感謝
帝都にある宮殿。
広すぎて宮殿がどこからどこまでを指すのか分からない。
もはや一つの大都市と言えるのが帝国の宮殿だ。
そんな場所にある宰相の執務室。
白髪の年寄りが仕事をしながら、目の前に詰め寄る男の相手をしていた。
男はリアムの父親であるクリフだった。
「宰相閣下、どういうことですか! どうして当主交代を認めてくださらないのです!」
貴族の見た目が二十代であまり変わらない中、年寄りの姿をしている宰相はそれだけ長生きをしていることを意味している。
何代にも渡って皇帝陛下に仕え、帝国の全てを知っていると言われる男だ。
「――当主交代の手続きは既に済んでいる。それを覆すだけの理由がない」
淡々としている宰相に対して、クリフは熱弁をふるっている。
「あの子は宮殿に人形を連れ込んだのです。帝国貴族として自覚がなさ過ぎます。このままバンフィールド家に恥をかけとおっしゃるのか?」
電子書類を次々に処理していく宰相は、小さく息を吐いた。
そして仕事の手を止める。
「領内をよくまとめ、貴族として海賊共を倒したリアム殿は立派ではないのかな? 人形を側に置くという行為自体を、帝国は罰していない。そういう風潮があるだけだ」
「その風潮が問題だと言っているのです。宰相閣下、もう一度お考え直しを!」
宰相は目の前のクリフに笑顔を見せた。
クリフはそれを見て、自分の熱意が通じたと思ったのか笑顔になる。
だが、すぐにその表情は青ざめた。
「リアム殿は、これまでバンフィールド家が行ってこなかった納税の義務を果たしている。帝国のために貢献している素晴らしい当主だ。帝国は彼に期待している。意味は分かるかな?」
「そ、それは――ならば、当主交代の際には必ず我々も納税いたしましょう。そうすれば問題ないはずです」
宰相は声に出して笑っていた。
「今までしてこなかったのに信用しろと? そもそも、あの子とお前たちとでは器が違う。帝国にとってどちらに利があるか――分からないから、図々しくも私に直訴しているのだろうね」
クリフが口をパクパクさせ、何とか反論しようとするが宰相は許さない。
「下手なことはしないことだ。帝都で静かに暮らしたいのなら、ね」
口振りから「リアムに手を出せばお前らを消す」という意味だと察し、クリフはおぼつかない足取りで執務室を出るのだった。
宰相はその背中を見て呆れかえる。
「程度の低い貴族が増えたものだな。アレから傑物が生まれたとは未だに信じられん」
ボロボロだった領地を発展させた。
おまけに数に勝る海賊を打ち倒した。
内政手腕、武勇、共に優れた辺境の領主というのは宰相にとっても悩みの種だ。
いつか帝国に牙をむくかもしれない。
負けるとは思わないが、厄介な話に変わりはない。
だが、従順であるなら話が違う。
しっかり納税し、指示に従う領主が宰相は大好きだ。
「利用する価値もない者に取って代わられるなどあってはならないからな。リアムの小僧には――精々、帝国のために働いて貰うとしよう」
一つの電子書類を確認する。
それは、海賊団討伐の報酬に関する書類だ。
リアムが報酬を辞退していた。
正確には、報酬を滞納した税金の支払いに回した形になっている。
同時に、その他の報酬には帝国が管理する工場で旗艦クラスの超弩級戦艦の購入を認めて欲しいというものだった。
どちらも帝国には痛くない。
むしろ、両方とも利益しかない。
