私にとって彼女の存在は何だったのだろう
今でも自分の気持ちが分からない
そばにいてくれる絶対的な存在である姉を失った時、彼女との繋がりは消滅した
私の世界はその時に一度崩壊した
手を伸ばしたら必ず握ってくれた温かい手も
名前を呼んでくれる優しい声も
無邪気な子どもっぽい笑顔も
もう、思い出したくない
***
この世で一番大切で、唯一無二の存在、私にとって姉さんが全てだった。その姉さんが見出だした継子、圓城菫は、今まで会った誰よりも、不可解で謎めいた存在だった。鬼殺隊に入るために、過去を、家族を、名前さえも捨てた、私と同じ歳の女の子。
「師範が言ったんです。護るために刀を振るいなさいと。誰かのために、もう誰も悲しい思いをしないように、刀を握りなさいと。私は、鬼を哀れな生き物だと思っています。不憫で可哀想だとも思います。甘い考えかもしれないけど、できれば鬼も救いたいとさえ、思います」
そう話す彼女は、吸い込まれそうなほど澄んでいて、強い意思を秘めた瞳をしていた。
「でも、そんな思いだけじゃ、救えないから。だから、せめて目の前の人を護るために、私は強くなりたいんです」
誰よりも強くあろうと努力し、人を護るために、未来を切り開こうとする剣士。姉さんと同じ、鬼を救いたいという稀有な考えを持つ鬼殺隊隊員。仲良くなって随分と経つが、私は、彼女のことはほとんど何も知らない。
「ね、しのぶ、手合わせしましょう。新しい技を考えたの。」
「ダメ。それよりも早く寝なさい」
「……眠くないもの」
「菫、また昨日も寝てないでしょう!隠したって分かるんだからね!」
菫が拗ねたように唇を尖らせる。彼女はなぜか睡眠が嫌いで、ほとんど眠ろうとしない。睡眠不足で身体の調子も悪くなるはずだが、そんな様子は絶対に見せないうえに、化粧で顔色の悪さを上手く隠すのだから、たちが悪い。
何度も怒って注意するが、菫の睡眠嫌いは直らなかった。身体をいつか壊すのではないかと心配で、いつしか、気づかれないように遠くから彼女の姿をじっと観察する癖がついた。
だから、気づいた。菫が、姉さんを見る目。
あの目は、あの視線は、師範を見るそれじゃない。憧れとかでは決してない。もっと、熱がこもっていて、夢見るような瞳。
菫は姉さんのそばにいるだけで幸せそうな表情をする。頭を撫でられると嬉しそうに笑い、話しかけられると顔が輝く。庭で鍛練している菫に、姉さんが何か声をかけて、菫が頬を真紅に染めて、はにかんでいる所を見たこともある。別世界のような、甘い光景。
「…………」
つまりは、そういう事なのだろう。
それは菫の一方的な想いだ。だから別に気にしていない。気にしていないけどモヤモヤする。それは、最愛の姉にそんな感情を向けているのが気に入らないから。姉さんと彼女が二人で幸せそうに笑い合っている光景が気に入らないからだ。
たぶん。
「あの子は、菫は、人一倍自分に厳しくて、自己評価が低くて……、なんというか、自分を追い込むような戦いをするのよ。それでいて優しすぎて、泣き虫だし……、ついつい甘やかしてしまうわ。ダメね~」
姉さんがそうこぼしているのを聞いたことがある。
姉さんと菫との間には、私が立ち入ることが許されない繋がりが、確かに存在していた。
心のざわめきが止まらない。胸に小さなトゲが刺さったみたい。別に怒ってるわけじゃない。ただ、気に入らないだけ。不愉快なだけ。
「ねぇ、しのぶ、お願い!手合わせしましょう!ちょっとだけ、ほんの少しだけだから!終わったら寝るから!」
「もう、しつこいわね。明日なら姉さんがいるから、姉さんとしなさいよ」
「私は、しのぶとしたいのよ。しのぶなら遠慮なくいろいろ意見を言ってくれるから…」
「……仕方ないわね」
そう答えると、菫の顔がパッと明るくなる。子どものような無邪気な笑顔が広がる。それにつられて、こちらもつい笑ってしまう。
黒い気持ちに蓋をする。見て見ぬふりをして、忘れてしまえばいい。菫に気づかれないように。姉さんにも分からないように。自分でも知らんぷりをする。
