保須市総合病院にリカバリーガールは訪れていた。
ステインで怪我を負っていた緑谷達と竜牙の治療の為だ。
「さて……次はあの子かい。やれやれ病室が遠いね」
緑谷達の治療を終えたリカバリーガールは、一般病室から離れた特別病室へと移動を始める。
次は竜牙の番。だが緑谷達よりも重傷な竜牙は、体力の問題で今日中の完治は無理だとリカバリーガールは既に判断していた。
(……明日も来ないとねぇ)
リカバリーガールとて多忙だが、そこは可愛い生徒の為に身を削るのも仕方なし。
リアルに重い腰を上げ、彼女はようやく竜牙の病室へ到着し、その扉を開けて中に入った時だ。
「っ!?……まさか」
いつもの落ち着いた口調である彼女には珍しく、やや動揺した様に驚いた声を出すリカバリーガール。彼女の瞳が映したのは信じられないものだ。
重傷を負い、まだ立てる筈がない。だが、間違いなくその人物は問題ない様子で立っており、やがてリカバリーガールの存在にも気付く。
「……おはようございます。リカバリーガール先生」
横顔も見せず、ただ逆光で影に染めながら問題ない様子で挨拶する“竜牙”に、リカバリーガールはただ息を呑むしかできなかった。
▼▼▼
「心配したよ雷狼寺くん!」
「大丈夫そうだな」
「本当に無事でよかったよ雷狼寺君!!」
竜牙の意識が戻った事は、すぐに緑谷達とリューキュウ達に届けられた。
その中でリューキュウ達は事後処理で時間を取られ、もう少しだけ時間が掛かるが緑谷達はすぐに駆け付けた。
同じ院内であり、遅れたり行けない理由はない。
三人はすっかり元気そうに笑みを浮かべ、ベッドで上半身を上げている竜牙の周りを取り囲んでいた。
「……心配かけた」
「いやそんな事はない! 元はと言えば僕のせいのようなものだ!」
何処を見ている訳でもないまま話す竜牙に、飯田は綺麗な姿勢で頭を下げる。
竜牙の怪我の原因はステインではなかったが、結局は爆弾の導火線に火を点けたのは自分だと飯田は思っており、申し訳なさそうに謝罪を竜牙へと向けたのだ。
だが竜牙は飯田の言葉と行動に対し、首を横へと振った。
「……いや。お前がそこまで気にする事じゃない。――“奴”が
『ッ!?』
意味深に呟く竜牙のその言葉に、緑谷達は目を開いて息を呑んだ。
竜牙が言った“奴”――それはステインではなく、竜牙をこんな目に遭わせた“別の存在”だと理解したからだ。
体育祭で優勝し、事実上の“学年最強”を手にした竜牙。そんな彼を、ここまでの重傷を負わせた者の存在に緑谷は無意識に嫌な予感を抱き、思わず汗を流す。
聞いてはいけない気がする。胸に何故か悪寒が残る程に不安があり、聞こうと思っても口が動かない。
そんな風に嫌な感情に緑谷が縛られていた時だ。
「雷狼寺……お前をそこまで追い詰めた相手はどんな奴だったんだ?――少なくとも脳無じゃねえんだろ?」
「!――と、轟くん!?」
何の迷いもなく問いかけた轟に、緑谷は思わず止めに入ると飯田もそれに続いた。
「雷狼寺君はまだ病み上がりなんだ! 今聞くのは流石に駄目だろう!?」
「だったらいつ聞くんだ?――少なくともお前等も気になってんだろ? 余程の相性悪じゃない限り、雷狼寺が脳無に敗れるとは俺は思えねえ。そうなると考えられるのはもっと別の存在。あの脳無達を操っていた元凶の類だろ?」
緑谷と飯田を前半の言葉で抑えると、二人は轟の予想通り言葉を詰まらせた。
オールマイトに憧れたヒーローの卵なのだ。少なくとも友を傷付け、雷狼竜すら倒したヴィランの存在を無視できる者はこの場にいない。
リカバリーガールも見守る方に周り、止める様子もないのが更に轟の言葉を後押しする空気を作り出す。
そしてそんな空気だからなのか、その真意は分からずとも竜牙も、その口を開き始めた。
「――
「あの男? オールマイトと同じ存在?――誰だったんだ雷狼寺? 知ってるヴィランか?」
静かに呟き、そのまま顔を下に向ける竜牙に轟は追及するが、そこに飯田が待ったを掛ける。
「ま、待つんだ! 雷狼寺君の言葉は大事な証言でもある! 彼の担当ヒーローのリューキュウや警察の人が来るのを待つべきだ! 場合によるならばすぐにでも俺が電話をして呼んでこよう!」
自分達だけで聞いて良い話ではないと判断し、飯田はすぐにでも警察の人達を呼ぼうと病室を飛び出そうとした時だった。
『――無駄だ』
竜牙の一言で病室の空気が一変し、それに呑まれた飯田達は動きを止めた。
「ら、雷狼寺くん……?」
緑谷もまたその言葉と、竜牙の異変に動きが止まってしまう。
冷静な竜牙とは思えないトーンの冷たく、そして重く感じる言葉。