報酬を支払わずにすみ、更に帝国の工場から兵器を購入してくれるのだ。
財政に頭を悩ませる宰相にしてみれば、実に嬉しい提案だった。
「人形でもこれだけ主人のために尽くすというのに、実の両親は子を追いやり、己のことばかり考える――悲しい世の中だな」
宰相は愚痴をこぼし、少し休憩すると仕事を再開するのだった。
◇
帝都にある高級ホテルのスイートルーム。
とにかく金のかかる部屋に泊まった俺は、ベッドの上で天城に膝枕をさせていた。
「――疲れた。駄目だ。理解できない。パーティーって何なんだ」
連日連夜のパーティーに参加した俺は、パーティーとはいったい何なのかを真剣に考えさせられた。
様々な趣向を凝らしたパーティーの数々。
見たこともない生き物を食べ、見たこともない出し物に困惑した。
一番驚いたのは仮面パーティーならぬバケツパーティーだ。
俺の想像を超えていた。
いや、もう本当にどうしたらあんな発想が生まれるのか分からない。
バケツに無限の可能性を感じさせられたよ。
膝枕が実に気持ちいい。
すると、天城がこんなことを言ってきた。
「旦那様もそろそろ成人する年齢ですね。お仕えして四十年以上になります」
「そうだな。長いような短いような――」
前世と比べるととても長い。
なのに、早い気もする。
「――旦那様、もう私を側に置かない方がいいでしょう」
「どうして?」
顔を上げると天城は淡々と説明してくる。
「帝国は人形に対して忌避感が強いですからね。旦那様の評判に傷がついてしまいます。側に置くなら人間の女性の方がよろしいかと」
急にこんなことを言われた俺は腹立たしかった。
「何の冗談だ?」
「冗談ではありません」
「え?」
思い出したのは前世の妻だった。
「それが旦那様のためになるのです」
あんなに好きとか言っておいて、簡単に俺を捨てた女を思い出した。
他の男と俺をあざ笑ったあの女を――殺してやりたいほどに憎んだ女を思い出した。
「――捨てるのか。お前まで俺を捨てるのかよ! どうせ俺の側にいるのが嫌になったんだろ! そうか、俺は人形にも捨てられるのか!」
立ち上がってまくし立てると、天城は首を横に振る。
「いいえ、旦那様と過ごしたこれまでの時間は、私にとっても素晴らしいものでした。だからこそ、離れなければなりません。それに、今の私には後継機が誕生しています。能力的にも今後は――」
それがどうした?
それを理由に俺から離れるのか?
「ふざけるな! お前は俺の命令に従っていれば良いんだ! そうだ、命令だ。ずっと側にいろ。人形のくせに逆らうな!」
俺の言葉に天城が俯く。
「――それが命令ならば従います」
「最初からそう言えばいいんだ。お前は――お前まで俺を捨てるなよ」
泣きつくと天城が頭を撫でてくる。
「仕方のない旦那様ですね」
思えば半世紀近くも一緒にいる。
前世の妻以上の存在になっていた。
「ずっと二人で一緒だったじゃないか」
「――ブライアン殿もずっと一緒でしたよ?」
いや――確かにそうだけど、ここでブライアンの名前を出すなよ。
ブライアンは別枠だろうが。
お爺ちゃんとか執事枠だよ。
よく考えると、ブライアンの方が付き合いは長かった。
天城が微笑んでいる。
「では、可能な限りお側で仕えさせていただきます」
「そうだ。それでいいんだよ」
――最初からそう言えばいいんだ。
なのに、なんで天城の笑顔が少し悲しそうに見えたのだろうか?
