pixivは2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ゆう
国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、そろそろ家に帰してほしい - ゆうの小説 - pixiv
国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、そろそろ家に帰してほしい - ゆうの小説 - pixiv
26,972文字
国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、そろそろ家に帰してほしい
002
2024年4月16日 18:13


「ハッ!見てよローゼ、メイド喫茶だ!」
「インゲボルグ様の家にいらっしゃる人たちですか?」
「違うかも。でもモエモエキュンしてもらえるよ!してもらおう!」
「わかりました」


「ローゼ、後ろにいる人たちは暇なのかな?」
「パパラッチは無視しましょう」
「そうだね」


「銭湯だよ!お風呂に入って上がったら一緒にフルーツ牛乳でもどう?」
「なぜお風呂から上がるとフルーツ牛乳を飲むのですか?」
「そこにフルーツ牛乳があるから。」
「アルプス山脈を思い出しますね。」


「ニンジャ!ニンジャだローゼ!!」
「ニンジャですね!!握手してもらいましょう!!」
「あっすごいバク宙して消えた!すごいすごい!丸太しか残ってない!!流石ニンジャだ。次は逃がさないようにしようね。」
「…え、ニンジャって丸太になるんですか?」


 なんて素晴らしい旅行だろうか。美人で有能な秘書を連れ、日本という文化を満喫し夕暮れの河川敷を連れ立って歩く。帰り際に買ったどら焼きを片手に、俺はウキウキとローゼに話しかけた。


「いやー有意義だったねローゼ。見てよほら、もう俺たちの観光ルートが特定されてツアーが組まれてる。」
「なるほど!だからわざわざリムジンを使わず面倒なバスや電車で移動して人々に姿を見せていたんですね!時間の無駄だと思っていましたが、流石ですインゲボルグ様!確かにこれならいくらでもお金の取りようがありますね!」

 え。

 俺は夕日に包まれながら動揺した。とても動揺した。ついつい昔の癖でバスやらなにやらを使ってしまっただけで特に思惑とかはない。そういえばなんだか遠巻きにされていたような気がするなぁ…。だがこのキラキラなローゼの瞳を裏切れようか?俺はとりあえず曖昧な微笑みを浮かべておいた。

「ふふ……そ、それじゃあ帰ろうか。」
「はい!」

 十二歳という異例にも程がある若さで国際サッカー連盟会長という地位についてからというもの、何故か俺の周りはこんなのばかりだった。
 俺は無能なのに良い方に勘違いされ続け、十年が経とうとしている今、俺の地位と給料はいろいろ突き抜けてもはや神にまで届かんとしている。嘘だろ。バベルの塔の末路を知らんのかお前らは。

 ブルーロックに着くやいなやスマホ片手にヒールを音高く鳴らして消えていったローゼは、きっとまた素晴らしい成果を残すのだろう。俺のおかげとかなんとか言って。そして俺の身長より長い功績リストにまた変なのが加わるのだ。何一つ身に覚えがない功績で満たされたリストに。

「はぁ………テレビでも見ながら会長退任の計画でも練ろうかな。」

 ピ、とテレビをつける。

 画面に映ったのは崩れ落ちたイサギヨイチーム。

 俺はテレビの電源を落とした。


 なんか…見えたな。
 もう一度テレビをつけると崩れ落ちたイサギヨイチームの前にどこか見覚えのある日本人ではない選手たちが堂々と立っていた。
 映像から察するに多分ブルーロックのどこか。コートにてん、てんと虚しくボールが転がっている。
 負けた?イサギヨイくん負けた?嘘。これ、負けたら終わりのデスゲーム方式じゃなかった?あとあの殺意バチバチ下まつ毛の子めちゃくちゃ見覚えがあるんだけど!!誰!?

「ちょっと!選手の顔写真と名前を一覧にしてくれよ!覚えられねーと思うんだけどさァ!」

 返事はない。そりゃそうだ。

「えぇー、と…誰だっけこの子。る、る、る、るね?るな?メモどこやったかな…。」

 部屋の隅にあるスーツケースの中に手を突っ込んで自腹で買った革張りの手帳を取り出す。かなり良い値段がしたから頑張って使い込んでいるやつだ。貧乏性なもんで。
 にしてもなんでいきなり世界レベルの選手と戦わせているんだ?俺が日本観光に行っている間ブルーロックで何があったの?
 ポカンと口を開け、何やら話し込む彼らを見ているとコンコンと扉がノックされた。

「はぁい、ローゼ?どうしたの?」

 ローゼはどこから見ても完璧な品のいい笑みを浮かべ、サッと試合直後のテレビを見た。
 
「インゲボルグ様、やはりもうご存知でしたか。」

 え、なにが?

「中途半端な時間に帰ってきたので何事かと思いましたが、結果のみを確認するためだったのですね。予測通りだったでしょうか?日本フットボール連合のミスター・不乱蔦がお呼びです。準備ができたら向かいましょう。」

 また知らないところで知らない何かが進んでいる…。あと中途半端な時間だなって思ってたの?俺もう気まずくてローゼのことお出かけに誘えないじゃん。
 悲しみに暮れつつ愛想笑いを浮かべる俺を気にもかけず、黒塗りのリムジンに軽やかに乗り込みローゼはすらすらとドイツ語で俺に語りかけた。

「本来は向こうから来るべきですが、今回の我々は名目上観光客であり、来日直後に挨拶をせずすぐここに来ました。失礼に当たりますがそれもインゲボルグ様直々に伺うとなれば全て帳消しです。なんなら向こうは借りを作ることになりますね。」
「現場にいきなり社長が来るようなものだからあまりプレッシャーをかけたくはないかな。みんなそこまで深く考えなくてもいいのに。」
「今までのインゲボルグ様と比べて驚くほどダラダラしていたので何をしているかと思っていたんですが……彼が痺れを切らすまで待っていたとは。」
「だ、だらだらしていたわけじゃないよ。うん。」

 ダラダラしていたわけじゃない。ただちょっと、そうちょっと、日頃の疲れをゆっくり癒していただけ。

 …別に、やましいことはないけど、話を変えよう!

「そっ、そうだローゼ!君日本語話せないよね?」
「……はい、ですがすぐに」
「これをあげよう!」
「?」

 さささ、と小ぶりなイヤホンをローゼの手に乗せる。白い手のひらの上でつつくと、ころんと転がり世界で最も有名な製造メーカーの一つを明らかにした。

「ミカゲ……」
「そうそう、日本の御影、世界のミカゲだ!俺には今必要ないからローゼにあげるよ。もう一つあとで貰えばいい話だからね。」
「これはイヤホンですか?」
「うん、つけてみて」
「はい」

 俺は不思議そうな顔でイヤホンを耳につけたローゼに向かって、ゆっくりと日本語を発音した。

「こ、ん、に、ち、は」
「!!!」
「どう?これミカゲが新しく開発した同時通訳イヤホンの試作品なんだって。……ど、どうしたの?大丈夫、ローゼ?」
「な、…は、ここ、これ」
「うん?」

 わなわな震えるローゼの顔を覗き込む。こんなローゼはいつぶりだろう。取り乱しているようで、真っ青な顔にいくつもの大粒の汗が浮かんでいた。まずいぞ、ローゼが驚くなら俺も驚く。というかローゼに対処が無理なら俺にも無理なのだ。

「ろ、ろ、ろーぜ?」

 俺はローゼよりぶるぶる震えながら恐る恐る問いかけた。
 すぅ、と息を吸う音が響く。


「これが目的だったんですか!!!!!!」


「え?」

 え?

「も、もしこんなものが汎用化されてしまえば、世界は大きく変わります!言語の壁を理由に挫折した選手はもちろん、留学生、移民、多国籍企業、戦争!ありとあらゆるものに恩恵とダメージがくだります!!」

「え?」

 え?

