Hickey超訳・古事記20



Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️



Hickey超訳・古事記

《中つ巻》

もくじ⬇️



【伊久米伊理毘古伊佐知命】

(イクメイリビコイサチノミコト)

《垂仁天皇》




〜后妃と御子〜


伊久米伊理毘古伊佐知命

(イクメイリビコイサチノミコト)

師木に玉垣宮(たまがきのみや)をおいたんだわ‼️


これは今の奈良県桜井市纒向の辺りな☝️😊

ん❓って事は纏向遺跡は『卑弥呼の宮殿』じゃなく

垂仁天皇の宮の跡の可能性あるのか❓🤔

でも時代が合わないよなぁ🤔

纏向遺跡の主は誰だったんだ〜😫 気になる😫


二人の皇后と五人の妃を娶り十三人の皇子と

三人の皇女をもうけたんだがね☝️😊


この段は垂仁天皇の系譜が書かれとる例のアレ❗️

アレだよアレ❗️いわゆるひとつの帝紀パターン😅


【御名】


伊久米伊理毘古伊佐知命

(イクメイリビコイサチノミコト)


【父・母】


《父》崇神天皇

《母》御真津比売命(ミマキヒメノミコト)

前に出てきたオオビコの娘さんだがね☝️😊


【兄妹】


Hickey超訳・古事記 ・18

崇神天皇の御子を参照してちょ⬇️



【后妃】


 佐波遅比売命(サハジヒメノミコト

またの名を

沙本毘売命(サホビメノミコト)

この人は

沙本毘古王(サホビコノミコ)の妹さんだがね☝️😊


氷羽州比売命(ヒバスヒメノミコト)

この人は

旦波比古多多須美知宇斯王の娘さんだわ☝️😊

(タニハヒノヒコタタスミチノウシノミコ)


沼羽田之入毘売命(ヌバタノイリビメノミコト)

この人は上の氷羽州比売命の妹だがね☝️😅


阿耶美能伊理毘売命

(アザミノイリビメノミコト)

この人は上の

氷羽州比売命や沼羽田之入毘売命の妹だて☝️😊


迦具夜比売命(カグヤヒメノミコト)

大筒木垂根王(オオツツキタリネノミコト)とこの娘さん😊


刈羽田刀弁(カリハタトベ)

弟刈羽田刀弁(オトカリハタトベ

この二人は山代の大国之淵の娘さんだがね☝️😊

(オオクニノフチ)      



【皇子女】


《サハジヒメノミコトとの御子》

品牟都和気命

(ホムツワケノミコト・本牟智和気命)


《ヒバスヒメノミコトとの御子》

印色入日子命(イニシキイリヒコノミコト)

大帯日子淤斯呂和気命

(オオタラシヒコノミコト)

このオオタラシヒコノミコトは

後の景行天皇(けいこうてんのう)な☝️😊

大中津日子命(オオナカツヒコノミコト)

倭比売命(ヤマトヒメノミコト)

若木入日子命(ワカキイリヒコノミコト


《ヌバタノイリビメとの御子》

沼帯別命(ヌタラシワケノミコト)

伊賀帯日子命(イガタラシヒコノミコト)


《アザミノイリビメとの御子》

伊許婆夜和気命(イコバヤワケノミコト)

阿耶美都比売命(アザミツヒメノミコト)


《カグヤヒメノミコトとの御子》

袁那弁王(オザベノミコ)


《カリハタトベとの御子》

落別王(オチワケミコ)

五十日帯日子王(イカタラシヒコノミコ)

伊登志別王(イトシワケノミコ)


《オトカリハタトベとの御子》

石衝別王 (イワツクワケノミコ)

石衝毘売命(イワツクビメノミコト)

またの名を

布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメノミコト)


【宮の所在地】

師木の玉垣宮(しきのたまかきのみや)



【崩御の年齢】

百五十三歳⁉️😳

マジか⁉️😳

【御陵】

菅原の御立野(みたちの)の中

今の奈良県奈良市尼辻西町辺りだわ☝️😊





【その他の記述】


御子達の中で

大帯日子淤斯呂和気命

(オオタラシヒコノミコト)

第十二代天皇・景行天皇になるんだがね☝️😊

御身(みみ)の丈は一丈二寸

身長が約190㎝だとさ⁉️😳

御脛(みすね)の長さは四尺一寸…

えっ⁉️😳脛だけで約74㎝⁉️😳脚長ぁ⁉️😳


次に

印色入日子命(イニシキイリヒコノミコト)

血沼池(ちぬいけ)を作り

また狭山池(さやまのいけ)を作り

また日下(くさか)

高津池(たかつのいけ)を作ったんだわ⁉️

池作りマニアか❓😅💦土木マニア皇子か⁉️😳

また鳥取の河上宮(ととりのかわかみのみや)

太刀1000本作らせてソレを

石上神宮(いそのかみのかみのみや)に納め

その宮で河上部(かわかみべ)を定めたんだわ☝️😊


次に

大中津日子命(オオナカツヒコノミコト)

