「……落ち着いた?」
二人で寄り添うように泣いて、どれくらいたっだろうか。そう声をかけられて、圓城はしのぶの腕の中で頷いた。ゆっくりとお互いに体を離す。
しのぶの顔を見ると、頬と目の縁に泣いた痕跡がまだ残っていた。圓城はその顔から目を背けるようにうつむく。
「……ごめんね、そんな、顔をさせて」
「……菫」
「しのぶに、そんな顔をさせたくなかった。私はいつも、こうだ。自分の感情ばかり先走ってしまう……っ、」
圓城はゆっくりと視線を上げてしのぶを真正面から見た。
「私は、--しのぶ、……あなたに、……あなたを--、」
圓城が言葉に詰まりそうになりながらも、そう続けた時だった。
「しのぶ様、よろしいですか。お怪我をされた方が、」
そこに入ってきて声をかけたのはアオイだった。圓城としのぶのただならぬ雰囲気を感じたのか、戸惑っている。
「……すみませんが、圓城さん、」
「ええ。私なら大丈夫ですわ」
「痛いところがあれば、アオイに」
「ええ、ありがとう」
一瞬で二人はいつものよそよそしい関係に戻る。しのぶは顔を伏せるようにして部屋を出ていった。
圓城は大きく息を吐いて、ゆっくりとベッドに倒れる。
「……菫様、しのぶ様と何かありましたか?」
アオイが言葉をかけてきて、圓城は苦笑した。
「うーん、……少し、ね。」
アオイが何かを言いたげな顔をする。そんな顔を無視して、圓城は口を開いた。
「ところで、刀鍛冶の里はどうなったの?」
「……大変だったらしいですよ」
上弦二体による襲撃を受けたが、どうやら被害は最小限だったらしい。現在復興させる取り組みが行われているとの事だった。圓城は目を見開く。
「え、……ちょっと待って、二体?上弦二体?」
「はい」
アオイの話によると、圓城が戦った鬼の他にもう一体、上弦の伍がいたらしい。霞柱の時透無一郎が頚を斬ったとの事だった。その話を聞いて圓城は口に手を当てた。
「素晴らしいですわねぇ、霞柱サマ1人で勝つなんて。」
時透とほとんど話したことはなく、普段ボーッとしている姿しか知らないため、圓城は心から感心した。
時透と甘露寺は圓城より一日早く、昨日目が覚めた。もうほとんど全快しており、退院する準備をしているらしかった。甘露寺は圓城の事を心配して何度か様子を見にきてくれていたそうだ。
炭治郎の方はまだ意識が戻らないらしく、圓城は顔をしかめた。あとでお見舞いに行こう。ちなみに玄弥の方は既に悲鳴嶼のもとへ戻っているらしかった。圓城は少し首をかしげる。そういえば戦いのせいでまともに話したことないけど、あの子は誰なんだろう。なんかどっかで見たことあるような顔をしていたな。悲鳴嶼のもとにいるってことは彼の継子なんだろうか?
「……大変でしたわね。本当に」
「菫様、体の調子はどうですか?」
「うーん、特に痛いところはないですわ。なんだか、怪我をした割には体も軽い気が…」
圓城がそう言って立ち上がろうとした時、
「あら……?」
義足を装着していない事に気づいた。辺りを見回すが、どこにも見当たらない。
「ああ、菫様の義足、かなり傷がついていたらしいです。壊れてはいないようですが、手入れと不具合がないかの点検のため、さっき菫様の使用人さんが持って帰っていました」
「あらまあ……」
かなり激しい戦いで、さすがに酷使しすぎたらしい。圓城は苦笑した。
「代わりに、これを置いていきましたよ。あと、羽織と帽子もボロボロだったので持って帰るそうです。」
そう言ってアオイが杖を差し出してくれた。圓城はホッと安心してそれを受けとる。よかった。これなら歩くのに支障はない。しかし、一日でも早く元のように動けるようにならなければ。残された時間は少ない。アオイが食事を運ぶために部屋を出ていったあと、圓城は杖をじっと見つめた。
今回の傷の治りが異常に早く、圓城は首をかしげた。あんなに怪我をしていたのに、どういう事だろう。まあ、それはともかく翌日には早くも自邸に戻ることになった。
この二日間しのぶとまともに話す時間がなかった。どうやらかなり忙しいらしく、話をしたのは自邸に戻る前に傷を確認してもらった時だけだった。それもほんの数分でしのぶは他の娘に呼ばれてその場を離れてしまった。
