モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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ブランシュによる第一高校襲撃事件は、幸いにも死者が出ることなく終息した。
警備の職員や一部生徒に怪我人が出たものの長期の入院を必要とする者はおらず、学校設備に関しても数日の修復期間で利用を再開できる程度の被害に留まっていた。
襲撃の後、保健室で行われた事情聴取には一高の生徒首脳部三名が顔を揃えていた。
直前の戦闘で昏倒させられた摩利については真由美から休息を勧められたものの、本人は頑として引き下がらず意地でこの聴取に参加していた。
彼らは図書館で『保護』された壬生紗耶香から事情を聞き、彼女に対する洗脳行為や国際犯罪への組織的関与を知った。
また実験棟へ忍び込んだ剣士については森崎によって名前だけは明かされていたものの、襲撃に協力する形で関わった『部外者』らしいということしかわからなかった。このとき摩利は悔しげに歯噛みしていたのだが、他の面々は寧ろ、摩利を打倒した猛者を相手に森崎がほぼ単独で足止めに努めていたことにこそ驚いていた。
その後、カウンセラー(と本人は主張している)小野遥からもたらされた情報によりブランシュの潜伏先が判明。以後も安全を脅かす可能性があるブランシュの排除を決めた達也は、数人の同行者と共に当該箇所を襲撃した。
達也と深雪、レオとエリカ、克人に桐原を加えた6名により、ブランシュは日本支部のリーダーを含めて壊滅。十文字家による事後処理という名のもみ消しが行われ、彼らの過剰防衛はそれ自体がなかったことにされる形で幕が引かれた。
襲撃事件から三日後。
この日、達也は深雪と共に紗耶香の見舞いに向かおうとしていた。
紗耶香は図書館での攻防時、エリカと交戦した際に右腕を亀裂骨折。またブランシュリーダーによるマインドコントロールの影響を考慮し、しばらく入院することとなった。
翌日は入院当日、翌々日は両親含め親戚等が顔を出すだろうと遠慮した結果、達也はこの日に紗耶香の見舞いへ伺うと一報を入れていたのだった。
この日は土曜日。午後の座学を早引きして一高を出た達也と深雪は、駅へと向かう道中で意外な人物に遭遇した。
「森崎、何をしているんだ?」
駅前の花屋でジッと商品を眺めていたのは森崎だった。
達也が声を掛けると彼は振り返り、二人の姿を認めて控えめに目礼した。
「クラスメイトの見舞いに行こうと思ってな。見舞いの品をどうするか考えていたんだが、何がいいのか悩んでしまって」
苦笑いを浮かべる森崎。深雪が何かに思い至ったように応えた。
「渋川くん、ですよね。先日の件で怪我をされたと」
「ああ。僕も人伝に聞いただけだから、実際に目にしたわけじゃないんだけどな」
『先日の件』が何を意味しているのか、無論達也にもわかっている。であればそこで負った怪我が何を理由としているのかも推察でき、だからこそ達也には森崎が
「相手が男子なら、やはり食べ物がいいんじゃないか」
とはいえ、ここでそれを追求するほど不躾ではなかった。
達也が当たり障りのないアドバイスを送る。が、森崎は腕を組んで唸り始めた。
「いや、怪我をしたのは腹部だったんだ。飲食は制限されているかもしれない。だから食べ物以外がいいだろうと思って探していたんだが……」
事情を知らなかったが故の気まずい雰囲気。
状況を打開したのは深雪だった。
「でしたら、書籍はいかがですか?」
すかさず森崎がこれに乗る。
「それは紙の本、という意味の?」
「はい。病室で端末に触れ続けるのはあまり推奨されませんから」
この時代、紙媒体の書籍は下火となっているものの、未だ根強い支持者もいることからなくなってはいない。その分単価は上がっているが、だからこそ友人への見舞いの品としては妥当な価格帯とも言える。
森崎は深雪の提案を飲み込み、思案した後、顔を上げてスッと腰を折った。
「とても参考になった。ありがとう、司波さん」
「いえ、このくらいは何でもありません。それより、渋川くんへどうぞお大事にと伝えてください」
「ああ、承った。――ところで、二人はどこへ行くんだ?」
深雪の言葉に頷いて、森崎は話題を変えて問いかけた。
同じく授業を休んでいる身なので疑問を持たれるのも当然だろう。
