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ゆう
国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、なぜか崇められている - ゆうの小説 - pixiv
国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、なぜか崇められている - ゆうの小説 - pixiv
28,385文字
国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、なぜか崇められている
002
2024年4月16日 17:27


 そう。俺はいつもそうだ。オギャンと生まれて幾星霜。思わず泣き止むほど美男美女の間に生まれた俺は、

『初めまして、私の可愛い赤ちゃん』
『ああ、生まれてきてくれてありがとう!君も産んでくれてありがとう!』
「ほぁ……」

 何語かもわからないカップルの濃厚なキスを目の前で見せつけられ曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

『笑った!この子笑ったわ!!』



 初めまして!僕の名前はインゲボルグ・フォン・ファーレンハイト!ギルくんって呼んで!

 覚えられるかボケ。という言葉を喉の奥に押し込み、必死でスペルを綴る。
 生まれて二秒で愛想笑いをした俺の前世はパッとしないサラリーマン。食って呑んで寝てその他は仕事。どうやって死んだかも覚えてない生粋の日本人。それが何故かここスイスの豪邸に生まれ、ドイツ語の読み書きをしている。ドイツ語だ。わかるわけねぇ。せめて英語にしろと言いたい。だが無常かな、スイスで一番使われる言語はドイツ語である。この世はクソ。

「天才!うちの子二歳で名前を書いてるわ!!きっと将来はアインシュタインよ!!」

 しかし俺は決めた。具体的に言うと、自らの死因すら曖昧なあの人生より、この親ガチャSSRを引いた人生を俺はまっとうしたい。嫌味なハゲ上司より愛が溢れる金持ち夫婦の息子。これは誰でも後者を選ぶはずだ。

何もクソ美人な母様のふくよかな胸にやられたわけではない。
別に心底愛おしいものを見る目の母様が何を言っているか知りたいと思ってわけではない。

「ありが、とう、まむ」
「きぇぇえええええー!!!!!かわいい!!!!」

 そんな感じで俺は日々愛想笑いと年不相応に発達した精神性と頭脳で両親を歓喜で舞い上がらせていた。どうやらワールドクラスで有名な超絶金持ち夫妻らしく、父はいつも仕事で飛び回り、母は時々パシャパシャやってる。多分モデルだな。そしてこの二人は転生ハンデのある俺を神童だと思っている節があった。

 だから俺も失望させないよう頑張ったのだ。幸い両親のおかげで顔はべらぼうによく身体能力もそれなりにあったため、十歳前後までそれはとてもうまくいった。




うまくいきすぎてしまった。




 さらりと流れる手入れの行き届いた黒髪に皺くちゃの枯れ枝のような手が乗っかる。俺は休日であってもオーダーメイドのスリーピースを着こなす祖父の膝の上で手の代わりに顔を皺くちゃにしていた。

「ギル、わかるかい?」
「うん、おじいちゃん」

 ぱちぱち。薪が火に巻かれて穏やかな音を奏でる。これ以上ないほど幸福で、満ち足りた時間。

俺以外にとっては。

 うん、おじいちゃん?全然知らん。真っ赤な嘘だ。まったくわからん。この頑固偏屈金持ちジジイが何故孫の俺を気に入ったかはわかる。俺がジジイの無茶振りともいえる要求に全て答えてしまったから。

 例えば、勉学。運動。マナーは苦労したけどなんとか。物分かりの良さや、肝心なところで祖父に甘えたり。それら全てが祖父にクリーンヒットしたらしい。

 そんなこんなで今や祖父は孫の俺にデレデレだ。俺は前世の影響で権力と金のあるジジイに弱い。そんなジジイに気に入られているとあれば、全力で媚を売るしかないのだ。だけどいちいち言い方がまだるっこしいんだよなぁ。謎の皮肉やらジョークやらが挟まってノーマルピーポーの俺ではうんうんと頷くのが精一杯。もっと子供に優しくしてほしいぜ。

「さすが、お前は賢い。儂の後継に相応しい。アレはすぐに家を飛び出してまったく……」

 にこにこ愛想笑い。任せろ、これだけはうまい。何が来てもこれで乗り切ってやるよ。
 俺の頭を撫でくりまわしていたジジイは、年甲斐もなく弾んだ声でいきなり告げた。

「それで、お前に老い先短い儂の遺産を相続させる件なんじゃが」
「待っておじいちゃん」

 ごめんなさい大学時代の先輩。愛想笑いで全て乗り切れと教わっていたのに、貴方の教えは無駄になりました。俺はもうダメそうです。
 



 そしてジジイは死んだ。国葬?ってレベルの豪華な葬式の後、流石に世間体があるのか遺産は一度長男で一人っ子の父が管理することに。
 なぁんだあのジジイの死ぬ前の妄言かぁ!と愛想笑いでたかを括っていた俺の前に、予想通り金は来なかった。だが、

「お迎えにあがりました、会長」
「待って誰?」

 美女が来ました。怖い。


 どうやらあのジジイ、偉い偉いとは思っていたがガチでお偉いさんだったようで自分の唯一の趣味であるサッカー観戦が高じてサッカー連盟の会長をしていた。金持ちはやることが違うぜ。普通そういうのって元サッカー選手とかがやるものでは?もしかして昔はブイブイ言わせたサッカー選手だったりするのか?

「きっと遺産はお前が成人するまでは渡せないから、せめて最も愛するものを孫に、と。」
「ああ、ギル……。おじいさま………。」
「僕たちはあの人のことを誤解していたのかもしれないね……。安心してギル、君が独り立ちしたらお祖父様の遺産はそっくりそのままギルに渡そう。誓って指一本も触れないよ。」
「アリガトウ、オトウサマ、オカアサマ」

 愛が重い。流石の俺も愛想笑いが崩れそうだ。お父様に全部あげたい。だがこの空気の中そんなことが言えようか?顔を抑え崩れ落ちる母、その肩を抱き俺を慈愛を込めて見つめる父、愛想笑いの俺、そしてミステリアス美女。映画だったらラストシーン間際。残念ながら俺の人生はまだまだこれから。

 結局、インゲボルグ・フォン・ファーレンハイトは十二歳で国際サッカー連盟会長の座に就くこととなった。円卓をぐるりとサッカー界の名だたる面々(一人も知らない)が座り、かろうじて肩が出る高さの席に座る俺を見た時の光景は一生忘れないだろう。胃が痛いなんてもんではなかった。ガキが……という目。サッカーのサの字も知らないくせにすいません、と愛想笑いを浮かべる俺。冷え固まった雰囲気。まさしく地獄。サッカー界は俺のせいでお先真っ暗。俺が昨日食ったザッハトルテの方がまだ黒くない。傀儡政権ってこういうふうに始まんのかな。

 濁った空気の前に、俺は抑えきれずため息をついた。



 あー、早く会長辞めてぇー………



─────────────────────────




 
 インゲボルグ・フォン・ファーレンハイトは神才である。
これはここ数年で世界に植え付けられた絶対のルール。

 たかだか十代前半の少年は、その頭脳だけでまさしく彗星のように現れサッカー界の全てを掻っ攫っていった。


「インゲボルグ様」
「うん?」

 ファーレンハイト家の広々とした部屋のアンティーク調の机の前。にこやかな笑顔でまだ幼さの残る顔立ちの少年は笑う。
 あの日ファーレンハイト家にただの少年を迎えにいった秘書、ローゼは、自分がこの手で世界を一つ変えてしまったことをひたすら噛み締めていた。ただの少年。そう、なんなら甘やかされたお金持ちのいけすかないボンボンだったはずだった。
 しかし彼は一年足らずで世間から持たれた頭のおかしい老人の哀れな孫、という評価をひっくり返したのだ。

天才。鬼才。神の子。神才。どんな言葉で言い表したって言い尽くせない。それだけの成果。それだけの功績。

「これが今期のプロリーグ、下部リーグの結果と戦績を残した選手たちです。」
「うんうん、ありがとうローゼ。」

 律儀にお礼を言うインゲボルグにホッと胸を撫で下ろすと同時に、不甲斐ない自分が嫌になる。きっと彼には必要ないだろう。その小さな頭に必要な情報は入っているのだから。一体どうやってかは知らないが、彼は全ての国、全ての選手、その伸び代をすぐに見抜き的確な判断を下す。それは連盟内の不祥事に対しても同じ。
 朝の挨拶がてら、“ニクソンは元気?ほら、彼そろそろ休暇を取ってもいいと思うんだ。南米あたりの暖かい場所でゆっくりと、ね?”
 と言われ、即座に幹部のニクソンを洗ったところ悪質なマネーロンダリングと脱税に関わっていた時は流石のローゼも腰が抜けた。あまりに巧妙で税務署すら何も気づかなかったのに、十代の少年が、何故。
 ニクソンはその後、幹部の座を剥奪され罰金を支払った後妻と離婚しスイスを離れ逃亡し、南米で逮捕されたらしい。きっと、この結末まで想定内。なぜなら彼は神才だから。全てを操る独裁者。だが時に、有能な独裁者は歴史を何十年分、下手すれば何百年分を進めてしまう。インゲボルグにはその才があった。

