「八神先輩、……いらっしゃい……お待ちしていました!」
胡蝶家に到着すると、栗花落カナヲが笑顔で出迎えてくれた。
「お、お邪魔します……」
震える声でそう言いながらゆっくりと家に足を踏み入れる。家にいるのはカナヲだけのようだった。
「あれ、胡蝶先生は?」
「夕食の材料を買ってから帰るそうです。もうすぐ着くと思います」
希世花はソワソワしながら勧められるままに、ソファに腰を下ろした。カナヲが入れてくれた麦茶で喉を潤し、ホッと息をつく。少し落ち着いた気がした。
「今日は両親は仕事の関係でいないので、気を使わずゆっくりしてくださいね」
「……はい」
しのぶが微笑みながらそう言って、希世花はその笑顔から目をそらしながら、誤魔化すように再び麦茶を口にした。
「あ、今夜は私の部屋で寝ましょうね」
しのぶの突然の言葉に思わず麦茶を吹き出しかけた。
「………へあ?」
変な声が漏れる。
「もう布団も用意してます。長い夜になりそうですね」
しのぶが楽しそうにそう言って、希世花は息を呑んだ。これは間違いない。寝入ったところをグサッと殺るつもりだ。
「あ、あの、それは、ちょっと……」
「あら、嫌なんですか?」
「そ、そうだ!せっかくだからカナヲさんと一緒に寝たいな!」
「えっ」
慌ててそばに座っていたカナヲの腕にすがりつくように言うと、カナヲが大きく目を見開いた。
「ね?ね?考えてみれば、カナヲさんとはあんまりお話したことないものね!一緒に寝ましょう!」
「……先輩」
カナヲがパァッと嬉しそうに笑って頷こうとした瞬間、しのぶの静かな怒気に気づいた。即座に顔が強ばり、慌てて口を開く。
「し、しのぶ姉さんの部屋の方が広いから……」
「えっ、じゃ、じゃあ、カナヲさんと同じ布団でいいから!」
「ええっ!?」
「なっ……!同じ布団なんて、そんなのダメでしょう!!」
希世花の言葉に、カナヲが叫んで、しのぶが思わず怒鳴った途端、カナエが帰ってきた。
「ただいま~。あら、何やってるの?」
なぜか顔を赤くしているカナヲと、カナヲの腕にすがりついている涙目の希世花と、珍しく怒った様子のしのぶを見て、カナエはキョトンとした。
「先生、手伝います……」
「あら、ありがとう。じゃあ、そっちのお皿を運んでくれる?」
取りあえずどこで誰と寝るかの問題は先送りにし、料理を作り始めたカナエの手伝いをするために希世花は台所に立つ。しのぶとカナヲは何かをコソコソと話し込んでいた。台所ではすでにたくさんの料理が出来上がっている。それを運びながら、希世花は口を開いた。
「たくさん料理を作ったんですね。なんか、すみません……」
「昨日からいろいろ作りたくて、仕込んでいたのよ。八神さんの好きな鯖の煮込みも作ったの。楽しみにしててね」
「わあ、ありがとうございます………え?」
「ん?」
突然不思議そうな声を出した希世花に、カナエが視線を向ける。
「……私、鯖の煮込みが好きだって、先生に話したことありましたか?」
「うふふ、どうだったかしらね~」
楽しそうな笑顔ではぐらかされて、希世花は眉をひそめた。カナエはそれ以上何も答えず、希世花に皿を手渡した。
「さあ、ご飯にしましょう!」
「八神さん、これ、美味しいですよ」
「あ、ありがとう……」
希世花は勧められた料理を口にしながらも、しのぶの動きに十分に注意する。料理はカナエが作ったみたいだし、今のところしのぶが料理に薬を混ぜようとする動きはないようだ。それでも油断は禁物だ。しのぶをこっそりと観察しながら少しずつ料理を口にいれた。
「……美味しい、です。先生、お料理上手なんですね」
「ほんと?嬉しいわ。遠慮しないでたくさん食べてね」
幸いなことに、料理の味に異常はなかった。というか、絶品だった。久しぶりに他人の作った料理を食べることができて、こんな状況じゃなければ素直に楽しめたのに、と思いつつ箸を進める。食事の後は、カナヲと共に皿洗いを行った。