「私の義足はまだ?」
「開口一番それですか」
迎えにきてくれたじいやがため息をつく。
「まったく、本当に怪我ばかりして。いい加減にしてください」
「私だって好きで怪我したわけじゃないわ。」
じいやに荷物を預けて、圓城は杖をついて片足で歩き出す。
「それで?義足は?」
「現在点検中です。もう少しお待ちを」
「遅い。早くしなさい。時間がないわ」
その言葉の調子がおかしいような気がして、じいやは圓城の顔を見た。思い詰めたような表情をしている。
「……お嬢様……?」
「ああ、じいや。この後寄りたいところがあるの。どこかでお土産を買ってから行きましょう」
「え、今からですか?」
「山に登るわよ。準備はいい?」
「………え?」
「この度は助けていただきありがとうございました。お恥ずかしい姿をお見せしまして……」
「………ぁ……いえ、………」
圓城がやってきたのは岩柱、悲鳴嶼行冥の住む場所だった。隣には山をスーツで登りボロボロになったじいやがいる。退院したばかりなのに山を登るなんてやめてくれと何度も止めたが圓城は聞かなかった。病み上がりで片足にも関わらず、圓城は涼しい顔で山道をどんどん進んでいくため、じいやはついていくのが精一杯だった。いや、多分圓城はこっちに合わせていてくれたのだろう。じいやはその体力と身体能力に若干引きつつ、目の前の人物に買ってきたお土産を手渡す。
不死川玄弥は突然やって来た圓城に顔を真っ赤にしながら応対した。圓城の姿は前に見た時とは全然違う。羽織も帽子も身につけておらず、清潔な隊服をそのまま着こなし、まっすぐな髪は頭の後ろで一本に結んでスミレの飾りがついた白いリボンをつけている。ニッコリ笑いながら玄弥を見てくる表情は刀鍛冶の里で見た時の姿とは全く違い、戸惑った。圓城は玄弥とその隣に座る悲鳴嶼に向かって口を開いた。
「突然お伺いして申し訳ありません、岩柱サマ。玄弥さんに大変お世話になりましたので、せめてものお礼の気持ちをお伝えしなければと思いまして……」
「南無……、圓城、体の調子はどうだ……?」
「まだ義足が戻らないため全力では動けませんが、それ以外は問題ありませんわ」
圓城はそう言って笑いながら、言葉を続ける。
「何がお好きかは分からなかったので、美味しいお煎餅やお菓子をお持ちしました。あとは岩柱サマがお好きと言っていた炊き込みご飯も。ぜひお二人でどうぞ。お口に合うか分かりませんが…」
「………あ、ありがとう、ゴザイマス……」
なぜか玄弥はほとんどしゃべらない。圓城はお菓子なんて好きじゃなかったかなと首をかしげたが、玄弥はたどたどしくお礼を言って受け取ってくれたので安心した。
「玄弥さん、里では乱暴な事をして本当に申し訳ありませんでした。言い訳にはなりませんが、あの時は少し体調を崩していまして……」
「……ぃ、ぃぇ、……」
「……?圓城、どこか悪かったのか?」
「あ、いえ、もう治りましたから」
悲鳴嶼の問いかけに圓城は苦笑しながら言葉を濁す。ただの寝不足とはいいにくい。
「とにかく、玄弥さんのおかげでとても助かりましたわ。本当にありがとうございました。あなたはとっても強いんですのねぇ。あなたが頑張ったから、上弦の鬼を倒して、みんなで生きて帰る事ができましたわ。」
圓城がそう言って頭を撫でると、玄弥はますます真っ赤になり、その場で立ち上がると走り去ってしまった。
「……何か嫌なことを言ってしまったかしら?」
「…心配するな。慣れていないだけだ」
「……?はあ……。ところで、玄弥さんは岩柱サマの継子でいらっしゃるんですの?」
「…いや、いろいろあって面倒を見ている」
「そうなんですか…」
継子とは違うのかな、と圓城が不思議そうな顔をしていると悲鳴嶼の方が言葉をかけてきた。
「圓城……、少し先になるが緊急で柱合会議が開かれることになる。必ず参加しろ……」
「ええ、それはもちろん。禰豆子さんの件ですわね。」
「それもあるが……お前達に出てきた痣の件も含めて話し合わねばならん…」
「痣?」
圓城は首をかしげた。痣とはなんだろう?
