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コモン・デスアダーという存在 - インドの大運動会/ドスベロの小説 - pixiv
コモン・デスアダーという存在 - インドの大運動会/ドスベロの小説 - pixiv
46,045文字
闘病日記
コモン・デスアダーという存在
気が狂っているので創作NRC生×女監督生とかいうほとんど一次創作のイかれた小説をTwitterにちまちまアップしていたのですが、とうとうまとめました。

コモン・デスアダーという男と女監督生のCPです。
捏造しかない
暴力表現あり
なんでも許せる人向け
本当になんでも許してくれる人向け
怒らないでください 

私は最近この男に囚われてから抜け出せなくなってしまいました。
薬を処方してもらおうにも現代にはこの幻覚を抑制するものがないので、病気が治るまで書こうと思います。みなさんふるって助けてください
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2021年6月16日 11:49



「あのさあ」
「うん」
「なんで誰もユウちゃんに求愛しねぇの?謎なんだけど」
「あ?小エビちゃん?」

オクタヴィネル二年生。
フロイドの友人であるコモン・デスアダーはベッドにすっ転がって携帯をいじっていたフロイドに尋ねた。

フロイドは腕に蛇を巻きながらチラ、と目をデスアダーに向ける。
デスアダーは携帯画面を見つめたまま「そう。小エビちゃん」と頷きながら繰り返した。

「え、わかんなぁい。番居るんじゃね?ってかカニちゃん番なんじゃねーの?」
「カニ誰よカニ」
「小エビちゃんにいっつもくっ付いてるヤツ。ハート顔についてるヤツ」
「あー。あ、お前の後輩?」
「そお」
「いや付き合ってないらしいけど。ユウちゃんカレシ居ないらしいよ」
「えっ?ガチ?」
「ガチガチ。や、だからなんで?と思って。オレ普通に求愛してきていい?」
「なに淡水魚ちゃん小エビのこと好きなの?」
「いや可愛いじゃん!あんなもん。え?お前逆になんとも思わねえの?」
「えー?可愛いなぁとは思うけど」
「じゃん?え、ちょ、オレ行ってくるわ。ユウちゃんどこ?」
「マジィ?え?今?」
「今だろ。いつ誰に口説かれっか分かんない。男子校だぞ」

デスアダーは座っていた椅子から降り、鏡の前に座って髪をセットし始めた。アイロンで前髪を横に流し、ワックスとスプレーでガチガチに固める。後ろ髪を細い三つ編みにして、キュッと縛った。
そして黒のスウェットから気合の入った私服にバタバタ着替え始めた。
フロイドは一切動きたくなかったので、ベッドからその様子を「スゲー」と思いながら見つめている。

「ちょ行ってくるわ。お前蛇ケースにしまっとけよ」
「んぁー。あ待って。充電器どこ?」
「ベッドの横!適当に探せ」
「やばぁ…。あ!財布!お前財布!」
「うわマジありがと。行ってくる!」

フロイドから置き忘れていた財布を投げられ、受け取ってスグに彼は部屋を出た。

思い立ったが吉日なのである。
デスアダーのフットワークは軽いし、行動は速い。彼はタッ、タッ、と軽い足取りで廊下を小走りしながらスマホを取り出す。
彼女とは一度も喋ったことがない。フロイドにくっ付いている時に何度か目は合ったが、ニコニコして手を振っただけ。
声をかけたことは一度もない。
向こうはなんとなく「フロイドさんのお友達」だと認識しているくらいだろう。
嫌われてもいないし好かれてもいない、顔見知りの位置。
つまり、こういうのは大得意。

デスアダーはフロイドの友人の中でも一番にナンパな男である、蛇の獣人というか、爬虫類であった。
ハンサムでチャラチャラしたアルバイター。
蛇のお兄さんと呼ばれることが多い男。

デスアダーは取り敢えず友達に片っ端から電話をかけたりチャットを送ったりして、「ユウちゃんどこいるか分かる?」と聞いてみた。
今日は休日の昼だ。
予定がなければちょっとくらい喋れるはず。
そう思って友達にかけまくっていると、「今モストロいるよー」との返答が返ってきた。

「マジ?1人?誰といる?」
『一人一人。暇そー。誰か待ってんのかな?分かんない』
「よっしゃ。ありがと切るわ」
『?ウィ〜』

デスアダーはヨシッとスマホをズボンのポケットに突っ込み、マジカルペンを真下に振った。
体が煙に包まれ、目を開ければモストロラウンジの扉前にたどり着く。

「うぉっ」

すると今店から出たらしい男が肩にぶつかり、「廊下で転移魔法すんなバカ」と怒りながらすれ違って行った。
デスアダーはニコーッと笑って「だり」と呟き、気にせずにドアを開けた。
カランコロン、と軽い音がする。
ゆっくり店に入り、ジェイドに向かって指を一本立てた。「1人です」のサインだ。

「いらっしゃいませ。お一人様ですね。ただいまお席ご準備致しますので少々…」
「あ、待ち合わせでーす」
「お待ち合わせでございますね。失礼致しました。どちらのお席で…」
「ん。あぁ、あそこだ」

デスアダーはニョロ、と首を動かしてカウンターを見た。
ユウちゃんはカウンター席にぽつねんと座り、ドリンクを飲んで確かに暇そうにしている。
人待ち顔でもない。
これを飲んだら帰ろうという顔だ。
素晴らしいタイミングで来たものだ。彼はうまうま頷き、「あの子の隣空いてる?」と小声で言った。

「ご予約は入っておりませんが」
「よし。隣貰うわ」
「おやおや」

デスアダーはジェイドのあいた手に自分の手をパチンと打ち付け、意気揚々歩いて行った。
真っ直ぐな黒髪は遠くからでもよく分かる。
細くて白い脚はここからでも目に眩しい。やっぱりめちゃくちゃ可愛いな、と思いながら。
彼は彼女の隣にいきなりドスッ、座るのであった。

「、ひゃ」

彼女はいきなりのことで驚いたようで、ビクッとして急に座ってきたデスアダーを見る。
デスアダーは彼女を見ず、カウンター越しのスタッフに「アイスコーヒー」と笑って言った。

「…?……」

カウンター席はガラガラだ。
監督生しか座っていない。なので当然彼女はいきなり隣に座ってきた彼を不審に思い、困った顔で見つめている。
デスアダーはその不信感が高まった頃合いで彼女をパッと見て、「ごめんね!遅れて」と申し訳なさそうな顔をした。

「…へ?」
「待ったよね?ごめん。20分も遅れた!」
「え、あ…」
「用事あってさ。奢るから許して。ごめんね」
「……??」

彼女は言われている意味が分からなくて眉を潜めた。突然やってきた彼は、確か…フロイドの友人だ。何度かお会いしたことがある。でも一度も話したことがない。
何故か待ち合わせをしていたみたいに話が進んでいるが、名前も知らない男だ。待ち合わせなんてしていないし。
流石に訳がわからなくて助けを求めようと周囲を見回すと。
彼がグッと近づいて来て。

「ごめん。話合わせてくれない?」
「、」
「今さ、スゲー嫌いな先輩からメシ誘われてんの。用事あるって嘘ついて来ちゃったんだ。10分でいいから待ち合わせしてたって風にしてくれないかな。ごめんね」

彼はコショコショ小声で話し始めた。
その顔はすごく申し訳なさそうで、時折後ろをチラチラ見ている。その方向に嫌いな先輩とやらがいるのだろう。
彼女はやっと意味が分かり、「そういうお話でしたか、」という顔をして安堵した。
突然のことだから驚いたが、何か困っていたらしい。

新手のナンパか、突然絡まれたのか、と思って身構えていたが、安心とした。
デスアダーはスグに内緒話をやめ、フッと離れて「ごめんね。怒ってる?」と少々大きめの声で言った。後ろにいる先輩に聞こえるようにだろう。彼女は振り返ってその先輩を見てみたかったが、デスアダーが目を大きくして小刻みに首を振るのでやめておいた。

「怒っ…てません。けど、一言言って欲しかったです」

話を合わせてやることにした。
すると彼は物凄くホッとした、かわゆい顔をして、「そうだよな。ごめん」と砕けた感じになる。
よほど嫌いな先輩から逃げて来たのだろう。
確かにNRCは理不尽な男が多い。分からないでもないので、安心させるように頷いてあげた。
デスアダーはフニャッとした顔をして、「お詫びになんか食べる?」と提案した。

「えと…」
「何でもいいよ。なんか奢らせて。初デートなのにほんとごめん」
「初デ…。…デートなんですか?」
「えっ?あ、マジ?デートだと思ってたのオレだけ?」
「あ、…いえ、デートだったんですね。ビックリしてごめんなさい」
「いやいーよ。急に誘ったオレもオレだし。じゃあ今日どうする?女子会とかにする?」
「ふ。はい、女子会がいいです」
「ならスイーツ頼まなきゃだ?すいませんハニトーください!」
「ご用意してません」
「しけてんなこの店は…」

彼はグニャ、と右肩を下ろし、「ねえ?」と不満げな顔を彼女に向ける。
彼女はちょっと笑って、「そうですね」と目を見ずに頷いた。
どうやら初デート、という設定だったらしい。壊してしまって申し訳ない。
けれど今の会話から、なんとなく「付き合う前の男女」「彼が自分に片思いをしている」という設定らしいことは掴めた。
彼女はなんとか合わせてメニューを覗き込む。

「オレコモン。コモンくんって呼んで」

メニューを覗き込み、体が近くなった途端に小声で言われた。小エビは小さく頷き、「コモンくん」と復唱する。

「ね、女子会ってフツーなに頼むの?」
「甘いもの…」
「じゃオレタルトにしよ」
「じゃあ私…。…あの、ご馳走になっていいんですか?」
「だからお詫びだってぇ。なんでもするよぉ」
「…分かりました。じゃあ、桃のケーキ」
「と?あとなに?」
「えっ?あ…どうしよう。じゃあココア…」
「と?」
「えと……?じゃあ…ガトーショコラも」
「ン。分かった」

デスアダーは長い腕を上げ、スタッフに注文した。
少し待っていればケーキが来る。
モストロのケーキは美味しい。思わず奢ってもらう形になったので、彼女は小声で「ありがとうございます」と囁いて少し嬉しそうにした。

「甘いの好き?」
「好きです。とても」
「成程。ユウちゃんは甘いのが好き…」
「あっ。ふふ、ちょっと…」

彼は真剣な顔で「甘いものが好き」とメモを取り始めた。彼女は思わず笑ってしまい、顔を背けてクスクスやった。

「いや〝好きな子〟のデータは取っとかないと。フられたくないもん」
「メモまで取らなくっても…」
「ドンドン取るよオレは。じゃあ質問第二問ね」
「ふふ。はい。…お答えします」
「好きな変温動物は?」
「へ。変温動物」
「そうそう。なに?」
「えっ…変温動物?変温動物ってなにがありましたっけ…」
「オサガメとかー、ビンナガとか」
「ビン…?」
「あとはヘビとか。この中ならどれ?」
「えと…じゃあへび…」
「ッシャ」
「??…」
「オレね。蛇なの」
「へび」
「うん」

彼は首をニョロ、と動かして舌を出した。
その舌は長く、二股に分かれている。明らかに人間のものではない作りだった。彼女はビックリして舌を見つめる。
獣人は分かるが、蛇がいるとは思わなかったのだ。
珍しくてジッと見ていると、彼は口まで開けてくれた。
口内の造りは全く人間と違っていて、鋭くて長い牙が見える。中から「スーーッ」と人間には出せない音が響いた。

「わ」
「いつでも言って?ハンドリングするから」
「…毒とか、あります?」
「あるぜー。キッツイの」
「…出るの?」
「え…セクハラ…」
「あっ、えっ?せ、セクハラでしたか。ごめんなさい」
「嘘〜」
「う」
「こっから出るよ」
「そうなんですね…」
「噛もうか?」
「い、いいです」
「遠慮しなくていいよ」
「してな。ひえ」
「シーーーーーー」
「あっ、あっ!」

彼の顔が迫った。彼女は「ひえ」とか「あ」とか言ってのけぞる。デスアダーはそれにニコ!と笑って、彼女が落ちないように背中を支えて「蛇ジョーク」とニコニコ笑った。

「よ、よしてください。驚いた…」
「ハハハ。じゃあお詫びスネークするわ」
「なんですかそれ」
「お詫びスネーク…」

彼はモソ、と言って右手を魔法でかわいい蛇の形に変え、彼女のほっぺをチョンとつついた。
緊張が解けた彼女はうふうふ笑って、「わ。かわいい、それ」と言う。
触られるのは全く嫌じゃなかった。

「質問コーナー第三問な」
「ふふ。まだやるのね」
「オレのこと好き?」
「えっ」
「好き?普通?…嫌い?」
「あ…えと…。嫌いでは…」
「じゃ好き?」
「す…はい」
「よっしゃー」

彼はパッ!と笑ってメモ帳に「オレも好き」と書き込んだ。そのままニコニコしてメモを折りたたみ、ポケットにしまう。
彼女はチラッと見えたメモの内容に少し動揺して、見ないふりをしてココアを飲んだ。別に本気で口説かれてる訳じゃないのに。

「──女子会ってなんの話すんだっけ。好きなタイプとか?」
「は、はい。男の子の話とか…美容とか」
「あー…でもユウちゃん好きなタイプオレだもんなあ。じゃオレの好きなタイプ話するね」
「ふふ、はい」
「オレの好きなタイプはねー、…ジェイドみたいなイケメン…」

彼は突然カウンター内のジェイドを見て、熱い視線を送った。ジェイドは一瞬だけ左眉をキュッとしかめて、「おや」とひとつ言った。

「珈琲タダにして…♡」
「しません」
「は?マジしけてんなここ。ユウちゃん今度から外で会おうぜ。もう二度と来ねぇこんなとこ」
「うふふ」
「今度のデートどこ行く?オレが決めてもいい?」
「あ、えと…はい。お任せします」
「オッケー。あーでもユウちゃんのことまだ全然知らないしなあ。オレのことが好きってことしか知らないし。なにで喜ぶかわかんない」
「ふふ。猫が好きです」
「マジ?猫?あと甘いもの?」
「はい」
「お。だったらめっちゃいいとこあるよ。ここからスゲー近場に」
「?どちらに」
「オンボロ寮」
「、」
「あそこ猫いるでしょ。甘いもんならオレ持ってくし。オレもいるし。好きなもん三つあるじゃん」
「あ、えと…」
「…ごめん、話合わせて」
「…あ。はい!分かりました。次はその…私の寮で」
「ウン、約束ね。じゃあ次はユウちゃんとおうちデートだ?」