「うーん……ローゼは今シーズン、どう思う?」

 なんでもないような口調で発せられる、気軽な一言。だがこれが試験であることは身に染みて知っている。試されているのだ。ぴりり、と緊張が走った。全チームの監督の前に立った時だってこんなに緊張はしていなかったのに。

 素早く視線を走らせる。目に映るはいつもと変わらない静かな笑み。

「そ、うですね。やはりノエル・ノアは頭が一つ抜けているといった印象でしょうか。彼の所属するバスタード・ミュンヘンも良い成績を残しています。新しく出てきたという点であればイングランドのクリスなどが…」
「うんうん」

 この程度、彼が知らないはずもない。どうする、どうする。何を言えばいい。

「とっ、特に波乱もなく」
「無かった?ほんとに?」
「っ」

 彼の笑顔は変わらない。整い切った、一部では本当に神なのではないかとまで噂される穏やかな笑顔。ローゼにとって、この世で最も恐ろしく美しい微笑。
 波乱は、無かったのだろうか。彼は意味もなくこんなことを聞かない。無視した老人が何度痛い目を見たことか。冷や汗が止まらないローゼを置いて、彼はにこやかに両手をあわせた。

「…そっか。あ!そうそう、この間バスタード・ミュンヘンの下部組織に行ってきたんだけど。」
「聞いてません」
「ごめん…本場のソーセージが食べたくて…。それでそこにいたミヒャエル・カイザーって子がなかなか良かったんだ。彼はきっと強くなるよ。」
「ミヒャエル・カイザーですね!わかりましたすぐに手配を!!」
「え?手配?いやいやそういうんじゃなくて、ちゃんと成長できるといいねって話。世間話だよ。」
「世間……話っ?隠語ですか?」
「???い、いや。全然そんなことないけど。はぁ、そろそろ会長やめたいなぁ。」
「またそんなことおっしゃって。貴方の代わりになるのはそれこそ神しかいらっしゃいませんよ。」
「はははははは」
「うふふ」

 愛しき絶対者。我らが君主。貴方の血を塗り固めような赤い目を望む者は一体何人?
 ローゼは心の底から笑みを浮かべた。

「全ては貴方の思い通りに!」






 どうやらこの世には同姓同名の人がいるらしい。

 なんでも、齢十二で国際サッカー連盟会長となり、全てを見通す神の目を持った神機妙算の青年、インゲボルグ・フォン・ファーレンハイトくんがいるんだとか。

うーん、途中までは知ってる人だったんだけど途中から知らない人になった。全てを、のあたりから。凄い偶然もあるもんだ。愛想笑いでウンウン頷いていたらいつのまにか七年近くなし崩しで会長をやっていた俺とは違って優秀そうだし会ってみたいな。俺の代わりに会長やってくれないかな。
 あーまた胃が痛くなってきた。こういう時は合法の麻薬だ。

「おいでエリザベス一世」
「わんっ!」
「俺の癒しはお前だけだよエリ〜。」
「フッフッ」

 ゴールデンレトリバーのエリザベス一世。俺の癒しはコイツだけである。日々積み重なっていく仕事仕事仕事。地位から来るプレッシャー。マスコミ対応。それに胃をやられた五年前の俺が最終手段、パパーー!!犬ほしい!!!作戦により爆速で手に入れた可愛いワンちゃんだ。名前は三日考えていいのが浮かばなかったので歴史の教科書を開いて目に入った最初の名前にした結果エリザベス一世になった。

「お散歩行こっか」
「わふっ!」
「可愛いね〜お前は本当にもう!」

 うちの庭は下手な公園より広い。だからウキウキでお散歩ができる。外に出るとね、マスコミさんがいらっしゃることがあるんだよね、有名人ってこえー。もっと俺以外の有意義なことに時間使った方がいいよ。犬の散歩ぐらいしかしてないのに…熱愛とかなくてごめん。

 この七年、俺は無能を晒しに晒しまくろうとした。というかシンプル無能だったはずだ。
 だって俺、サッカーしたことない。
 したことないやつがワールドカップだのヨーロッパリーグ戦だのを取り仕切れとか言われてもわからん。全部ローゼに丸投げした。持つべきものは優秀な部下だ。ローゼ優秀すぎて怖いんだよな…。ウンウン頷いてたら全部終わってたし…。なのに全部俺のおかげって言うから俺の株がずっとストップ高。いつか絶対大暴落するぞ。無理。考えただけで胃が痛い。

「聞いてよエリザベス。昨日話題に出した人が不正してたんだって。なんで?」

 ふわふわした金毛に埋もれながらぽそりと呟く。エリザベス一世は湿った鼻面を俺の肩に押し付け機嫌よく鳴いた。

 あーあ、怖すぎ。連盟は腐ってるのか?何故か俺の話題に出した人が悉く撃ち落とされていくんだが。ならばと残業してカタカタキーボードを叩いていた地味な青年に前世の俺と親近感を感じ褒めてみたところ、彼は大出世して今や連盟の会計役としてなくてはならない存在になっている。廊下ですれ違うと五体投地してくるところが玉に瑕なぐらいだろうか。いや、致命傷だな。

「それにね、前期アドバイスした選手が今期大活躍してるらしいんだけど、俺それ何言ったか覚えてないんだよな。そもそもポジションもルールも知らないし。」

 俺に師事を乞うためわざわざスイスまで飛んでくる選手がいるがとんだ無駄足だ。プロが素人にアドバイスを貰おうとするんじゃない。自分とこの監督に聞け。わからなさすぎて愛想笑いでウンウン頷きながら抽象的なことしか言えなかったし。自由にやれば?とか。うーん、ボールは友達!(意訳)とか。俺が選手の何を知ってるんだ。烏滸がましすぎる。あんなに神妙な顔で絶望しながら来てくれたのにごめんね?

「大昔に教えたらしいブラジル出身の子がさ、俺の教えのおかげで敵が倒れていくぜ☆とか言ったらしいけど、そいつの名前知らないんだよね。絶対教えてないだろ。適当言うのもいい加減にしろよなぁ。」
「わふわふ」
「お、エリーもそう思う?そう思うよな?俺無能だよな?何かしらのイベントがあるたび引っ張り出されるこの状況は間違ってるよな?」
「わんっ!」
「エリ〜!決めた!俺もう会長やめるッ!愛想笑いでウンウン頷いてるヤツなら誰でもいいだろ!!」
「くぅ」
「わかったよ散歩な散歩。」

 もう俺の背丈の半分ほどまで成長したエリザベスを連れ陽の降り注ぐ庭に向かう。噴水やら手入れの行き届いた生垣には目もくれず、向かったのはエリザベスのためだけに作られたドッグラン。
『もっといろいろおねだりしてほしいわ!』とは母の談だ。犬を飼った直後に家にドッグランを増設する金持ちの感覚が怖くてその日は枕を濡らしてしまった。
 跳ね回る金の毛玉を見ながらのんびり。最高の休日だ。仕事一つも入らないでほしい。なんならこのまま会長……?そんな人いたっけ?ぐらいにはなってほしい。一般人の俺には荷が重いよ。

「インゲボルグ様ーーー!!!」
「げ」
「ミヒャエル・カイザーが十一傑入りしました!これでインゲボルグ様が目をかけた選手が全員十一傑入りしたことになります!流石ですインゲボルグ様!」
「ハハ、ウン」

 どうやって入ってきたのローゼ君?あとミヒャエル・カイザーって誰?こっちはホームスクーリングで忙しいの。選手の名前とか入れてもすぐ抜けてく。サッカーのこと覚える暇、無い。この世の全てが敵な気がしてきた。

 実は俺、会長を続けるのが嫌でやけになって世界各地を回っていたことがある。目的はひとえに後継探し。監督達や幹部に声をかけても目を逸らされるのでいっそ選手!と思っての行動だ。その過程で手当たり次第声をかけまくったのだが何故かソイツらが今になって大当たりしているらしい。ゴメンネ、覚えてなくてゴメンネ……。謝るからインタビューで俺の名前だすのやめて…。

「それで監督陣が今後の方針のためにまた会議を開いてほしいそうなのです。いつにしましょう?」
「えー…?彼ら忙しいんじゃないかな?リーグ戦もそろそろ始まるし。」

 監督陣。その言葉に露骨に自分の眉間に皺がよった。五大リーグそれぞれのチームを監督する戦略のバケモノたち。そのバケモノの宴に俺みたいなのが入り込んだところで出来ることは無いっていうのに、彼らはすぐ会議を開いて俺を呼んで意見を求め、そして最後には決まってお通夜みたいな雰囲気の中解散する。
これは多分、一応伝統みたいなのを守って会長呼ぶけどお飾りでーす!みたいな感じだよな。で、だんだん気まずくなって俺の精神が死ぬ。海千山千の猛者たちがガキに聞くことなんてないだろ。いっそ何も聞くな。答えられん。俺が何か言うたび黙り込んで考えるのをやめろ。胃が痛くなる。

