恋愛は謎解きのあとで   作:滉大

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従者達は特定したい

 他者の行動をコントロールするのは、方法が物理的か、精神的であるかに関わらず難しい。

 気心知れた仲なら、行動パターンも読めてくるのでやり易いのだろうが、相手が変人、それもミステリアスな変人とくれば行動パターンなんて読める筈もない。ただ唯一分かるのは、鎖で繋いでおかないと逃げ出すという事だけだった。

 早坂愛は机の前に立った。

 場所は秀知院学園2年A組。3限目が終わった後の休憩時間。次が移動教室ではないので、生徒達は集まって雑談に花を咲かせる者多数、静かに読書する者少数、黙々と予習をする者皆無、と各々短い休憩を学生らしく満喫していた。

 

「ねーねー」

 

 早坂が笑顔で声をかけると、机の主は、少数派らしく開いていた文庫本から顔を上げた。本にはブックカバーがかかっていて、何を読んでいるのかは不明だ。

 讃岐光谷は今気づいた、というように惚けた顔で応じた。

 

「やあ、早坂さん。僕に用件があるのなら光栄だけれど……今いいところなんだ」

 

 本を手にした腕を軽く持ち上げた。

 みくびってもらっては困る。言いながらも、讃岐の視線が周囲を見渡すように動いたのを、早坂は見逃さなかった。

「今いいところ」なんてのは真っ赤な嘘。讃岐は早坂の狙いに気付いて、自分に不利な状況だと悟ったからこそ、話を打ち切ることで逃亡を図ろうとしているのだ。

 構わず強行突破する。

 

「ふーん、そうなんだ。ところで今日の放課後なんだけど──」

 

 雑談に勤しんでいた多数の生徒たちが、聞き耳を立てる。高校生とは娯楽に飢えている。他人の恋愛話など最たるモノであり、早坂愛と讃岐光谷の交際関係は暗黙の了解として認知されていた。実際には互恵関係でしかないのだが、それはともかく、今の状況は必然の上に成り立っていた。

 早坂は内心ほくそ笑んむ。ことは順調に進んでいる。その証拠に、讃岐は浮かべた笑みを引き攣らせている。

 

「駅前に新しい喫茶店ができたんだけどー、付き合ってくれない」

「ああ、確か『珈琲屋(コーヒーや)』とかいったかな。でも僕カフェインが苦手なんだよね」

「カフェインレスもあるらしいよ」

「紅茶の方が……」

「丁度いいじゃん! 紅茶もあるし」

 

 店のホームページが表示されたスマホを、ズイッと目の前に突きつける。

 讃岐はカフェイン入りの飲料を飲めるし、理由は知らないけれど、最近紅茶派からコーヒー派に乗り換えたのも早坂は知っていた。

 では何故、簡単に看破される嘘を吐くのか。それはこの場での返答を避ける為に他ならない。

 この場とは、周囲の人間が聞き耳を立てている状況を指し、これによって、早坂と讃岐が放課後に喫茶店に行く、という予定は周囲に伝播する。

 もし讃岐が放課後1人でいる所を見られようものなら、後ろ指を刺されるのは必至。引いては完璧に偽装された交際関係にひびが入る。即ち互恵関係の崩壊にも繋がる。讃岐としても避けたい事態には違いない。

 残された選択肢は1つ。

 突き出された画面をぼんやり眺めていた讃岐は、諦めたように背もたれに身を預けて、白旗のつもりか手に持った文庫本をひらひら振った。

 

「そうだね。暇だし、行こうか」

「オッケー! じゃ、また放課後」

 

 勝った。教室で話しかけられた時点で讃岐の敗北は決まっていたので、少々有利すぎる勝負ではあったのだが。

 ともあれ、目論見通り讃岐がサボることは困難になった。

 ささやかな勝利の余韻に浸って席へ戻る途中、呆れの色を多分に含んだ視線が早坂に突き刺さった。主人である四宮かぐや視線だった。

 半分閉じた瞳から覗くルビーのように赤い目は、何をしているのと、口ほどにものを言っていた。

 

 かぐや様の為にやっているのですが。

 

 反論を心の中に留めて席についた。

 

 

 ○

 

 