怒りも混じっているとまで感じさせ、自分達に向けた感情じゃなくとも思わず心臓が大きく跳ねてしまう様に恐怖も抱く。
『……ヒーローからのおこぼれだけで存在している脆弱な警察に、あの男は捕えられない。――警察だけじゃない。ヒーローとは名ばかりの“贋作”もそうだ』
「ど、どうしたんだい雷狼寺君!? 君らしくないぞなんか!?」
飯田が思わず口を挟むが、竜牙はそんな事は無視して話を続ける。
『あれは“巨悪”だ。理想だけじゃ勝てない。憧れだけじゃ勝てない。――真なる敵だ』
「ら、雷狼寺くん……なんか大丈夫? やっぱりまだ体調が?」
緑谷は流石に何かを察した。
竜牙の雰囲気や口調から感じる異変。明らかに竜牙の何かが変わっているが、何が彼を変化させたのかが分からずに平凡な言葉しか言えなかった。
しかも、竜牙はその問いかけに反応した様子はなく、ただただ勝手に呟き続けていた。
『俺は“あの男”を知っている……全ては分からない。――だが知っている。そして
――だから“コイツ等”も
悟った様な小さな声で呟く竜牙。彼がそう言うと、徐々に両腕に変化が起こる。
両腕が雷狼竜へと変化し始めたが、左右の腕とも通常の雷狼竜とは違う色だった。
右腕は“白”で、左腕は“黒”だが、左腕だけは爪も血に染まった様に赤かった。
そんな見た事がない姿を、突如として見せられたのだ。
緑谷達は竜牙の異変に息を呑んで言葉を詰まらせてしまうと、興奮が治まったかの様に竜牙の両腕は人へと戻っていた。
『……雷狼竜。まだ思い出せない。だが、俺はあの男と戦い……そして狂った』
『やあ、凄い姿じゃないか?――ああ、そんな怖がらなくても良い。私は君を救いに来ただけさ』
思い出す。あの男を。まだ顔があった頃のあの男との出会いを。
薄っすらと、夢と合わさって思い出された儚い記憶。あまりにも薄い覚醒だが、それでも男の事だけは覚えている。
周りの状況・自分の状態。それらを思い出せなくとも、あの男の姿と言葉だけは覚えている。
あの男は笑っていた。楽しそうに自分を見ていた。
だがそこまでだ。思い出せた内容は。
しかし、それだけでも十分。そんな少しの記憶を思い出しても、過剰なまでに興奮し、瞳が雷狼竜になってしまう程だ。
だからこそ、そんな様子の竜牙を心配しない筈もなく、轟が再び踏み込んだ。
「お前が知ってるヴィランなんだな? 教えてくれ雷狼寺……そいつはなんてヴィランだ?」
『……あの男は。――あれは“皆は一人の為に”……そう、オール――』
竜牙がその男の名前をそこまで言おうとしていた。――まさにその時だった。
突如、病室の扉が勢いよく開くと、小さな二つの影が飛び込んできた。
「わー! とつげきだー♪」
「とつげきだー♪」
天真爛漫、元気全開で入って来たのは瓜二つの容姿の女の子二人。
そう、竜牙が助け、そして実の妹でもある『雷狼寺ルナ』と『雷狼寺ミカ』だ。
そんな二人の登場により、先程までの重い空気は完全に崩壊。場の空気の高低差等で、緑谷達も困惑してしまった。
「えっ? えっ!?」
「むっ!――こらこら、病室では騒いではいけない!」
「この二人……確か脳無に連れていかれた子供か?」
緑谷・飯田・轟がそれぞれの反応をするが、轟の言葉で緑谷と飯田も思い出し、同時に竜牙も思い出した。
「あっそうか!……同じ病院にいるってグラントリノがいるって言ってたよ」
「確か念の為の入院と聞いていたな……」
「でもなんでここにいんだ?」
緑谷達は双子の登場とここにいる理由を考えるが、当の双子は病室でクルクルとはしゃぎながら回っていたが、緑谷達の視線に気付いたのか、それぞれは動きを止めて三人の下へ近寄ると、元気に声をあげる。
「こんにちわー!」
「こんにちわー!」
「あっえっ……と、こんにちは?」
「うん! こんにちは! 元気があって良いじゃないか!」
「……お、おう」
無邪気は時に無敵である。二人の勢いに緑谷と轟は押し負け、飯田だけがいつもの調子でいられた。
そして三人に挨拶をしたルナとミカは、今度はベッドにいる竜牙の方を向くと、ポニーテールを揺らしながら竜牙の下へと向かい、そのまま左右から上半身をベッドへ倒して顔ごと埋め、すぐに顔を上げて竜牙の顔を見た。
「ぷはー!」
「ぷはー!」
「……?」
元気よく息を大きく吸い込み、満面の笑みで自分を見つめる二人に竜牙は首を傾げる。
流石に目の前の双子が、自分が助けた二人なのは分かっている。
だが、だからといってここにいる理由までは分からなかった。
はしゃぐのは子供だからと分かるが、入り方や行動が結構馴れ馴れしい。
(最近の子は、他者にもこんな距離感なのか?)
