「どうやらこの辺で観光をしている方が行方不明になったらしいですわ」
圓城と不死川がやって来たのは村のはずれにある小さな林だった。目の前には崖が広がっている。
圓城は崖の近くまで行き、見下ろした。かなり高い崖だ。下には大きな川が広がっている。ここから落ちたらただでは済まないだろう。
「表向きは観光客が事故でここから落ちて行方不明、という事になっているみたいですわね。」
「圓城、あまり身を乗り出すんじゃねェ。落ちても俺は助けねェぞ」
崖から下を見下ろす圓城に不死川が声をかける。やっぱり怖いけどいい人だ、と圓城は思った。
「流石にまだ夕方ですし、鬼の気配は、ありませんわね。風柱サマ、どう思われます?」
「あぁ?夜に出直せばいいだろうがァ…」
「ですが、幻を見せるという術が少し気になりますわ。結局その辺の情報がよく分かりませんし…」
「クソが。どんな鬼であろうと、俺が殺す」
不死川の様子を窺いながら、圓城は眉間に皺を寄せた。何も対策をせずに戦いに挑むのはあまりよくない。もう少し調べる必要がある。
「風柱サマ、とりあえず一度宿に戻りましょう。夕食を準備しているでしょうし…」
「あぁ?俺はこのままここに残って…」
「お忘れですか?お兄様」
圓城がわざとそう呼ぶと不死川は憤怒の表情になった。
「私達は湯治に来ているという設定なんですよ。怪しまれるのは困ります」
「……ぐっ」
「一度は帰るべきです。温泉にも入らずにずっと散歩していたなんて、流石に不自然ですしね。夜にこっそりと宿を抜ければいいではないですか」
「…くそっ」
不死川が渋々クルリと背を向けて、宿への道を歩きだした。圓城も苦笑しながら後に続いた。
それから4日経った。
「…クソがぁ!鬼の野郎!早く出てきやがれ!」
「……はあ」
圓城は頭を抱えた。この4日間、村を見回り鬼の事を探ったがほとんど情報は集まらなかった。夜は不死川とともに崖の付近で鬼を探すも、全然見つからない。
不死川はもう完全にキレていた。さっきから鬼への憎悪を叫んでいる。圓城の方も割りと限界だった。温泉宿で不死川と仲良し兄妹のフリをするのも疲れてきたし、何よりも鬼の動きが全然ない。一度出直す事も考えた方がいいかもしれない。
圓城は少し考えながら口を開いた。
「風柱サマ、今夜は別行動をいたしましょう」
「あ?別行動?」
「私が北の林の方を。風柱サマは南の方を見回って、今夜鬼が出なければお館様に報告して一度戻る事も考えましょう。もしかしたら、幻を見せるという鬼は別の地に移った可能性もありますし…」
「…ケッ、仕方ねェ、じゃあ、何かあったら鴉を寄越せェ」
「はい。それではご武運を」
2人は別々の方向へ足を踏み出した。
林は月の光に照らされて、静寂の空間が広がっていた。重なりあうように樹木が茂っている。圓城は何度も歩いた木々の間をじっと観察する。やはり、何もいない。鬼どころか人間も獣も見当たらない。まあ、こんな夜中に林の中に人がいるわけはないだろうが。
「……」
圓城は立ち止まった。この先を少し進めば崖だ。やはり何もいない。もう少し見回ったら、不死川と合流しようか。そう考えた時だった。
「--っ!」
僅かに崖の方から鬼の気配を感じた。圓城は間髪をいれずに日輪刀を抜いて、走り出す。
「…閑!」
小声で鴉の名を呼ぶ。圓城のそばに待機していた鎹鴉がすぐに飛び去った。不死川を呼んできてくれるだろう。
崖の方へ向かうと、すぐに異形の鬼の姿が目に入った。まるで圓城を待っていたように、牙を剥く。圓城は刀を振るった。
「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」
鬼の頚らしき場所へ刃を当てる。しかし--、
「……は?」
当たった感覚が全くなかった。刀で斬れた感覚もない。
「これ--、そうか、幻!」
鬼が鋭い爪の生えた腕らしきものを圓城に伸ばす。
「……っ!」
とっさに圓城がその攻撃を避けた瞬間、何かが後ろから圓城の身体を引き裂いた。ギリギリで気配に気づいて避けようとするが、羽織が切り裂かれる。隠していた短刀がいくつかカランと音をたてて落ちたのが分かった。
「……っ、」
圓城は顔をしかめながら後ろに飛び上がる。
「--!?」
周囲を見渡して唇を噛んだ。数体の鬼が圓城を囲んでいた。鬼へ向かって刀を振り下ろす。
「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」
力を込めて刀を動かしたが、やはり鬼に当たった感覚はない。これもまた、幻なのだろう。圓城は思わず舌打ちをする。どこに本物の鬼がいる?私が見ているのは全部幻か?
