキャア悲鳴を上げてドアにしがみ付き、逃げようとする。けれどカギは魔法で固定されており、どんなに揺らしても開かなかった。

「っばいって、ヤバイって!やばいって!速くしろよ!」
「なんっ、あ、な、」

一気にパニックになった教室はカラフルな声で満ち、おユウは教壇の上で女の子座りをしてそれを見ていた。

「迷うな…はは…人が多いと嬉しい気持ちになる…」

ブギーマンはそれに構わず、嬉しそうに魔法で女の子の髪を燃やしたり、女の子の顔を抉るように殴ったりした。
腰が抜けた女の子が壁沿いに座って絶叫する。
いつも通りの教室に現れた非日常は思ったよりも映画っぽかった。

「うわあぁ、うわあ」

悲鳴をあげる男の子が胸ぐらを掴まれ、全身を硬直させた。ブギーマンはヘラヘラした顔を近づけ、目を細めた。

「知ってる。オマエ、アレだろ。隣の席のヤツ…。名前なんだっけ…」
「アマノくんよ」
「アマノくん」

ブギーマンは頷いて、「アマノくん」と言いなおした。顔を近づけて。

「アマノくん。上と下どっちが良い?」
「は、ひ、」
「上と下どっちが良い?」
「ひ、ひ」
「どっちもか。綺麗にできるかな」

ブギーマンはうーんという顔をして、マジカルペンを取り出して彼の体を二つにした。
人間にはまずできない所業である。
血が飛び上がって飛び散って飛び降りて、教室は一気に赤くなった。

「あ、ひでぇ匂いだな…」

場所が悪かった。腸は嫌な匂いを出す。だからブギーマンはやれやれという顔で窓を開け、彼の体を外に捨ててピシャッと窓を閉める。

「誰かファブリーズ持ってない?」

彼は耳をへたらせ、鼻にシワを寄せながら言った。
答えるものは誰もいなかった。



「苦心した…」
「楽しかった?」
「楽しかったー!!」
「良かった」
「スポッチャとかにコレできねぇかな…絶対売れるのに…」

ブギーマンは教室の椅子に足を広げて座り、気持ちよさそうに煙草を吸っていた。おユウはその隣に座って、ハンカチで彼の顔を拭う。
彼のことはもう全然怖くなかった。
血に塗れても、随分な匂いがしても、夢の中で何度も何度も何度も体験したから嘘みたいに平気だった。彼女はすんなりこの教室に溶け込み、ブギーマンのいろいろなもので汚れた顔を一生懸命拭うのである。

「腕痛え…」
「湿布貼る?」
「あとで」

教室は静まり返っていた。
みんなもう一生立てない体になっていた。もしくは死んでいた。
ブギーマンの目の前には全裸の女が4人土下座していて、ブルブル震えていた。
ブギーマンはそのうちの1人の頭に片方のかかとを乗せ、煙を天井に向かって吐いている。
この4人は小ウサギを先頭に立っていじめていた少女達だった。

「だいぶ満足した」
「いけません。まだヒサシ先輩と理科の先生が残ってます」
「明日でいいだろ…」
「明日やろうはバカやろうよ」
「オレそれ嫌いなんだよなぁ…」

ブギーマンはメリケンサックをはめたまま、長くて黒くて鋭い爪でカリカリ頭をかいた。

「で?これどうする?」
「んと…」
「友達に戻る?」
「えっと…」

彼女は少女達を見下ろして、困った顔をした。
あんなに殺してやりたかったのに、床に這いつくばって泣いている彼女達を見て随分心が満たされたのである。

「別に腹破ってちんぽ突っ込んでレイプしてもいいけど…」
「嫌」
「あ、そ」
「あのね狐さん」
「はい?」
「私ね、この子にブスって言わりたの」
「おお…言わりたか。親不孝だな」
「?親不孝」

黒狐は片耳を立てたり寝かせたりして、自分の手の甲をザリザリ舐めた。

「ルッキズムは良くない。」
「まともなこともおっしゃるんですね…」
「は?」
「ううん」

ブギーマンは常にまともなことを言っているつもりだ。頭がおかしいから。
だからそれはおかしいと指摘されると理解ができなくて話が縺れる。ので、小ウサギは早々に辞退して首を振った。

「ハサミある?」
「?うん」
「裁縫セットは?」
「あります。いつも持ってるの」
「ん」

聞かれて、彼女はハサミと裁縫道具を彼に渡した。彼はシャキシャキそれを開けたり閉じたりしながら持って、うん、と頷く。

「なになさるの」
「整形。顔、綺麗にしてやろうと思って」
「整形…」
「終わったらこいつらとプリクラ撮りに行こうぜ」
「うん」
「仲直りが一番だからな…」

彼は煙草を踏み潰して消し、立ち上がってマリちゃんの髪を掴んだ。

「言っとくけど、スゲー痛いぜ。でも喚くなよ。喚かれるとテンション上がって殺しちゃうから」

ブギーマンは顔を近づけて言った。
マリちゃんは失禁していて、歯を震わせながらユウを見た。

「ユッ、…ゆ、…ゆ、ちゃ」

何を言っているかよく分からなかった。
小ウサギは許しを乞うようなその目の意味が分からなくて、マリちゃんの顔を蹴飛ばした。
人を蹴ったのは初めてだった。

「莫迦が喋るな」

生まれて初めて乱暴な言葉を言った。
多分、最初で最後だった。物凄くスッキリして、視界が晴れるようだ。
ブギーマンは「おお…」と言ってびっくりする。
彼女はできるだけ彼の前では可愛こぶっていたいと思ったので、「映画で見たの、今みたいなの」とあわてて付け足した。
すると彼は「なんだ」という顔で頷き、作業に戻るのであった。

「別に言い訳しなくていいのに」





「ヒサシくーん!」
「ゎっ」

2年生の教室。
B組。ヒサシのいる場所。
1時間目、現代文。
授業内容、夏目漱石、「こころ」。

そんな教室に突然入って来た、血塗れのセーラー服の乙女と異世界からやって来た殺人鬼。
物語の予感のする闖入者は、思うよりも快活に登場する。

「…え?」

静かな教室に入って来た大柄な男はニコニコ笑っていて、物凄く機嫌が良さそうだった。
皆んながそんな彼を驚いた顔で見ている中、乙女はドアを閉め、鍵を閉めた。

「あ…」

国語の、女の先生が忘れ物に気が付いたみたいな、無防備な声を出した。
教室にいる少年少女は鮮やかな無音を出してその男を凝視している。小ウサギはそれを見て、人ってやっぱりびっくりするとこういう態度をとるのねと思った。

「ヒサシくーん」
「ぇ、え、」

いきなりやってきた正体不明の大柄な男は、カコッ、カコッ、と血が滲んだ下駄を鳴らしながら一番前の席に座っている彼のもとにまっすぐ向かっていった。
ヒサシはビクッとして、彼が近づくたびに「えっ、」「えっ」と言って立ち上がろうとする。
その男の黒髪は血で固まっていて、肩や首にも乾いた血がべったりついていた。手と顔だけは異様に綺麗で、きっと洗ったのだろうと分かる。
真夏の風が吹いてくる教室、蒸し暑い空気の中、血の匂いと蓮華升麻の香りがした。
男は何故か大きな獣の耳と、尻尾を付けていた。奇妙なコスプレかと思ったけど、それは本物みたいに反ったり片方だけ微妙に動いたりしている。

「ヒサシくん」
「、」
「マァ、座れよ。急ぐ話じゃないんだ」
「……」
「ヒサシくんは人間がそそっかしいな。そんなに急ぐと、深い穴に落ちるぜ」

男は奇妙なことを言って、ヒサシの肩にドンッ、と腕を引っ掛け、隣の空いた席に座った。
ヒサシには彼の言葉が日本語に聞こえた。けれど実際に彼が喋っているのは英語であり、魔法で翻訳されているだけだ。
おユウはそれを後ろからぼんやり見つめていた。
なんだか狐さんが日本の学校にいるの、凄く変だわ、と思いながら。夢の中で何回も見たはずなのに、現実だとやっぱり奇妙だ。

「あ、あの」

国語の教師が辛うじて声を出した。
しかし男はシ、と唇に指を当てて沈黙を促し、ヒサシと会話しようとする。
ピコ、と彼の片方の耳が立った。

「初めましてオレチャッキー。チャッキーくんって呼んで。親友になろう?幸せになろう。」
「……」
「同じ女の子を好きになった仲だろ。ヒサシくんとオレは親友になれるはずなんだよ。共通点があると、仲良くなれるって言うし…」

