夢で逢えますように


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作:春川レイ
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雛菊の娘


 

 

 

世界は、灰色だった。

 

 

 

 

 

『×××』

誰かが名前を呼ぶ。私の名前。

『×××、ほら、あなたの花よ』

私の、花?

『あなたのお祖父様が、あなたが生まれた頃に咲いた花だから、×××と付けてくだすったのよ。ほら、綺麗でしょう?』

綺麗。本当に、綺麗な、----雛菊

『あなたの好きな花よ』

ええ。そうですね、お母様。

 

 

 

 

 

私は男性への贈り物。結婚できる年齢になったら、嫁ぐ。

他の人より裕福で贅沢で、苦労せずに人生を送ってきた。感謝している。本当に。

だから、父母のために、家のために結婚するのは私の望み。

幼い頃からお父様もお母様も何度も言っていた。

『良き妻になれるように。良き母になれるように努めなさい』

はい、お父様

『それがあなたの幸せなの』

はい、お母様

これが私の幸せ。お父様もお母様もそう仰るんだもの。そうに違いないわ。

 

 

 

 

 

本当に?

 

 

 

 

 

感情の間を掻い潜るようにそんな声が聞こえた。思わず首をかしげる。なんで疑う必要があるの?

だって間違いないわ。お父様が私の幸せを願って、立派な殿方との結婚を決めたのだもの。

ずいぶん前に紹介された。

『×××、将来、お前の夫となる方だ。ご挨拶しなさい』

私よりもずっと年上の背の高い紳士に頭を下げて精一杯笑って挨拶をしたのは覚えてる。この人と結婚するんだって、実感はなかったけれど。

あら?あの人、どんな顔をしてたかしら--?

全然顔を思い出さない。でも大丈夫。だってその人と結婚するのが私の幸せなんだって、お父様とお母様が仰っていたから。

学校はいつまで通えるかしら?出来れば勉学を続けて、卒業したいと言ったけど、お父様はいい顔をしなかった。お母様も勉強などよりも、習字や手芸、お花やお茶を学ぶようにと仰っていた。あとは行儀作法を完璧にするようにと。だから頷いて、言われた通りに、毎日いろんな習い事をした。

 

 

 

 

 

灰色の世界で私は生きていく。どうしてこんなに色褪せてるんだろう。不思議。でも平気。色はないけれど、幸せ。だって、今まで辛いことや悲しいことなんて全然なかったから。お父様もお母様もお兄様も、とても素晴らしい方々。私は、恵まれているのだ、と知っている。だから、疑問なんて持ってはいけない。わがままを言ってはダメ。

小さい頃は、まだ世界にほんの少し色があった。だから、愚かなわがままを言ってお父様とお母様を困らせた事がある。お父様の会社で働いたら、きっとお父様を助けられると思って、そう言うと、怒られた。そのような職業婦人のような事をする必要はないのだと。私はすぐに謝罪して、二度とそのような考えは持たないとお父様に誓った。

そういえば、同じくらい怒られた思い出がもう一つある。私は走るのが好きだった。体を動かすのが好きだった。異国では運動の競技大会があるらしいと知り、それに出てみたかった。随分と前だけど、一度だけ、お兄様やそのお友達と走って競争した事がある。私は誰にも負けなかった。お兄様の悔しそうな顔がなんだか嬉しくて、つい口を滑らせてしまった。

--もっと速く走れます。それで、競技選手になります。

それを聞いたお父様が静かに怒った。お母様が顔を曇らせたのが分かった。

『なんとはしたないことを』

『男の子と走るなんて。恥を晒すようなことをするのはお止めなさい』

そう言われた。

その通り。

走る必要なんてない。私は運動の競技選手などにはならない。私は立派な殿方と結婚して、子どもを生んで、尽くさなければならないのだから。成長するごとに、どんどん世界から色が失くなっていったけど、気にしていない。

 

 

 

 

 

それでいいの?