山辺之別(やまのへのわけ)

三枝之別(さきさくのわけ)

稲木之別(いなきのわけ)

阿太之別(あだのわけ)

尾張国の三野別(みののわけ)

吉備の石无別(いわなしのわけ)

許呂母之別(ころものわけ)

高巣鹿之別(たかすかのわけ)

飛鳥君(あすかのきみ)

牟礼之別(むれのわけ)らの祖なんだわ☝️😊


次に

倭比売命(ヤマトヒメノミコト)

伊勢大神宮(いせのおおかみのみや)

拝み祀ったんだて🙏

伊勢斎宮さんって事だな🤔


次に

伊許婆夜和気王(イコバヤワケノミコト)

沙本(さほ)の

穴太部之別(あなほべのわけ)の祖❓☝️😊

この沙本って言葉は覚えておいて😊

ちなみに沙本は地名☝️😊

この後の章ですぐ出てくるでよ☝️😊


次に

阿耶美都比売命(アザミツヒメノミコト)

稲瀬毘古王(イナセビコノミコ)に嫁いだんだわ😊


次に

落別王(オチワケノミコ)

小月之山君(おつきのやまのきみ)

三河之衣君(みかわのころものきみ)の祖だて☝️😊


次に

五十日帯日子王(イカタラシヒコノミコ)

春日山君(かすがのやまのきみ)

高志池君(こしのいけのきみ)

春日部君(かすがべのきみ)の祖だがね☝️😊


次に

伊登志和気王(イトシワケノミコ)

子がおらせんかったため子代(こしろ)として

伊登志部(いとしべ)を定めたんだわ☝️😊

子代は名を後世に伝えるために置かれた部民の事😊


次に

石衝別王(イワツナキワケノミコ)

羽咋君(はくいのきみ)

三尾君(みおのきみ)の祖だて☝️😊


次に

石衝毘売命(イワツクビメノミコト)

(イワツクビメノミコト)

倭建命(ヤマトタケルノミコト)の后になるんだわ😳






~沙本毘古と沙本毘売~

(サホビコとサホビメ)



垂仁天皇第九代天皇・開化天皇の孫にあたる

沙本毘売命(サホビメノミコト)

后にした時の話…

サホビメノミコトの兄である

沙本毘古王(サホビコノミコト)

妹のサホビメノミコト

『おみゃさんは夫と兄である俺と

どちらが愛しいと思っとんだて❓🤔』

そう聞いたんだわな😳

何だよコイツ…やぶからスティックに😒

妹のサホビメノミコト

『そんなのアンタに決まっとるがね!』

そう答えたんだわ⁉️😳

えっ⁉️ マジ⁉️😨💦 禁断の恋❓😳 マジ😨💦

それを聞いたサホビコノミコト

(はかりごと)をし妹のサホビメノミコト

『おみゃさんが本当に俺を

愛おしく思っとるなら

二人で天下を治めまい!』

そう言って

何度も繰り返し鍛えた鋭利で紐の付いた小刀を

妹のサボヒメノミコトに手渡して

『この小刀でよスメラミコト(天皇)

寝とるとこを刺してきやあせ!』

そう命じるたんだわ⁉️😳💦




この謀を知らない垂仁天皇

サホビメノミコトの膝を枕にしウトウトし

休んでいたんだて‼️

サホビメノミコトは小刀で

垂仁天皇の首を刺そうとして三度も小刀を

振り上げたんだが哀しいと気持ちを抑えきれせんで

どうしても刺すことがでけかったんだわ‥

やがて涙があふれてきてまって‥😭

その涙が天皇の頬を濡らしたんだて‼️

垂仁天皇は驚き目を覚ましてまって

サホビメノミコト

『朕は不思議な夢をみってまった‥

沙本の方から大雨が近づいきてよ〜

急に朕の顔を濡らしたんだわ〜!

ほんで錦色の小さなスネークが

クルクル首に巻きついてきたんだわ🐍

この夢は何の兆しなんだろうか?🤔』

そう言ったんだわ‼️

それを聞いてサホビメノミコト

もう隠すことでけせんがやと観念して

崇神天皇に全てをカミングアウトしたんだわ‼️

『兄のサボビコノミコトが私に

《夫と兄どちらが愛しいんだて?》

そう聞いてきたんだがね😭

面と向かって言われてまったもんだで

私は気後れしてまってついつい

《お兄さまを愛おしく思っとる》と‥

すると兄は私に

《俺を愛おしく思っとるなら

二人で一緒に天下を治めまい!》

そう言ってこの小刀を私に手渡したんだわ!

