モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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予選第3試合が終わり、大差で決勝進出を決めた愛梨はすぐに三高の天幕へ向かった。
ミーティングスペースへ入った愛梨と栞を、沓子と三年生の水尾が出迎える。
「お疲れ様、愛梨。栞も。予選通過おめでとう」
「ありがとうございます、水尾先輩。沓子も買い出しありがとう」
「お安い御用じゃ」
テーブルには沓子が用意した昼食が並んでいて、4人は早速とばかりに席へ着いた。
会話もそこそこに食事を済ませ、水尾が口火を切る。
「それじゃあ、決勝戦に向けた対策を練っていこうか」
愛梨の目つきが変わり、栞も表情を引き締めた。
沓子だけが変わらず笑みを浮かべていて、水尾はそんな後輩たちを頼もしく思った。
「実はさっき、大会委員から一高の使ったCADの情報が開示されてね。一高の彼女、司波選手が使った飛行魔法の術式が書かれていた」
予選第2試合で深雪が披露した飛行魔法は、『トーラス・シルバー』がその術式を発表してからまだ1か月も経過していない最新技術だ。
開発成功が報じられた時点で九校戦まで1か月弱。最先端故に対応するCADが発売されていないことも相まって、今大会で採用できる学校はないと思われていた。
だが成功例を目の前で見せつけられ、完成形をそのまま使用できるとなれば話は変わる。
「つまり、決勝では他校も飛行魔法を使ってくると?」
「その可能性が高いと思う」
水尾の首肯に栞が続くのを見て、愛梨はふっと短く息を吐いた。
「
呟いた言葉の意味を、担当エンジニアである栞は正確に理解した。
「そうね。あの術式をただ使ってくるだけなら愛梨の敵ではないわ。何より実際に使用しなければわからないこともある」
頤に指を添えて語る栞。
それは決して楽観的な推論などではなく、検証と経験に依るものだった。
「予定通り、第2ピリオドからの使用を勧めるわ。でないと最後まで保たせられないし、多分、
「十分よ。それまではどうにか《跳躍》だけで食らいついてみせる」
方針が決まり、力強く頷いた愛梨がカフェオレのボトルを口へ運ぶ。
試合の後ということもあってか、ゆっくりと喉を潤す間に、ふと沓子が呟いた。
「それにしても、予選では随分と張り切っておったようじゃな」
「決勝に向けてもう少し温存しておいてもよかったと思うけど、何かあったの?」
同じ疑問を抱いた水尾が目を向けると、愛梨はボトルの蓋に手を添えたまま固まっていた。顔を伏せているせいで表情は見えず、小さく肩を震わせる姿に首を捻る。
真相はあっさりと暴露された。
「客席に『彼』がいたんですよ」
「ああ、例の命の恩人の。中学の時だっけ?」
「二年前の春、全国大会の時だそうです。お母様と一緒の所を助けられたとか」
納得した声と生温かな眼差しを向けられ、愛梨は赤く染まった顔を
涼しい顔で受け止めた栞は手元の紅茶を口にして、トドメの一言を放つ。
「格好良いところを見せたかったのよね?」
「っ……そうよ、いけないかしら!」
開き直って腕を組む姿に、3人は和やかな笑みを浮かべる。
総合優勝の懸かった一高と、追い縋る三高。
両校の一年生エース同士の対決は、数時間後にまで迫っていた。
◇ ◇ ◇
本選ミラージ・バット決勝は新人戦同様、日の暮れた19時から開始とされた。
日中は暗く覆っていた雲も流れ去り、一転して快晴となった空には無数の煌びやかな星が散らばっていた。街中にいれば見られない天の川も、人里離れたこの富士でならはっきりと見ることができる。
空中に光を投影するミラージ・バットで星明りは競技の妨げとなり得るのだが、観客にとってみれば華やかな装いの選手が星空をバックに舞う光景は大歓迎だ。六角形の各辺にスタンドが伸びる会場は、その上段の一般観客席があっという間に満席となった。
決勝に挑む選手は6人。それぞれ一高、二高、三高、五高、六高、九高からで、複数の選手を決勝に送り込めた学校はなかった。
この内、三年の選手は二高と六高のみ。五高と九高は二年の選手で、一高と三高に至っては新人戦をパスした一年生だ。
予選が始まる前は二高の三年生が優勝候補の筆頭とされていたのだが、決勝を控えた今では飛行魔法を披露した深雪と、『