「うそ、うそ、うそ、こんなものがあっていいはずがないんだわ……!」
「私たちへの情報がゼロの段階でっ!あの秘密主義のミカゲの試作品の情報を知ってっ!日本サッカー連盟の機密事項だったブルーロックプロジェクトの時期と合わせて日本に来てっ!優良選手をすでに見抜いているであろう貴方にっ!言われたくありません!!!!」

 おかしいな、一つも心当たりがないぞ…。

「せめて、せめて先に一言お願いします…!何度もこんなことをされていたら心臓が持ちません!私はインゲボルグ様と違って凡人なんです!!」

 とうとう顔を覆ってリムジンの椅子に埋もれてしまったローゼの肩を俺はできるだけ優しく叩いた。

「俺も凡人だよ?」
「そんなわけがありますかッ!!!」

 どうやら逆効果だったようだ。

「ほら落ち着いてローゼ。今からぶ、ぶ、」
「ミスター不乱蔦!」
「そうそう、その人と会談があるんでしょ?」
「………えぇ、わかりました。落ち着いて、冷静に。ふぅ。着いたら一度連盟の方に電話します。先に部屋で待っていてください。私一人で受け止め切れることではないので…」

 あいあいさ、とこくこく頷いて、俺は今から会うタヌキっぽいジジイについて考え始めた。
 たしか日本フットボール連合会長。会長仲間だ!二人はカイトモ!権力と金がありそうなジジイだったな…ああいうの、すげぇ苦手だし不安でしょうがないが、やるしかない!俺はできる!俺は偉い子!



会長さえやめれば、こんなことはなくなるのかな…。




─────────────────────────



「「「ようこそおいでくださいました」」」

「どうもありがとう」
「それでは失礼します、すぐに戻りますので。」
「うん」

 両手を揃え、一列に並んでお辞儀をする職員の方々にぺこりと頭を下げて俺は案内されるままについていった。頼むローゼ。本当にすぐ帰ってきてくれ。
 案内された部屋は成金趣味としか言いようがない部屋だった。そこかしこにトロフィーや純金製のフィギュアが飾られており、趣味の悪い派手な色調の絵画が俺の視界の真ん中に居座っている。うげ、と小さく舌を出して椅子に腰掛けた。座り心地は悪くない。ふわふわ。

「ふむ」

 人っこ一人いない部屋の中央。一番大きな艶のある茶色い椅子に、俺は威風堂々と腰掛けた。死ぬまでにやりたいことリストにも載っている『カッコいい椅子にカッコよく座る』が達成できてしまった。すごく満ち足りた気分だ。

「いやぁ、くるしゅうないくるしゅうな、」

 さて。もし人が機嫌よく鼻歌を歌っているところを見られたらどう思うだろうか。きっととても恥ずかしいだろう。

 それと同じようにして、もし椅子にカッコつけて座り、くるしゅうないとか言っているところを見られた俺はどうだろう。

「……………、」
「あ、ども…」

 ドアの隙間から見える俺と同い年ぐらいの年齢の青年は、完全に固まって俺を見ている。俺は居た堪れなくて目を逸らした。チラリと見えたがすごい下まつ毛だ。

 ん?下まつ毛?

「…ふぁ、あれん、はいと」
「人違いだよ。彼ならシブヤに行った。パフェ食べるってさ。」
「ふざけてんのか?」

 あまりにも高圧的な下まつ毛さんに凄まれ、俺はキュッと口を閉じて明後日の方向を見つめた。帰って。頼むから帰ってくれ。
 しかし俺の願いも虚しく青年はドアを叩き破る勢いで開き、真っ直ぐ俺の元へとやってきたかと思うと胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせた。
 輩に絡まれてます!誰か!誰か助けてください!怖いよォ!俺が何したっていうんだ!!

「お前、日本語」
「え?…あ。しまった。アイキャントスピークジャパニーズ」
「その、人を舐め腐りやがった態度をやめろ。一朝一夕で習得できる言語じゃない。喋れるんだな?喋れたんだな?お前はずっと、俺が何を言っていたかわかってたんだな?」
「…下ろしてくれる?」
「チッ」

 言えた!俺言えたよローゼ!下まつ毛くんに下ろしてって言えた!進歩だな…イサギヨイくんには離してって言えなかったから。
 乱暴に落とされ強い衝撃が走るかと思われたが、椅子の性能が思ったよりも良く、優しく受け止められた俺は愛想笑いを浮かべたまま下まつ毛くんを見た。

「君がなんのことを言ってるかはわからないけど、俺は今日君じゃなくてカイト…ミスター・ぶ、ぶ、ぶらつた?に会いにきたんだ。」

 下まつ毛くんの頬がピクリと引き攣る。噴火間際の火山を思わせる動きに俺は慌てて言葉を重ねた。

「も、もちろんそれだけじゃないよ?今回はいろいろと見るものがあってね…」
「俺は?」
「え、君?」

 何故か眉を顰めて俺を見る下まつ毛くんに目を向ける。何を言ってるんだろう。てか誰。俺はただ観光に来ただけであってサッカーの諸々に巻き込まれるためにきたわけじゃない。なんならそろそろ帰ろうかと思っている。久しぶりにスイスのニュースアプリを開いたら『帰ってきてインゲボルグ』がトップ欄に並んでいた俺の気持ちを察してほしい。ただの旅行なんです。すぐ帰るんです。国をあげてデモを執り行わないでください。

「…別に君に会いにきたわけではないかな。」
「っ、」

 ぐわ、と下まつ毛くんの瞳孔がかっ開いた。般若である。今まさにか弱い生物をとって食おうとする鬼である。

 なるほど…地雷を踏んだらしいな…。流石俺。人を怒らせる才能も天才的だ。

 ローゼ!ローゼ!!頼む!!はやく帰ってきて!!

「じゃあ誰だよ」
「ブラツタさん」
「そうじゃねぇ。お前が、誰を見に来たかって聞いてんだよ。」
「うーん、強いて言うならニンジャかな。君見たことある?最近のニンジャってのは凄いんだねぇ。生で変わり身の術見ちゃったんだ、俺たち。すごくない?ぶわっと消えたよ。ぶわっと。」
「殺す」
「!?」

 何ィ!?ねぇ何!?日本人殺意高くない!?少なくとも俺がサラリーマンだった時はこんなに殺意が高い人種ではなかったんだけど!!

 話を!話を変えなければ!

「と!ところで、君、弟いる?君の下ま、ゴホン、顔、どこかで見覚えがあってさ。」
「…」

 下まつ毛くんは俺に胡乱げな目を向けた。なにやら早口でブツブツ言っているが、理解したくないので俺は背もたれに体重を預けて空を見た。
 おかしいな、こんなはずではなかったんだ。俺はカイトモのブラツタさんとにこやかに握手をして、苦労を語り合って、あわよくばその場の雰囲気で会長の座をお譲りしちゃったりして。至極円満に引退を目指すつもりだったのだ。

 そのはずだったのにその場にいた青年に殺害予告をされている。これが日本か…。俺がいない間に大分治安悪くなったね…。

「糸師冴くん!!ああよかった、ここに、!?い、いいいん、インゲボルグ・フォン・ファーレンハイト様ァ!?!?」
「カイトモ!?」
「か…?」
「間違えた。ブラツタさん!」

 次に扉を開けて入ってきたのは、生え際が著しく後退し、でっぷりと太った一人の男性だった。老獪そうな目は驚愕に見開かれており、太い指はおろおろと所在なさげに揺れている。

 銭ゲバ狸、もとい俺のカイトモになる可能性がある不乱蔦宏俊その人である。

「初めましてブラツタさん、会えて嬉しいよ!俺の名前はインゲボルグ・フォン・ファーレンハイト。長いからギルって呼んでもいいよ。」
「ファーレンハイトさま、よ、よくぞお越しくださいました。すっ、すぐにお茶の用意をさせます!!」
「ありがとう!」

 無視である。今のところギルと呼んでくれるのは両親とイサギヨイくんだけだ。

 そして、俺は気づいた。

 俺はもちろん挨拶をしようとした。握手をしてハグは…日本の文化じゃないからやめておこうか。地面に頭を縋り付かんばかりの勢いで頭を下げるブラツタさんに握手をしようと、足に力を入れ、


 腰が抜けていることに、初めて気がついた。


 下まつ毛くん…責任問題だよこれは。君が胸ぐらを掴み上げるという蛮行のせいで俺の腰が抜けてしまった。え、気づかれたくないんだけど。恥ず。とりあえず下まつ毛くんだけでも早く帰ってほしい。

「あ、君そろそろ帰らなくちゃいけないんじゃない?ほら、俺は今からこの人と話をするからさ。」
「……不乱蔦。気が変わった。」
「へ?」
「なに?

 額に青筋すら浮かんでいるようにすら見える下まつ毛くんは、殺意をギラギラと目に宿して俺を見据えたままブラツタさんに話しかけた。

「FWは俺が指定する。U-20に参加してやるよ。その代わり、」
「な、なんだね?」


「俺が勝ったらこの男を寄越せ。」


 彼は真っ直ぐ俺を指差した。なので俺は一度後ろを見た。もしかしたら絶世の美女か何かがいるのかもしれない。もしくはめちゃくちゃサッカーが上手い選手とか。しかし現実は虚しく、そこにあったのは金色に光り輝くブラツタさんを模した銅像だけだった。カイトモ、趣味悪くない?俺が何か一つあげようか?