「インゲボルグ様以上に優先すべき事項は無いように思えますが…。」
「あるよ?」

 何言ってんのこの子。怖。

「ではせめて本部の方に顔をお出しください。数ヶ月来ていないともなればスタッフの士気にも関わるので。」

 無能はいないほうが士気上がると思うな。俺が本部でやることといえば謎の決裁にウンウン頷いたあと美味しいドーナツを貪ったりするぐらい。マジで無能。ハシビロコウとか置いておいてもバレないだろ。全員が俺の発言待ちの会議とか死ぬんだよ。

「お願いしますインゲボルグ様。」
「ゔ〜〜…わかった。行こうか。」

 はぁ、会長やめてぇ。
 


─────────────────────────



 スイス、チューリッヒ。そこに国際サッカー連盟本部がある。ちなみに我が家から徒歩三十分だ。ちょっとした運動にちょうどいい。
 そして最上階にあるだだっ広い会議室。そこは今日も今日とて喧々轟々の話し合い、もとい言葉の殴り合いが取り行われていた。

 ガン!と木製の椅子を蹴り上げて立ち上がったのはハゲ頭の幹部。どこかの元監督らしいが、もう忘れた。頭まで丸ごと真っ赤にしてトマトみたいだ。ナポリタン食べたくなってきたし今度お忍びでイタリアに行こう。あ、このドーナツ美味しい。

「ワールドカップがあるんだぞ!?わかってるのか!?これ以上イングランドに回す資金なんてあるわけないだろう!!」
「前回の世界競技で興行収入はこれまでにないほど大成功に終わった。ワールドカップは確かに一大イベントだが一チームの支援分ぐらいは捻出できるはずだ。」
「それなら主砲が怪我でダウンしているベルギーの方が優先度は高いと思うがね。それにマンシャインだけでは不公平だ。全チーム練習環境の見直しもするべきじゃないか?」
「そもそも前回の大会が大成功だったのは会長の提案のおかげだ。ここは会長の意見を聞こう。」

 おかしいな、俺なんも言ってないんだけどな。やめてローゼ。期待に満ちた目でこっち見ないで。アレか?意見を求められて、空気読まずに『美味しいものがいっぱいあると嬉しいよね!』と言った結果偶然不定期に開催される食の祭典とかち合って大盛況になっちゃったアレか?ローゼが

“流石はインゲボルグ様!国も会場も時刻も完全ランダムで行われる食の祭典を予測して今年の会場を決めるなんて…!”

 とか大興奮しながら会議で言ってたヤツ。ゴメンネ、ダーツで会場決めてゴメンネ…。昔みたいに開催国は投票で決めろよ。なんで全権が俺にあるんだ。胃痛で死ぬぞ。俺の愛想笑いに誤魔化されるな。会長が言うなら…とかやめて。マジで。エリザベス一世に会長やってもらおうぜ。俺より空気良くしてくれるよ?

「会長はどのようにお考えですか?」

 謎の緊張感が場に張り詰める。十を超える視線が、場で最も愚かな俺に突き刺さった。口に浮かぶは愛想笑い。この七年で俺の愛想笑いはもはや神の域に達しようとしていた。もしや崇められているのは俺の頭脳じゃなくて愛想笑いなのでは?

「うん、余剰資金の使い道か…」

 知るかンなもん。ユニセフにでも寄付しろ。しかしこの空気でそんなこと言えるわけもない。助けて。誰か助けて。

「そ、うだね……」

 俺の発言を待ち、二回りも年上のおっさんが生唾を飲みこんだその瞬間、けたたましく会議室の扉が叩かれた。助かった。神からの福音だろうか?今度何かお供えしよう。

「ローゼ、通してあげて。」
「はい、会長」
「会議中のところ申し訳ございません!会長にお話を伺いたいと選手の方が、」

 チッ、と舌打ちをしたのは誰だろうか。心の中で怖いヨ!人に優しく!!と叫び散らしながら席を立つ。本来優先されるべきは間違いなく会議なのだが、俺たっての願いにより選手を優先して話を聞くことにしている。なぜなら昔の俺が後継者探しに躍起になっていて……昔の俺結構ギリギリを生きてるな。まぁそれが今の俺を救ったわけだ!

 ちなみにこの作戦、実は致命的な弱点がある。


「俺は……どうしたら、いいでしょうか?」


 すなわち、俺にアドバイスするだけの知識が無いということ。


 通された別室でふんふん、なるほど、と頷きながらローゼをチラリと見る。彼女は得心したように頷いて滑らかな英語で浅黒い肌の選手に声をかけた。凄いな彼女。スイス人だよね?俺より英語できてない?なんでもできるじゃん。俺いる?

「それではジュリアン・ロキさん、貴方は現時点で自分に成長の限界を感じているんですね?」
「……はい」

 へえー、ジュリアン・ロキくん。名前知らなかった…。坊主だ。さっぱりしててカッコいいなぁ。

「どう思いますか会長」

 知らん。だが果たして国際サッカー連盟会長がサッカーを知らないなんてことあっていいのか?マスコミによる総叩き、家族からの冷たい目線、世界中のありとあらゆるサッカーファンからのブーイングがすぐそこまで迫ってきている。俺は保身に走るしかないのだ。

「うん、えーロキくん」
「はいっ!」

 俺はギラギラと目を輝かせて今か今かと待っているロキくんに言う言葉を必死に考えた。抽象的で、的外れじゃなくて、そこそこいい感じの……、

 そういえば今年初めて陸上の百メートル見たな。アレはいい。サッカーみたいに九十分もやらないし、一番速い人が一番凄い。とってもわかりやすいルールだ。速さは覚えている限りアドバイスしたことないんじゃないか?うん、よし、こっち方面で攻めよう。

「走るの好き?」
「…えっ?そりゃ好きですよ。そもそも俺それが武器で、」

 間違えた。終わった。

 なんも知らんから適当に言っちまったよ。慌ててローゼを見るも何故か感動した面持ちで役に立ちそうにない。くそっ、これだから行き当たりばったりで生きてる俺はダメなんだ。

「あ、あーうん。そうだよね。じゃあもっと走って。」

 シン、と場が静まり返った。まんまるに見開かれた琥珀色が二足歩行のタワシを見るように歪んでいるようにも見えた。
俺はいつもそうだ。愛想笑いと適当な言動。油を刺したとしても回らないであろう馬鹿頭。よくもまぁみんな勘違いしてくれるものだ。どっからどうみても馬鹿な無能じゃん。この空気居た堪れなさすぎる。
 ここまで来たらどうとでもなれ!後は野となれ山となれ後継者となれ!俺の円満退陣のために!

「俺今忙しくて。わざわざ来てくれたのにあんまり時間取れなくてごめんね。世界で一番スピードのある選手になったらまた来て?その時はゆっくり時間取るからさ。」
「待ってくださいファーレンハイトさん!!」
「ローゼ」
「はい。それではロキ様お帰りはこちらです。」

 マジごめん本当ごめん。でも俺!サッカーわかんねぇんだよ!!適当なこと言って誤魔化すしかないの!!あとは頼んだローゼッ!!




「ゴッドスプリンター、ジュリアン・ロキ…まさかあの時からここまで見抜いて?流石、としか言いようがありませんねインゲボルグ様。」
「は、はは、はははは……ありがとうローゼ。うん、ほんと…ありがと………」

 


─────────────────────────



 そうだ、日本に行こう。

 俺は唐突にそう決めた。俺じゃない、スイスというこの土地が悪いんだ。大自然と天然水がみんなの頭を狂わせているんだ。俺は無能である。俺は凡人である。少なくとも世間からの評価、天才は間違っている。さらに言えばホームスクーリングも終わって取り繕うべき成績も無くなったので、俺の頭は悪化の一途を辿っている真っ最中。ごめんねパパママ!

権威、英雄、統治者、独裁者。どれもこれも大間違いだ。俺には荷が重い期待でしかない。
 
 日本に行こう。前世の故郷に帰ろう。日本食を食べて、小さなマンションの一室を借りて、ぬくぬくこたつに入って疲れを癒す。ぶらぶら散歩をしたあとは銭湯に行って見知らぬおっさんと野球の話でもしながら芯まであたたまろう。そう、それがいい。休暇取ろう。よく考えたら俺今まで一回も有給使ってない。

よし!思い立ったが吉日だ!