一年生2人に話題を攫われて、他の4人はさぞかし燃えていることだろう。トーラス・シルバー謹製の飛行術式が使えるともなれば尚更、上級生の意地を見せようとするに違いない。
「深雪が3位以内に入れば、うちの総合優勝が決まるんだよね」
「あの深雪が飛行魔法を使って、しかも達也くんがバックに付いてるのよ。負けるところなんて想像もできないわ」
呆れさえ浮かべるエリカの言葉にレオや美月、幹比古といったE組の面々を始め、達也の調整を受けた経験のある女子たちが頷く。
一方で一科の男子組は達也のくだりにこそ懐疑的だったものの、深雪の勝利を疑っていないという点は彼らと同様だった。
「駿くんはどう思う?」
そんな中、前席の雫が振り向いて訊ねてくる。
たちまち一同の視線が集まった。囃すような視線には気付かぬふりをして、当たり障りのない答えを返す。
「順当に行けば、飛行魔法のある司波さんが有利だろう。三高の一色さんも確かに速いが、空中に留まる飛行魔法に勝れるとは思えない」
とはいえ、それは順当にいった場合の話だ。
この試合、僕は深雪以外の選手もが飛行魔法を使うことを知っている。
当然三高にも飛行術式はリークされているだろうし、一色愛梨がそれをどれだけ使いこなせるかもわからない。
原作では練度とスタミナで勝る深雪が圧勝を収めたが、師補十八家の出にして高速の移動魔法を得意とする彼女が深雪以上の適性を持っている可能性は否定できない。
元より知っていた可能性もあるのだ。僕のように原作知識のある存在だった場合、このミラージ・バットで飛行魔法が使われることもわかっていたはずなのだから。
一色愛梨は深雪を上回るかもしれない。
だがそれだけで総合優勝の行方が左右されることはないだろう。
もしも深雪が一色愛梨に敗れたとして、それでも他の選手にまで負けるとは到底思えない。3位以内が条件であることを考えれば総合優勝はまず逃さない。
そもそも明日のモノリス・コードには十文字会頭が出るのだ。服部副会長と辰巳先輩もトップクラスの実力者で、あの3人に勝てる学生チームがあるとは思えない。
無頭竜の妨害工作も、ジェネレーターによる大量殺戮という最終手段が防がれた時点で手札は残っていないはずだ。今頃は襲撃の失敗を知り、夜逃げの準備に掛かっている頃だろう。
或いはより強力な戦力を投入してくる線もなくはないが、より警戒の厚くなった軍の膝元にみすみす飛び込んでくるとは考えづらい。戦力の逐次投入という点も否定材料だろう。
故にこの試合、注目すべきは一色愛梨の動向だ。
飛行魔法を使うのか否か。使ったとしてどれだけの実力を発揮するのか。
深雪に食い下がる、若しくは上回った場合、それは彼女の才能と練度のどちらに依るものなのか。
これらを見極め、今後どれだけの警戒を払うべきか考えなくてはならない。
納得したように頷いた雫が競技エリアへ視線を戻す。
周囲のほとんどが彼女に倣い、一部(主にエリカ)がニヤニヤと笑みを浮かべながらも後に続く。不快というわけではないが、逃れようもない反応に小さく息を吐いた。
やがて決勝に臨む6人が姿を現すと、スタンドは独りでにざわめきが収まっていった。
湖上の柱に立つ『妖精たち』へ、期待の眼差しが注がれる。
試合開始の合図と共に6人は各々CADを操作し、空へ向けて柱を蹴った。
最初に光球へ到達したのは一色愛梨だった。予選で見せた速度は健在で、彼女が先取点を上げたすぐ後に深雪が続く。残る4人の選手も各々が目指す光球を打ち消し、全員が得点をして並んだ直後、スタンドから大きなどよめきが漏れた。
「飛行魔法!? 他校までなんて……」
ほのかの悲鳴で事態を察した何人かが呻いた。
一方で、幹比古は別のことに気付いたようだ。
「いや、三高だけは予選と同じ《跳躍》だ。飛行魔法じゃない」
深雪を含めたほとんどの選手が飛行魔法を使っている今、一色愛梨だけは予選と同じ《跳躍》を使い続けていた。
とはいえ、深雪の得点ペースには追いつかない。上昇と降下が段違いの速度を持っているために得点こそ挙げられてはいるが、上空に留まることのできる飛行魔法が相手ではやはり不利が否めないのだろう。
「一色選手はともかく、他の4人は間違いなく飛行魔法だ。予選で温存していたなんてこともないだろうから、多分、大会委員から術式が供与されたんじゃないかな」