「は、ハハハハ!なっ、何を言っているのだね糸師冴くん!!いやぁ、申し訳ございませんファーレンハイト様!!なにぶん、極東の島国なもので、」
「何が欲しいの?お金ならあるよ?」
「お前」
「えぇ…でも俺、そろそろ帰る予定だし。」
「は?」
「か、帰る!?」
「まぁやりたいことは大体できたから。後は…そうだ!オオサカで食べ歩きしたいんだよね。ブラツタさん一緒にどう?たこ焼き食べない?お好み焼きの方が好き?モツ鍋とかもよくない?」
「は、ぁ…ぜひ。」
「殺す」
「!?」

 この流れさっきもやらなかった?殺意が高いね。

「うーん、わかった。わかったよ、一日だけね。君が勝ったら一日俺の時間をあげよう。オオサカ行く?」

 殺されたくない俺の渋々の提案により、下まつ毛くんはヂィッ!となかなか聞かないような大きさの舌打ちをして去っていった。後に残されたのは腰が抜けた俺。脂汗を流しうずくまる我がカケトモのブラツタさん。

「申し訳ございません遅くなりましたインゲボルグ様!!」

 そして電話片手に駆け込んできたローゼ。なるほど、会談は今からってわけね。




─────────────────────────



 まさに阿鼻叫喚。地獄を形にとったら、こんな感じだろうか。

「会長は何を考えている!?」
「知るか!!会長だぞ!!!」
「おい記録部門!!」
「どっから情報取ってんだよかいちょー…」
「会長は日本に行くまで数週間外出してないらしいぞ。」
「バケモンがよ!!!」
「会長は今何を?」
「日本観光…」
「片手間で世界経済を揺るがすなァ!!!」
「ホウ・レン・ソウ!!!!」

「すみません、すみません、すみません…」

 電話の向こうから聞こえる怒号にローゼはひたすら頭を下げ続けた。記録部門、というのはもういっそインゲボルグの発言を一言も漏らさず記録してしまえ、ということで数年前に新しく設けられた部門である。ちなみに今のところ記録したところで何もわからないことがわかっている。
 さらに頭を痛めることになるだろうな、と思いつつもローゼは次の予定を彼らに伝えた。

「あの、今からニホンのトップと会談に行ってきます。」
「いいか!?会長が何かしようとしたら全力で止めろ!!絶対にだ!!」
「やってみては、いるんですが…」
「〜〜〜っ!!」

 気持ちはわかる。だがローゼが彼らに言えることは何もない。後始末や電話対応をするのは本来彼らの仕事ではないし、連盟本部で働く人々というのは素晴らしい教育を受けたエリートでありサッカーに少なからず愛情を持っている人たちである。ただ問題があるとするならば、どれだけエリートであったとしても誰一人としてインゲボルグの知能レベルについていけず、結局最後には後始末が回ってくることぐらいだろうか。

「もうあの人一人でいいんじゃないかな…」

 最後に聞こえた万感の思いが込められたその一言に、ローゼは深く頷いた。

 カツカツと足早に応接室へと向かう。曲がり角を曲がった際、鋭い目つきをした剣呑な雰囲気の青年とすれ違った。

「サエ、イトシ……?」

 その顔には見覚えがあった。スペインのレ・アール所属。日本の至宝、とまで言われる優秀なMFである。だが彼は今何かにひどく憤慨している様子でローゼのことは視界にも入れず歩き去っていった。

 なんだろう、とても嫌な予感がする。


「申し訳ございません遅くなりましたインゲボルグ様!!」

 やたら重厚な扉を開けまず最初に目に入ったのは、足を組み優雅に椅子に腰掛ける我らが絶対君主。そして足元にいる肥え太った男。
 ローゼは猛烈に頭が痛くなった。

「何を、なさっていたんです…?」

 インゲボルグはニコニコと快活に言った。

「おかえりローゼ!待ってたよ。特に何もしてない。今から会談なんだ。」
「…はぁ」
「イヤホンはつけてるかい?」
「もちろんです」
「じゃあ、始めようか。」

 そうして始まった会談は、ひどく不愉快なものだった。
 日本フットボール連合会長不乱蔦は銭ゲバ狸だという話は本部でも出回っている。それは言葉の節々からも感じられた。サッカーをただの商品としか見ていないこと、ファンを金を落とすATMとしか見ていないこと、インゲボルグを金の卵を産むニワトリとしか思っていないこと。

 一言で言うと、腹が立った。

「つまり!ファーレンハイト様が主導でU-20対ブルーロックの試合を大々的に盛り上げてくださればっ!」

「インゲボルグ様、そろそろ」

 相手にわからないようドイツ語で彼を諭す。しかし彼はいつもの柔らかな笑みを浮かべ、首を左右に振った。

「………まだ、立てないかな。」
「?」

 立てない、とは?ローゼは考える。立てない、ということは理由があるはずだ。時間稼ぎ?それともまだ必要な情報を引き出していない?海を超えたサッカー後進国のニホンが起こす身内争いなど知ったことではない。一体何が…情報が少なすぎる。だがインゲボルグがそう言うのであれば、まだ行くわけにはいかない。

「彼女はなんと?」
「うん?ああ、緑茶美味しいって。ありがとう。」
「滅相もない!!それで、ご返事のほどは…?」

 要求は簡単で、U-20側に肩入れしろというもの。

「………。」

嫌だ。

 論理的な思考もクソもない、インゲボルグを利用しようとする者への生理的嫌悪。もしインゲボルグがGOと言えばそれに従うが、NOならもっと喜んで従う。これはただの感情論でしかない。

 だが、彼は少しだけ顔を傾けてローゼを見た。


「…俺はブルーロックにつくかな」
「は」
「い、インゲボルグ様!よろしいのですか!?」

 ギョッと目を見開き、何度も二人を見比べる。どこからどう考えても利益があるのは不乱蔦側だ。ブルーロックは負ければ終わるが、日本フットボール連合は負けても続いていく。組織そのものが潰されることはなく、金儲けをし続ける。

 じゃあ、なぜ。

「いいよいいよ。…あ、そろそろ立てそう。いやぁ、どっちが勝っても面倒なことになりそうな予感はするんだけど、強いていうならイサ…ブルーロックの方がマシかな?って。」

 口を開いたままインゲボルグを見上げる不乱蔦を置いて、彼はニコニコと笑いながらローゼを連れて扉に手をかけた。

「まぁ俺なんかがいたところで結果なんてそう変わらないと思うな。それに俺たちはいい友人じゃないか。あんまりこう…取引みたいなのはしたくないんだよね。」

 恐ろしいほど痛烈な皮肉だ。

 いくら会長という肩書きは同じだからといって、そこには天と地ほどの身分の差がある。

 ぐにゃりと歪んだ不乱蔦の顔を尻目に、ローゼはくるくる思考を回す。
 取引とは、対等な立ち位置にいる人間がするものだ。少しでもどちらかに天秤が傾いた時点でそれは取引という建前を被った不平等な命令になる。

 なんて残酷な、なんて利己的な。

 バタン、と扉を閉め機嫌よく鼻歌でも歌いそうな雰囲気で歩く背中に、思わず口を開いた。

「あなたは….酷い人ですね。」
「え。なに急に」
「ふふ、なんでもありません。」


“お前なんかが俺と対等になれると思ったの?”


「ふふふ」
「ねぇほんとにどしたの?頭打った?」

 ローゼは笑う。絶対君主から垣間見えた、底の見えないエゴを感じて笑う。これでこそ我が王。これでこそインゲボルグなのだ。合理のために自分を曲げるのではなく、合理を無理矢理曲げてその上に自分を据える。それを特別なことではなく世界の常識として考える、


たった二十歳の男の子。


 ローゼが自分の人生で最も誇れることは、オックスフォードを卒業したことでも、PIFAの本部で権力ある地位についたことでもなく、幼い男の子に出会えたこと以外ありえない。
 

「全ては貴方の思うままに!」





─────────────────────────



 いやぁーー、ようやく終わった!長かった長かった!カイトモがやたら勿体ぶって喋るタイプで助かったよ!俺の腰が抜けてたことは誰にもバレてないはず!ローゼにはバレてるかな?優秀だからなぁ彼女。優しさで言ってないだけかも。いつもごめんね…。

「その、もし差し支えなければ教えて欲しいのですが…なぜあそこまで引き伸ばしたのでしょう?聞く価値はほぼなかったように思えましたが。」

 優しさ!!ローゼ、優しさ!!!

