戦え 戦え まだ終わりは来ていない
憎しみも怒りも痛みも悲しみも
全て背負ったままで戦い続けろ
私は 救世主にはなれない
それでも 誇りを胸に 戦え
そして 最期は
私らしく くたばってやる
***
「炭治郎さん、この度はありがとうございました。大変助かりました」
「こっちこそ、ありがとうございました!」
蝶屋敷にて、圓城菫は竈門炭治郎と向き合い、お互いにペコペコ頭を下げていた。
炭治郎が意識を取り戻したと聞き、見舞いのために蝶屋敷を訪れた。ちなみに、しのぶは何か忙しいらしく、現在この屋敷にはいないらしい。顔を合わせるのが気まずい圓城はちょっと安心した。
「圓城さん、大丈夫でしたか?刀鍛冶の里ではものすごく体調が悪そうでしたけど……」
「ええ、寝不足で頭が回らなくて……。乱暴な事をしてすみません。本当にご迷惑をかけましたわね……」
「いえ、圓城さんがいてくれたから助かったんです!ありがとうございました!」
明るい笑顔で炭治郎がそう言ったので、圓城もつられたように笑った。
圓城はお土産に持ってきた羊羮を炭治郎に渡した。
「そうそう。合同強化訓練が始まりますよ」
「なんですか、それ?」
「柱全員で隊員の皆さんに稽古をつけるんです。現在準備をしています」
「そんなことするんですか?」
「鬼の出没がピタリと止まりましたからねぇ。夜の警備は必要ですが、日中の訓練に集中出来るようになりましたの」
「へえ、訓練って何をするんですか?」
「それは始まってからのお楽しみに。厳しい訓練になりますよ。覚悟しておいてくださいね」
「は、はい!」
圓城が笑いながらそう言うと、炭治郎は元気よく返事をしたが、少し不安そうな顔をした。
「大丈夫です。あなたならすぐに強くなりますから。いえ、もう十分すぎるほど強いですよ。でも、まだまだです。努力はどれだけしても足りませんが、正確な方法で培った努力は絶対に裏切りませんからねぇ」
圓城の言葉に、炭治郎は羊羮を飲み込んだあと口を開いた。
「……圓城さん、何があったんですか?」
「……はい?」
炭治郎の言葉に首をかしげる。
「今日の圓城さん、匂いが全然ちがいます。前までは悲しみの匂いがしましたけど、今は、なんというか、…うまくいえないんですけど、複雑な匂いです……」
「………」
圓城は苦笑いしたあと、口を開いた。
「……炭治郎」
「はい?」
「死なないでね」
「はい?」
炭治郎がポカンと口を開く。圓城の雰囲気が、匂いがガラリと変わった。真っ直ぐな瞳が炭治郎へ向けられる。
「もうすぐ、大きな戦いが始まる。たくさんの犠牲が出るでしょう。悲しいけれど、つらいけれど、絶対に、避けられない。」
「……」
「でも、それは、希望の世界が来るのが近いということよ。鬼は必ず滅びる。誰も戦う必要のない、何にも怯える必要のない世界が、来るの。平和な未来は、もう、すぐそこなの。だから、どうか、死なないで、生き延びて。そんな世界の景色を、見届けてね。禰豆子や他の子達と一緒に」
「……圓城さんは、見たくないんですか?その世界を」
圓城は笑った。
「見たかったなあ……。きっとこの世で一番美しい情景よね。本当に、見たかった……」
まるで諦めたような笑顔を浮かべる圓城に、炭治郎が大きな声を出した。
「見られますよ!皆で戦いましょう!圓城さんは一人じゃありません!皆で勝ちましょう!」
「……ありがとう」
炭治郎の力強い言葉に少しだけ気持ちが楽になった。
「……あなたのその心の強さは大きな武器になる。その強さを持ち続けてね。決して手放さないで、変わらないで。そのままの炭治郎でいて。あなたがあなたで有る限り、きっと希望は消えないから…」
「はい。もちろんです。俺、長男ですから!」
「あら、頼もしい」
コロコロと笑う圓城に今度は炭治郎が声をかける。
「圓城さん、あの、…すごくお節介かもしれないんですけど」
「はい?」
「しのぶさんと話さないんですか?」
「……んー、」