「ローゼ、俺日本に行ってくる。飛行機お願いしてもいい?」
「ニホン!?わかりました、プライベートジェットの手配ですね。それにしてもニホンですか…インゲボルグ様が行くのであれば何かあるのでしょうが、今回もコレですね?」

 ローゼがその柔らかな唇に人差し指を押し当てる。美人がやるととってもチャーミングで目の保養。
 俺は学んだのだ。何も一辺倒に曖昧な答えを返す必要はない。今はまだその時じゃないとかなんとか言っておけばいいのだ。そう言うとローゼたちはハッとしたような顔をして黙ってくれる。気を使わせてごめんよ。

「私もインゲボルグ様の意図を読み取れるよう精進します!それでは来日の準備を進めますね!」
「うんありがとうローゼ」

 久しぶりの日本だ。楽しみになってきたぞ。そうだ!日本のゲームと漫画買い占めちゃおっカナ!?それとも渋谷で若者気分を味わう?秋葉原でメイドカフェに入っちゃったり?銀座で高級バックチラ見したり!?ウワー楽しみ!





「お前はどこまで知っている?」
「すみません、どちら様ですか?」



 ウキウキで荷造りしてたらなんか知らん人から電話かかってきたんだけど。

 あれもいるこれもいる、とスーツケースに服や日用品を詰めていた夜十時頃。ローゼがキリッとした顔で明日の朝七時に出ましょう!と連絡してくれたのであとはしっかり睡眠するだけだったはずなのに。
もしやローゼからかな?と鳴ったスマホを取ってみれば聞こえたのはドスの効いた低い声。思わずガチャンと切りかけたが、久しぶりに聞こえた日本語に反射で対応してしまった。痛恨のミスである。

「ハッ、日本語も習得済みか。どこからお前の手のひらの中だった?なぁ絶対君主。」
「……なんのことかな?」

 なに?新手の詐欺?切ったほうがいいよね?あと誰?最近の詐欺ってこんなに受け子怖いの?向いてなくない?

「しらばっくれるな。このプロジェクトは秘密裏に進められていた、日本サッカー連盟管轄のものだ。ノータッチだったから油断していたが…いつどこでどうやって開催日時を知った?サッカー後進国の日本まで来てお前は何をするつもりだ?インゲボルグ・ファーレンハイト。」

 フォンが抜けてるよお兄さん、と言える雰囲気でもなさそうだ。かと言って人違いなわけでもなさそう。俺の頭の中は何言ってんのこの人というクエスチョンマークだらけ。このお兄さんの言っていることが何一つ理解できない。

「…なんのことか全くわからないけど、偶然じゃないかな?」
「記者会見の前日に国際サッカー連盟会長が直々にお出ましか。よくできたグウゼンだな。」

 怖いよーッ!!!ママー!!!!知らないところで知らない何かが進んでるー!!!まるで俺の人生!!!
 これだからお偉いさんは嫌なんだ!現場のことを気にもかけず上から指示だけ出す!

凄いな…俺みたい…。いや俺指示出してないからもっと下だ…。

「まぁいい。明日問いただすとしましょうか。こちらもそれなりの迎えは出しますよ。なにせあの会長様のお迎えをしなきゃならんのでね。」
「………」

 ガチャ切りは失礼かもしれないので、お出迎えありがとう、と簡単に挨拶をして俺は丁寧に電話を切った。最後に舌打ちが聞こえた気がするが気のせいだろう。
実はこれ、特段珍しいことではなくチマチマこういうことがある。一番ひどいのだと『何をしたこの暴君がァ!!!!』と叫びながら刺そうとしてきたオッサンもいるのだ。全く身に覚えがない。あの時はちびりかけた。それに比べると今回のよくわからないお兄さんは全然優しいほうだな。会話できるし。

「怖…寝よ……。」

 まぁ人生いろんな人に出会うからな。きっと明日になれば丸く収まっているだろう。




 最初に見た時の感想は、アレ?案外普通の子だな?だった。

 帝襟アンリは初めてインゲボルグ・フォン・ファーレンハイトに面会した時、そう思ってしまったのだ。

 いかに新入社員のアンリとて知っている大物だ。名前を聞いた時はここは夢かとばかりに頬をひっ叩いた。夢は終わらなかったし目の前の黒いモヤシみたいな男は製造会社の回し者かとばかりにカップ麺をすすっていた。

 なにせ相手はあの国際サッカー連盟会長。国境を跨ぐだけで経済を回すとまで言われたサッカー界の絶対君主。彼がその座に就いてから約十年、サッカーの競技人口、興行収入は右肩上がりであり、今をときめくスター選手のほとんどはまだ芽の出る前に彼に声をかけられたというのだからその慧眼は本物だ。

 彼が会長になった最初の一、二年はそれはもうかなり荒れた。十二歳の少年が数多いる有権者を押し退け祖父のコネだけで会長になったのだから。実力を示すため彼がやったことは簡単で、まるで鶏が卵でも生むようにどこからか未来のスター選手をポンポン引っ張って大活躍させた。実力で黙らせれば早いよね、というわけである。
 今でこそ彼が国を出ることはほとんどなくなったが、その頃は世界各地を飛び回り選手を見極めていたという事実から察するに、彼にとって当時のサッカー界は物足りない遊び場にも等しかったのだろう。だからといってそれを叩き潰し自分で新しく作り直すのもどうかとは思うが。
 他にも砂粒のような情報から不正を発見し次々ととっちめたり、サッカーイベントをあらゆる方法で盛り上げ全て大成功に収めていることなど功績は枚挙に暇がない。むしろ失敗したことがあるなら教えてほしいほどだ。

まさにサッカー界を成長させるために生まれてきた絶対者。彼の前と後でサッカーの歴史は変わった。

 そんな彼が国を出て、ここ日本に来る。サッカー界にとって会長がスイスを出ることは一大ニュースだ。
 なにせ会長が国を訪れるということは、そこに将来何百億も稼げるようなスター選手の卵がいるということ。
 もしくはその国で成功間違いなしの大イベントが起こる。
 もしくは彼の頭の中だけにある完璧な策略の一端を知れる。
 もしくは、もしくは、もしくは……。
 そのため彼の家には毎日何通も有名選手や監督、果ては政府からも勧誘の手紙が届くと聞く。ああ、頭が痛い。あまりにも大物。何百億どころでは収まらない可能性だって出てきた。

「じゃ。お出迎えよろ。」
「えっ?」





 気持ちの整理すらつかないまま、アンリはドイツ語でインゲボルグ・フォン・ファーレンハイト様、ニホンヘようこそ!と馬鹿みたいなフォントで書かれたプラカードを手に羽田空港のロビーに立っていた。

「…。」

 羽田空港は日本屈指の国際空港。行き交う外国人達に混じり、彼はいつ来るのだろうか。
 ちらり、と家族連れが立ちぼうけのアンリを見る。そしてそのまま通り過ぎるかと思いきや、アンリの持つプラカードを二度見三度見。ア、まずい。と思った時には父親らしき人はこちらを指差し金切り声をあげた。

『インゲボルグ!?!?インゲボルグって、嘘だろう!?彼がここに来るっていうのか!!』

 早口な力強い発音を皮切りにわらわらと人が群がってくる。

 そもそもコレは彼の発案だ。一度やってみたかったんだよね、と本音かどうかわからないがプラカードを持って立ってくれと言われればアンリのような下っ端はその通りにするしかないのである。何故ならインゲボルグはアンリの上の上の上のそのまた上の、もはや殿上人なので。


「ちょ、やめ。っ、ちがいます!これは、」
『インゲボルグはどこ!?』
『日本に彼が来るって!?』
『彼のアカウントは動いてないぞ?何しに来るっていうんだ?』

 なんだこの魔のプラカード。叩き折ってやろうか。ボード一枚で集まる人の量じゃない。
 アンリがボードを床に叩きつける寸前、カツン、と革靴の音が人だかりの向こうから聞こえた。死骸にたかるハエのように蠢いていた人混みがパカリと割れ、若い青年と背の高い美女のために道を作り出した。奇妙なほどの静寂が場を包む。

「あー……こんにちは、はじめまして。君がガイドさん?俺はインゲボルグ・フォン・ファーレンハイト。こっちは秘書のローゼ。よろしくね?」

 もっとオーラや強い圧があるものだと思っていた青年は、ひどく滑らかな日本語でにこやかに手を差し出した。
 綺麗な顔立ちだが、ありふれた黒髪と一際強く輝く赤い目がアンバランスに思えるせいで全体的な顔の印象はあまり強くない。ただ、この目は生涯忘れないだろうな、と思わせる不思議な目だった。




「初めての日本旅行だよ。楽しみだ。」
「えぇそうですね、インゲボルグ様。ところでアンリ様はどうなされたんですか?顔色が悪いようですが。」

「ガイドさん、もしかして体調悪いの?」

 スマホをスライドする指を止め、日本語を喋ったインゲボルグにアンリは曖昧な笑みを浮かべた。あの後凄い勢いで囲まれたインゲボルグはどうやってかのらりくらりとそれらを交わし、にこにこと手を振りながら用意されたリムジンに乗り込んだ。あまりの手際のよさに慣れを感じたほどだ。

「なんでも、ないです。」
「そう?体調には気をつけてね。」
「ありがとうございます」

『ファーレンハイト、日本上陸』
『極東の国日本で一体何が?』
『サッカー選手動揺をあらわに』
『国際サッカー連盟、沈黙を貫く』

 まだ彼が日本に来て一時間も経っていない。だが空港での出来事によりインゲボルグの居場所は世界中に知らされた。その結果がこのニュース速報たちである。
確実にこれは悪手だ。知謀を誇るインゲボルグにあるまじきミス、の、

「ねぇガイドさん」

 顔を跳ね上げる。世界中を混乱の渦に叩き込んでいるなんて考えもしてないような顔で、彼は綺麗に笑った。

「楽しませてね?」

 からりと喉が渇く。太刀打ちなんて出来るはずもないがアンリは今までで最も速く脳みそを回し始めた。

 かち、と脳のどこか奥で小さく音がなった。


あ。

わかった。

 

 コレ全部、作戦だとしたら?