デスアダーは〝周りに聞こえるように〟言って彼女の小指に自分の指を巻き付け、指切りした。
彼女は恥ずかしそうに頷き、黙ってケーキを食べる。デスアダーはその横顔を濃い黄色の目でニコニコ見つめていた。
それは正しく爬虫類の目である。

「楽しみー。次会ったら付き合えるかな?今可能性何パー?」
「えっと…ご、五十…?」
「え!?意外と高ぇ。ってことは今告ったら二分の一の確率で付き合えんのッ?」
「えっ、あ」
「好き…付き合お」
「!あ、あう…」

彼女はものすごく困った顔をした。
デスアダーの顔が本気だからだ。しかしデスアダー、なにも本気で告白していない。今日中にどうにかしようなんて全く考えていないのだ。とにかく今日は自分を意識してもらえればそれでいいと思っている。
けれど。
彼女は困り果ててから、右手でチョン、と彼の頬をつついて。

「…お詫びスネーク…」

と申し訳なさそうにちいちゃな声で言った。

「ッ、」

ごめんなさい、という意味だろう。
その瞬間。デスアダーはカ!と顔を赤くして、目を大きく見開く。そして一瞬のけぞって、心臓が高鳴ったのを感じ。

(え、なにコイツめっっっちゃ可愛い)

と。
柄にもなく少し黙ってしまった。
そして僅かに停止してから、めろめろとテーブルに顔を伏せ、「っえー…可愛いンだけど…」と素直な声を出した。

「何…?スゲー可愛いことするじゃん…」
「コモンさ…コモンくんがやったから…。かわいかったから…」
「ほんとだ。元祖オレじゃん。オレが可愛いのか」
「ふふ。可愛いです。…あの、コモンくんは──」
「あ。やべ」

彼女がうふうふ笑いながら何か言いかけた時。
彼女の機嫌が一番良くなったと思われる瞬間。彼は急に自分の腕時計を見て、「…10分経っちゃった」と切なそうに言った。

「…付き合わせてごめんね。約束したし、オレ行くわ。奢りだから気にしないで」
「あ。……左様ですか」
「マジで助かった。ごめんね、やだった?」
「いえ、そんなことは」
「急にやべーヤツだと思ったでしょ」
「お、思ってないです」
「怒ってない?」
「はい。怒ってません」
「ほんと?次会ったら話しかけてもいい?オレ無視されたりしない?」
「しない…」
「マジか。良かったぁ。めっちゃ安心したわ。…ね、オレユウちゃんと仲良くなれたかな」

彼女は小さく頷いた。
急に会話を打ち切られて物足りない気分だった。そうだ、自分は話を合わせていただけだった、と心が現実に戻る。
デスアダーはニコ!と笑って、「じゃー手出して」と言った。
彼女は「手?」と首を傾げて、右手を出した。
すると彼はその手をグッと強く握る。

「、」

デスアダーはちいちゃな手をニギニギやりながら、「あともうひとつごめん」と笑った。

「先輩から逃げてきたの嘘なんだ。ユウちゃんと仲良くなりたかったから話しかけただけ」
「えっ」
「友達がユウちゃんがモストロに1人でいるーって言うからさ。チャンスだと思って来ちゃった。ずっと話してみたかったんだよね」
「…へ、あ」
「スゲー可愛いんだねユウちゃん。オレもう少し話してたら本気で好きになりそう」
「……、」
「メモ大事にする。じゃあね」

彼は手を離して、ニコニコしながら手を振って去って行った。会計を済ませ、「またなー」と言われて。彼女は呆然として頭を下げた。

「………えと…」

状況がうまく飲み込めず、テーブルを見る。隣には彼が先ほどまで飲んでいたアイスコーヒーと、タルトがあった。
彼の余韻があった。

「………」

自分の周囲が静かになった途端。
彼女は唐突に恥ずかしくなって、目をうろうろさせ。頬を触って…そこで。先ほどまで握られていた手を見て驚いた。

「あ」

掌には黒い字で、彼の電話番号が書かれていた。「Call me.」という文字付きで。
彼女はこれをジ、と見て。この時初めて全てをきちんと理解して、顔を派手に赤くするのだった。






「、あ」

小エビは前から歩いてくるフロイドとデスアダーを見て、心臓がドンッと音を立てるのを感じた。
デスアダーはまだこちらに気が付いていない。フロイドにベッタリくっついて携帯を覗き込みながら、時折長い舌を出したり引っ込めたりしている。蛇の仕草だ。
彼女は昨日の今日なのでなんだか緊張して来て、気付かれませんようにと思いながら足早に通り過ぎようとした。したのだが。

「あ。小エビちゃぁん♡」

フロイドが先に気が付いた。
ビクッとして顔を上げると、蛇とウツボがこちらを見下ろしていた。フロイドだけでも怖いのに、こうして身長の高い男が並ぶと威圧感二倍だ。エビは「見つかった!」という顔をして、ジリ、と後ずさる。

「何してんのぉ?お散歩かな?かぁいいねえ」
「あ…」
「あれ?怖がってる。なあに。どうしたの」

フロイドは首を傾げて眉を上げた。小エビはいつもなら自分を見ればスグに「あ!」と言って寄ってくるのに。こりゃ隣の蛇が原因かしらと思って、「このオニーサンになんかされたぁ?」とデスアダーを親指で指差してニヤニヤ笑おうとした瞬間である。

「ユウちゃん!」
「ゴヘッ」

鳩尾をノールックで殴られた。
〝邪魔〟と判断されたのだろう。フロイドは一瞬息ができなくなって、鳩尾を押さえてヨロヨロ座り込む。デスアダーはそんな彼を一切見ずに、ニコニコニコニコ笑って彼女に近づいて行った。

「ねえ、昨日ユウちゃんから電話来なかった。待ってたのに」
「えっ。あ…で、電話…」
「手ェ出して」
「……」

彼女はおずおず右手の平を差し出した。
するとそれをクルッとひっくり返され、手の甲をガッチリ握られる。

「、」
「もしかして直接会ってお話ししたかった?」
「あ、えと」
「オレ寮行けば良かった?鈍かったのオレの方?」
「その」
「フロイドばっかずりー。オレのことも構ってよ。昨日せっかく仲良くなったのに、振り出し?」

小エビは反射的に赤くなって、彼の顔を見ずに床を見て「えっと」とか「その」を繰り返す。
握られた手がジワーッと熱くなった。
明らかに意識している乙女の反応だ。
デスアダーは察してスグにしゃがみ、撫子を見上げて目を合わせた。フロイドはまだダメージから抜け出せず、床に寝転がったままシン…としている。

「そっか。会いたかったんだ?ごめん気付かなくて。バカ正直にソワソワ電話待っちゃった」
「あう」
「…え、違う?」
「、」
「………嫌い?やっぱやだった?」

彼は何も言わない彼女へ、へにゃ…と眉を下げて「あ、もしかしてマジで嫌がられてる?」という顔をした。彼女はこれを見て「あ、ち、違うの」と慌てて首を振った。

「き、嫌いでは」
「ほんと?」
「は、はひ」
「じゃあまだオレ勝手に勘違いしてて良い?」
「あっ、え、勘違い…?」
「ユウちゃんがオレのこと好きになってくれるかもって勘違いしてて良い?」
「す。…あ、は、はい」

デスアダーがあんまり切なそうな顔をするものだから、彼女は思わずカクカク頷いてしまった。彼はコレに「ほんと」と安堵した、あの時と全く同じかわゆい顔をして見せる。

「うれしー。チャンスくれるんだ」
「……は、はい。…わっ」

彼が手を離した。
すると掌の電話番号は消えていて、その代わりに…手の甲にカッコいい蛇のマークが付いていた。
百合の花に巻き付いた蛇の、小さなタトゥーのようなもの。

「へび」
「これオレに会わないと消えないから。放課後会ってよ。迎えに行っていい?」
「り、寮に…?」
「ウン。ちょっとで良いからお散歩しようよ。構って」
「は。はい。わかりました」
「あと廊下とかで会ったら無視しないで。コモンくんって呼んで。オレユウちゃんから話しかけられてよっしゃ!ってなりたい」
「こ。コモンくん」
「うん」

彼は「約束ね」と念を押す。
廊下ですれ違ったときにどうして良いか分からなかった彼女は、こうくると話しかける以外に無くなった。
挨拶しようかどうしようか迷う必要はなくなったのである。

「いい?約束できる?」
「は、はい」
「じゃ練習しよ。おい。オイフロイド。お前コモンくん役やって。オレユウちゃん役やるから」
「うるせぇクソナードが!無個性のテメェがオレに指図すんじゃねえッ(激似」
「カッちゃんお願い!お願いカッちゃん!ハーゲンダッツ3つ買ってあげるから!」
「じゃあやる♡」
「ザーース」
「何オレどうすれば良いの?」
「向こうから歩いて来るだけで良いから」
「イエスボス」

フロイドは神妙な顔をしてコモンくん役をやることになった。小エビは教科書を抱きしめたまま困っている。そんな彼女の隣にデスアダーはしゃがんでいた。

「あ!フロイド!フロイド」
「あ?何?」
「ボケなくて良いから。普通に歩いて」
「あマジ?スゲー考えちゃった」

フロイドは笑って頭を掻く。
ただ歩くだけじゃつまらないからボケようとして神妙な顔で考えていたのだが、先手を打たれた。彼はヘラヘラ笑って廊下の端っこに小走りで行き、言われた通りニョロニョロ歩いてやる。するとデスアダーが彼女を見上げて「せーの」と言った。彼女は慌てて頷き、2人で「コモンくん」と呼んだ。

「イェーイ」

フロイドは適当に投げキッスをする。
デスアダーは「きゃーっ。素敵っ。かっこいいーっ」と頬を抑えて黄色い声援を送った。

「分かった?これ毎回やってね」
「これを…!?」
「え?ダメ?」
「これを…」
「お願いします!」
「う」
「お願いします!何卒!お願いします!」
「あ。ほらぁ、小エビちゃんがウンッて言わないから淡水魚ちゃん腕立て始めちゃったじゃん」
「ふ。なんで腕立て」
「お願いします!」
「ほら小エビちゃんこんな綺麗な三点倒立見たことある?」
「うふふふふ」
「お願いします!」
「わか、分かりましたから」
「っしゃあ!」

彼女はうふうふ笑ってデスアダーの勢いに負けた。

「約束ね。コモンくんって呼んでね。今日お散歩してね」
「はい、わかりました」
「よっしゃー!」

デスアダーはクスクス笑う彼女の周りをニョロニョロ歩き回って喜んだ。
彼の勝ちである。小エビはその幼い喜び方を可愛く思って、お散歩、とひとつ思う。
何を話して良いか分からなかったが、彼なら多分大丈夫だろう。
気まずくなることもきっとない。

「ありがとスネークしていい?」
「ふふ。はい」
「ン」
「!?きゃっ」

彼は小エビの頬にチュ!とキスをして、ニコニコ笑ってフロイドの腕に巻きついた。
「じゃあ放課後な〜」
手を振って彼が去っていく。
彼女は頬を片手で押さえ、目を逸らしてなんとか頷いたのであった。

「マジ可愛い〜〜。顔溶けるわ〜〜」
「お前いつの間にあんな仲良くなったのぉ?」
「昨日仲良くなった」
「早ェ〜。小エビちゃんめっちゃ意識してんじゃん」
「は〜〜付き合いてぇ〜〜オレ結構真面目に好きかも。あんなもん横にいたらおかしくなるわ」
「マァ分かる、それは分かる」
「え〜〜好き〜〜」

デスアダーの声は大きく、廊下を曲がったあとでも聞こえた。小エビにも聞こえるような声量だった。彼女は髪で顔を隠すように俯き、恥ずかしそうに頬をさすって照れ照れ歩いていく。
今までの人生、告白をされたこともあったし、アピールをされたこともあった。けれどあんな風に物凄くわかりやすく、カッコいい先輩から言い寄られたことがなかったから緊張する。
当然ドキドキするのだ。

彼女は教室に急ぎ足で歩きながら、「コモンくんって呼ぶ」と心の中で二回三回繰り返す。うまくできるか分からないが、約束したので。
…そしてこれは功を奏し、食堂でばったり会った時。デスアダーが真剣な顔でこちらに耳を向けて目を閉じるので。
彼女はドキドキしながら「こもんくん、かっこいい」と小さな声で言った。デスアダーはそれにパ!!と笑って彼女の周りをぐるぐるニョロニョロ回り、ニコニコデレデレして去って行くのだ。
小エビはこれがかわゆくってしかたなくて、また髪で顔を隠して口元を覆うのだった。





「うわ。タトゥー」

エースは小エビの手の甲を見て目を丸くした。NRCはタトゥーの禁止など無いが。それにしても、この子がタトゥーを入れるなんて思わなかったのである。しかも結構いかついやつだ。

「あ。これね。スグ消えるやつなの」
「あ、フェイク?遊んだの?」
「入れらりた」
「入れらりた?誰によ」
「フロイドさんのお友だちに」
「んぇ?」

首を傾げる。すると彼女は詳細を語った。
昨日のこと、今日のこと。
コモン・デスアダーの名を。
エースは聞いて行くうちにますます顔を歪め、「うえぁ。マジか」と嫌そうに顎を引いた。

「あの先輩良い噂聞かねえよ?あの蛇の人でしょ?」
「うん。…いい噂聞かないの?」
「いやNRCで良い噂聞く先輩の方が少ないけど。1秒考えたら分かるだろ。フロイド先輩の友達だぜ?」
「怖い人?」
「分かんないけどあの見た目は命で遊んじゃってるタイプだろ」
「私遊ばれてる?」
「いや、あんま無責任なこと言えねえけど。ホイホイ付いていかない方がいいよ。普通に。騙されてるかも知んないし。オクタヴィネルだしあの人」
「オクタヴィネルってダメなの」
「お前校則読んでねえの?」
「え?」

エースは溜息をついて学生手帳を出し、裏に書いてある校則の欄を指差した。
そこには校則第14.「オクタヴィネル生は信じるな」と書いてある。その下にも、「スカラビア生とは関わるな」「サバナクロー生はやるヤツしかいないから目を合わせるな」「ポムフィオーレ生は選民意識が高過ぎるからみんなで虐めろ」と書いてあった。どの先生が追加したのか分からないが。

「マァ程々にしとけよ。何があるか分かんねえんだから」
「うん…」

小エビはそう言われ、タトゥーを見つめて黙った。遊ばれてるのかも、と初めて思う。
マァ彼はとてもモテそうだし、軽い感じだ。嫌な感じはしないけど、あの人間の格好をしたバケモノであるフロイドの友達である。
ちょっと警戒した方がいいかもしれないという警告は最もだった。

