圓城菫が行方不明となって3日経った。崖の下の川の底からはいくつかの短刀と日輪刀が発見された。更に圓城の帽子と破れた羽織も発見されたが、肝心の圓城は見つかっていない。圓城が落ちた川の周辺には森が広がっている。川と森の中を中心に現在も捜索が続けられていた。
「……」
胡蝶しのぶは圓城邸の前で立ち止まり、その大きな屋敷を見つめていた。思い迷うように視線を動かした後、門を叩く。
「ごめんください」
声をかけると、何度か見たことがある圓城の使用人が顔を出した。
「これはこれは、胡蝶しのぶ様。ご無沙汰しております」
「……突然お伺いして申し訳ありません。圓城さんは、帰ってきてませんか?」
使用人は沈んだ表情で首を横に降った。
「いえ、私も仕事を休んでずっとこちらに待機しておりますが…」
やはり、帰ってないか、としのぶはため息をついた。圓城が生きてるならここに帰ってくるはずだ。もしやと思い訪ねたが、ダメだった。
「…鬼殺隊の隊員が、圓城さんを探していますので、気を落とさないでください」
あまりにも使用人が暗い顔をしているのでしのぶは思わずそう声をかける。しかし、使用人は何かを決心したような顔をして口を開いた。
「胡蝶様、お嬢様の捜索はやめるよう隊員の方にお伝えください」
「は?」
しのぶはその言葉に唖然とする。
「な、なぜ…」
「鬼殺隊の方々は鬼を倒すのにお忙しいはずです。お嬢様の捜索に時間をかけるのはお止めください。お嬢様も決してそんな事は望んでおりません」
「で、でも…」
「あの方の望みは少しでも多くの鬼を倒す事です。自分の事に隊員の方々の時間を使うのは嫌がるでしょう。あの方は、そんなお方です」
使用人は深々としのぶに頭を下げた。
「ですから、どうか捜索を打ち切ってください。私が1人で探しますゆえ…」
「……」
しのぶはまともな返事が出来ずに、フラフラと圓城邸を後にした。
蝶屋敷に戻ると、怪我をしている隊員達が待っていた。何かに追われるように仕事をこなす。
やっと一仕事終えた時、もう夕闇が迫っていた。少し時間が空いたため、休息をとる。今夜は運良く任務は入っていない。ぼんやりと縁側に座って庭を眺めた。
「………」
気持ちに余裕ができたため、先ほどの使用人の言葉をよく考える。彼の言う通りだ。圓城の捜索に時間をかけることはできない。自分達は鬼殺隊なのだから。
それに、行方不明になってもう3日も経った。もう厳しいのかもしれない。川に流されて溺死したか、森の中を迷って衰弱死したか--、
「………」
胸が苦しくなった。なぜこんな感情になるのか、分からない。どうでもいいはずだ。あの人のことなんか、どうなっても自分は気にしない。だって、私達はいつ死んでもおかしくないんだから。それが、あの人の方がちょっと早かっただけ。ただ、それだけ。
蝶屋敷の庭に視線を向ける。とっくの昔に忘れたはずの圓城と過ごした日々が脳裏を過った。初めて圓城と腹を割って話したのも、この庭だった。あの時の圓城の声が、頭に響く。
『しのぶ』
「……あ」
胡蝶しのぶは不意に気づいた。しのぶ、と。そう呼んでくれる人がこの世から完全に消えてしまうことに。
底知れない感情が心を満たす。心臓が痛い。今、自覚した。それは絶望であり、悲しみであり、喪失感だった。
「……本当に、どうしようもない人」
この場にいない圓城に向かって囁く。いつものように笑おうとするがうまくいかない。
本当に、圓城菫という女は嫌な女だ。この場にいないのに、こんなにも振り回されるなんて。ああ、だから自分は彼女の事が嫌いなんだ。
彼女の事になると、感情制御ができなくなる。殺したはずの自分の感情が表に出ようとするから。
どうしてこんなに振り回されなければならないのか。どうでもいいんだ。彼女の事なんか。死んだって何とも思わない。そうだ。別に気にしない。
しのぶは心の中で何度もそう唱える。自分に言い聞かせるように。
どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。------、
菫がこの世から消えたって、別に気にしない
「--胡蝶」
その時、自分を呼ぶ声がして、とっさにしのぶは笑顔を作った。
「あら、冨岡さん。どうされました?」
そこに立っていたのは水柱、冨岡義勇だった。いつものように何を考えているか分からない顔で廊下に立っている。
「怪我でもしましたか?」
「……」
「冨岡さん、私も忙しいのでとっとと用件を言ってください。黙ってたら何も分かりません。そんなんだから嫌われるんですよ」
「…俺は、き」
「あ、もういいです。とにかく、どこが悪いんですか?」
