夢で逢えますように


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作:春川レイ
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託されたもの


 

 

 

 

「……こちらへ」

屋敷の中へとしのぶを案内する。しのぶは圓城の後に付いていきながら口を開いた。

「誰も、いないんですか?」

「ええ。今は私達だけです。使用人も外に出ています」

そう答えながら、用意していた部屋へと通す。

「どうぞ、蟲柱サマ。」

しのぶが座ったのを確認し、お茶を準備した。静かに湯呑みへと注ぎ、しのぶと自分の前に置く。しのぶがゆっくりと湯呑みに口を付けた。圓城は自分の入れた緑茶を見つめながら口を開いた。

「……先日は、手紙を、ありがとうございました。」

「いいえ。正直、断られるかと思っていました。あなたは、ずっと逃げていましたから」

数日前、しのぶから手紙が届いていた。その手紙には、どうしても会って話したい旨が綴られていた。

「……そうですわね。正直、今も逃げたいです」

「逃げないんですか?圓城さん」

しのぶの言葉にそっと笑う。

「……いろんな人に言われました。あなたと話すようにと……使用人や風柱サマ、炭治郎さんにカナヲさん、それから恋柱サマ、それに……」

お館様にも、と言いかけて口をつぐむ。お館様と会って話したことは誰にも言わないと心に決めていた。誤魔化すようにお茶を少しだけ飲んで言葉を続ける。

「……あなたから歩み寄ってくれていたのに、私は……あなたと話すのが、怖くて、……逃げていました。今まで、申し訳ありませんでした」

ゆっくりと頭を下げた。そして、しのぶを真正面から見つめる。

「もう、逃げません。話を、しましょう。蟲柱・胡蝶しのぶ」

しのぶが静かにこちらを見返す。静寂が一瞬だけその場を支配した。しのぶが少し目を伏せ、再び真っ直ぐに圓城に視線を向けた。そして口を開く。

「……あなたに、頼みたいことがあります」

「はい」

圓城は短く返事をした。

「禰豆子さんが太陽を克服した以上、大きな戦いが始まるのは近いでしょう。それは明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない……」

「はい」

「……あなたに、お願いしたいのは、姉を、殺した、鬼の件についてです」

「はい」

圓城の表情は変わらなかった。何を考えているか分からない、真顔で、ただ、しのぶを見つめている。

「もし……、もし、私が、姉を殺した上弦の鬼と巡り合い、戦うことが出来たのなら、」

しのぶが自分の右手を胸に当てた。

「まず、第一の条件として、私は、鬼に喰われて死ななければなりません」

しのぶのその言葉に、やはり圓城の表情は変わらなかった。背筋をピンと伸ばし、眉一つ動かさず、しのぶの言葉に耳を傾けている。

「上弦の強さは、少なくとも柱三人分の力に匹敵します。……」

しのぶも冷静に言葉を続けた。

「身体能力が高く、優秀な肉体を持つ『柱』、加えて『女』であれば、まず間違いなく鬼は私を喰うでしょう。……私の体は、血液、内臓、爪の先に至るまで、高濃度の藤の毒が回っている状態です。一年以上かけて、準備をしてきました。」

「……」

「今の私を喰った場合に、その鬼が喰らう毒の量は、私の全体重三十七キロ分、致死量のおよそ七百倍です」

「……」

圓城の反応は全くない。ただ、沈黙を守り続けながら、しのぶの話を聞いていた。

「それでも……、命がけの毒でも、上弦の鬼を滅殺できる保証はありません。少なくとも、お館様は無理だと判断しています。だから、私に、私が仇討ちできる確率を上げるため、鬼との共同研究をするよう、助言されました。」

しのぶが少し目を伏せた。

「仮に、毒が効き始めたとしても、油断なりません。やはり、確実なのは……頚の切断です。」

そして、再び圓城を真っ直ぐに見つめた。

「必ず、私が鬼を弱らせます。だから、その後にーーーーあなたに、頚を斬って、とどめを刺していただきたいのです」

「……」

二人の視線が交差した。沈黙が部屋に落ちる。静寂の後、圓城が動いた。

「……承知しました。蟲柱サマ」

正座した状態でゆっくりと頭を下げる。

「微力ながら、あなたの思いを引き継がせていただきます。私が必ず、その鬼の頚を斬りましょう。……心より感謝申し上げます。私に託していただき、ありがとうございます。」