 目的の店は栄えた駅の周辺……の狭い路地を抜けた先の通りにあった。

 雑居ビルに挟まれた路地は、ビルに陽光を遮られている為薄暗いく、ギリギリ2人並んで入れるくらいの幅。

 並ぶと狭いので、讃岐は早坂から半歩下がって歩いた。

 

「聞いていなかったけど、どうして喫茶店に行くのかな?」

「かぐや様からの指令です。白銀会長のバイト先を特定せよ、と。珈琲屋でバイトをしているという情報は得ましたが」

「確証がない?」

 

 言葉の続きを讃岐が引き取った。早坂は首を縦に振って肯定する。

 白銀本人に直接聞くという手もあるが、聞いた数日後にかぐやが来店しては、自分達とかぐやとの繋がりを勘ぐられる可能性も否めない。

 店に行って確かめるのが安全かつ、確実な方法だった。だが、早坂愛か讃岐光谷が店に行くのでは直接聞くのと変わらない。そこで早坂は一計を案じた。

 

「これで大丈夫かな? もう少し時間をくれれば、老人に成りすませるんだけど」

 

 讃岐は黒縁の眼鏡を人差し指で押し上げた。

 

「老人と女子高生が来店したら逆に目立つでしょう」

 

 同僚の発言に呆れながら、早坂は肩にかかる自分の髪を払った。

 2人の格好は秀知院学園の制服姿ではない。早坂はサイドテールを解いて、髪を下ろしている。制服も他校のセーラー服。讃岐は伊達眼鏡に、ウイッグで髪を茶髪にしている。秀知院の黒い学ランではなく、紺のブレザーを着用していた。

 どこからどう見ても、四宮家御令嬢とは縁のない普通の高校生。この姿なら、かぐやとの関係を勘繰られる心配はまずない。

 路地を抜けた先の通りも、なんだか薄暗く感じた。路地と違って、陽光を遮るビルもないのに暗く感じるのは、寂れた店が並んでいるからだろう。

 駅から一本道を挟んだだけなのにこの違い。天と地。陰と陽。栄枯盛衰を体現したようだった。

 件の喫茶店に着いた早坂と讃岐だが、どちらともなく入るのを躊躇していた。

 

「本当に新しくできたんだよね……」

「情報に間違いがなければその筈です」

 

 重厚な木の扉は所々黒く霞んでいて、年季の入った白い壁は少し黄ばんでいる。『珈琲屋』と商売っ気のないシンプル過ぎる店名が記された看板だけ輝くほど白かった。

 

「僕は日頃から紳士的であろうと心がけている」

 

 何を思ったのか、讃岐は唐突にそんな事を言った。

 

「何ですかいきなり。心掛けだけは立派ですね。性別が男であるところとか、とっても紳士的です」

「紳士の最低条件はクリアしているみたいで安心したよ」

「で、何が言いたいんですか?」

 

 讃岐は愛想のいい笑顔で、紳士的に道を譲った。

 

「お先にどうぞ」

 

 都合の良いレディーファーストもあったものだ。

 

 飴色の扉を押すと、備え付けられていたベルがチリンと鳴って、来客を知らせた。

 研修中と書かれた札を胸元に付けた店員が2人を出迎えた。

「何名ですか」「2人です」「テーブルとカウンターどちらがよろしいですか」「テーブルで」お決まりのやり取りをして、窓際の席に案内される。

 外観から想像するほど、店内は汚くなかった。むしろ、清掃が行き届いている方だ。

 カウンターには、渋い髭面の如何にもマスターですといった風貌の男が立っている。

 

「ご注文が決まりましたら、そちらのボタンでお呼びください」

 

 テーブルに設置された、呼び出しボタンにはローマ数字で『II』と記されていた。恐らく席の番号なのだろう。

 案内された席は店の角から1つ手前で店内がよく見渡せた。見張るには都合が良い。

 ざっと見たところ、他に客は2人だけだった。そこまで大きくない店なのを考慮しても少ない。

 カウンターとテーブル席に1人づつ。カウンターでは、ビジネスマン風の男性が、パソコンを開いて熱心にキーボードを叩いている。テーブル席の男性は、顔を埋めるようにして新聞を読んでいた。

 

「僕は決まったけど、君は何にする?」

 