その時、何かが圓城の耳元で囁いた。
「お前、柱だな?」
鬼の気配。圓城はとっさに後ろへと刀を向けるが、やはり攻撃は空を斬った。
「ああ、柱を喰えるなんていい夜だな」
次の瞬間、何かに攻撃されて圓城は後ろの樹木に強く身体を叩きつけられた。痛みに呻く。骨が折れたのが分かった。
すぐに立ち上がるが、今度は何かの斬撃が圓城を襲う。同時に再び地面に激しく叩きつけられる。こちらが反応する前にいくつかの攻撃を食らった。
「……ああ、もう!」
圓城は立ち上がりながら、顔を歪めた。怒りで思わず声が出る。その口から血が流れた。腕の骨は折れてないからまだ戦える。しかし、目に見えない相手とどう戦えばいいのか。鬼は幻影を使って目をくらましている。鬼の頚どころか姿さえ見えない。見えない相手と戦うという事の厄介さを圓城は初めて知った。
「…見えないなら」
姿が見えないならば、気配を追うしかない。圓城は目を閉じた。目に頼らず、必死に鬼の気配を感じ取ろうと、周囲を探る。感じろ、感じろ--!
「睡の呼吸 伍ノ型 浅睡眠」
ほんの少しの気配を感じたところへ、四方八方に刀を振るった。今度こそ、何かに攻撃が当たった感覚があった。目を開ける。
「ちくしょうっ!人間風情が!」
やはり姿は見えないが、鬼の罵倒する声が聞こえた。圓城は再び目を閉じる。今度こそ、頚を切る。次は逃さない。
圓城が刀を構えたその時だった。
「オイ、圓城ォ、遅れて悪ィなァ!」
不死川の声が聞こえた。圓城はパッと目を開ける。不死川が凶悪な笑みを浮かべて目の前に立っていた。
「随分と怪我してるじゃねェか。珍しい光景だなァ」
「……見えないんです。風柱サマ、申し訳ありません」
「ケッ」
不死川が刀で自分の腕を切り裂いた。
「クソ鬼が!出てきやがれ!」
その瞬間、周囲にいた幻の鬼達の姿がユラリと揺れた。まるで煙のように消える。
「……貴様、稀血か!」
目の前に現れたのは切り傷のある男の鬼だった。圓城と不死川を鋭い瞳で睨んでいる。しかし、不死川の稀血の効果なのか身体がグラグラと揺れていた。考える前に圓城と不死川は動いた。
「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」
「風の呼吸 壱ノ型 鹿旋風削ぎ」
一瞬で鬼の身体がバラバラになった。幻を見せる以外はあまり力のない鬼だったようだ。
「ギャアアアァっ!」
鬼が悲鳴を上げる。圓城はホッと息をついた。同時に悔しさに歯ぎしりをする。こんなに弱い鬼相手に苦戦し、しかも最後には不死川の稀血に頼ってしまった。情けない。
身体の骨がやはりいくつか折れているし、切り傷も多い。打撃を食らったため、所々痛かった。こんなに怪我をするのは久しぶりだ。羽織も破れたし、じいやに悪いなぁと圓城が思った時だった。
「ちくしょうっ!ちくしょうっ!柱を食べて認められる予定だったのに!」
消滅しかけている鬼が叫んだ。同時にバラバラになった身体の腕の部分が動く。
「…っ、オイ!」
不死川の声が聞こえた瞬間、鬼の腕が圓城を襲った。それは、最後の悪あがきだったのだろう。鋭い爪で身体を切り裂かれる。そして、同時に後ろへ突き飛ばされた。
「あ、…」
後ろは崖だった。
「圓城!」
不死川がこちらに走りよってきた。腕を圓城の方へ伸ばす。圓城もその手を掴もうと腕を伸ばしたが、空を切った。
圓城は真っ逆さまに崖から落ちていった。
「圓城!」
不死川が叫ぶ。崖から見下ろすが、その下には大きな川が流れており圓城の姿は見えなかった。
その日、睡柱、圓城菫が行方不明になったという一報が鬼殺隊に届いた。