「八神さん、悪いわね。後片付けを任せちゃって」
「いえ、このくらいはさせてください。お世話になるので……」
カナエがニッコリ笑った。
「今、しのぶがお風呂を沸かしているから、すぐに入ってちょうだいね」
「はい」
「あ、そうだ。一緒に入る?」
「なんでそうなるんですか……。1人で入りますよ」
「あら残念」
カナエの軽口に苦笑いしながら、持参したパジャマを取り出す。そして案内された浴室へと向かった。
順番に風呂に入り、夜も更けてきたところで、カナヲがいそいそとお菓子やらジュースやらをテーブルに並べ始める。その楽しそうな姿にホッコリしながら話しかけた。
「それ、食べていいの?」
「はい、もちろんです。たくさん用意したので……」
カナヲが楽しそうに頷き、希世花の顔も自然と緩む。そのまま思わずカナヲの頭を撫でてしまった。
「……っ」
「あ、ごめんね、つい。………嫌だった?」
カナヲが目を見開き、固まったため、希世花は慌てて頭から手を離した。そんな希世花に向かってカナヲが焦ったように口を開く。
「ち、違います!びっくり、して、……昔と、……同じ……」
「ん?」
カナヲが奇妙な事を言ってきて首をかしげたところで、風呂から上がってきたしのぶが部屋に入ってきた。
「あ、準備できたみたいですね。姉さんがお風呂から上がったら始めましょうか」
「……始める?何を?」
希世花が不思議そうな顔で聞き返すと、しのぶが笑顔で答えた。
「楽しい楽しい映画鑑賞会ですよ」
「これ、……ホラー?」
「はい。みんなで見ようと思って準備したんです。面白いって評判の映画ですよ。あ、八神さん、こういうのは苦手ですか?」
「……ううん。グロいのはちょっと苦手だけど、こういうのは、多分、大丈夫、かな……。それに、これ観たことはないけど、原作を読んだことある……」
しのぶが用意していたのは海外のホラー映画のDVDだった。どうやらピエロが次々と人を襲う猟奇的なホラーらしい。
4人で並んでお菓子をつまみながら、そのホラー映画を鑑賞する。思った通り、残酷な描写はあるが、なかなか楽しめるものだった。
「映像凄いわね。……うん、面白い」
お菓子を食べながらそう言った時、突然何の前触れもなく大画面に恐ろしいピエロの顔がバン!と現れた。
「キャッ!」
油断していたところで、突然怖い顔が出てきたため、驚きのあまり、悲鳴をあげて反射的に左隣のカナエに抱きついた。
「あ、すみません、先生」
「あらあら、大丈夫よ。びっくりしたわね~」
「……」
右隣に座るしのぶの顔がほんの少し強ばったのは気のせいだろうか?もしかして、姉さんに気安く触るなって怒ってる?やだ、怖い。
映画よりも、しのぶを怖がってガタガタ震えているうちに、エンドロールに入った。
「……面白かった。用意してくれてありがとう、胡蝶さん」
「……いえ、楽しんでいただけたようで、何よりです」
恐る恐るお礼を言うと、しのぶが苦虫を噛み潰したような顔をしながら答えた。その様子に首をかしげていると、カナヲがおずおずと話しかけてきた。
「あの、カナエ姉さん、しのぶ姉さん、八神先輩、今度は、ゲームを、しませんか?いろいろ、用意したので……」
明日は学校も休みなので、夜更かししても大丈夫だ。希世花はカナヲの方を向いて笑顔で頷いた。
「……八神さん、眠いですか?」
「……ん……んん……眠くない」
カナヲが用意したゲームをしているうちに、目蓋が重くなってきた。コックリコックリと船をこぎ始める。
「あらあら、疲れちゃったのかしらね」
カナエの優しい声が聞こえる。
「ほら、布団はこっちですよ」
しのぶが希世花の腕を掴み、立ち上がらせた。抵抗できずにフラフラと誘導されるように歩かされる。
「……うー……眠くないの……」
「半分寝てるじゃないですか。ほらほら、ここに横になってください」