「そ、それはね…」

 ぐ、誰か!誰か助けてくれ!!美人な秘書に腰が抜けてましたって自己申告したくないよ!!俺!!

 必死の形相でビルの中を見渡す俺は、やたらと特徴的な色黒のチャラ男と目があった。目を逸らす。ヤンキー苦手なんだ俺。親父狩りされそうで。しかしヤンキーはこちらをビシッと指差し、大きな声で高らかに告げた。

「あれ、もしやのもしや?えーーウケる!!インゲボルグじゃん!!」

 あれ?あれれ?意外とノリがギャルだぞ?

「イェーイ!!」
「いぇーい!!」
「あの、その方は…?」
「え、知らない。」
「???」

 でも楽しいからハイタッチしちゃう。イェーーイ!なんだ君、いいやつじゃないか!

「なァなァギルちゃん、俺今ちょー良いことあったんだけど、お前なんかしたの?冴ちゃんバチギレだったぜぇ?」
「えぇー?なにそれ知らない!てか冴ちゃんって誰?あと君誰?」
「…ぶっ、ギャハハハハッ!!ヒヒッ、噂通りヤベェなぁ、ええ!?連絡先交換しようぜ〜♡損はさせねぇって!」
「連絡先?オッケーいいよ!あと君誰?」
「ちょ、何してるんですか!?ギルちゃん!?ギルちゃんって言いましたこの人!?!?」

 記念すべきギル呼び四人目!!日本に来てから徐々に交友の輪が広がってるぞ!この子は上まつ毛が長いから上まつ毛くんかな?

「お名前何で登録してほしい?」
「んじゃ爆発の悪魔で」
「いいね!」

 俺は上まつ毛くんで登録した。

 スマホをポケットに仕舞い、手を差し出すと彼はショッキングピンクの目を輝かせて千切れんばかりに腕を振った。

「俺はインゲボルグ!インゲボルグ・フォン・ファーレンハイト。よろしくね」
「知ってる知ってるちょー知ってる!俺は士道龍聖っての。ギルちゃんならなんて呼んでも許しちゃう♪」
「じゃあねぇ…俺人の名前覚えるの苦手だからさ、もう一回会うことがあったら決めるよ。もう会わないかもだし。」
「ほぉーーん、なぁるほど?そゆやり口。ギルちゃんのシワシワ脳みそにドキュンと一発ヤれたら覚えてもらえんンのね!」
「?」

 にまぁ、と歪む口元。甘ったるい口調。ピンチかな?俺はローゼをチラ見した。

「ぎる、ちゃん?ぎるちゃん……?ぎる?ギル?ギルちゃん?ぎる……?」
「わぁだめそう」

 うん、ローゼは使い物にならない。他の職員さんは…完全に遠巻きで静観の構えと。困ったなぁ。

「俺、会わせられたァ?」
「?」
「冴ちゃんの思考読んだワケ?冴ちゃんブチギレさせてゲームに参加させてブルーロックから一人引き抜いたFWに、俺。アハ、ヤベェねお前。時間まで読んでたの?まぁそうじゃねぇと時間ぴったりに出てこねぇかー。ねね、俺が来るってわかってた?それともFWなんて誰でもよかった?」

 ふむ…全くわからん。まずサエちゃんがわかんないし、どのゲームに参加するかもわからない。上まつ毛くんは口ぶりから察するにブルーロックの子なのかな?引き抜かれたの?なんで?不審者さんキレてない?

「俺は、」
「ア!しらばっくれるつもりだろ。ナシナシ、そういんのダメー。テンション上がんないから!俺はギルちゃんの読み通りの時間にここに来て、ギルちゃんの読み通りここで話してんだぜ?サッカーの天才なら山ほどいたけど、ギルちゃんみたいなタイプの天才は初めてだワ。ゾクゾクくる!」
「ありがとう!褒めてくれて嬉しいよ!じゃあまたね!」
「ア"?待てよ。」
「はい」

 何この子怖い。日本の治安の悪化が著しいぞ。

「ギルちゃんの目的、聞いてねぇじゃん」
「俺の目的?」

 そんなものはない。今の目的は母様に預かってもらっているエリザベス一世に会いたいことぐらいだ。

「そそ、ギルちゃんはなんでここに来たの?凄い選手を見つける?ブルーロックで大儲け?なんでなんで?」
「んー、俺が日本に来た理由?そんなの日本だよ。それ以外ある?」

 俺は日本という文化を堪能しに来たのだ。日本食を食べ、日本の観光地で遊び、日本の温泉に入り、日本のお土産を買う。それ以外にあるだろうか?いや、ない。俺は日本でゆっくりしたかったんだ!

 そこまで考えて俺は背中に走った凄まじい衝撃につんのめった。痛い。背中がジンジンする。叩かれた?親父にもぶたれことないのに!

「ダッハハハハ!!ふ、はァーー……、うん、やっぱお前サイコーだわギルちゃん!!!そうだよなぁ、ギルちゃんは俺たちなんて眼中にいるわけねーか!!うーん納得説得お買い得!」
「おおっと、そろそろ時間がまずいんじゃない?よしローゼ、行こうか。」
「じゃーねギルちゃん!また会おうねー♡」
「うんうん、またねー!」

 たらりと垂れたピンクの触覚を揺らし、上まつ毛くんはスキップで消えていった。

「…変な子だなぁ。」

 でもあの触覚はイカす。可愛い。その髪型カッコいいね、とメッセージを送ると間髪入れず既読がつきよくわからないスタンプが送られてきた。最近の若者はみんなこんな感じなのだろうか…。


「あんな男のために…!?」
「違うよ。お、俺の腰が抜けてたからさ。恥ずかしいから言わせないでよ。」
「適当な嘘をつかないでくださいッ!!!」
「うん…ごめん……」




─────────────────────────




 さて、日を置かずしてU-20対ブルーロック選抜選手戦がやってきた。俺は行くつもりはなかったし、本屋さんで買ってきた『壊滅的不器用さんでもできるスイーツ作り入門編』を片手にキッチンに向かおうとしていたのだが修羅の顔をした不審者さんと泣きそうなガイドさんに捕獲されてしまった。

「お前が蒔いた種だろうが!!」
「ファーレンハイト様、お願いですから!!」
「待ってよ。今日俺チョコチップクッキー作りにチャレンジするんだ。ほら見て色々買っちゃった。」
「知るか。お前のせいでどっちも大変なことになってんだよ。世界からの注目度もバカ高い。スタジアムは満杯だ。よかったな、大儲けだぞ。」
「ふーん。あ、そこの砂糖量ってくれる?…えとね、“気持ち少なめ”だって。何と比べてだろう?」
「捨てろそんなレシピブック。行くぞクソ会長。」
「ああっ!」



 抵抗虚しく俺はスタジアムに連行された。スタジアムという建築物によくあるVIP席にご案内だ。コートが最も見やすい観客席中央付近にある、少し飛び出た広めの席。俺の後ろにはいつの間に来たのかローゼがひっそりと控え、黒いサングラスをかけた屈強な黒服がずらりと並んでいる。ははは、俺如きを守ったところで一体何になるのかな?

 俺が座った瞬間ドオッと湧いた観客たちに一度手を振る。さらに盛り上がった。割れんばかりの歓声だ。まだ試合始まってないよね?