 そうだ。全て合点がいく。彼が、あのインゲボルグがたとえ下っ端であったとしてもアンリの立ち位置を知らないわけがない。アイツはそういう男だ、と心の中の絵心が吐き捨てる。
 このブルーロックプロジェクトはきっと彼がいなければ国内の注目を集めるのみですんだ。それかお忍びで来てくれれば、同じような結果になったはずだ。

 だが彼はこの方法を選んだ。
 あのインゲボルグがこの国にいると全世界に発信することを選んだ。誰も漏らしていないはずのブルーロックプロジェクトを知り、その有用性を認め、海を超えて日本に来るに至った。彼が関わった以上、このプロジェクトに許されるのは成功の二文字のみ。
これは期待であり、プレッシャーであり、脅迫である。ツマラナイ結末を見せてくれるなよ、という笑ってしまうような傲慢である。

 なんという傲岸不遜だろうか。

 スッと背筋が伸びる。

「えぇ、任せてください。スイスに帰りたいとは思えないぐらい、楽しませてみせます。」

 透明な赤い瞳はきょとんと丸くなった。





 最近の旅行ガイドさんは気合いが入ってるなぁ。流石おもてなしの国日本。これは期待大だ。
 にしてもさっきからスマホの振動が止まらない。なんだっていうんだ、俺は旅行中だぞ。しかも美人なガイドさんと一緒に!
 しょうがないのでチラリとスマホを確認する。

「……めっちゃキレてる……。」

 幹部さん達からも監督達からも着信履歴が凄い。見なかったことにしよう。ふっ、旅行中なんでね。電源切っとこ。
 見かねたローゼがスマホ片手にひそひそと恐ろしいことを言い始めた。

「カイザーが殺害予告をしています。」
「うんうん、いつものことだね。」
「ラヴィーニョが謎の顔文字でアピールを。」
「うんうん、顔文字も叫び声も無くなって流帳に喋り出すまでは無視でいいよ。」
「スナッフィーが会長のために日本からイタリア行きの飛行機の用意をしているそうです。」
「うんうん、イタリアはまた今度ね。」
「連盟からも説明を求める声が。」

 旅行するだけで殺害予告なんて有名人も大変だぜ。だが今回は正真正銘!ただの旅行!!大騒ぎしている連中もすぐに収まるだろう。ようやく選手の名前を覚えてきたのだ。せっかく覚えたのに炎上で消えるとかやめてほしいから殺害予告は消してくれないかな。

「まぁすぐに俺の目的なんてわかるでしょ。ね、ガイドさん。」
「はっ、はい!!!!」

 おぉ、気合いが凄い。でも手が震えてるし顔も青い。体調が悪いなら休むべきだけど大丈夫です!まだ自分やれます!としか言わないから余計不安だ。

「うーん…あっ!コンビニ!ガイドさんコンビニ寄れない?スイスには無くってさ。」
「コッ、コンビニですね!?わかりました!!運転手さんそこで止めてください!!」

 ポカリでも買ってきてあげよう。俺は具合の悪そうなハーフアップの美女には優しいからね。




「……ファーレンハイト様、それは?」
「様はいいよ。うん、実は見つけちゃってね。」

 ついつい買っちゃった四角いパッケージを誇らしげに高く掲げる。俺はいたく感銘を受けたのだ。そのあまりの安さと美味さに、貧乏だった前世何度も助けられたコレがコンビニに並んでいることに!スイス無いんだよねこういうの!

「カップ焼きそばだよ!あ、これポカリあげる。体調悪そうだったし。」
「……どこから知ったんですか?」
「え、な、なに?あー、うん。見ればわかるよそんなの。はいあげる。」

 ニコニコと笑いながらポカリを差し出す。しかし俺の手から取り上げられたのはポカリではなくカップ焼きそばだった。

え?

それ俺のだけど??

「やはり最初から…。いえ、もうわかってます。貴方にはどんな隠し事も通用しないと。わかりました、これは私が責任を持って絵心さんに渡しておきます。」

 なんでぇ??

 俺は強い決意を宿した赤茶色の髪の美女にも弱いので、何も言えずポカリ片手にトボトボと席に戻った。手はポカリのせいで冷たい。俺の心も冷たい。ガイドさんは風邪の時ポカリじゃなくて焼きそばを啜るタイプの人なのか。わかるわけないだろ。
 日本語がわからないローゼは、『日本語を学ぼう!〜猿にはわからないかもしれない日常会話編〜』を読みながら俺に不思議そうな目を向けた。飛行機内では猿にもわかる日常会話編だったのに…。進化してる…俺と違って…。俺に必要なのは猿にもわかる日常会話編だったのかもしれない。

「どうかしたんですか?」
「ううん、それよりそろそろホテルに着くらしいよ。」
「わかりました。荷物はすでにホテルに送ってありますので、もし何か必要になれば私に言ってください。」
「ありがとうローゼ」


もしやこの旅行、前途多難かもしれないな…。






 温泉サイコー!日本食サイコー!!高級ホテルのシーツサイコー!!!
 誰だよこの旅行が前途多難とか言ったやつ!ポテチもマンガもゲームもある!スイスでも会長の仕事ローゼに丸投げしてゴロゴロしまくってたけど、やっぱり休暇をとってゴロゴロするのはまた違う良さがある。

 いやー、やっぱ旅行ってサイ、

「ファーレンハイトさ…ん、コホン、準備ができました。来てくださいますか?」
「はい?」

 ガイドさんに呼ばれ、あれよあれよという間にスーツを着せられ、俺はいつの間にか無数のカメラの前に座っていた。


 あれ???


 隣を見るとガイドさんが顔を強張らせて座っている。もう片っぽを見るとなんか黒くてひょろっとした人が座っている。なんだろう。新しい旅行プランの提案にしては手が込んでるな。


「な、おい、本物だぞ……」
「誰かドイツ語できる人!?」
「いるわけないだろ!!とにかく撮れ!!」

 あれれ????

 パシャパシャと光の奔流が俺を包み込む。何もわからない俺はいつも通り曖昧な笑みを浮かべて時折手を振ったりなんかした。またしても何も知らないインゲボルグ・フォン・ファーレンハイト(21)くんだ。テロップがつくならこれだね。

「この通り、今回のプロジェクトにはあの国際サッカー連盟会長が参加する。これでも何か文句があるのか?」

 俺は突如として喋り始めた彼にバッと目を向けた。
 あっ!この声知ってる!この前電話かけてきた変な人だ!なんだ、お前だったのか…。
 む?てことは、これは日本がやってるという謎のプロジェクトのお披露目会?ガイドさんはガイドさんじゃなくて関係者?むむむ?


 え?俺なんのプロジェクト参加するの??


「日本語いけるんだろ。」

 手元に隣の人みたいなマイクがやってきた。黒くて細長くて重い。
 恐る恐る魔のアイテムを手にとる。フラッシュはより一層激しさを増した。ローゼ。助けてローゼ。知らないものについてコメントを求められている!俺には無理だ!

