「八神先輩、昼休み、何があったんですか?」
放課後、華道部の部室にてアオイにそう聞かれて、希世花は顔をしかめた。花を手に取り、無言で茎をチョキンと切る。
「……」
「昼休みの変な悲鳴、八神先輩ですよね?」
その言葉に目を泳がせながら希世花は口を開いた。
「……私は、今度こそ本当に殺されるかもしれない……」
「またしのぶ先輩と何かあったんですか?」
「………ア゛ーーっ!」
鋏を手放し顔を両手で覆った。
「あらあら、どうしたの、八神さん」
「胡蝶先生……」
困ったような表情で顧問のカナエが近づいてきた。
「もう、もう……ムリなんです。本当に怖い……。胡蝶先生、なんとかしてください……」
畳に突っ伏してぐったりしている希世花が唸るようにそう言う。その頭をカナエが優しく撫でた。
「あらあら、ずいぶんお疲れねぇ。しのぶのこと?大丈夫よ、八神さん。別に取って食われるわけじゃないんだから……」
「うぅぅ、……なんでこんなことに……」
「はいはい、元気だして。ほら、飴をあげるから」
カナエが頭を撫でながらポケットから飴を取り出す。それを受け取りつつも、カナエにすがるように呻く。そんな希世花の頭をカナエが微笑みながら撫で続けた。
その時ちょうど運動部の助っ人に行っており、部活に遅れた栗花落カナヲが部室に入ってきた。自分の姉にすがりつくようにしている希世花と、頭を撫でている姉の光景に目をパチクリさせる。
「あ、いらっしゃい、カナヲ」
「……アオイ、なにがあったの?」
「いつも通り、カナエ先生のよしよしタイムの真っ只中よ」
「しのぶ姉さん、今度は何したの?」
「さあ……?」
アオイとカナヲが話しているのが聞こえ、涙目になりながら顔を上げた。そんな希世花にカナエが微笑む。
「しのぶから聞いたわよ。うちでお泊まり会するんですってね。いつにする?」
その言葉に希世花の顔が引きつった。
***
昼休み、盛大な悲鳴の後、しのぶの体から手を離し、希世花は飛び跳ねるように後ろへ下がる。そしてそのまま土下座した。
「も、申し訳、ありません……っ!」
ヤバい。もうヤバい。本当にヤバい。今度こそコロサレル。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。混乱のあまり、言葉がうまくまとまらない。
「そんなに気にしないでください。寝ぼけていたみたいですし、ね。よく寝ていましたね」
恐る恐る顔を上げるとしのぶが微笑んでいた。一見怒っているようには見えない。それどころか楽しそうに笑っている。そんな彼女が恐ろしくて仕方ない。まずい。本当に命が危ない。ゾワリと鳥肌が立ち、思わず口走ってしまった。
「あの、あの、……許してください……何でも、するから……」
「あら、何でも?」
しまった。
希世花の顔が凍りつく。しのぶがグイっと顔を近づけてきた。
「ひぃっ……」
「そうですねぇ。それじゃあ、お泊まり会をしませんか?」
「お、お泊まり……?」
「ぜひうちに遊びに来てください。あなたとは、もっとじっくりお話をしたかったことですし、姉や妹も喜びます」
その言葉に顔が真っ青になった。慌てて口を開く。
「い、いや、胡蝶さんのお家にお邪魔するのはちょっと……」
「あら、何でもすると言いましたよね?」
「そ、そうね……」
「あ、私があなたのお家にお泊まりというのもいいですね。そっちにします?そっちの方が私としても……」
「ぜひ胡蝶さんのお家に遊びに行かせていただきますっ!!」
自分の家でしのぶと二人きりになるなんて、考えただけでクラクラした。
しのぶが嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、楽しみにしときますね」
「………」
希世花は何も答えられずその場で気絶しそうになった。
***
「え、八神先輩、うちに来るんですか?お泊まり?」
カナヲの顔がパッと輝く。反対に希世花の顔はげっそりとしていた。
「楽しみねぇ。先生、腕によりをかけてご飯を作るわ。何が食べたい?」
「お菓子も買いましょう。あとはゲームとか……」
「あら、いいわね!」
カナエとカナヲが楽しそうに話している横で、希世花は今度はアオイにすがりついた。
「アオイさん……、助けて」
「無理です。腹括ってください」
「……もう、もう海外へ逃亡するしか……」