「そんな、あれは達也さんの組んだ術式なのに」
愕然とするほのかに、推測を立てた幹比古は慌てて付け加えた。
「達也もトーラス・シルバーの術式を基にしたんだろうから、再現は不可能じゃない。発表時点で大会まで1か月を切っていたから、他に使おうと考える学校はなかったんだろうけどね」
問題と公式が出されたとして、模範解答が提示されれば複写して流用するのは難しいことじゃない。九校戦のエンジニアに選ばれるような調整技術があるなら尚更だ。
他校が飛行魔法を使うことができた理由は明らかになった。
判らないことがあるとすれば、続くレオの疑問がそれだ。
「けどよ、だったらなんで三高の選手は飛行魔法を使わないんだ?」
この問いに答えられる者はいなかった。
幹比古も首を捻ってはいるものの、明確な解答は出てこない。
調整が間に合わなかったとは思えない。現に他の4校は間に合わせていて、三高だけエンジニアのレベルが足りなかったとは考えにくい。あの吉祥寺真紅郎もいるのだ。飛行術式を搭載したCADを用意することは十分に可能だっただろう。
技術的には十分に可能だったはず。
であれば、それ以外の理由で使用していないと考えるべきだ。
明らかに有利な魔法があり、その使い方を知りながら敢えて使わない。
その姿勢は、これまでの三高の方針と合わないように感じた。
「……なんだか違和感があるわね」
「うん。私も思った」
同じ疑念をエリカや雫も抱いたようで、わからずに首を捻る面々へ雫は試合から目を逸らすことなく説いた。
「新人戦ではあれだけ勝つことに徹していた三高が、使えるはずの飛行魔法を使わないのはおかしい。《跳躍》だけで勝てると判断したならそれまでだけど……」
総合優勝を諦めたはずはない。現時点で一高は王手を掛けてはいるが、このミラージ・バットと明日のモノリス・コードの結果で逆転する目は残っているのだ。
三高がこの試合に必勝を期しているのは間違いない。だがそれにしては戦術が消極的で、真意の読めない違和感があった。
「単純に見誤ったのか、それとも何か秘策があるのか。どちらにせよ、動いてくるとすれば次のピリオドじゃないかな」
幹比古のそんな予想は、想像以上の光景として現実のものとなった。
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第1ピリオドを終えた選手たちがインターバルへ入る。
出力を抑えた《跳躍》でプールサイドへ降り立った愛梨は、栞から受け取ったタオルで汗を拭い、振り返って電光掲示板を見据えた。
決勝へ進んだ6人の内5人までもが飛行魔法を使用した第1ピリオドは、大方の予想に反し偏った展開となった。
首位を走るのは52点という大量得点を奪った深雪。次いで42点を稼いだ愛梨が続いている。3位には二高の選手が入ったものの、得点は28点と大きく差が開いていた。
これだけの違いが生じたのは、
大会前から練習を重ねてきた深雪と他の4人では同じ飛行魔法でも動きがまるで異なり、唯一追い縋れているのは使い慣れた《跳躍》を選んだ愛梨だけ。
《飛行魔法》は術者のイメージがそのまま反映される魔法だ。飛翔経路や加減速、姿勢制御に加えて『息継ぎ』の巧さも求められるこの魔法では、慣れているほど速く、巧く、効率よく飛ぶことができる。
この点において、深雪の有利は明らかだった。
持ち前の
経験値不足はペース配分にも表れていた。
慣れない新魔法の、それも常駐型だ。姿勢制御などに気を取られてサイオンの足りなくなった五高と六高の選手は、ピリオド終了間際にスタミナ切れで柱に軟着陸していた。消耗の具合を見るに、このまま棄権となるだろう。
これで残りは4人。それも万全に飛べるのは深雪だけだ。
予想した通りの状況となった今、満を持して奥の手を切ると決めた。
「アレを使うわ。いいわね」
「ええ。愛梨の思うまま、自由に飛んできて」
微笑む栞へ携帯端末型のCADを渡し、代わりにブレスレットタイプのものを受け取る。左手に嵌めて固定し、胸元のネックレスへも触れた愛梨は開始1分前のチャイムと共に柱へと上がった。
やがて第2ピリオドが始まり――。
一斉に飛び上がった3人を見上げながら、愛梨は自身の
ネックレスの先端で十字を象った装飾が仄かに輝く。