風が吹いた。
白いカーテンが光を纏って揺らめいた。
女の白い足みたいに眩しいひらめきである。
ブギーマンはその白い光に照らされながら、カチン、と煙草に火をつけた。後ろの席の、机の上に置いていた水を勝手に取って飲みながら、黒板を見る。
教室は沈黙で満ちていた。

「オレ達、ちょうど同い年だし。ヒューマンじゃないけど、男ってところは同じだ。こんなにおんなじところがあるのに、仲良くなれないって方が不自然な話だな」
「…ぁ、」
「ユウちゃんのどこを好きになったの」

彼は教室の後ろに立っている彼女を、顎で一瞬指してから言った。
同い年には間違っても見えなかった。
それほど体格も、顔つきも、全く違っている。

「オレはあんまりキッカケとか思い出せないんだよね。カッとなったとでも言えば良いのかな。殺人衝動に似ている…」
「………」
「マァ、動機って大体衝動だよな。理由なんて全部後付けだよ。知的生命体が笑っちまうよな。生きることって反射なんです。生理的なものに理由を付けたから人類は進化するんです。だから今日は晴れなんだよ。ところで、オレたち友達になれる?」
「〜〜〜ッ」

全く意味がわからなかった。
怖い人だ。
言葉が通じないタイプの人間だということは今のだけでもよくわかった。

「オレと一緒に居て楽しい?」
「…な、…なん、なんで、おれ」
「え?会話が下手なヤツだな。今のはハイかイイエでしか答えられないだろ」
「……な、ちょ」

ヒサシはだんだん頭が働いてきて、やっとパニックになることができた。助けを求めるように周りを見廻し、そして小ウサギを見る。

「く、九条、なん、この人、なん、なん。誰」

彼は背もたれを力強く掴んで、限界までブギーマンから離れながら言った。ブギーマンを見たり彼女を見たり忙しく顔を動かしながら。
小ウサギは「誰」と言われて、ちょっと困った。狐さんをどう紹介して良いか分からないからだ。

「!…」

ブギーマンはそんな中ピンと耳を立て、彼女をジッと見つめていた。何かすごく期待しているような、ソワソワしているような、かわゆい反応で。
彼女はそれを見て彼の求めている言葉を正しく理解し、頷いてヒサシを見た。

「…私の好い人」
「、」
「か、かれぴなの」

迷いなく言った。するとブギーマンは、スパァン!と自分の膝を叩いて「ッシャアァ"ッ」と大声を出す。
彼の薄い唇から煙草の煙がモロッと溢れて、教室の一部が白くなった。
彼女は言ってから今更ジワジワ照れて、自分の指を触って窓の外を見た。恥ずかしくてもうその方向を見られなかった。
求められているからなんとなく言った言葉だったのだが、改めて言葉にすると現実感が襲って来てダメなのだ。この後どう狐さんの顔を見て良いか分からなかった。
彼と付き合うなんて考えてもみなかったのに。
どうしよう。恥ずかしい。
咄嗟に口走ってしまったけど。

「……あ、べ、別に…告白したわけじゃないのよ。その、…そんな…違うの」

撫子は真っ赤になって、みんなの前で言っちゃったと思いながら黒髪をもそもそ右側に流しながら言い訳じみたことを言った。

「え、」

ブギーマンはそれを聞いた途端目をしょぼしょぼさせた。撤回されたことがショックだったのだろう。そんな顔をされると、彼女は。

「あ、う。…お、お付き合い…こ、これからする人なの。きっと…」

そうなんとか咄嗟に付け加え、毛先をいじいじ照れ照れやった。ブギーマンはそれを聞いて勝ち誇ったような顔に戻り、いきなり立ち上がった。

「ぅおっ」
「いや。親友になれると思ったけど、やっぱり無理だな」
「、」
「元カレピと今カレピはお互いに心証悪い。喧嘩になる。喧嘩って嫌いなんだよ、後片付けが面倒くさいから。だから大元を断たないといけないわけ」
「ぇ、あ」
「でっかいコンパスの耐久性を調べたい。」

ブギーマンは幸せそうな顔をして黒板の横の戸棚にかけられた数学教師が使うコンパスを手に持った。黒板用の大きなものである。
ついでにおっきい三角定規も持って、ヒサシを無理やり立たせた。

「……かれぴ」

それどころでないおユウはドキドキドキドキして、自分の滑らかな頬をさすって眉を下げている。
花弁のようなしっとりとした質感の肌はわずかに汗をかいている。

「あー、ゴキン」
「ウワァアッ」
「キャーッ。キャーッ」

おユウは彼とそういう関係になるなんて考えたこともなかった。
だってどんな方なのかもちゃんと知らないし。
…付き合ったら、どんなお話をするのかしら。
どんな風に一緒にいるんだろう。
一緒に学校に行ったり?手を繋いだり?
キスをしたり?…彼氏?狐さんが?
ど、どうなのかしらそれ。い、一緒に寝たりするのかしら。尻尾を触らせてもらえたりするのかな。

「ぁあは、は、…はは、」
「あーっ。ああわあっ。助け、」

彼の好きなものも知らないし。
キチンと話したこともない。なんだかずっと一緒にいるような感じがするけど。
ど、どうしよう。お父さんになんて紹介したら良いのかな。
どういう関係になるんだろ。
仲良くなれるのかな。緊張してきた…。

「ガッ」
「てか、今何の授業?授業にちなんだことすればよかった。お洒落にいきたいよなあ、何事も」
「ぉっ、ご」
「教科書借りるわ。…あー、夏目漱石?」
「がぎゃ」
「…私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである」
「グ」
「キャーッ。あぁあ」

お弁当作ったら食べるのかしら。
部活は何をしてるの?普段は何を?
好きな詩は?どんな映画が好き?…私のこと、どうして好きになってくれたのかな。
いつからだろう。
話したこともないのに。
あ、ど、どうしよう。うまく話せなくなるかも。

「私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ先生と言いたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない」
「すいません、すいません。すいませ、許して、」
「私が先生と知り合ったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった」

…いえ、大丈夫。
さっきと同じようにすれば良いのよ。
まだ完全に決まったわけじゃないし。
向こうが普通なんだから、私もきっと普通でいられるはず。
ふう、緊張したわ。
そうよ。なにも意識することなんてない。
大丈夫…。……。
き、狐の交尾って人間と同じなのかな…?

「ごめんなさいごめんなさい、かかっ、関わりませんから。関わりません。くっ、ぅっ、九条さんには、もう、」
「暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした」
「お願いします!おねがいしばずっ」
「ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った」
「九条!九条、なんとか、九条、言ってくれよっ」
「あー、ゴチン」
「ロッ」

おユウはもうヒサシなんて見ていなかった。
頬を両手で挟んで眉を下げ、ドキドキと空想にふけっている。みずみずしい窓の外を見て黙していた。
頭の中は彼との逢瀬でいっぱいであり、これから先どんなおつき合いになるのだろうという期待と不安で可憐な心臓を働かせているのだ。
ヒサシはずっと彼女に向かって助けてくれと叫んでいた。ブギーマンは低く、よく通る声で朗読をしながら、「仕事」を続けている。

「ごべん。ごめん、九条、ごべんっ」
「ヒサシくーん!」
「ヒッ」
「写真撮ろう」
「…へ、は」
「記念写真だよ。人生は一瞬一瞬が真剣勝負だから。真剣なヒサシくんを撮っておきたいんだよ。一緒に撮ろうぜ」
「……」
「ほら。ピース」
「、」
「はよ笑え〜〜……」

ヒサシは人生最期の写真を撮った。
ブギーマンはこの写真をホーム画面に設定しながら、大事にしようと思う。
そして、特に何も言わずにヒサシの睾丸を踏み潰した。

「ふう」

グッと伸びをした。耳は寝て、尻尾はピンと立つ。

「小ウサギちゃん」
「……」
「?ユウちゃん」
「!……。…あっ。あ、うん。なあに?…ごめんなさい、考え事してて…」
「終わったよ」
「わ。…おっきいコンパスが勝ったの?」
「勝った。思ったより強ぇな。人体が弱いのか?」

彼女はブギーマンの元へ歩いて行き、ちょっともじもじしながら隣に立って顔を少し見てから、ヒサシを見下ろす。
ヒサシは獣のような声を上げていて、顔はのぼせたみたいに真っ赤だった。
ハンサムな顔立ちは、面影が一切なくなっている。