年下の隊員に心配されるのを情けなく感じながら、炭治郎から目をそらした。
「唐突ねぇ…」
「あ、すみません。何だか気になって…」
「…うーん。そうね。話さなければならないわ」
そらした目を外に向ける。蝶屋敷の美しい庭が視界に入った。
「……怖いの」
「え?」
「私は、あなたのように心が強くない。これ以上嫌われたくない。話したら、きっとまた感情が制御できなくなる。そしたら、もっと嫌われる。そう考えるだけで、痛くて痛くて、死んでしまいそうなの……」
「え、あの、しのぶさんは圓城さんのことを嫌っていませんよ」
「え?」
思わず目を見開いて炭治郎の方へ顔を向けた。
「しのぶさん、圓城さんと一緒の時は甘いけどほろ苦いような、圓城さんを心配したり怒ったり、ちょっとややこしい匂いがしてますけど、でも、絶対に嫌いなんて感情は全然なかったですよ」
「……」
「だから、大丈夫です、圓城さん」
「……」
圓城は少しだけうつむいて、やがてゆっくりと顔を上げて、
「……ありがとう、炭治郎」
と言って、笑った。
炭治郎が入院している部屋から出て、玄関へ向かっていると、玄関のそばに栗落花カナヲが立っていた。圓城の姿を見てペコリと頭を下げる。
「あら、カナヲさん。ごきげんよう。お久しぶりですね」
「………」
「お元気でしたか?」
カナヲは静かに圓城に近づいきた。そしてゆっくりと口を開く。
「……あの、……師範と菫様が…」
「…うん?」
ゆっくりとたどたどしく話そうとするカナヲの目を見つめる。
「私と蟲柱サマ?」
「あの……、お二人が……、その……」
上手く言葉が出てこないのか、カナヲの話はなかなか進まない。それを見て、安心させるように微笑んで頭を撫でた。
「大丈夫よ、カナヲさん、ゆっくりでいいわ。感じるままに話してみて」
カナヲはゆっくりと言葉を続けた。
「……三人で、……甘味処に……行ったの……覚えていますか?」
「ああ、ありましたね。そんなこと。」
あの日のことを思い出して、思わず笑みがこぼれた。そんな圓城を見つめながらカナヲは言葉を続けた。
「……師範と菫様が、……一緒に…いる光景が、……好き……でした」
「うん?」
突然の言葉に首をかしげる。
「……お二人が一緒にいる時、…すごく楽しそうで……泣きそうなほど温かくて……見ているだけで、幸せだったんです……」
「……」
「……今でも……夢を見ます。……三人で、手を繋いで、歩いて、……蝶屋敷に帰る、夢。とても楽しい、…思い出の、一部。……私、なんかが、……口を出せることじゃないって、分かっています。でも、……それでも……」
「……」
カナヲはそこから言葉を続けられなくなったのか、詰まってしまった。圓城は苦笑してもう一度カナヲの頭を撫でる。
「ごめんなさいね。あなたにこんなにも気を使わせていたなんて。情けないわね、私ったら。あなたがこんなに頑張ってるのに、柱である私が前に進めないなんて…」
自分の意思を表出するのが苦手なカナヲが、こんなにも必死な顔で思いを訴えてきたのがとても意外だった。
「……あなたの師範は……」
「……?」
「とても、幸せね。あなたのような弟子を持てて。きっと心強いでしょうね……」
カナヲが静かに圓城を見つめてくる。
「……私も大好きなあの人が誇りに思ってくれるような剣士でありたい。あの人を救えなかった分、人を護るために、戦い続けたい。最後の最後まで……」
「……カナエ、姉さん……」
「うん。とても素敵な人だったね。私にとっての、光。大好きだった。今でも大好き。カナヲ、あなたもでしょう?」
カナヲがコクリと頷いた。圓城は笑って、もう一度頭を撫でた。
「……約束するわ。しのぶときちんと話す。また、喧嘩になるかもしれない。軽蔑されて、嫌われるかもしれない。それでも、向き合って話すわ。だからーー」
少しだけ屈んでカナヲと真っ直ぐ目を合わせた。
「あなたも、約束して、カナヲ。死んではダメよ。必ず生き延びて」
「……」