「インゲボルグ様、ご挨拶に伺いたい方が大勢並んでおりますが。」
「え、俺に?あ、めっちゃカメラ向けられてるよローゼ。一緒にピースしよ?はい、ポーズ」
「へっ?あ、は、はい!」
「お、売り子さん売り子さーん!俺たちにも飲み物とタオルちょうだーい!」
「!?!?」
「インゲボルグ様!!取りに!取りにいかないでください!!!」

 スタジアムが久しぶりでテンションが上がってしまった俺は慌てふためくローゼたちに目もくれずVIP席から身を乗り出して一般席にいる可愛い売り子さんに声をかけた。唖然とする売り子さんにお金を渡し、コーラとタオルを二枚ずつもらって席に戻る。ついでに握手もしてあげた。

「わた、わたし、い、インゲボルグと…あくしゅ???」

「はいローゼ。隣に座りなよ。一緒に見よ?コーラあげる。」
「…またネットニュースになりますよ。」
「なんでさ?…そろそろ選手入場だって!」
「はぁ、もう。来訪者の方々は私が対応しておきます。」
「さっすがローゼ!ありがとう助かる!久しぶりにスタジアムに来たけどいいもんだね。」
「毎日何枚VIP対応の観戦チケットが届いているかお教えしましょうか?」
「………軽食も頼もうか?」
「結構です」

 ふう、危なかった。乗り切れたな。ローゼは対応に行ってしまい、しばらくはVIP席に俺と黒服だけになるようだ。華がないと寂しいね。

「ねぇ、そこのオールバックの黒服さん。選手表とかってある?」
「はっ、すぐお持ちいたします。」
「どうも」

 そして俺の手元に選手のプロフィールとポジションが載った選手紹介表がやってきた時、ちょうど選手入場が始まった。なんてラッキーなんだろう。大きくアナウンスしてくれるから誰が誰なのかすぐにわかる。すぐ忘れちゃう俺からしたらありがたい限りだ。

 む?下まつ毛が二人…糸師冴と糸師凛。ああ!やっぱり兄弟だったんだ!それにしても糸師冴ってどこかで見たような、聞いたような。うーん…まぁいいか。冴ちゃんって彼だったんだね。
 あ!イサギヨイくんがいる!凄い凄い!選ばれたんだ!よかったねぇ。コートの上で暴言吐かないといいけど。試合の治安は君にかかってるからね。
 上まつ毛くん!?上まつ毛くんじゃないか!!なんで君U-20の方にいるの!?引き抜かれたってそういうこと!?現実は小説より奇なりってことか。難しいことは考えてもよくわかんないから無視しよう。

「知り合いがいっぱいだぁ!」

 みんなと一緒に拍手を送る。不審者さんとガイドさんもブルーロック側のベンチでなにやらホワイトボード片手に話をしているようだった。流石に内容はここからではわからないが、随分熱が入っているようだ。

 あ、こっち見た。

 不審者さんはバチリとこちらに黒々とした目を向けた。それに釣られ選手たちも皆こちらを向く。口をあんぐりと開くもの、熱意を目に宿すもの、不敵に笑うもの、無視するもの。様々だ。殺意が篭っているのはイサギヨイくんぐらいだろうか…泣きたくなってきたな。手を振っておこう。
 不審者さんは親指をグッと突き出し、俺をもう片方の手で俺を指差した。グーサインだ。ちょっと嬉しい。そしてそのままその指を真下に向けた。ファッキュー、と声が聞こえるようである。盛り上がるブルーロック陣。ざわつく観客席。悲しむ俺。確実に日本の治安は悪化している。

「ファーレンハイト様。あの男、」
「んぇ?ああ…うん、何もしなくていいよ。うん…ほら、こっちだとそういうテンションの上げ方も、あるのかも、しれないし……。」

 シンプルに泣きそう。だが俺は強い子なのでしっかり前を向いて愛想笑いを浮かべた。
 これはダメだ。ブルーロック側は見ないようにしよう。そうだ!U-20側を見ればいいんだ!そう思って俺は日本選手の方に目を向けた。目が合ったのは上まつ毛くん。彼はニッコリと頬を染めてからぶんぶんと手を振ってくれた。そうそう、こういうのでいいんだよ。その後ろでしっかりと中指を立てている冴ちゃんを無視すればとても癒される光景である。いや無視するのちょっと無理だな…。どこ見てればいいんだろ。空中?俺サッカー見に来たよね?
 一旦観客席かどこかその辺を見ようと思ったが、フラッシュが眩しくてやめた。クソ、どこを見ても俺の敵しかいない。頼むよローゼ早く帰ってきてくれ。いつもこんなのばっかだ。

「早く始まれ…早く始まれ…」

 ピーーー!と試合開始の笛がコートに響き渡った。その笛すらかき消すような歓声が上がり、選手たちが一斉に駆け出す。俺もよくわからないまま頑張れー!と歓声をあげタオルを振ったりしてみた。
 正直俺はサッカーのルールをよく知らない。十一人制で、ボールを相手ゴールに入れたら一点。悪いことをしたらイエローカード。レッドカードで退場ぐらいは知ってるが、あとはよくわかっていない。覚えるのが面倒くさくて後回しにしていたツケが来ている。

「始まりましたか!?」
「やぁローゼ、ちょうど今始まったところだよ。ローゼはこの試合どう思う?」

 こういう時の必殺技!ローゼに全て聞く!!

 彼女はふぅふぅと息を整え、すぐに持ち直して語り始めた。

「っ、そうですね…ブルーロック側が少し不利でしょう。実践経験が足りない。ポジションが足りない。練習が足りない。」
「へぇ」
「ブルーロックが行った練習は一応全て拝見させていただきましたが、彼らは一度も全員で合わせる練習をしていなかったように思えます。日本のサッカーは今までずっとパスとチームワークを重視するプレイスタイルでした。いかにストライカーを育てたとしてもぶっつけ本番、こんな大舞台で、U-20相手にしっかりと実力を発揮できるかはわかりません。」

 え、彼ら練習してないの?ヤバくね?もしU-20が勝ったら俺ブチギレと噂の冴ちゃんに貰われちゃうんだけど。怖いよォ!!お願い頑張ってブルーロック!!!

「それに…多分、彼らのポジション、直前で急遽決めたやつです。」

 終わった……。どのポジションがどこで何するのかは浅い知識しかない。でも大事なのはわかる。

「ですがインゲボルグ様はブルーロックが勝つと仰られました。」

 静かに整った顔でローゼは続ける。眼下では二十二人の選手がたった一つのボールをこの世で最も尊いもののように争っていた。

「ならば勝つのでしょう。」

 そうローゼが締め括った直後、スタジアムが揺れた。解説が叫ぶ。観客席の人々も血が出そうなぐらいに叫んでいる。

 誰もが喉から手が出るほどほしい先制点。白黒のボールがゴールネットを揺らすその快感。それを最初に奪ったのは日本の至宝、糸師冴だった。

「勝ちますよね……?」
「も、もちろん」

 頑張れブルーロック!!俺の胃が潰れる前に!!!



─────────────────────────


 これは単なる日本における権力争いではなかった。
 
 この試合を制した方が、これからの日本のサッカープレイスタイルの象徴となる。

 ここまではいい。今まで積み重ねてきたチームスポーツというプレイスタイルが踏ん張り切るのか、ゴールへの飢えとエゴで育ったストライカーがそれを食い殺すのか。なかなか面白い命題だ。それはこのスタジアムの動員数が物語っている。話はこれだけだった。


 はずだった。


 コート上にはいない誰か。ベンチにもいない。解説席で興奮気味に試合の様子を語り立てているわけでもない。テレビの向こうで優雅にワインを傾けているわけでも、一般席で選手に声援を投げかけてもいない。
 だが、皆がその存在にビリビリと脳の奥を刺激され続けていた。


ソレはただの、まだ幼さが残る青年。


ただの、サッカー界を変えただけのバケモノ。


 誰かがスーパープレイを繰り出すたび、無邪気に手を叩きながら喜ぶVIP席の青年がここにいる全員を狂わせているなど、誰が思うのだろう?



 思えば、彼が記者会見に現れた時から全てはおかしくなった。

 インゲボルグ・フォン・ファーレンハイト。スイスで最も由緒ある貴族フォンの一つであるファーレンハイト家。その直系の子孫にあたるのが、インゲボルグその人だ。このバケモノを産んだスイスでは、この男はスーパーマンより人気のある国のヒーローとなっている。
 彼が国際サッカー連盟会長という権威ある玉座に座ったのは、まだ彼が十二歳の時だった。彼は一年目にどこからかスラム生まれのノエル・ノアという男を引っ張ってきた。

 それからだ。

 彼が座っている椅子がハリボテの椅子ではなく、神ですら膝を曲げろとまで言われるインゲボルグの玉座となったのは。

 インゲボルグが行った全てのプロジェクトは何一つミスなく完璧に遂行され、馬鹿げた利益を生み出した。
 インゲボルグが見出した選手は全員恐ろしいまでに活躍し、それぞれの国で絶大な人気を得ている。
 インゲボルグが運営するPIFAという組織はこの十年で不正という不正が彼に見抜かれ世界でも類のない一枚岩の組織となった。

 天才という言葉では生ぬるい。神に与えられた才能なのか、もはや神そのものなのか。

 そしてそのインゲボルグは、サッカー後進国の小さな島国をたった一言たった数十秒で熱狂の渦に落とし込んだのだ。

『ニホンに、期待しています。』

 滑らかな日本語で綴られたその言葉はニュース速報となり、ネットを騒がせ、次の日もそのまた次の日も新聞の一面を飾った。もはや笑うしかない。ここ最近あまり明るいニュースが無かったこともこれを加速させた。国民は連日連夜ブルーロックプロジェクトに沸き立ち、目に見える結果を望み、そうして今ここで、スタジアムを立ち見席すら満杯になる人で騒がせている。さて、今の試合の視聴率はどれぐらいだろう?この一ヶ月にも満たない期間でどれほどの金が動いた?後から知るのが恐ろしいぐらいだ。

 言うなれば、国全体がたった一人の青年に脳を焼かれている状態。

 そして今一番震えているのはこのコートに立つ選手に他ならない。

 あのインゲボルグが俺たちの試合を見ている!インゲボルグが、絶対君主が、サッカーの神様が、俺たちを見下ろしているのだ!