 差し出されたメニュー表に目を通す。白銀が働いているかの確認が目的なので、どれでもいいのだが、

 

「貴方は何にしたんですか」

「僕? このオリジナルブレンドってやつ」

 

 讃岐が指差す先には、何の変哲もない珈琲の写真。ケーキが付いてくるセットもあるらしい。

 

「私もそれで」

「セットか確認しなくていいのかな?」

 

 問いかける讃岐の口角は揶揄うように上がっている。お株を奪うわけではないが、セットにしたか否かは、聞くまでもなく推理できた。

 

「セットにしたんですか」

「まさか。当分ケーキは勘弁願いたいね」

「でしょうね」

 

 数週間前にかぐやが思い人である白銀御行に巨大ケーキを用意した。渡す直前で、ケーキが巨大すぎることに思い至ったかぐやは、ショートケーキサイズに切り分けて渡した。

 サプライズの誕生日祝いは見事に成功したのだが、巨大ケーキは依然、巨大ケーキとして残ったままだった。

 残念ながら『後でスタッフが美味しくいただきました』とテロップを入れておけば消失する都合のいい代物でもなく、誰かの胃の中に入れて処分するしかなかった。

 結論としてかぐや、早坂、讃岐に加えて石上優、マスメディア部の紀かれんと巨瀬エリカの計6人の胃に巨大ケーキはおさまった。

 しかしそれは、等分に収まったという意味ではない。使用人の悲しき性として、大半は早坂と讃岐の胃袋で消化されたのである。

 かぐやが気合を入れて用意しただけあり、ケーキは絶品の一言に尽きる代物ではあったのだが、全て食べ終えた早坂達の心境としては、もうケーキは食べたくない、だった。

 

「ちょっとトイレ」

 

 注文を終えると同時に讃岐は席を立った。

 ただ座っているだけでは不自然なのでスマホを弄る。操作しながらも、いつ白銀が現れても見逃さないように、油断なく店内に視線を走らせる。

 

 ピンポーン。

 

 チャイムの鳴る音がした。テーブル席の男性が注文をしたようだ。

 

「ご注文は何でしょうか?」

 

 早坂達が入ったときに対応した人とは別の店員だ。

 注文する声が聞くともなしに聞こえて来る。

 

「珈琲かき氷1つ」

 

 10月に入り風が冷たく感じるようになってきた。この時期にかき氷とは少々季節外れな気がする。

 夏には期間限定で様々な飲食店のメニューに乗っていたが、ここではまだ現役らしい。

 店員が厨房に引っ込むのと入れ違いで、讃岐が戻って来た。

 席に着いて鞄から文庫本を引っ張り出した時、ベルの軽やかな音が店内に響いた。

 入店したのは高校生くらいの男女2人だった。仲睦まじい様子からカップルであるのは容易に想像ができた。

 カップルは早坂達の席から空席を1つ挟んで隣に座った。

 

「暖かいの飲みたい気分なんだよね」

「最近寒いしな。ホット珈琲でも頼んだら」

「そうそう、ここのオリジナルブレンドおすすめだよ」

「へぇ、どんな味」

「普通」

 

 普通らしい。来る前に期待値を下げられてしまった。

 

「えぇ……」

「でもクセになる味。まあ、飲んだら分かるよ!」

 

 さっさと注文を決めたカップルは、お冷を持って来た店員にそのまま注文をした。

 少しして、早坂と讃岐が注文した珈琲が届いた。珈琲から白い湯気が立ち昇る。

 讃岐は砂糖を入れて、早坂はそのまま珈琲を飲んだ。

 

 ふむ、これは。

 

「どう?」

 

 カップをソーサーに置いた讃岐は、味について感想を求めた。

 

「忌憚なく述べるのであれば、普通ですね」

 

 本当に可もなく不可もない。あまりに普通すぎて記憶に残るくらい普通の味だった。

 

「この普通さは、もはや達人芸の域に達しているね。味だけなら、この前君が淹れた珈琲の方が上だけど」

「屋敷にあるのは高級品ばかりですからね」

 

 褒められて内心得意になったが、あくまで謙虚に対応する。

 

