「ねえ、まだ怒ってるの?」
「……」
不貞腐れたような顔をしているしのぶに苦笑しながら話しかけるが、しのぶは何も答えない。
週末、しのぶは希世花のマンションへと再び泊まりに来ていた。
夜、二人そろってソファに座り、しのぶは希世花の髪を櫛で丁寧に梳いてくれていた。その手はとても優しいが、さっきから無言だ。どうやら、先日カナエやカナヲと出かける約束をしたことがまだ気に入らないらしい。
希世花は困ったような顔をしながら言葉を続けた。
「もう。いいじゃない、別に。先生とカナヲとは、少し出かけるだけよ」
「……なんだか、嬉しそうね……。そうよね……あなたはカナヲの事を可愛がってるし……姉さんのことも好きで好きで仕方ないって感じで、ベッタリだものね……昔も今も……」
「それ、しのぶにだけは言われたくない……自分だってシスコンじゃない……」
苦笑しながらそう言うと、しのぶは希世花の髪を手でまとめながら、口を開いた。
「そりゃね、あなたの気持ちは分かってるけど……、正直、私抜きで出かけてほしくないわ」
「いや、ちょっと遊ぶだけじゃない……大げさ――」
「じゃあ、あなた、私が蜜璃さんと二人でデートするわって言ったら、どう思う?」
「えっ……」
その言葉に、しのぶと甘露寺がキャッキャッウフフと二人で歩いているところを想像した。
「……」
思わず真顔になる。しのぶが希世花の顔を覗き込んできた。
「ね?それよ、それ。いい気分じゃないでしょう?」
「えー……でも、もう約束したし……」
「今からでも断りなさい」
「いや、無理よ……私が先生に逆らえないってしのぶも知ってるでしょ……」
「……」
ますますしのぶの顔が渋くなる。そのまま希世花に後ろから抱きついてきた。
「うわっ……、しのぶ?」
「……」
無言で強く抱き締めてくる。そんなしのぶに戸惑っていると、ようやくしのぶが口を開いた。
「……あなたの、一番は……私、よね?」
「……ん?」
「ずっと、そうよね?これからも、変わらないわよね?」
不安げで小さな声に、目を見開くと、希世花は微笑んだ。
「……しのぶ」
「……」
「しのぶ、可愛いね」
「はあ?」
しのぶが怒っているような声を出した。希世花は笑いながらしのぶの腕を解き、正面を向いた。
「分かった。じゃあ、こうしましょう。しのぶのわがままを、なんでも一つ聞いてあげる。それでどう?」
「……なんでも?」
「うん。なーんでも」
それで機嫌がなおるのなら、少しのわがままくらい、なんでも叶えてあげよう。
希世花がニッコリ微笑むと、しのぶの目の奥がキラリと光ったような気がした。
あれ……?私、なんか、またバカなこと言っちゃった……?
その目を見て、思わず顔が曇ったが、もう遅い。
「なんでも……なんでも、ね。……そう、なんでも……」
「……えっと、でも、私ができることなら、だからね?」
しのぶは希世花の言葉が耳に入らない様子で、また嬉しそうに何度も呟きながら笑った。
「なんでも、ね……それなら……」
「ねえ、本当に、無茶なわがままはやめてね……?」
「無茶なことなんて言わないわよ」
しのぶは少し考えた後、なぜかモジモジし始めた。希世花がその様子に首をかしげていると、ようやく口を開く。
「……写真」
「ん?」
「写真、撮りたいの。……一緒に」
「写真?」
しのぶの言葉にキョトンとする。
「え?そんな事でいいの?」
「そんな事、じゃないわ」
希世花の言葉にしのぶがムッとした表情をした。
「あなたの写真はいくつか持ってるけど……、二人で撮った写真はないんだもの……」
「いや、いくつか持ってるって……前も言ってたけど、それ、どんな写真?私、撮られた覚えない……」
「……」
しのぶが無言になって目をそらした。希世花はため息をつくと、スマホを手に持ち、しのぶの腕をグイッと引き寄せる。
「え?」
カシャッ
スマホを上にあげて、写真を撮った。
「はい。これでいいでしょ?あとでしのぶのスマホに送るわね」
「……ちょっ、今、変な顔してたから、ダメ!今のはなし!!」
しのぶが不満そうな声をあげた。
「もっと、ちゃんとした写真を撮りたいの!」
「え?なに、それ?……よく分かんないけど、じゃあ、これは削除して……」
「いや、それはそれで、あとで送ってほしい!」
「えぇ……?なに、それ……?」
希世花は呆れたような声を出す。
二人でワイワイ話しているうちに夜は更けていった。
***
刀を振るう。
思い切り飛び上がり、鬼の首を斬る。
容赦はしない。
戦え
戦え――――――
***
「うーん……」
目が覚めた。いや、半分以上は夢の中だ。眠い。目が開けられない。頭がもうろうとする。
ぼんやりと手を動かし、辺りを探る。
――――義足、義足……、あれ?義足はどこだっけ?