距離感の近さに竜牙は困惑するが、ジッと眺めていた事で双子は首を傾げる。
まるで竜牙からの言葉を待っている様に、ジッと見つめ返しており、竜牙は根負けした様に取り敢えず他愛のない話を口にする。
「……怪我とか大丈夫か?」
「だいじょうぶー!」
「だいじょうぶー!」
竜牙の言葉に、双子はそれぞれが手を上げて元気よく返事をした。
「そうか……」
「うん!」
「うん!」
双子は竜牙の言葉にすぐに反応して元気よく返事をするが、会話はそこで途切れてしまう。
ハッキリ言って会話が続かない。何を目的としてここにいるかも分からない双子だ。
対応が困って仕方なく、竜牙が悩んでいた時だった。
――再び病室の扉が開き、一人の女性が恐る恐ると言った感じで入って来た。
今度は誰だろう。エメラルドグリーンの様な緑色のロングヘアーの女性を見て、緑谷達はそう思い、見覚えのない女性へ顔を向けていると、女性もそれに気づいて一礼する。
緑谷達もそれに釣られて一礼するが、女性はそのまま双子と竜牙の方を向くと、双子達に叱る様に言い付けた。
「二人共……勝手に二人だけで行っちゃ駄目って言ったでしょ?」
「……は~い。ごめんなさい」
「ごめんなさい。……おかあさん」
反省した様子を見せる、その双子の姿と言葉で緑谷達は目の前の女性が双子達の母親である事を理解した。
言葉通り、勝手にここに来た双子達を連れ戻しに来たのかもしれない。
少なくとも、緑谷達は双子達が不機嫌そうに竜牙から離れたのを見ても、未だに動かずに竜牙をジッと見ている女性の動きを待った。
娘を助けてくれてありがとう。迷惑をかけた。――そんな言葉をまずは竜牙へ言うのだろうとも、緑谷達は想像していた。
――しかし、女性も竜牙も互いに何も言わず、不自然な間が続く。
そんな間に、流石に違和感を感じた緑谷達。
明らかに何かが変だ。どこか竜牙の顔を険しく、女性の方も不自然に顔を竜牙から逸らしていた。
やはり変だ。緑谷達は互いに顔を見合わせる。
お礼は疎か、挨拶すらしない女性に緑谷達は何かあるのかと不信感を持った時だった。
何かを悟り、そして納得した様に竜牙は溜息を吐くと、目の前の女性を見ながら呟いた。
「……そういう事か。――その二人が、猫折さんから聞いた
『――えっ!?』
竜牙の言葉に、緑谷達は再度顔を見合わせた。
確かに竜牙に妹がいる事は、体育祭の時に聞いていた。
しかし、それが目の前の、のほほんと首を傾げている双子なんて流石になんの偶然なのか。
「あれ、でも……?」
だがそこで緑谷は疑問を抱く。
体育祭で聞いた限りでは、竜牙が妹の存在を知っていても、実際には会っていないと言っていた。
ならば、なんで妹だと分かったのか。それが緑谷は疑問に思ったのだが、冷静になれば簡単な事だった。
――おかあさん。
確かに双子は目の前の女性にそう言った。そして、竜牙はその女性を見て自分の妹だと確信したのだ。
つまり――
「……久しぶり。聞いてたより元気そうね」
「……自力で治したからな。――母親」
『――!?』
気まずそうな表情で話す母親と、感情がこもっていない竜牙の会話を聞いた緑谷達は驚きを隠せなかった。
助けたのが偶然妹だったのも驚きだが、目の前の女性は竜牙を捨てた張本人の一人。
父親を見た事がある轟ですら、相手が母親と言う事だけあって、その表情はどこか悲しそうだ。
だが、緑谷はもっと別の事で息を呑んでいた。
(ど、どうなっちゃうんだろう……!)