 ちらっと大型スクリーンを見ると、そこにはブルーロックプロジェクト、の文字。青い…檻?なんで青いの?サムライブルー?何もわからない。帰りたくなってきた。でも帰ったら殺されそうなんだよな。

「あ、あー……」

 シャッター音がひと段落した瞬間を狙って、俺は口を開いた。

「……ニホンに、期待してます。」

 ああー、早く会長やめてぇ。



─────────────────────────




 カップ焼きそばが不味いと思ったのは初めてだった。不乱蔦からの謝罪のメールも、手のひらを返したような追加予算も、非難の声がかき消され賞賛まみれになった世論も。

 全て笑えるほど痛快なことのはずなのに。

 それもこれも全てあのクソ傲慢な、だが頭だけは信頼できるトップのせいだ。たった数分、たった一言でブルーロックの価値を跳ね上げて去ったあの大馬鹿。
 絵心甚八は味のしない焼きそばに箸を突っ込んだまま動きを止めた。そりゃ確かに調べれば好物ぐらいわかるだろうが、一体どうやって内容も関連人物も不明のプロジェクトの責任者を見抜いて好物を送るんだ。どんな頭してる?真理の女神がおでこにキスでもしたのか?情報網はどこだ?いや、一回でもあの野郎が情報を口にしたことがあったか?…これだから神に愛された人間は嫌いなんだ。

「頭の良さ以外は全部終わってるようなヤツだからな…」

 無価値の選手は徹底的に無視。これは有名な話だ。アイツは、自分が価値がないと思った選手は存在を認識することすらしない。何時間もかけてスイスまで行った選手を四時間待たせて挙げ句の果てに、『あ、忘れてた』と言って帰らせた話もある。お前のような男がサッカー選手を忘れるわけないだろ!?とサッカー界が総ツッコミをした事件だ。
 はてさて、そんな超ド級のエゴイストをどう扱うか。アレはダイナマイトとなんら変わらない。正しく扱えば莫大な利益を生み出し、間違えればボカンと一発。

「予算援助、…まずは日本に価値を示す?日本代表とのマッチアップ。いや、そんな悠長なことを、」

 あのクソ野郎を日本にできるだけ長く滞在させるには。その命題のために頭をフル回転させる。
許される結果は、面白さ。
絶対君主に捧げるための。

「チッ。…あ、もしもしアンリちゃん。来て。うん、今すぐ。」








「オニごっこ、スタート」

 ぱん、と手が打ち合わされ、画面の中で一斉に少年達が動き出した。
 薄暗い部屋の中で青白く輝く画面とどこからどうみても黒幕の怪しい男。デスゲームだ。言い逃れのしようもなくデスゲームだ。

 そして俺は知っている。つい先ほど、知っているんだろう?という雰囲気を醸し出されながら舌打ち混じりに今回のプロジェクトの内容を教えられた。ちなみに完全初見だった。
 ブルーロック。それは、僕の考えた最強のストライカーを作ろう!といった内容のプロジェクトである。細かいところは難しくてわからなかったが、そのプロジェクトから脱落した人はサッカー人生が潰されるという実質デスゲーム。流石の俺も愛想笑いが浮かんじゃうね。

「会長様は誰が残るとお思いで?」

 聞くな。俺に。

 苛立っている様子の黒い人は嘲笑混じりに画面に向かって手を伸ばした。手の先には無数の部屋、無数の選手がいる。その数なんとびっくり三百人。これは…もしや試されている?ふっ、甘いな。俺が勝てるわけないだろ。俺が。
 いや?だがよく考えてみよう。唸れ俺の超天才(らしい)脳みそ!一つの部屋にあんなに人がいるのだ。むしろ外す方が難しい!頭いい俺!

「そうだね。じゃあ……この、」

 俺は一番手前にあったスクリーンにうつる二葉アホ毛が特徴的な男の子に指を突き立てた。理由は簡単で一番近くに立っ、


 ドカッ!!!


「はわわ……」

 男の子が蹴り飛ばしたサッカーボールが情け容赦なくイケメンの顔を撃ち抜いた。いや、あの…生き残れば誰でもいいや、とは思ったけどさ。優しそうな顔してたのもあったから君を選んだんだよ?何してるの?怖いよ?俺のこの人差し指はどうすればいい?

 ドン!と同じぐらい鈍い音に肩を震わせて隣を見る。不審者さんが握りしめた拳を机に叩きつけた音だった。

「こいつは、」

 明らかに怒りを含んだ声。俺が何をしたって言うんだ。

「潔世一。一難高校出身の、十六歳。県大会の決勝が、最高記録。」

 潔さそうな名前だね。あと個人情報ダダ漏れにするの良くないと思うよ。これは元サラリーマンの俺からのアドバイスだからな。

「おい答えろクソ君主。お前はたかが極東の島国の、たかが県大会止まりのチームのガキを、どこで知った?」

 一つ一つ区切った喋り方には覚えがある。俺が何か変なことをするたびにみんながやる喋り方で、大体このあと発狂したように喋りまくるまでがセットだ。なんなんだろう…。ストレス溜まってるの?

「知らないよ。初めましてだ。潔世一くんか、いい名前だね。」

 一呼吸の後、彼は中指をまっすぐ空に突き上げた。

「ファックオフ」
「はわわ……」

「見ただけか?固定カメラの映像と荒削りな体の動かし方を?クソみてぇな才能にもほどがあるだろ、どのチームも欲しがるわけだ。あ?待て、そもそもの発言がブラフという説もあるか。どっかから仕入れた情報を元に状況を判断して絞ったと考える方がまだギリギリ人間の所業のうちに留めておける。チッ、何がどうしたらこんなのが生まれるんだ。遺伝子か?環境か?教育か?おい答えろこの圧政者が。」
「壊れちゃったァ…」

 強いていうなら神のご加護、ですかね。神に愛されすぎて困ってます☆みたいな。言ったら殺されるかな?まったく、神様も手加減してくれないんだから。
 ………家帰りたい。

「偶然だよ」
「そんなわけあるかブッ殺すぞ」
「俺一応上司なんだけど」
「は?」

 ひーん泣きそう。愛想笑い剥がしたら大泣きする。心の中でギャン泣きしてる。誤魔化すためハッハッハッとサンタをイメージしながら笑い、長い足で椅子を蹴られて俺はぐすぐすしながら部屋を出た。あの人嫌い。俺は俺に優しい人が好き。ローゼとか。ローゼどこ行っちゃったの?俺には無理だよ。
 投げつけられたブルーロックマップをひっくり返したり傾けたりしながら自分の部屋を探す。構造がわかりにくい。今自分が立っている位置すらわからないなんて、本当に俺は神の子だな。へへっ。

「まぁ……歩いてたら着くだろ!」

 結局俺はブルーロックをしらみ潰しに歩き回り、なんとか自分の部屋にたどり着くまでに大体のマップが頭に入ってしまった。やはり天才か…天才にしては時間かかったな。
 あ!そうだ!ローゼに連絡しないと!問答無用で連れてこられちゃったから無事かどうかぐらいは伝えておこう。

「うわ通知が千超えてる。」

 俺の知り合いってメンヘラしかいないのか?とりあえずローゼに無事ですと送り、一定数ある殺害予告は無視し(なぜ俺が国を出るたび他国の選手から殺害されかけるのかはわからない)両親には“ブルーロックなう“と自撮りを送った。即座に可愛い!と返信が来たので俺の自己肯定感は爆上がりである。ローゼからも承諾のラインが来た。どうやら俺の代わりに面倒なマスコミ対応や事務手続きは済ませておいてくれるらしい。もう大好き。君がいないと俺は生きていけない。殺害予告まみれのメッセージ欄をスクショし“ピンチなう”と送っておいた。

 そうして時々不審者さんやガイドさんと会話をして、その度に不審者さんは殺人者もかくやの目をするしガイドさんは泣きそうな顔をするしで大変だった。
 あとイサギヨイくん。(名前絶対違うけどイサギヨイのイメージが強すぎてそっちしか覚えてない)君はダメだ。二重人格ならずっと優しい方を出してくれイサギヨイくん。怖い。てかみんな口悪くない?怖くね?もし俺がコートに立ったら一言目で崩れ落ちて動けなくなる自信があるんだけど。
 そうぽしょぽしょ考えながら俺は自室の部屋を開き、

「…………え?」
「」

 プシューーーと音を立てながら扉を閉めた。部屋を間違えた。まだここに来て一週間も経ってないからねしょうがないね。ピチピチスーツの双葉頭の男の子なんていなかった。

 プシューーーと音を立てながら扉が開いた。
俺は閉ボタンを連打したが、それより早く男の子が部屋を滑り出て目を見開き愕然と顎を落とした。サッと耳を塞ぐ。

「い、い、い、」
「よ、よろしく」



「インゲボルグーーーーーーッ!?!?!?」



─────────────────────────





「申し訳ございませんでした」

 なんて美しいジャパニーズドゲザなんだ。俺が現役サラリーマンだった時もここまで美しい土下座はできなかったぞ。

「す、スイス…?英語?!あ、あいむそー、りー……?」
「俺日本語できるよ。」
「エッ!?」
「あとスイスは英語じゃなくてドイツ語。」

 イサギヨイくんは目を白黒させて後ろにひっくり返りかけた。やらかしたなぁ。あ、間違えました…で逃げればよかったのにイサギヨイくんが開けちゃうから。

「い、インゲボルグ、は?え、ゆ、ゆめ?ここスイス?」
「違うよ」
「れ!練習!!練習見てくださっ、い!!!」
「……ごめん、今忙しくて」

 読んでる漫画が佳境なんだ。主人公が熱いコンニャク合戦を繰り広げ窓にへばりついた柴犬を拾って最後のボスが近所のエッチなお姉さんだったところまで判明した。続きが気になりすぎて練習どころではない。
 しかしイサギヨイくんは縋り付かんばかりに俺の肩を掴んだ。