「あ!」

しかしこうして警戒しようと思った矢先に会うのが、人生の常である。

廊下の向こうからデスアダーが友達とニョロニョロ歩いてくるのが見えて、小エビは「コモンくん」と呼ぼうか、ホイホイ近づいて良いものか少し悩んだ。するとパチッとあの黄色い目と目が合って、小エビはビクッとする。
そして困って困って、少し考えたくて…たまたま通りすがったレオナの背中に隠れた。単なる時間稼ぎのつもりである。

これはこの学校に通い始めてから得た教訓であった。怖いものを見つけたらもっと怖いものに隠れるべし、である。

「あ?」

レオナは小(こ)まいのが突然後ろに隠れたので、かったるそうに後ろを見てから、前を見る。
目の前には2年のハンサムな男が立っていた。
どうやらこの子はこの男から隠れたらしい。
レオナはちょっと面白く思って、「よう。色男」と自分から声をかけた。

「え?」

しかしデスアダーはレオナを見ず、隠れた小エビを見ていた。小エビは「咄嗟に隠れちゃった」という顔をして汗をかいている。彼はその顔をジーッと見てから。

「…なんか、余計なこと吹き込まれたな」

と呟いてレオナを見た。
レオナは「で?誰コイツ」という顔をして一歩前に出る。
デスアダーは一歩前に出たサバナクロー寮長を見て、狙っている雌を盗る〝敵〟と見なし。

「スーーーーーーッ」

物凄く巨大な威嚇音を突然出した。
彼は人間体なので、かなり大きな音が出る。その全力の威嚇音は少し、いや強烈に怖かった。牙が見える。いきなり戦闘態勢だ。
彼は口をカパ、と開ける。
牙から緑の液が垂れた。アレがきっとデスアダーの持つ致死率50%の神経毒だろう。

「ッゲ。蛇」

レオナはそれを見てゾゾ髪立て、後ろに一歩下がった。なんせ獣人、蛇が大嫌いである。猫科は特に蛇が大嫌い。
本能的に大嫌いだし、お母さんから「蛇を見つけたらスグ逃げるのよ」と教育を受けているのでもう凄いことになっている。

しかもデスアダーは厄介であり、蛇の中でも攻撃速度が最も速い。0.15秒で獲物に毒を注入して元の戦闘態勢に戻ることができるのだ。
故にレオナはスグに姿勢を低くして、「ゴルルルルル」と同様巨大な威嚇音を出した。

「シーーーーッ」
「ガルルッ、ゴル」
「ひえぇ」
「ウギャッ、蛇だ」
「蛇だ!」

他の動物は蛇の威嚇音を聞いてビョン!と飛び上がって避難した。爆音のつばぜり合いは廊下に響き、小エビは怯えてしゃがむ。
まさかこんなことになるとは思っていなかったのである。
デスアダーは攻撃の隙を狙って首をフラ、フラ、と動かして縦長の瞳孔でレオナを見つめた。ライオン一頭、否、サバナクロー寮長を一等仕留めるとなるとかなり際どい闘いだ。
負けはしないが勝つこともできない。
噛むことさえできれば良いが、この獣には隙がない。
どうするか、と考えていると。
レオナは突然フッと牙をしまって。

「マァ良いか」
「、」

と、無防備な声を出して背中にいた小エビの首根っこを掴んでポイっとデスアダーの胸に捨てたのであった。賢い頭で勘定をして、「そういえばこの子は自分のメスでもないな」と思ったので。もしこの女が自分のメス、あるいは自分のメスにしたい女ならば蛇くらい噛みちぎるが。蛇の〝お手付き〟は本当に厄介だ。
めんどくせ、と思ったのだろう。
この男はとにかく引き際が良いのだ。

「あばよ。好きにしろ」
「あっ。あ、」

レオナはペロッと上唇を舐めてノシノシ去って行ってしまった。デスアダーはキョトンとした顔であっさり敵前逃亡したレオナを見て、噂通り怠惰なライオンなのだなと思った。
自分の利にならないことはとことんやらない男らしい。

「…ユウちゃん」
「あ、あう、ごめんなさ、」
「ユウちゃん。なんで逃げたの?」
「か。噛まないで。かじらないで」

小エビはデスアダーの胸から逃げようとして青ざめている。怖いのだろう。しかし蛇の懐に一度入ったら最後、逃げられないと相場は決まっていた。
無力なエビになす術はないのである。
脅す気はなかったデスアダーだが、腕の中で怖がって小規模に暴れる小エビがかわゆくて…少し変な気を起こした。

「なんで逃げたの?」
「ご、ごめんなさい」
「なんで?誰かになんか言われた?」
「………」

彼女は図星という顔をした。物凄くわかりやすい娘なのだ。デスアダーはニョロ、と舌を一瞬出してスグにしまい、「オレのこと怖いの?」と低く聞いた。
小エビはビク!として、恐る恐るデスアダーの目を見た。縦長の瞳孔がちょっと怖かった。

「こあい」
「なんで?」
「…噛まない?」
「噛まない噛まない」
「…遊ばれてるのかもって、言われました…」
「がぶ」
「!あ"ーっ」

エビは首を4本の鋭い歯で甘噛みされて悲鳴を上げた。痛くはないが、はっきり噛まれていると分かるくらいには力が入っている。

「や"ーっ。あ"ーっ」
「………」
「噛まないって言った、噛まないって言ったのに、」
「………」
「あーっ」

彼女は泣き顔でデスアダーの肩や背中を叩く。しかし彼はたっぷり無言で一分間噛み付き、エビがグッタリしたのを確認してから口を離した。

「ユウちゃん」
「ひえ」
「遊びでライオンに立ち向かったりしないよ」
「……」
「オレだってライオンこあいし」
「……」
「何その顔。がぶ」
「あーっ」

頬を噛まれた。
彼女は顔をシワクチャにして彼の胸を思い切り押す。すると今回はスグに離され、ちょっと安堵した。

「ねぇオレさ、ユウちゃんと挨拶したいからこあいライオンに威嚇したんだよ」
「あ」
「挨拶してくんねぇの」
「……」

彼女はそう言われると、反省するばかりである。彼は天敵のライオンに立ち向かったのだ。自分と挨拶をするためだけに。
確かに態度が悪かったかもしれない。

「………」
「あ!お詫びスネークの構えだ。違うじゃん。挨拶してって言ってんのよ」
「あ、えと、こんにちは」
「と?」
「えと…あっ、コモンくんかっこいい…」
「そう!」

デスアダーは笑ってニヘニヘ脱力し、彼女の腕に顎を擦り付けてニョロニョロ肩まで登っていった。
人間っぽくない動きだ。たまに舌がチロッと出る。多分ハンドリングだろう。
彼女はこれをドキドキしながら見詰めた。
彼の前に出ると言葉がうまく出ないのだ。
デスアダーはどんどん登って、彼女の顔に近付いて。

「…あっちぃ、」
「?」

唇まで近づいた瞬間だった。彼女が目を閉じかけた瞬間である。
彼は巻き付けていた腕を離し、自分の胸ぐらに指を引っ掛けてパタパタやった。

「ユウちゃん体あっついね。くっ付いてたらのぼせる、オレ」
「熱いですか」
「汗かいて良いならくっ付くけど。ベタベタになってもいいの?」
「あ、えと、」
「ハハ。いーや、嫌われたくないもん」

散々くっ付いていたくせ、彼は途端に離れた。
本当に暑そうな肌をして顔を仰いでいる。

「オレ汗っかきなの。ごめんね。匂いついたかも」
「あ、いいえ…」
「あ!嗅がないで。恥ずかしいから」
「恥ずかしいの」
「や、そら汗だし。良い匂いなら良いけど」

小エビは突然離れられた距離を僅かに寂しく思った。恥ずかしかったから良かったけど。
匂いを嗅ぐと、デスアダーの香水の香りがした。甘い匂いだ。男の子っぽいかっこいい匂い。
もっとくっ付いていたら肌に染みつくのだろうかと思うと、顔が熱くなった。

「今度は隠れないでね」

デスアダーは笑って「バイバイ」と去って行った。彼女は頷いて頭を下げる。
彼の姿がなくなる頃には、もう既にエースの忠告は忘れていた。



「い、いけません」

赤い唇が細い声で言った。
デスアダーは口を彼女の手で塞がれ、喉をキュッと鳴らす。
撫子は困った顔で伏し目をうろうろさせて俯いていた。分厚い睫毛越しの黒目はこれ程美しいのに、これ以上近付くのは許されないらしい。

「ダメ、?」

デスアダーは眉を限界までヘタらせた。
彼はキスを拒まれたのである。
絶対に許してもらえると思ったのに。彼女の頬は情に赤く染まっているのに。大きなまろい胸部が熱い呼吸で膨らんでいるのに。
この先は立ち入り禁止だそうだ。

「なんで」
「だ、ダメです」
「なんで?」
「これ以上は…」
「ユウちゃん」
「か、堪忍(かに)して。…辛抱して…」

小エビは必死に首を振って彼を押し退けようとした。デスアダーはけれどその柔らかい拒絶に決して引き下がろうとせず、「なんで?」を繰り返す。
彼女はそれでも許すわけにはいかなかった。
だってデスアダーとは、話すようになってからたった一週間だ。それに付き合ってもいない。
彼女は彼に会うたびドキドキして、寝る前に彼のことを必ず考えるようになっていた。彼と会う前の生活からは考えられない程ぼんやりとして…求愛を繰り返される心地良さと言葉の甘さに脳がとろけていたのだ。

小エビは彼に好かれて惚れた。
「仲良くなりたい」と口説かれてからたった7日で戻れない程彼一色になってしまった。
デスアダーが「オレね、黄色好き」と言うから、キイロのネイルを無意識に選んで塗って…唐突に恥ずかしくなって青に塗り替えたり。
デスアダーが「良い匂いするね」と言うから、自分の匂いを逐一ふんふん嗅いで確認し、もっと言われたくて良い匂いのするヘアミストを買ってしまったり。
蛇について詳しく調べてしまったり、蛇のモチーフのスマホケースが欲しくなったり。と。
生活が変わってしまった。

…これが恐ろしくてたまらないのである。
突然脈絡もなくやって来た彼は随分女に慣れているようで、彼女の欲しい言葉を、彼女には思いつかないようなことばかりして喜ばせてくれた。彼といる時間はドキドキして自分が自分でなくなるような感じがして心臓に悪かったけれど。小エビはデスアダーを見かけるたびに、目が合わないかしら。
目が合ったら、スグに「コモンくん」と呼ぶのにと。
そしたらいつもみたいに好意を伝えてくれる?と期待してしまうのだ。
けれどそう思うたびに怖くなる。
このまま私ばかり好きになってしまうのではないかしらと。
突然来たということは、突然去ってしまうのではないかと。
熱しやすく冷めやすいお方なのではないかと怖く思っていた。

だから小エビは彼を好きになりたくなかった。
自分がメロメロになった頃に別の女へサラッと行ってしまうのではないかしらと思うと、深入りしたくなくなるのだ。…
けれどデスアダーはひどく苛められているような顔をして、口を縛られて折の中の閉じ込められているような顔で切なく瞳を揺らしていた。

「そ、そんな顔をされても、ダメです…」

彼女はクッと感情を押し殺して顔を背けた。
デスアダーはこれを見て、「なんで」と思う。
彼はいつも超短期戦だ。
普通なら三日で付き合って五日で交尾できている。なのに彼女は七日も経っているのに、付き合ってもくれないしキスも許してくれなかった。
オンボロ寮に入れてくれるけれど、距離はなかなか近付かない。
靡いているはずなのにノラクラかわされて、いつもスタート地点に戻される。
これが切なくて堪らなかった。

彼は好きだと思えば非常に直情的であり、隠すことをしないし、本気で口説く。
ありのままを晒すのだ。
好意は本物である。彼は彼女を気になり、好きになってから、ずっとこの女のことばかり考えていた。
抱きしめられないのが悔しくて、キスできないのが悲しい。こんなにお預けをされたのは初めてで、飢餓感に臓器がシクシク痛むのだ。

誰か他に好きな男でもいるのか?
日本に愛した男でも残してきたのか?
将来を誓った男でも?
オレの何がいけない?

…そう思うと寝付きが悪く、胸が重い。
辛抱なんてずっとしている。
彼女が「こもんくんかっこいい」と恥ずかしげに言うたび、この女キスしてやろうかと思ったけど我慢したし。
近付くとスグにこちらを見て…口説かれるんじゃないかとドキドキソワソワしているいじらしい姿は心臓をつねられているようだったし。
ワンダーランドではまず見ないシトシトとした歩き姿も、笑う時は口を隠してほろほろ笑う姿も、血痕みたいにこびりついて離れなかった。

「………」

ソファの背もたれに擦れて乱れた黒髪から、花の香りがする。熱くなった肌から女の良い香りがして、服を着込んでいるのに裸より悩ましい。
彼はこんなものを目の前に見せられながら触ることも許されず、さらに乱すことも野暮だと突き付けられる。
男にこれを我慢しろとはあまりに残忍だ。
酷過ぎる話だ。
これ以上何を耐えろと言うのだ。

「…じゃあ、しないから、」

けれどデスアダーは耐えるしかないのだ。
決定権は常に彼女にあるのだから、彼女の意にそぐわぬことをしてスタート地点より遠くに弾かれるわけにもいかない。こんなに夢中だけれど、だからこそ嫌われるわけにはいかないのだ。

「しないから、近づいて良い?」

地下牢から響くような切ない声で言った。
小エビは「ち。近付く?」とちいちゃな声で言って、彼の胸板から手を恐る恐る離す。
デスアダーは眉を限界まで下げて頷いた。

「口はくっ付けないから」
「??……そ。…それなら…?」
「ウン。目は開けてて。寂しいから」

彼女は訳もわからず頷いた。
するとデスアダーが彼女の膝の上に向かい合って座った。重い体重が太腿にのしかかる。そのまま顔が近付いた。

「、」

ビクッとして少し下がるが、背もたれに阻まれて敵わない。一人がけの、僅かにゆとりがある椅子が軋み、彼の顔がどんどん近付いてくる。
思わず強く目を閉じた。
けれどスグに開けてと言われて、彼女はドキドキし過ぎて息が荒くなりながら、ほんのりと目を開けて睫毛を震わせた。

すると彼は、焦点がぼやけるほど顔を近づけるのだった。鼻がほんの少しぶつかっているような、くっ付いていないような、彼の肌の温度を感じるほど近くにその黄色い目があるのだ。

