桜の花が散っている。綺麗。
「しのぶ」
優しい声が、聞こえた。
「しのぶ」
胡蝶しのぶは導かれるように、声が聞こえた方へ、ゆっくりと歩き出す。いつの間にか、周りには枝垂桜が咲いていて、その下にいる人物を見て、顔を輝かせた。
二つの蝶の髪飾り、優しい笑顔で笑っている。ずっと、会いたかった。
「姉さん!」
思い切り、駆け出した。
「しのぶ」
カナエが駆け寄ってきたしのぶを抱き締めてくれた。懐かしい温もり。思わず、涙が滲んでしまう。
「しのぶ、よく、頑張ったわね」
うん。私、姉さんの仇を討ったよ。
「さあ、行きましょう。これからはずっと一緒よ……」
姉さんが手を引いてくれて、また笑った。遠くから、人影が見える。きっと、両親だ。それが嬉しくて、足を踏み出す。
『しのぶ』
不意に、その声が後ろから聞こえて、しのぶは立ち止まった。そして振り返る。誰も、いない。それでも、そのままじっと遠くを見つめる。
「どうしたの?」
突然立ち止まったしのぶをカナエが不思議そうに見てきた。
「……姉さん」
しのぶは囁くように小さな声を出す。
「私、行かなきゃ」
カナエの手を、離した。
「あの子のところへ、行かなきゃ」
カナエの顔を見つめて、言葉を続ける。
「あの子を、もう二度とひとりぼっちにしたくないの。だから、私が行かなきゃ」
その言葉にカナエが目を見開いて、笑った。そして頷く。
「……行ってらっしゃい、しのぶ」
「姉さん」
「大丈夫。姉さん、ここで待ってるわ。行ってあげて」
しのぶの肩を優しく抱いてくれた。
「あんまり遅くなったら迎えに行くから。だから、気をつけて行ってらっしゃい」
しのぶは力強い瞳でカナエを見返し、しっかりと頷いた。
「ありがとう、行ってきます!」
思い切り駆け出す。カナエが笑って手を振っているのが見えた。
いつの間にか、隊服と羽織を身に付けていた。どこに行けばいいのか分からない。それでも、心のままに、走り続けた。
***
「あーあ、終わっちゃった」
圓城菫は小さく呟いた。目の前には真っ暗な闇が続いている。
死んでしまった。
でも後悔はしていない。
仇は取れたのだから。
まだ鬼舞辻は死んでないけど、大丈夫。絶対に鬼殺隊の剣士達が倒すって分かってるから。
未練はない。
「……私が行くのは、やっぱり、地獄かなぁ」
きっと師範やしのぶは天国にいるよね。
私は天国に行ける気はしない。
「……」
ゆっくりと足を踏み出す。この闇がどこに続いているのか分からない。分からないけど、進むしかない。
大丈夫。前に進むのは慣れている。
もしも行き先が、地獄だったら、あの鬼を何度も殺してやろう。一度殺しただけなんて、不十分だ。
何度でも、殺してやる。
「………あ」
そんな事を思いながら足を進めていた時、不意にある事を思い出した。ピタリ、と足を止める。下を向いて目を閉じた。
『どうか、その強い思いを繋げておくれ。いいね?』
お館様の言葉が脳裏で響く。そうだ。
まだ、仕事が残っている。
まだ繋げなければならない思いが残っている。
死んだからって、任務が終わったわけではない。
ゆっくりと顔をあげて目を開いたその時、後ろから声がした。
「菫」
その声が耳に届いた瞬間、涙がこぼれた。勢いよく振り返る。そこには思った通り、しのぶが立っていて、優しく微笑んでいた。
「しのぶ!」
我慢できずに抱きつく。しのぶも強く抱き締めてくれた。
「ーー勝ったよ、勝ったのよ!」
「うん」
「あの鬼、馬鹿みたいな顔してた!しのぶの毒に、最後まで気づきもせずに!」
「うん」
「しのぶが、倒したのよ!」
「ええ、そして、菫が頚を斬ったわ。約束、果たしてくれたのね」
「うん!」
笑って大きく頷く。体を離して、しのぶの顔を見た。しのぶは涙を滲ませながら、微笑んでいる。圓城も涙を流しながら笑った。
「私ね、しのぶの思いを繋いだわ」
「ええ……」
「そして、また、繋げた。だから、大丈夫。みんなが、必ずやり遂げてくれる」
「ええ。私も、そう確信してるわ」
