とりあえず希世花の自宅であるマンションへ向かうことになり、二人は歩き出す。しのぶは前を歩く希世花をじっと見つめた。久しぶりに会った彼女の様子がなんだかおかしい。しのぶと目を合わせようとしないし、ずっとフードで顔を隠すようにして歩いている。それに、なぜかいつもと雰囲気がちがうような気がしてならない。
「八神さんのお部屋に行くのも久しぶりですね」
しのぶは少し早めに歩き、声をかけながら希世花に並ぶようにそばに寄る。顔を覗き込むと、しのぶの様子に気づいた希世花が、それを防ぐようにますますフードを深く被り、
「…………うん」
と、小さな声で返事をして下を向いた。しのぶが眉をひそめたところで、ちょうどマンションに到着した。
黙ったまま、マンションに足を踏み入れる。二人揃ってエレベーターに乗り、希世花の部屋へと向かった。
希世花が部屋の扉を開き、しのぶは部屋へと入る。
「お邪魔します」
何度か訪れた部屋なので、しのぶはまっすぐにリビングへ向かった。希世花は無言でキッチンへ入ると、お茶を用意した。
「………どうぞ」
「ありがとうございます」
希世花がお茶を差し出し、しのぶもお礼を言いながらそれを手に取る。希世花はしのぶと向かい合うように座った。
「………」
「………」
沈黙が落ちた。希世花はまだフードを被ったまま下を向いている。しのぶはお茶を少しだけ飲むと、口を開いた。
「……八神、さん」
「………」
「……なんで、学校を休んでたんですか?また体調が悪かったんですか?」
「………………寝てた」
「はあ?」
思わぬ返答にしのぶは唖然とした。
「ね、寝てた?」
「………その、……いろいろ、あって、……ずっと、寝てただけ。別に、体調は、……悪くないの」
希世花がソワソワと落ち着かない様子でそう言う。しのぶは首をかしげて、尋ねた。
「何があったんです?」
「………」
「言いたくないですか?」
「………」
「なんで、さっきから、こちらを見ないんですか?」
「………」
しのぶが何を聞いても、希世花は、どう答えればいいのか迷っている様子で、何も答えずにうつむいたままだった。それを見つめながらしのぶは質問を続けた。
「……そんなにも、………顔を見たくないほど、私のことが、嫌いになりましたか?」
「そんなわけないでしょう!」
即座に鋭い返事が返ってきた。希世花が弾かれたようにしのぶの方へ視線を向ける。その真っ直ぐな瞳と、視線が交わった。しのぶはホッと息をつくと、微かに微笑んだ。
「……やっと、こっちを、見てくれましたね」
そう言うと、希世花は気まずそうな顔をして再び視線を逸らそうとする。それを押し止めるように、しのぶは希世花に近づき、その顔を両手で包んだ。
「……八神さん」
「……」
必死に視線から逃げようとする希世花に、しのぶは言葉を続けた。
「………ごめんなさい」
突然のしのぶの謝罪に希世花は目を見開いた。
「…なんで、謝るの?」
「………」
しのぶは少しだけ複雑そうな顔をすると、再び口を開いた。
「……あなたを、傷つけてしまったから」
「……」
希世花は唇を一文字に結び、何も答えない。しのぶはだんだん不安になっていく気持ちを抑えながら言葉を続けた。
「傷つけるつもりは、なかったんです。……本当に。ごめんなさい……あなたの、気持ちを、私は考えていなかった……」
「……」
「あなたは、私の知ってるあなたではなくて、でも、間違いなく、あなたはあなたで、………、私は、ずっと、ずっと、待ってたんです……ただ、もう一度、会いたかった……」
「……」
「許されるなら、……今度は、ちゃんと、あなたと向き合いたい、です……」
小さな声でそう言うしのぶに、希世花はやはり何も答えなかった。ただ、じっと思い詰めた顔をしている。
そんな希世花の顔をじっと見つめながら、しのぶは言葉を続けた。
「……なんで、あの男と会ったんです?」
その問いかけに、希世花の肩がピクリと動いた。
「何度かあの男と会っていたんですね。なんで言ってくれなかったんですか?」
「………」