「はは…は…ぁ」

ブギーマンはその様子を動画に撮ってへらへら笑った。あとでフロイドに送って、この動画でアフレコをやってもらおうと思った。
彼はそういう大喜利が得意だから。こういう動画を送って「ボケて」と言うと、毎度泣くほど笑えるアフレコ動画になって返ってくるのだ。
フロイドは打率の高い男なのである。

ヒサシは喚きながら、彼女を見上げた。
美しい姫さまを。こちらを見て微笑んでいる、愛しい女を。
けれど彼女は決して助けてはくれなかった。ただこちらを見て、

「あまり面白い命乞いではありませんね」

と言うだけだった。
ヒサシは絶望した。

「よし。じゃ、最後。理科の先生どこ。高野先生だっけ」
「どこかな…。…あの、先生」

おユウは床に座り込んでいる国語の先生の前にしゃがんで、「高野先生がどちらか、分かりますか」と困った顔で聞いた。
国語の先生は物凄く時間をかけて、知らないと言った。2人は顔を見合わせ、「職員室に行きましょう」と話し合う。

「お邪魔しました」

ヒサシは痛みで嘔吐していた。
ドアを開けて2人で廊下を歩いていくと、教室から悲鳴のような泣き声がしたのだった。彼らがいなくなった安堵からだろう。

2人で歩いていくと、職員室は騒然としていた。廊下に顔を青くした先生が何人か立っていて、こちらを見て表情を無くしている。
ブギーマンとユウが何をしたか知っているのだろう。この学校で今なにが起こっているか知っているのだろう。

「丸井先生ッ、シャッター。シャッター閉めてっ」
「あっ、あ」

2人の姿を見た教師が怒鳴った。
1人の体育の先生が、さすまたを持っていた。
ブギーマンは黙ってスタスタその方向に向かって行き、だんだん早足になって、ガンガンガンと下駄を打ちつけながら猛然と走っていった。
そして、

「ヨッ」

さすまたの分かれ目の部分を強く蹴った。

「ご」

すると、さすまたの持ち手が体育の先生の体に押し込まれ、貫通する。どういう怪力を持てばそんなことができるのか全く分からないやり方だった。
この先生もいやらしく彼女にべたべた触ってきていた男だった。あんなに大きく見えた彼は、地面にマネキンみたいに座り込んでゴボゴボ咳みたいな音を口から立てていた。
多分、時期に死ぬだろう。

「コンチワーッ。高野センセーッ」

ブギーマンはそう言いながら、快活に職員室に入っていった。
デスクの上に乗って室内を見回し、「高野センセー!」と何度も言う。
小ウサギはふうふう言いながらそれを追いかけ、職員室に入った。すると理科の先生は校長室に逃げ込もうとしている最中で、ドアを掴んでいる格好のままこちらを見ていた。
ブギーマンは消化器を引っ掴んで彼の元へ走っていき、髪を掴んで床にドスン!と仰向けに転がした。
その上に馬乗りになり、「Hi!」と目を大きくして言った。
先生は絶叫した。

「狐さん、なになさるの」
「人体実験」
「なあにそれ」
「粉末消化器は薬剤の主成分がリン酸アンモニウム。人体にはほとんど害がない」
「はい」
「けど、中身全部吸い込んだらどうなるの?死ぬの?」
「成る程、理科の実験ですね」
「そう。教えて、高野ハカセ」

理科の先生は彼女と正体不明の男を交互に見て、唾を飛ばしながら何かを言いかけている。けれどこういう時の人間は何一つ言えないようだ。散々見たから知っている。
ブギーマンは安全ピンを引き抜き、「見てろよ」と彼女に言ってからホースを先生の口に突っ込んだ。
そのまま、レバーを強く握って放射。

「ぉぼごっ」

流石に粉末は口からは溢れて、職員室はすぐに真っ白になった。

「けほ、こほ」

彼女はスグに窓を開け、外の空気を吸った。
白い煙の向こう、ブギーマンの「科学ってスゲーッ」という男の子っぽい声が響いていた。
苦しくないのかなと思ったけど、多分何かしら対策はしているのだろう。
長い時間が経って、職員室の人間がみんな外へ逃げ切り。
外からパトカーのサイレンが聞こえる頃。
高野先生はもう喋れなくなっていた。
バタバタと痙攣し、目を充血させている。

ブギーマンは風魔法で煙を窓から全て追い出し、薄ぼんやりと白くなった職員室で嬉しそうに立って無邪気に笑っていた。
モルヒネを吸った死神みたいだった。

「高野先生、死んじゃったの?」
「分かんない。でも多分、もう動かないよ」
「素敵」
「自分でやりたかった?」
「ううん」

2人はジーッと高野先生を見下ろし、顔を見合わせ、職員室を出た。

「カラスが鳴くから帰ろう」

廊下を歩いていると、目的を果たしたブギーマンがそう言った。彼女は頷いて、彼の汗だくになった黒いタンクトップの端っこをちまこく掴んで横を歩いた。
彼女の顔は物凄くスッキリしていて、俯いて悲しげに歩いていた面影はどこにもなかった。

「あー…」

小ウサギは鼻から息を吸い込み、深く吐いてから。キラキラした目で遠くを見て、物凄く綺麗な顔をした。

「スッとしたぁ…」

色気すらある声だった。
甘くてしっとりとして、思わず肌が痺れるような声である。ブギーマンは彼女の真っ白で清らかな顔を見下ろし、自分の手の甲を舐めた。
やっとメリケンサックを外し、ズボンに突っ込む。
学校を取り囲むサイレンの音を聞きながら、2人は手だけ洗って、そのまま学校を出ていった。
校門から堂々と出て行けば、警察の人がたくさん来ていた。救急車も到着していて、思ったより大ごとになっているのだなと思う。
外はむっつりと暑くて、晴天が肌を焼いた。

「狐さん、どうするの?逃げる?」
「ン…」

彼は先を歩いていく。
彼女はそれに捕まって歩いていくだけだった。
警察官は凶悪犯が立てこもらず出てきたことで、冷静にマイクでこちらに立ち止まるよう喚起する。が、ブギーマンは立ち止まらずに歩いて行った。
そこを別機動隊が取り押さえようとしたところ。
ブギーマンと美少女は、うつ伏せに突然バタン、と倒れた。
支えを失った人形のように。

警察が最後に見たのは、マネキンの姿に変わってしまった2人の男女だった。顔のない黒と白のマネキンはアスファルトに倒れ伏している。

蝉の鳴き声と一緒に、マネキンの中に入れられた笑い袋が。
「アハハハハ、ハーハハハハ」と、機械的なガサガサした笑い声を立てていた。






「……」

2人は学校から家の近くまで転移して、今は外にいる。
彼女はラムネを飲みつつ隣に座るブギーマンの膝をジッと見つめていた。
彼は無人のバス停にあぐらをかいていて、スッキリした顔で煙草を吸っている。

あの後、彼女は彼を自分の家に連れて行き、風呂に入れて体を洗わせた。とにかく彼はバケツをかぶったみたいに汗だくで、血塗れだったからだ。
サッパリしたらしい彼に父の古い着物を着せて、自分も風呂に入った。湯上り小ウサギはなんだかお酒に酔ったみたいな気持ちでボーッとした余韻のまま白いワンピースに着替え、サンダルを履いて出てきた。
おユウは彼のためにシュークリームとラムネを買ってやり、2人で沈黙のまま木のベンチに座ってぼんやりとしている。
会話は特になかった。

なんだか終わった途端物凄く疲れていることを自覚したのだ。
ブギーマンなんてもっと疲れているだろう。フルパワーで遊んだから、右腕はもうあんまり上げたくないみたいだった。

彼女は青い空と白い雲の下、殺人の余韻にゆっくりまばたきをしながら、怪人の膝を見つめている。
彼の膝の上に座りたかったからだ。
でもなんと言っていいかわからなくて、手のひらを返したようにベタベタしたら嫌がられるかもと思って切り出せないでいる。

「…狐さん」

ラムネを両手で持ち、夏風を浴びながら言った。ブギーマンは耳を少し動かしたきりなにも言わない。
いつも通りなにを考えているか分からない顔で遠くを見つめている。

「…昔、ごめんね。たくさん酷いことを言いました」
「気にしてない。罪悪感なんて覚えんな」

彼はいつも通りのことを言った。
ひたすら怖かったこの言葉は、今は疲れ切った胸に随分と染みる。
ブギーマンは疲れていて、言葉少なだ。
それでも眠るほどではなくて、会話はしたいようだ。自分からはなにも言わないけど。
多分、何か横で話していて欲しいんだろう。そんな感じだ。

