夢を見た。
とても幸せな夢。
カナエとしのぶが二人並んで幸せそうに笑ってる。
カナエが何かを言って、しのぶが怒った。でもすぐに笑いだす。
大好きな、二人の笑顔。
遠くから見てるだけで、とても幸せ。
あまりの多幸感にうっとりしていると、二人がこちらを向いた。揃って近づいてくる。
カナエが頭を撫でてくれた。
しのぶが手を握ってくれた。
その温かさが愛しくて、涙があふれた。
「……あ、起きた?」
「………」
気がついたら真上にしのぶの顔があった。一瞬混乱して、すぐに自分が泣き疲れて、あのまま寝てしまったことに気づく。どうやら自分はしのぶに膝枕されているらしい。
「……何時間寝てた?」
「そんなに長くないわよ。精々数分ってところ」
その言葉に少し安心した。そのままじっとしのぶの顔を下から見つめる。
「?……どうしたの?」
しのぶが不思議そうに声をかけてきた。ゆっくりとしのぶの顔に手を伸ばして、頬を撫でる。
「……久しぶりに、夢を見た。幸せな、夢」
「うん?」
「しのぶが、出てきた」
「あら、何をしてたの?」
「カナエ様と二人で笑ってた。すごく、幸せな夢だった」
その言葉にしのぶが苦笑した。
「あなたって、本当に姉さんが好きねぇ」
「そりゃあ、師範だもの……ずっと私の憧れよ」
「憧れ?そうじゃないでしょ」
「……?何が?」
「だから、あなた、姉さんのことが好きじゃない」
「…………?」
一瞬意味が分からずに混乱して、ようやくしのぶの言った言葉の意味を悟る。
「……はあっ!?」
思わず起き上がった。顔に熱がたまる。自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。
「な、な、なな、なんで!?」
「……え、違ったの?」
「師範をそんな目で見るなんて、失礼にもほどがあるでしょ!」
「え、でも、あなた、姉さんと一緒にいる時、恋する乙女みたいになってたけど……」
「…………」
しのぶの言葉に愕然とする。口をポカンと開けて無言でしのぶを見つめた。しのぶが首をかしげた。
「……自覚、なかったの?」
「………いや、ちがう。ちがうから。たぶん」
ようやく口を開いて頭に手を当てる。慎重に言葉を選びながら言葉を続けた。
「……師範がそばにいてくれると、……幸せな気持ちに、なるだけ。胸が詰まって、心が温かくなって、……世界がほんの少し、……優しく光って見える。だから、……自分の存在も輝ける、気がする。自分の存在が許された気がして………、ここにいていいんだって思えるのよ」
「……え、……だから、それ、姉さんのことが好きってことでしょ?」
「……………」
あれ?そうなの?と圓城は思いながら、無言で目を泳がせた。
「……今の、ほぼ、告白、だと思うけど……」
「ええっ!?」
その言葉に圓城は大声を上げた。
「私、今の言葉、ほとんどそのまま師範に言っちゃったんだけど!!」
「……えー……」
「……うわぁ……、どうしよう、……だから、師範、あの時、微妙な顔してたのね……うわあぁ、……」
そのまま頭を抱えてうずくまった。
「……最悪……絶対に引かれた……」
「引いてないわよ、たぶん」
しのぶにそう言われて、圓城は顔を上げた。
「……姉さんは、あなたのこと、とても大切に思ってたから。びっくりはしたでしょうけど、引いたりなんかしないわ」
「……そう思う?」
「ええ」
少しだけ気が晴れて、圓城は神妙な顔をして呟いた。
「……そうかあ……。私、……師範のこと、好きだったのね……」
「自覚するのが遅すぎよ。この鈍感」
「うるさい」
口を尖らせながら睨むと、しのぶが笑いだした。
「ふ、……ふふふ」
「何よ、なんで笑うの!」
「だって、……おかしくて……自覚もないまま告白しちゃって、それに何年も気づかない、なんて……あなた、実は馬鹿でしょう?」
「うるさい!仕方ないでしょう!」
「姉さんのその時の顔、見たかったわあ……」
「ア゛ーー!……っ、もう思い出させないで!」
しのぶの背中を軽く叩く。しのぶがそのまま笑い続け、最初は怒っていた圓城もつられるように笑いだした。
しのぶの顔を見て、再び泣きそうになる。
ああ、この笑顔だ。
私、ずっと、この笑顔が見たかった。
しのぶ、しのぶ、私、大好きなの。あなたのその、笑顔が。