「お願いします!!俺、俺に足りないものが知りたいんです!!」
「わぁお」

 すご。めっちゃ熱心。ぺこぺこ頭を下げながらなんとしても俺を行かせないように凄いディフェンスを繰り広げている。
 ごめん…俺サッカー知識がないただのサッカー連盟会長なんだ。言葉にするとより終わってる感じがするね。

「うーん、俺何もできないと思うけど…それでもいいなら。」

 本当に本当に本当になにもできないけど、と心の中で小さく呟く。イサギヨイくんは世界を晴れ渡らせることができるような明るい笑顔で最後にもう一度頭を下げた。好青年。

「!!よろしくお願いします!!」

 始まった練習は俺にはよくわからないハイレベルなものだった。素早いリフティングに始まり、青い人にディフェンスをされつつ何度もゴールを決める。ブルーロックマンさんというらしい。俺はあんまりサッカーを見たことがなかったのでイサギヨイくんがゴールを決めるたびニコニコしながら手を叩いた。他に叩くポイント知らないし。
 それを何度か繰り返したあと、真っ青な目をキラキラ輝かせながらイサギヨイくんはサッカーボールを手に俺の元にやってきた。

「あのっ、どう思いましたか?」
「え」
「ファーレンハイトさんは、」
「ギルくんでいいよ。」
「!?!?」
「ファーレンハイトさんでいいよ。」

 そんなに驚かなくてもいいじゃん。

「ぎ、ギル、さんは。」
「!!」
「めちゃくちゃ、すごい人じゃないですか。日本のただのガキに言われても嬉しくないかもしれないけど…今のヤバいサッカー選手は全部貴方が見つけて育てた人です。ノアさ…選手との会談の雑誌、俺持ってます。俺は世界一のストライカーになりたい。世界一のストライカーを育てた貴方が欲しい。お願いします、俺に何が足りなくて何を育てるべきか、チャンスは全部ものにしたいんです!」

 そこまで一息に言ったイサギヨイくんは深々と頭を下げた。さっきから俺は彼の頭頂部ばかり見ているな。

「俺にサッカーを教えてください」
「……………」



 え?俺?

 ふわふわ揺れる双葉を見ながら考える。

 え??俺??

 待て待て待て待て。君に教えることはないぞイサギヨイくん。きゃー凄いキャッキャッ!ぐらいの感想しかない俺がアドバイスなんてできるわけないだろ!俺がサッカーで知ってることはほとんど無いんだぞ!!あとノエル・ノアとの地獄の会談を思い出させるな!どっちも喋らないから記者が泣いてたやつだろ!!

「貴方の時間が有限なことはわかってます!それでも!ギルさん!!」

 好青年による必死の懇願に俺は眉を下げた。そういえば、両親以外にギルと呼ばれるのは初めてだ。友達、欲しかったんだよな…俺…。なんか気がついたら周りは大人だらけでさぁ。しかも俺が話しかけたりするとめちゃくちゃ険しい顔をするんだよ。

 うーん、もしや友達一号になれるかも!?

「え、と…君はその、俯瞰した視点を持つといいよ。自分がどう見られてるのか、上の方から見る視点。」

 無い頭を振り絞り、愛想笑いを浮かべたまま俺はヘラヘラとそう言った。例えば監視カメラとか。いつも優しい君がコート上だとゲロ怖くなるの、監視カメラから見るとどんな感じなのか気にした方がいいと思うな!ちなみに俺は泣きそうになったぜ!

「ふかん………」

 そう言ったっきりポカンと口を開けて黙り込んだイサギヨイくんに嫌なものを感じて一歩下がる。この感じは、アレによく似ている。
 昔俺はノエル・ノアとよく話をしていた。別に自慢ではない。ただ俺が間抜けなことにノアを強面だけど気のいい、よくサッカーをしている変な兄ちゃんだと思って話しかけていたのだ。だってコートじゃなくてちょっと離れた駐車場の裏とかにいつもいたし。年齢は十歳ほど違っていたが前世ハンデのある俺からしたらほぼ同い年。
 しかし会話といえば、

「これやって」
「……ああ」

 の繰り返しであったように思う。
とにかくサッカーについて知らなきゃ!と思っていた会長歴が浅い頃の俺は手当たり次第にプレイ集を見まくり、それをその時スイスにいたノアにやらせていたというのだから驚きだ。不敬罪かな?
 今思えばめちゃくちゃ難しい技もあったが、

「……これは」
「できないの?」
「………」

 で全てやらせていたのだから、ねぇ?あの時の俺は何を考えていたの?助走つけて殴った方がいいよな?ノアとイサギヨイくん似てるね!特に俺が無茶振りした時の眉間の皺とか!!殺さないで!!
 はてさてそんなイサギヨイくん、実家のエリザベス一世もかくやのスピードで俺にボールを押し付け、大きな声で蹴ってください!と叫んだのである。

ハハハ、馬鹿かな?

 俺はサッカーができない。運動神経はそれなりだが球技はダメなのだ。ボールが俺と友達になってくれない。一方的に嫌われてる。投げれば明後日の方向、打てば明後日の方向、蹴れば明後日の方向に行く。明後日の方向好きすぎない?
 そんな俺にボールが来てしまった。蹴れと言わんばかりのボールが。イサギヨイくんは試合中以外はとても好青年でいい子なため、ボールを手に固まる俺をとても嬉しそうに見ている。

「け、けるよー…」
「はいっ!!」

 お、俺はもう二十歳だ。ボールをまっすぐ蹴れないなんてことあるわけが、

「…あ」
「!」

 ぽーん、と柔らかい軌道を描き、ボールはまるで見当違いの方向に転がっていった。一瞬イサギヨイくんはあまりの軌道に面くらい反応が遅れたが、それでもなんとか俺の足元にボールを返した。二度目、またもやボールは明後日の方向に飛んだ。イサギヨイくんは嬉々としてボールを追いかけている。頭がおかしいよ……。

「フカンフカンフカンフカンフカンフカン」  
「はわわ」

 怖い。俺が何をしたっていうんだ。
 イサギヨイくんに向かって延々とボールを蹴る苦行は何時間もかかったかのように思えた。まるでエリザベス一世みたいにボールに向かって愚直に突進していく姿は俺にとって畏怖の対象でしかない。
 一球一球追いかけるたび、彼の動きは目に見えて良くなっていった。もはや俺の超ランダムボールが蹴られる前にそこに辿り着いているようにすら見える。え?いるよね?予測してんの?怖。俺の代わりに会長やらない?

「はっ、はっ」
「あー…そろそろやめる?」

 ぎょるん、と大きな青い目が俺を見た。悲鳴を噛み砕きながら愛想笑いを浮かべる。時計を見るとまだ三十分しか経っていなかった。嘘だろ。五時間ぐらい経ってるって。俺をこの部屋から解放してくれ。

「疲れてる?」
「まだできる!!」
「いいや疲れてる。やめよう。」

 少し息が上がったように見えるイサギヨイくんにサッカーボールを渡し、ずりずりと後ずさる。少しどころではないな。尋常ではない疲れ方だ。

「できる。俺は、まだ。」
「ヘロヘロじゃないか。座りな?」
「掴みかけてる、のに」
「三十分で?凄いなぁ」
「……さんじゅっぷん?」

 俺は呆然と立ち尽くすイサギヨイくんに向かって腕時計をトントンと叩いた。へ、と間抜けな声が彼の口から漏れるのをひとごとのように聞いていた。
 それはそうだろう。ど素人が吹っ飛ばすボールを三十分も追いかけ続ければ誰だってそうなる。

「ポカリいる?」
「あ…貰います。ありがとうございます。」
「じゃあ俺はそろそろ…」

 と、部屋を出ようとした瞬間手首を掴まれ俺は止まらざるを得なくなった。

「たった三十分」
「え?う、うんそうだね?」
「アンタは、天才だ」
「お、ありがとう」
「たった…たった三十分で…嘘だろ」
「??」

 目が。目が怖い。飢えた獣みたいな、今にも目の前の人間を食い殺しそうな目が。俺はもう半分腰を抜かしかけていた。
 謝る。謝るよ!未来のスター選手の時間を三十分も奪ったことは謝るから。

「掴んだ、掴みかけた?は、ギルさん、俺は」
「……え、うん」

 確かに掴んでるね。痛い。
 ゆらゆら揺れる水面みたいな青い目を見るうち、俺は猛烈に帰りたくなった。この子は才能があると思う。古今東西俺にこういう飢えた目を向ける人で大成しない選手はいなかった。どいつもこいつも今じゃ一線級のバケモノ達だ。