「…いつから、その、好きだと思ってくれたの」
「知らない。カッとなって、それからずっと好きだった」

その言葉はとても彼らしかった。
全然言っている意味は分からないけど。だからこそというか、それでこそだった。
彼女は彼のこの訳の分からない言葉を好きになりつつあった。どんな言葉が返ってくるのかあまり予想がつかないのが面白くて、どんなことを考えているのか知りたくなるのだ。
おユウは足をぶらぶらさせて、土の地面を歩いているアリを見下ろした。
こぼしたラムネにアリが二匹集まっている。

彼の、かつては物凄く怖かった腕に触りたくなって、彼女はソワソワしながらちょっと黙った。
彼の体はとても怖い。だからこそ寄りかかってみたかった。

「ありがとう」
「……」
「殺してくれて…」
「みんな殺してやるって言ったろ」
「うん」
「どうだった?殺されてみて」
「…凄く気持ちよかった。まだドキドキする」
「はは…は」

ブギーマンは煙を吸って、吐いた。

「殺人とか、傷害とかはとにかくみんな規制かけるけど。別にそこまで悪いもんじゃねえんだよ。むしろ健全だ。やっちゃダメだけど、やらせるのと見るのは体に良い…」
「……」
「新しい健康法だ。女なんて美容に一番良い」
「うん。…私綺麗になった?」
「なった。いつもだけど」
「、……」
「言えた…えらい緊張した…」

間髪入れず返答する癖に、彼はいつも緊張しているらしい。全然意味がわからなかった。
しかも無表情だから更にわからない。
小ウサギはこれをかわゆく思って、照れ照れ自分の頬を摩った。
天然なのかしらと思う。そんな可愛いものじゃないんだろうけど。

「………」

ブギーマンは彼女に買ってもらったシュークリームを黙って取り出し、袋から全部出した。
そして両手で横向きに掴み、ザク、と。ハンバーガーみたいに牙を食い込ませる。

「あっ」

当然クリームが溢れる。彼女はそれを見て、慌てて…ブギーマンのゴツゴツして大きな肩に左手を優しく付き。
シュークリームの反対側から溢れたクリームを小さな唇で吸った。
それでも溢れるから、舌で拭う。
冷たいカスタードは美味しかった。
ブギーマンは目を見開いてこちらを見つめている。それがなんだか随分に嬉しかった。

「…ふふ」

寒椿の乙女は自分の唇の端についたクリームを白い指で拭い、食べながら。

「…食べ方が下手でも、2人で食べたらこぼさないね」

と小さく言った。
恥ずかしくてちょっと俯き、けれど少しだけでもときめいて欲しくてほろっと笑ってみせる。
ブギーマンは驚いたらしく、まばたきをたくさんしているのだった。短くて黒い睫毛がパチパチ上下している。
結局ボタボタクリームが地面に垂れていた。

「あ、あのね。狐さん。…あ、んと…チャッキーさん」
「はい?」
「あのね」
「はい。」
「んと…」

小ウサギは自分の指をコテコテ触りながら、暫く緊張して、地面を見ながらやっと言いたいことを言った。

「わ、私ね。チャッキーさんのこと、1人にしないわ」

思い出したのは、最後の言葉だった。
彼は「お前だけは1人にしない」と叫んでくれた。あの言葉のおかげで今日まで生きてこれたのだ。毎日死んじゃいたいと思っていたけど、はっきりああ言われたから踏ん張ってこれた。
約束してくれたからだ。
彼女は彼に片想いしている気持ちで恥ずかしそうに俯き、やがて真っ赤っかになって顔を覆ってしまう。
今は心臓まで頬を染めていた。

「ひっ」

すると突然、ブギーマンが彼女の細くて尖った肩にドンッ、と太い腕を乗せた。
そして黙っているかと思えば。

「きゃっ、えっ、な、」

細い腕を引っ張って、彼女の体を自分の膝の上にうつ伏せに倒すのであった。
仰天した小ウサギは、お尻を突き出すような格好になってしまい、「えっ」と大きな声を出そうとしたその時。

「あー、バッチン」
「ぎゃんっ!?」

スパァン!と尻を叩かれたのであった。
彼女は潰されたような声を出して混乱し、カッと這い上がる痛みに目を回した。

「ひぇっ、え?…っえ?!ぁっ、ぎゃんっ。いっ、痛、なん、キャッ」

続け様に三発。
それだけでお尻が真っ赤になった彼女は、訳が分からなくて何度も彼を振り返ろうとした。けれど頭を押さえつけられているからできなかった。
ゴツゴツした指輪が痛かった。
お尻がジンジンして赤くなり、足をばたつかせるも起き上がれない。

「なっ、なん、なに、」

細い声で言った。
すると彼は「は」と面白そうに笑う。

「はは…は。ぁー…痛がってる」
「い、痛い、なに、アウッ」
「なにって、そりゃ、DV」
「でぃ」
「腕痛いんだからやらせんなこんなこと…」
「なん、なんなの、なに、なんで」
「キュートアグレッション」
「は」
「好きだから優しくするって現代のペストだよな。男女平等。思春期なんて角に追い詰めて泣かせたくなりたい盛りだろ。脳味噌って複雑な形してるンだぜ。それってつまり、人は複雑ってことだ」
「??…??!」
「マァ聞けよベイビー」

ブギーマンは首を傾けた。
彼女は本当に訳が分からなくてウゴウゴ暴れた。

「人は爆発すると怖い。抑圧されたものが一気に溢れると、暴動が起きたり、反乱が起きたりするだろ。革命ってやつ。それと同じでオレはお前への暴力を我慢してる。抑圧してる。それがある日爆発して革命が起きたら、困るだろ。だから今小出しにしてるんだよ。我慢は体に良くない」
「!?…!?」
「ダムが決壊すると村が沈む。オレはお前がオレに殺されたニュースを見たくない。ところで、オレ達恋人になれる?」
「〜〜〜っ!」

こあい!
彼女は心からそう思った。
意思の疎通ができない。
考えてみれば当然なのだが、ブギーマンは優しい男ではない。頭のおかしい男だ。
「オクタヴィネルのヤバいやつ」であるジェイドが、ブギーマンの電話番号を「ヤバいやつ」と登録してるくらいである。
つまりヤバいやつがヤバいやつだと思っているくらいヤバいやつなのだ。

愛してるから、この子は特別だからという理由で贔屓も特にしない。彼は平等なのだ。
マここまで積み上げた好感度を信じられない速度で地の底に落とすあたり、本気で異常な思考回路を持っていることはよく分かる。
そもそも女の子を口説くために一年かけるのもおかしいし、何も説明せずに夢の中で人を殺しまくるのもおかしい。
凄まじい執念を持っている癖に、彼女が自分を好きだろうと嫌いだろうと構わないのだ。

ブギーマンは彼女に嫌われても自分が好きだから、それで良いと思っている。
だから彼女がどんなに変わっても、見るに耐えない醜悪な姿になっても、どんな噂があっても、どんなに落ちぶれようと、どんな性格に変質しようと構わない。
カッとなってからずっと好きだったから。

「こ、こあい!」
「ぁー…はは…ぁあ…。…怖がってる…」
「わ、訳が分からない、あ、やっ、ぶたないで」
「あー、第二波」
「あ"ーっ!」

結局彼女はお尻を真っ赤にされ、クシクシおんおん泣いた。ひいぃ、と言いながらしゃくり上げ、細い腕でお尻を精一杯庇って鼻を啜る。

「愛してるよ〜〜〜……」
「こあい…!」
「ハ?マジ?…。フらりた…。一年かけたのに…」
「いーっ」
「参ったな。これからどうやって生きていこう」
「ふっ、ふら、フらりたくないならお尻叩かないで!」
「は?それ先に言えよ」
「頭がおかしい…!」
「見ればわかるだろ」

お尻は叩かれなくなった。
小ウサギはハアハア言って全身の力を抜き、なんとか起き上がって真っ赤になったお尻を摩りながらこれはなんとかしなくてはならないと思った。
ベンチに正座をして彼を見つめ、「あのね」と言う。