きっと、この笑顔の美しさを、私は絶対に忘れない。
ずっと、ずーっと、笑っていて。
それだけで、私は、戦えるのよ。
「……ところで、聞きたいことがあるんだけど」
不意にしのぶが笑みを消して、圓城を見てきた。
「……なに?」
「あなたは、姉さんのことが好きで、今は私のことがこの世で一番好きなのよねぇ?」
「……っ」
真正面から直接的に聞かれて動揺する。
「………」
「そんなに好きなのに、過去に婚約していたとは、どういうこと?」
「………え」
「どこの馬の骨と、そんな仲になっていたの?」
「……あー…」
甘味処での会話を思い出して思わず目をそらした。
「……いや、しのぶには、関係ないから……」
「あらあら、関係ないなんて、今さらそんなことほざくの?」
「……っ、いや、本当に、勘弁して…」
「さあ、答えてもらうわよ。逃げないって言ったわよね、菫?」
しのぶがどんどん近づいてくる。
「なんで、そんなこと、知りたがるの!」
「知りたいに決まってるでしょ!誰かとそんな仲になってたなんて、信じられない!場合によっては毒を使って拷問してやるーー」
「ちょっと!さすがに今のはアブナイ発言!」
「あら、当然でしょ。私は鬼を殺せる毒を作ったちょっとすごい人なんだから」
しのぶが顔に青筋を浮かべた。その顔を見て、圓城は顔が引きつった。
「……っ、仕方ないでしょ!子どもの時の話なんだから!」
「………?子ども?」
「そうよ!婚約していたのは実家にいた時の話!親に結婚相手を決められていたの!拒否できなかったのよ!」
しのぶが目を見開いた。
「……じゃあ、その人が好き、というわけでは……」
「ないわよ!もはや顔も覚えてないから!」
圓城がキッパリ言い切ると、しのぶが安心したような顔をした。
「……そんな昔に、婚約、していたのね。」
「え、まだそこ掘り下げる?」
「……気になって。子どもの時に結婚を決められる、というのはすごい話ね……」
「……そういう、家だったのよ。当人の意思は全部無視して、結婚によって繋がりを求める、そんな立派な家……」
少し暗い顔をした圓城を見て、しのぶが口を開いた。
「……菫」
「うん?」
「もう一つ、知りたいことがあるんだけど」
「なあに?」
「……あなたの、本当の名前」
その言葉に圓城は目を見開いた。
「そんなこと、知りたいの?」
「……考えてみれば、私、あなたのこと、ほとんど何も知らない。誕生日と年齢と、好きな食べ物、それくらいしか知らないわ」
「十分知ってると思うけど……」
しのぶが少し睨んできた。圓城は苦笑する。
「……教えない」
「なんで?」
「もう捨てた名前だから。捨てたその日に、一生自分からは名乗らないって決めたから」
しのぶが不服そうな顔をする。その顔を見て圓城は笑った。
「ごめんね。でも、私、今の名前が好きなのよ」
「……」
「師範とあなたが呼んでくれた名前。菫って呼んでくれただけで、幸せになる。家を出た時、幸せになるのは諦めていた。……でも、私の人生で一番幸せだったのは、蝶屋敷で過ごした時間だったわ。あんなに幸せな時間が過ごせるなんて、思いもしなかった……」
「……」
「……あ、見て、きれいな蝶」
庭に美しい蝶が飛んできた。その美しさに思わず圓城は立ち上がり、手を差し伸べる。蝶はヒラヒラと舞うように飛んできて、圓城の指に静かに止まった。
「……蝶屋敷の庭を思い出すわね。あの場所が、とても大好きだった……」
圓城の後ろ姿を見つめながらしのぶも立ち上がった。そしてそばに寄ってくる。
「……これ」
「ん?」
しのぶが何かを差し出してきて、圓城はそちらへ向き直る。指に止まっていた蝶がフワリと飛び去った。
「これって……」
しのぶが差し出してきたのは黄色の蝶の髪飾りだった。数年前、カナエが贈ってくれた髪飾りと同じものだ。
「……あなたには、リボンよりこっちの方が似合うわ。前に姉さんが贈ったものと同じやつ。本当に、一番似合ってたから。同じ物を探して買ってきたの」
しのぶが拗ねたようにそう言って、圓城は苦笑した。
「買わなくても、よかったのに……」
そして懐から、かつてカナエに贈られた髪飾りを取り出す。それを見てしのぶが呟くように
「……まだ、持ってたのね。もう、ないのかと思ってた……」