 

 

 

 

また、誰かが叫ぶ。それを無視して、今日も私は笑う。

良き娘であり続ける。そして良き妻となり、母となるのだ。それが私の望みだから。

だってそうでしょう?私が言う通りにすれば、みんな満足してくれる。このまま、立派な家に住んで、美しい着物を毎日着て、信じられないくらい美味しい食べ物を食べて、裕福な生活を送ることができる。なんて贅沢で幸せな生活なんだろう。

灰色の世界で、私は笑う。

『×××、見て、この美しい着物を。お父様があなたにと』

お母様が差し出したのは美しい着物だった。薄紅色の、雛菊が描かれた華やかな着物。

『よかったわねぇ。×××の好きな薄紅色と雛菊の着物よ』

本当に。とても嬉しい。私には灰色しか分からないけれど。

 

 

 

 

 

ああ、でも一度だけ、色のついた世界を見たことがある。

使用人のフミが一度だけ、内緒で庭を走らせてくれた。

--フミ、本当にいいの?

フミにそう言うと、彼女は笑って頷いた。

『お嬢様、大丈夫です。旦那様と奥様は旅行中ですし、お坊っちゃまは学校に行っています。誰にも分かりませんよ』

そして、お兄様が着られなくなり捨てる予定の洋袴を着せてもらって、私は広い庭へ出た。

フミの方を見ると、笑顔で私を見ていた。なんだかそれが安心できて、私は思い切り足を踏み出した。

勢いよく地面を蹴る。手を振り回して駆ける。周囲の景色が流れていく。自分が風に溶け込んだような気がして、夢中で足を動かした。

ああ、なんて清々しくて、気持ちいいんだろう。いつもこんな風に走っていたい。

そう思った次の瞬間、地面に落ちていた石につまずいた。思い切り転んでしまう。倒れた衝撃にビックリして、少しだけ痛みを感じる。クルリと仰向けになった。フミが慌てて駆け寄ってきたのが見えたけど、私の目は、視界いっぱいに広がる空の青さに釘付けとなった。

雲ひとつない。高くて、何もかも吸い込んでしまいそうな青。知らなかった。世界ってこんなにも広くて、美しいんだ。なんて綺麗な空だろう。こんなにも素晴らしいなんて、私、知らなかった。

しばらくぼんやりとその美しさに見とれて、腕を伸ばした。その美しい青を掴めそうな気がして。フミが助け起こしてくれるまで、ずっと空を見つめていた。

--フミ、私、あんな世界をもっと見てみたい

『そうですか。よっぽど楽しかったのですねぇ』

--いつか、もっともっと走ってみたい。無理だって分かってるけど。

『……お嬢様』

フミが悲しそうに笑う。そんな顔、してほしくない。

フミには本当に感謝している。いつも優しくて、温かい人だった。

『お嬢様、お嬢様がお嬢様らしく、自由に生きられる日がきっと来ますよ』

そんな言葉をかけてくれた。フミは本当に優しい人。そんな日は決して来ないと知ってるのに。そんな言葉をかけてくれた。

自由?ううん。そんなの望んでないわ。私は今のままでとっても幸せだから。

 

 

 

 

嘘つき

 

 

 

 

また誰かが叫ぶ。もうやめて。

私に優しくしてくれたフミも、もういない。いつの間にか消えていた。フミと一緒に働いていたフミの夫もいなくなった。いろんな人にフミはどこに行ったのか聞いたけど、誰も何も教えてくれなかった。不思議に思っていると、フミの夫だけが一人で戻ってきた。

--ねえ、フミは?

フミの夫はまるで泣き出しそうな表情になると、膝をついてしまった。私が慌てていると、フミの夫が言葉を絞り出した。

『……妻は……、死にました。心臓が……弱くて。悪化してしまって、……もう治らないと言われて……』

そう聞かされて、体が凍ったように固まる。知らなかった。フミが病気だなんて。

フミの夫が一瞬だけ目を閉じて、再び立ち上がった。そしてそのまま私に向かって深くお辞儀をすると、立ち去っていった。

私は、あんなに、フミに世話になったのに、何も出来なかった。

 

 

 

 

もう世界に色はない。二度と色づくことはない。

あの美しい空の色を見ることはない。でも大丈夫。お父様とお母様が望む通りの娘であればいい。

それが私の存在理由だから。

おしとやかに、上品に、従順な娘でありさえすれば、みんなが満足してくれる。それが、私の望み。

 

 

 

 

それは本当の私じゃない!