目当ての物がどうしても見つけられずに、ゴソゴソしていたその時、柔らかいものが手に触れた。
「……?」
なにこれ?柔らかくて、気持ちいい……。枕ってこんな感触だったっけ……?
「ちょっと、どこ触ってるの」
ペシっと手を叩かれた。
「……んー?」
不思議に思いながら、目を開く。目の前では、横たわったしのぶが少し怒ったような顔でこちらを見ていた。
「……あー」
ようやく、しっかりと意識が覚醒する。思い出した。今日は、学校が休みだ。昨日から、またしのぶが泊まりに来ていたのだった。
希世花は目を一度閉じてから、また開いてしのぶに向かって苦笑する。
「ごめん。おはよう、しのぶ……」
「おはよう。何かを探していたの?」
「……ごめん。ちょっと、夢と現実がゴチャゴチャになってた……」
「夢?」
「うん。……昔の、夢。記憶を取り戻してから、たまにあるの。起きたら、つい昔の癖で、一番に義足を探そうとしちゃって……もう、いらないのにね」
その言葉にしのぶも少しだけ笑った。そしてゆっくりと起き上がる。
「もう10時よ。朝ごはんの用意をするわね。希世花、今日の予定は?」
「……買い物」
「あら、何か欲しいものがあるの?」
「布団……」
「布団?」
「しのぶ用の、布団を買いに行きましょう」
「えっ」
しのぶが驚いたような顔をする。
「なんで?」
「なんでって、最近よく泊まりにくるし……、やっぱり、二人で寝るにはこのベッドじゃ狭いじゃない」
「私は構わないわ」
「いや、今日みたいに寝ぼけて迷惑かけるし……、いい機会だから買いに行きましょう」
しのぶが一瞬不満そうな顔をしたが、小さく息をついて口を開いた。
「……買わなくて、いいわ。うちに使っていない布団があるから。それを持ってくる……」
「運ぶの大変じゃない」
「なんとかするわ。それに、こっちに持ってきたい物もいくつかあるし……この機会に持ってくる」
「持ってきたい物?」
「日用品よ。着替えとか、あとはケア用品とか……」
考えながらそう言うしのぶに、希世花は笑い、そして
「もうここに住んじゃえば?」
と、冗談めかして言った。
しのぶはその言葉に目を見開き、希世花の方へ勢いよく近づいてきた。
「……いいの?」
「へっ?」
ポカンとする希世花をよそに、しのぶが嬉しそうな様子で口を開く。
「あなたからそう言ってくれるなんて……、嬉しいわ。今すぐは無理だけど、……そうね。そうよね。今は一緒だけど、大学はちがうし、その方がいいわよね」
「……えっ?いや、えっ?」
「姉さんを説得すれば……うん、大丈夫。大変だけど、頑張るわ。待っててね。卒業までには、なんとか説得するから」
「……えーと、しのぶ?」
「引っ越しはまだ無理だけど、そうと決まれば、いろいろと買いに行きましょう。お揃いの食器とか小物とか欲しいわね」
「……」
しのぶがどんどん一人で決めていく。
いや、冗談のつもりだったんだけど……とは言えず、希世花はいつまでもポカンとその様子を見つめていた。