深くお辞儀をしたあと、ゆっくりと頭を上げた。しのぶは口を閉ざし、圓城を見つめている。圓城はその視線から逃れるように、湯呑みを手に取った。

「……何も、言わないんですね。私がやった事に対して」

しのぶの言葉に薄く笑う。

「何を言う必要があります?鬼を倒すために命を懸けるのは、柱として当然のことですわ」

湯呑みの中の冷めたお茶を見つめ続けた。

「……そうですね。あなたの、……言う、通りです」

しのぶが微かな声で呟くように言った。そして、言葉を続ける。

「ーーーー菫」

名前を呼ばれて、またしのぶへと視線を向けた。しのぶの方も、圓城を真っ直ぐに見ている。二人で見つめ合う。しのぶが笑って口を開いた。

「……ありがとう。……私を止めないでくれて。」

ガチャン、と耳障りな音が響き渡る。圓城の手から湯呑みが滑り落ち、砕け散った。

しのぶのその言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けるような感覚がした。柱としての冷静に話を受け止めるはずだったのに。我慢できず、仮面が外れていく。そして、瞳から次々に涙が溢れてきた。

「………っ、どうして………っ、どうしてぇっ………」

そのまま体をふたつに折って両手の中に顔を埋めて泣く。

「………しのぶ、………しのぶ、しのぶ、……どうしてっ……あなたが、……死ぬなんて……しのぶ、……っ」

言葉が支離滅裂になる。何と言えばいいのか、分からない。ただ、涙が流れ続けた。嗚咽が止まらない。泣いちゃダメだ。しのぶの方が、つらいのに、私が泣くなんて、いけない。分かってるはずなのに、止められなかった。心が、折れてしまう。柱なのに、情けない。胸が苦しい。覚悟していたはずなのに、未来が怖くて怖くて、たまらない。

 

ひとりぼっちはイヤだ

行かないで

寂しい

一人にしないで

置いていかないで

いや、ちがう。生きていて欲しかった。それだけでよかった。あなたに嫌われててもいい。一生話せなくても、目が合わなくたって構わない。

生きていて、ほしいの。ただ、それだけ。

あなたが同じ世界にいる、それだけで、救いなのだから。

 

自分勝手な思いが口から漏れそうになる。必死にそれをこらえた。不意に頭に温かさを感じた。

「………私なら、大丈夫。ほら、菫。もう泣き止みなさい。この泣き虫」

しのぶが近づいてきて、その手が頭を撫でていた。圓城は頭を上げる。しのぶは笑顔を浮かべていた。それは、あまりにも悲しくて、優しい笑顔だった。どうしても涙が止められずに、拳を強く握る。

「……っ、……う、うぅ……ご、ごめんね、ごめんなさい、しのぶ……」

「……何が?」

「……私、……強く……っ、なれなかった……私、一人で……上弦の鬼を……あいつを……倒そうって……思ってたのに………っ、強く、なれなかった……っ、強くなれなくて…、ごめんなさい………っ」

「あなたは強いわよ。あなたが思っているより、とても強いの」

「強く……ない!……っ、あなたに……こんな事……させてしまった………っ、ごめんなさい……ごめんなさい……、」

泣きながら謝り続ける。しのぶがまた笑って口を開いた。

「………菫なら、私を、止めると思ってた」

「………っ、う……」

「きっと、無理矢理にでも止めるだろうって思ってたのに」

その言葉に、強く唇を噛んだ。そして口を開く。

「……っ、しのぶ、私が、やめてって、言ったら、やめるの?」

「……いいえ」

しのぶの短い返答に、圓城は真っ直ぐにその目を見た。

「……しのぶの、思いは二度と否定しないと心に決めていた。あなたの、命懸けの決意を、私は絶対に否定しない。全部まとめて肯定するわ。胡蝶しのぶ」

そして、その小さな手を握った。

「約束するわ。あなたの覚悟を絶対に、無駄にはしない。必ず、絶対に……、私が、あの鬼を、この手で殺す。私が、あの鬼を……必ず、地獄へ、……っ」

最後は言葉にならなかった。また涙がこぼれ落ちる。

「しのぶ、しのぶ、……ありがとう。私に託してくれて。ありがとう……っ、」

しのぶがギュッと抱き締めてきた。

「……ごめんね、菫。ありがとう。」

「……しのぶ」

「菫なら、あの鬼を斬ることができる。信じてるわ。絶対に、諦めないで」

ゆっくりとしのぶの背中に腕を回す。

「……うん……っ、必ず、斬るわ、しのぶ。絶対に……っ」

そのまま、しのぶの腕の中で泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……静かで、平和な光景ね。大きな戦いが近づいてるなんて、信じられない」