病室に流れるのは重い空気。
リカバリーガールでさえ、やや表情が曇っている程だ。
そんな中での竜牙と母親の再会。妹にすら想いはないと言い切った竜牙だが、目の前の現実で何が起こるかは分からない。
緑谷は何か起こるかもしれないと、静かに緊張しながら見守るのだった。
▼▼▼
――しかし、緑谷のそんな不安は問題なかった。
最初は空気が重かった病室だが、双子がはしゃぎながら、竜牙に構って欲しそうに周囲で楽しんでいると、意外にも竜牙はそれに応えた。
サインが欲しいと言えば双子のスケッチブックに書いてあげ、個性が見たいと言えばリカバリーガールの許可を貰って腕だけ変化させ、触らせながら見せてあげた。
双子はそれを本当に楽しそうに喜び、竜牙も可能な限り構ってあげてくれていた。
無論、双子の興味は緑谷達にも向けられる。
「ケガばっかりしちゃダメなんだよぉー?」
「しんぱいするよー?」
「え、えぇ……」
そう言って緑谷を慌てさせ。
「オレンジジュースばっかり飲んでた人だー!」
「虫歯になるよー!」
「いや! しっかりと歯磨きをしているから大丈夫さ!」
そう言って飯田が歯磨きの大切さと、正しいやり方を説明する中、少し騒ぎ過ぎの双子に轟が軽く注意をしたりもあった。
「流石に病院だから、少しだけ静かにな」
「――ぽっ」
「――ぽっ」
イケメンフェイス炸裂。轟のクールな表情を受けて双子は頬を染め、その様子を見た竜牙は飯田に指差して言った。
「飯田……今、轟は破廉恥な事をしている」
「なに、そうなのかい!?――駄目だぞ轟君! 破廉恥な事など、君は一体何をしているんだ!!」
「いや……ちょっと注意していただけなんだが」
飯田の叫びに轟は困惑。
ただ普通に注意していただけなのだが、残念ながら暇だった竜牙の言葉によって破廉恥の注意を受けてしまった。
そんな騒がしい展開が幾つも起こり、結局は二時間近くも双子と母親、そして緑谷達は竜牙の病室で過ごしていると、母親は腕時計を見るとやがて椅子から腰を上げた。
「ルナ、ミカ……そろそろ検査の時間だから戻るわよ?」
「えぇ~!」
「まだあそんでもらいたい~!」
「駄目よ。お兄ちゃん達にバイバイしなさい」
病室に戻るのを渋る双子に母親は駄目とハッキリと言うと、二人は諦めた様に頷き、最後の挨拶でもしたいのか竜牙の下へと近づき、二人揃って竜牙の顔を見てこう言った。
「……ねぇ、お兄ちゃんはなんでおうちにいないの?」
「いないの?」
まさに不意に放たれた言葉であり、核心へも放たれた言葉だった。
双子のその言葉に母親はバツが悪そうに顔を逸らし、緑谷達も思わず息を呑んでしまう。
事情を知っているとはいえ、その事で口を出して良いかと問われれば答えはNOだ。
緑谷達は知っているだけの傍観者に過ぎない。
第三者が口を出して解決できるものではない。故に出そうとも思わなかった。
そして、重要な選択を迫られた当事者である竜牙だ。
ここで真実を話すのも選択肢の一つ。それは容易であり、竜牙に言う権利は無くもない。
だが、その選択肢は双子の心に多少なりとも、影響と傷を残してしまうだろう。
母親が不安そうに顔を逸らし続ける中、竜牙は表情を変えず、やがて双子達から顔を逸らさず、真っ直ぐに見据えて言った。
「……すまないな。だが俺は今、ヒーローになる為に頑張っている。それは忙しく、学べる時間も限られている有限の世界。――だから家に帰る訳にはいかず、離れて暮らしているんだ」
「でも……ルナ達の誕生日にだってかえってきてないもん」
「お兄ちゃんに会ったのだって、このあいだがはじめてだもん」
双子は悲しそうに顔を下に向けるが、だが迷っている様にも見えた。
雄英体育祭で優勝する程の実力を持ち、テレビでもファンから囲まれていた自慢の兄。
幼稚園の友達にも話せば、周りは凄い凄いと興奮し、双子もそれがとても嬉しかった。
しかし実際の気持ちもある。
――いつでも会いたい。
家に飾られていた写真に写った一人の男の子。
見覚えがないのに、自分達の父と母と写っている。一体、この男の子は誰なのだろうと、双子は両親に聞いたが、はぐらかされてしまって答えは貰えなかった。
だが、双子は諦めず、ならば信用している人に聞こうと判断して家政婦の猫折さんに聞いたのだ。
すると、猫折さんは困った様子だったが、何かを決心した様に教えてくれた。
『この子は……ルナちゃんとミカちゃんのお兄さんよ』
その言葉を聞いた時の衝撃を、今も二人は忘れたことはない。
