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  JAL123便の墜落が御巣鷹山だったという風に名前を間違えて報道した訳はズバリ以下の理由だと私は分析します。

まず、本当に落ちた山の名前は『高天原』ですよね

でね・・・この山にまつわる伝説をご覧下さい(川上村に伝わる伝説です)

高天原っていうキーワードだけで実は真相にたどり着きます。

これは家のブロガーさんもご入会なさっている方がおられるようですが、邪馬台国の会からのHPの記述をお借りしました

 

~引用~

『古事記』『日本書紀』の伝える日本神話によれば、天皇家の祖先神は、天照大御神とよばれ る女神であったという。そして、天照大御神は、「高天の原」にいたという。
白鳥庫吉は、『古事記』『日本書紀』の神話の伝える天照大御神は、『魏志倭人伝』の記す卑 弥呼の反映なのではないか。天照大御神がいたと伝えられる高天の原は、邪馬台国の反映なの ではないかとする考えを示している。

卑弥呼と天照大御神との関係については、まえに、『新版・卑弥呼の謎』(講談社現代新書) において詳論した。この本では、高天の原と邪馬台国との関係に焦点をあてる。

高天の原伝承のなかに、邪馬台国問題解決の鍵が秘められている可能性が大きいのである。

~以上~

高天の原=邪馬台国=卑弥呼

って事です!ここまで来てあっ!って気がつき分かりましたよね~

つまり123便はそこに落ちたんですよ

そしてその山の麓の村は上野村(うえのむら)と読むそうですが・・・・読み方を変えると・・・・

そうカミノムラ→神の村!とも読めるではないか!偶然でしょうかね?

 

つまり、日向族の動きを見ると卑弥呼は九州から本州に移動している記述があります。

つまり邪馬台国が九州奈良どちかなの?というどちらかの説ではなく、時代の流れとともに移動して東に登っていると考える方が正しいと思います。しかも大國魂神社の話しを今日リブログした方は書いていましたが、稲作を教えたりと記録が残っています。つまり人に良いことを教える善政者だという事がわかります。尊敬で人を収めたという事。

 

 

当時は関東の内陸部まで海路が有ったので今と同じようなイメージで見てはいけないのだと思います。

海人族は海が有ればどこでも航海出来たはずだからです。

 

なお、今日リブログした方の緻密に書かれいている文章を見るとわかるように、つまり縄文の文化は私が前に示した、安曇を頂点とした(海神の拠点)下の方、それこそ、千葉や神奈川の海岸沿いまで、全部が圏内です。

だからこそ、そこからは全て縄文時代のツボなどが発見されるんです。

 

 

どうみても卑弥呼と言うか、この伝説が正しいのならどちらかと言うとトヨノキミかな?の事でしょう。

つまり自分の居城がある高天原から逃げてきた卑弥呼(この文章だけだと卑弥呼かトヨノキミどちからは明言できないけど)関係者は自分の領地の一部である川上村の縄文村に逃げたという事実を輩は暗示しているのでしょう。だからあの岩の祠は・・・・

恐らく私が行けば・・・・色々分かるとともに、霊的な反応を示しそうですね。

 

つまり縄文文化を仕切っていた王の事ですよ。相当な広大な土地と権力でしょうから・・・・姫という事は王族を暗示している

そりゃあ神武勢は卑弥呼の名前をかくし、よくわからない文化。人として描きたいでしょうね。

 

でもね・・・・普通これだけ強靭な文化を築いていたら、どこかしらに核心部分は落ちているので(笑)絶対隠せない時代がやってくるので覚悟しておいた方が良いと思いますよん♪

 

 

 

 

 

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