「とりあえずは、村を歩いて異変がないか観察をいたしましょう。できれば村の住人からも話を聞きたいですわね」
不死川実弥はチラリと隣を歩く睡柱の圓城菫を見た。圓城は穏やかな顔でそう言いながら、杖をついて歩いている。どこからどう見ても品のいい清楚な女性だった。鬼殺隊の隊員には見えない。しかし、穏やかに微笑みながらもその瞳は鋭く周りを見渡している。
不死川は圓城菫の事が嫌いというわけではない。隊員の中には「鬼狩りはお嬢様の道楽」「金の力で柱になった」などと悪い噂を流す者がいるが、そんな噂は、はなから信じてはいない。圓城が柱を任命して4年、技能がなければとっくの昔に死んでいるはずだ。恐らくは相当の実力があるのだろう。
圓城はなぜか合同任務をやりたがらない。お館様もその事を承知しており、柱になってからはほとんど単独で仕事をこなしていた。数少ない圓城と共に仕事をしたことのある隊員達は彼女の事を、こう語る。
『睡柱は人間とは思えないほどの速さで動く』
『気がついたら鬼の頚が斬れていた』
『一瞬で任務が終わっていた』
不死川は再び圓城をチラリと見た。そう、自分はこの女が嫌いなわけじゃない。たた、圓城を見るたびに、複雑で形容しがたい感情を抱いてしまうだけなのだ。
この女は覚えていないのだろう。自分と初めて会った時の事を。
不死川は数年前の事を思い出した。
***
「不死川くん、自分の体を傷つけてはダメよ。何度も言ってるじゃない」
「放っとけ」
それは、数年前、不死川が怪我の治療のために蝶屋敷を訪れた時の事だ。同じ柱である胡蝶カナエから叱られながら手当てを受ける。傷口を消毒しながらカナエは困ったように首をかしげた。
「また傷跡が増えてしまうわ」
「……別にこれくらい何でもねぇ」
「もう!不死川くん--」
カナエが何かを言いかけた時、診察室に誰かが入ってきた。
「師範、ガーゼと包帯お持ちしました」
「あら、菫、ありがとう。そこに置いてちょうだい」
不死川は入ってきた人物に視線を向ける。ガーゼと包帯が入ってるらしい箱を持ってきたのは、隊服を来ている少女だった。結っていない長い黒髪が背中でサラリと揺れる。深い黒の瞳が不死川の方へ向けられた。
「………ん?」
その少女と目が合った時、不死川は強い既視感を覚えた。この女、どこかで会ったような気が----。
「あ、不死川くんは初めてだったかしら?最近私の継子になった子よ。圓城菫というの。菫、こちらは風柱の不死川実弥くんよ。ご挨拶して」
カナエがそう言うと、少女は深いお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。圓城菫と申します。」
「……おう」
名前に聞き覚えはない。不死川の勘違いなのだろう。圓城はカナエから何事か頼まれたらしく、すぐに部屋を出ていった。きっと、気のせいだ。何かの任務の時に圓城を見かけただけだろう、と思い直す。しかし、不死川はその奇妙な既視感がなかなか頭から離れなかった。
圓城と再会したのは、その1年後の事だった。
「新しく睡柱となった圓城菫だ」
「お初にお目にかかります。睡柱の圓城菫と申します。よろしくお願いいたします」
柱合会議にて、お館様から紹介されたのはかつての花柱の継子だった。
前に見た時はとは雰囲気が違う。黒い、闇のような瞳がこちらへ向けられる。美しい黄色の花が描かれた空色の羽織を着ていた。華やかで優雅な花が描かれた着物----、
「……あ?」
その羽織を見た瞬間、唐突に思い出した。不死川は圓城と会った事がある。ずっと、ずっと前の事だ。
***
それは、不死川が柱を任命される、ずっと前。鬼殺隊の末端の隊員として活動していた時の事だ。静寂に満ちた、不気味な夜だった。
「カアァーッ!コノ先、南区ニテ鬼ガ出現!直チニ迎エェ!」
鎹鴉が大声でそう叫び、不死川は即座に南へと向かった。鬼に対する並々ならぬ憎悪に顔を歪めながら走る。
「クソが。鬼共は俺が殲滅する」
吐き捨てるようにそう言って、鴉の後へ付いていく。人気のない道を横切ると、原形を留めないほどに破壊された自動車が目に入った。
「!」
どうやら一般人が巻き込まれたらしい。車のすぐそばには運転手らしき人物と品の良い洋服を着た男性が倒れている。2人は鬼に身体を切り裂かれたらしく、血で汚れていた。一目見て死んでいることが分かった。
「……チッ」
不死川は舌打ちをする。その後、不信に思いわずかに首をかしげた。何故、死体が残っている?鬼は殺しただけで、食べなかったのだろうか?