 ミスれば終わり。

 決めれば永遠の栄誉を。

 サッカー少年なら誰もが子供の頃夢見た、たった36センチの世界一輝かしいトロフィーは、インゲボルグがほんの少し笑いかけた選手の手に渡ることになる。笑ってもらうためには絶対的な実力を示せばいい。今、ここで!ゴールネットを揺らせばいい!
 それは、なんて恐ろしくて、蠱惑的な。

 その熱気は奇妙な変化を選手にもたらした。

 FLOW。ゾーンとも言われる、極限の集中状態。観客の声という無駄なノイズは、最早耳には入らない。

 さらに精度が上がった選手の動きに観衆のボルテージが上がるまでに、そう時間はかからなかった。





─────────────────────────



「すごい試合だねぇ。ヨーロッパも毎回こんな感じなの?」
「……いえ。」

 絞り出すようなローゼの声に俺は顔を傾けた。苦虫を噛み潰した顔をしている。なんでや。

「こんなものは、滅多に見られません。お互いがお互いに引っ張られて実力が100%どころか120%引き出されています。」
「へぇ!いいことじゃん!」

 俺はコーラの氷は噛み砕くタイプなのでガリゴリ歯で削りながら話を聞いた。上まつ毛くんの活躍は凄まじく一人で二ゴール決めている。テンションぶち上げで下ネタもどんどこ飛ばしているようだ。これお茶の間に放送されてるんじゃなかったっけ?大丈夫?お子様には刺激強くない?

「インゲボルグ様…ヨーロッパでもたまにでいいので試合を見にきてくれませんか?」
「え、俺が行く必要なくない?」

 素人が来ても、えぇ…って感じで選手のテンションが下がっちゃいそうなもんだけど。試合長いし。挨拶長いし。選手が俺の出待ちしてることしょっちゅうだし。

「日本の選手が刺されそうなことを言うのはおやめください。」
「俺が刺されるんじゃないんだ。」
「もうインゲボルグ様がなさることには極力何も言いませんが、面白半分で国を揺るがすのはやめてほしいです。」
「俺はそんなことできないよ。」

 まったくもうローゼったら、すぐ俺のこと過大評価しすぎるんだから。揺れてるのは国じゃなくてスタジアムだし、それも俺の力じゃなくて選手たちがすごいからそうなっているだけだ。俺はなんの関係もない。俺にできることは精々金銭面の支援ぐらいだ。あれ、今回支援したっけ…?いやしてないな。マジで役立たずじゃん俺。

「すいませーん、コーラおかわりくださーい。」
「飲み過ぎるとお腹を壊しますよ。」
「大丈夫さ!お腹の強さには自信があるんだ!それにこうやって少しでも貢献しておかないと…!」
「?」

 その時歓声のボリュームが上がった。コーラを受け取りがてらヒョイとコートに視線をやると、途中入場の子が真っ直ぐゴールへと駆け上がっているのではないか。確か名前は、ば、ば、

『馬狼照英によるスーパースライディングシュートが決まりましたァ!!!なんという試合でしょうか!!!』
『はっはっはっ、これはすごい。こんな試合ここ十年見てないんじゃない?』

 バローくん、バローくん!すごい!服脱ぎ捨ててイエローカード食らってる!!
 バローくんの華麗なるユニフォーム脱ぎ捨て雄叫びは観衆を熱狂させたがやむなくイエローカードとなった。俺も盛り上がったんだけどな…。帰ったらルール変えちゃおうかな。観衆がめっちゃ盛り上がる時は服脱ぎ捨ては可とする。うん、後でローゼに聞いておこう。

 点差はこれで3対3。熱い接戦ってやつだ。両者一歩も引かず目をギラギラさせながら食らいついている。
 ローゼは興奮したようにコーラを振り翳し声を張り上げた。

「日本は、もっと大人しい、堅実なプレースタイルの国だったはずです!」
「落ち着きなよローゼ」

 ぐっと押し黙る彼女に向かって俺は優しく笑いかけた。


「こっちの方が面白いじゃん。」
 


「あなたが!!変えた!!くせにっ!!!」
「え、何それ知らん…怖……。」
「ゔぅぅぅーー!!」
 



─────────────────────────



 はてさて、突然だが、運というものはあるのだろうか。
 ぽーん、と空中を舞うボールを目に俺は考える。

 俺は運が良い?それとも運が悪い?運が良いのかもしれないけど、少なくともそれは俺にとって良い運の働き方ではなかった。家庭環境は最高だったしローゼというとんでもなく優秀な人材にも恵まれた。他の部下も揃いも揃って優秀だ。それでプラマイゼロなのかな?
 
 まぁ、なにはともあれ。


 運か、実力か、はたまたそれ以外の何かか____


 ボールはイサギヨイくんの前にやってきた。

『潔世一!!!十一番潔世一の前にボールがやってきましたっ!!!』

 半分発狂したような実況がさらに観客を煽り立てる。

 アレは何度か見たことがあった。ノエル・ノアやクリス・プリンスといった世界最高峰の連中はランダムに飛ぶボールの落下地点にいることが多い。側から見れば偶然にしか見えないし、妬んだ誰かはそう言った。だけど…あれは確かプリンスだったかな?

“ 俺は、俺がゴールを最高に一番気持ち良く目立って決められる場所にいただけさ!”

 3対3。試合は終盤。これがラストチャンス。ローゼも、観客も、実況席も、なんなら後ろの黒服もみんな息を呑んで見守っている。

 ブォン、とイサギヨイくんが足を振り上げた。

 純粋に、いいものを見れたな、と思った。外れようが入ろうが、いいものには拍手だ。

 ゆるりと立ち上がり、何度か自らの手のひらを打ち合わせた。パチパチと火花のような音が散る。

「え」

 ローゼが目を剥いて俺を見た。おや、拍手したのは俺一人らしい。ほんの刹那だけ生まれた静寂に沈むスタジアムに、立ち上がった俺の拍手だけが響いた。


 え、恥ず。帰ろ。


「いいものを見れた。先帰るね。」
「い、」

 後ろを向いた瞬間爆発したスタジアムに別れを告げようとした俺は、ふと脳裏に引っかかるものがあって足を止めた。

「そういえば、俺、一日イサギヨイくんにあげないといけないのか…。」

 やだな…怖いな…お家でぬくぬくゲームとかしてたいな。でも今の多分入れた時の歓声だ。つまり賭けは彼の勝ち。バイバイ俺の一日。ま、一日ぐらいいっか。なにされるんだろ。サッカー?一日?無理無理疲れそう。

「うんうん!踏み倒せば無かったことになるさ!スイスに、」

 ぎゅる、と腹から音が鳴った。

 そういえば俺、コーラ何杯飲んだっけ。顔からみるみる血の気が失せて冷や汗が流れる。ぎゅるるる、と腹の奥がとんでもない音を立てた。

 トイレ、トイレどこ。

「やばいやばいやばいやばい」

 くそ!ローゼの言うこと聞いておけばよかった!!