「一体何があったんです?何か吹き込まれましたか?さっきも、あいつとどこで何をしていたんです?」
その質問に顔をしかめた後、希世花はボソボソと声を出した。
「……何も、なかった」
「嘘ですよね。本当の事を言ってください」
「本当、よ。何もなかったの………」
震える声でそう答え、希世花はそっとしのぶの手に触れて、自分の顔からそれを離した。しのぶは顔を強張らせる。
「八神さん、あの男は―--」
「もう、終わったの」
希世花がそう言うと、しのぶは怪訝そうな表情をした。
「は?」
「大丈夫……あの男は、二度としのぶに近づかせないから。次に、姿を見せたら………今度は、私が全力で止める。どんな手を使ってでも……。だから、大丈夫。終わったのよ。」
「八神さん……?」
「あの男のことを、言わなかったのは……しのぶには関わってほしくなかったから。絶対に、触れさせない。今度こそ、護るから……だから、もう、……あの男のことは、忘れて。ね?」
「……」
希世花の言葉にしのぶが表情が固まった。そして、しのぶが口を開いて何かを言う前に、希世花は言葉を続けた。
「--ごめんなさい」
ゆっくりと頭を下げる。しのぶは驚いて声をかけた。
「なんで、あなたが謝るんです?」
「……勝手に、怒って、いじけて、子どもみたいに、あなたを無視してしまって。本当に、ごめんなさい」
「……」
しのぶは何も答えなかった。その顔を見るのが怖くて、下を向いたまま拳を強く握りしめ、また口を開く。
「……わ、私は、……悔しかったの。羨ましかった。しのぶに、こっちを見てほしかった。しのぶ、お願いだから、私を見て。余所見なんて、しないでよ。あなたが、こっちを見てくれないと、私、痛いの。痛くて痛くて、死んじゃいそうなのよ……」
我慢できずに涙がこぼれる。
「……ご、ごめんね。こんな、こと言って。また、あなたを、困らせて……最悪よね。気持ち悪いでしょう?でも、これは、私の、本当の、気持ち……」
隠さない。隠したくない。
嘘はもう、たくさんだ。
あなたに、二度と、嘘はつきたくない。
素直になろう。きっと、しのぶなら受け止めてくれる。
私が好きになった彼女は、そんな人だから。
「こんな、私のそばに、いつもいてくれて、ありがとう。手を握ってくれて、ありがとう。出会ってくれて、ありがとう……」
顔をあげる。しのぶの顔をまっすぐに、見る。
しのぶは、今は、希世花を見ている。
その瞳が、綺麗だと思った。
「しのぶのことが好きなの。世界で一番。」
震える声でそう言って、また下を向いた。
「ずっと、これからも、そばにいてほしい。私だけを見てほしい。他の人のものに、ならないで。……私の、名前も、呼んでほしいの。それだけで、きっと、私、幸せなの。幸せなのよ……」
「……私は、」
しのぶが小さな声で囁くように口を開き、希世花はそれを遮るように言葉を重ねた。
「……でも、でもね、しのぶ。……私は、こんなにも、……あなたを、困らせるくらい、こんなにも我が儘で、身勝手だけど、………もう一人の私は、ちがうの……」
「……八神さん?」
また、涙がこぼれた。もう止まらない。熱い雫が次々と目から流れ出す。今度は体を二つに折り、両手の中に顔を埋める。そして、泣きながら、ようやく言葉を紡いだ。
「………しのぶ、……しのぶ、しのぶ……し、のぶ」
何度も、その名前を呼ぶ。
「……ごめんね、あなたは、ずっと、待っててくれたのに。でも、でもね、私、本当は……本当はね、……記憶なんて、どうでもいいの。自分のことなんて、どうでもいいのよ……」
自分の感情がぐちゃぐちゃになりそう。
もう何が正しくて、何が間違っているのか分からない。
それでも。
それでも、私の願いは、昔も、今も、たったひとつ。
「……お願いだから、笑って」
何もいらない。他のことはどうでもいい。自分のことさえも、どうでもいい。
この願いのためならば、全てを失っても構わない。
「私のことなんて、気にしないで。ただ、笑っていて。心から、笑ってほしいの。今度こそ、幸せになって。それだけなのよ。……ずっと、ずっと、笑顔で、幸せでいてほしいの。お願いだから……」
