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kae.1972
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開示請求すると言ったら、誹謗中傷垢の一人に「白百合卒なら隣人を愛し許し右の頬を打たれたら左の頬を向けろ」と言われましたが。
隣人を愛するからこそ、叩かれても怯まずに、ならぬものはならぬと譲らないのです。
あの「右の頬を打たれたら〜」のくだりは、悪人にも蹂躙されろ、ではなく、右の頬を守るためには左の頬をも差し出して、痛みを恐れて怯んだり逃げたりするな、という解釈もあるし、私はそちらがイエス様の真意だと思ってます。
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kae.1972
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例えば、子供を愛するからこそ、子供に殴られたら、もっと殴れではなく、そういうことはしてはダメと言わなくてはだめでしょう。
隣人を愛せよ、も大切なみことばなので、それと並び立たせるには、好き放題させろではないと思うよ。
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tadanory
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あの聖句を用いて無抵抗主義を言い出したのはトルストイですよね。
私の知る限り、カトリックの正統的な解釈は、 「右の頬」=霊的な善きもの(特に信仰) 「左の頬」=肉的な善きもの で、「左の頬を向けろ」というのは ,「肉体を犠牲にしてでも信仰を守れ」という 意味だったはずです。アウグスティヌスだったと思います。
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