ほんだで私はこの紐の付いた小刀で

おみゃさんの首を刺したろうとして

三度この小刀を振り上げたんだわ‥

でも‥どら悲しい気持ちになってまって‥

小刀を振りおろすことできなんだ😭

その時に涙が溢れ出てきってまって

おみゃさんの顔に溢れ落ちてまった‥

ほんだもんだできっと

おみゃさんが見た夢はこれのお告げなんだて!』

どら長い説明を聞いとった垂仁天皇

『朕は危うく騙されるとこだったがや😳』

そう言ってダークサイドに堕ちてまった

サホビコノミコトを討伐するための

軍勢を集めたんだわ‼️





この時…サホビコノミコト

稲城(いなぎ)を作り迎え撃つ準備をしとったんだわ😳

この朝敵め💢朝日新聞やNHK並みの朝敵め😒💢

おみゃあのような奴は天誅下したらなかん😒💢

そんな中…

妹のサホビメノミコトは兄を可哀想に思い

垂仁天皇宮の裏門から逃げ出して

サホビコノミコトの立て籠もっとる

稲城に行ってまうんたわ⁉️😳

この時サホビメノミコトは腹に

子を身ごもっとったんだわ⁉️😳

垂仁天皇サホビメノミコト

身ごもっとった事や三年の間

サホビメノミコトを愛でてきた事などを

忍びなく思ってまって稲城に周りを囲んだのに

すぐに攻めなんだんだわ‥‥

しのごのしとるうちにサホビメノミコト

身ごもっとった御子が生まれてまったもんだで

サホビメノミコトは御子を稲城の外に置き

『もしこの御子をスメラミコトの御子と

思うんなら引き取りに来てちょうだゃあ!』

そう言うんだわ😳

崇神天皇

『おみゃさんの兄は憎んどるけどよ〜

おみゃさんを愛する心は変わらせんがや!』

そう言って何とかサホビメノミコト

取り戻したゃあ気持ちでいっぱいだったんだわ‼️

垂仁天皇兵の中から力が強く機敏な者達を選び

『御子を引き取る時に

母親も奪ってきやあせ!

髪でも手でもええで

掴んで引っ張り出さなかんぞ!』

そう命じたんだわ‼️

要するサホビメノミコト奪還特殊部隊だな🤔

サホビメノミコト垂仁天皇

考え分かっとたもんだで髪を剃り…

剃った髪で頭を覆い…玉の緒を腐らせそれを

三重に手に巻き酒で衣服を腐らせそれを身にまとい

御子を抱いて稲城の外に出たんだわ⁉️

そこへ兵士が来て御子を引き取り‥‥

サホビメノミコトを捕まえようとした…が…

しかし…髪を掴めば髪はずり落ち…😨

手を取れば玉の緒が切れ…😳

服をつかめばたちまちその服は破れ…😱

兵士達は御子を連れ戻せたが結局のところ

サホビメノミコトを連れ帰ることは

出来なんだんだわ😰💦

兵士達は垂仁天皇の陣に戻り

『髪は自ら落ちてまうし‥衣服は簡単に破れ

手をとれば巻いた玉の緒がちぎれ‥

御子は奪還できたけど

母親を奪還する事はできなんだ🙏』

そう報告したんだわ‼️

垂仁天皇はソレを悔い恨み😒

玉を作った人達も恨み😒

その人者達の土地を全て取り上げてまったんだわ😳

ほんだで諺で

「地得ぬ(土地を持たない)玉作り」

(ところをえぬたまつくり)

そう言うんだわ‼️

垂仁天皇サホビメノミコト

『子の名は母が名づけもんだがね!

この御子の名前は何にすればええんだて?』

そう問うとサホビメノミコト

『稲城を焼くときになって

火の中で生まれた子だで

本牟智和気命(ホムチワケノミコト)

そう名付ける事にしよみゃあ!』

そう言ったんだわ‼️

「ほ」には「火」の意味があるでな🤔

続けて垂仁天皇

『どうやって育てたらええんだて?』

そう問うとサホビメノミコト

『子に乳を与える乳母!

子に湯を浴びせる大湯坐(おおゆえ)

                     若湯坐を定めて育てちょうだゃあ!』 

そう答えたんだわ‼️

湯坐は赤ちゃんの入浴係❗️大が正で若は副ね☝️😊

さらに垂仁天皇

『おみゃあが結び固めた瑞(みず)の

小佩(おひも)は誰が解くんだ?』

そう問うとこれにサホビメノミコト

『旦波比古多多須美知宇斯王の娘の

(タニハノヒコタタスミチノウシノミコ)

  兄比売(エヒメ)弟比売(オトヒメ)

二人の女王(ひめみこ)

清き心の人たちだで

 彼女たちを使うべきだがね!』

そう言ったんだわ‼️

そしてついに垂仁天皇は総攻撃を決意‼️

サホビコノミコト

サホビメノミコト

自害してまうんだわ‥‥‥




まだまだ垂仁天皇の章は続くけど

今宵はココまで👋😊

つづきは次回

 Hickey超訳・古事記21で😊👍



みんなで古事記を楽しもう✊😊🇯🇵