「んんー……眠くない……」
腕を引っ張られてどこかの部屋に入らされた。どこなのか認識する前に、ヒョイと軽く押され、体を倒される。布団が希世花の体を受け止める。その柔らかさにうっとりしながら、とうとう睡魔に敗北した。
「おやすみなさい」
最後に聞こえたのはしのぶの優しい囁きだった。
胡蝶しのぶは希世花の頬をそっと撫でた。すやすやと赤ん坊のように眠っている。前世ではほとんど見ることのなかった穏やかな寝顔だ。
「……まったく、こちらの気持ちも知らないで……」
小さな声で呟く。希世花が起きる気配はなかった。
「……早く、思い出せばいいのに」
こんなに近くにいるのに、前世よりも距離があるような気がする。カナエには躊躇いなく甘え、カナヲとも仲が良い。二人の前では屈託のない笑顔なのに、しのぶに対しては常に怯えている。
気に入らない。
いろいろと考えている内に腹が立ってきて、ツンツンと頬をつつく。ピクリと希世花の眉が動いた。
「………」
まあ、その原因が例の薬を何度も服用させようとしたから、ということは分かっている。彼女が転校してきたばかりの頃は怒りと悲しみで混乱していたため、自分も空回りしてしまったことは認めざるをえない。
ゆっくりとまた頬を撫でる。そしてまた小さく呟いた。
「………なんで忘れたのよ、バカ」
希世花はふと目を覚ました。
「……あれ?」
ここは、どこだっけ。
「……?」
右に顔を向けるとしのぶが眠っていてギョッとした。慌てて起き上がる。左右に布団が敷かれており、右の布団ではしのぶが、左を向くとカナヲが眠っていた。それを見て、ようやく胡蝶家に泊まっていることを思い出した。チラリと時計を見ると日付が変わったばかりだった。どうやらゲームしている途中で寝てしまったらしい。
「……」
ゆっくりと立ち上がり二人を起こさないように部屋から出た。先程までゲームをしていたリビングはまだ明かりがついている。
「あら、起きちゃったの?」
「先生」
リビングではカナエが後片付けをしていた。
「すみません……。いつの間にか寝ちゃって……。手伝います」
「いいのよ。私も楽しかったから」
一緒に後片付けをしながら静かに会話をする。
「しのぶもカナヲも楽しそうだったわ~。あなたが寝た後はどっちがあなたと寝るか喧嘩になっちゃって……。結局3人分の布団を並べたのよ」
「……そうですか」
何と返せばいいのか分からず曖昧に笑う。寝ている間、しのぶに何もされなかった事に取りあえず安心する。
「……八神さん」
「はい?」
突然カナエが頭を撫でてきた。
「ごめんなさいね。今日は私達の我が儘で遊びに来てもらっちゃって」
「いえ、楽しかったです。本当に。ちょっと胡蝶さんが怖いだけで……」
少し言いにくかったが本音を言うと、カナエが苦笑した。
「しのぶはね、あなたと仲良くしたいだけなのよ」
「……」
「あなたに変な薬を飲ませようとしたのも、ちょっといろいろ考え過ぎちゃっただけなの。だから、許してあげてね」
「……結局、胡蝶さんは私に何をしたいんですか?」
「うふふ。それは秘密。でも、しのぶがあなたの事を大好きなのは本当よ。だから、……嫌いにならないであげてね」
「……?嫌いじゃないですよ」
カナエの言葉に思わずキョトンとした。カナエが驚いたような顔をする。
「え、えーと、確かに、何を考えているかよく分からなくて、怖い、ですけど、……でも、えっと……胡蝶さん、優しいし親切だし、いい子ってことは分かってますから。……だから、……」
モゴモゴとそう言うと、カナエが突然抱きついてきた。
「わっ、……先生?」
「……少しだけ。少しの間だけ、こうさせてね」
希世花はカナエの突然の行動に頭が真っ白になる。しかし、なぜだかカナエが泣いているような気がして、そのまま黙って抱き締められた。