「ご命令の件だけどさ。ここでいつ現れるか分からない白銀君を待つより、後をつけて、店に入るところを確認する方が楽だったんじゃないかな」

 

 言ってから讃岐はカップを口に付けた。

 無論その方法を考えなかった訳ではない。けれど、

 

「その方法だと、白銀会長がホールで働いているのか、キッチンで働いているのか判別が付きません。恐らくかぐや様は会長のバイト先で偶然遭遇する、という絵を思い描いているでしょう」

「奥手だからね」

「奥手という次元ではない気もしますが……とにかく、白銀会長がホールで働いている確証がなければ、かぐや様の望みは叶いません」

 

「ふぅん」と讃岐は気のない返事をしたから、また珈琲を啜った。どうやらクセになる味という評価は妥当らしい。

 

「君はあれだね、何というか」

 

 適切な言葉が探すように、讃岐の視線が宙を巡る。

 

「熱心だよね」

 

 褒めるとも貶すとも取れない讃岐の発言。言葉に裏があると思うのは勘ぐりすぎだろうか。僅かな違和感が早坂の頭を掠める。

 

「ご主人様想いだね、と言いたかっただけだよ」

 

 讃岐の口調は言い訳をするようだった。

 そんなつもりはなかったが、知らず知らずのうちに、疑惑の視線を向けていたらしい。

 ふと、漠然とした違和感が形を成した。早坂は確認しようと前を向く。讃岐は取り出した文庫本に視線を落としていた。

 見間違いか。早坂も再びスマホを弄り始めた。その後も違和感はしこりとなって頭の中に残り続ける。

 見間違いでないのなら、讃岐光谷が憂鬱そうな表情を浮かべたのは、出会ってから今日までの間で初めてだった。

 

 それから数十分。未だ白銀は現れず、特筆すべき出来事もなく、ただただ珈琲を口に運んでいた。

 

「珈琲かき氷です」

 

 横から声が聞こえて、早坂の意識はカップルがいる席に向いた。

 研修中の札を付けた店員が、珈琲かき氷なる商品を机に置こうとしていた。スタンドに立て掛けられたメニュー表に遮られ、机の上に見えるのは湯気の立った珈琲が2つのみ。

 席には男だけで片方の席が空いている。トイレにでも行っているのだろう。

 かき氷の皿を差し出され男は戸惑っている様子。それから早坂の予想に反し、男はかき氷を受け取った。

 

 ん? 

 

「すみません、かき氷用のスプーン貰えますか?」

「あっ、すみません! 直ぐにお持ちします!」

 

 おやおや? 

 

 これは、どういう事なのだろうか。

 早坂は向かいに座る少年が、自分と同じくカップルの席に視線を向けているのに気付いた。

 視線だけでなく顔まで傾けている。口元に浮かんだ薄らと弧を書く笑みは、新しい玩具を手にした幼子を思わせた。

 早坂達が入店してから1時間が経過した。数分前にカップルが店を出たので、店内に居る客は早坂と讃岐のみ。

 他の客が出払うのを待ち望んでいたかのような、というか実際待っていたであろう讃岐が口を開いた。

 

「ねぇ、早坂さん。2人で来ているのに、会話もしないのは不自然だと思うんだ」

「今更ですか」

 

 人は本音と建前を使い分ける。それは相手を納得させる為であり、自分を守る手段であり、会話を円滑に進めるツールでもある。

 何にせよ、本来の目的を建前に使うあたりが讃岐らしいと言える。建前の裏には本音がある。早坂にはそれが分かる気がした。

 

「会話するにしても、話題がありません」

「話題ならあるよ」

「というと?」

「君も気になっていることさ」

 

 チラリと視線を横に動かす。先にはカップルが座っていた席。テーブルは綺麗に片付けられている。

 

「何故彼は珈琲かき氷を受け取ったのか」

 

 眼前の男は満足そうに頷いた。

 

「さて、状況を整理してみよう。あの2人は入店してから、オリジナルブレンド2つと男の方がナポリタン、女の方がグラタンを注文した。ここまではいいかな?」

 

 早坂の席からは珈琲が2つあるのしか見えなかった。讃岐の席からでも見えない筈。

 

「……盗み聞きしてたんですか」

「聞こえて来ただけだよ」

 

 どうだか。

 