自分達に兄がいる。それは嬉しい事実だったが、それを両親に聞けば驚愕した様子で困惑し、すぐに誰が教えたのかを理解して猫折さんに注意をしていた。
だが、一度知ってしまえば詮無き事。事実を知った双子を止めることは出来ない。
『お兄ちゃんに会いたい!』
『……いつかな』
双子の願いに、父親のミキリはずっとそう言って誤魔化していたが、それも限界を迎えた。
そう、あの雄英体育祭だ。全国生中継の中、息子である竜牙が出て来たのだ。
『竜牙か……!』
ミキリの思わずの呟きを聞き、双子もすぐに察した。
選手宣誓をしているこの少年が、自分達の兄だと言う事を。
――だが、見る事が出来ても会う事は出来なかった。
ヒーローになるのは大変。それは小さな二人も知っている事だ。
だから竜牙がそう言えば、それも仕方ない事だと納得しようとすれば出来た。
しかし、二人はせめてもの我儘を言いたかった。
「……ルナ達に会えないぐらい、たいへんなの?」
「……ミカ達、お兄ちゃんのじゃまになっちゃうの?」
二人は寂しそうな表情と目を竜牙に向けながら言った。
流石に違和感を持つのだろう。自分達に一度も会いに来てくれない兄、その事実が。
ヒーローになるのは大変だ。だが、だからといって一度も会いに来れない程ではないと、幼い二人なりに分かっている。
ならば考えられるのは一つ。竜牙が意図的に会いに来ない。
そう思ってしまったのだ。
すると、それを竜牙も察したのか、やれやれと言った風に一息吐くと、二人の頭にポンっと手を置いて言った。
「また会える。今度は俺から会いに行く」
「……ほんと?」
「……うそじゃない?」
「すぐには無理だが、時間を作って絶対に行く。だから、今はちゃんと病室に帰るんだ」
そう言い終えると、竜牙はゆっくりと手を放す。
そして二人もそれに合わせて小さく頷き、トテトテと歩いて病室を出て行った。
これで残されたのは母親だけで、娘達が出たのを見て後を追うように竜牙へ背を向けると、小さく話し始めた。
「……ありがとう。あの子達を傷付けないでくれて」
「別に……本音を言えば、まだ妹だという自覚もない。――ただ、俺達が互いに情がないとはいえ、あの二人にまでそれに巻き込むのも馬鹿らしいって思っただけ」
息子の顔を見ずに話す母親。
感情が篭っていない言葉を話す竜牙。
その光景を見て、轟は前に家に来たミキリと竜牙の事を思い出す。
あの時と同じだ。会話もなければ雰囲気が死んでいた。
エンデヴァーにすら酷い親と言わしめた程、これが十年以上ぶりの母親と息子の再会なんて思えない。
特に母との繋がりが強い轟にとって尚の事だ。
『やめてくださいあなた!? 焦凍はまだ小さいんですよ!』
轟の脳内に、心が壊れるまで自分を守っていた母の姿が過る。
母は強く、最後まで子供を守る偉大な存在。そんな思いも轟の中には多少はあるが、目の前の現実はそれとは全くの正反対。
だから、母親までが竜牙との関係が冷めている光景は、轟にとっては見ているだけで胸を痛めてしまう。
だが、そんな轟の気持ちを理解する者はいないかの様に、竜牙と母親は話を続けた。
「……ところで、あんな事を言ってたけど、どうするつもり? 本当に、わざわざ会いに来るつもりなの?――あの子達の為に」
「一応、約束をした以上は破る気はない。だから最低限、あの子達のガス抜きだろうが会いには行っても良い。――まあ、結局はそっちの都合に任せるし、関係が拗れる様な事も言わない。そっちの判断で好きにすれば良い」
「……そう、なら良いわ。――最近のあの子達、あなたに夢中なのよ。だから、飽きるまで適当に相手をしてあげれば満足するでしょ。――何かあったら猫折さんに言っておくから、その時に彼女から聞きなさい」
「……あぁ」
竜牙がそう返答すると、母親も納得した様にその場を去ろうとする。
この会話中、互いに顔は見合わせていない。竜牙への労いや心配、お礼すらもない。
まるで言う必要などないと言わんばかりの態度をする母親に、とうとう轟の我慢が破られる。
「ちょっと待てよ。雷狼寺には何も言わないのか? コイツだってあんた達の息子だろ?――色々とあんのかも知れねえけど、それでもコイツは、こんなになっても妹を守りきったんだ。だったらせめて、一言ぐらい何か言っても良いんじゃねえのか?」
「……あなたは?」
先程まで娘二人の相手をしていたのに、母親からの声から感じ取れるのは轟達への興味の薄さ。
だが、それでも轟の言葉に何か感じたのか、母親は振り返る訳ではなく、横に向けるだけの簡単な動きだけ轟達を見る。
「やめろ轟。俺は気にしていない」
「……けど、雷狼寺」