我慢できずに嗚咽が漏れた。言葉の代わりにどんどん涙が流れる。止まらない。
「ご、ごめんね、……こんな、こと、言って……でも、もう二度と、誰にも邪魔させないから……だから、……っ」
何を言っているのか分からない。もう思考がぐちゃぐちゃだ。言葉はそれ以上出なかった。顔を伏せて泣きじゃくっていると、ようやくしのぶが口を開いた。
「……バカねぇ。本当に、昔から変わらない。本当に、バカ。この鈍感。」
しのぶがフードを下ろしたのが分かった。それでも顔を上げられず、泣き続ける。
「……あなたが、そばにいてくれないと、私、心から笑えないじゃない」
「………し、のぶ」
やっとのことで声を出したが、言葉は続けられなかった。その時、しのぶが再び口を開く。
「菫」
小さな声でそう呼ばれて、圓城菫はゆっくりと、涙で濡れた顔を上げた。正面からまっすぐにしのぶを見つめる。何かを言おうとしたが、でも何も言えず、口を開いたが、すぐに閉じる。
少しの沈黙がその場を支配した。
「菫」
また、しのぶが名前を呼んだ。その声に、思わず微笑む。
ああ、やっぱり、私、あなたに名前を呼ばれるのが好き。
この喜びは、忘れようがない。
何かを言わなければ、と思って口を開く。
でも、何も出てこない。何度も何度も、口を開いては、閉じて。
そして、やっぱり、出てきたのは、名前だけだった。
「しのぶ」
二人で見つめ合う。
先に動いたのはしのぶだった。そっと、圓城の手に触れる。その小さな手を、圓城は強く握った。しのぶが口を開く。
「ねえ」
「……うん」
「抱き締めても、いい?」
「ダメ」
圓城の返答に、しのぶがムッとしたような顔をする。その顔を見て、圓城はまた涙をこぼしながら笑った。
「今度は私が抱き締めるから」
次の瞬間、しのぶは体が引っ張られるのを感じた。気づいたら、圓城に強く抱き寄せられていた。さっきしのぶが抱き締めた時よりも強く、押し潰されそうなほど抱き締められている。
「………っ」
声が出なかった。心臓が激しく動悸している。時間が止まったようだった。隙間なく抱き締められ、腕の中で、涙がこぼれる。
最初に口を開いたのはしのぶだった。
「ーー菫、ーーーー菫」
何度も、名前を呼ぶ。
「………しのぶ」
圓城もそっと名前を呼ぶが、それ以上何も言えなかった。息をするのも苦しい。しのぶが声を絞り出す。
「…………っ、ずっとーー」
しのぶの体は震えていた。
「………ずっと、会いたかった!」
その言葉で、歓喜が、心を満たした。それは涙となり、またこぼれていく。
二人で抱き合いながら、涙を流す。視界がぼやけた。信じられないくらい目が熱い。泣きながらも、思わず笑いたくなった。
あの暗くて、残酷な世界から、何十年も経て、今ようやく心が届いた。
長い時が経った今でも、しのぶへの想いはずっと燃えている。その想いは混沌としていて、愛おしく、熱く、苦しく。
それでも、どこまでも深い幸せに満ちていた。
「………っ」
言葉が出なかった。二人で抱き合って泣き続けた。
どれくらい時間が経っただろう。しのぶがゆっくりと体を離す。圓城もしのぶから手を離すと、その手ですぐに顔を覆った。
「……菫、なんで顔を隠すの?」
「ーーごめん、ちょっと、今は見ないで」
またフードをかぶりたかったが、顔から手が離せなかった。
「私、……今、しのぶの顔を、見ると、いろいろ、あふれちゃいそうだから……」
必死に止めようとするのに、瞬きとともに、雫がまたこぼれた。その時、しのぶの声が耳に届いた。
「顔、見せて」
その言葉に体が震えた。
「ほら、手を取って」
しのぶの手が、圓城の手首を掴む。圓城はまるで聞き分けのない子どものように頭をイヤイヤと横に振った。
「……あなたの、涙を拭いたいの」
その言葉に、圓城の体が震えた。しのぶはその耳元に口を近づけて囁く。
「ねえ、涙を拭かせて。……あなたの、顔が見たい」
その声で、圓城は力が抜けた。そして、しのぶによってゆっくりと手首を開かれる。