 概ね間違いはないだろう。早坂は先を促した。

 

「それから珈琲かき氷が来るまで、男は追加の注文をしなかった」

 

 その通りなのだろうけど、ここは慎重に進める。

 

「常に彼らに意識を割いていた訳ではありません。追加注文をしなかった根拠はありますか?」

「良い慎重さだね。この店は呼び出しボタンを押して注文を行うシステム。注文したなら音で気付いた筈だ。店員に声を掛けて注文したとしても同じ」

 

 早坂は首肯した。

 

「言うまでもなく、珈琲かき氷は他の客が頼んだ物だ。正確にはあの席に座っていた」

 

 指差した先は新聞を読んでいた客のいた席。

 

「そうですね。……いや、何で貴方が知っているんですか?」

「ん?」

「あの客が珈琲かき氷を注文した時、貴方はトイレに居ましたよね」

 

「ああ、そういうこと」と讃岐は軽い反応を示し、人差し指で机をトントン叩いた。

 

「かき氷が他の客が注文した物だとすれば、店員が届ける席を間違えた事になる。席を間違えたとすれば、この席やカウンターではなく、あの席である可能性が1番高い」

「相変わらず回りくどいですね。つまり、どういうことなんですか?」

 

 早坂の半眼を肩をすくめて受け止めた讃岐は、呼び出しボタンを手に取った。

 

「ボタンにある小洒落たローマ数字は、席を識別する為の番号だと考えられる。トイレに立った時に見たんだけど、隣の席の番号は『III』だった。僕達の席は『Ⅱ』。Ⅱ、Ⅲとくれば順番的に、Ⅲ席の隣のカップルは『Ⅳ』だろう。ⅡとⅣを間違えるとは思えない。カウンター席にはそもそも呼び出しボタンがない。近くにマスターがいて、ボタンで呼ぶ必要がないからね。残るはあの席しかないのさ。恐らくあの席の番号は『Ⅵ』なんじゃないかな」

 

 ⅣとⅥの間違い。ローマ数字に馴染みがなければありそうな話だ。

 

「更に言えば、珈琲かき氷を持って来た店員は研修中の札を着けていた。経験が少ないからか、あの店員は少しそそっかしいみたいだね。その証拠に他の机にあって、僕達の机にない物がある」

 

 それについては早坂も気になっていた。そういうシステムの店なのかとも思ったが、後に来たカップルには届けられていた。

 

「お冷ですね。もう1人の店員が対応した時には運んでいました」

「なんだ、気付いてたのか。お冷がない事自体は、どうせ珈琲を注文していたから、別に構わないんだけど。

 話が逸れてしまったね。まあ、この推理の当たり外れは本筋にさほど影響しない。合っていたら、カップルが珈琲かき氷を注文しなかった、という確証が増えるくらいだ」

 

 呼び出しボタンを定位置に戻した讃岐は、机の上で指を組んだ。

 

「話を戻そう。間違えて届けられたかき氷を男は受け取った。この時、男は間違いに気付いた筈だ」

 

 店員からかき氷を差し出された際の戸惑っていた様子からも明らかだった。その上、かき氷なんてこの時期にしては珍しい商品。間違いに気付かなかったとは考え難い。

 

「では何故、店員に間違いを伝えなかったのか。どんな理由があるかな」

 

 少し考えて早坂は答えた。

 

「かき氷を食べたくなったから。

 間違っていると言い出せなかった。

 何らかの理由でかき氷が必要だった。

 店員を不憫に思って間違いを指摘しなかった。

 思いつくのはこれくらいですね」

 

 これは違うだろうな、と思う理由もあるが一応挙げておく。

 

「それらの可能性を一つ一つ検討していこう。かき氷を食べたくなったかどうかは本人しか知りようがないし、ひとまず保留しよう。

 間違っていると言い出せなかった。これは否定できる。彼は受け取った後に、スプーンを要求している。スプーンを要求できるのに、間違いを指摘できない事はないだろう

 何らかの理由でかき氷が必要だったは、何らかが分からない限り判断が下せないね。これも保留。

 店員を不憫に思ってミスを指摘しなかったのだとすれば、行動に矛盾が生じる」

「はい。もしそうなら、スプーンがないのを指摘しないでしょう」

 