あの頃は幸せだった。毎日がキラキラと宝石のように輝いていた気がする。幸せ、なんてありふれているように見えるけど、実際は世界にほんの一握りしかない。よく分かってる。
それでも、確かに言える。断言できる。
あの頃は何もかもが光り輝いていた。世界は、確かに、美しかった。
だからこそ、思ってしまう。
『幸せ』なんて知らなければよかった。知らないうちに死んでしまえばよかった。いや、違う。姉さんが死んだあの日、私の一部は死んだのだ。
時間は永遠に戻ってこない。残酷なほど、確実に過ぎてゆく。目の前はもう、真っ暗だ。
慈しむように、誰もが安心できるような笑顔の仮面を被る。
ああ、でも、姉さん、心が痛いの。寂しくて、寂しくて、たまらない。
私は、彼女のように強くはない。一人で生きていくのが辛いの。怖いの。
誰よりも真っ直ぐで、全てを捨てた彼女のような強さは私にはないの。
だから、戦わなければ。彼女とは別のやり方で。
姉さんの意思を継いで、思いを繋ぐの。
微笑みで心を隠しながら。
だって私、こんな風にしか生きられないもの。
姉さん、私は、どうすればよかったの?
菫の顔はもう見たくない。そう言ったのは私だった。あの日、彼女と決別した日、私は自ら繋がりを断ち切った。姉さんを殺した鬼の特徴を聞く私に、彼女は真っ直ぐな瞳で見据えて、口を開いた。
「しのぶ、無理よ」
菫のキッパリした声が胸を刺す。
「はっきり言う。あなたにあいつは倒せない。今の私も、絶対に敵わない」
知ってるわ。姉さんが、あなたが、敵わなかった相手を、私が倒すなんて、できるわけない。誰よりもよく知ってる。でも、それでも、私はーー、
「ーーなんで!、--姉さんの仇は私が取る!だから、教えなさい!その鬼の事を!」
思わず笑顔が消えた。立ち上がって叫ぶ。彼女も立ち上がって叫ぶように言い放った。
「敵うわけない!しのぶは頚を斬れない!あんなに強い鬼、しのぶには倒せない!上弦の鬼なのよ!私だって死んでてもおかしくなかった!!」
事実を指摘されて、現実を認識してしまい、怒りで顔が赤くなる。頚が斬れない。私には鬼を殺すことが出来ない。彼女のように、戦えない。その事実に、今までずっと苦しめられてきた。姉さんを殺した相手を私は、倒せない。それをはっきりと、指摘されて、灼熱のような怒りが胸を満たした。
「そんなの関係ない!私が鬼を必ず斬るの!だから教えなさい!!」
目の前の彼女が今にも泣き出しそうな顔をした。
「私が倒す!必ず私が師範の仇を取る!だから、だから……ごめん。こんな事言う資格ないの、分かってる。でも、師範は、望んで、ないよ……」
絞り出すような声が響く。その瞬間、思わず力に任せて殴りかかった。パンと乾いたような音が響く。彼女の頬が赤く染まり、呆けたような顔をした。
知っている。私はよく知っている。
姉さんが私の幸せを願っていたこと。だって最期の瞬間にもそう言っていたから。
私にできることは、もうないのだ。姉さんの言うとおり、鬼殺隊を辞めて、ただの一般人として、普通の娘として暮らしていくのが私には相応しい。やがて恋をし、結婚し、年老いて死ぬまで平穏な人生を歩んでいく。それが姉さんの望み。
それでも、私はそれを否定する。姉さんを殺した鬼を、私は許さない。必ず私が、殺す。
菫なら、それを分かってくれると思っていた。姉さんのことを慕っていた彼女なら、私の気持ちを分かってくれるだろう、と。
でも、彼女は私の思いを否定した。姉さんが仇を取ることを望んでない、とはっきり言った。
世界が崩れる。
知ってる。分かってる。よく分かってる。
でも、これは私の望みなの。幸せなんてどうでもいい。私の幸せは鬼を倒したその先にしかない。
そうよね。菫には分からないでしょう。理解できないんだ。私の気持ちは。
鬼を救いたいという希望を持つ彼女には、私の気持ちは決して分からない。
そう言ったら、彼女は泣き出しそうな顔をしたけど、決して泣かなかった。諦めたように鬼の特徴をポツリポツリと呟くように言う。そして、
「強くなる、今以上に。全ての鬼を倒す。鬼を救うなんて言わない。しのぶの邪魔はもうしない。だから、しのぶも…」
