徐福王国相模・真のイスラエル人は私たち!? | ちろらねのブログ

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Hello there. 

 

 

やあ、どうも。

 

「知識は、真実に向かって進むための

 

唯一の道である。」

 

「知らないことを知ることができないのは、

 

知っていると思っているからである。」

 

プラトンの名言

 

 

ラファエロ画

 

BGM

 

HIMARI 前代未聞!コンクールで審査員がアンコールを要求した8歳の日本人少女の衝撃的演奏!

だマスコミが絶対に話題にしたくない

隠し通したい 天才少女

 

 

 

 

 

 

 

歪められた真実

 

中国全土を史上初統一した

 

 「秦の始皇帝」は あまりにも有名です。

 

 しかし、

 

秦始皇帝は 日本民族の祖先(の一部) だった

 

ことは 全く知られていない。

 

中国大陸の西端の辺境の小国だった「秦」は西域の国名・民族。

漢魏時代にローマ帝国の東方領土すなわちエジプトほか

のローマ占領地(南ユダ王国を含む)シリア方面を大秦と呼んだ

 

 

「秦帝国」の崩壊と共に東へ東へと逃走し日本列島へ流入

 

日本にあった「秦王国」がこれです。

 

隋書に曰く

「百済を度り、行きて竹島に至り、南に耽羅国を望み、都斯麻国を経、迥かに大海の中にあり。また東して一支国に至り、また竹斯国に至り、また東して秦王国に至る。その人華夏に同じ、以て夷洲となすも、疑うらくは、明らかにする能わざるなり。また十余国を経て海岸に達す。竹斯国より以東は、皆な倭に附庸す。」

 

遣唐使よりも遣日使のほうが多かった

 

日本国紀でも、遣唐使の効果が強調されておりますが、実は、唐や新羅からも遣日使がやってきていました。しかも、その回数は、遣唐使よりも多いのです。この点、学校の授業では絶対に習わないのですが、隋の時から、裴世清(はいせいせい)をはじめ位の高い役人などもやってきていたのです。

さらに、唐の時代になると、669年には、2000人余りが来ています。671年にも、2000人規模でやってきました。他にも、当時の新羅は、日本に関心が高く、30回以上、日本に船をよこしています。また、今の中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海からはも、30回以上来ています。つまり、遣隋使、遣唐使よりも、遣日使の方がはるかに多かったのです。

 

「山陽道西部にあった秦氏の居住区」が秦 王国である。

山口県や九州説もありますが、有力なのは、岡山あたり

 

狗奴国の東側のやや北には秦氏の豊国(秦王国)があって、キクチヒコを牽制していた。

「秦王国」という名の不思議な国は、後年の『隋書』(636年)に記載され、推古天皇の頃、

筑紫国(竹斯国)より東に行ったところに存在した。

 

日本書紀・古事記が「秦王国」を徹底して無視したのは、その次には

 

秦の徐福の「富士王朝」の存在がばれて、さらに十支族の王朝も・・・

 

征服者大和王権の正当性(万世一系)が絵空事、全てデタラメ、

 

大嘘だったことが脆くも発覚し露呈するからです。

 

大偽誌である「(正史)古事記・日本書紀」によって 

 

日本の古代文明史は弥生・縄文時代など十把一絡げにされ

 

完膚なきまでに ねじ曲げられなかったことにされてしまった!

 

征服王朝の「正」に対して

 

 こちらは敗者の側の 抹殺(焚書)を免れた「真実の古史古伝」

 

富士古文書(別名 ;宮下文書、寒川文書、徐福文献)

 

徐福自らが神代文字で書いてあったものを

 

漢文にして書き写したと言われる。

 

神代文字のまま あるいは漢字にして書き写してある

 

他の古文書には

 

先代旧事本紀、上記ウエツフミ、竹内文書、九鬼文書クカミモンジョ、秀真伝ホツマツタエ

 

東日流外三郡誌ツガルソトサングンシなどが存在する。

 

いずれもアカデミズムは正史とは認めず、血相を変えて 

 

偽書扱いするが、偽書呼ばわりの方が『真実史』であり、

 

歴史学者=半島出身者閥 学会にとっては 

 

朝鮮以下、中国よりはるかに劣っていなければいけない・・ 

 

はずが 世界史を揺るがす 超先進文明古代日本史

 

など 言語道断、徹底して絶対に排除しなければならない。

 

 

 

東海の向こう

不老不死の仙人が住む蓬莱三山を目指せ

 

 