 

 

 

 

また、誰かが叫んだ。

いいじゃない。本当の自分なんて、気にする必要はない。目をそらして。無視をして。自分の考えなんて持つ必要はない。疑問に思わなくていい。そしたら、私は----、

 

 

 

 

ねえ、なんでこんなことしてるの?

 

 

 

 

目の前に恐ろしい鬼がいた。なんでこんなことになったのかしら?

ああ、そうだわ。夜会が催されて、お父様とお母様と一緒に出席しなければならなかった。大人に囲まれて、いつものようにただただ笑っていた。だけど、夜遅くなりそうだから、先に帰るように言われた。お母様が一人で帰すのは心配だと仰っていたけれど、私はお父様の望んだ通りの答えを口に出した。

--大丈夫ですわ。護衛も運転手もおりますし、先に戻っています。ご心配なさらず。

そう言うと、二人とも安心したような顔をした。

車に乗ってぼんやり外の景色を眺めていると、突然の衝撃。目の前で護衛と運転手が切り裂かれる。真っ赤な血が、私の着物を汚した。ああ、お母様が用意してくださった薄紅色の雛菊の着物。私のお気に入り。

お気に入り?そうだったっけ?

そう疑問に思いながら目の前に落ちていた短刀を手にとって、私は動いた。

 

 

 

 

 

 

気がついたら、私は暗闇の中にいた。たくさん怖い夢を見た。

 

 

 

 

 

 

赤い髪の少年と鬼になった妹。

その妹を殺そうとしている、髪を後ろで結っている変な羽織の青年。

赤い髪の少年が必死に刀の修行をしてる。たくさんの鬼と戦っている。

金髪の少年と猪頭の少年が戦う光景も見えた。

炎のような青年が、列車の中で鬼と戦い、殺された。

そして、蝶の髪飾りをつけた綺麗な女の子が鬼に食べられる光景も見えた。

たくさんの、人が次々に死んでいく。

 

 

 

数えきれないくらい、そして覚えきれないくらい恐ろしい夢を何度も見た。これは、なんだろう。

鬼に襲われたその日から、私は暗闇の中にいる。なんでこんなところにいるんだろう。

早く、元に戻らないと。

そう思うのに、戻れない。

()が家を出ていこうとしている。あれは、あの()は私じゃない。いつも頭の中で叫んでいた()だ。

 

 

ーーやめて!そんなこと、ダメよ!

 

 

 

私は叫ぶ。聞こえているはずなのに、()は無視をした。

家も家族も捨てて使用人と共に出ていってしまった。

何度もやめるように叫ぶのに、こちらの言うことを聞かない。

居住地を転々と変え、両親に見つからないように逃げ続ける。途中で家から持ち出した着物や装飾品も全て売ってしまった。

そして、信じられないことに、誰かから買い取った赤の他人の戸籍を自分の物にしてしまった。

『×××』

私の名前、捨ててしまった。ああ、どうして。

私が、私でなくなっていく。私の存在が消えていく。

 

 

 

 

 

 

()は、山の中に移り住み、そこで刀の修行を始めた。そんなこと、続くはずがない、と思ってたのに、大きな間違いだった。厳しい修行なのに、信じられないくらい苦しくて辛い修行なのに、思い切り体を動かしていく。

私って、あんなに体を動かすことができたのね……。

思わず叫ぶのを止めて、感心してしまうくらい刀の腕が上がっていく。

 

 

 

 

 

 

やがて、藤の花が咲き誇る山で鬼と戦うことになった。何かを傷つけるなんて初めてだった。()は躊躇いなく、涼しい顔で鬼を斬っていく。恐ろしい七日間が過ぎていく。服が汚れるのも構わずに、体に傷がつくのも気にしていない。

 

--お願いだから、もうやめて……

 

最終日、私がその後ろ姿に声をかけると、()は立ち止まった。振り向きもせずに、その場に留まっている。ようやく耳を傾ける気になったのかと思い、私は叫んだ。

 

--こんなこと、する必要はない!私はお父様とお母様に従ってさえいれば、幸せになれるのよ!