竜牙の声に轟は冷静をやや取り戻すが、母親はその聞き覚えのある名に反応した。
「轟?――そう、あなたエンデヴァーの息子ね。そう言えば体育祭でも大きく映っていたわ」
思い出した様に母親は呟くが、あくまでも興味はそれまでだった。
「そんなエンデヴァーの息子が何か?――少なくとも、人の家庭に口出しする様な人間には見えなかったわよエンデヴァーは?」
「……親父は関係ない。あくまでも俺自身での言葉だ」
「……そう。でもこれは、こちらの家庭の問題。経験も浅い子供が口出ししないでちょうだい」
「だからって……」
「それに最低限以上に礼は尽くしているわ。このしっかりとした病室だけでも十分じゃないの?」
「それが母親の言葉かよ……!」
それまでの言葉に、とうとう轟の表情がやや歪む。
母親の問題もあるが、やはりエンデヴァーの名を出されてた事で轟の冷静さはやや低下しており、病室の手配もあくまで“報酬”みたいな言い方が癪に触ったのだ。
しかし、流石にこれ以上はマズイと思い、緑谷と飯田が慌てて止めに入る。
「お、落ち着いて轟くん!?」
「気持ちは分かるが流石に失礼だ!? 緑谷君の言う通り、少し冷静になるんだ」
「――!」
二人の声に轟は我に返った。
急激に頭が冷え、すまなそうに竜牙と母親の方に顔を向けると、竜牙は気にするなと言うように静かに頷き、母親は最初から興味がなかった様に、そのまま病室を出て行ってしまう。
そして、母親が出て行ってすぐだ。入れ替わる様に竜牙の病室に二人の人物が入って来た。
「あら、あなた達?」
「昨日ぶりだワン」
リューキュウ・保須警察署所長の面構署長。二人は緑谷達がいる事に意外そうな表情をしながらも、すぐに納得した様に頷いた。
友達が回復したと聞けば、当然いても不思議ではないからだ。
そして、そんな緑谷達と竜牙の姿を見て、リューキュウは少しだけ安心した。
「もう大丈夫そうね。こちらも事故処理が大体終わって、ようやく病院に顔を出せたわ」
「……ご心配かけました」
緑谷達と竜牙を見ながらそう呟くリューキュウに、竜牙も頭を下げる。
だが、リューキュウは首を左右に振り、逆に竜牙へ頭を下げた。
「いいえ、謝るの私の方……こんな目に遭わせてしまって、本当に申し訳なかったわ」
「……いえ、きっと誰がいても結果は変わらなかったと思います。――少なくとも、それだけの相手だった」
「そうか。……やはり、君に重傷を負わせたのは、ただのヴィランじゃなかったかワン」
竜牙の言葉に反応したのは面構署長だ。
だが、竜牙はそんな彼の存在に首を傾げる。
――どなたですか?
何故か緑谷達は初めて会った感じではないが、少なくとも竜牙は目の前の男性を知らない。
身体は背丈の高い男性だが、顔はまんま犬。
少なくとも発動系ではないだろう。あまりにも自然な態度であり、自然な感じから察しても異形系と思える。
すると、そんな不思議そうに見ていると、その視線に気付いてリューキュウが紹介を行った。
「竜牙君、こちらは保須警察署・署長の面構さん。一昨日の件で色々と聞きたいそうなの」
「面構犬嗣だワン。病み上がりで済まないが、君には彼等と同じ事を話したい。――そして、その怪我の“原因”についても聞きたいワン」
「……分かりました」
「――と言う訳で、君達は一回病室から出て貰って良い? これから聞く事は一応、重要な話だからさ」
「えっ……あ、はい」
リューキュウの言葉に、緑谷達は困惑しながらも病室を出て行く。
――というよりも、リューキュウに優しく押し出されてしまった。
「俺達には聞かせられないって事か……」
「仕方ないさ。俺達は、まだヒーローとしての資格もないのだから」
「多分、それだけの話なんだよね……」
緑谷は深く痛感してしまう。
廊下に出された事で、まだ自分達はヒーローとしてスタートラインにすら立っていない事実に。
そして、それと同時に脳裏に過ったものもある。――それは先程の竜牙の様子。
(……雷狼寺くん。少し、様子がおかしかった)
雰囲気、使う言葉。
先程の竜牙から発せられたそれらは、今まで共に過ごした時に感じられなかったものだった。
更に言えば、緑谷は気付いていた。竜牙から発せられた雰囲気に混じり、どこか狂気があったのを。
そして、その狂気に似たのを纏う者を緑谷は知っている。
――ヒーロー殺し・ステイン。
(……なんなんだろう。この感覚。この胸のざわめき)
印象に深く残りすぎているだけなのか、それとも本当に竜牙から感じ取れたのか。
虫の知らせの様な、不安を過る予感を緑谷が抱いた時だった。