「俺たちもお見舞いだ」
その一言で大方を察したらしい。森崎は見舞い相手の素性を訊ねることはなかった。
「なるほど。入院先はどこなんだ?」
「八王子中央医院だ」
答えると、森崎は僅かに目を見張った。
「もしかしたらと思ったが、同じ病院だったんだな」
「事情を聞くためにも、同じ場所に集めた方が都合が良かったんじゃないか」
「そうかもしれないな」
達也の身も蓋もない言い方に、森崎は苦笑いを浮かべた。
深雪が咎めるような眼差しを達也に向ける。達也は自身の発言が誤解を生みかねないものだったと自覚して、「冗談だ」とお茶を濁した。
兄妹のやり取りに森崎はクスっと笑みを零した。
それから表情を改め、達也をまっすぐに見る。
「なあ、司波」
「なんだ」
真剣な表情で見合う達也と森崎。
そんな二人を斜め後ろから見る深雪は、心なしか落ち着かない様子だった。
僅かな逡巡の後、森崎が口を開く。
「病院まで一緒に行っても構わないか? 同じキャビネットに乗るという意味で」
「構わないさ。なあ、深雪」
「はい。もちろんです」
達也の返答は迅速だった。
森崎の申し出を半ば以上予想していたからこその即答。そして達也にとってもこの申し出は渡りに船。疑問を解消し、情報を得る良い機会だと思われた。
「ありがとう。では先に駅へ行っていてくれ。本屋へ寄ってから追いかける」
「わかった。行こうか、深雪」
「はい。ではまた後ほど」
二人へ目礼して、森崎は商店通りを走っていった。
第一高校前駅から八王子中央医院のある北八王子駅までは約20分。
駅のホームで森崎の到着を待ち、三人は揃ってキャビネットに乗り込んだ。
中央管制された小型車両のキャビネットは動力もエネルギーも軌道から供給されるため、定員数の同じ自走車よりも車両自体は小型になる。車両は二人乗り、又は四人乗りで見ず知らずの人間と同乗することはなく、またキャビネット内にカメラやマイクの類もない。
プライベートな空間が形成されるキャビネットの中、森崎は達也と深雪へ開口一番問いかけた。
「先日の襲撃事件は大活躍だったそうだな。なんでも機密文書が盗まれるのを阻止したとか。テロリストを歯牙にもかけないとは恐れ入った」
いきなりの称賛に面食らった達也だったが、すぐに持ち直して応える。
「お前こそ、渡辺先輩を出し抜いた相手に一歩も引かなかったと聞いた。相当な強者だったんだろう?」
「相手が油断してくれていただけだよ。それでも敵わなかったんだから、まだまだ鍛錬不足だと痛感した」
悔しそうに呟いた森崎へ、達也は知りたかった問いをぶつける。
「どんな相手だったんだ」
訊かれるとは思っていなかったのだろう。今度は森崎が目を丸くする番だった。
それから何やら納得したような表情になると、森崎は真剣な顔で語り始めた。
「古流剣術の使い手だ。名前は久沙凪煉。二十歳くらいの男で、刀を使用して特殊な魔法を用いていた」
森崎の説明に、まず深雪が反応を示した。
「刀を使って? 武装一体型デバイスだったのですか?」
「わからない。だが刀身にサイオンを纏わせ、投射された魔法式を切断していた」
魔法式を切断した、という想像の埒外な言葉を聞いて達也は耳を疑う。だが森崎は至って真面目な顔で、冗談を口にしているようには見えなかった。
そして続く言葉には否が応でも反応せざるを得なかった。
「恐らく『
瞬間、ほんのわずかに深雪の表情が強張った。
注視していなければわからない些細な変化だったので、幸い達也も森崎も気付くことはなかった。二人ともの反応を気にかけたのは、達也へは森崎が、森崎へは達也が、それぞれ『術式解体』を使用できることを伝えていなかったからだ。
一方で、こちらは本当に動揺した様子もなく達也が淡々と
「概要は把握している」
「そうか。『術式解体』は高密度に圧縮したサイオンを魔法式にぶつけて破壊する魔法だ。そして、彼が魔法式を斬る際にも刀身を高密度のサイオンが覆っていた」
「つまり『術式解体』と同じ効果を発揮する刀、というわけか」
唸るように呟いた達也へ、森崎は一つ頷いてから続けた。
「しかも、その斬撃は飛ばすこともできるらしい」
これにはさしもの達也も困惑を隠せなかった。
「斬撃が、飛ぶ?」
「刀を振るった先にある魔法式へサイオン塊を飛ばし、斬って破壊していた」
困惑する心情は理解しているようで、森崎は苦笑いを浮かべた。