「何の事ですの?」
「……そうか。まだ知らなかったのか。先日の戦いでのことだ…」
圓城は悲鳴嶼の話を黙って聞き続けた。
その数日後、悲鳴嶼が言った通り、緊急柱合会議が開かれた。
「あーあ、羨ましいことだぜぇ。なんで俺は上弦に遭遇しねえのかねえ」
「こればかりはな。遭わない者はとんとない。甘露寺と時透と圓城、その後体の調子はどうだ」
「あ、うん。ありがとう。随分よくなったよ」
「僕も…、まだ本調子じゃないですけど…」
「……私も義足以外は、特に問題ありませんわ」
「これ以上柱が欠ければ鬼殺隊が危うい…。死なずに上弦二体を倒したのは尊い事だ」
「今回の三人ですが、傷の治りが異常に早い。何があったんですか?」
「その件も含めてお館様からお話があるだろう」
柱達がそれぞれに話す間、圓城は微笑むふりをしながらも、かなり機嫌が悪くイライラしていた。義足に不具合が見つかり、調整と手入れに思ったよりも時間がかかっていた。じいやを急かすが、こればかりはきちんと調整しないと危険だと諭され、どうにもならない現実に怒っている。どんなに鍛練を頑張っても、片足では戦えない。
「大変お待たせ致しました」
その時部屋に入ってきたのはお館様ではなく、お館様の妻、産屋敷あまねだった。
「本日の柱合会議…、産屋敷輝哉の代理を産屋敷あまねが務めさせていただきます」
そういいながら、あまねが頭を下げる。その後ろにはおかっぱの子どもが控えていた。
「そして、当主の輝哉が病状の悪化により、今後皆様の前へ出ることが不可能になった旨、心よりお詫び申し上げます」
柱全員が一斉に頭を下げた。代表して悲鳴嶼が口を開く。
「承知…、お館様が一日でも長くその命の灯火、燃やしてくださることをお祈り申し上げる…」
圓城は夢の中のお館様の最期を思いだし、伏せた顔を大きく歪めた。ゆっくりと他の柱とともに顔を上げる。
「すでにお聞き及びとは思いますが、日の光を克服した鬼が現れた以上、鬼舞辻無惨は目の色を変えてそれを狙ってくるでしょう……」
あまねが言葉を続け、圓城は自分の顔を無理やり穏やかな表情に戻しながら話に集中した。
「上弦の肆・伍との戦いで甘露寺様、時透様、圓城様のお三方に独特な紋様の痣が発現したとの報告があがっております。お三方には痣の発現の条件をご教示願いたく存じます」
圓城は黙って顔を伏せる。戦いの最中、自分の顔に星のような形の痣が発現したという話は事前に聞かされていたが、あの時の感覚はよく覚えていない。家の鏡で自分の顔を確認したが、痣の痕跡は全く見られなかった。
あまねの話が続けられる。どうやら鬼舞辻を追い詰めた始まりの呼吸の剣士達に同じような痣があったらしい。
「痣の者が一人現れると共鳴するように周りの者たちにも痣が現れる--」
その最初の一人が、竈門炭治郎だった。強い少年の姿を思い出して圓城は拳を握った。
「…ご本人にもはっきりと痣の発現の方法が分からない様子でしたので、ひとまずそれは置いておきましたが、この度それに続いて柱のお三方が覚醒された。ご教示願います。甘露寺様、時透様、圓城様」
あまねがペコリと頭を再び下げた。甘露寺がすぐに声を上げる。
「は、はい!!あの時はですね、確かに体が軽かったです。え~と、え~と、ぐあああ~ってきました!グってして、ぐぁーって。心臓とかがばくんばくんして、耳もキーンてして、メキメキメキイッて!!」
一瞬周囲が静寂に包まれる。圓城は思わず苦笑した。
「申し訳ありません。穴があったら入りたいです……」
甘露寺が汗をかきながらその場に頭を下げた。
「痣というものに自覚はありませんでしたが…、あの時の戦闘を思い出してみた時に、思い当たること、いつもと違うことがいくつかありました」
時透が甘露寺に代わり話し始めた。その話によると、強すぎる怒りにより心拍数が高い数値となり、更に体温は三十九度以上になっていたらしい。そう説明されて、自分の戦っていた時の状況を思い出す。そうだ、あの時は鬼に対して私も怒っていた。寝不足で、疲れていて、怠くて、頭が痛くて、なのにしつこく現れる鬼にとにかく怒っていて身体が熱くなったんだ。