「どうして暴力振るいたくなるの」
「いや、それはもう。こっちの勝手なアレだから。気にすんなよ」
「するわよ!」
「おお、怒鳴るなよ。喉痛めるぞ」
「お尻痛くした癖に…!?」
「人をなんだと思ってンの。普通に心配するだろ」
「ぜ、全然わかんないわ…」
「はは。お前、馬鹿だもんなぁ…」
「あ"ーっ」

小ウサギは思わずベチャ!と彼の腕を叩いた。彼は無抵抗だった。タバコの続きを吸って、吐いているのだ。

「か、会話が成立しない。フロイドさんとコモンくんはどうやってお話ししてるの」
「どうって、そりゃ、普通に。会話って受け答えだろ」
「…ねえチャッキーさん」
「はい?」
「んと…」

彼女は律儀なので、きちんと考えた。
どうやったらうまく彼と会話できるかなと思って、一生懸命考え。

「チャッキーさんはどんな方なの」

と小さな声で聞いた。
彼のことを知ることから始めようと思ったのだ。

「?チャッキーさんはB型」
「えと…お好きなものは?」
「怪獣映画と恐竜。ゴジラ」
「ゴジラお好きなの。…好きな食べ物は?」
「え…?知らん…」
「シュークリームでしょ。んと…じゃあ嫌いな食べ物は?」
「ホイップクリーム」
「じゃあ、嫌いなことは?」
「逃げられること」
「こあい…」
「ずっと一緒にいたい」
「こあい…。えっと…得意なことは?」
「歌」
「!うた」
「なんか、上手いんだって。フロイドが言ってた」
「わ。何か歌ってみて」

ブギーマンはピコ、と耳を動かし、「え?」と言う顔をしてから。ちょっと考えて、フッと煙草の煙を蝋燭を消すみたいに吐いてから。

「Remember when I told you "No matter where I go I'll never leave your side.You will never be alone"Even when we go through changes.Even when we're old.」
「わぁあ」
「Remember that I told you. I'll find my way back home」
「あああ」

歌ってくれた。
信じられないくらい上手だった。
それだけでご飯が食べていけそうなくらい。高音が物凄く綺麗で、こんな簡単に聞いてはいけないと思うようなクオリティである。

「完。」
「あ、も、もうちょっと歌って」
「嫌でーす」
「なんで!」
「フられたから」

傷付いて無気力なんだよ、と彼は黒い爪をカチャカチャ弄りながら言った。
彼女はウグ、と詰まり、彼の横顔を見つめる。

「じゃ」
「へ?」
「帰る」
「えっ。え、どちらに」
「どこって、そりゃ。ワンダーランド」
「え。あ、お一人で」
「当たり前だろ。あばよ」

彼はフーッ、と切り替えるような息を吐いて立ち上がり、スタスタ歩いて行った。
「とほほ」と言いながら。

「えっ、あ」

彼女は慌ててその背中を追いかけ、なんとか腕を掴む。

「ま、待って」
「は?」
「行かないで」
「あんで?(なんで?)」
「あ、えっと、ふ、フッてません!」
「あ?」

白百合は物凄く困った。
なんと言えばいいのか分からないけど、とにかく帰るのだけはダメだ。一緒にいてほしい。
かと言って付き合うとハッキリ言って良いのか分からなかった。
お尻を叩かれるかもしれないし。
意地悪だし、怖いし。いや本当に怖い。訳が分からないから。会話も通じないし。
でもこれで彼とお別れになるのは絶対に嫌だ。
本当に後悔するだろうし、恋しくてまた泣いてしまうだろう。
好きなのだ。とても。

「………」

黒い目がこっちをジッと見つめている。
ひぐらしが鳴いていて、彼のお経が書かれた首に汗が伝う。
彼女追い詰められて、たくさん「えっと」と言ってから。咄嗟に、

「つっ、付き合います。き、チャッキーさんが、好きだと思いました……ッんぉむ」

と、言いかければ。
ベロッと唇を大きな舌で舐められ、いきなりキスをされた。
びっくりして変な声が出た。
そのまま目を閉じて唇を吸われ、一瞬舌を入れられ、また唇をはむはむされる。

「っ、!、」

彼女は肩を跳ねさせ、けれどスグにキスをされていると理解し、納得し、困りながら黙って彼の両腕を掴んだ。
何故だかこうされるのは怖くなかった。多分、意味が「わかる」からだろう。
彼の暴力や思考はいつもよく分からない。けれど、このキスは多分付き合えたのが嬉しいからだ。肉欲だ、と分かるから安心した。

「ぅむ」

全然嫌じゃないことに少し驚く。
むしろ思ったよりも気持ち良かった。ヒサシとのキスは緊張していて全然よく分からなかったし、色々余計なことを考えてしまったけど。
今はとても落ち着いている。ドキドキもしない。心地良くてリラックスしているのがわかった。
多分、彼がリラックスしているからだろう。

「キューン。キュウ。グルル」
「!?か、可愛い…!」

唇が離れれば、彼は高い鼻を彼女の首に擦り付けてかわゆい獣の音を鳴らした。人間には出せない音だった。尻尾がゆら、と揺れ、耳が少し垂れている。

「あっ、痛っ、」

甘噛みをされた。
けれどそれは人がするようなかわゆい甘噛みではなく、獰猛な獣がするような「なんとか甘噛みの範疇にしている」という感じの力加減だった。
これくらいなら人間は平気でしょという感じの。力加減がまだよくわかっていない虎みたいな感じ。
鋭い牙が皮膚に引っかかる。牙を引っ掛けながらガッ、ガッ、と甘え噛みされて、彼女は目をバッテンにした。
これくらいなら全然耐えられるけど。

「あたた」

近所の大きい犬にやられている感じだ。
彼女はアウアウ言いながら、けれど傷がつくほどでもないので、なんとかブギーマンの頭を撫でた。頭はふわふわだった。人間の髪の毛の感触とはちょっと違っていて、狐のコシのある毛並みの感触がする。
感動して撫でていると、耳が立ったり寝たりと少しずつ動く。野生動物によく似ていた。

「お前はさ」
「、は、はい」
「オレの一等賞なんだよ」
「え?」
「だから1人にしたくなかったんだ」

よいせ、と彼は彼女を抱っこしてカラコロ歩いて行った。畦道を歩き、山の麓へ向かい、階段を上がる。

「え、あ、チャッキーさん。ワンダーランド行くの?」
「応」
「今?ちょっと待っ───」
「ヨッ」
「あぁあっ」

彼は行くよとも言わずに鏡の中にズルン、と潜って行った。
そしてたどり着いたはオンボロ寮。
彼女の部屋。懐かしい自分の部屋だった。
アレから一切変わっておらず、昨日までここに居たみたいに生活感が残っている。
因みにクローゼットのフダに刺さった包丁もそのままだ。怖くて触りたくなくて、そのままにしていたやつ。
それがキラキラ光っていた。

「っ、お」

ボフ、とベッドに乗せられ、足からサンダルがすっぽ抜けてフローリングに落ちる。
ブギーマンはベッドに倒れた彼女を見下ろし。
黙って着物の帯を解き。

「……ファッキン疲れた」

と言って。
自分もベッドに倒れ込み、そのまま撃ち殺されたみたいに眠ったのであった。





2人は狭いシングルベッドで、結局朝まで眠っていた。
時間にして、12時間近く。
ブギーマンは仰向けになって薄く口を開けたまま死体みたいに眠っていた。その真っ白な顔は色濃い疲労が浮かんでいて、腱鞘炎になった右腕を横に伸ばして動かない。
彼女はその隣で体を丸めて眠ったが、殺人の微熱が体に迫り上がってきて、時折目を覚ました。

そして部屋を見回し、自分の家ではないことをいちいち自覚し。もう2度とあの地獄に通わなくて良いのだという安心感と喜びを感じたのであった。
同じ布団にブギーマンが眠っているというのは凄いことだった。昔なら考えられなかったことだ。
彼は横になっても縦になっても大きいので、窮屈だったが。

「………」

彼女は夜中に目が覚めた時、物凄く誰かに甘えたい気分になって、眠る彼にくっ付いた。
彼が寝返りを打って大きな背中をこちらに向ければ、その背中にほっぺをくっ付けて寝た。彼の体ははしたない程熱かった。
普段から体温が高いのだ。
だからくっ付いているだけで汗をかいたが、離れ難くて我慢するのを繰り返していたのだ。

朝起きると、ブギーマンは起きていた。ベッドの枕に背中をもたれて座り、死人みたいな顔で煙草を吸っている。
普段使わない筋肉を使ったため、筋肉痛らしい。はしゃいだしっぺ返しが来たのだ。
彼女も目を覚まし、ぼんやりそんな彼を見上げていた。真っ白な朝日が何よりも似合わない男である。