徐福王国相模ジョフクオウコクサガミ 古代秘史・秦氏の刻む歴史

の「」を苗字につけている。

 

 富士古文書によれば 中国風の苗字を嫌って、

 

秦の徐の長男は福岡に 次男は姓を島、三男は

 

山、四男は田と称した、のつく名字に変えている

 

徐福に関連のあると思われる「金印」が富士山麓山中湖周辺で発見されている。

「史記」によれば、徐福は「三千人を引き連れて渡海し、

 

平原光沢を得て、王となって帰らなかった」とある

 

 

「新撰姓氏録」には秦氏の祖先は秦始皇帝であると書かれている。

 

徐福も始皇帝も「秦」人 西域の民族!(2支族ユダ、ベニヤミン族)

 

 

 

 

相模(神奈川県)の大山の門前町 伊勢原市の『伊勢原町勢誌」から

 

132ページに

 

大山の山岳信仰に関連して、山形県の道志村に

 

残る伝説で、秦の徐福が蓬莱山なる富士に不老不死の仙薬があると

 

聞きおよび、五百人の童男童女を使わして求めたけれども得ること難く

 

たとえ幾年ついやそうともこの秘薬を手に入れぬ内は、

 

帰国を許さずと厳命した。やむなく五百人の使者は土着して、

 

相州大山までの連山を訪ね探して秦野に移住し、御正体山、地蔵ケ岳

 

、薬師ケ岳、丹沢山から大山を、神仏に祈り探して、この地を蓬莱山と

 

呼んだ。しかしめざす仙薬は遂に見当たらず、五百人の男女は

 

ここに帰化してしまった。

 

 

 

 

天孫神話では

 

ニニギとは別に先立って 地上に降り立っていた

 

饒速日命(ニギハヤヒ)】という神様がいた、

 

日本神話を知っている 勘のいい人はピンとくる。

 

そうです。= 二支族(天孫族)側から見た徐福のことです。

 

東征した神武と戦った 長髄彦(ナガスネビコ)の言葉は

 

「我らは天磐船で天より降りた天神の御子

 

饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。

 

富士山周辺に国津神(先住民の神) 大山祗命オオヤマズミノミコトの祭神が多い。

 

ちろらね地方から1/26撮影 正面下は東海大校舎

大山祗命は徐福のことであり、大山と寒川神社の祭神

 

ちろらね地区の田園地帯から見た大山

相模国一之宮 寒川神社

祭神寒川彦命も大山祗命であることから徐福を祀っていることになる

 

 

うー、「徐福」大明神を拝まされてたのか〜ショックガーン びっくりガーン

 

他人のご先祖さまを拝まされるのはやだ!

 

今年初詣は行かなかったけど 知らぬ間に拝まされてたんだ 

 

ほんと宗教はいらんねおーっ!

 

豊かなる富士 片岡球子作 F6(ちろらねコレクション)

北海道出身文化勲章画家、 女性画家として三人目の授賞であり、「日本三大女流画家」と称される

解説:一見幼稚そうに見えるが、富士山に四季折々の衣装を着せ、花を献花しているとのことニコ

赤い服着せられちゃって おまけにたっぷり太って お腹大きいのかな?ニコニコ

 

右上は 「巳年だからお日様の中に蛇を入れてみたの」だそうな、光の勢力に飲み込まれる

ヘビ(爬虫類人、ハイブリッドイルミナテイ)なら、ま、いいか

 

天孫 邇邇芸ニニギの命が 大山祗命の娘コノハナノサクヤヒメを娶る

大山祗の命が富士山の守護神の座をコノハナノサクヤヒメに譲ったのは

 

神武(を詐称する応神)が入婿の形で? 王権を奪取したことを

 

示唆している!? 二支族がくる前は 十支族が天皇(大王)?

 

 

関東以西は 天津神(後から移民の神)の子孫 二支族が 多く

 

出雲系は徐福系?、 十支族の子孫は東北人に多い。

 

 文化的に遅れているイメージの東北の人々が自信回復・復権するには

 

この十支族と二支族の確執で二支族が勝ち過去を改ざん封印した事実を

 

広く拡散・認知するべしニコニコニコ

 

※2/18追記 東北系の王国は 日高見国(ひたかみのくに)?

 

千葉県芝山古墳の埴輪

 

西日本全体でも出土していないが、群馬仙台岩手まで出土するそうです

白人系の彫りの深い顔立ちは

イタリア系アセナテの血が混じっていることで説明できる

 

十支族はインド南方経由で渡来、紀元前5〜6世紀ころ

 

5百年遅れで二支族(秦氏)はシルクロード北方経由で

 

(弓月の国・秦帝国・秦韓・経由で)日本列島へやってきた!

