「……」
「……」
「……なんか、言えば?」
「……いえ」
圓城が鋭い目をしながら口を開き、しのぶが言葉に詰まる。カナエが苦笑する。
目の前の圓城の姿は背が縮み、どう見ても十歳ほどの少女へ変貌していた。
始まりは鬼との戦いだった。単独任務で鬼を斬ったのはいいが、最後の最後で鬼に何らかの術をかけられた。後はお察しの通り。気がついたら背が縮んでいた。
「不覚!不覚です。なんでこんなことに…!」
「あらあら、そんなに自分を責めないで、菫」
カナエが頭を撫でながら慰めてくれるが、圓城は歯軋りをした。悔しさで冷静さが保てない。完全に油断していた。
一方しのぶは複雑な思いで圓城をじっと見ていた。可愛い。元々圓城はしのぶより十センチほど身長が高い。なのに、今は逆に圓城の方がしのぶよりも十センチ以上低く、しのぶが見下ろす側になっている。隊服もブカブカだ。プンスカ怒っている姿が、なんか可愛い。
しのぶがひたすらじっと見つめていると、圓城がしのぶの方へ視線を向けてきた。
「しのぶ!これ、治るのよね!?いつ治るの?」
「え、えーと、たぶん、そんなに強い術じゃないし、すぐに治ると思う……」
「すぐって、いつ!?」
しのぶにグイグイ近づいてくる圓城をカナエが宥める。
「まあまあ、落ち着いて、菫。焦らなくても大丈夫。その姿もとっても可愛いから」
「師範!可愛いとかは問題じゃなくて、このままでは身長も腕力も足りなくて鬼が斬れません!」
「……とりあえず、薬を作ってみるから」
しのぶがそう言うと、圓城はホッとしたような顔をした。しのぶは苦笑しながら薬を作るために研究室へ向かう。
「え~、菫、しばらくはこのままでいいんじゃない?」
「何言っちゃってるんですか、師範!嫌です!」
「菫、本当に可愛いわよ」
「可愛くなくていいんです!早く戻りたいんです!」
「小さい頃の菫ってこんな感じだったのねぇ」
しみじみと感じたように呟くカナエと怒り続ける圓城が残された。
その夜はしのぶが出してくれた苦い薬を無理矢理流し込み、元に戻ることを願いながら床についた。
翌日。
「うそつき!しのぶのうそつきぃ!」
うわーん、と声をあげて泣く圓城にしのぶは困り果てて頭を抱えた。一日経ち、目が覚めた時、圓城は元に戻るどころか、身長がまた縮んでいた。現在五歳ほどの年齢の少女となっている。
「ぜんぜん、もとにもどってない!くすりがきいてないの!?」
「うーん…、正直こんな事態初めてで…。どうすればいいか分からない…」
「そんなぁ…っ」
瞳に大粒の涙を貯めて、しのぶをすがるように見てくる。なんだか精神も幼児になってきた気がする。しのぶがそんなことを思いながら圓城を見つめていると、カナエが泣いている圓城を腕に抱えた。
「ほらほら、菫、泣かないの。大丈夫だから」
「うえぇぇぇん、しはん……」
「よしよし、いい子ねぇ、もう泣き止んで。ほら、カナヲとアオイもびっくりしているわよ」
カナエが菫を抱っこして、まるであやすように言葉をかける。チラリと部屋の外を見ると、カナヲとアオイがソワソワとこちらを見ていた。
「しはん…、もとにもどれなかったら、どうすれば……」
「その時は私がお母さんになって、菫を育てるから大丈夫!」
「それは、なんかちがうきがする……」
「ほらほら、お母さんよー」
「……しのぶぅ」
幼児化した涙目の友人と、母性全開となっている姉を見ながらしのぶは頭を抱えた。
そして三日目。
「ねーたん、かなえねーたん」
「あらあら、どうしたのー、菫。甘えんぼさんねぇ」
目が覚めたら圓城は二~三歳ほどの幼女になっていた。ついでに精神も完全に退行している。自分からカナエに甘えるように抱きつき、それをニコニコとした顔でカナエが受け止めた。しのぶは困り果てて眉間に皺を寄せる。
「うわぁ、菫さん、可愛いですね」
「……」
アオイとカナヲも近づいてきてしげしげと圓城を見てくる。圓城はいろんな人間に囲まれて、何が楽しいのかずっと笑っていた。しのぶは大きなため息をついた。
カナエが圓城を抱っこしながら話しかける。
「さあ、菫、私の名前は?」
「かなえねーたん!」
「じゃあ、この子は?」
「かなをねーたん」
「私は?」
「あおいねーたん」
「じゃあ、あっちにいるあの子は?」
「しのぶ!」
「正解よ!菫はかしこいのねぇ」
「いや、なんで私だけ呼び捨て?」
こんなことしている場合じゃないと分かっているのに、しのぶはついツッコんだ。
「どうしよう、姉さん…、薬も効かないし…、」
「うーん、なんだか本当にこのまま育てればいいような気がしてきた……」
「姉さん!!」
「冗談よ。」
そう言いつつも、たぶん、姉の目は半分本気だった。
「薬の効能がまだ出ていないだけだと思うわ。もう少し様子を見ましょう」
「大丈夫かしら……」
圓城はアオイやカナヲとじゃれ合いながら、キャッキャッと本当の子どものように笑っている。しのぶはまた大きなため息をついた。
その夜、カナエが羽織を身に付けながら玄関に向かう。
「じゃあ、今夜は私は任務があるから、しのぶ、菫のことよろしくね」
「うん……」
「菫、お姉ちゃん、任務に行ってくるから、しのぶと待っててねー。」
「……はやく、かえってきてね、ねーたん」
圓城のその言葉にキュンとしたらしいカナエが抱きついた。
「……しのぶ、今日、私、任務休むわ」
「ダメに決まってるでしょ」
「しのぶ、」
「行ってらっしゃい」
無理矢理カナエを外に出す。しのぶはクルリと圓城に向き直ると、口を開いた。
「さ、菫。夜遅いし、もう寝なさい」
「……ねむくないもん」
幼児化しても眠るの嫌いなんだ、としのぶは思いながら圓城の手を握り引っ張った。
「眠くなくても、寝るの。もう遅い時間なんだから。さあ、部屋に行くわよ」
「……しのぶといっしょに、ねる」
「はあ?ダメよ。私は今日、毒の研究したいんだから」
「しのぶのいじわる……」
「あなた、なんで姉さんには素直なのに、私には生意気なのよ…」
そう言葉を交わしながら、しのぶは圓城を寝室へ連れていった。
布団に寝かせると、圓城はブツブツ文句を言っていたが、すぐに眠気に襲われたのか、寝入ってしまった。しのぶは眠るまで様子を見ていたが、圓城が完全に寝たのを確認して、研究室に戻った。
しのぶが食べられる。血のような真っ赤な鬼が、しのぶを吸収している----。
圓城はあまりにも恐ろしい夢を見て飛び起きた。
「……しのぶ」
そばには誰もいない。それが悲しくて、涙がこぼれる。会いたい。しのぶはどこ?