飯田と話していた轟が何かに気付き、その場所へと早歩きで向かい始めた。
その様子に緑谷と飯田は何かと思い、視線を轟の先へ向けると、そこにいたのはゆっくりと歩いている竜牙の母親の後ろ姿だった。
それに気づき、緑谷と飯田は先程の轟の事を思い出し、急いで後を追うと、轟は既に母親へ話しかけていた。
「ちょっと待ってくれ!――あんた達にとって雷狼寺は何なんだ? 捨てたとしても、本当なら母親のあんたが助けるべきだったんじゃないのか?」
「また来たと思ったら……いきなりね。――それにさっきも言ったはずよ? 人の家庭に口を挟まないでって」
背後から突然だったが、竜牙の母親は特に驚いた様子もなく、足を止めて自然な態度で轟へ返答したが、その内容は先程と同じだ。
だが、それでも轟は抑えられなかった。
「……少なくとも、俺の母さんはずっと助けてくれた」
「……良いお母さんね。大事にしてあげなさい」
轟は、せめてもの言葉を絞り出したが、それも優しく一蹴されてしまうと、追いついた緑谷が恐る恐ると前にでた。
「あ、あの……僕は雄英高校で、雷狼寺くんのクラスメイトの緑谷って言います」
「……そう」
母親の態度は緑谷でも同じだった。
ただ静かに、そして冷静に答えるだけだ。
そんな向こうの反応に緑谷も苦笑するが、言いたい事はあり、勇気を持って口にした。
「あ、あの!――突然変異系の個性って色々と大変だとは聞きます。個性の扱いとか、その対処とか、普通なら両親から教えられる事が全く出来ないんですから。――でも体育祭、見てくれていたんですよね。なら分かっていると思うんですが、雷狼寺くんは雷狼竜の個性を制御出来ています。だから、僕が言いたいのは雷狼寺くんを恐れる理由とか無いって言いたいんです!」
頭がテンパりながらも、どうにか緑谷は言葉を出し続けた。
両親は雷狼竜の個性を恐れているが、既に竜牙はその個性を制御出来ているのはクラスメイトから見ても明らか。
だから、そんなすぐに仲が戻ってほしいなんて都合の良い考えはないが、少なくとも、竜牙が個性の制御が出来ている事を緑谷は知らせたかった。
そして、緑谷が何とか言いたいことを言い終えた時だ。
視線を整えると、緑谷は気付いた。竜牙の母親が、まるで何かを見極めようとジッと自分達を見ている事に。
それは30秒程の事だったが、やがて母親は一息入れると、静かに緑谷達へ問いかけた。
「……もしかして、あなた達の言っている雷狼竜って、体育祭で見た
「えっ……?」
相手の言葉に緑谷達の動きが止まった。
どういうことなのか、まるで雷狼竜に体育祭以外の姿があるかの様な言い方だ。
緑谷達はその言葉の意味が分からず、互いに顔を見合わせた時だ。
三人は先程の病室の事を思い出す。
――だから“コイツ等”も
竜牙が見せた左右の腕。白と黒の雷狼竜の腕。
――もしかして。
緑谷は脳裏にある考えが過った。
この個性による超常社会。いくら突然変異系とはいえ、それだけで我が子を捨てる理由になるだろうか。
少なくとも緑谷はそうは思わなかった。だから過った。
――危険に恐怖。手に負えない力だったのか?……と。
「雷狼竜の個性は……ただの個性じゃないんですか?」
「……逆に聞きたいわ。何故、この世に存在し得ない“存在”の個性が、他の個性と同じと思えるの?」
疑問を抱きながらの緑谷の言葉に、母親は呆れた様に言い返す。
すると、その言葉に反応して返答したのは飯田だった。
「ちょ、ちょっと待ってください。確かに雷狼竜なんて聞いたことはないですが、でも世の中には多種多様な個性があります!――例を挙げるならば、今さっきいたリューキュウだって“ドラゴン”の個性ですよ!?」
「言い方を変えるわ。――人類史・神話を含め、あなた達は一度でも聞いた事があるかしら? ドラゴンやワイバーンの様な存在ではなく、ただ“雷狼竜”という存在を」
「それは……」
竜牙の母親の言葉に、緑谷達は何も言えなかった。
ドラゴン・ミノタウロス・メデューサ等、神話の存在に似た姿と力の個性を持った人達はいる。
更に言えば日本の妖怪の個性だっており、ある意味で神話の生物も、この世の中では近い存在と言える。
だが、それは知っているからだ。知っているから理解し、それを受け入れられている。
「神話ですら聞いたことがある?……狼の様な姿をし、されどそれは雷を操る竜でもある。――そんな生物を、あなた達は知っているの?」
「知らないとしか言えない。――だけど、こんな世の中だ。どんな個性があっても不思議じゃないんじゃないんすか? 少なくとも、雷狼竜に恐れて雷狼寺を捨てたあんた達を、俺は認めねぇ」