◇
バンフィールド家の領地。
新たに設立された病院は、設備も人材も揃った場所だった。
そんな病院で目を覚ましたティアは、ベッドの上で不思議な感覚だった。
「――ここは?」
いつもとは違って景色が見えていた。
自分の体の感覚もおかしい。
いや、懐かしい感覚だった。
手足の感覚が蘇り、まるで夢でも見ているようだ。
しばらくするとドアの開く音が聞こえてきて、一瞬警戒するが入ってきたのは白衣を着た男性医師だった。
――飼育係ではない。
「気が付きましたか?」
男性医師のティアを見る目は、不快感を示していなかった。
「あの、ここはどこですか? 私は――」
声がいつもと違って聞こえる。
失ったはずの自分の声が戻っているように感じた。
少々、自分の声に幼い印象を受ける。
男性医師の後ろにいた看護師が、ティアの姿を見られるようにする。
天井が鏡になり、自分の姿が見えた。
見たくないと目を背けようとしたが、そこに映し出されていたのは懐かしい自分の姿だった。年齢的には成人してから少し経った頃に見える。
亜麻色のサラサラした長い髪。
白い肌にピンク色の唇は瑞々しかった。
緑色の瞳――懐かしい自分の顔だ。
「え? あの――これは?」
混乱する頭で自分の姿を見ていると涙が出てきた。
うまく表情が動かない。
手足もうまく動かせなかった。
医師が安堵した表情を見せている。
「再生治療で肉体を一から作り直しましてね。随分と時間がかかってしまいました」
ティアは話を聞いて涙が出てきた。
「私の体――戻ったの?」
医師は少し困ったような顔をする。
「エリクサーを使いましたけどね。ただ、元通りにはなりましたが、以前のように動かすためには厳しいリハビリが必要です」
「エリクサー? そんな貴重なものを私に?」
「希釈して使いましたけどね。ただ、先程も言いましたが、リハビリはきついですよ。全身を作り直したようなものですからね」
これは夢ではないのか? そう思ったティアだが、夢でも良いと思った。
最期に、こんな夢を見られたのは幸せだと思った。
「やります。何だってして見せます! もう、本当に夢のよう」
ティアがそう言うと、医師も微笑む。
「夢ではありません。現実ですよ。えぇ、これが現実です」
だが、気になることがあった。
再生治療があるのはティアも知っていたが、簡単に受けられる治療法ではない。
一部を再生するのとは違い、ティアのように全身を――などというのは相応の設備や優秀な専門医が必要になってくる。
治療は出来るが、普通はそこまでしないと言った方が正しい。
何しろ、エリクサーを使用できるのは、実質的に貴族や大富豪くらいだからだ。
それだけエリクサーとは貴重だった。
「あの、いったい誰が私の治療費を負担してくれたのですか?」
医師はタブレット端末を操作しながら答える。
カルテに色々と書き込んでいるようだ。
「バンフィールド伯爵が治療費を負担してくれました。もっと正確に言うなら、この病院を建てて、スタッフもかき集めましてね」
治療設備が揃った所に放り込むのではなく、病院を用意してしまったという話がティアは信じられなかった。
医師がリアムの言葉を伝える。
「恩は返して貰う、と伯爵からの伝言です。今は治療に専念してください。心のケアも必要でしょうから」
恩は必ず返せよ――そう言った少年を思い出した。
「まさか、あの時の子が?」
「伝えましたよ」
医師がそう言うと、今後の予定について話をするのだった。
◇
首都星に向け出発してから、一年が過ぎた。
ようやく領地に戻ってこられた俺は、屋敷の執務室でブライアンから色々と報告を受けている。
ブライアンは笑顔だった。
「リアム様、病院の方から治療は順調だと報告がありました」
「ゴアズに捕まっていた連中か?」
「はい。治療が必要な者たちは、あと数年で治療が終わるそうです。治療の必要がない者たちも、領内で新しい生活を送っております」
故郷を失った者が多かったので、俺の領地に移住させた。
美男美女が多く、中には芸術家やら特殊な技術持ちも多い。
将来的に彼らの子供から美女が生まれれば、俺の酒池肉林の夢に一歩近付く。
「素晴らしいな」
「はい。大勢の者たちがリアム様に感謝しております」
将来のために先行投資のつもりだったが、良い結果が期待できそうだ。
それはそうと、俺は黄金の箱を手に持って眺めていた。