「私、あなたのことをとても尊敬してるの。私は花の呼吸を扱えなかった。たくさんの心残りはあるけれど、それが一番悔しかったのかもしれない。あの人の呼吸、とても憧れてた。今でも後悔してるわ。私ではどうにもできない問題だけど………」
「……」
「だから、とてもうれしいの。あなたが花の呼吸を継いだことが。あの人の、カナエ様の思いは繋がったのね……、それが、とても、嬉しい」
「……」
「もうすぐ平和な世界が来るわ。必ず生きて、見届けてね。炭治郎と一緒に」
炭治郎の名前を出すと、カナヲの顔が戸惑ったように揺れた。その表情が何だか可愛らしくて、圓城は笑った。
「さあ、もうすぐ合同訓練よ、カナヲ。覚悟しておいてね」
そして、最後にもう一度頭を撫でて、圓城は蝶屋敷から出ていった。残されたカナヲはその後ろ姿をいつまでも見つめていた。
いろんな人に支えられている。一人じゃなかった。炭治郎やカナヲのように、温かい言葉をかけてくれる人が、また現れた。
「あ、圓城さーん」
「……恋柱サマ」
圓城の屋敷を訪ねてきたのは甘露寺蜜璃だった。
「ごめんなさいね、突然来てしまって」
「いえいえ、私もお会いしたいと思ってましたので。蜂蜜、ありがとうございます」
甘露寺がお土産にと持ってきてくれた蜂蜜の瓶を持って笑う。甘露寺はその言葉を聞いて少し安心したような顔をした。屋敷の客間に向かい合って座る。甘露寺はソワソワと落ち着かない様子だ。
「圓城さん、忙しかったでしょう?本当にごめんなさいね」
「いえいえ、稽古の準備はほとんど終わっていますから、大丈夫ですよ」
「よかったあ。それにしても、大きな屋敷ね。ここに一人暮らしなの?」
「ええ。使用人が離れにおりますが」
「使用人って、さっきの優しそうなメガネの人?」
「はい。」
ちょうどその時、じいやがお茶とお菓子を運んできた。
「わあ、美味しそうね。これ、何?」
「焼き菓子です。恋柱サマ、さあ、どうぞ召し上がれ。おかわりもありますので遠慮はいりませんよ」
「そんな、悪いわあ。でも、せっかくだから、いただきます!」
甘露寺は楽しそうにお菓子を口に運んだ。
「美味しい!」
「お口に合ったのならよかった」
圓城が少し食べる間に、甘露寺は目の前のお菓子を吸い込むように食べていく。気をきかせたじいやがどんどんおかわりをもってきてくれた。
「あ、ご、ごめんなさい。私ったら、つい夢中になっちゃって」
「いえいえ、遠慮なさらないでください」
圓城が微笑むと、甘露寺は安心したように笑い返した。
「圓城さん…」
「はい?」
「刀鍛冶の里では、ありがとうございました。」
甘露寺が改まったように頭を深く下げる。圓城も慌てて頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました。私一人では確実に死んでいました。恋柱サマのお陰で助かりましたわ」
「圓城さんって、すごい技を使うのね!睡の呼吸って初めて見たけど、あんなに速いなんて知らなかったわ!なんか、ドーンっていって、バビューンって飛んでいって、グサグサ、ガチーンって感じ!!」
「恋柱サマの方がずっとずっと、すごかったですよ。見習いたいです」
しばらく、お互いを誉め合う。そして、
「圓城さんは、しのぶちゃんのこと、好き?」
「………っ、」
甘露寺が突然そう質問してきて、思わずお茶を吹き出しかけた。必死にこらえて、飲み込む。
「……えーと」
「ごめんなさいね、突然。ずっと気になってて…」
「……んー」
必死に笑って誤魔化そうとするが、甘露寺がワクワクしたように見つめてくる。後ろに控えているじいやの強い視線を感じた。
「……あなたは出ていきなさい」
圓城が後ろを振り向いて睨むと、じいやは今にも舌打ちしそうな表情をして部屋から出ていった。
「……恋柱サマ。なぜそんなことを?」
「私ね、しのぶちゃんや圓城さんと仲良くしたかったの。だって、同じ柱で、女の子同士だったから。三人で、おでかけとかできればいいなーとか思ってたの。まあ、任務が忙しいから難しいけど。」