しばらくして、カナエがゆっくりと体を離した。フワリと微笑んで、再び希世花の頭を撫でる。
「……ごめんなさいね。あなたはやっぱり優しい子ね」
「優しくないですよ」
「優しい優しい。……うふふ」
「?なんで笑ってるんですか?」
「なんでもなーい」
楽しそうにクスクス笑うカナエに希世花は首をかしげた。
「さあ、そろそろ寝ましょう。もう遅いわ」
「はい。おやすみなさい、先生」
「おやすみなさい」
軽く頭を下げて、先程の布団が敷かれていた部屋へ向かう。しのぶとカナヲは安らかな顔で眠っていた。
「……」
しのぶの寝顔をじっと見つめる。
決して嫌いなわけではない。ただ、何がしたいのか分からないだけ。距離を異様に詰めてくるこのクラスメイトと、どう接すればいいのか分からないだけ、なのだ。たまに顔は笑顔なのに青筋を立てて怒っている時は怖いが、基本的には優しくて親切な子だということは知っている。
カナエの言っていることが正しいのならば、彼女は自分の命を狙っているのではなく、仲良くしたいだけらしい。ならば、なぜ、変な薬ばかり飲ませようとしたのだろう。
「……」
考えれば考えるほど分からなくなった。思考を放棄して、迷いつつも音を立てないように静かに真ん中の布団に入った。
どうか寝ている間にしのぶに刺されませんように、と願いながら目を閉じた。
***
『……×××!』
誰かが叫んでいる。
いや、誰か、じゃない。叫んでいるのは、“私”だ。
“私”は思い切り飛び上がって、腕を動かした。その手には、いつの間にか刀が握られていて戸惑う。
『………!』
また、誰かが叫んだ。
それに構わず目の前の景色をまっすぐに見つめる。
ああ、この光景、知っている
彼女が、食べられている
吸収、されている
やめて
こんなの、見たくない
ダメだ、そんなこと言うな
曲げるな、折れるな
だって、彼女と約束したんだ
仇を取るって
ああ、ダメ、やめて、殺さないで、
私の大好きな人
あれ、大好きな人?
それって、
一体、誰の事を言ってるの?
***
「……さん!八神さん!」
気がついたら、誰かに名前を呼ばれていた。ハッと目を開ける。目の前にしのぶの顔があった。
「八神さん?起きましたか?ずいぶんとうなされていましたよ……」
希世花は起き上がった。その顔色は真っ青で、全力疾走したかのように息を切らしている。体が震えて、瞳から涙が溢れてきた。
怖い夢だった。なんて、恐ろしいーーーーー、
あれ?何の夢をみてたんだっけ?
思い出せない。ただ、ひたすら恐ろしい夢だったという事は確かに覚えている。
「八神さん?大……」
大丈夫ですか?と続けようとしたしのぶに、希世花は思い切り抱きついた。
「八神さん?」
泣きじゃくりながら、しのぶを強く抱き締める。不思議なことに、しのぶがここにいることに大きな安堵を感じていた。
「どうしました?怖い夢でも見ましたか?」
「………う、……うぅ、……」
嗚咽が漏れる。涙が次々と流れて止まらない。なんでこんなに泣いてるんだろう。自分で自分が分からない。怖かった。怖くて怖くて、死にそうだった。
よかった、ただの夢で。現実じゃなくて、本当によかった。
何も言わずに泣き続ける希世花を見て、しのぶが口を開いた。
「相変わらず泣き虫ですねぇ。今日は特別ですよ」
しのぶも強く抱き締め返してくれた。それが嬉しくて、抱き締める腕に力がこもる。
泣いている希世花と、優しく微笑んでいるしのぶが抱き合っている姿を、隣の布団でカナヲが戸惑いながら見つめていた。
※栗花落 カナヲ
睡柱に前世の記憶がないことと名前が変わっていることに驚いたが、すぐに受け入れた心の広い胡蝶家の末っ子。主人公が同じ部活に入った事に素直に喜び、先輩として慕っている。いろいろと勘違いされているらしいしのぶ姉さんに関しては、何かと思うことはあるが、二人がまた仲良しになればいいなあ、と思っている。