「しのぶ先輩なら地球の裏側まで追いかけてくると思いますけど」
「私の息の根を止めるために……?なんでそこまで恨まれているの……?」
「いや、だから……」
あなたの命を狙っているのではなくて、普通に仲良くしたいんですよ、とアオイは呟いたが、崩れ落ちるように座り込み涙目になっている希世花の耳には届いていなかった。そんな希世花に構わず、カナエとカナヲの姉妹は楽しそうにお泊まり会の計画を立てていた、
***
「助けてください。助けてください。本当に助けてください」
「諦めろォ」
とうとうお泊まり会当日が来てしまった。放課後、数字をプリントに書きこみながら何度も呟く希世花に、不死川は可哀想なものを見る目で言い放った。
「そんな殺生な……」
「どうでもいいから早くプリントを終わらせろ」
「うぅ……、これが終わったら連行されるんですよ……」
今日は学校が終わったらそのまま胡蝶家に向かうことになっている。しかし、今日も今日とて授業中に居眠りをした希世花は再び不死川の補習を受けていた。プリントに数字を埋めながら、呻き続ける。先ほど、しのぶから、
「あら、今日も補習なんですか?仕方ないですね。早く終わらせてくださいね。補習が終わったら一緒にうちへ行きましょう。待ってますから」
と言われた。今の心理状態としては、死刑執行を待つ囚人に近い。
「どうしましょう……、明日の太陽は拝めないかもしれません……」
「大げさだ。胡蝶妹は別にお前を襲いやしねェよ」
「不死川先生、後生ですから本当に助けてください。このままこっそり逃がしてくださるだけでいいので……」
「断る」
「なぜ!?」
「そんなことしたら俺が胡蝶姉妹に睨まれる。俺もまだ命が惜しいんでな」
「……うぅぅ……この世に神はいない……」
不死川は答えの書かれたプリントに丸をつけながら、打ちのめされている教え子をチラリと見た。
「そんなに嫌なら適当に理由つけて断ればいいだろォ」
「……無理です。何度もそうしようとしたんですけど、のらりくらりとかわされて、最後には胡蝶先生に『あら、お泊まりは中止なの?悲しいわ…』なんて言われて……」
「断れなかったんだな。まあ、覚悟を決めておけ。骨は拾ってやるよ」
「………あ、夕焼けが綺麗」
「現実逃避をするな」
不死川は、遠い目で外に視線を向けた希世花の頭を教科書で軽く叩いた。
「あ、そうだ!不死川先生も来てください!一緒にお泊まり会しましょう!」
「なんでそうなる!?お前、混乱しすぎだろ!!」
「楽しいですよ、きっと!だから、お願い!見捨てないでぇ!」
「いや、だから……」
希世花が不死川にすがりつくように泣きついた時、後ろから声がした。
「……ずいぶん仲良しですねぇ」
「ひぃっ……」
いつの間にか胡蝶しのぶが後ろに立っていた。ニッコリ微笑んでいるが、その目は全然笑っていない。
「あ、あの、あの、胡蝶さん……」
「……胡蝶、なんでてめェがここにいる?」
「八神さんが待ちきれなくて、ついついここまで来ちゃいました。私ったら、うっかりです」
しのぶが不穏な笑みを浮かべたまま不死川を見据えた。
「ダメですよぉ、不死川先生。この子と前から仲良しなのは知っていますが、あんまり近づきすぎるのはいけません」
「……ケッ。別に邪魔するつもりはねェよ。ほら、八神、プリント、満点だ」
「あら、よかったですね、八神さん。先生、これで補習は終わりですよね?」
「おう」
「それじゃあ、うちに行きましょうか。もう、待ちくたびれちゃいましたよ」
しのぶがガッシリと希世花の腕を掴んだ。まるで逃がさないとでも言うように。
「し、不死川先生……、助け……」
「ほらもう、先生も困ってますよ、八神さん。さあ、行きましょう」
そのまま希世花はしのぶにズルズルと引きずられていった。
引きずられて行く途中で、教室に残された不死川が無言で合掌したのが見えて、希世花はまた泣きそうになった。
不死川は合掌しながら見送った後、前世と同じくややこしい関係になっている教え子達のこれからを思い、大きなため息をついた。
※不死川 実弥
久しぶりに会った睡柱に前世の記憶がなく、名前も違うことに混乱した関係者の一人。成績はいいくせに、授業中頻繁に居眠りをする主人公に頭を抱えている。こいつ、前世より今世の方がよっぽど睡柱って感じじゃね?と思っている。補習のためにしょっちゅう主人公を居残りさせるが、最近しのぶに睨まれ始めて、めんどくさい。