ただ一つの起動式だけが収められたそれが、愛梨の呼び名と同じ魔法を展開した。
3人に遅れることおよそ1秒。
ブレスレット型のCADを操作した愛梨が《跳躍》と同等の速度で
先行した深雪と後を追う愛梨がほぼ同じタイミングでそれぞれの光球を叩いた。
スタンドから歓声が上がり、直後、その声は更に大きく盛り上がる。
最初の得点を挙げた深雪と愛梨は、どちらともが続けて別の光球へと向かったのだ。
第1ピリオドでは《跳躍》を用いていた愛梨も《飛行》に切り替えていて、両者は縦横無尽に空を駆け巡る。
愛梨の飛行速度は深雪に勝るとも劣らぬものだった。練度によって生じる差はほとんどなく、それは愛梨が深雪に劣らぬ練度を持っていることを意味している。
それもそのはず。愛梨は元々この飛行魔法を切り札と見込んで練習を重ねていたのだ。シルバーが飛行術式を発表した後、金沢魔法理学研究所の助力を得た栞の解析によって再現に成功し、ミラージ・バットへの導入を決めた。
サイオン消費の負担が大きいことから1試合すべてを完走することはできないものの、練習によってピリオド2つ分までは安定して飛べるようになった。それまで使用していた《跳躍》のノウハウを応用し、始動を早める改良にも成功した。
元よりリーブル・エペーで移動魔法を駆使していた愛梨は、魔法で自身の身体を操作する感覚に高い親和性を示していた。1週間ほどの練習で飛行魔法をものにし、短期間の内に九校戦で使用できるまでに習熟して見せたのだ。
だからこそ、深雪が予選で飛行魔法を披露した時には驚いた。
自分の他に飛行術式を使いこなす魔法師がいたこと。そしてそれが噂に名高い一高の一年生エースだったこと。
スピード・シューティングとピラーズ・ブレイクで栞に勝った雫を完封した、同世代トップクラスの魔法師が深雪だ。
彼女に勝ちたい。これまで辛酸をなめさせられてきた一高に勝ちたい。
尊敬する先輩のために。信頼する親友のために。客席で見守る大切な母のために。
(司波深雪さん――勝負よ!)
気迫を載せた一撃が出現した光球を打ち消した。
深雪よりも僅かに、しかし確実に早いペースで得点を重ね、第1ピリオドで付いた点差を徐々に詰めていく。深雪ですらも後れを取る得点力の秘密は、愛梨の尋常ならざる反応速度にあった。
愛梨の胸元で揺れるネックレス型のCAD。
そこに収められた魔法こそ彼女の早さの源だ。
感覚器官が捉えた情報を脳ではなく、精神で認識し直接身体を動かす魔法。
人間の反応速度の限界を超えるため、長い時間を掛けて習得した魔法。
途方もない努力の果てに掴んだ愛梨だけの魔法――それが《
一般に、感覚器官の捉えた信号が神経ネットワークを介して脳に届き、筋肉へ指令が下るまでの時間は0.1秒を切ることはないとされている。
魔法師もこの限界は同じで、目標を認識してからCADを操作するまで、一流の魔法師でも1秒程度は掛かってしまうのが常識だ。
愛梨の《稲妻》は、この限界を超越するための魔法だった。
魔法の効果は二つ。
目で捉えた映像が脳へ届く前に、生体電位の変化を読み取り精神で認識すること。
魔法によって生体電位を操作し、精神から直接肉体へ行動を命じること。
この二つの効果により、愛梨は目で見た物に対して『見えた』と認識する前に行動を起こすことができる。
他者よりも常に一瞬早く動き出すことのできるこの魔法は、リーブル・エペーやクラウド・ボールといった反射神経の要求される競技において無類の威力を発揮した。
そして、それはミラージ・バットにおいても同じ。
ミラージ・バットは空中に投影された
現出した的に対して他者よりも早く行動を起こせる愛梨は、飛行魔法への習熟も相まって深雪以上の得点力を発揮していた。
誰よりも早く動き出し、誰よりも速く光球を貫く愛梨。
駿とは別のアプローチで『早さ』を突き詰めた少女。
『エクレール・アイリ』の真骨頂がそこにはあった。
彼女のパフォーマンスは観る者を圧倒し、深雪の独走を阻むべく空を駆ける。
瞬きの間に15分が経ち、電光掲示板に上位2人の得点が並ぶ。
司波深雪――108点
一色愛梨――106点
第2ピリオド開始時に10点あった差は2点にまで縮まっていた。
「捉えた」と戦意を高める愛梨の対岸で、深雪は静かに掲示板を見上げていた。