「圓城様はどうでしょうか。何か気づいた事はありますか」
あまねに話しかけられて、圓城は迷いながら口を開く。
「……ええ、大体は霞柱サマと同じ状況でしたわ。ただ、あの時は……、私の身体状況と精神状態が普通ではありませんでしたので…、正直よく分からないのです」
「その普通でなかった状況というのはどういう事だ。それが知りたいんだ。さっさと話せ」
伊黒にそう言われて、圓城は少し決まり悪そうに答える。
「えー、あのですね。……実を言うと、あの時少々寝不足気味だったといいますか、……柱として不甲斐ないのですが、疲労でどうにかなりそうだったんです…」
「……圓城さん、何日寝ていなかったのですか?」
しのぶが鋭い視線で問いかけてきて、圓城はそれから目をそらすようにうつむき、仕方なく正直に答えた。
「……13日ほど、ですわ」
「ハアァっ!?」
不死川がギョッとしたような声を出す。不死川だけでなく、その場の全員がこちらを見てきたのが分かった。
「……13日って…、あなた、なぜそんなに……、」
しのぶの呆然とした声が聞こえた。圓城は顔を上げて誤魔化すように話を続ける。
「あの時はとにかく早く休息をとりたくて、そんな時に鬼が現れたものですから、怒りでかなり体温が上がってましたの。三十九度というのは分かりませんでしたが、たぶんそれくらいでしょうね。」
「……ってことはよォ、痣を出すには13日間は眠らずにいなければならねェってことか?」
「それはありませんわ」
不死川の言葉を圓城ははっきりと否定する。
「私は不眠不休で約12日間の活動が可能です。しかし、12日を越えても戦えないことはありません。実際少ないですが、何度か12日を越えた状態で戦ったことはあります。体調は最悪でしたが、今まで痣が出たときのような症状が出たことはありませんわ。最も、単独任務が多いので、もしかすると知らないうちに痣がでて、私が気づかなかったという可能性もありますが……」
圓城が淡々と話を続けると、悲鳴嶼が問いかけてきた。
「南無……、人間はそんなにも長い間眠らずに活動できるのが可能なのか……?」
「まさか。普通は途中で倒れます。私は眠るのが非常に嫌いなだけです。この数年で常に寝不足の状態が続き、睡魔への耐性が異常に強いというだけの話ですわ。」
「眠るのが嫌いって……、お前睡柱だろう?」
伊黒の言葉に圓城は笑う。
「睡柱の名前をいただいておりますが、私はこの世で一番睡眠が大嫌いです」
そのキッパリとした言葉に全員が訝しげな表情となった。圓城がそれを無視するように言葉を続ける。
「私の話は以上です。何の参考にもならずに申し訳ありません…」
圓城はそれを最後に口を閉ざす。今度はしのぶが口を開いた。
「……では、痣の発現が柱の急務となりますね」
「御意。何とか致します故、お館様には御安心召されるようお伝えくださいませ」
悲鳴嶼がそう言うと、あまねは少しだけ顔を伏せて口を開いた。
「ありがとうございます。ただ一つ、痣の訓練につきましては皆様にお伝えしなければならないことがあります」
圓城は眉をひそめ、甘露寺は首をかしげた。
「何でしょうか……?」
「もう既に痣が発現してしまった方は選ぶことができません……。痣が発現した方はどなたも例外なく---」
あまねの話を聞いても圓城は何も感じなかった。目の前で冨岡と不死川が何事か争っているが、ぼんやりとしか聞こえない。そうだ。私が死ぬ前に、お館様に直接伝えたいことがある。どうにか謁見する方法はないだろうか----、
物思いに耽っていると、突然悲鳴嶼が両手を叩いた。パァンと音が響き、ビリビリと電流のような衝撃がくる。圓城はハッと顔を上げた。
「座れ……。話を進める。一つ提案がある…」
「圓城さん」
全ての話が終了し、全員が立ち上がる。圓城も自邸に帰るために杖を使って立ち上がると、突然しのぶが話しかけてきた。
「何でしょうか、蟲柱サマ」