しのぶが涙を拭うように頬を撫でてくれた。その腕をそっと握る。
「ありがとう、しのぶ。しのぶが頑張ったから、私も最後まで戦えたの」
「あなたを信じていたから、頑張れたのよ。ありがとう、菫。私の思いを繋いでくれて」
「何だか、疲れたわね」
「あんなに戦ったんだもの。当たり前よ」
「……そっか」
「もう、休んでもいいのよ。お疲れ様」
その言葉に、圓城が笑みを消した。何かを考えるように目を閉じる。
「……菫?」
しのぶが不思議そうに声をかけると、圓城が目を開いた。そしてまた微笑む。その微笑みを見て、しのぶは息を呑んだ。それはさっきまでの子どもみたいな無邪気な笑顔ではない。何度も、見た微笑み。
強い意思を秘めた、勇ましい微笑み。
柱の、顔だ。
「……まだよ、しのぶ」
「……え」
「まだ、私達は仕事が、残ってる。最後の、任務だ」
そしてしのぶの腕を掴み、走り出した。
「え、菫!?」
「しのぶ、あっちよ!あそこ!上を見て!!」
圓城が指差した方を見て、目を見開く。闇の中から、炭治郎がゆっくりと落ちてきた。
「炭治郎!」
圓城が叫んで、片腕を炭治郎の体へと腕を伸ばす。しのぶもつられるように腕を伸ばした。片方の腕は炭治郎の体を押し上げ、もう片方はお互いの手を強く握る。
藤の花の匂いがした。ゆっくりとその体を押し上げる。
「がんばれ、炭治郎ーーーー」
押し上げながら圓城は声をかける。炭治郎の耳には届かないかもしれない。それでも、構わない。ただ、言葉をかけ続けた。
「あなたは、帰らなければ。だから、頑張って」
いつの間にか、周りにはしのぶだけではなく、鬼殺隊の柱や隊員達が集まっていた。共に炭治郎の体を押し上げる。
「負けるな、負けるな、炭治郎!!みんなが、待ってるよ!!」
心を、強くもて。
決して手放すな。
変わるな。
そのままの炭治郎でいて。
あなたがあなたで有る限り、希望は、消えないーー!
その時、確かに見えた。上に美しい藤の花。
花の中から誰かが腕を伸ばしている。炭治郎がその腕に向かって手を伸ばす。たくさんの腕が炭治郎を引き上げた。圓城は涙を流しながら、微笑んだ。
「……早くおうちへ、お帰り。炭治郎」
渾身の力で思い切り炭治郎を押し上げる。
そして炭治郎は藤の花の中へと消えていった。
気がついたら、周囲にはしのぶ以外誰もいなくなっていた。圓城はじっと炭治郎が消えた先を見つめていた。
「……終わったわね」
「……うん」
声をかけると、圓城は笑ってしのぶの方を向いた。笑い返しながらしのぶは言葉を続ける。
「それじゃあ、行きましょうか?」
「……え?」
しのぶの言葉に圓城はキョトンとする。
「……どこに?」
「さあ?でも、ずっと一緒よ、菫。一緒に歩いて行きましょう」
その言葉に目を見開く。
「……一緒に、いてくれるの?」
「当たり前じゃない」
「……私、地獄に行くかも」
「なんでよ。そうなったら無理矢理にでもこちらに引き戻すわ。大丈夫。もう絶対に手を離さないから」
しのぶが強く手を握りしめてきた。
「そばにいたいって、言ったのはあなたなんだから。責任を取りなさい」
「……しのぶの方が、先に、そばにいてくれる?って聞いてきたじゃない」
「あら、そうだったかしら?」
とぼけるようにそう言うと、圓城が拗ねたように唇を尖らせる。その時、圓城の後ろからやって来た人影が目に入り、しのぶは笑った。
「ほら、菫があんまりモタモタしてるから、迎えが来ちゃったじゃない」
「え?」
しのぶの言葉に首をかしげた時、その声が聞こえた。
「菫」
また、涙がこぼれた。頭を優しく撫でられる。大好きな、温もり。
「よく、頑張ったわね」
優しい、声。
「あなたは、私の誇りよ」
涙を流しながら、後ろを振り向く。
思った通り、そこには大好きな、あの人の笑顔。
「師範」
声が震えた。涙が流れ続けて、止められない。それでも、背筋を伸ばして、胸を張る。
「師範。圓城菫、ただいま任務を完了致しました」
そして、笑った。