 

 

 

「この記事を読んでいるあなたもわたしも

 

 

 本当のイスラエルの民の末裔?!かも」

 

 

 

ちなみに 小生は

 

 師木津日子命(シキツヒコノミコト)の裔であると自称する

 

木曽の皇別豪族中原兼遠の子孫?!

 

どっち系かな、十支族系の方? キョロキョロ 

 

ヤコブと正妻ラケルの子:ヨセフ系統なら

 

白人妻アセナテの血も入っているうーん

 

 

 

 

イスラエルという言葉は 偽ユダによって 薄汚く汚されてしまったが、本来の意味は

 

ヤコブが大天使ガブリエルと素手で戦った

勝利したヤコブに

 

『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。

 

お前は神と人と闘って勝ったからだ。』(神と戦った者勝った者の意)

つまりヤコブ一族の子孫の意

 

古代イスラエル人と現代イスラエル人は全くの別人、

 

 

天使と悪魔ほどの違いがある」

 

 

 

と言ったら驚かれるであろうか? 

 

従者も含めたヤコブ一族・古代イスラエル人(12支族)は 

 

アジア系ヘブライ人であり、

 

元は中東を徘徊した遊牧民族です。

 

ユダ族のイエスとマリアさえもアジア系ヘブライ人びっくり

 

 

 

 世界の鼻つまみ者

 

 現代イスラエル人(ユダヤ人)を自称する白人系民族は 

 

中世にユダヤ教に集団改宗した民族

 

ユダ族の末裔ではないガーン

 

 ここでも善の仮面、偽物

 

元は悪魔神、バール神を崇めていた ハザール、カザール

 

西欧系ハザール人だ(指導層は今も崇拝している悪魔教徒)ムキー

 

ロスチャイルド家 ハザリアン・マフィア、

 

ウクライナを支配していたネオナチも この一派ガーン

 

バレてもまだ

 

「ユダヤ教徒をユダヤ人と呼ぶのだ」と屁理屈を捏ねているおーっ!

 

現代イスラエル人 ≠ 古代の真のイスラエル民族

 

このことを 水面下で 知られているので 自称ユダヤ・偽ユダは

 

世界中で 忌み嫌われるが、米国の支配層にも浸透している!

 

原意のすり替え改ざんはあらゆるところで行われている。

 

 

 

政治プレミア2700年前に姿を消した「ユダヤ人」たち ディアスポラ@南アジア(ブネイ・メナシェ編)から、

10支族追跡組織アミシャーブが認定した失われた10支族生き残りの一部、

この子達は

正真正銘のイスラエル十支族マナセの生き残り末裔

アミシャーブ(ラビに祭祀専門支族レビ族が混入しているためDNAのD系統が検出される)

 

イスラエル十支族本隊が日本へ来たと結論づけている

 

(世界各地に離散したレムリアの民の里帰り)

 

日本人こそがイスラエル 十二支族、

 

(元レムリアン)十支族がさきに さらに 500年遅れて

 

二支族のユダ族・ベニヤミン族の末裔も多く里帰り?している

 

ところが 十支族は 北へ北へと 追いやられ東北人になった。

 

 

 

 

西域から120県の人夫を率いて渡来し半島で待機した二支族を

 

征服王朝・(秦氏ユダ族の)応神天皇が呼び込んだ。

 

秦氏は 『日本書紀』によると、応神14年の条に、始皇帝の子孫である弓月君(ゆづきのきみ)という人が半島を経由して120県もの大人数の民を新羅から救助し許されて帰化したことが記されている。

秦始皇帝も含む秦氏の出自は故国でもある西域キルギスの隣にあった弓月(クルジャ)の国

 

参考:秦氏の由来

 

秦氏:はた(日本語)→ (アラム語発音)ハダ→

 

    原音 ヘブライ語イェフーダーまたはヤフダ ”Yehûdâh

 

→(ラテン発音)ユダ → ジューダス(英語)

 

 

ehが発音されない場合は「ユダ」の発音→ 英語発音Juda= Judah発音dʒúːdə:ジューダ

 

 Yehûdâhの宮=ハダノミヤ=八幡宮 野市=ハダの市

 

 

 

 

 

 

 

「魂には眼がある。それによってのみ、

 

真理を見ることができる」

 

 

 

by プラトン

 

 

 

 

 

 

See you then.

 

じゃあまた。