「加えてもう一つ。彼が使った魔法で、幻痛を与えるものがあった」
『幻痛』という単語に聞き覚えはないが、『幻肢痛』と同じ漢字を当てるのだろうと内心で補完して、達也も深雪も話の腰を折ることはしなかった。
「あれが剣術の技なのか、それとも系統外魔法なのかはわからない。だが実際、肉体を一切傷つけることなく、肉体の切断を思わせる痛みを与えることができるようだ」
森崎の説明に、深雪が小さく息を呑む。
傍目には『強力な魔法に対する驚愕』とでも映るその表情。だが実際は、彼女の再従弟が扱う魔法と似ていると感じたからこその驚愕だった。
件の男の魔法が再従弟――
深雪の認識と達也の所感はほぼ同じだった。
けれど達也は表情を変えることなく、確認の意味で問いかける。
「それは、確かに肉体の切断レベルの痛みなのか」
「確かだ。僕自身が味わった。斬られたのは両膝で、以降しばらく膝から下の感覚はなくなり、膝を斬り落とされたような痛みを味わわされた」
これにはさすがの達也も驚きを隠せなかった。
文弥の操る精神干渉系魔法『ダイレクトペイン』の威力は達也も知っている。
相手の精神に直接痛みを認識させる魔法で、どれだけ守りを固めようと純粋な『痛み』によるダメージを軽減することはできない。その威力は歴戦の軍人すら一撃で昏倒させるほどだ。
久沙凪煉という男が森崎の言うような能力を持っているのだとすれば、『ダイレクトペイン』に匹敵する強力な魔法を行使する危険な存在だと言えるだろう。それは達也にとっても無視できない脅威だ。
自身の持つ固有の魔法によって、達也は肉体的な損傷を
だが、精神にのみ作用するダメージは彼にも修復することができないのだ。
森崎の語った男はほとんどの敵に対して優位に立てる達也の、数少ない天敵になり得るかもしれない存在だった。
そしてそんな魔法を身に受けて尚意識を失うことがなく、今では何でもないことのように話す森崎の異常性にこそ、達也は驚愕していた。
『ダイレクトペイン』の威力は深雪も知っている。
だからこそ、彼女はまずクラスメイトを案じる言葉を口にした。
「大丈夫だったのですか? 後遺症などは?」
常よりも大袈裟に心配する深雪に、森崎は若干面食らった。
だがすぐに持ち直すと、穏やかな表情で首を振った。
「いや、十分程で動けるようになったから問題ないよ」
「そう、ですか。森崎くん自身がそう仰るのならいいのですが……」
森崎のそれを気丈な振る舞いと解釈して、深雪は引き下がる。
「なるほど。想像以上に危険な相手だったようだな」
一方で、達也はこれ以上この話が続くのを嫌うようにそう言った。
なにを思っての言葉なのかは、珍しいことに達也自身にも理解できなかった。
二人の内心を正しく捉えられたわけではない。
二人の心情を理解するには、森崎と兄妹の間の隔たりは大きい。
それでも森崎は達也の意図通り、話題を替えることを選んだ。
「実は一つ司波の意見を聞きたかったことがあるんだが、構わないか?」
達也が無言で頷く。
森崎は真剣な表情で切り出した。
「魔法によって二酸化炭素中毒にされた者が自力で回復することは可能だと思うか?」
仮に森崎が達也の『力』を知っていると仮定した場合、この問いかけは一種の揺さぶりだと言える。質問の体を為した鎌かけで、動揺を誘おうとしていると捉えられるからだ。
だが森崎は達也の能力を知らない。少なくとも、達也と深雪はそう考えている。
故に達也は森崎の問いについてしばらく考え、素直に答えを返した。
「難しいだろう。二酸化炭素中毒は文字通り肺を二酸化炭素で満たされる症状、つまり窒息と同じ状況だ。その時点で呼吸困難に陥り、間もなく意識を失う。抵抗するだけならともかく、治療を自力でというのは考えにくい」
「やはりそうか……。だが、彼は起き上がった。ドライミーティアを確かに受けて、その上で何事もなかったかのように立ち上がったんだ」
森崎が眉をひそめる。
達也から見ても森崎が嘘を吐いているようには見えず、また嘘を吐くメリットもない。故に彼の証言を真実だと仮定して、考察を繰り広げていく。
「信じがたい話だが、事実だと言うのなら厄介だな。魔法か、魔法ではない何か特殊な技法なのか。或いはもっと別の、相手を錯覚させる幻術のようなものという可能性もある」
「幻術、か。確かにその可能性も……」