首都には持って行かなかった、ゴアズから奪った宝物だ。机の引き出しにしまい込んでいたので、取り出して眺めている。
ブライアンはそんな俺に呆れていたのだが、
「リアム様は黄金が大好きですね」
「超好き」
「おや? それにしても、その箱はどこかで見たような――」
ブライアンが手を叩く。
「思い出しましたぞ!」
「何だ? 凄いお宝か?」
「いえ、違うと思います」
「期待させるなよ。それで、何を思いだしたんだ?」
「このブライアン、昔は冒険者を目指しておりました」
冒険者とは、広大な宇宙を冒険する者たちだ。
時に遺跡を発見し、古代の文明を調べるなど浪漫あふれる集団である。
「ブライアンが冒険者か」
「はい。その際、データで見たことがあります。レプリカでしょうが、その箱はまさしく古代に滅んだ魔法大国の“錬金箱”です」
「錬金箱?」
「夢のような話になりますが、どんなゴミからでも黄金を作り出す道具と聞いております。生きている生物以外は、どんな物にも変換できると書かれていました。それこそ、その辺の石ころがミスリルやオリハルコン、アダマンタイトになるということです」
「黄金も手に入るのか!」
「え? あ、はい」
何て素晴らしい道具がこの世界にはあるのだろう。
「これが本物だったら良かったのに」
「夢のある話ですね。もしも手に入れば、当家の財政状況は一気に改善されますよ」
「本物でも探してみるか?」
「リアム様はバンフィールド家の当主。伯爵であらせられます。冒険者の真似事はお控えください」
ブライアンに怒られてしまった。
◇
夜。
自室で黄金の箱を眺めていた。
「これが本物だったらな」
ブライアンにデータを見せて貰ったが、使い方も書かれていた。
過去に滅んでしまった魔法大国が作り、既に製造技術が失われて二度と作り出せない貴重な道具――欲しい。
手に入れば借金などで困らない。
「え~と、蓋を開けて念じれば使える、と」
試しに蓋を開け、手に取った木刀に意識を向ける。
「なんてね」
どうせレプリカだと思っていたら、箱が反応して俺の周囲に画面が次々に投影された。
「は?」
古代文字で書かれた文章を読む。
教育カプセルで学んでいたので、何とか読むことが出来た。
「変換? えっと――これか?」
どの物質に変換するか選ぶと、木刀が黄金の粒子に包まれ色を変える。
手に取ると木刀の重さではない。
金属の――黄金の重さだった。
「嘘だろ! これ、本物だったのか!?」
思い出してみれば、ゴアズは海賊に似合わず金持ちで豊富にレアメタルを所持していた。
あいつの財力の源はこれだったのだ。
「案内人が言っていたな。お宝を持っているとか何とか。これのことだったのか」
俺は部屋の窓を開けて高笑いした。
「素晴らしいじゃないか! ここまでサービスしてくれるなんて、あいつは何て良い奴なんだ。もう、いくら感謝しても足りないな。これで俺は、思う存分――悪徳領主として振る舞える!」
心の底から「ありがとう」と言える。
今の俺は、あいつへの感謝の気持ちで――いっぱいだ!
「案内人、胡散臭い奴とか思ってごめん。お前のおかげで俺は幸せだ。もう、何を言えば良いのか分からないし、いくら感謝しても足りない。でも、言わせて欲しい――本当にありがとう!」
◇
一方――。
リアムから伝わってくる熱い感謝の気持ちで、案内人は胸を焼いた。
本当に熱い。
胸に熱で赤くなった鉄を押しつけられたような痛みに、絶叫していた。
「やめろぉぉぉぉぉ!!」
胸を両手で押さえ、あまりの苦しみに案内人はもがいていた。
足をばたつかせ、地面を転がり泣き叫んでいる。
旅行鞄を投げ捨て、感謝の気持ちで頭も割れそうに痛かった。
「奪われる――私の力が失われてしまう!」
僅かに残っていた力も、今は回復するどころか奪われてしまっていた。
そのため、なりふり構わずリアムを殺すことが出来ない。
しばらくして、蹲り胸を押さえると歯を食いしばる。
「許さない――絶対に許さないぞ、リアム。お前だけはどんな手を使っても地獄に叩き落とし、嘆き苦しむ様を永劫見続けてやる。終わらない地獄で私を憎み、恨み、恐怖し、呪うお前を笑ってやる」
ゆっくりと案内人が立ち上がる。
月に照らされた草原で、案内人はリアムへの復讐を誓うのだった。
「必ずだ! 必ずお前を私は――」
そんな案内人を、草原に隠れ窺っている犬がいた。