圓城が冷静な顔で笑いながら答えると、しのぶが少し怯んだようだが、そのまま話を続けてきた。
「……どう考えても13日間も眠らないなんて問題があります。きちんと睡眠をとってください」
「その通りですわね。申し訳ありません。今後気をつけますわ。では」
圓城は早口でそう答えて、背を向けようとすると、しのぶが圓城の腕を掴んでそれを止めた。
「……蟲柱サマ?」
「嘘をつくのは止めてください」
「あら、嘘なんてついてませんわよ」
「これからもそんな生活を続けるつもりですよね?誰にも気づかれないと思ったら大間違いですよ」
圓城は笑顔を消して唇を噛む。周囲の柱達が訝しげに自分としのぶを見てきたのが分かったので、腕を掴んでいるしのぶの手を無理やり離した。
「……自分の体調の限界ならもう把握しております。今後は十分気をつけますから。もうこの話は終わりにしてくださいな」
「なぜ、そんなにまでして眠りたくないんですか?」
しのぶの問いかけに思わず顔をしかめた。嫌な質問をされて、思わず声が冷たくなってしまう。
「蟲柱サマ、その話は今は止めてください」
ダメだ、と分かっているのに冷静に話せない。しのぶから視線を外して、言葉を続ける。
「眠りたくないのは私の勝手でしょう?蟲柱サマには関係のないことです」
そう、しのぶには関係ない。絶対に知られたくない。圓城が今度こそ背を向けようとするが、しのぶはそれを許さなかった。再び圓城の腕を掴む。その顔からはいつもの笑顔が消えかけている。
「今はって……、あなたはずっと、ずっと、黙ったまま、教えてくれたことなんてないじゃないですか!」
「……っ、教える必要はありません。眠りたくない、それだけです!」
「なんでそんなに眠るのが嫌いなの!なぜそこまで追い込むの!」
「ちょ、ちょっと、本当にやめて、」
「菫!」
珍しくしのぶが感情を制御できなくなっている。圓城が焦って顔を引きつらせた時、今度は後ろから誰かに隊服を引っ張られた。パッと振り向くと、不死川が圓城の襟元を引っ張っており、後ろに下がらせた。目の前のしのぶは悲鳴嶼が後ろから肩を掴み下がらせていた。
「……ここで争うのはやめろ…お館様の屋敷だぞ」
「二人とも、ちょっと落ち着けェ」
それぞれから注意され、しのぶがハッとした表情で笑顔を作り直し、圓城もため息をついた。
「……申し訳ありません」
「……お恥ずかしい姿をお見せしました」
二人同時に口を開いて謝る。
「……もう、帰ります。お疲れ様でした」
今度こそ逃げるように圓城は杖をついて部屋から出ていった。しのぶはもう引き留めずに、笑顔のまま黙ってその後ろ姿を見つめていた。
結局今日もしのぶから逃げてしまった。圓城は唇を噛む。しのぶときちんと話さないといけない。分かっている。よく分かっている。それでも、怖い。今日のように、感情が爆発する。冷静になれなくなる。
「私、できるのかな。ちゃんと、話せるの、かしら……」
でも、もう逃げることは許されない。立ち止まることは許されない。
戦いは、既に終焉へと向かっている。自分の命は長くない。鬼のように永遠はない。時間は有限であり、世界は回っている。物事は続いていき、始まったから、もう終わるしかない。自分に出来ることは限られている。
「しのぶ……」
大切で最愛の、その名前を小さく呼ぶ。死ぬ準備はずっと前からできている。だが--、
「しのぶに、伝えなければ……」
たくさん伝えたいことがある。言わなければならない思いがある。
「………」
何もかも失くしてしまっても、しのぶの事が好きだった。その気持ちはきっと永遠で、消滅することはない。例え嫌われていても、憎まれていても。
ああ、だけど、もっと嫌われるかもしれない。そう思うだけで、刀で斬られたように痛くて心が死んでしまいそう。この世から消えてしまいたいくらいに苦しい。
私にとって、彼女は光だから。暗闇の中で光輝く星のような存在だから。
「師範……、勇気をください……」
夢でもいいからまた逢いたいなぁ、と思い瞳を閉じた。