「…起きた?」
「…うん。おはようございます」
「灰皿ないから口開けてくれる」
「あ"ーっ」
「はー…はは」
「や"ーっ」

しっちゃかめっちゃかに暴れたので、灰皿になることはなんとか免れた。
コップを犠牲にしたことで助かった。ブギーマンは疲れているので深追いはしないでくれたのだ。
最悪の朝である。
彼は辛そうにしょぼしょぼまばたきしていたが、だんだん目が覚めてきたらしい。
彼女は横に寝転がってうとうと窓の外を見て、時折嬉しそうに笑った。

「ふふ。学校に行かなくていいのね。私」
「……」
「夢みたい。ずっとこんな日が来れば良いと思ってたの」

いじめっこ達はもういない。
マリちゃん達はまだ生きているが、時期に自殺すると思う。
ブギーマンに「整形」されたのだ。あの顔では生きていけないはず。
ヒサシはどうなったか分からないけど。
なんて素敵なことだろう。
もうあそこに行かなくて良いというのが、彼女の心臓をずっとときめかせていた。
もし日本に帰ったとしても、彼らはどこにもいないのだ。あんな思いをすることは、生涯ない。

「狐さん、ありがとう。仕合せよ」
「……」
「本当に仕合せ。叶えてくれてありがとう」

彼女は素直にブギーマンの右手の指を触った。
人を殴らないとできないアトができていて、メリケンサックで少し傷付いた痕のある暴力的な右手を。

「なあ」
「はい」
「オレ人と付き合ったことねえんだけど」
「でしょうね…」
「なにすンの?」
「したいことをなされば良いかと…。あっ、やっぱり今のは無しです。えっと…」

彼の「したいこと」は怖い。
なので彼女は色々真剣に考えて、付き合いたての男女がする当たり前のことを考えた。
が、彼女もヒサシしか経験が無いので、なんとも言えない。彼とは寝る前にたくさん電話したり、一緒に学校に行ったり帰ったり、休日にご飯に行ったりする感じだった。
彼女は考えて考え抜き、良し、という顔をして。

「チャッキーさん、小エビプレートご馳走して」
「は?」
「食べさせてくださいまし」
「厚かまし」
「彼女のお願いよ。あとね、ご飯を食べるときはアーンするんです。ヒサシ先輩がやってた」
「ヒサシくんカッケェ…」
「でしょ。やって。帯締めて差し上げますから」

小ウサギはベッドに沈んだ彼をグイグイ引っ張った。立たせて帯を締めてあげて、さっきまでドザエモンだったみたいに無気力な彼の腕を引っ張って準備をして、一生懸命背中を押して歩いた。
休日のナイトレイブンカレッジは静かだった。
今はちょうどモストロラウンジの開店時間。
休日は昼からやっているのだ。
2人は誰にも会わずにラウンジまで行き、ドアを開ける。
深海8号線、マーマンラウンジに久々に来た彼女は懐かしくなかった。なんだかむしろしっくりくるという感じだ。
するとやって来た客の気配に気が付いたフロイドが、カウンターからダルそうにメニューを持ってやって来て、

「いらっしゃいま…ギャーーーーッッッ」
「はは…は」
「お久しぶりです、フロイドさん」

絶叫した。
そりゃ異世界に帰ったはずだった小エビが自分の友達と手を繋いで来店したのだ。
当然そういうリアクションになる。絶叫に気がついたジェイドがフッと顔を上げて同様に絶叫し、他のスタッフ、来ていたデスアダーも椅子から落ちた。
ブギーマンは包丁を持ってエレベーターに立っているみたいな姿勢の悪さでぼんやりとそんな彼らを見ていた。いつもなら何か言ってみせるところだが、彼は眠っても尚疲れているのだ。

だって彼は、数ヶ月に渡る夢通い(違法)をしながら異世界に単身乗り込む準備(違法)をし、電気椅子にかけられながらもめげず(違法)、異世界へ本当に渡り(違法)、いじめっこを皆殺しにして殺戮の限りを尽くし(違法)、そしてまたワンダーランドに帰るという凄まじい体力勝負を1年間でやり遂げたのだ。
彼がいじめっこ達を皆殺しにするとき、ほとんど魔法を使わなかったのは魔力が枯渇していたからである。帰りの分も残しておかないとオーバーブロットして死ぬから頑張ったのだ。

だから本当に疲れている。
普通に見えるが、なんとか動いているという感じ。

「………」

フロイドは取り敢えずそんな2人をボックス席に座らせ、注文を受けたジェイドは数ヶ月ぶりに小エビプレートを作って出し、ブギーマンには珈琲を出した。
彼女はいつも通り一生懸命小エビプレートを食べている。あれだけ怖がっていたブギーマンの隣にピッタリ座って。
そしてたまにブギーマンの腕に衝動的な感じでほっぺをグリグリ押し付け、「ふう」と満足そうに言ってからオレンジジュースを飲むのである。

スタッフ一堂はこれを信じられない顔で見ていた。だって彼らは、小エビが異世界に帰るその日のことを知っている。
ブギーマンが彼女に怖いことを言って摘み出されて連行され、電気椅子にかけられたことも。暫くクルーウェルの犬用の檻に入れられていたことも。
小エビは彼に何度も泣かされていた。
サイコパスと可哀想な乙女の図をずっと見ていたのだ。
それなのに彼女は信じられないくらいブギーマンに懐いていた。だって今も相変わらず泣かされているが、離れようとしない。

「は…はは…ぁー、あ"っははぁー、は、」
「いーーっ」

小エビプレートをアーンされて泣いている。
当然だ。
首を掴まれて喉仏があるあたりを親指でグリグリ押されながら口の中にさくらんぼを詰め込まれているのだから。
咀嚼はできても飲み込めない。彼女は口を懸命に閉じてえずきそうになりながら、顔をしわくちゃにしていた。
苦しそうに泣く彼女を見て、ブギーマンは化けの皮が剥がれたみたいに小規模に笑っていた。猫なんて被っちゃいないが。
みんなの最寄りのサイコパスはそのまま好きなだけ彼女を泣かせてから満足そうに珈琲を飲んだ。

「…あのさぁ」

汗だくになったフロイドはそんな全自動笑顔潰し機のブギーマンにトレーを抱きしめながらソロソロと近付き、この異常事態の謎を解き明かしたくて声をかけた。
これは一体どういうことかと。

「何があったわけ」

言えたのはこれだけだ。
するとブギーマンは長い爪でガリガリ小ウサギの首筋を引っ掻きながら、珈琲を飲みながら。

「死者35名重傷者5名出した」
「は?」
「そしたら付き合えたから持って帰って来た」
「ん?」
「苦心した」
「え?40人前後殺してから小エビちゃんに告ったってこと?」
「そうそう」
「ピラニアちゃんって目が離せないね」
「よく言われる。厳重な監視が必要だって」

フロイドは困った顔をした。
友達が異常快楽殺人者であることは知っていたが、まさか好きな子の世界に単身で渡って40人殺してから「好きです付き合ってください」と言うとは思わなかったのだ。
多分「頷かないともっと殺す」とでも脅したのだろう。そして頷いた途端連れさらってきたのだ。
小エビは事件のショックで精神のどこかが壊れ、ブギーマンに懐いているのかもしれない。

「カノピできたわ」

ブギーマンは親指を立ててウィンクした。
フロイドは「えーっと」と言いながら首をさすり、「んと…」と言ってから。
ブギーマンの腕をシッカと掴んだままメソメソ泣いている彼女をヒョイと持ち上げ。

「警察には言わないから病院行こ」

友達としてそう言った。
ブギーマンはびっくりしてたくさんまばたきをしていた。





「でーーきた!!」
「お、どれどれ」
「傑作…」
「いや生涯この女だけを愛した画家が最期の一枚で描くタイプの絵じゃねーか」

ブギーマンは美術の先生に頭を叩かれた。
今は部活の時間。
ブギーマンは美術部なのである。理由は先生が好きだから。
出された課題、テーマは「人生」。
彼が描いた絵は田園風景を微笑みながら歩くおユウの姿である。白いワンピースを着て、ティファニーブルーの光を浴びて涙が出るほど美しい空気の中を幸せそうに歩いている。
病的なまでの書き込みであった。