「逸らさないでよ」
「あ、」
「目閉じたらキスするよ。それは良いよね?」

限界になって僅かに俯くと、ガシッと顎を掴まれた。彼の親指に付けている黒いリングが肌に少し食い込んだ。これでもう右を向くことも左を向くこともできない。
彼女の手が震えた。
デスアダーの短い睫毛が、まばたきのたびに肌をかする気がする。唇が痺れ、喉に心臓があるのかと思うほどドクドクした。

心臓があんまりにもドキドキして泣きそうなほどだ。足の裏に汗をかき、靴の中で指を丸めたり広げたりしながら、彼女は眉を下げて首までほんのり赤くなる。
足がガクガクして、なんとか目を閉じないように荒い息を吐いて、彼の縦長の瞳孔を見つめていた。

「は、」

顔の真横、背もたれに手をついた彼の太い腕がある。顎を掴んだままの手は力強く、動かない。
お互いの重い息が肌にぶつかり、彼女の肌の熱がデスアダーの体を焼いた。

「あ」

無意識に声が出る。
何もされていないのに、デスアダーは少しも動かないのに、唇が震えて仕方が無いのだ。勝手に目が閉じそうで、懸命にまばたきをしながら浅い息を繰り返す。

「……クソ」

…暫く、永遠と思える時間が経過してから。
デスアダーの片眉がキュッと寄せられた。
小エビはその小さな声にビク、として彼から目を逸らし。彼の肌に汗がしっとり浮かんでいることに気がついた。
ツルリとコメカミから汗が落ち、彼の顔も熱で赤くなっている。
彼女の体があんまり熱いから、ぴったりくっついていることでのぼせてしまったのだろう。
蛇は急激な温度変化に弱いらしい。
…知っている。
随分調べたから。

「う、」

デスアダーは彼女の顎から手を離し、額の汗を指で拭った。
それでも体を限界までくっ付けて、互いの心音を肌にぶつけ合いながら彼女の瞳を近くで見つめていた。
小エビはキスよりも密接な体温の交わりに震える手を、彼の太腿の上に置いた。そのままズボンを握り締める。一人では耐えられない苦しさだったからだ。

彼のせいでこうなっているけれど、彼にしか縋れないのである。
スル、とデスアダーの肩から細い三つ編みが落ち、彼女の胸の上に垂れた。
それが身動ぎすると、服に擦れて体が震えた。
この三つ編みはいつもフロイドや他の友人に結んでもらっているらしい。
こっちの方がカッコいいからと。

本人は割と無頓着で、結んでいようが下ろしていようが構わないらしい。
朝は髪をセットするけれど、後ろ髪は放置しているそうだ。小エビはいつかこの髪をほどいて、結んでみたかった。
眠る前に彼の髪を三つ編みにしてあげたり、細いフィッシュボーンにしてあげる想像をして切なく寝返りを打っていた。
その触りたくて仕方がなかった三つ編みが胸を擦って、その下の心臓が苦しいほどときめくのだ。

「……畜生」
「ぁ、」

けれど、デスアダーは。
自分の胸ぐらを掴んで、フッと彼女から離れてしまった。
暑くて暑くて堪らなかったのだろう。
女の熱に参った蛇はシュル、と長い舌を出して引っ込め、目を閉じて長い息を吐いた。
先に限界がきてしまったのである。
あともう少し押せば、或いは何かを言えば、キスができたかもしれないが。

彼女は泣くほどドキドキして困っていたのに、彼の上半身が離れた途端に目の前で扉が乱暴に閉められたくらい寂しくなった。
追いすがるようにデスアダーを見るが、彼は目を閉じたまま汗を肌に滑らせてクッタリとしている。彼女に寄りかからず、肘掛に手をついて。
悔しそうにゆるく目を開けて、けれどスグに閉じ、胸ぐらを掴んでパタパタやり、体から熱を逃がそうとしていた。
切れ長の蛇の目がやっと開く頃には、彼女は恥ずかしくて恥ずかしくてもう顔もあげられなかった。
ただキスをされただけならここまではならないだろうに。
どうして彼はこんなに、心に火をつけるのがうまいのだろう。

「──帰るわ」
「へ、」
「此処に居ると乱暴するから」

デスアダーは暑くてクラクラする頭を押さえ、音を立てずに立ち上がる。
そして僅かに乱れた、左目にかかった髪を首の動きだけで横に流した。これは彼の癖だった。
左に髪を垂らしているので、目にかかりそうになるたび首の動きだけでそれを追い払う。
彼はこちらを見ず、苦しそうに喉仏を上下させた。ピアスがキラキラ光って、彼女は胸が苦しくなる。

帰らないで欲しかった。
此処にいて欲しかった。
いつもみたいに強引に居座って欲しかった。
…いつもなら、こちらの意思を無視してニョロニョロまとわりつくのに。
彼女が本当は嫌でないことを見抜いてくっ付くのに。心地の良い距離で。
ときめくようなもどかしい動きで。ねだらせるような声音で。
そう思うけど、わがままも言えない。
まだ此処にいてと言っても、きっと自分は喋ることも何もできない。俯いてあうあう漏らすだけだ。

「…こ。…コモンくん」
「え?」
「ら、乱暴、なさるの」
「ハ」

でも引き止めたくて、なんとか声を出す。
デスアダーはそれに、マジ?と言う顔でこちらを見下ろした。

「するだろ。嫌われるようなことしかしないよ。今オレ」

彼女は彼をちろ、と見上げてからまた俯いた。髪で顔を隠して、黙る。
嫌うことなんてないのに。
乱暴されたってきっと目を閉じるのに。
華奢に自分の指を触って、失った体温と汗の香りをもどかしく思った。

「…キ。……キスは、その」
「………」
「せ、せめて。あ、あと一週間くらい…経ってから…し、してくださいまし」

緊張しすぎて意味が分からないことを口走ってしまった。すると彼はカッと目を見開き。
暫く黙って彼女の俯いた顔を見つめてから。
突然ゴツゴツ革靴を鳴らして歩き、オンボロ寮にかけられたカレンダーに今から一週間後の日付けにマジカルペンでチェックを打った。
そのまま彼女を振り返り、コンコンコン、と。
素早くその日付をノックしてみせる。
「するからな」、と言う意味であった。

「あ、」

小エビは真っ赤になって体を小さくする。
デスアダーはいつもニコニコしているのに、ちっとも笑わずに彼女を見つめた。

「乱暴にするから」

彼は言い捨てて、苦しそうにオンボロ寮を去って行った。
取り残された彼女は、彼の残り香と、与えられた熱と共にくったりと脱力し。
とんでもない約束をしてしまったと、首に蛇が絡み付いたような気分になるのだった。
きっとこれから一週間、また眠れない生活になるだろう。

それは、恐ろしくも甘い日々なのであった。





「おユウちゃんあーそーぼー」
「ひっ」

オンボロ寮前。
ダンダンダン!というノックの音と、二人の男の声に小エビは飛び起きた。
今日は日曜の朝。
用事はなかった筈なのに、玄関からフロイドとデスアダーの声が聞こえるのだ。

「小エビちゃぁん」

このままではドアが蹴り壊されるかもしれない。小エビは慌てて布団から降り、スリッパを履いた。そして寝起き姿でデスアダーの前に出なければいけないかもしれないことに絶望し、自室で立ち往生してしまう。
鏡を覗く。
今自分はスッピンだ。髪の毛も絡まっている。誕生日にエースに買ってもらったあったかいヒヨコのバカみたいな着ぐるみパジャマを着ているし、こんな姿絶対に見られたくない。
彼女はパニックになって、ひとまず玄関へ行き。「ま、待って」と細い声で扉越しに言った。

「アハ。なんだ。いるんじゃん」
「おまちょい待ってって。ユウちゃん寝起きかもじゃん」
「ア?知らねえ」
「あっ」
「お邪魔しまぁす文字通りィ♡」

フロイドが無理矢理ドアをガァン!と開けた。
小エビは無情に開かれたドアと外の明かりと、二人の背の高い男が並んだ姿を見て絶望する。
目と口を丸く開け、高い位置に並んだ頭を見上げ。哀れなヒヨコは裾を握って青ざめた。

「あ……」

ヒヨコは一歩下がり、この世の終わりみたいな顔をした。フロイドとデスアダーはその青くなった小さなヒヨコを見下ろしてキョトンとした顔をする。そして、ヒヨコの顔が羞恥に染まる前に。

「ギャハハハハハ」
「かわい〜っ。チキンラーメンのヒヨコだ!」
「ひよこ出てきたンだけどぉ。アハアハアハ」
「ユウちゃんそれパジャマ?」

手を叩いて笑い始めるのであった。
デスアダーはカッと顔を赤くしてしゃがんで俯き、逆にフロイドはのけぞって笑う。
ヒヨコは絶望した。
目も開けられないような羞恥と、好きな人にこんな姿を見られたショックでよろけそうだった。

「流石に可愛い」
「マジやべぇ」

二人は笑いの余韻を引きずって頷き、「おはよぉ」「今起きたとこ?ごめんね」「ヒヨコちゃんお寝坊さんなんだねえ」と話を進めようとする。ヒヨコはけれどそんな言葉は頭に入って来なくて、わなわな震え。

「──に」
「ハ?」
「ん?」
「二度と、うちの敷居は跨がせません」
「えっ」

ヒヨコは鋭く言って、フードをかぶって顔を隠し(完全体になったとも言う)自室に走って去って行ってしまった。

デスアダーとフロイドは顔を合わせ、怒ってしまったヒヨコにまたブッ!と噴き出しそうになり。けれどなんとか、バチン…!と手を叩いて無音で笑うに努めた。
2人は暫くその場で無音で笑い、ハアハア言いながらなんとか復活して。オンボロ寮に入り、談話室に入った。
そこから声を張って「ごめんごめん」「バカにしたわけじゃないよ」と自室のドアに声をかけた。

けれどヒヨコは許せなかった。
皮膚を内側から引っ掻かれているような羞恥心に耐えきれず、怒りにも震えている。
デスアダーとは先日キスの約束をしたばかりだ。
なのに彼は何にもなかったように振る舞って、突然フロイドと共にやって来た。
どういうつもりなのか知らないが。
ヒヨコがそうして引き篭もって布団をかぶっていると、だんだん事態の深刻さに気が付いたらしい無神経な男の子2人は「あれ?」「マジで怒ってね?」「え?ガチのやつ?」とぼそぼそ会話し始め、「え?怒っ…てる?」とドアに向かってシワの寄った声を出した。

「…え、ねえごめんってぇ。バカにしたわけじゃないよぉ?」
「や、マジごめん。急に来てごめん。起きてるかと思った。ユウちゃん?」

その声はちょっとずつ萎んでいく。
彼らはどんなに恥ずかしい格好でも学校に行けるほど羞恥心とは無縁の人間だ。それで笑われても、「イカすだろうが」と仲間内で笑える。
だからヒヨコを笑われた彼女の羞恥に共感できない。下着姿を見たのであれば誠心誠意頭を下げるだろうが。

ヒヨコは布団の中で、外から聞こえる「ごめんね」「許して」とみーみー鳴く勢いをなくした先輩の声にもそ…と毛布から顔を出し、恨めしげにドアを見つめた。
そしてショックで働かない頭を動かし。
たっぷり沈黙してから。

「……エラーバレッタのミュール」

と、思い切りわがままを言った。
そしてフンとドアから顔を背けて布団を頭までかぶる。
男達はドアの向こうから聞こえたトゲトゲしい声に顔を合わせて沈黙する。

「え?それ買ったら許してくれる?」
「………黒いやつ。37のハーフ…」
「出禁解ける?それ」
「…とける…」

デスアダーはドアに向かって軽く二度繰り返して頷き、「ちょ行ってくるわ」と素早く階段を降りて行った。フロイドはギョッとして、「マジ?」とその背中をついて行く。

「エラー高ぇよ?10万くらいするよぉ?」
「バイト人間ナメんなマジ。出禁十万でなんとかなんなら安い」
「ガチ?ちょ、オレもついてく。え?今いくの?」

ダンダンダン、と階段を降りて行く体重の重い振動が聞こえ、「じゃ行ってくっからあ。鍵このままでいいのっ?」と玄関からデスアダーの声が響く。壁にぶつかって反響する声に、ヒヨコは「いい!」と怒った声を出して寝返りを打った。
そしてジッと毛布にくるまり、怒りながら。
しばらくして。
ほんとに行ったのかな、と思う。
フロイドはよく機嫌を損ねたとき、「わかったぁ、ごめん…」とスゴスゴ帰って行くフリをして。彼女がドアを開けると、死角から「ばあ♡」と出てくるのだ。

デスアダーもそうかもしれない。
ヒヨコはそう思うと怖くて外に出られなかったが、少し経ってから恐る恐るドアを開けた。けれど拍子抜け、オンボロ寮はガランドウである。
ヒヨコはビックリして何度もまばたきをした。
本当に行ったんだ、とあちこち歩き回って確認する。まさか本気で買って来いと言ったわけじゃない。
というかフロイドも居るから、どうせ「えーめんどくさ」とか何とか言って何処かに行くと思っていたのに。

「………」

ヒヨコはヒヨコを脱いで、エビに戻った。
そして意味もなくキョロキョロして、どうしよう!という顔をする。

あれ、凄く高いのに。
付き合ってもないのに、私買わせるの?
好きな人にそんなことさせるの?
それって幻滅されない?彼はヒヨコを見ただけなのに。
フロイドさんまで巻き込んで。
き、嫌わりる!
と。
エビはデスアダーに骨まで惚れられている自覚がないから、嫌われると思って泣きそうになりながらウロウロウロウロし続けるのであった。






「はい、プレゼントで。や、彼女じゃないんスけど。はい。37ハーフのブラックっす。あー、どうだろうな。綺麗系なんで多分そういうのが好き…だと思うんですけど。や。どうだろ、可愛い感じの方がいいんかな。ちょっ…とこれと似たようなの何パターンか見せてもらっていいすか?」
「飽きた…」

フロイドは店のソファに座り込み、デスアダーと店員の会話を横で聞いていた。最初は面白がって、というか。友達が行くから反射的について来てしまったが。
デスアダーは物凄く真剣にミュールを眺めている。同じようなデザインのものを何足か並べて片眉を寄せていた。流した前髪を首の動きだけで追い払いながら、「あー、わかんねー」と悩んでいる。
フロイドは「なに。どれと悩んでんの」と頭痛を堪えるような顔で後ろに立った。