少し落ち着いて、二人は並んで縁側に座った。手を握り合って庭を見つめる。しのぶの言う通り、信じられないほど穏やかな時間だった。赤い目をした圓城が口を開く。

「……意外、だった」

「うん?」

しのぶが圓城の方へ顔を向ける。圓城はまっすぐに庭を向いたまま言葉を続けた。

「……しのぶが、最後に、誰かに何かを託すとしたら、それはカナヲだと思ってた……」

「……」

しのぶが強い力で圓城の手を握りしめる。

「……菫、私ね」

「……うん」

「……今なら、姉さんの気持ち、とてもよく分かるの」

「……」

「カナヲに、死んでほしくない。カナヲだけじゃなく、アオイや蝶屋敷の子ども達、全員の未来が、明るくて優しいものであってほしい」

「…うん」

「みんな、たくさんのもの、失ってしまった。これ以上、失ってほしくない。みんなに、生きていて、ほしいの。幸せに、なってほしい。私がいなくなっても……」

「……きっと、カナヲはそれを聞いたら、否定するわ。あの子の幸せは、しのぶがそばにいて、そしてあなたと共に戦い続けることなのだから……」

「ええ。分かってる。誰よりも分かってる。それでも、願わずにはいられないのよ。みんなのこと、とても大切だから」

しのぶがそっと肩に寄りかかってきた。

「あなたと同じように、願ってる。もう、誰にも死んでほしくない。争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を、あの子達に生きてほしい。」

「……しのぶ」

「あなたなら、きっと必ず思いを繋げてくれる。あなたは姉さん自慢の継子で、絶対に折れない、柱だから。だから、あなたに託したいの。ずっと、ずっと、私と同じ、姉さんのために戦うことを決めていたあなたに。」

同じようにしのぶにそっと体を寄せた。そっと目を閉じる。そのまま手を強く握って、口を開いた。

「しのぶ、やろう」

「……」

「二人で、倒そう、あの鬼を。カナエ様の仇を、取ろう」

「……うん」

「何があっても、絶対に諦めない。信じて」

「……ええ、信じてる」

「私、たくさんのもの、捨ててきた。家族も、人生も、名前も。でも心だけは、死んでも捨てない。必ずしのぶの思いを繋ぐわ。人の思いの強さを、思い知らせてやろう。ーーー私達で、終わらせましょう」

「……ありがとう、菫」

そのまま寄り添って、また目の前の穏やかな光景を共に眺める。次に口を開いたのはしのぶだった。

「……私に言うべき事があるでしょう?」

圓城はチラリとしのぶの顔を見た。静かな笑顔を浮かべている。少しだけ目を伏せてから口を開いた。

「四年前、……ごめんなさい」

「……」

「私は、あの日、あなたにひどいことを言ってしまった。カナエ様の仇を取りたいあなたの思いを、真っ向から否定してしまった。あんなこと、言うべきじゃなかった。あなたの思いを、私は何も分かってなかった……」

「……」

「もしも叶うのなら、時間を戻してあの時の自分を殺したいくらい、後悔してる。私が、あの日やるべきことは、あなたを否定することではなかった。あなたのそばであなたを支えて、あなたが諦めそうな時は鼓舞するべきだった。」

「……」

「……でも、あの時は、ただ、幸せになってほしかった。私の思いは、カナエ様と同じなのよ、しのぶ。あなたに幸せになってほしかったの。あなたは、私の光だから。」

 

 

 

 

「しのぶのことがこの世で一番好きだから、幸せになってほしかった。ただ、それだけなの」

 

 

 

 

サラリと言葉が出てきた。そんな自分に少し驚く。しのぶの方はクスクスと笑い出した。

「……やっと言ってくれたのね。長かったわねぇ。森の中ではあんなに素直だったのに。」

「……覚えてないわ」

「まだそんなこと言うの?あなたが嘘をついてるのは、顔を見れば丸分かりよ」

その言葉に、思わず背中を向けて唇を尖らせた。

「……覚えてません」

「ほら、こっち向いて、菫」

「やだ」

しのぶが背中をツンツンとつついてくる。

「菫、顔を見せて」

「いや」

そう言うと、今度は体をくすぐってきた。

「……っ、ちょっ、しのぶ!」

「ほら、いい加減にしなさい」

「それは卑怯……っ」

抵抗しようとして、身体をしのぶの方へ向ける。その拍子にしのぶが身体を押し倒してきた。

「……またこれ?」

「あなたを見下ろすというのは貴重な機会なので……」

「この間のアレも、風柱サマに見られた時は死にかけたんだけど。……主に私の心が」

「フフ、誰もいないから大丈夫よ」

しのぶが笑い、圓城も苦笑する。

「ねえ、菫」

「うん?」

「そばにいてくれる?私は、姉さんじゃないけど、それでも、一緒にいてもいい?」

「当たり前でしょ。しのぶはしのぶよ。カナエ様は関係ない。誰の代わりでもない。私にとっての唯一無二の存在なんだから」

しのぶがくしゃりと泣きそうな顔をして笑った。そして、そのまま圓城の身体に抱きついてきた。

「……大好きよ、菫」

「うん。私も」

「忘れないでね。私の思いを」

「死んでも忘れない。しのぶ、ありがとう」

そして再び静かな時間が流れる。

ずっとこうしていたいくらい、幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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