 間一髪で男子トイレに駆け込み下した腹と格闘しながらもなんとかトイレを済ませた俺は、そろそろとトイレを出た。コーラを飲みすぎて腹を下してトイレって…俺もう何歳なんだよ。ママパパに合わせる顔ないじゃん。恥ずかし恥ずかし。

「…あ、」

 そうだ。黒服さんいるんだった。トイレの前でめっちゃ待機してる。ごめん。マジごめん。こんなの護衛しなくてもいいのに…。

「探しました、ファーレンハイト様」
「もうお仕事終わっても大丈夫です。はい、すいません…。」
「出口までお送りいたします。」
「いえいえ自分で帰れるので!はい!大丈夫です!」

 止めようとする黒服さんに何度も手を振りスタスタととにかく歩く。VIP用の通路だから俺以外はだぁれもいない。大丈夫だ。降りて、駐車場に行って、待機してるであろうリムジンに乗るだけ。階段を降りて適当なドアを、

「俺が、日本をワールドカップで優勝させます。」

 興奮冷めやらぬ真っ青な瞳を貪欲に輝かせ、数多のマスコミの前でそう言い放つイサギヨイくんを目にした俺は扉を閉めた。ふふ、間違えちゃった…。
 よし、次の扉だ。

「…あ、イン、ゲボルグゥッ!!!!」

「ひぃ」
「見つけた、見つけた!!」

 目の前でバタァン!と開いた扉を前に俺は猛烈なデジャヴに襲われた。彼は扉を開けるのが好きなのかな?それとも俺がクソッタレな運の持ち主だってこと?

「見たな!?俺は価値を示した!!アンタの一日に相応しい価値を示した!!!」
「そ、そ、そうだねイサギヨ、イサギくん」
「!!!」

 イサギヨイ、と言いかけた俺は必死に修正した。あそこまでスタジアムで彼の名前を叫ばれれば嫌でも覚える。イサギくん。彼の苗字はイサギで打ち止め。ヨイは、えと、多分もうちょっとあった気がするけど自信ないから…チだっけ?タだっけ?大穴でト?

「日本の将来がかかった一戦で最後の最後に勝利の一点を決めてようやくアンタは名前を呼んでくれるんだな。」
「…?えー、と。」

 ちら、と彼の後ろに目をやる。大型カメラ片手に固唾を飲んで見守るマスコミさんたち。まずい。証人がいる。いざとなったら金的して逃げてくださいというローゼの教えが使えない。時間稼ぎしよう。ローゼが来るのを待つのだ!

「イサギくん、楽しかった?」
「人生で一番」
「それはよかった」
「一日ってのは今から二十四時間?それとも俺が決めた時から二十四時間?なぁ、もしかして今日の零時から?」
「じゃあ、今からで。」

 早く帰りたいし、という言葉を付け足そうとした瞬間俺は攫われた。今日はよく攫われる日だ。誘拐日和なのかもしれないね。途中ムンクの叫びのようになっているローゼを見かけたので手を振っておいた。へへ、誘拐中だぜ。こんな経験なかなかできないだろうな。おっとあれは冴ちゃんじゃないか?手を振っておこう。なんだか楽しくなってきたぞ。

「ね、え。わっ、ツー、ショット!とらっない?」

 ガクガクと揺さ振られながらイサギくんに聞くと彼は無心で頷いた。これ聞いてないな?まぁいいや。許可とったしパシャっと一枚。うん、いい写真だ。必死の形相のイサギくんと彼の肩の上でニコニコ笑顔の俺。
“逃避行なう”とコメントを添えてアップするとまず最初に殺すという返信が来たので俺はそっとスマホの電源を落とした。カイザーは本当に俺のことが好きねぇ。

「あっ、そこ、りむじ、ん」
「!」

 いやぁ、はたしてどうなることやら。





─────────────────────────



「すごいよ、イサギくん。いつも思うけどネットニュースって作るの早いよね。あと君スイス来ない方がいいよ。第一級犯罪者みたいな扱われ方してる。」
「スイマセン!!!」
「ダイジョブダイジョブ。時間もったいないからね。」
「俺は、ギルさんになんてことを…。」
「なんでこんなことしちゃったの?」
「ヴッ、なんか、認めさせてやるって必死になって頭ぐちゃぐちゃになって…」
「うんうん」
「それなのにチャンスは一日しかなくて、」
「ほうほう」
「今からって言うから、時間がないって、焦って、もうわけわかんなくなって、攫いました…。」
「へぇー、君俺のこと拗らせてるんだね。」
「なんで他人事なんですか。」

 大変な子もいたもんだ。将来苦労するだろう。
 きぃこきぃこ、と揺れるブランコに乗りながらスマホの画面を覗き込む。トレンドは『潔世一』『インゲボルグ』『ブルーロック』『誘拐』『逃避行』などというワードで盛り上がっていた。一応関係者には問題ナシと送っておいたけど、イサギくんは叱られちゃうだろうな。

「何するぅ?パフェ食べに行こうよパフェ。勝利おめでとうパフェ。奢ってあげるよ。」
「…奢ってくれるんですか?」
「うん、もちろん」
「じゃあ、」



 ぶすりと黒い塊に爪楊枝を突き刺す。イサギくんはひと足先に口の中に放り込み、心底幸せそうな顔をした。

「きんつばかぁ…結構趣味が渋いね。」
「うめー!です!」
「ん、おいしい!次は何する?俺は一日君にあげてるし、君がしたいことならなんでもいいよ。」
「サッカー」
「まぁ、そうなるよね。」

 とりあえずきんつば片手にもごもご口を動かすイサギくんの写真を一枚。旅の記録が増えてほくほくだ。

「じゃあこれ食べ終わったらブルーロックに帰ろうか。あ、それとイサギくん。最後の一点ってあれ、」
「運じゃないです。あ、いや、運なんですけど、運だけじゃないっていうか、」
「ああ、やっぱり?とってもいいシュートだったと思うよ。」

 やー、ほんとバケモノだねぇ。運だけじゃない、はなんとなくわかるけど普通そういうのはできないものだ。できるからこそスター選手になっていくんだろう。パッと顔が華やいだイサギくんにエリザベス一世が重なって、俺は彼の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「次もやってね。」

「え」

 見たいし。テンション上がったし。やらかして恥ずかしくなって最後まで見れなかったけど。でも一回やったなら次もできるでしょ!なんかノエル・ノアもそんなこと言ってたし!不確定事項は試合に持ち込まないとかなんとか…。ウンウン!いけるいける!

「次も」
「うん、できるでしょ?」
「……はい」
「そうだよね!ノアもよくやってたし!君もできるよイサギくん!」
「や、やれます!!」
「よし!」

 なんだか顔色が悪い気がするイサギくんを連れ、俺は結局サッカーに付き合わされた。だが俺はサッカーができない。彼が何をしているのかもよくわかっていない。今のプレーと試合中のプレーを何度も見比べて、その都度俺のところにやってくる彼に、俺は神託を下した。

 要するに、デタラメである。

「オリヴァ・愛空のDF、ここ抜けなくて。」
「うんうん、青い人さんに再現してもらってもう一回やろうか。」
「はい!」
「多分…もっとこう、右寄りに…」
「右寄り右寄り右寄り右寄り」
「こわ」

「士道のシュート、一本見たのに二本目対応できませんでした。」
「ああ、彼はノリノリにさせたらダメなタイプだよね。お茶の間が危うい。」
「お茶の間…?」
「だからノせちゃダメだよ。いろんな選手を見て、対応して。見て察して。ヤバいと思ったら徹底的に叩きのめして。子供達のために。」
「なるほど、見てわかるレベルまでいろんな選手のデータを集めて対応する。…でも俺ギルさんほど賢くないです。できますか?」
「…?できるよ。イサギくんだもん。」

「俺は、糸師冴に、」
「彼ね。わかるわかる、怖いよね。苦手意識は一度でも勝った!と思える経験があれば消えるよ。俺もそうやってブロッコリー食べれるようになったから。」
「勝てばいいんですか?」
「勝てる?」
「勝ちます」
「オッケー。じゃあ、まずは、彼のこのシュート…ええーと、どうすればいいか解決策が浮かぶまで自分で考えてみて。」

 めちゃくちゃアバウトな俺の言葉に、彼は全て満面の笑みで答えた。

「わかりました!」

「やれます!!」

「絶対に食い殺します!!!」

 最後の方なんてイサギくんは黒い殺気オーラが漂っているようにさえ見えた。食い殺しますってなに?殺さないであげてほしいなぁ。教え子…というほど教えたわけではないが、そんな彼が人を殺してしまうのは悲しい。俺の知り合いの選手って、サッカー選手か凶悪犯罪者の二択でギリサッカーを選んだみたいな人が多い気がする。気のせいかな?気のせいがいいな。気のせいにしよう。