「三足に絞ったけどこっからわかんねぇ」
「え?これ可愛いじゃん。小エビちゃん前こんなん欲しいっつってたよ」
「マジ?」
「オレの方が付き合い長いもぉん。好みならわかるよぉ?お前と違って」
「だる。カス死ね」
「これにしなよ。はいケッテー」
「いやこれヒール5センチ8センチ10センチあるから。悩む。女の子的にどれが良いの?あー、お姉さん、プレゼントだったらどういうのが良いですかね」
「そうですね、やっぱりお好みもあるので…私なんかは低い方がデイリー使いできるので好きなんですけど。シーンによって色々変わってくるっていうのもあるので。中でも…うーん、人気があるのは8センチですね。お買い求め頂く中ではそちらが一番人気です」
「あー…そっか、使う場所によりますよね。どうすっかなぁ」
「え〜プレゼントだし高い方が良くね?こっちのがカッケーしぃ。お前小エビちゃんにどれ履いて欲しいの?」
「10センチ」
「じゃそれで良いじゃん」
「高いヒールに慣れている方でしたらお勧めですね。形もとても綺麗なので…」

デスアダーは悩んで悩んで、結局10センチのヒールを買った。紙袋を手から下げ、ハーッと息を吐いて店を出る。

「許して貰えっかな…」

ニョロ、と舌が出て、すぐ引っ込む。
フロイドは「深刻ぅ…」と顔を歪めた。

「深刻だわ。出禁はまずいんだって。オレ25日にキスする約束してるから…」
「!?マジぃ?ガキかよ。なに?チューの約束ってなに?日付け決まってんのなにっ?アハアハアハ」
「仕方ねーだろそう言われたんだから」
「え?言われたのぉ?なんて?この日にチューしようねって?なにそれぇ」

デスアダーは歩きながら、仕方なく経緯を軽く話した。フロイドは恥ずかしそうにそれを聞いて、ヒャーヒャー言ってデスアダーの背中を殴った。

「なに可愛いことやってんのぉっ?お前が?え?お前の話だよねそれぇ?」
「黙れ。死ね」
「ってかなんで一週間?焦らすねえ悪い女ぁ。お前遊ばれてるよ絶対」
「………」
「え?傷付いてんだけどコイツ」

フロイドはえへえへ嬉しそうにデスアダーに抱きついた。デスアダーは斜め下を見て首を傾け、頭をグリグリ撫でられるまま一瞬白目を向く。

「やっぱそう?オレ遊ばれてる?」
「やー、小エビちゃんに限ってわかんねーけどぉ。でも女は怖いよお?」
「や…でもそういう性格じゃないじゃん多分」
「お前現に貢がされてんじゃん今」
「………」
「ガチ惚れなんだけどコイツ。えガチ?待って面白すぎる。大好き。え?大好き淡水魚ちゃんのこと」
「………」
「なんで小エビちゃんにエドワードもベッチューちゃんも手ぇつけてないか分かったオレ。人生終わるからだよ」
「あの…」
「なに?」
「言って良い?もう遅い。ヒヨコマジで可愛かった」
「ダハっ、」
「ヒヨコ着て寝てんのなに?かわい…」

フロイドは軽い友人が本気になっている姿を見て、本気で笑った。他人事だから面白かった。
彼は喜んで意気消沈したデスアダーの腕を引っ張って歩く。

「や、靴だけだとアレだからケーキとか買ってく。甘いもん好きだしユウちゃん」
「好きにしろ好きにしろ。オレ応援するわ」

デスアダーはケーキまで買って、トボトボオンボロ寮へ戻って行った。そして愛しのヒヨコへ謝るため、ノックしてから玄関のドアを開ける。

「見てろオレの本気の謝罪」
「見る見る。横で見てる」

かと言ってヒヨコが許してくれるか分からないが。彼はなるべく切なく聞こえる声で「ユウちゃん」と部屋のドアに声をかける。
すると中からガタンと音がして、多少まご付き。ヒヨコではなく、綺麗な女がドアからひょこ、と困った顔で出て来た。

彼女の真っすぐな髪がサラサラ音を立てて揺れている。気弱そうな美しい顔がこちらを黙って見つめていて、赤い唇が煌めいた。
デスアダーはなんだかそれを見て急にドキドキして、「ごめん」と間抜けな声を出すのである。

「靴買って来た」
「小エビちゃんごめんねぇ。許して」
「か!…買っ…て来たの」
「あ、これ。例のブツです」
「へ。ほ、ほんとに」
「お納めください」

デスアダーは彼女に近づき、紙袋を渡した。
中には重々しい箱が入っていて、その中にきっとミュールが入っている。彼女はイッキに青ざめ、「あ」とか「う」とか声を出した。
デスアダーはそれに気が付かずに頭を下げ。

「ごめさいッ」

と、オンボロ寮が揺れるくらいデカイ声を出して勢いよく頭を下げた。かろうじて「ごめんなさい」と言っていると分かる声で。
フロイドは唇を口の中にしまい、天井とかを見てガタガタ震える。信じられないくらい綺麗な90°の礼であった。
彼女は「ひえ」と言って一歩下がり、地面に向かって垂れ下がって揺れる三つ編みと、ネックレスを見下ろして「あ、あ、よして、」と慌てた。

「申し訳ごめんなさい!」
「あっ、あ、コモンくん、あ、ごめんなさ、わ、私」
「ごめんなさい!」
「出たぁ!三点倒立だ!」
「あう、あ、」
「ブレない!ブレないぞ!」

フロイドは壁に背中をぶつけて笑いながらはしゃいだ。小エビは三点倒立を前にもうどうして良いか分からない。
軽はずみな発言で好きな人に使いっ走りをさせてしまったという事実と、10万円を超える靴の前にもう息もままならなかった。

「あ、よ、よしてください。ごめんなさい。私が悪かったです。ごめんなさい、」
「だってさ♡」
「え、あ。マジ…っ、ちょ!おいフロイド!おまふざけ」

フロイドはデスアダーのTシャツがめくれて丸出しになっている腹筋をくすぐった。彼は床に崩れ落ち、荒っぽい声で怒鳴る。
小エビの聞いたことない声だ。
腰骨を打ったらしく、赤くなったそこをさすりながら。床に座ったままフロイドの足を蹴るのだ。
凄い音が鳴ってるのに、フロイドは「いってぇ、おま、」以外言わずにまだ笑っていた。
力の強い男のじゃれ合いは、女には恐竜が戦っているように見える。

小エビは「ひ」とか「わ」とか言ってその戦いを見ていた。2人は「スーッ」とか「カャーッ」とか人外の威嚇音を出し、髪のセットもぐちゃぐちゃにして喧嘩している。
止めなきゃと思う。
彼らより大きな声を出さなきゃと思う。
だから彼女は慌てて、どうしようもなく。

「許す!許します。出禁はご破算に致しますから。自由に出入りして構いませんから。よして!」

と細い声で言った。
その瞬間2人は冗談みたいにピタ。と止まる。
そしてデスアダーは、「自由に?」と低い声で言う。雰囲気が変わったことに小エビはビクッとして、けれど取り消すわけにもいかず。

「…あ。じ、自由に」

と観念して頷いた。
デスアダーは目を大きく開き、口角を僅かに上げて。フロイドの腹を殴って彼の下唇にキスをした。

「ウッ」

座り込んだフロイドの頬をパシパシ平手で叩いて、デスアダーは「ありがとよ」と言う。
そして晴れやかに振り返った。

「ほんと?許してくれる?これから自由に出入りして良い?」
「あ…えと、朝はよしてください」
「朝?何時?」
「ひ、ヒヨコの頃は…」
「ヒヨコはダメなの。わかった。じゃあヒヨコじゃなくなったら言って。入るから。それ以外はいいね?」
「え?あ、…は、はい」
「じゃあ合鍵くれるってことだよね?」
「あ、合鍵」
「違うの?」
「え…あ、は。はい。お、お渡しします」
「ほんと?他に合鍵持ってるやつ誰?」
「おりません、」
「じゃあ貰うね。他にスペアある?」
「ないです」
「うんうん。そっか。ありがと」

デスアダーはスイッチが入ったみたいに調子を取り戻し、ドア枠を掴んで彼女にニョロッと近付く。小エビは彼の腕時計を見てから、胸板のあたりを見て勢いをなくした。

「空いてる部屋オレの部屋にしていい?」
「えっ?えっ?」
「たまに泊まりに来ちゃダメ?夜は部屋から出ねーから。ユウちゃんの部屋には入んないし」
「え、あ、」
「オレの部屋には入っていいけど。ドア開けっぱなしにしとくから」
「あう」
「良いよね?」
「あ、えと、は、はひ…?」
「じゃ風呂場オレのシャンプーとか置いて良い?服とか」
「は、…はい」
「お。決まりだ?」

押しに弱い彼女をここぞとばかりに押し切って、彼はニコ!と笑った。

「じゃ出直すわ。また今度遊びに行こーぜ。コイツは連れてこねーから。オラ、行くぞ」
「死ね」
「あとでお泊まりセット持ってくるわ」

デスアダーは手の甲でパシパシフロイドの頬をまた叩いて、彼の首根っこを掴んだ。
振り返って、彼女に手を振って去っていく。
小エビは紙袋と、置かれたケーキを見て。
とんでもない約束をしてしまったと思う。

その後彼女はデスアダーのシャンプーを勝手にこっそり使おうかどうしようか、お風呂場でジットリ汗をかきながら困ったりすることも知らずに途方に暮れるのだった。







「こもんくん…?」

テストの結果は当然散々だった。
先生方は一生懸命補修をしてくれて、小エビを励まし、勉強に付き合ってくれた帰りである。
故にいつもより遅く帰宅して、寮に入ってきた時。
彼女はデスアダーの革靴が玄関に置いてあることに気がついた。

オンボロ寮は土足で上がってはいけない。
これは彼女の習慣であり、別に必ず守れというわけではないのだが。通ううちに土足厳禁と気が付いた少年達は玄関先で靴を脱いでくれるようになった。
デスアダーはそれを知らないはずである。
けれどどこかのタイミングで気が付いたのだろう。
大きな革靴が転がってツヤツヤ光っていた。靴を揃える習慣がないから、脱ぎ捨てたという感じ。
小エビはこれを見てドキ!と心臓が跳ねるのを感じる。

本当に来たんだ、と思う。
合鍵を渡したから、放課後に来てくれたんだ。イッキにドキドキするのを感じながら、ソッと談話室に顔を出す。けれどそこに彼は居なかった。ソファの背もたれにジャケットが雑にかけられていて、黒い皮の鞄が適当に置かれている。
それが少し開いて、中にある水のペットボトルと財布が見えた。

「…コモンくん?」

どこにいるのだろ。
彼女は恐る恐るという感じで寮を探し、彼を探してみる。けれど痕跡はあるのに彼はどこにも居なかった。
外に居るんだろうか、と思って落ち着かない気持ちで廊下へ行くと。一つだけ扉が開いてる部屋がある。
いつも閉まっているのに。
彼が開けっぱなしにしたのかなと思って部屋を覗く、と。

「!」

デスアダーはそこに居た。
簡素なベッドの上に非常口のマークみたいなポーズで熟睡しているのである。
オンボロ寮のものではない枕に横顔を沈め、口を開けてものすごく気持ちよさそうに。タオルケットが腹にかかっていたが、それはほとんどずり落ちて床に垂れていた。

そばのテーブルに彼の腕時計とピアスが置かれている。ベルトも外され、床に落ちていた。
男の子が散らかした後という感じだ。
窓から入るお日様の光が気持ちいいのか、時折入る柔らかい風が気持ちいいのか。
小さないびきを立てているのである。

「………」

小エビはそれがあんまりかわゆくて、ベチャンと床に座り込んでしまいそうだった。
ワイシャツのボタンが全て外されて、中のTシャツが見えている。
よく知らないバンドのTシャツだ。
音を立てないようにちょっとずつ近付き、彼の寝乱れ姿を見下ろした。
いつも快活に喋っている姿しか見たことがなかったし、小エビはいつも彼の隣にいるとドキドキしてまともに顔が見れなかった。
なので。こうしてマジマジ見れるのは奇跡に等しい。

多分今が一番好きにできる時間。
そんな勇気もないけど。
彼女は起きませんようにと願いながら、ドキドキその寝顔を見つめていた。するとデスアダーは鼻からスーッと息を吸い込み、眉をしかめて寝返りを打つ。
タオルケットを抱き締めてこちらに背中を向けるのだ。ワイシャツがめくれて、パンツのラベルが見えた。背中に、マダラみたいに…少し鱗が見える。

小エビは途端にいけないことをしている気分になって、横で見ていたかったけど…胸を抑えてソッと部屋から出た。
彼がこの寮に居るという事実にソワソワしながら、音を立てないように部屋で着替える。いつもならとっととヒヨコになってゴロゴロするが、ヒヨコを見られたくないので。
デュースから貰ったTシャツとショートパンツを履いた。
そして晩ご飯を作ろうか、掃除をしようか考え。取り敢えず落ち着く為に階段を雑巾でちまちま拭いていると。

「あ」

デスアダーからスマホにメッセージが来ていた。用件は、『まだ寮帰って来ない?』だ。
今起きたらしい。彼女が帰って来たことに気が付いていないのだろう。小エビは起きたんだ、と思いながら雑巾がけをやめ、手を洗ってからデスアダーの部屋にパタパタ歩いて行った。
すると気を抜いてベッドでゴロゴロしていた彼が、パチ!とこっちを見る。

「え?あ、居たの」
「は、はい。少し前に」
「マジか。寝てた。…ね、ユウちゃんさっきさ、オレの横いた?なんか気配みたいな、あった気がする」
「あ。い、いえ。お部屋には入っておりません」

なんとなく嘘をついた。
寝顔を見てたと思われるのが恥ずかしかったから。彼は仰向けに寝転がったまま、眠そうにこちらを見上げている。だから小エビはそばの椅子に座って、彼を見下ろして話した。

「マジ?入って来てない?なんか誰かここに居た気がすんだけど」
「は、入ってません」
「怖!なに?おばけ?え?出んのココ」
「気配がしたんですか?」
「ウン。や、夢かも。わかんない。なんか誰か居た気がする。えーオレ霊感とかないのに…怖…」

気配に敏感らしい。
でも起きては居なかった。彼女は心中「触ったりしなくてよかった」と思いながらしらばっくれる。デスアダーはまだ目を開けるのが辛いようで、しょぼしょぼやりながらタオルケットを抱き締めて体を横向きにした。