絞り出すようにそう言った彼女に、私は頷いた。
「ええ。約束しましょう。あなたの邪魔はしません。もう関り合いになるのも、やめましょう。……その方がお互いのためだわ。正直、あなたの顔はもう見たくない」
そう言うと、菫は暗い顔で少し下がって、その場に座り込み頭を深く下げた。
「…今までありがとうございました。今日でお暇させて頂きます。大変お世話になりました。」
「ええ」
彼女から目をそらし、後ろを向く。もう顔を見たくなかった。これ以上振り回されたくない。感情を制御しなければ。彼女の顔を見るだけで、爆発しそうだ。それは、絶対にいけない。
最後に小さな声が聞こえた。
「さようなら、胡蝶しのぶ。……ご武運をお祈りしております。」
そして、私も決別の言葉を吐く。
「ええ、さようなら、圓城菫。あなたもご武運を。」
そして、その日、私の世界は崩壊した。
***
姉さんがいなくなっても、菫と決別しても、世界はほとんど何も変わらない。明日は必ず来るし、鬼は人を襲う。
「あら、ごきげんよう、蟲柱サマ。相変わらずお早いこと」
「……どうも。こんにちは、圓城さん。そういうあなたはいつも来るのがギリギリですね」
菫と次に会ったのは、柱に就任してからだった。私の事なんて全く何も覚えていないように、他人のように振る舞う。いや、実際他人なのだが。
久しぶりに会った彼女は随分と大人びて見えた。空色の羽織だけはあの頃と同じ。身長が伸びて、子どもっぽい無邪気な雰囲気は皆無だ。どこで買ったのか、珍しい西洋風の日傘を手に、優雅に上品に微笑み、挨拶をする。長い黒髪は左側で緩く結び、肩に垂らしている。その髪には姉さんが贈ったはずの黄色の蝶の髪飾りが見当たらなくて、なぜかそれに無性に腹が立った。
もう、あの頃の私達じゃない。任務ではほとんど関わらないし、会議でも目を合わせることさえほとんどない。精々挨拶を交わすくらいの、同僚だ。感情に振り回されないように、お互いに仕事仲間として対応する。間違っても『菫』『しのぶ』とは呼び合わない。
「しのぶちゃんって、圓城さんと仲が悪いの?」
ある時、甘露寺さんにそう聞かれて、思わず苦笑した。
「いえいえ。仲が悪いも何も、あの人とそんなに話さないので……」
「ええー?でもしのぶちゃんと圓城さん、二人が会議で話す時って、なんだか空気がギスギスするような気がするんだけど……」
その指摘に頭を抱えそうになった。自分でも気がつかないうちに、無意識に感情が表に出かけていた。気をつけなければならない。
彼女は、どんどん鬼を斬っていく。単独で、命じられた任務をこなしていく。周囲からは相も変わらず「お嬢様の道楽」「金の力で柱になった」と陰口を叩かれながらも、それを気にせず、自分の道を進んでいく。
きっと、彼女にとって、姉の事は、もう昔の話なのだろう。過去のどうでもいい記憶。鬼を斬ることだけに集中していて、熱心で、私の事も見ていない。
それでいい。私も彼女の事はどうでもいいから。
幸せな思い出が薄れていく。それでいい。風化して、消滅してしまえ。
彼女だって、もう忘れているはずだ。たった一年と数ヶ月の思い出なんて。
やることはいっぱいある。柱としての任務、毒の研究、負傷者の治療、継子の育成、自分の鍛練、そして、姉さんの仇を取るための準備……。
だから、どうでもいい。彼女が私の邪魔をしなければ、なんとも思わない。
彼女が鬼を連れた隊員を庇った時も、列車の任務で左足を失った時も、そして、崖から落ちて行方不明になったと聞いたときも、何も思わないようにした。
だってあの日に約束したから。お互いのやり方で戦って、邪魔しないようにするって。
彼女と別々の道を進んで、数年。彼女が私に関わることはなかった。だから、私も、同じ柱として、仕事仲間としての義務は果たすが、絶対に彼女の歩む道に入り込んだりはしない。
私がやるべき事はたくさんある。姉さんの仇を取るために忙しい。だから、だから、ーーーー、彼女が死んでも気にしない。
そう思っていたのに。
「あいつは、死なないだろう」
「……は?」
冨岡さんの言葉に変な声が出るのを抑えられなかった。