「え、ほんとにインゲボルグいるよ」
「ホンモノ?ホンモノ?」
「うわー……マジでいるじゃん。ヤバ」
「潔いいなー」
「……チッ」

 これ、俺は振り向いた方がいいのかな。真後ろのドアの向こうから声がする…。やめてよ。そこ何かあった時すぐ逃げられるようにちょっと開けてたんだから。君たちがいたら逃げられないじゃん。うーん、でも、愛想笑いして手を振っておいた方が今後のためになる?
 そう思って振り向こうとした瞬間、練習を邪魔されたイサギくんが無関係の俺ですらぞっとするような表情をして振り返った。

「引っ込んでろ。雑魚が。俺が教えてもらってんだよ。」

「あ"?」

「イサギくんイサギくんイサギくん」
「はいっ!」

 え、何?今の何?幻覚?ワァ…またお腹痛くなってきたぞ。イサギくんの口激悪レスバを生で見るのは初めて。全く嬉しくない!
 後ろを見てみると筋肉がしっかりついたイケメンのブルーロック収監者達が今にも飛びかからんばかりにドアをこじ開けようとしていた。逃げようかな。乱闘苦手なんだよ。よく俺の周りで乱闘してるけど俺何もできないから台風の目になっているし。見るかい?イサギくん見るかい?スマホ見ながらぼっ立ちしてる俺の周りで胸ぐら掴み合ってる選手達の姿をさ。

「あ、どうぞごゆっくり…俺ちょっとお腹痛いんで。」
「ハ!?ちょ、どけよお前ら!!俺は今ギルさんに、」

 俺はもみくちゃにされるイサギくんに手を振りながら扉を閉めた。一旦トイレに閉じこもっておくか。二十分ぐらいしたら大分落ち着いてるだろうし。

 じゃじゃじゃーん♪

「?」

 震えるポケットに手を伸ばす。俺があまりにも電話をとらないから、俺の電話の着信音はけたたましいロックに設定されている。別にそこまでしなくても…。
 それにしても誰だろう。俺が着拒にしてないのは両親とローゼとあと限られてる一部の人ぐらいか。

「もしもーし」

「もしもし」

 俺は電話を切った。

 じゃじゃじゃーん♪

「くそ!」

 この低い声は。この威圧感満載のドイツ語は。

「おかけになった電話番号は、現在電波が届かないところにいるか」
「インゲボルグ」
「…はい、どうしたの?ノア」
「無事か?」

 俺は自分の腕時計を見た。日本とドイツの時差は約八時間。向こうはお昼頃だろうか。ニュースを見て電話をかけた?あのノエル・ノアが?……いやいやまさか。

「無事だよ。」
「そうか」
「………」
「………」
「…………」
「……………」

 気まずいんだってェ!!!切っていいかな!?いいよなこれもう!!!

「も、もういいかな?」
「今からそちらへ行く」
「へ?」

 一旦耳から電話を離して再度通話者の名前を確認する。うん間違いなくノアだ。世界一のストライカー、ノエル・ノアである。俺と会話すると会話の内容の六割が沈黙で埋まるあのノエル・ノアである。

「そちらって…日本?」
「ああ」
「………」
「…………」
「…………な、なんで?」

「なぜ?」

 ノアはまるで自分が世界の中心かのようにマイペースに一呼吸おいて、淡々と続けた。


「お前がいるならそれが理由になりうるだろう。」


「………」
「…………」
「………」
「…………」
「切るね」
「ああ」

ツー、ツー、と無機質な機械音が廊下に響いた。

 俺の記憶が確かなら、ノアはとんでもない合理主義だ。未確定要素は試合に持ち込まないし、自分の一分一秒をサッカーに使う超サッカー馬鹿。それがサッカーに必要ならやるという男。実際彼は俺に滅多に会わなかった。俺から行けばそりゃ会うけど、大体一年に一回なんかの賞を渡すぐらいしか会うことがない。流石世界一の男は違うぜ。

え、来るの?なんで??

 やっぱり今の人、ノエル・ノアの声真似さんなんじゃないかなぁ…。





─────────────────────────



 おかしいだろう。

 手の爪に入る土を見ながら、糸師冴は呆然と考える。
 隣の、たかだか三つほどしか年齢が変わらない少年はニコニコと笑いながら冴の隣に腰を下ろした。


「君は、」


 流暢な英語は冴の思考を滅多刺しにした。

 おかしいだろ。
 こいつは、なんで。なんで、

 ぼろりと言葉が溢れる。


「俺は、FWになれないのか。」


 糸師冴にとってスペインは通過点にすぎないはずだった。子供の頃からずっと彼の、彼らの夢は世界一のストライカーになることであり、こんなところで足踏みするわけにはいかないのだ。金色のトロフィーを弟と共に掲げて糸師兄弟は世界一になる。
 だが現実は甘くなかった。現に今、糸師冴はレ・アールの下部組織でこうして膝をついている。才能がないわけではない。実力がないわけではない。ただ、上には上がいることを知らなかった。それだけの話だ。

「ふぉわーど?」

 キョトンとした顔でインゲボルグは問う。
 監督は、スペインに彼を呼ぶためだけに膨大な労力を払ったらしい。いつも柔らかな笑みを浮かべ穏やかに、時に厳しく指導を行う監督はたかが十代後半の少年の前が来たとわかるなり顔を強張らせてひたすら頭を下げていた。

 インゲボルグは笑っていた。アイツは、誰かが自分の前に跪くことになんの疑問も抱かない暴君だった。

「俺、来たばっかでまだよくわかんないけど…」

 白い指が白磁の頬を掻く。彼がここに滞在するのはほんの数十秒。チラリと冴のプレーを見ただけ。本当に見に来たのはプロリーグの方だ。
 彼はニコリと笑った。試合に負け、愕然と土を掴み、絶望に浸る冴に向かって天上の微笑をもたらした。

「君は、パスが上手だね!」
「…………は、」

 ぐじゃり、と視界が歪む。

 なにがわかる。なにが君主だ。なにが神だ。そうだ、冴は最後のプレー、自らが決められないと悟って横を走るチームメイトにパスを出した。屈辱でしかないのに、実力の差というものは残酷にそこに横たわっていたから。

 おかしいだろ。
 なんでお前は、死にかけの選手を前に、


そんなにも綺麗に笑えるのだ。


 彼はスイス人だ。ここにいる奴らもほとんどがヨーロッパ人で日本語なんてわかりやしない。だから、だから、

「お前みたいな、全部持ってる奴が何わかったような口聞いてんだよ。」

 冴は日本語で撒き散らした。ポカンと口を開けるインゲボルグに向かって、子供の八つ当たりにしか思えないような馬鹿げた呪詛を延々と吐き続けた。ニュアンスから悪口だと悟った監督が血相を変えて止めに来るまで。

「君が何を言ってるかよくわかんないけど、」

 白い指でまろい頬をかき、インゲボルグは困ったように眉を下げて笑った。

「パス上手なんだからそっち伸ばした方がいいよ。」
「っ、」

 かくして糸師冴はFWからMFに転向した。
 ぐちゃぐちゃに夢を踏み躙られて、プライドを折られ、崖っぷちに立たされた冴がサッカー界において神にも等しい同年代の少年に引きずり上げられた場所は、天国ではなく地獄によく似ていた。

 だが、もし認めさせれば?

 もし、ストライカーとしての冴を見せれば?

 まだ、お前の玉座の下で潰された何百何千のサッカー選手とは違う、と証明できれば?

 インゲボルグ神のご加護を得れば、もしかしたら、もしかしたら。



「お前を寄越せ」
「見る目ないね君」


 U-20後、いろいろ吹っ切れたサエ・イトシとインゲボルグ・フォン・ファーレンハイトの間で多く見られるようになるやりとりである。
 



─────────────────────────



 インゲボルグ・フォン・ファーレンハイト

 祖父からの遺産が権力だった系男子。
名前の由来は聖書から。両親の重みが垣間見える。この度めでたくU-20戦で大儲けしたが、興味が無いのでそのままそっくりカイトモにあげるつもり。そろそろスイスに帰りたいし引退もしたい。


 ローゼ

 人類史上で最も偉大なものは?と聞かれた場合、ギリインゲボルグが勝つ。二位は僅差で胃薬。有能な美女。がんばれ。


 関係者

 拗らせた人と面倒な人と苦労人が多い


 パパママ

 うちの子すごい!そろそろ会いたい!




国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、そろそろ家に帰してほしい
002
2024年4月16日 18:13
ゆう
コメント
作者に感想を伝えてみよう

関連作品


こちらもおすすめ


ディスカバリー

好きな小説と出会える小説総合サイト

pixivノベルの注目小説

関連百科事典記事