立ち上がって、寝巻きのまま屋敷内を歩く。フラフラするが気にしない。やがて、灯りのついた部屋へたどり着いた。
「……しのぶ」
「え、菫?起きちゃったの?」
突然部屋に入ってきた圓城を見て、しのぶが驚いたように声をかけてきた。もうすぐ日付が変わる時間だ。
「どうしたの?もしかして、廁?」
「……」
トコトコと圓城が近づいてきて、しのぶの足にギュッと抱きついた。
「菫?」
「……」
何も言わない。しのぶは一旦圓城の手を離して、しゃがみこみ、視線を合わせる。
「どうしたの?お腹すいた?それとものどが乾いた?」
「……いっしょにねる」
泣きそうな表情をして、それだけしか言わない。しのぶは少しだけ考えて、苦笑すると頭を撫でた。
「分かった。切りのいいところまで終わったし。それじゃあ、寝ましょうか。」
「……」
圓城は何も言わずにコクンと頷いた。
「菫、今日だけだからね」
「……」
自分の布団に圓城を寝かせ、その隣にしのぶも横たわる。しのぶの体に圓城がギュッと抱きついてきて、思わず抱きしめ返した。
こんなに甘やかしてしまうなんて、姉さんのこと棚にあげられないなぁ、と苦笑する。
圓城を見ると、既に目を閉じている。しのぶは圓城を抱きしめながら思った。
明日、この子はどうなっているだろう。もしかすると、本当にこのまま元に戻らないのかもしれない。私の知ってる菫が消えるかもしれない。そんなの、嫌だ。
抱きしめる手に力を込めた時、何かが頬に触れた。パッと体を離すと、圓城がしのぶの頬を撫でていた。
「……菫?」
「……だいじょうぶ。しのぶはだいじょうぶ。」
圓城が笑う。
「しのぶはつよいから、だいじょうぶ」
「……強くないわ」
「つよい。わたし、しってる。わたし、しのぶのことだいすきだから、しってる」
圓城の言葉に顔が赤くなったのが分かった。圓城がまた笑う。
「しのぶがそばにいてくれるから、わたしもがんばる」
「……うん」
「あのね、ないしょにしてね。かなえねーたんもだいすきだけど、しのぶもだいすき」
圓城がぼんやりしながら呟くように言った。そんな圓城を見て、しのぶは意地の悪い質問をした。
「……私と姉さん、どっちが好き?」
「…んへへぇ、ないしょ」
「こら、答えなさい」
「キャーっ」
圓城の体をくすぐると、笑いながら小さい悲鳴をあげた。そのままやがて、二人は笑い合いながら、ゆっくりと眠りについた。
翌朝、早い時間にカナエは任務から戻ってきた。屋敷の者はまだ寝ているため、静かに玄関から入り、自室へ向かう。
「……あら?カナヲ?」
廊下のしのぶの部屋の前で、カナヲが棒立ちになっている姿を発見した。名前を呼ぶと、カナヲがこっちを向く。
「どうしたの?こんな早くにしのぶの部屋の前で……」
カナエがそちらへ近づき、しのぶの部屋を見た。そして、思わず笑った。
「あらまあ……」
しのぶと、元の姿に戻った圓城が一つの布団でくっついて眠っていた。お互いに抱きしめ合いながら、穏やかな顔をして寝入っている。
「仲良しねぇ……」
カナエは笑いながらそんな二人を姿を見つめた。
「……なんで私、しのぶの部屋で寝てるの?」
「さあね」
「え、全然思い出せない。何があったの?」
「自分で思い出せば?」
「え?え?」
その数分後、覚醒した圓城はしのぶの布団で寝ていたことに驚きながら、しのぶに何度も問いかける。
「え、お願い、待って、しのぶ。私、変なことしてないよね?」
「………。してないわよ」
「待って、今の間は何?私、何したの!?」
「してないってば」
「私の目を見て話して!」
オロオロと狼狽えている圓城と、目をそらしながらもなぜか嬉しそうにしているしのぶを見て、カナエは笑った。