「とにかく」

 何度も訳のわからないことを口走るイサギヨイくんに向かって俺はいつもの愛想笑いを浮かべた。

「君に必要なのは九十分それを維持したまま走り回る体力と…あと、えー…自分のプレイが見られる部屋があるんだよね?そこで見たら?うん、ヒントになるかもだし…。」

 イサギヨイくんは思ったよりも体力が無いのかもしれない。だから俺は彼が飢えを維持したまま試合をやり通せるフィジカルトレーニングと、そして二重人格説すら生まれつつある彼のギャップを見直してほしいという願いを込めてプレイ映像の見直しを提案した。

「ギルさんは、俺のこと知ってたんですか?」
「?初めましてだよね。あ、入寮テストの映像は見たよ。次のステージもこの調子で頑張って。」
「やっぱり」

 俺は背後に背筋を凍らせるような死神の気配を感じて本能的に後ろを振り返った。誰もいない。ギチギチと掴まれた腕は痛みを増している。
 やっぱり?やっぱりってなんだ?疑問だらけの俺を気にもとめず、イサギヨイくんは頬を染め花が開くような笑みを浮かべて真っ直ぐに俺を見据えた。

「俺は勝ちます」
「うん。……うん?」
「世界一になります」
「おぉ、目標は高ければ高いほど、」
「そうすればギルさんは俺にもっとサッカーを教えてくれますよね。」
「………????」

 わからない。理論が全くわからない。無理だよ?俺教えられないよ?今の三十分で君は何を学んだのかなイサギヨイくん。

「まずは、日本一になる。その時は、アンタの時間を一日くれ。一日丸々俺に捧げて。俺はそれだけの価値をアンタに示すから。」

 怖い怖い怖い。何?
 俺は完全に愛想笑い状態で固まったまま、ゆっくりと何かを噛み締めるように話すイサギヨイくんを見た。イサギヨイくんも俺を見た。俺はこれがローゼだったらな、とありもしない幻想を抱えて現実逃避をした。ギチィリ、と痛む腕が俺を現実に叩き落とす。
 
「いつか世界一になって、」


 彼はまるで神になったみたいに据わった目をして静かに呟いた。


「アンタを神の座から引き摺り下ろすのは俺だ。」

「…………そう」





 ブルーロックは一体何を育ててるの?





 厄日だ。俺は漆黒のオーラを纏う不審者さんにそっと頭を下げて横を通り抜けようとした。

「おい」

 頭を掴まれた。厄日だ。

「お前は自分の三十分にどれだけの価値があるかわかってやってるのか?」

 どうやら不審者さんは俺たちの練習風景を見ていたらしい。あの殺気、さては不審者さんだね?ふふ、俺天才だからわかっちまうんだよ。

 …ハナシテ…ユルシテ…。

「うーん、三円?」
「億をつけろ」
「そんなに無いよ」
「お前の三十分を競りにかけたら一体いくらになるだろうな?」
「うーん、三十円?」
「世界中のスター選手の懐事情を舐めてるのか?」
「わかったって。もうしないよ。」

 メガネの奥の塗りつぶされた黒い目がキュッと窄まったのを見て俺は白旗をあげた。部屋で漫画の続きが見たかったともいう。俺に億の価値があるわけないのに。俺の三十分で億取れるなら全然売りに出すけどな…サッカーの練習とかは嫌。

「二度と、するな。」
「スイマセン」

 そうだよね、未来ある子供達の時間を奪うなんてやっちゃいけないことだ。イサギヨイくんもその内俺の無価値さを知るだろう。

「使えるものは全て使いたいが、お前が関わるとロクなことにならない。関わって得た勝利は掴み取ったものではなく掴み取らされたものだ。くだらない。こっちにもプライドがあるんでね。」
「あいむそーりー」
「チッ」

 不審者さんの舌打ちの数が一ドル札だったら俺はもうクルーザーが一隻買えるな。
 そんなくだらないことを考えているうちに時計みたいな不審者さんは不機嫌そうに体を揺らしながら消えていった。舌打ちなんてしたこともないローゼが恋しいよ。

 もうダメだ……俺はローゼがいないと何もできない。やはりローゼ。ローゼが全てを解決する。俺への誹謗中傷だってローゼならこの世からゼロにできるはずだ。多分。

 うん、よし、

助けてローゼ!!!!




─────────────────────────



 アメリカンドリームならぬ、インゲボルグドリーム、という言葉がある。
 努力を重ね、夢を諦めず、才能ある者は例外なく救われるという奇跡のような夢。それを夢ではなくした者。

 三十二枚の五角形パネルから形成される、無機質なボールを右手に抱え、潔世一はもう開かない扉を見つめ続けた。
 たった三十分。潔とそう歳の変わらない青年は一生記憶に残るような甘い笑みを残して去っていった。
 はっ、はっ。と荒い息を吐き出しながらぐしゃぐしゃの頭を抱え込んで崩れ落ちる。


なんだ?

これはなんだ?


 インゲボルグが天才なことなどとうに知っている。彼が積み上げた功績も、見つけ出した才能の原石も、全てが全て一級品。彼のたった一言のアドバイスには万金の価値がある。
 幼い頃からテレビで見ていた。キラキラ輝く瞳で、潔は見ていた。ノエル・ノアと握手を交わし、数多の選手を見出したその神眼が潔にも向けられないだろうかと、夢を見ていた。だから嬉しかったのだ。まさかあのインゲボルグがここにいるなんて!

それなのに。

 その人は、よく見た笑顔で、よく知った頭脳で、潔の脳をひっくり返して消えた。

「くっそ…」

 ほとんど無我夢中だった。このチャンスだけは逃してはならない、と思って引き留めて、あのインゲボルグと三十分も一緒にサッカーをした!サッカー少年なら誰もが夢見るような輝かしい事実。
 

 輝かしい____


『俯瞰した視点を持つといいよ。』


 特段興味も無さそうな平坦な声。アレは天賦の才だ。インゲボルグの神託、という言葉を聞いた時は笑ったものだがあながち嘘ではないのかもしれない。なにせ潔が欲しかった強みとは、化学反応を起こしうる能力とはまさにそれなのだから。具体的な言語化まで遥か遠いと思っていた。

 しかし、

 見ただけで潔に足りないものを見抜き、たった三十分で足掛かりまで無理矢理掴ませたあの神才は、


 最初から最後まで潔になんの興味も示さなかった。


 嬉しいはずだ。楽しかったはずだ。輝かしい事実のはずだ!あのインゲボルグがサッカーを教えてくれたのだから!


「くそっ、くそ、クソが!!!」


 ガン!と蹴り上げたボールが壁に跳ね返りまた足元に戻ってくる。何度も、何度も。
 あの落ち着き払った赤い目は、ついぞ潔の名前を呼ばなかった。その意味ぐらいは知っている。いや、サッカーに生きる全ての人間が知っている。

 彼は、価値がないと思った人間には名前すら覚えない。

 頭一つで成り上がったあの怪物がサッカー選手の名前など覚えられないわけはないのだから、名前を呼ばないということは一種の宣告なのだ。

“君には名前を呼ぶ価値もないね”

 口に出さずとも理解している暗黙のルール。わかりきった残酷な前提条件。名前を呼んでもらえるのは選ばれたほんの一握りの選手のみ。

 そして潔は、呼ばれなかった。

 何が神だ、クソッタレ。俺を見ろ。引き摺り下ろしてる。その澄まし顔を、潔の頭の中みたいにぐちゃぐちゃに歪ませてやる。

 俺は貴方を、アンタを。

 隣に立ちたかった。認められたかった。世界一のストライカーになって、ノエル・ノアがそうしたように万雷の拍手とカラーテープが舞う中、MVPのトロフィーを手渡されてみたかった。そう。潔はインゲボルグに

 憧れて、いたのに。



「おれをみて」

 子供の駄々のような声は反響すらせず立ち消えた。




─────────────────────────




インゲボルグ・フォン・ファーレンハイト

 名家のボンボン。祖父からの遺産が権力だった系男子。かれこれ十年トップに立ち続けている。
 頭は普通。高校レベルならなんとか理解できるがそれ以上は無理。親からの期待を背負い死ぬ気でいい成績を取り続けていた。そっちにかかりきりだったので何故神様扱いされているのかわからない。何故各方面から殺意や憧憬を向けられているのかもわからない。最近任期を知ったのでそろそろ引退したい。

ローゼ

 なんでもできちゃう美人秘書。その有能さゆえに最初は子供のお守り役として厄介払いされていたが、その子供があまりにも天才(勘違い)でびっくり。しかも手放さず使ってくれて面倒なセクハラパワハラとかからもさりげなく守ってくれるため敬意がマックス。任期という概念を抹消したい。

関係者

 拗らせた人と苦労人が多い。

パパママ

 うちの子すごい!
 


国際サッカー連盟会長になってしまったただの凡人だが、なぜか崇められている
002
2024年4月16日 17:27
ゆう
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