「あいつは、殺したい鬼がいると言っていた。虹色の瞳の鬼を殺すのだと」
「--っ」
「地獄の果てまで追いかけて、殺すのだと言いきった。強い意思を持ってそう言っていた。あんな目をする人間は、簡単には死なない」
虹色の瞳の鬼。姉さんの仇。
私は、見誤っていた。
彼女の中で、あの頃の思い出は消滅していない。
彼女は忘れてなんかいなかった。それどころか、姉さんの仇を取るために、強い意思を静かに燃やし続けていた。鬼への復讐心を抱いていた。私と同じ。
姉さん、知ってる?あの子は、菫は、ーーーー姉さんのことが好きなの。
きっと、世界で一番。
だって、姉さんがそばにいる時のあの子の笑顔は、私と一緒にいる時とは全然違ったもの。
無邪気で子どもっぽい笑顔じゃなくて、
心から幸せそうで、花が咲いたような、甘くて可愛い笑顔だった。
私、菫のその笑顔が好きだった。
姉さんもそうでしょう?
だから、助けに行った森の中で、菫にあの言葉を言われた時、形容しがたい不思議な感情が、自分の中に芽生えた。
「……ねぇ、しのぶ。ごめんね。…私の事、許してくれないって分かってるけど、それでも--しのぶの事が大好きなの。この世で、一番…」
菫は、確かにそう言った。
視界が歪む。涙が落ちていくのを止められない。息が苦しい。もう何も分からない。制御できるはずの感情が、うまく稼働していない。いや、そんなのどうでもいい。
心に小さな灯火がともる。温かい。
崩壊したはずの世界が、また、動き出す。
孤独が消えていく。菫がそばにいてくれるから、もう怖くない。だって、こんなにも温かいから。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
彼女の体を強く抱き締める。彼女も腕を回して抱き締め返してくれる。
それが、たまらなく愛おしかった。
菫と、話をしたい。彼女に伝えなければならないことがある。そして、彼女からも言ってほしい言葉がある。
なのに、彼女は私から逃げる。彼女は森の中でのことは覚えていないなんて言ったけど、顔を見れば分かる。しっかりと覚えているはずだ。
追いかけても追いかけても彼女は逃げる。終いには菫の邸宅に忍び込もうかとさえ考えていた時、彼女が再び怪我をして蝶屋敷に運び込まれた。
目覚めた彼女は奇妙な顔をしていた。まるで何かを決心したような、諦めたような奇妙な表情。不思議に思っていると、珍しく彼女の方から私の名前を呼ぶ。請われるままに、手を握った。そして、彼女が口を開く。
「……ごめんなさい。師範を、カナエ様を救えなくて、ごめんなさい」
「……は?」
その思いもよらない言葉に、ポカンとした。彼女が震えながら言葉を紡ぐ。
「私、……あの日……、師範を、す、救えなかった。ま、間に合わなかった。救えなくて、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
懺悔の言葉が部屋に響く。その真っ直ぐな瞳から涙が次々に溢れてきた。
「ま、間に合ってたら、た、戦えたかもしれない。せめて、盾に、なれたかもしれない。そしたら、きっと師範は、死なずにすんだのに」
「……っ、ち、ちがう。菫、ちがうわ。私は……、そういう事が聞きたいんじゃなくて………っ、」
そんな言葉が聞きたかったのではない。まさか、菫がずっとそんな思いを抱えていたなんて、知らなかった。
今さら思い知る。菫はずっと自分を憎んできた。きっと、何でもない顔をしながら、ずっと心の中で泣いていたのだろう。私と同じ、立ち直ってなんかいなかった。絶対に悟られないように、気づかれないように、心の中で泣き叫びながら、毎日を過ごしてきたのだろう。自分を責めて、責め続けて、懺悔を繰り返してきた。
そして、今、それを初めて言葉に出した。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
何度も謝りながら涙を流し続ける。ちがう。彼女のせいだなんて、思ったことはない。どうして救えなかったとか、間に合わなかったせいだ、なんて思ったことはない。目の前の震える彼女を抱き締めた。