目の前の存在の言葉と行い。それを轟は否定する。
もう理屈とかではない。ただ気にいらないからだ。
しかし、そんな轟の言葉に母親は特に反応はなく、そのまま背を向けながら言った。
「無知と言うのは、時に“無責任”なだけよ?――私だって、原種だけなら受け入れていたわ。初めての……お腹を痛めて産んだ子ですもの。でも、それだけだったわ。――原種しか知らないあなた達には理解できないでしょうけど」
そう呟く様に小さく話す母親の声。それはどこか悲しそうに聞こえた。
だが、言われた通り、自分達は無知と言える。だからなんて返答すればよいか分からず、取り敢えず緑谷は先程から気になって事を聞いてみた。
「……あ、あのさっきから言われている原種って何ですか? 雷狼竜の個性には、まだ何か秘密が?」
「……それこそ実際に見て知るべきね。あなた達があの子の友達でい続ければ、もしかしたら見れるかもしれないわ。……ただ――」
――それまで、あなた達の事をあの子が
それを最後の言葉に、竜牙の母親はそのまま去って行く。
残された緑谷達も、後味の悪い何かを抱くだけだった。
▼▼▼
その頃、病室では面構署長が話を終えて退出しようとしていた。
「……それでは、お大事にだワン」
「……はい」
竜牙の返事を聞くと、面構署長はそのまま退出した。
あくまで署長の用事は簡単であり、無資格の竜牙達の活躍を伏せて、エンデヴァーとリューキュウが逮捕した事になるとの事。
ステイン撃破は称賛するべき内容だが、それでも竜牙達の行動は“違反”でしかない。
だからこそ、本来ならば受け取る竜牙達の称賛を無くす代わりに、その違反も無かった事に出来るとの事。
それをまずは、署長自ら伝えに来たのだ。
『それで構いません。――俺達はまだ、ヒーローではないのだから』
冷めた言葉。それは竜牙の言葉であり、小さな波一つ立てない態度に署長もリューキュウもやや驚いたが、そこは理解しているからだと深くは追求しなかった。
だが、話の本題はここからだ。
署長が一番聞きたかったのは、竜牙自信をそんな目に遭わせたヴィランの事だった。
『ハッキリ伝えるワン。あの空き地では、君達以外の痕跡が一切
本当に異常でしかないのだろう。思い出しているのか、署長から嫌な汗が流れていた。
それはリューキュウも同じで、傍にいたリカバリーガールの表情も険しい。
『ヴィラン受け取り係』なんて言われてはいるが、だからといって警察は全否定される程に無能という訳じゃない。
相手が個性を使って痕跡を消そうが、必ずそこには小さくても痕跡は残る。
しかし、痕跡は全く発見できなかった。最初から、そこには誰もいなかったかの様に。
『君と戦ったヴィランは完全な透明人間だったのかワン?』
署長もそう言う程にお手上げ状態。
絶対にいたと言う確信はあるが、それを嘲笑うかのように証拠はない。
だから現状では、あくまでも竜牙はステインとの戦いで入院している事になるとの事。
そして、竜牙から色々と聞いた署長は病室から出て行き、その後はリューキュウが暫く病室にいてくれた。
他愛もない話。その後の事件処理。そして明日の予定等だ。
リカバリーガールは念の為、軽い検査をすればまた職場体験に戻って良いと許可し、リューキュウも竜牙が望むならば明日からまた復帰を許可してくれた。
無論、竜牙が断る理由はなく、それをすんなりと受け入れる。
そんな会話を続け、2時間近く経った頃、リューキュウとリカバリーガールも病室を後にしてゆく。
そうなれば、病室に残ったのは竜牙だけだ。
竜牙は誰もいない病室で、ゆっくりとベッドから起き上がると、その場で佇んだ。
すると、徐々に左腕が変化する。雷狼竜の腕だが、その色を黒に染まりし腕だ。
その腕はまるで、浸食する様に変化してゆくが、その変化は肩の辺りで止まってしまう。
『――まだ左腕までか』
竜牙は実感していた。
自分が新たな
だが、同時に理解していた。このままでは駄目だと言う事に。
人である以上、ヒーローである以上、力に限界を決めなければならない。
それでは目覚められない。雷狼竜達は起きようともしない。
堕ちなければならない。
――更に
そうしなければならない。敵がやって来るから。
『また……会いに来るよ』
竜牙は強くならなければならない。
『受け入れるんだ……雷狼竜を』
病室が影に染まる。唯一の光は、雷狼竜の眼光だけだった。
――徐々に変化し始める日常を過ごしながら、竜牙達は再び学校生活へと戻って行く。
END