と言ったため、苦笑する。
「そんなわけないでしょう?師範がくれた物なんだから。私の一番の宝物」
「……贈ったのは姉さんだけど、選んだのは私なのよ」
「え、そうだったの?」
少し驚いて髪飾りを見つめる。そして笑った。
「……これをつけると、しのぶが嫌がるだろうと思って、ずっと仕舞っていたの」
「……まあ、複雑な気持ちになっていたでしょうね」
「……もう、つけても、いい?」
「もちろん。私がつけるから、後ろ向いて」
しのぶにそう言われて、クルリと後ろを向いた。自分の持っていた髪飾りをしのぶに手渡す。
「どっちも付けてくれる?」
「重くないかしら?」
「平気」
しばらく経って、
「はい、できた」
しのぶがそう言って圓城は振り向いた。頭の両脇につけられた黄色の蝶の髪飾りが揺れる。
それは、カナエと同じ髪型だった。同じくらいの髪の長さのため、後ろ姿はそっくりだ。
「……しのぶ、この髪型は似合わないんじゃない?」
「似合ってるわよ。気に入らないなら変える?」
「気に入らないとは言ってない」
圓城は髪飾りを手で優しく撫で、微笑んだ。
「ずっと、大切にする。ありがとう、しのぶ」
「……うん」
二人で微笑み合った。そして、しのぶが口を開く。
「じゃあ、そろそろ帰るわね」
「……もう、行くの?」
「長く居すぎたわ。きっと、アオイ達が心配してる」
しのぶがそう言って玄関の方へ向かう。圓城は見送るために付いていきながら、ソワソワした。まだ、離れたくなかった。もっと話したいことがたくさんある。
「………じゃあね、菫」
「……」
そう言って玄関から足を踏みだそうとするしのぶの羽織をとっさに掴んで止めてしまった。
「……?菫?」
「あ、……あ、……ご、ごめんなさい。さよなら、しのぶ……」
自分の行動が恥ずかしくて、しどろもどろになりながら羽織から手を離した。
「……」
「……」
沈黙がその場に落ちる。しのぶが何かを考えるような顔をして、それから笑って手を差し出した。
「……一緒に行きましょうか?」
「……っ、」
圓城は思わず顔が真っ赤になった。気まずそうな表情をして、しのぶの顔をチラリと見る。
「……いいの?」
「ええ。蝶屋敷は、一人くらい増えても大丈夫よ」
その言葉に恥ずかしそうに笑いながらその手を握る。
そして二人は手を繋ぎながら、並んで蝶屋敷へと歩を進めた。
「ねえ、やっぱりこの髪型、似合わないんじゃない?」
「そんなに気になるの?」
「だって、師範と同じって、なんだかおこがましいというか、分不相応って感じで……」
「そんな大袈裟な。私がいいって言ったんだから、いいのよ」
「師範みたいに綺麗な髪じゃないし……」
「十分綺麗よ」
そう話しながら夕方にしては明るい道を歩く。
「お腹、空いたなぁ」
「言っとくけど、夕飯は鯖の煮込みじゃないと思うわよ」
「いいわよ。アオイのご飯はなんでも美味しいから」
やがて蝶屋敷が見えてきた。それが嬉しくて、圓城は自然と進む足が速くなっていく。
「ねえ、ちょっと、菫、速すぎ!」
「あ、ごめん、だって……」
そう言った時、誰かが蝶屋敷から飛び出してきた。
飛び出してきたのはカナヲだった。その後から慌てたようにアオイが出てくる。そして、きよ、すみ、なほも転がるように飛び出してきた。皆が呆然とこちらを見つめていた。
「……あ……あ…」
「カナヲ?」
カナヲが、手を繋いでいるしのぶと圓城を見て、言葉にならない声を出した。しのぶが訝しげに声をかける。そして、カナヲは今にも泣き出しそうな表情をして、震えながら口を開いた。
「……菫、様……っ、おかえり………なさい……」
そうカナヲに言われた瞬間、昔カナエに言われた言葉を思い出した。
『帰ってらっしゃい、菫。私もしのぶもみーんな、あなたを待ってるわ。この蝶屋敷で』
ああ、師範。あなたの言う通りでした。
私、ちゃんと、帰れる場所がありました。
どんなに苦しくても、つらくても、私、最後は必ずここに帰ってきたい。
大好きな人が待っててくれる、温かい、この場所へ。
「みんな、……ただいま」
圓城がそう言った瞬間、その場の全員が抱きついてきた。口々に「おかえりなさい」と何度も言われる。
その温かさに触れながら、また涙がこぼれた。