「ごめん勝手に寝て。気持ち良くてさ」
「いえ…」
「陽当たりいいよね此処。静かだし…オレの部屋陽当たり悪くてさ。あとロビンに占領されてるから狭いし」

彼は潤んだ目をこちらに向け、緩く笑った顔のままだった。眠いのだろう。でもなんとか目を開けて眠気を覚まそうとしていた。
きっと小エビがいるからだ。

「ロビン?同室の方ですか?」
「ううん。ペット」
「!ペットがいるんですね」
「いるぜー。見る?」
「見ます」 

デスアダーはスマホの画面を見せてくれた。
するとそこには、眠っているフロイドの体に巻きついている大蛇の写真が表示されている。青く太く、鱗がキラキラと光っている。それはあまりに巨大で、フロイドくらい容易く飲み込めるのではないかという程であった。
というか呑み込みかけている。頭をパク、と半分くらい飲んでいた。
もう少し飲み込まれたら喉の力で骨を折られているところである。

「ひえ」
「あ、蛇怖い?嫌い?」
「いっ、いえ…その…だ、大丈夫なんですか。これは」
「ウン。遊んでるだけだから。フロイドも無抵抗だろ」
「はい…。毒ある?」
「あるぜ。本気で噛まれたらほぼ死ぬ。オレは耐性あるから平気だけど」
「……」
「必要な時以外噛まないけどね。オレが怒るから。拾った時はちっこかったのにこんなにでっかくなっちゃってさ。オレほぼ毎日絞められながら寝てるもん」

小エビはパチパチまばたきをして、ロビンと、彼の部屋を見た。ベッドが大きく、薄っぺらい布団が一枚しかない。結構本が床に積み上げられていて、言う通り陽当たりが悪くて暗かった。
蛇に絡まれながらも我が物顔で寝転がってスマホをいじっているフロイドが羨ましい。
けれど気にしないようにして、彼の目をチロッと舐めるように見た。

「食べられる?」
「ん?」
「私、その子に会ったら…」
「え?マァ、オレが喰えって言ったら喰われると思うよ。なに?蛇に喰われたい?」
「い、いいえ…」
「蛇に咬まれてみたい?」
「……」

目が覚めて来たらしい。
彼はニョロ、と起き上がって舌を出して引っ込める。
少し空気が変わった。
彼女は小さくなって、床の辺りを見下ろして首を振った。

「毒なら薄くできるよ。ちょっと痺れて動けなくなるくらいなら。咬もうか?」
「え、あ」

デスアダーはニコニコして手招きする。
髪の毛が少し跳ねて寝癖ができていた。三つ編みがキラキラ光っている。彼女はこうくるとどうして良いか分からなくなった。手の甲に入れられたタトゥーがジンと熱くなるような気がするのだ。

あれからタトゥーは結局薄くなるだけで消えなかった。彼に会うたび少しずつ薄くなるが、会わなくなれば元にもどる。1日会わないと濃くなったり大きくなる仕組みだった。
一晩でも一緒にいれば消えるのかもしれない。
彼女は暇になるとそのタトゥーをぼんやり眺めるようになった。

…けれど、実はこのタトゥー、宿主がタトゥーを入れた魔法士に対しての執着が反映されるものである。
つまり小エビが彼へ恋しい愛しいと思えば思うほど濃くなって広がり、会って少しその欲求が満たされれば薄くなる。宿主が魔法士に対してなんとも思わなくなれば消える。デスアダーはそれを知っていたが、何も言わない。
物凄く古い古代魔法なので、学園長かリリアくらいしかどんな魔法か分からないだろう。
蛇族に伝わるものなので、解除法は不明。
呪いに近い為、他にも効果はあるのだが、割愛させて頂く。

「来ないの?」
「……えと」
「ユウちゃん」
「は、はひ」
「今日であれから一週間だけど」
「…あ」
「忘れてたんだ?」
「…あ、え、えと」

キスの約束。
小エビはすっかり忘れていた。否、忘れるように仕向けられていた。他のことに気を取られるようにデスアダーが仕組んでいたのだ。
1日たりとも忘れないだろうと思っていたエビは蛇のせいで忘れさせられてしまい、今ようやく退路がないことを思い出す。

「どうする?嫌なら断る?」

デスアダーは言いながら、首をふら、ふら、と動かしていた。対象の隙を窺っている動きだ。
小エビはこれに気が付かず、どうしよう!と言う顔をして床をジッと見詰めている。
断るなんてあり得ない。けれど頷いて彼の懐へ行くのも途方のないことのように思えた。だって彼女は彼が自分の寮にいると言うだけでソワソワうろうろしてしまう始末なのだ。
どうしよう。どうしよう。
初めてのキスだ。全然心の準備もしていないのに。

「……あ、あのぅ。…ッ!」

意を決して顔を上げた瞬間である。
デスアダーはカ、と口を開いて。
勢いよく彼女の首に噛み付いた。
またたきの間であった。
首に歯が食い込み、何か冷たいものが血液に入り込むのを感じる。

「あっ」

声を上げた途端に痛みがやって来て、しかしそこがビィンと痺れる感覚に変わった。
末端が痺れ、咬まれた場所を抑えようとするのに体が上手く動かない。手を握る、開く、という動作ができない。
彼女は彼の目を見上げ、ハ、ハ、と息を漏らす。咬まれた箇所が痺れ、どうなっているのか分からなかった。
デスアダーは彼女の目の前に立ち、その目を見下ろしている。

「ユウちゃん」
「は、…は、」
「やっぱりさっき部屋入って来てたでしょ。オレの顔見てた?」
「…は、」
「面白かった?なんで嘘ついたの?」
「あ、…」
「なんで隠すの?」

グッと腕を引っ張られ、背中を支えられて立たされる。彼は腕を背中に回してしっかり固定することで、彼女が転ぶのを阻んだ。
けれど彼女はそれどころではない。足がガクガクして、口が自分の意思で閉まらない。
唾液がこぼれ、今手を離されたらきっと後ろに倒れてしまうと思う。
それが怖くてしがみつきたいのだが、力が入らなかった。

「乱暴にするって言っといたじゃん」

彼女の眉はヘタ、と下がっている。
細く白いその足は痙攣しているのだが、体がもう動かない。デスアダーの舌が出て、引っ込む。それが繰り返される。
大蛇の鋭い目がジッとこちらを見詰めていた。

「オレオクタヴィネルよ。約束は絶対守らないと。取り消しとかないよ。慈悲の精神で一週間待ったけど…」

彼はきっと、小エビが「あの」と言いかけたから。断られると思ったのだろう。
彼女はそれを否定したくて首を振りたかったのだが、できない。

「ひっ」

彼は片腕で彼女をクルンと、ダンスみたいに回転させ、ベッドへ仰向けに倒させた。
そのままベッドへ綺麗に寝かせる。スリッパが脱がされ、髪の毛を優しく丁寧に顔から退かされた。

「こおぅく、」

コモンくんと言いたかったのだが。
喉が痺れて言えなかった。タトゥーが少しだけ薄くなる。彼女は恐怖の中、けれどキラキラした目で彼を見つめて浅い息を繰り返した。
ちょっとも動けないのが怖く。
同時に快楽であった。

「〜♪」
「ぁ、」

キスされる!と思ったのに。彼は鼻歌を歌いながら部屋を出て行ってしまう。
まさかこのまま放置されるのかと恐ろしい気持ちになったが、彼の足音は談話室へ行き、スグにこちらへ戻って来る。
小エビはちょっとでも動けないだろうかと体に力を入れるが、腕と足は鉛のように重く、ちっとも動かない。

「〜♪」

デスアダーはペットボトルを持って来たようだった。それを指に引っ掛け、ドアをパタンと閉める。
小エビは足を丸めたかったのに、それもできずに汗をかいて彼から目を逸らした。

「汗かくから水飲もうな」
「ぁ、う、」

デスアダーは物凄く楽しそうだった。心臓を爪でくすぐられているみたいに、痒そうに笑って彼女の体を少しだけ起こし、ペットボトルの先端を口に添えてゆっくり傾ける。
彼女は目を閉じて一生懸命、されるがまま水を細く飲んだ。
けれど唇の隙間から水滴が落ち、胸が濡れていった。
飲み終えればまた仰向けにゆっくり倒され、彼も水を飲んでサイドボードに置く。

「寝てるオレ見てたの分かるよ。無抵抗の人って見てて面白いよね。可愛いっていうか」
「………」
「仮死状態に近いって言うか。縛られてるのとはまた違うよな。ハハ。せっかく可愛こぶってたのに。オレ嫌われそう」

ベッドに腰かけた彼は片足をフラフラ動かし、左に流した前髪を首の動きだけで追い払った。
眉は下がっているが、口角は上がっている。いつもみたいなかわゆい顔ではなかった。
小エビはここで、彼がNRC生であり、あの死神型バケモノであるフロイドの友人だったことを改めて思い出す。

「あ、」
「嫌いになった?」
「……」
「なんかさ…オレももうちょっと上手くやろうと思ったんだけどさ。仲良くなろうとしてたんだけどさ。上手くいかないよね。ユウちゃんと思ったより距離近付かなくて多分凄いイライラしてるんだと思う」
「……」
「…怒ってる?もうコモンくんって呼んでくれない?」
「……」
「ん」
「!」

彼は前のめりになって、アッサリ彼女にキスをした。ちゅ、と可愛い音を立てて唇を吸い、大きな手が彼女の右頬を抑えた。耳に掌が押し付けられ、小エビはギュ!と目を閉じる。
心臓が爆発しそうだった。
嫌いになっていない。怒っていない。
ただ少し怖いと思うし、ちょっとも動けないのが不安だったが。彼女はすでに彼に何をされようと嫌とも思えないのだ。

心は「キスされた」の一色である。
余計なことなんて一切考えていない。
むしろ切ない声が幸せで、こちらの心を不安げに探る言葉を熱く感じるのであった。
そんなことを思っていたなんて思わなかった。いつも余裕に見えていたから。

「こあい?」
「……」
「顔熱いね」
「っ」

その言葉を皮切りに、デスアダーは彼女の上に座ってジュッとキスをした。
一度本気ですると止まらなくなったらしく、スーッと鼻から息を吸い込みながらキツく吸うようなキスを繰り返した。彼女は他人の体温と、彼の唇が唇に触れている感触に足がガクガクしてもう目が開けられなくなる。

シーツを握りしめたいが、指の感覚が遠くて動かせない。
デスアダーの重い息と、三つ編みが体の表側を擦る感触。三つ編みの毛先が数本、Tシャツの繊維を潜って胸の素肌にチクチク刺さった。

「は、」

細くて二股に分かれた舌が口の中に潜り込み、彼女の丸くなった舌をチラッと舐めた。けれどスグに下唇に吸い付かれ、その舌は去って行ってしまう。
小エビのタトゥーは、濃くなった。

「舌出して。吸いたい、」
「……ぁ、」
「…出せねーか。失敗した。…ちょっと我慢して」
「っ、う」

彼は彼女の口の中にゆっくり指を入れ、ちいちゃな舌をつまんで引き摺り出した。決して強引な仕草ではなかった。
無抵抗に緩く舌を出せば、スグに唇に吸われ、体が震えた。けれどビクッとするだけで、足は依然動かない。
鋭い牙の感触が少しだけ舌先に当たった。これを舐めてみたかったのに、舌さえ動かなくて切なく思う。

痛くなるほどドキドキして重い息を吐くのに、抱きつく事すらできなかった。
小エビは頭の中で何遍も彼の名を呼んで、薄く汗をかいた。
ファーストキスを体の自由が効かない状態でするとは思わなかったから、どうしていいか分からない。

どうもすることもできない。
どうにかされるしかない。
どうにでもして欲しいけれど。

「…、」

唇を噛まれて痛かった。
彼は高揚しているようで、彼女の足に足を絡ませて強く絞めあげている。唇の感覚が遠くなるまで何度もキスをされ、勝手に「あ」「は、」と悩ましく滲んだ声が喉から上がってしまうのである。

「ふ、」

唇の形が変わってしまうのではと思うほど触れ合った後だった。デスアダーは熱でボーッとした顔をして、少し離れてメロメロと彼女を見下ろした。

やわこい頬に触れながら陶酔し切っている。
彼女もきっと彼と同じ顔をしていた。
だらしなくへふへふ息をしながら、アルコールに浸されたみたいな肌をして見上げていた。
彼女はボーッとした頭で、「エッチなことさりるのかな」と思う。おっぱいとか揉まりるのかしら。もっとかしら。
思いながら目を閉じて無抵抗な痺れた体を晒した。けれどいつまで経っても彼の手が体を探らない。

「…?」

緩く目を開けると、デスアダーは片手で顔を覆って荒く息を吐きながら震えていた。
ぶら下がった三つ編みが体の上で揺れている。
エビはこれを見て、傷付いているのだと分かった。デスアダーはきっと衝動に任せて本当に乱暴を働いてしまった自己嫌悪に陥っているのだろう。
嫌われたと思っているのだ。

「〜〜っ」

彼女はこれを見て、抱きつきたくなる程彼をかわゆいと思った。
困ってる。怖がってる。と。
私に嫌われるのを嫌がって自分を責めている。
冷静になったのか何なのかわからないけど。
小エビは何も言わずその大きな体に抱きつきたくなった。背中を撫でて、大胆にTシャツを脱いで見たくなった。
彼の不安を拭ってキスしたくなる。
けれど体は動かない。
彼女はこれを初めて恨んだ。呪わしいと思う。
どうして動けなくしたのよ、と思って悔しくなった。

「ごめん」

彼は低い声で言った。後悔の滲んだ声だった。
ごめんじゃないわよと思う。
良いから何とかしてと思う。
この毒はいつ抜けるの。まさかこのままなの?
早く何とかして。後悔するなら抜いてよ。
思ってふうふうと動こうとするが。指先は少しだけ動いたが、あとはこの通りくったりしたままだ。
けれどデスアダーは。
後悔の中、彼女の顔を見ようとして。フとおそるおそるタトゥーが消えていないかどうか確認した。

「、」

するとタトゥーは消えるどころか百合の花が二輪咲き、蛇は大きくなっている。これ以上なく濃くなって大きくなっていた。

「え、」

信じられない気持ちで顔を見た。すると彼女は真っ赤になって目を閉じ、ふうふう言いながらなんとか体を動かそうとしている。
ぐぎぎ…と歯を食いしばり、どこか少しでも動かないかと痺れた体へ一生懸命力を込めているのだ。

「えっ、あ…」

デスアダーは赤くなってそれを見ていた。
嫌じゃなかったんだ、と思う。
嫌われていなかったんだ。
だってこのタトゥーは恋しいと思えば思うふるに大きくなる。鮮やかになる。
彼女はきっと自分を…恋しいと思ってくれている。

「…!」

デスアダーは物凄く珍しく真っ赤っかになって、健闘する彼女を見下ろしていた。
すると。彼女がパチッと目を開き。

「らんとかしれ!」
「あ、」

なんとかして、と細い声で命令した。
デスアダーはビクッとして、けれど動かない。だってなんとかしたらどうなるか分からないから。
だって片想い期間が彼にしては物凄く長いから。
これで彼女から何かされたら、…。