 残る理由は2つ。かき氷を食べたくなったか、かき氷が必要だったか。

 早坂には答えがどちらであるか分かる気がした。前者が答えだとすると、衝動的に過ぎる。もっと言えば、讃岐光谷の好みではない。

 このような問答を仕掛けてくるくらいなのだから、論理的な筋道を持って解答に辿り着くに違いなく、そうなれば、消去法的に答えは後者となる。

 

「後は単純にどちらの可能性が高いか。10月にいきなり差し出されたかき氷を食べたくなる可能性は低いと、僕は思う」

「それには同感ですが、残る1つ──かき氷が必要だったというのは漠然としすぎていて、可能性云々以前の問題です」

「そうだね。では、可能性を論じられる域までに押し上げよう」

 

 そう言って、讃岐は呼び出しボタンを押した。

 何をしているのか、と聞く間もなく店員が現れた。

 

「ご注文を承ります」

 

 男の声だった。研修中の店員でも、もう1人の店員でもない。見上げると、獲物を狙う狩人の如く鋭い瞳と目が合った。

 店のロゴが入ったエプロンを身につけた白銀御行だった。

 

「オリジナルブレンド2つ」

「オリジナルブレンド2つですね。かしこまりました」

 

 オーダーを確認しながら、白銀がチラリと自分達に視線を向けているのを早坂は感じた。

 どこかで会った事があるような、とでも思っているのだろう。幸い良識のある白銀は仕事中に疑問を口にはしなかった。

 

「ラッキーだね。ついでに、白銀君も確認できた」

「ついでに?」

「いや、言葉の綾だよ、勿論。当然じゃないか。僕達はそれが目的で来たんだから」

 

 白々しい言葉が並べ立てられる。

 

「気に入ったんですか? 2杯も頼んで」

「いや、ホットコーヒーなら何でもよかった。というか、僕1人で飲む訳ないだろう」

「そうですか。では当然、代金は貴方持ちですよね?」

「え?」

 

 え、の口をしたまま讃岐は固まった。この展開を予想できなかったのだろうか。興が乗ると後先考えない性格は、いつまで経っても治らない。

 

「相談もなしに勝手に私の分まで注文しておいて、あまつさえ金まで払わせると?」

「ま、まさか、まさか。そんな事しないよ。僕が払うつもりだったさ」

 

 そうこうしている内に、注文した珈琲が届いた。

 初めに頼んだ物と寸分違わない。白いカップに入った黒い液体から、ゆらゆらと湯気が立ち昇る。

 

「ほら、冷める前に飲んだ方がいいよ」

 

 妙に急かすな。疑問に思いながらも、早坂はカップに口を付ける。次の瞬間、天啓が降りた。

 見開いた早坂の目に、これで分かっただろうと言わんばかりの讃岐の顔が映った。

 なんだか手のひらで転がされているようで、非常に癪だった。

 

 

 ○

 

 

 喫茶店に長居したおかげて、歩道は既に夕日で赤みがかっていた。

 指令を無事に遂行した早坂と讃岐は、四宮別邸へと歩みを進めていた。2人とも変装は解いており、早坂は着崩した制服にサイドテール。讃岐は黒髪に学ランと普段通りの格好だ。

 傍迷惑にエンジンを吹かせて車道を走るバイクが通り過ぎるのを待ってから、早坂は口を開いた。

 

「珈琲を冷やす為に、かき氷を使ったんですね」

 

 男は熱々の珈琲にかき氷を入れて温度を下げた。これが早坂の辿り着いた結論だった。

 

「正解。僕も奢った甲斐があったよ」

「まだ根に持ってるんですか? これを機に、芝居がかった言動を控えては?」

「善処するよ」

 

 その気がない人間の言葉は一概にして軽い。

 冷たい風が横から吹きつける。讃岐は両手をポケットに入れた。

 

「彼は猫舌だった。そんな彼に試練が訪れた。親しい女性から珈琲をオススメされた。届いたのは熱々のホット珈琲、猫舌には天敵だ。いつまでも飲まずにいれば、無理して自分に合わせたんだなと、彼女に気を遣わせてしまう。熱せられた液体と闘う覚悟を決めた時、店員がかき氷を持って来た。彼にしてみれば、天から降りた蜘蛛の糸だったろうね」

