「ふるさとチョイス」の創始者、須永氏(時事通信フォト)
大蔵省の1980年同期入省組には、国民民主党の岸本周平や自民党の後藤茂之、元財務事務次官の佐藤慎一や元金融庁長官の森信親などがいるが、そんな中でも高橋の頭脳明晰ぶりは知られていた。
もっとも官僚時代の高橋は次官レースに乗るほどの出世は見込めず、むしろ不遇といえた。大蔵省では、理財局資金企画室長を経てプリンストン大学客員研究員となる。
分岐点となったのは、2001年の小泉純一郎内閣誕生だろう。経済財政政策担当大臣に抜擢された竹中の補佐官となり、これ以来、高橋は竹中との関係を深めていく。2006年の第一次安倍政権発足時に内閣参事官となり、官邸入りする。前述したように、このときふるさと納税を菅に進言している。
この頃の高橋は、千葉商科大大学院政策研究課程に通い、2008年3月に内閣参事官退任とともに霞が関を去る。ふるさと納税は高橋のアドバイスに従い、菅総務大臣が「ふるさと納税研究会」なる有識者会議を立ち上げたところから始まった。研究会は高橋の通った千葉商科大学学長の島田晴雄が座長に就き、10人の有識者で構成される。そこには福井県知事の西川も加わっていた。
もっとも初めは菅自身、ふるさと納税がこれほど大きな政策になるとは考えてもみなかったに違いない。ちなみに菅が総務省で研究会を立ち上げる1年前、2006年9月の自民党総裁選には、谷垣禎一が「ふるさと共同税」と命名して似たような政策を提唱し、ほとんど注目されないまま立ち消えになっていた。ふるさと納税はその二番煎じの政策でもあったわけである。
「菅さんが彼女にぞっこんで」
事実、当初はパッとしなかった。スタートした2008年度の寄付はわずか5万4000件、金額にして81億4000万円でしかない。そこから4年後の2012年度でも寄付は12万2000件、104億1000万円とまったく振るわなかった。
それがなぜここまで増えたのか。その立て役者が「トラストバンク」社長として(現会長)、ポータルサイト「ふるさとチョイス」を運営してきた須永珠代(47)にほかならない。菅が頼りにしてきた女性ベンチャー経営者であり、“ふるさと納税の女王”との異名をとる。