「らすけれよぅ」

助けてよぅ。
と言われ。デスアダーはたまらない気持ちになって、無視してキスをした。彼女はそれにムキャ!と怒ったが、それ以外にどうしようもないのである。
結局彼は毒が抜けるまで夢中でキスをした。そうすれば、動ける頃には別の意味で動けなくなると思ったからだ。
怒りが沈むと思ったからだ。
思った通り彼女は動けるようになってもくったりとして、呂律も回らなくなっていた。
へふへふ息をして、目を閉じている。

「………」

デスアダーはその頬を撫でてジッと切ない顔で見下ろしていた。彼女は液体みたいになって、疲れ切って眠りかけている。

「好き」

言っても反応はない。
しとどに汗をかいた彼は、またがって乗っかった格好のまま。長い息を吐いて、彼女の体に同様クッタリのぼせて寄りかかるのだった。




【追加説明。実はこの間にTwitterではエロ小説が挟まり、小エビはその小説の中で「小ネズミ」と呼ばれるようになります。故にこれからは小エビから小ネズミ表記になります】




「虐められました」
「…?」

レオナは植物園の上にスッ転がってうたた寝をしていた。その陽だまりの中、突然良い女がやってきたと思えば正体は怒っている小ネズミである。

彼女はレオナの隣に正座をし、怒っていた。
用件は、「虐められた」とのこと。
訳が分からず目だけを開けて見上げていると、小ネズミはジリジリ怒りながら事情を話し始めたのであった。

オンボロ寮に見知らぬ男がいて、待ち伏せされたと。帰ってきた途端中に引き摺り込まれ、腹を殴られたこと。喋っている言葉は英語ではなくて分からなかったこと。
相手は2人いて、どちらも獣人だったこと。
髪を引っ張られて裸にされたあたりで、オンボロ寮の近くに人が通り過ぎ…その男たちは逃げて行った。
きっとサバナクローの男であったこと。

小ネズミは怖くて一人でチマチマ泣き、そして怒りに震えた。
暗い廊下に座り続け、次に。自分の知っている中で一番怖い先輩に告げ口してやると誓ったのだ。
というわけでレオナに言いつけに来たのだ。
一番怖い先輩はレオナだったので。

「………」

レオナはこれはオレが聞かなきゃダメなのか?という、物凄く面倒くさい顔をして無視をしていたのだが。
話を聞くにつれて流石にカチンときて、眉を釣り上げて監督生を見つめてしまった。
レオナには理解ができなかったのだ。
世の中にそういう小悪党が居るとは知っていたが、こんな身近で事件が起こるとは思わなかった。

「……」
「ひ」

彼は左の眉を寄せ、小ネズミの服をペロッとめくってその薄い腹を見た。
するとそこには重たいアザがあって、力任せに殴られたというのが良く分かるアトが付いている。
レオナはこれを気持ち悪く思った。
自分の国でメスにこんなことをすれば普通に死刑だ。問答無用で晒し首。
彼はそのまま腹に顔を近づけ、スン、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ。正確に男二人の悪意の香りを嗅ぎ付けた。
これだけで誰がやったのかを特定したのである。

「…ベン」

レオナはゆっくり起き上がって、明後日の方向を見て言った。
すると暫くして、茂みの奥からグリズリーの信じられないくらい巨大な獣人が出てきた。その二の腕は小ネズミの腹くらいあるのではないかと思えるほどの筋肉達磨である。
ニコリともしない強面の男であった。

グリズリーは黙って腕を組み、口を丸くしてこちらを見上げる小ネズミと大親分レオナを見下ろす。
大親分はガシガシ頭をかきながらグリズリーを親指で指差して「あー。熊さんだ」と適当に小ネズミに紹介した。

「熊さん」
「お前の護衛」
「ご。護衛…」
「ベン、〝穴ぐら〟まで送ってやれ」

レオナは顎でグリズリーに指示を出した。
キョトンとしていた小ネズミは、そのまま自分の頭くらいある拳にチョンと腕を掴まれて熊さんに連れて行かれてしまった。
どうやら護衛をしてくれるらしい。
小ネズミは困った顔をしていたが、やがて。
熊さんが寮まで送って行ってくれていると知り。安心した顔で黙って付いていくのだった。

「熊さん」
「……」
「ありがとうございます。一人で帰るの、怖かったんです」
「……おい」
「はい」
「男か拳銃くらい使えるようになれ」
「?…」

熊さんは低い声で言った。
か弱い女は武器か男を賢く使って身を守れという意味だろう。

「オレが暫くは使われてやる。その間に覚えろ」
「…!」

小ネズミはハッと口元を覆い、「す、素敵…」と思った。寡黙な武士みたいだ。
キュンとした彼女はツヤツヤした瞳で彼に見惚れ、「はい」と無防備な声を出した。
そして熊さんの太い腕に手を添え、「逞しいのね」と思いつつ、しとしとと歩いていくのだ。
遠くからそれを見ていたフロイドは、「小エビちゃんがヤクザの情婦みたいになってら」と目をパチクリさせた。

小ネズミは知らなかった。
レオナの近くの大木の枝に、恐ろしい大蛇が巻き付いてこちらを見ていたことを。

大蛇が全てを聞いていて、怒りに瞳孔を引き締めていたことも知らない。
蛇は怒り狂っていた。
愛しの小ネズミに乱暴を働いた輩にも。
その小ネズミが自分ではなくライオンを頼ったことを。熊さんにうっとりしている姿にも。
蛇はチラ、と舌を出し、スグにしまう。
そうしてニョロニョロと枝から降り、血が沸騰する頭で「オーナー」に会いに行こうとして。

「おい」

ライオンに話しかけられた。
デスアダーは立ち止まったが、振り返らなかった。

「ベンを貸してやる」

ハ、と皮肉に笑って言われた。
デスアダーは何のリアクションもせずに歩いて行った。
レオナは「おっかねえなあ」と笑って、再び仰向けになって今度こそ昼寝を決め込むのであった。







『待ったろ野郎ども、弱い者イジメの時間だ。オーナーからトクベツに許可を貰った〝アリンコ潰し〟だぜ。リングアナウンサーはワタクシ、コモン・デスアダー。ヨロシク』

高いフェンスの上に立ったデスアダーが頭を下げた。
ここはNRCのハーツラビュル薔薇園にある極秘の地下闘技場、血に飢えた男達が集う場所だった。
中央にリングがあり、その上にモニターが並び、周囲に観客席がリングを囲うように円状に配置されている。

席は映画館みたいに後ろに行くほど高くなっていた。そこにはビッシリと何百人のNRC生、つまりならず者が犇いており、拳を上げて叫んだり指笛を吹いたりしている。
煙草の煙が立ち上り、酒の香りが立ち込めていた。

デスアダーはスーツを着て、リングを囲う背の高いフェンスの上で器用にバランスを保って立ち、マイク片手に大声を張り上げていた。
デスアダーが煽れば観客は笑顔で声を上げ、ガンガンビール瓶同士をぶつけて音を鳴らす。

「………」
「ようこそ小エビちゃん。ここが淡水魚ちゃんの職場だよ♡」

彼女はそれをVIP席で見ていた。
隣にはフロイドがヘラヘラ笑って座っている。

「ほら、アイツバイトしてるって言ってたじゃん?一個目はここ。普段リングアナはあんまりしないけど」
「あ、あの」
「ん?」
「なんですかここ」
「え?NRC地下闘技場。知らない?有名だけど」
「…初めて知りました」
「マァそうかもねぇ。女の子は嫌いかもだから誰も言わなかったのかな」

フロイドはリングに向かってピーッと指笛を吹いてアハアハ笑った。
彼女は小さくなって周囲をキョロキョロ見回し、この異様な状況に困っている。

夜中に突然フロイドが来たかと思えば、「良いもの見せてあげる」とだけ言われてここまで引っ張り出されたのだ。眠い目を擦ってヒヨコパジャマのまま訳もわからず来たのである。
ヒヨコはお兄さんにもらったビールを両手で持って途方に暮れながら、爆音の腹に響くような音楽とフェンスの上にいるデスアダーを遠くから見つめていた。

デスアダーは細い体を仰け反らせたり両手を広げたりして巨大な声を出し、会場に火を付けている。
ヒヨコは目を丸くして彼を見ていた。
だって昔、彼に「なんのバイトをなさってるの」と聞いたとき。「えーっとね、お花屋さん」と答えられていたから。
随分かわゆいところで働いているのだなと思ってうふうふ笑っていたのに。

蓋を開ければ地下闘技場でスポットライトを浴び、いつもののんびりした目を別人みたいに見開いて荒くれ者達を煽って笑っている。
ヒヨコは自分の見ているものが信じられなかった。

「今日はね。小エビちゃんのためのショーにしたんだってえ。楽しんでねえ」
「わ、わたし?」
「ウン。わたし」

どうやら私の為に誰かと誰かが戦うらしい。

意味が分からなくて黙っていると、喋り続けていたデスアダーが片手を上げて笑い、「今日はど素人同士のデスマッチだ。お待ちかねの死人が出るぜ」と大声を上げる。

『初参戦のど素人はサバナクローのデカブツ。レオナ・キングスカラーからのプッシュでココ地下闘技場までお越し頂きました。ッどーーーー見ても赤ん坊を手で潰して回るのが趣味、ァグリズリーベンッッ・ヒットマァアアンッ』

歓声を浴びてリングに上がったのは熊さんだった。
ヒヨコは「あっ」と丸い声を上げる。
彼は上からライトを浴びて物凄く怖い顔をして片手を上げていた。
確かにどう見ても赤ん坊を手で潰して回るのが趣味に見えた。フロイドはその不名誉な紹介にアハアハ笑ってビールを煽り、「殺せーっ」と声を上げる。
デスアダーはノッてきたらしく、ならず者達に歓声を上げさせまくり、絶え間なく喋り続け、そして。

『──見〜〜ちゃった聞いちゃったァ〜〜』

と、突然低い声を出した。
男達は「オッ」と面白そうな顔をしてデスアダーを見上げる。

『余談ですがワタクシコモン・デスアダー、今日のお昼に温室で昼寝をしておりました。そこでたまたま聞いてしまったのがオンボロ寮のキューティ・ハニー、監督生ちゃんのお話』

カンッ、とライトがブルーに変わった。
音楽が哀しげなものに変わり、デスアダーは胸に手を当てて切なそうな顔をする。
そして彼は彼女がレオナに語って聞かせた悪党の話をした。
彼女を卑劣にも待ち伏せし、二人がかりで殴ってアザを作らせ、裸にひん剥いて強姦をしようとした男の話を。

『許せるかッ?』

デスアダーは片手を上げて男達に行った。
男達は黙ってダンダンッ、と足を地面に打ち付けて音を鳴らす。

『野放しにして良いのかッ?』

ダンダンッ、と続けて足を鳴らす。
その音が会場中に響いた。
フロイドもニヤニヤ笑いながらダンダンッと合わせて床を踏んだ。
どうやらこれがここのノリか、お決まりらしい。

『小ネズミちゃんはこのまま泣き寝入りかッ?』

ダンダンダンッ、と地響きが鳴る。
デスアダーは満足そうに頷いた。

『許せねえよな。自分にされたくないことは人にしちゃいけないぜ。さて。つまり。今日。ベン・ヒットマンのお相手を務めるのは、』

ライトが白に戻った。
リングにスポットが当たり、無理矢理入場させられたのは、ヒヨコを虐めた二人の男。
彼らは麻袋をかぶせられて転がされ、見るからに怯えていた。
それが外されて床に転がされ、二人は熊さんと周囲の男達、デスアダーを見て心の底から青ざめる。
その表情がドアップでモニターに映った。

『ァ極悪人ローーーーラ・サスペンスとジャン・タイラァァアッ』

二人が熊さんに敵うわけがなかった。
成る程弱い者イジメである。
観客は盛大なブーイングを送り、ベンの名前を叫んだ。
テンションが上がり切っているデスアダーはフェンスの上にしゃがみ、三人を見下ろして一頻り笑うと「ルールは3つ!」と怒鳴る。

『一つ、武器と魔法は使っても良いが野暮だ。二つ、何があってもオレ達は助けない。三つ、続行不能と〝相手が〟判断するか、死んだら負け。以上』 

三本指を立てて説明をする。
熊さんが頷いたのを見て、デスアダーは立ち上がって細い体を仰け反らせ、三つ編みを垂らし、

『OK, 地獄送りだァッ』

デスアダーが親指を下に向けて怒鳴れば、大歓声が上がった。
フロイドは中指を立てて「血祭りだアッ」と楽しそうにリングへ怒鳴る。賭けは行われていないらしい。
どう見ても熊さんが勝つからだ。
ヒヨコはデスアダーとリングの哀れな羊を交互に見て、暫く口を開けたまま見つめてから。

「やっ、やっちまえーっ」

目を強く閉じ、細い声を上げた。
ヒーローショーを見ている子供みたいだった。訳も分かっていないが、とにかく。
自分をいじめた男の子二人には恨みがたまっている。まだお腹が凄く痛いし、床に押し倒されてから背中もすりむけていた。
それがずっとジンジン痛い。物凄く怖かったし、パンツを脱がされたとき死んでしまうかと思った。

フロイドがガッ、と肩を組んで「ブチ殺せ」と怒鳴るので、ヒヨコも「いけーっ」と煽った。
愛しの小ネズミに自分の姿を見られているとは全く気がついていないデスアダーはフェンスの上で大笑いし、歓声を上げている。

熊さんは逃げ回る男を殴った。
ドシャ、とか、ゴン、とか鈍い音が鳴り、殴るたびに周囲は歓声を上げる。
ヒヨコは途中から見ていられなくて目を閉じたり顔を背けたりしたが、一方的な殺戮ショーにならず者達は大喜びであった。
多分この学校は暴力とセックスしか娯楽がないので。

ヒヨコ相手に可愛こぶって無害な蛇を装っていたデスアダーも、投げられたビール瓶を投げ返して観客の頭で破り、ハイテンションで大笑いである。
ヒヨコはそれを見て、彼がフロイドの友人であることにとても納得した。フロイドがデスアダーの友人であることにも納得する。
確かに似た者同士で波長も合うのだろう。

「わっ」

リングはすごいことになっている。
ヒヨコは目を背けながら、別人みたいなデスアダーの背中を見て…コモンくん、植物園で聞いてたんだと思った。
あの時あそこにいたんだ。
それでオーナーに掛け合ったんだ。このコロシアムのオーナーが誰かはわからないけど。