 

()は口を閉ざしている。

 

--考え直して。私はここにいるべき人間ではない。

 

()は動かない。

 

--ねえ、帰りましょう。今ならきっと、お父様もお母様も許してくださるわ。思い出して。みんなの願いは、私が良き娘として素晴らしい方と結婚し、子どもを生んで、幸せになることなの!

 

そう叫ぶと、()が振り向いた。こちらを鋭い目で見据えながら、口を開く。

 

「……もう、黙って」

そして私に向かって真っ直ぐに刀を向けてきた。

 

--やめて!どういうつもり!?

 

「あなたは偽物の私。父母が作り出した理想の娘」

 

--そうよ!それでいいじゃない!何を血迷ってるの!

 

「私は、私として生きたい。私は、人を救いたいの。」

 

--無理に決まってる!流されるだけのお人形の私が、人を救うなんて!

 

「なんだ。分かってるじゃない。そうよ。私は意思を持たないお人形で、常に誰かの付属物だった。いえ、違うわね。意思を持つのを止められていた。そして全てを諦めていた」

 

--それの何が悪いの!何も苦労することなく幸せになれるのに!

 

「色のない世界で幸せになっても意味はない。お人形は、もうたくさんよ。私は、」

 

 

 

 

 

 

 

「……あの日見た青空の下で生きたいの」

 

 

 

 

 

 

「だから、邪魔しないで」

そう言って()は刀を振るい、私の首を斬った。

私が消滅していく。フワフワと目の前の灰色の景色が薄くなっていく。()が静かに涙を流していた。その涙を見た時、不意に思い出した。

--そうだ。私、本当は運動の競技選手になってみたかった。走るのが好きだった。思い切り体を動かして運動してみたかった。もっと勉強したかった。お父様の会社で働いてみたかった。結婚なんてしたくなかった。薄紅色なんて好きじゃない。お母様が勝手に私の好きな色なのよって言ってただけ。本当は私、あの日走った時に見た空色が好きだったの。

私を殺した()が唇を動かす。

「ごめんね。さよなら……」

--おかしな話。どうして()が泣くの?謝るくらいなら、こんなことしなきゃよかったのに

ああ、でも、きっと、これが本当の私の望みなんだわ。私はその涙を見つめながら、思わず笑った。

ひとつだけ、本当の思いがある。お母様が私の花だって仰っていた雛菊。私は、あの花が結構好きだった。これは偶然だけど今の()の新しい名前も花の名前だ。

消滅していく中で、私は目を閉じた。

--新しい名前も好きになれるといいな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日『×××』は死んで、圓城菫が生まれた。

そして、人形は少女となり、また、剣士となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ、お嬢様」

最終選別から戻った圓城をじいやが出迎えてくれた。微笑みながら声をかけてくる。

「よくぞご無事で。最終選別の突破、心よりお祝い申し上げます」

「……ありがとう。取りあえずは休息をとります。布団を用意して」

「はい。かしこまりました」

じいやが準備してくれている中、圓城は疲れた体を動かして着替える。

「育手の方には挨拶をされましたか?」

「ええ。ここに戻る途中で御礼を伝えてきました。」

「それはよろしゅうございました。この数ヶ月、大変でしたねぇ」

「……大変?大変じゃなかったわ。あの頃と比べたら、ずっと楽だった気がする……」

圓城がボソリと呟くと、じいやが首をかしげた。

「お嬢様……?」

圓城はフッと笑い、じいやに正面から向き合った。そして口を開く。

「じいや。今日、私は、私を殺してきました」

「……」

「私は人殺しよ。過去の自分を殺してしまった。その報いはいつか受けるでしょう。せめて、その日が来るまでは、できる限り多くの人を救いたい」

「……お嬢様」

「改めまして、私は、鬼殺隊隊員、圓城菫です。この命が燃え尽きるその日まで、末長くよろしくお願いします。」

「……はい」

圓城は笑って、窓から外を見上げる。あの日に見たような青空が広がっている。

 

 

 

 

もう世界は、灰色じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 





もう一つ、番外編を挟んで本編に戻ります。
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