「タイトルは?」
「え?血痕」
「怖ッ」
「これからどんなことがあっても何がどう変わってもオレはずっとこの景色を覚えてるし大切にするよって言う…感じ」
「深ッ」
「この絵ってナイフ刺すと完成だから刺していい?」
「怖ッ」
「あー、ザックン」
「先生はどうコメントを付ければ良いんだ?」
「はは…ハ。は…知らん」

ブギーマンはドスッと彼女の胸にナイフを刺してウンウンと満足そうに頷いた。
この光景は確かに彼にとっての「血痕」だった。あの鮮やかな笑顔と田園が、彼の頭の中に血痕のようにこびり付いているのだ。
彼の濁った真っ黒な目は夢うつつ、キラキラと輝いていた。
美術の先生はこの生徒というか患者の心が変わりつつあるのを感じて、黙って絵を眺める。

「センセー知ってる?シュークリームって、食うの下手でも、2人で食えば溢れないんだよ」
「キモッ」
「大発見だよな…下手で得するとは思わねえよ…」
「目ぇキモッ」
「はは…は…えらいことですわ…」
「…お前はこれからどんな人生を歩むだろうな。先生今から心配だよ」
「オレ?オレは…最期は誰よりも最後に死にたいと思ってる。オレが一番最後までそばにいたって思いたいから」
「深ッ」
「逃さなかったって実感したい」
「怖ッ」
「それが〝恋〟」
「キモッ」
「オレカノピできてさ…」
「知ってる知ってる」
「え?言ったっけ?」
「いやみんな知ってるから」

ブギーマンは着ている患者服に溢れた絵具を指で拭って取りながら、耳をそらしてあくびをした。
ここは病室である。
ブギーマンは入院中なのだ。
精神を患って来る場所ではなく、魔法士用の病院だった。彼は大分無茶をしたので入院をして、溜まったブロットを出す点滴を打たれている。
けれど本人は物凄く元気で、元気いっぱいに他の患者をいじめたり見舞いに来たフロイドとデスアダーと公園の遊具で他の小学生が引くほど遊びまわったりしているので大して深刻ではない。
医者も「本当なら起き上がれないはずですがね」と首を傾げていた。
本人も「怖い」と言っている。
「若さゆえなのか、恋がそうさせるのか。」と真剣な顔で病院の近所のおばさん達と賭け麻雀をしながら言っていた。

ブギーマンの劇場型惨殺事件は小ウサギとフロイドとデスアダーとアズールしか知らない。
だから彼は罪に問われることはなかった。
ブギーマンは「最近人殺した?」と聞かれれば素直に「殺した」と答えるが、質問されることがないのでバレていないのだ。

さて、帰ってきた監督生は信じられないくらい歓迎された。
みんな本当に寂しかったのだ。
特に学園長は本当に喜んでいた。
お父さんとして張り切っていた彼は、彼女が帰ってから物凄くダメージを受けていることに気が付いたのである。
今は手厚く歓迎し、彼女は「日常」に戻った。
お父さんを置いてここへきてしまったことは気に病んでいたが、ワンダーランドで過ごした数ヶ月は3日のことになっていた。つまり卒業までここにいたとしても、一週間くらいのものだろう。
父が出張から帰ってくる頃には帰ってこれるというわけだ。

マしかしNRCには電撃が走った。
だってあのサイコパス県加虐市皆殺し2丁目14-3屠殺マート暴力大通り店であるチャッキー・ブギーマンとしとやかで清らかな娘が交際を始めたというのだから。
しかも、脅されて毎日性暴力を振るわれているはずだ、あの子は次なる犠牲者だと誰もが思っていたのに、監督生は一生懸命彼の元に通っている。
ストックホルム症候群の可能性も考えられたが、調べた結果そうでもない。
純粋に彼女は彼に恋をしているのだった。
しかも「アイツとほんとに付き合ってるの?」と聞けば片想いをしているみたいに照れ照れして、「す、そ、そうなの。付き合ってるっていうか、えっと、うん。そう…」と物凄く恥ずかしそうに髪をいじりながら言うのである。
聞いているこっちが恥ずかしくなるような初々しさであった。
骨まで惚れている乙女の可憐な恋なのである。

『でもお前毎日泣かされてるじゃん。ちゃんとDVじゃん。しかもDV彼氏と違って暴力振るったあと泣いて謝ったりしないじゃん。しかも本当は優しい人なのって言い訳できないじゃん。それって、おしまいじゃん』

エースは必死になって彼女を説得した。
彼女の両肩に手を置いて、おでこ同士をくっつけて必死に説得したのだ。
けれど彼女は照れ照れ真っ赤になって、「ま、まんざらでもないの」とちいこく言った。
もうおしまいだった。
ブギーマンにくっ付いている時に引き剥がそうとすると、親を取られた赤ん坊みたいに嫌がるのでもう何も施せなかった。
何故ここまで彼女が彼に懐いたのかは謎のままである。ブギーマンに聞けば真相が分かるが、ブギーマンは怖いので誰も事情を聞かなかった。

「…カノピとはうまくいってるのか?」

美術の先生は窓を開け、タバコを吸いながら聞いた。

「ウン。恋に学業に大忙し」
「キモッ」
「大事にしたい」
「できてないぞ。見るたび泣いてるし。見るたびいじめてるし」
「キュートアグレッション」
「は?」
「可愛いものを見ると衝動的にそうなるんだよ。名前になるくらいだから、結構よくある話だろ。誰にでもあることをしてるだけっつーか…」
「お前可愛いもの以外にもやるだろ」
「確かに…はは…は」
「なんでやるの?」
「なんでやらないの?」
「なるほどなぁ」

聞き返されて納得する。
異常なものには必ず理由があると思っているが、ブギーマンにとってはそれが自然なのだろう。むしろ彼にとっては人に優しく優しくある方が不気味であり、異常なのだ。
だからたまに彼は美術の先生に聞きに来る。
「なんで今助けたの?」とか、「なんで今殴らなかったの?」とか。
映画を指差して聞きに来るのだ。
美術の先生にはなるべくちゃんと伝わるように教えている。

「タバコ吸って良い?」
「病院だから絶対ダメだけど良いぞ。先生も吸うから気持ち分かるし」
「助かった」

2人で窓を開けて煙草を吸っていると、廊下から優しい足音がした。
ブギーマンの両耳がピンと立ったところを見るに、おユウであろう。
今日も今日とてお見舞いしに来たのだ。
全く甲斐甲斐しいことである。
ノックの音がして、先生が答えれば彼女がおずおず入ってきた。
そして2人を見て、「あ」と小さな声を出す。

「先生、いらしたんですね」
「ああ。課題出しに来てたんだ」
「チャッキーさん、お絵描きしてたの?」
「ん、コレ」

ブギーマンはカンバスを彼女に見せた。
彼女は目を丸くし、「わっ、私にナイフ刺してる…!」と言ってお見舞い品のフルーツが入った袋を抱きしめて言った。

「タイトルは血痕」
「けっ、結婚!?」
「そう」
「…そっ。そんな、は、早いわよ。そん、う、嬉しいけど…まっ、まだ学生だし…お父さんにも何も言ってないし…あの、えっと、う、嬉しいけど…」

小ウサギはカッ!と赤くなって途端にもじもじ照れ照れ目を背けた。多分言葉の意味を間違えている。
美術の先生は何も言わないでおいた。

「あっ、あ、えっと…。りんごむきますね。先生もおあがりになります?」
「お、ありがとな」
「は、はい。切りますね」

彼女は恥ずかしそうに話題を逸らし、お見舞いに来た人用の椅子に座って、小さい果物用のナイフでシュリシュリ皮を剥き始めた。

「………」

美しい娘が甲斐甲斐しく見舞いに来て、フルーツをむいてくれる姿はすべての男が憧れるような景色である。
彼女は、彼のために少し大きめにリンゴを切る。口が大きいから、そのために。

「…お、お具合はよろしいの」

優しく声をかける横顔も透き通るようだった。
耳を彼女の方向に傾けながら、ボーッとリンゴを見ているブギーマンも嬉しそうである。
真っ白な病室で、2人は明らかに恋人同士だった。
…マァ、うまくいってるなら良いんだけど、と美術の先生はため息をついた。
まさかこのバケモノに好きな子ができて、こんな恋をするとは思わなかった。
このままなんとかうまくいってくれるなら良いんだが。優しい学生同士の恋愛をしてくれれば、なんとかそれで。