『勝者!ベン・ヒットマン!これっきりなのが惜しい戦いぶりだぜ』

デスアダーは高いフェンスからダァン!と飛び降り、ベンの片手を上げさせた。
観客は大盛り上がりでベンの名前を呼び、勝負は幕を下ろす。
しかしこれだけで終わる地下闘技場ではない。
これは前座なのだ。

リングが片づけられ、男2人が担架で運ばれていく。
それが終わればデスアダーは別の強面をリングに上がらせて、ベンと殺し合いをさせた。
会場の熱狂は止まらない。
ヒヨコは暫くその戦いと、デスアダーを見つめていた。時間が経てばフロイドが呼ばれてリングに上がり、ベンと戦い、締め落とそうとしたところを殴られてK.Oを受ける。
大ブーイングを食らってリングに伸びたフロイドは顔を真っ赤にして笑っており、血を口から流しながらも全く気にしていない様子であった。

ヒヨコは終わるまで次々行われる試合を見ていた。
正確にはデスアダーを。
彼のよく回る舌と、参加者の名前を叫ぶ姿を。
暫く経ってお開きになり、ズボンに金を突っ込まれて揉みくちゃにされている姿を上から。
そしてスタッフと共に歩いて行き、頭を下げて退場するところまでを見て。

「………」
「ひよこちゃんがいる」
「ほんとだ、ひよこだ」
「あれ、監督生じゃない?」
「ひよこちゃんどうしたの」

強面の男がアレ?という顔でこっちを見て群がってきて、「ひどい目にあったんだって?」「許せねえな」「送ってやるよ」とお家まで送ってもらった。

一人では絶対に食べきれないサイズのピザを4枚もデリバリーしてくれて、信じられない大きさのコーラを買ってもらって、「元気出せよ」と強面達はヒヨコの背中をバチン!と叩いて帰っていく。痛かったが、元気付けたかっただけだと分かる手つきだった。力の加減ができていないのだ。

ヒヨコは先ほどの喧騒が嘘みたいに静かなオンボロ寮にて。
暫くぼんやりとしていたが、やがて目をしょぼしょぼさせて…巨大なピザを一切れだけ食べてお腹をさすって眠る。
その間、敵討ちをしたコモンくんのことが頭から離れなかった。





「、こもんくん」

次の日。
朝起きて準備をし、談話室へ行くと。
そこにはソファで眠そうにしているデスアダーが寝転がっていた。驚いて固まっていると、デスアダーはニョロ、と顔を上げて「おはよう」と言う。

「お、おはようございます」
「ねむい」

彼はよわよわ笑ってゆっくりまばたきをしていた。昨夜、ライトを浴びて観客を煽っていた面影は一切無かった。
いつものデスアダーだ。
小ネズミは彼をジ、と見つめてから。

「昨晩、寝ていないんですか」

と聞いてみた。
デスアダーは軽く頷き、「バイトしてた」と言う。

「お花屋さん?」
「いや、別のやつ。牛丼屋」

彼は嘘をついてあくびをする。
昨夜のことがなければ、彼女はきっと信じ込んでいただろう。だってデスアダーはこんなにも穏やかに見えるから。
マしかし、よく考えればお花屋さんとご飯屋さんでここまでお金を持っているわけがない。ちょっと考えればわかることだ。別のバイトは何をしているのか分からないけど。
「牛丼屋」は地下闘技場だと分かったが、「お花屋さん」の正体はなんなのだろう。

「ユウちゃん」
「はい」
「今日からオレ送り迎えするよ。一緒にいたいから」

バレているなんて知らず、彼はさり気なく言った。きっと眠いのに早起きして迎えにきてくれたのだろう。小ネズミが昨日男に襲われた事情なんて知らない顔で。

「…あとさ」
「はい」
「なんかあったら、オレに頼って」

起き上がり、頭をかきながら言われた。
小ネズミはこれに物凄くときめいて、キュンとして…胸を押さえてデスアダーの頭を見つめ。
近付いて、その背中に目を閉じて寄り掛かった。

「コモンくん、かっこいい」

と心からうっとりした声で言う。

今度から彼女は他の男に頼らず、この蛇を頼ることを心に決めたのであった。





「!」

デスアダーは仕事終わり、パ!と目を大きくした。
なんせ愛しの小ネズミから着信があったからだ。彼はネクタイを外しながら、嬉しそうに画面をタップして耳に押し当てた。
彼女からの連絡は珍しいから。

「はいデスアダー」
『コモンくん?』
「コモンくんだよ。どうしたの」

彼はスタッフ専用の部屋にある赤いソファに腰掛け、嬉しそうに足を組んだ。スマホを持った手の方を見て、電話に神経を注ぐ。
どうしたんだろう、こんな遅くに。
もう朝の四時なのに。
まさか何かあったのか?
それとも、と思う。

『ごめんなさい、こんな時間に』
「いいぜー、全然」
『コモンくん、今どちらですか』
「バ先だけど。もう上がり」
『そうですか。…その、今から、そちらにお伺いしてもよろしいですか』
「…えっ?ここ?」
『はい』
「え。あ〜…。なに、なんかあった?」
『あの…どうしてもお会いしたくなって…。ご迷惑でなければ、なんですけど。少しで良いんです』
「!…マジ?えぁ、ちょ…っと待って。オレそっち行くよ」
『いえ、用があるのは私ですから。私がそちらに』
「いーいー!いい、行く行く。そっち、」

デスアダーは慌てて言った。
だって今彼は地下闘技場にいるのだ。
こんな所に彼女を連れてくるわけにはいかないし、彼はバイト先を隠している。
だってバレたら絶対怖がられるから。多分あの子はNRCに地下闘技場があるなんて知らないし。
だから必死に「そっち行くから」と言って、反対に「なんで会いたいんだろう」と少しドキドキする。
まさか番認定?
オレのこと彼氏にしてくれるって宣告?
それともなに?寂しかった?
寂しくて、オレに電話かけてくれたとか?
これって期待して良いわけ?
と、思いながら。
「スグ着替えて行くから」と電話を切ろうとして。

『あ、あの』
「?ウン」
『ごめんなさい。実はもう、近くにいるんです。……あ、熊さん、ありがとう。ううん、自分で行けます。…もしもし?ごめんなさい。今のはこっちの話で』
「え?ハ?」
『少しだけで良いんです。いけませんか』
「え?ち、近くって、どこ?」
『…コモンくんのおっしゃる、牛丼屋さんに』
「え?あ…なに?ユウちゃん今ベンと一緒にいる?え?どういう、…ぇっ、ア?」

電話が切れた。
電波の関係か知らんが。小ネズミは急に電話を切るような子じゃないので、多分間違えて押したか何かだろう。
デスアダーは切れた電話を見下ろし、額に手を当て。

「────……」

彼女に浮気がバレたみたいな顔をして固まった。
え、なんなんだ。
いつバレた。何故知ってる。
え、ここに来てるのか?
ベン・ヒットマンと一緒に?
今、どこにいるんだ?
…デスアダーは少しばかりそうして固まり。突然立ち上がって部屋を飛び出し、革靴でカンカン床を打ちながら走り、小さなエレベーターに乗り込もうとした。
混乱している彼はオーナーに「今スグここ牛丼屋にして」「それか口裏合わせて」と頼みに行こうとしているのだ。

「あっ、クソ」

オーナーの部屋はこの、一つしかない専用のエレベーターからしか入れない。これはカードがないとエレベーターが作動しない仕組みになっている。
デスアダーはそれを失念していて、カードを慌ててケースから出そうとしたのだが。

「…コモンくん」
「ヒュッ」

遠くから小ネズミの声が聞こえた。
デスアダーはエレベーターを見詰め、固まり。ギシギシ不自然な動作で振り返る。
するとそこには、ベン・ヒットマンを護衛につけた撫子が立っているのであった。






「……………」

デスアダーは観念して、地下闘技場の観客席にスーツのまま座っていた。
広い闘技場は照明こそそのままだが、もう人はいない。清掃の人間が一人二人ウロウロしてるくらいで、並んで座っているデスアダーと小ネズミのことなんて気にしちゃいなかった。

二人はリングの前に座り、黙っている。
デスアダーは両手をグーにして膝の上に乗せ、少し俯いて汗をダラダラかいていた。
…どう見てもここは牛丼屋じゃない。プロレスをする場所でもないことは見ればわかる。
血とか踏み潰された金とか、割れたビール瓶とかが転がっているし。
彼は高速で言い訳を考えていた。
けれどロクに思いつかない。「オレは単なる清掃だから」とか、「オーナーと知り合いでたまたま来てただけだから」とかを言いたいのだが…小ネズミがどこまで知っているのか分からなくて黙すしかない。

フロイドが話したのか?
それともベンが余計なことを?
何故ここを知ってる。
オレがここでリングアナをやってるってバレたのか?どこまでバレてる?

と、汗をかいてジッとしていると。
小ネズミが「その」とちいちゃな声で言った。

「、」
「コモンくん」
「……」
「…黙っていてごめんなさい。実は、知ってたんです。その、コモンくんがここでお仕事をしてるの」
「……、」
「フロイドさんに教えて頂いて、…その、お仕事中のお姿も見ていました。ごめんなさい」
「!……」

デスアダーは目を見開いてガバッと彼女の顔を見た。
え。仕事中?
仕事中の姿を見ていただと?と。

「え、…えっ、いつ」
「三日前の、晩に」
「みっ……。え!あの日!」
「はい」
「いつ、から…」
「えっと…熊さんと…私に、その、乱暴した方が戦う前から」
「全部じゃん!」
「ご、ごめんなさい」

デスアダーはガタンと立ち上がり、額を抑え、眉を寄せ…何か言おうとしたが、何も言えず。よわよわ、ドスンと椅子に座り直した。
頭を抱えて俯く。
終わった、と思ったのだ。
死にたい。あんな場所を見られてたなんて。
ていうかどこにいたんだ。マジ最悪だ。
絶対嫌われた。怖がられた、っつーか、キモがられてる。絶対。
今まで散々可愛こぶってたけど、全部おじゃんだ。
ああ嘘だろ。
こんなことって。

ってことは、ハイになってビール瓶で人を殴ったところとか。バニーちゃんの腰を抱いて煙草を吸ってたところとか。
弱い者いじめをして笑ってたところとか、めちゃくちゃ汚い言葉遣いでアナウンスしてたところとか、全部見られたのか。

「知らないフリをしようと思ったのですが、あれから寝付けなくて…」
「………」
「あの、コモンくん。ここ以外のバイト先って、その」
「いや武器の密輸は先輩に脅されて仕方なくやってただけでオレの意思じゃなくて、」
「ぶ、武器の密輸なすってたんですか」
「ウワアアアアアア」

終わった!もうダメだ!
全部言っちゃった!
お花屋さんはバレてなかったのかよ!
くそ、あ、もう…なに?これ。
夢?

「………」

デスアダーは顔を覆ったまま、椅子にグッタリ体重をかけた。もうぴくりとも動けなかった。
番認定どころか、お前みたいな輩とは金輪際関わらない宣言だろう。これは。
だからベン・ヒットマンを連れてきたのだ。
デスアダーが逆上した時守ってもらえるようにだろう。

「コモンくん」
「ッうるせぇそうだよオレが犯人だよ」
「なんの…?」
「わ、わかんないよ。…なんだよ、クソ」

なんだよ。畜生。
知ってたのかよ。全部。
……いや、黙ってたオレが悪いけどさ。
わかってるけど。と、デスアダーは顔を真っ赤にして髪をかき上げた。
もう最悪の気分だった。
隣にいる彼女の顔は見れない。

「ごめんなさい…」
「…なんのごめんだよそれ」
「か、勝手に盗み見して…」

小ネズミはこちらに背中を向けて横向きに座り、背筋を丸める彼へ困った顔をむけた。
彼女は別に幻滅なんてしていないし、今日はお礼を言いにきたのだ。
彼が自分のためにやってくれたことだと知っているし。それに、彼の仕事を勝手に知っていて黙っているのがどうにも辛かったのだ。
彼を騙している気がして。

ベンは連れてきたのではない。
地下闘技場の近くでフラフラ困っている彼女をベンが見つけてくれて、一緒にここまで来てくれただけだ。

だから別に、デスアダーを責めに来たわけじゃないのだ。ただお話をしたかっただけ。
でも彼は相当ショックを受けたみたいで、もうピクリとも動かない。
きっと本当に知られたくなかったのだろう。こんなに傷付かれるとは思っていなかった。
小ネズミはどうしようと青ざめる。
そんなつもりじゃなかった。
そこまでひた隠しにして知られたくないことだとは思わなかった。
だって仕事中のデスアダーはカッコ良かったから。
今度、また見に来てもいい?と言いたかったのに。

「……。何言いに来たの」
「え、…あ、」
「…いや。ごめん、もう良い。隠しててごめん」

デスアダーはこちらに背中を向けたまま言った。その背中は硬質である。
小ネズミは「怒ってる」と分かって、一瞬で泣きそうになった。コモンくんにこんな風に怒られたことなんて一度もなかったからだ。

「ベン!」
「きゃっ」

デスアダーは突然顔をフッと上げ、上の方に座って煙草を吸っている彼を大声で呼んだ。
ベンは「あ?」と大きな声で返す。

「この子送ってあげて」
「もう良いのか」
「良い。話終わった」

そう言ってデスアダーはカシカシ頭をかいて、彼女に背を向けたまま歩いていき。
スタッフルームに黙って入って行った。
取り残された小ネズミは目を大きくし。「あ、」とちいちゃな声を上げる。

嫌われたと自覚して、胸に針を刺されたみたいに痛くなった。そのまま脳からシーンという音がして、何も考えられなくなる。
反射的に視界が滲んで、息がうまくできなくなり。

「あ。……」

ボロッと片目から涙を落とした。
ベンは近くまでやってきて、それを渋い顔で見詰め。

「女泣かせんじゃねえよ」

と、スタッフルームを見ながら低い声で言うのだった。






つづく

シリーズ
コモン・デスアダーという存在
気が狂っているので創作NRC生×女監督生とかいうほとんど一次創作のイかれた小説をTwitterにちまちまアップしていたのですが、とうとうまとめました。

コモン・デスアダーという男と女監督生のCPです。
捏造しかない
暴力表現あり
なんでも許せる人向け
本当になんでも許してくれる人向け
怒らないでください 

私は最近この男に囚われてから抜け出せなくなってしまいました。
薬を処方してもらおうにも現代にはこの幻覚を抑制するものがないので、病気が治るまで書こうと思います。みなさんふるって助けてください
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14,53014,202170,577
2021年6月16日 11:49
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