「菫、あなたのせいじゃない。あなたを責めたことなんて、ないわ。だからもう、謝るのはやめて」
「………っ、」
「姉さんだって、そんなこと思ってないはずよ。あなたはよく知ってるでしょう?」
菫の口から嗚咽がこぼれる。自分の目からも、涙が出てきたのが分かったけど、止まらなかったし、止めようとも思わなかった。
「ずっと、そんなふうに思っていたの?自分を責めないで……」
菫が抱きついてきた。そして、言葉がこぼれる。
「生きていてほしかった……っ、師範のこと、大好きだったの……本当に……、」
「……うん」
「……毎日、願わない日はない。あの頃に戻りたいって……っ、師範と、しのぶのそばにいた時間が、私にとって一番、幸せな、思い出なの……、」
「うん。幸せだったね。本当に」
「……寂しい、寂しいの。……逢いたいよぉ……っ、」
「うん。私もよ。ずっと、ずっと思ってる。早く姉さんのところに行きたい……っ」
ああ、私達、四年前にこうするべきだった。悲しみで壊れる前に、寄り添って、大きな声で泣いて、支え合うべきだった。
本当は、ずっとそばにいてほしかった。手を握っていてほしかった。もっと言葉に出して、伝えればよかった。
ねえ、菫、またそばにいてくれる?
今度は一緒に肩を並べて、戦ってくれる?
手を握っていてもいい?
あなたは知らないだろうけど、私、あの頃よりずっと強くなったの。今なら背中合わせで戦える。
どんなに暗くて歪んだ世界でも、菫と一緒なら進んでいける気がするの。
争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を、あなたは、ずっと、願っていた。
私もそうよ。
だから、
姉さんじゃないけど、ずっとそばにいてもいい?
ずっと言いたかった言葉はまだ伝えられていない。菫と話す時間がなかった。
上弦との鬼の戦いに関して、緊急柱合会議が開かれた。そして、彼女の戦いや痣の件を聞いて、その内容に思わず一瞬笑顔が消えて、唇を強く噛んでしまう。
菫の戦い方の危うさを忘れていた。あまりにも離れている時間が長かったから。
誰よりも自分に厳しく、自己評価が低い。自分を追い込むように、潰れる寸前まで戦う。姉さんの言った通りだ。
彼女が今でもあまり眠っていないのは知ってた。柱に就任して数年、たまに疲れたような顔をしていたし、その顔色を隠すために、化粧の技術が高くなっていたから。それでも13日という長い期間、不眠不休で働くなんて、信じられない。
そして、菫が上弦の鬼と戦った時、痣が出現した。痣が出現した者は、長く生きられない。全身に稲妻のようなものが走る。胸が詰まって言葉が出ない。笑顔を保つのが精一杯だった。自分でも意外なほど衝撃を受けているのに気づいて、また驚いた。
それを聞いても、菫の方は表情は変わらなかった。まるでどうでもいいことのように、すました顔をしている。
それが腹立たしくて、思わず問い詰めるような真似をしてしまった。情けない。他の柱の目もあったというのに。
菫はいつも通り、優雅に笑って、杖をつきながら帰ってしまった。感情が表に出てしまいそうで、もう引き留めなかった。
菫と話がしたい。彼女に託したい事がある。
私が姉さんの仇を取るために、やった事を知ったら、菫はどんな反応をするだろう。
また、私の事を否定するかもしれない。
でも、きっと菫なら、最後は必ず受け入れてくれる。
なんの根拠もないけどそんな気がした。
もう十分悲しんだ。苦しんだ。今だってつらくてたまらない。
それでも、終焉に向かって、自分の足で立ち上がらなければならない。
前に進むのはもう決まっている。
終わることも決まっている。
でも、最後は菫と手を繋いで、一緒に進みたい。
手を伸ばせば、必ず握り返してくれる。
私が知ってる彼女はそんな人だから。
あの温かい手を、今度は、二度と離したくない。
そして、私は鴉に手紙をくくりつけた。宛先は睡柱・圓城菫へ。
「それでは、お願いしますね」
そう言うと、鴉はすぐさま飛び立っていった。その姿を見えなくなるまで見つめていた。