呟いて、そこで森崎の声が止まった。
何かを考え込むように俯いた彼は両肘を膝に立て、手を額の前で組んだ。
表情が隠れ、その向こうで森崎がどんな顔をしているのかはわからない。だが心なしか森崎の存在感が一回りほど小さくなったように見えた。
やがて聞こえてきた森崎の声は、弱々しいものだった。
「もう一つ、訊いてもいいか。答えたくなければそれでも構わない」
そう前置きをして切り出されたのは、彼の抱える根本的な悩み――。
「もし目の前に危険な人間がいて、自分がその相手を殺さなければ守りたい誰かが死ぬことになるとしたら、君たちはそいつを殺すことはできるか?」
人を守るために、人を殺すことができるか。
大切な者のために、見知らぬ誰かを切り捨てることができるか。
森崎の問いは魔法師として、同時に人としての在り方を問うものだった。
深雪の答えは是だ。
友人、仲間、何より兄のために、彼女は害為す者を殺めることができる。
後で後悔するかもしれないと考えても、力を揮うことに対して躊躇いはない。
達也の場合は答えるまでもない。実際、そうしてきたのだ。
深雪のため、深雪との日常を守るため、その障害となるものは排除する。
それが彼に残された『唯一の衝動』であり、数少ない願いでもあるのだから。
だが、目の前の少年は違った。
「僕は――わからない」
沈痛な声音で呟かれた言葉が、彼の心情を如実に物語っていた。
「守りたいと思うのと同じように、殺したくないと思ってしまうんだ」
実戦を想定する魔法師としては落第と言われる言葉だろう。
「甘いんだよ、僕は。実戦魔法師になるには、致命的なくらいに」
それでも割り切れない想いが、彼の真っ直ぐ過ぎる在り方の由来だった。
『速さ』で他者を圧倒する技術を持ちながら、相手を
下手をすれば死んでいた事態にも、恨み言一つ漏らさない。
危険な敵にすら情けを掛け、挙句自身が窮地に陥る始末。
森崎駿の『歪み』が、そこにはあった。
「……すまない。辛気臭くなってしまった。見舞いに行くのに、見舞う側が消沈していたら世話がないな。忘れてくれ」
独り言のように語っていた森崎が顔を上げる。達也と深雪からの回答を得ることなくそう言って、困ったような笑みを浮かべた。
そんな森崎を見て、達也はため息を吐いた。
細く短く、けれどどこか柔らかみのある吐息だった。
「森崎。お前はもう少し、肩の力を抜いた方がいい。何でもかんでも背負い過ぎだ」
「そうですね。私でよければいつでもお話を聞きますし、ほのかや雫も同じことを言うと思いますよ」
諭すような口調で、呆れたような顔で、達也はそう言った。
同じように、深雪が穏やかな口調で微笑みかける。
二人の思いがけない返答に、森崎は呆然と目を見張った後、再度視線を落とし、はにかんだ。
「……ありがとう」
呟いた彼の声は、少しだけ震えていた。
◇ ◇ ◇
病院の玄関口で達也と深雪と別れ、僕は一人で病室を訪れた。
病室の前まで来て、一度立ち止まる。
扉の脇には名札が差し込まれていて、クラスメイトの名前が書かれていた。
静かに深呼吸をし、意を決して扉をノックし、取っ手を引いた。
扉を開けると、病室のベッドに横になった少年がこちらへ振り向いた。
一瞬驚いた顔をして、その想いをそのまま口に出す。
「本当に来たんだな」
表情と言葉が素直に一致している。さっきまで話していた達也とはまるで違う、年相応のわかりやすい態度だ。
思わず笑みが浮かんで、誤魔化すために憎まれ口を叩く。
「来たらマズかったか?」
「いいや。丁度暇してたんだ」
返ってくる言葉も正直だった。
捻りも腹の探り合いもない、気楽でなんでもない会話。実に高校生らしい。
「思ったより元気そうでよかった。刺されたって聞いたときは驚いたよ」
「治癒魔法のお陰で傷は塞がってるから、安静にしてればいいんだとさ」
ベッドに歩み寄り、鞄から手土産の紙袋を取り出した。
「そうか。――これ、土産に買ってきたんだ。興味があるかはわからないが」
彼は袋を受け取り、無造作に開けて中身を取り出した。
「おっ、『クローズアップ・マギクス』の今月号じゃん。今どき紙媒体とは、粋だねぇ」
引っ張り出されたのは隔月で発売される魔法学関連の雑誌。学会で発表された最新の研究や大手魔法工学企業関連の最新情報、第一線で働く魔法師のインタビュー記事などが載っている。