「はあ」
「でも、しのぶちゃんと圓城さんって会議で会う時、すごくギスギスしてて、特にしのぶちゃんはイライラしてて。それがとても残念だなって思ってて。だから、この間入院した時はすごく意外だったわ」
「……意外?」
「圓城さんが意識不明だった時、しのぶちゃんね、仕事をしている時以外はずーっと圓城さんのそばにいたの。私が圓城さんの様子を見に、何度か来たとき、必ずしのぶちゃんが部屋の中にいたわ。手を握って、何度も圓城さんの名前を呼んでた」
「……」
スッと顔を伏せた。知らなかった。そんなに心配してくれていたなんて。
「二人がどんな関係なのかよく知らないし、私が口を出すことじゃないけれど、……きっとしのぶちゃん、圓城さんと仲良くしたいと思ってるんじゃないかしら?」
「……私は」
「うん?」
口を開くと、甘露寺が優しく笑って首をかしげた。
「……私は、蟲柱サマーーしのぶに…」
「……うん」
「また、優しい言葉をかけられる資格はないんです。そばにいることは、許されない。ひどいことを言ってしまった。ずっと、ずっと後悔しています。過去の自分を殺したいほど憎いです。ずっと、ずっと、嫌われるのが怖くて、死ぬよりも怖くて、目をそらし続けていました。逃げていたんです……」
「……」
「でも、これだけは、本当の気持ち。幸せになってほしい。護りたい。しのぶが大切だから。傷ついてほしくない。生きてほしい。私の名前を呼んでくれた彼女が愛しくて、あの笑顔を護りたかった。幸せになってほしかった。それだけだったんですよ。本当に。ただ、それだけ……」
「……それじゃあ、気持ちを伝えなくちゃ」
甘露寺が圓城の隣に移動し、そっと労るように肩を支ええくれた。
「大きな戦いが始まるわ。生きて会えるか分からない。だから、言葉に出して、伝えなきゃ。背を向けちゃダメ。逃げないで、勇気を出すの。でないと、一生伝わらないわ。そんなの、ダメよ。ね?」
「……はい」
「大丈夫!しのぶちゃんはとっても優しい子だもの!きっと、ちゃんと言葉にすれば、必ず伝わるわ!だから、絶対に諦めないで!」
「はい。ありがとうございました。」
お礼を言うと、甘露寺はにっこりと笑った。
甘露寺が手を振り、帰っていった。それを見送った後、庭に立って上を見上げる。どこまでも高くて、青い空が広がっていた。太陽が、何にも遮られずに輝き、目に染みるほど、青が濃い。
屋敷の庭で、圓城はその突き抜けるような青空を見上げる。そして、何かを掴もうとするように、空へ向かって、手を伸ばした。
世界を満たすような、青一色の、美しい天空。一番好きな空の色だ。
「お嬢様、どうされました?」
後ろから声をかけられて、圓城は振り返った。じいやの姿が視界に入り、微笑む。
「綺麗な空ね、じいや」
「はい。日本晴れですね」
圓城は微笑みながら、再び空を仰いだ。そして口を開く。
「……よかったあ」
「何がです?」
不思議そうなじいやの声に、空を見つめたまま言葉を続ける。
「ずっとずっと、この空の下で生きることを、焦がれていた。だから、自分が選択した人生を後悔なんてしないわ。この世界に生まれてきて、よかった。私、絶対に忘れない。この美しさを。」
「……お嬢様?」
圓城は笑いながらじいやの方へ顔を向けた。
「さあ、明日から柱稽古よ。頑張らなくちゃ」
「……隊員の方々は大変ですね」
「あら、とても貴重な訓練なのに……」
と言葉を続けたところで、二匹の鴉が舞うように飛んできて、圓城の近くに寄ってきた。
「ん?手紙?」
二匹とも足には手紙らしきものがくくりつけられている。手紙を外すと、鴉はどこかへと飛んでいってしまった。
「誰からでしょうか?」
「えーと……」
二枚の手紙を広げて目を通した圓城は少しだけ目を見開く。そして笑った。
「お嬢様……?」
「……忙しくなるわねぇ」
じいやの不思議そうな視線を無視して、再び空を見上げた。