「お冷の氷では駄目だったんですか?」

「氷は浮くからね。お冷を注いで冷ます方法もあるけど、量が増えるから怪しまれる。かき氷なら、食べたくなったとかなんとか適当に誤魔化せばいい。怪しまれはするだろうけど、そこから珈琲に疑惑が向く事はないだろう」

 

 相手に合わせて自らを偽る。早坂には男の気持ちが理解できた。

 人は偽る事で自分を飾る。ダメな部分誤魔化し、嫌なところを隠し、本音を留める。そうやって見られたくない部分を、自分の奥底に閉じ込めて、見栄えの良い自分になる。

 偽るのが悪いとは思わない。ありのままを曝け出せる関係性は理想だけれど、現実的ではない。他者に受け入れてもらう為には、大なり小なり嘘も必要なのだ。飾らない人がいるとすれば、それはきっと、他者からの愛情を必要としない人種なのだろう。早坂の身近にも1人その手の人物がいた。

 その人物は非常に上機嫌だった。その内スキップをして鼻歌を歌いだしてもおかしくないくらいに。

 

「相変わらず謎解きマニアですね」

 

 フッと、讃岐は短く笑った。

 

「舐めて貰っては困るね。あの程度の謎を解いたくらいで浮かれるほど、僕の素人探偵歴は浅くないよ」

「貴方の探偵歴は知りませんけども。それならどうして、地面から足が離れそうなくらい浮かれているんですか?」

 

「そんなに?」讃岐は下を向いて足元を確認した。

 

「どうしてと聞かれれば、そうだな…………理想的な放課後だったからかな」

 

 早坂は疑問符を浮かべた。謎解きができたから、理想的な放課後なのではないのだろうか。

 伝わっていないと察した讃岐は、再び口を開いた。

 

「探偵の真似事は好きだよ。でも理想を語るなら、シチュエーションにもこだわりたいね。学校の帰り道、立ち寄った喫茶店で謎と出会う。なかなか悪くない」

 

 なるほど。よくわからない。

 

 疑問符を増やす早坂に、人差し指が突き付けられた。

 怪訝そうに眉を顰めて指先を見詰める。取り敢えず、人を指差すのは褒められた行為ではない。

 突き出された指を曲げようと腕を伸ばしたのと、「最も重要なのは」と讃岐が言ったのは同時だった。

 

「君だよ」

「は?」

「聞き手の存在さ。今回の様なシチュエーションは中学時代にも何度か経験した。だけど聞き手がいた事はなかった。推理への反論もなければ、思わぬ真相へ驚く事も、賞賛もない。全く持って張り合いがないね。魅力的な謎に推理を聞いてくれるワトソン役。まさに僕の求めていた青春という奴だね!」

 

 だから、と讃岐は続けた。

 

「君との放課後は、僕にとってとても有意義な時間だったよ」

 

 歯の浮くような、気障ったらしいセリフを恥ずかしげもなく吐いて、讃岐は前を向いた。早坂はどう反応すればいいのか分からなくて黙り込んだ。

 たまにこういう発言をする。口にするのも憚られるような、恥ずかしい発言を。

 早坂愛は理解していた。それらの発言が、他人にどう思われても構わないという、ある種の無関心から来ていると。

 そして、無関心であるが故に、一切の嘘や虚飾が入り込む余地がないのだと。

 だからむず痒いような、何とも表現できない気分になって、言葉が出て来なくなるのであった。

 学校の帰りに友達と喫茶店に寄って雑談に興じる。かぐやからの指令はあったし、雑談の内容が謎解きだったとはいえ、普通の高校生のような放課後で、楽しくなかったかと聞かれれば──。

 

「寒くなってきたねぇ」

 

 ひんやりとした空気に、ポケットに手を突っ込んだまま体を縮こませる。

 同意はできそうになかった。頬に当たる冷たい風が心地良い。

 残暑は消え去り、本格的な秋の到来を感じさせた。




新年明けましておめでとうございます。
今回が1番『日常の謎』らしかったのではないかと、自己評価しています。
拙い作品ですが、今年もお付き合い頂ければ幸いです。

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