彼はパラパラと冊子を捲り、途中何度か手を止めてはニヤリと笑みを深めた。
どうやら趣味を外したということはないらしい。
「気に入ったか?」
訊くと、彼は顔を上げて頷いた。
「ああ。俺、こう見えて読書好きでさ。実家にも昔の本とか色々あってよく読んでたんだよ」
「へぇ。紙の本がたくさんあるなんて、両親は学者なのか?」
第三次世界大戦時、日本もエネルギー資源の不足に悩まされた。
紙の本は製作コストが掛かり、燃えると消失してしまうことなどから電子化が進み、現在では大半が情報端末を用いた書籍サイトでの読書が主流となっている。
だが一部の電子化がしにくい専門書や劣化が激しい古書、個人で所有する蔵書などは電子化せず、手元に残している人も多いのだ。
大学や研究機関で働く専門家などは、その最たる例だった。
しかし、彼の場合は違うらしい。
「いや、うちは代々気象予報士の家系なんだ。だから科学の本とか気象の本とか、色々あるってわけ。自分でもたまに買ってるんだけど、紙の本って高いからなぁ」
なるほど。それなら紙の本がたくさんあるのも納得だ。
気象予報士というからには、過去の気象データなんかも保管してあるのだろう。その中には膨大な数値データも含まれるだろうし、電子化のために打ち込むのは相当な時間が掛かるはずだ。
なるほどなと、独り納得していると、彼が神妙な顔で振り向いた。
「ありがとな。正直、森崎が見舞いに来てくれるって聞いてちょっと緊張してたんだけど、やっぱりお前は良いやつだな」
「……そう言ってもらえるなら、来た甲斐があったよ」
思わず「そんなことはない」と否定しそうになった。
だがここは病室で、彼は怪我人だ。無駄な押し問答をして負担を掛けるわけにはいかなかった。
「改めて、この前は迷惑掛けちまって悪かった」
彼はそう言って、バッと音が鳴るような勢いで頭を下げた。
多分、入学式の翌日のことを言っているのだろう。その潔さは見ていて気持ちがいいけれど、傷が開くから激しい動きはやめような。
「気にしてないさ。寧ろこっちこそ、手荒な真似して悪かったな」
「とんでもない! お陰でおっかない風紀委員長の罰を受けなくて済んだよ。あ、これ本人には内緒にしてくれよ。バレたらどんな目に遭うか……」
本気で震えはじめる。思わず笑いが零れた。
「わかってるよ。……それにしても、魔法も使わずによく立ち向かえたな」
話がひと段落したところで、訊きたかったことを問いかけた。
彼がクラスメイトを庇ったとき、彼はテロリストと揉み合いになったという。
魔法を使った様子はなく、割って入ったときも身体ごと飛び込んで、だったそうだ。
「ああ、実は――」
その質問に、彼は頬を掻きながら答えた。
「俺はCADなしじゃまともに魔法を使えないんだよ。あのときは事務室に預けっぱなしで持ってなくてさ。偶々カフェにいたところでアイツらが襲ってきて、偶々目の前でクラスの女子が襲われそうになってた。で、気付いたら身体が動いてたんだよ」
ということは、魔法が使えないのを承知の上で、刃物を持ったテロリストに挑んだってことか。クラスメイトを守るためという志は立派だし、称賛に値する。けど……。
「行き当たりばったりだった、と。随分と危ない橋を渡ったなぁ」
しみじみ呟くと、彼は拗ねたように顔を背けた。
「別にそういうわけじゃ……。気合は十分にあったわけだし」
続く小さな声に僕が首を傾げると、彼は頭を掻いてやけくそ気味に吐き出した。
「その、なんだ。森崎だってそうだろ。お前はいつも誰かの為に頑張っててさ。そういうの、少し羨ましいっつーか、いいなって思ってたんだよ。言わせんな恥ずかしい」
心底恥ずかしそうに、彼はそう言った。
瞬間、鳩尾の辺りが締め付けられて、目の奥が熱くなった。
涙が零れそうで、けれどそれが恥ずかしく感じられて、仕方がないから笑って誤魔化した。
すると次第に笑いは止まらなくなって、最後には肩を震わせてお腹を押さえる羽目になった。
「な、なんだよ、笑うなよ!」
「いや、ごめん、ほんと笑うつもりはなかったんだが、ア、ハハ、なんでだろうな」
「くそっ、だから言いたくなかったんだよ」
耳を赤く染めてそっぽを向く。
その姿が何だか可笑しくて、僕はまた笑った。
入学編 完
今話を以て、『入学編』の本編は区切りとなります。
次回以降は幕間を挟んだ後、書き溜めをした上で『九校戦編』へ入りたいと思います。