「店員が全員刃物持ってる店って怖くね?」
「きゃんッ!?」
「昨日コモンに連れられて美容院行ったんだけどさ、あそこ全員腰にハサミ下げてるだろ。強盗に一番強い店だよな。オレ、怖くなっちゃってさ…」
「なに、なにっ、痛い」

彼はいきなり話し始め、話しながら突然彼女の耳たぶにピアッサーでバチンと小さな穴を開けた。
小ウサギはあんまりビックリして耳を押さえ、後からジンジン痛んできた右耳を触って…穴を開けられたと気がつき、ンビャ!と泣いた。
ビックリしたし痛かったのである。

「オレ、そのハサミで刺しても心臓まで届かないから死なないよって美容師に言っちゃった。首かき切っても病院が近いから死なないよって。オレ、心配性なんだよ。変な気起こされる前に道塞いどかないと…」
「あう、や、よして」
「あー、バッチン」
「あ"ーっ」
「はは…は、…泣いてら…」

彼女は両耳に穴を開けられ、ヒンヒン泣いていると、そのままピアスを付けられた。
男の子がつけるようなゴツゴツした黒いやつだ。小ウサギは窓に映った自分を確認して、両耳を隠すように押さえた。

「ウン…似合ってなくて可愛いよ」
「ううう」
「おそろっち。オレも同じやつ持ってっから。マァあんまり付けませんが…」
「あけ、開けるなら、あけるなら先にゆって」
「え?ヤダよ。心構えがあるのと無いのとじゃ全然違うだろ」
「だから言ってるの!心構えをさせて!」
「したら泣かないだろお前」
「泣かせないでよっ」
「怒鳴るなよ。血が上って血が出て服汚れるぞ」
「服より私の心配してよ」
「いつもしてるよ。寒くない?窓閉める?」
「ぜ、全然わかんない…」
「お前馬鹿だもんな…」
「あ"ーっ」

ブギーマンは切られたリンゴをシャクシャク食べながら、彼女の耳たぶを触った。
彼女はそれが痛くてヒンヒン泣いた。
この男は全てを台無しにするために生まれてきたのである。

「はは…は…はー…ぁ」
「うええぇん」

美術の先生は全然止めなかった。
「怖ッ」と言ったっきりそれを眺めて煙草を吸っている。止める義理がないからだ。
「助けて」と言われれば助けるが。
彼女は誰にも助けを求めない。むしろ甘え泣きしてブギーマンの肌をつねっていた。

「くうぅ、」

小ウサギはめげずに涙をふいて何か言おうとしたが、腕を引っ張られてシーツに引き倒され、ベロベロザリザリ首を舐められ始めてしまう。
彼女はほっぺをシーツに押し付ける格好になってア"ーッと目をバッテンにしてもっと泣いた。これはよくフロイドやデスアダーもやられていることで、愛情表現の一種だった。
が、なんせ力が強い。
虎にのし掛かられて舐められているようなものなので、痛いし重いし勢いが強くて怖かった。

「ビショビショになるからやだ、ビッ、ビショビショに、あ"ーっ」
「………」
「怖いから何か言ってっ」
「騒ぐなよ。オレがいじめてるってバレるだろ。防音の部屋作ったから、そこでしか喚くな。今度連れてく」
「しゃ、喋っても怖い…!」
「お前のこっちのピアスが鍵になってるから」
「こ、殺さりる」
「ははは、はぁは…」

結局彼女はいじめっ子から助けてもらい、異世界に来て、もっと凄いいじめっ子にいじめられて泣いていた。
けれど小ウサギは逃げずに必ずそばにやってくるわけで、今日もなかなか帰らないで泣きながらも横にいる。
多分この2人はずっとこうなんだろうな、と美術の先生が思った。

「殺さねえよ。惚れてんだから」
「ひぇ」
「Wanna play?」
「や"ーっ」

嫌がる彼女を見て、ブギーマンは大切そうに笑った。光射す病室の中、本当に怖い顔だった。


さて大事件が起こった日本、行方知れずになった九条ユウ。
当時現場にいて、犯人を取り押さえようとしてマネキンを捕まえる羽目になった警察はこう語る。
まるで狐に化かされた気分だったと。












了。

いかがでしたでしょうか。
ショーンのway back homeの和訳を聞いてください。
聞いたら、助けてください。




おまけ↓
ドキドキデート編

「エース、この前ね、狐さんとデート行ったの」
「マジ…?どこ行ったの…?」
「なんかね。普通に外歩いてたんだけど」
「うん」
「急に人気のないところに連れてかれて」
「うん…」
「注射打たれて」
「……」
「気づいたらね、なんか、山荘?みたいなところで目が覚めてね」
「……」
「ここはオレの秘密基地なんだって言ってたの。誰も知らない場所なんですって。人に見られたくないことは全部ここでするんだって言ってた」
「……」
「教えたのは私だけなんですって。色々見せてもらったの」
「何見せてもらったの…」
「言っちゃダメだって言われてるから言えない」
「そか…」
「お弁当作っておいてよかった。一緒に食べたのよ。怖かったけど楽しかった」
「別れな」





おわり

殺して

シリーズ
チャッキー・ブギーマンという存在

病気が悪化しました。
頭がおかしいので創作NRC生×監督生の話を映画祭の息抜きにラクガキしたのですが、完結したのでここに投げます。

チャッキー・ブギーマン(創作オクタヴィネル生)というサイコパスの男と女監督生のCPです。
捏造以外に何もない。
暴力表現・人が死ぬ表現あり(描写はぬるいですが読んでて具合が悪くなる人がいるかもしれません。その場合はすぐにやめてください)

満開ラブラブビックバンハッピーエンドです。安心してください。
最後まで読むと意味がわかる話です。

なんでも許せる人向け。
本当になんでも許せる人向け。
村を焼かれても許せる人向け。
監督生の名前は勝手に「九条ユウ(くじょうゆう)」としています。

蛇足
コモンデスアダー(創作オクタヴィネル生)という存在を書き始めてから人生が音を立てて崩れていくのは感じていましたが、まさか新キャラが出るとは思いませんでした。
この男はTwitterでデスアダーの話の続きを書いていたら突然出てきた男で、フロイドとデスアダーの友達です。
私はかねてよりフロイドには友達が多く、いるなら狐と蛇が良いなと勝手に思っていました。どうしてもフロイドが他のNRC生と仲良ししているのが見たくて、頭を掻き毟っていたら出てきた幻覚でした。
その幻覚はだんだん音をつけ色をつけ、存在を明白にしていき、影が立った為に、私はこの男の恋が知りたくて、監督生との恋を書きました。
幻覚は日増しに膨れ上がり、脳を圧迫し、熱で体が膨張していくようでした。目の奥から洪水のような音がして、脳味噌のダムが渦を巻いていく感覚がして、最後にはジトジト雪が降るような音を立てました。
気が付いたら書き終わっていました。
指の痙攣がそのまま文字になっていたのです。私のTwitterはすでにこの男に侵食され、他のことは何も考えられなくなってしまいました。
この男は私の中でクッキリと存在しています。
ラジオの嫌なジーという音を立ててこの男がキリキリ動き回るのが見えるんです。

このままオクタヴィネル生を全て書き上げてこの男達をアズールが束ねている、という事実に頭を掻き毟りたい衝動が手の形をして心臓を掴んでいますが、なんとか堪えています。
NRCの学生をすべて知りたくて喉が裂けそうです。モブの設定資料集でないかなと思っている特殊な人間です。怖いですね

これはシリーズ物の映画祭を書きながら、隙間隙間に明確な輪郭を持ってしまったこの男に方をつけたくて呻きながら6日で書いた話です。
脳味噌が二つに分かれて頭蓋骨の中でギチギチ音を立てていたのですが、やっとスッキリしてなんの音もしなくなって、血が清潔になったので、映画祭の続きを書きたいと思います。
とても嬉しいです。
書きたい衝動は治ったので、やっと息が吐けます。文字を書くまで治らない病気とは厄介ですね。
悪夢は絵や文字に吐き出すことで回復に繋がると心理学でも言っていたので、そうしました。
インドさん、ダメになっちゃったんだな、と思ってください。

ここは全裸でトウモロコシ畑を走り回って奇声を上げているタイプのアカウントなので、相手にしないでください。
繰り返しますがブギーマンは実在しません。
そんな存在は私の中にしかいないのです。
これを書きながらその事実に気が狂いそうです。

自分の体が元の形に戻るのを祈っています。

は?チャキ監ってなに?笑

殺して
楽になりたい
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2021年7月11日 15:02
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