そこには、昔、何度も見た懐かしい泣き顔があった。
「……ふふっ」
しのぶは思わず声を出して笑った。そっとその頬を撫でて涙を拭う。
「やっぱり、あなたは泣き虫ねぇ……」
「………しのぶ」
「うん」
「あのね、こんなこと、言ったら、また困るかも、しれないけど……」
「なあに?」
「……私は、全部私よ。圓城菫も八神希世花も、全部まとめて私自身なの。過去も現在も未来も、全てが私。私自身も今は少し混乱して、よく分からないけど、……でも、それでもね。この気持ちは共通してる。ずっと、変わらないわ」
そして、再びしのぶの手を取って、強く握る。
「前世とか、記憶とか、関係なしで、……一人の人間として、あなたがこの世で一番好きよ、胡蝶しのぶ」
その言葉にしのぶは何も答えなかった。
ただ、涙を一滴こぼして、微笑んだ。
「………いまだに、分からないんだけど」
「うん?」
ようやく涙が止まると、もう夜の遅い時間だった。結局その日しのぶはこのままマンションに泊まることにした。二人でひとつのベッドに入り、横たわる。手をまだお互いに強く握ったままだ。
「どうして、あなただけ、記憶が戻らなかったのかしら?他の人には記憶があったのに……」
「いや、戻ってたわよ」
「え?」
「ほら、一度しのぶのお家でお泊まり会をしたでしょう?あの日に、本当は記憶は戻ってたのよ」
「はあ!?」
しのぶが勢いよく起き上がった。
「どういうこと!?」
「……あの日、昔の夢を見たの。その……あなたが、いなくなった時の、夢……」
「……」
「その後くらいからかな……昔の自分の夢を何度も何度も見るようになって……でも、思い出せなかった。正直、今でも不思議な感覚よ。前世の自分と今の自分が混ざり合って……」
「……どうして」
「私の中の私が、それを拒否していたから」
ふと頭の中に、雛菊の着物を着た自分自身の姿が浮かび小さく笑った。しのぶが眉をひそめる。
「なによ、それ?」
「うーん、説明すると長くなるから……」
適当に誤魔化そうとするが、しのぶはそれを許さなかった。
「菫、説明して。どういう意味?」
「……ほらほら、もう寝ましょう。明日も学校なんだから」
「ちょっと、菫!そもそもね、なんであなただけ名前がちがうのよ!?」
「明日話すわ。それじゃ、おやすみ」
「菫!!」
しのぶが怒鳴るが、構わず目を閉じた。しのぶが何事か言うのを聞きながら、ゆっくりと眠りの世界へと落ちていった。
「……菫」
誰かに名前を呼ばれたような気がして、ゆっくりと目を開いた。目の前に、しのぶの寝顔があって、一瞬ギョッとするが、すぐに昨日の事を思い出す。
「……菫」
「しのぶ?」
また名前を呼ばれた。しかし、しのぶの瞳は閉じられたままだ。どうやら寝言らしい。
「……どんな夢をみてるのかしら」
微笑みながら、軽くしのぶの頭を撫でた。そのまましばらく寝顔を見つめた後、ゆっくりと起き上がる。そして、しのぶを起こさないように注意しながらそっとベッドから下りた。
時計をチラリと見ると、早朝だった。まだ学校へ行くには十分すぎるほど時間がある。
ゆっくりと台所へ向かい、冷蔵庫を開ける。ペットボトルを取り出し、中の水を飲んだ。
喉の乾きが治まると、すぐに寝室へと戻る。しのぶはまだ眠っていた。
ベッドに座ると、その寝顔をまた見つめて、微笑みながらまた頬を撫でた。
一瞬だけしのぶが眉をひそめたが、そのまま起きることなく眠り続ける。
ふと、ベランダの方に視線を向けた。ベッドから下りて、窓の方へと向かう。鍵を開けて窓を開く。
ベランダに出ると、ぼんやりとその景色を眺めた。
高いビルや家がごちゃごちゃと並んでいる。上を見上げると、そこには青い空ではなく、早朝の銀色のような白く輝く空が広がっていた。
不意に空へ向かって手を伸ばす。まるでその空を掴もうとするように、遠くへ遠くへと手を伸ばした。
綺麗。
とても、綺麗な空。
この世界の空は、なんて美しいんだろう。
いや、ちがう。
空はいつでも美しい。