「…傷の軟膏が、なくなった」
ああ、としのぶは数日前の事を思い出す。冨岡は任務で鬼の攻撃を食らっていくつかの切り傷を作っていた。その怪我の治療をした時に、軟膏を渡したが、もう切れたらしい。
しのぶはとりあえず冨岡を診療室へ案内した。念のため怪我の具合を確かめる。
「うん、綺麗に治っているみたいですね。このまま軟膏を塗ってください」
「……」
棚から、傷に効く軟膏を取り出し冨岡に渡した。
「はい、どうぞ。軟膏です」
「……」
冨岡は黙って受け取った。
「冨岡さん、気をつけてくださいね。傷口から感染を起こして重体になる可能性もあるんですから。圓城さんも行方不明ですし、これ以上柱が減ったら大変ですからね」
「……行方不明?」
冨岡が首をかしげる。しのぶはあら?と口元に手を当てた。
「ご存知なかったんですか?」
「…聞いてない」
「思ったよりも嫌われていますね」
「……」
「3日ほど前、任務中に、鬼に崖から突き落とされて行方不明なんですよ。もう生きてないかもしれませんね…」
自分でそう言葉にすると、また絶望が胸を襲った。その時、冨岡が口を開いた。
「あいつは、死なないだろう」
「……は?」
冨岡の言葉に目を丸くする。
「…どういう意味ですか、冨岡さん」
「……」
「冨岡さん?」
しのぶが声をかけると、少し迷うような表情をした後、冨岡はゆっくりと言葉を紡いだ。
「あいつは、殺したい鬼がいると言っていた。虹色の瞳の鬼を殺すのだと」
「--っ」
「地獄の果てまで追いかけて、殺すのだと言いきった。強い意思を持ってそう言っていた。あんな目をする人間は、簡単には死なない」
冨岡の声が、言葉が響いた。
そうだ。私は知っている。私が一番よく知っている。忘れていた。あの子は簡単に死ぬような人間じゃない。折れる人間じゃない。自分を曲げる人間じゃない。
だって、柱なのだ。いつでも強くあろうとする剣士で、人を護るために刀を振るう鬼殺隊員で--、
大好きな姉さんが選んだ継子だったんだから。
「……私、初めて冨岡さんの事、尊敬しました」
「……は?」
訝しげな声を出す冨岡を無視して、しのぶは立ち上がった。するべき事がたくさんあるのは分かっている。それでも、自分もまた、折れたくない思いがある。
しのぶは診療室から足早に去っていった。キョトンとした顔で戸惑う冨岡だけを後に残して。
「夜分遅くすみません。不死川さん」
「なんだァ、胡蝶…」
不死川は突然訪ねてきた胡蝶しのぶに戸惑った。胡蝶しのぶはいつものように張り付けた笑顔で笑っており、何を考えているか分からない。
「…圓城さんが崖から落ちた状況と場所の詳細を教えてください」
「あァ?」
不死川はますます困惑した顔をする。
「なんでテメェがそんな事を聞く?」
「今から私が圓城さんを探しに行くからです」
「はァ?なんでお前が…」
「とにかく、早く教えてください」
しのぶは笑顔だが、苛々している様子でそう言った。不死川は舌打ちをした後口を開く。
「やめろォ。あそこは深い森だ。俺もあいつが落ちた後、周辺を探したが全然見つからなかった。」
「……」
「お前だって任務があるんだろォ。ここは隠の隊員に任せておけェ」
「…教えてください」
「しつけェな。そもそも、かなり高い崖から落ちたんだから、死んでてもおかしく…」
不死川がそう言った瞬間、しのぶが口を開いた。
「あの人のことは!」
珍しく大声を上げたしのぶに不死川は呆気にとられる。
「あの人のことは、私が一番よく知っています!殺しても死なない女です!私が、探したいんです!」
不死川はしのぶの顔を見た。そこにはいつもの笑顔がなかった。拳を強く握っている。
睡柱と蟲柱は仲が悪いと、不死川は今までそう思っていた。柱合会議で2人はほとんど話そうとしない。それどころか目を合わせるのも嫌がるふしさえあった。お互いに話す時もギスギスとした雰囲気が漂うので、相性が悪いのだろうと考えていた。
それは不死川の勘違いだったらしい。
不死川は1つため息をつくと、圓城が崖から落ちたときの状況をしのぶに話し始めた。
「アオイ、蝶屋敷をお願いしていいですか。1日だけでいいので。少し出かけます」
しのぶから突然声をかけられた神崎アオイはポカンと口を開いた。
「え、あの、しのぶ様?どこに?任務、でしょうか?」
「いえ、圓城さんを探しに行ってきます」
「え!?」
既にお館様から圓城の捜索の許可はもらった。他の任務もあるため、捜索に当てられる時間はたった1日ではあるが。必ず、見つけてみせる。諦めない。絶対に。
アワアワと戸惑っているアオイに悪いと思いながらも、しのぶは蝶屋敷から足を踏み出した。