この空の下で生きられるなんて、幸せ。
ゆっくりとベランダから身を乗り出すように手を伸ばしたその時だった。
「----希世花!!」
突然大きな声で名前を呼ばれた。驚いて振り向こうとした次の瞬間、後ろから抱きつかれる。
「……ダメ、--ダメ!!」
「しのぶ?」
いつの間にか目を覚ましていたらしいしのぶが強く抱き締めてきた。驚いて口を開く。
「しのぶ、どうしたの?」
「行っちゃダメ!!どこにも行かないで!!」
顔は見えないが、また泣いているのが分かった。前を向いて、正面からしのぶを抱き締める。
「……どうしたの?突然」
「……」
「なんだか、しのぶらしくないわ。ほら、泣き止んで」
「……夢を見たの。何度も見た夢。……あなたが、近くにいるのに、……そばに行こうとすると、……すぐに消えてしまうの」
「……」
「目が覚めたら、大丈夫だと思ったのに……ひどいわ。隣にいないなんて」
「……ごめんね」
「どこにも行かないで。そばにいて」
「うん」
「置いていかないで。私のことが好きなんでしょう」
「うん」
「だったら、もう、……二度と、私を忘れないで」
「うん。忘れない」
汚れるのも構わず、しのぶを包み込むように抱き締めたままゆっくりとその場に座り込む。ベランダの壁に背中を預けながら、しのぶを安心させるように抱き締める腕に力を込めた。
こんなにも不安にさせてしまった。きっと、今まで、知らないところで、何度も悲しませたのだろう。自分の責任だ。
「大丈夫。大丈夫よ、しのぶ」
「……」
「ごめんね。どこにも行かないわ」
「……」
「あなたは私の全てよ。昔も今も、……私の光なの」
しのぶの頭を優しく撫でながら、思わずクスクスと笑った。しのぶが胸の中で声を出す。
「……なんで、笑ってるのよ」
「いつも、私が泣いて、あなたの方が慰める側だったのに。今は反対ね」
「……誰のせいだと」
「うん。ごめんね。今度は、私が支えるから」
抱き締めながら、しのぶの耳に唇を寄せて、囁くように言葉を続けた
「私も、昔はそう思ってたな。しのぶはいつも、遠くにいて、……絶対に手の届かないところにいて、ずっと、それが悲しかった……」
「……」
どんなに嫌われても、否定されても、あなたの瞳に私が映らなくても。
この気持ちは、捨てられず、諦められなかった。
全てを捨てても、この心だけは、捨てられなかったの。
「……もう、離ればなれはおしまい。ずっと戦わせて、ごめんね。待っててくれて、ありがとう」
「……」
追いかけて、追いかけて。
今、ようやく、たどり着いた。
「もう、大丈夫よ。私ね、強くなったわ。今なら、あなたのそばで、あなたを護れる」
「……」
しのぶは返事をする代わりに、ぎゅっと抱き締めてきた。
その温もりを感じながら、また笑う。
「あーあ。私、生まれてくるところ、間違ったなぁ」
「…なにそれ」
「時々、思うの。私ね、どうせ生まれ変わるなら、しのぶと姉妹で生まれたかったな。カナエ様や、カナヲみたいに」
「……」
「そしたら、ずっと、ずっと、そばにいることができたのに、ね……私がいない間の、しのぶの時間、全部、知りたい」
「……私も、知りたい」
「うん?」
「あなたのこと、もっと、知りたい。前は、何も教えてくれなかったもの」
「……そうだったわね」
「教えて、あなたのこと」
「うん」
しのぶの体から手を離す。その顔を両手で包み、まっすぐに瞳を見つめた。
微笑みながら、自分の額をしのぶの額にくっつける。
「私の名前は八神希世花。そして、圓城菫。私達に共通しているのは、たったひとつ。胡蝶しのぶのことが大好きだってこと。」
「……」
「だけど、私が何であろうと、否定されようとも、蔑まれても、あなたが幸せで、笑顔でいてくれれば、それでいいの」
「……それは、もう知ってる」
「あは。そっか」
「もっと、知りたい。今日はもう学校休む」
「ええ?胡蝶先生に叱られるよ……」
「いい。今日はずっと、あなたと一緒にいる」
しのぶの拗ねたような声にそっと微笑んだ。
「そうだね。ずっと、一緒にいよう」