死体が残っている理由はすぐに分かった。
「ガガガガガガガッ、ギイイイイッ」
奇妙な声をあげる鬼が、そこにいた。図体は大きいが、程度の低い鬼らしく、まともな理性は残っていないようだ。その鬼のそばには、
「ふっ、あ、ああ、ああああ----」
小柄な少女がいた。か細い悲鳴をあげている。泣きじゃくりながら、何かを振り下ろしていた。悲鳴をあげながら、泣きながら、振り回しているのは短刀だった。小さな身体を素早く動かしながら、必死に鬼に短刀を突き刺している。
「ひっ、ひぃぃ、あ、ああああ!」
また、少女の悲鳴が響く。鬼が少女を捕まえようと何度も腕を伸ばしたが、その度に少女は身をかわしていた。そして、また何度も何度も短刀を鬼に突き刺す。
決してそんな小さな刀で、鬼は死なない。突き刺した身体はすぐに再生していた。それでも少女は鬼への攻撃を止めなかった。
「……っ!」
不死川は目の前のそんな光景に一瞬呆気に取られたが、すぐに動いた。一気に鬼の頚を日輪刀で斬る。やはり、雑魚鬼だったらしく、頚を斬られた瞬間、すぐに死んで消滅する。
「--っ!あ、え、え?」
突然現れた不死川に少女はポカンと口を開いた。不死川と少女の目が合う。
少女は深い闇色の瞳をしていた。夜よりももっと暗い、深い井戸のような黒い瞳。そして、不死川が今まで見たことのないくらい上等な着物を着ていた。着物には美しい花が描かれているが、血で真っ赤に染まっていた。
「………え?」
「オイ、大丈夫--」
不死川が声をかけたが、少女はそのままバタリと倒れてしまった。慌てて駆け寄り、慎重に身体を調べる。怪我はなく、ただ気絶しているだけのようだ。汚れているのはどうやら車のそばで死んでいる男性達の血なのだろう。不死川は大きな怪我がないことにホッとして息をついた。少女が手に持っている短刀が目にはいる。こんな小さな短刀1つで鬼と戦い、生き残った。それもほぼ無傷で。とんでもなく幸運な少女だ。
遅れてやって来た隊員達に少女を引き渡す。少女はすぐに療養所へ搬送された。
あとから、その少女がとんでもなく身分の高い家の娘だと聞いた。あの夜はたまたま両親と別に車で帰宅する途中で、鬼に襲われたらしい。
不死川はぼんやりと考えた。少女にとって、鬼に襲われたあの夜は、恐ろしい出来事となっただろう。かつての自分のように。あんな記憶、消えてしまえばいい。クソみたいな鬼の事なんて忘れてしまえ。そして、幸せになればいい。鬼とは無縁のあの少女には、幸せになる権利があるのだから。
不死川は確かに名前も知らない少女の幸せを願った。その事は明確に覚えている。しかし、多くの鬼を斬っていく日々がその記憶を少しずつ消していった。もう少女の顔も思い出せないほどに、記憶が薄くなっていく。
ただ、少女の暗い瞳と、血で汚れていた華やかな花の着物は覚えていた。
***
なぜ、あの時助けたはずの少女が鬼殺隊にいるのか。
不死川は柱合会議で、圓城の瞳と花柄の羽織を見た瞬間、彼女を助けた記憶が甦った。間違いない。あの時、小さな刀1つで鬼と戦っていた少女だ。
蝶屋敷で会った時は思い出さなかった。突然思い出したのは、恐らく彼女の羽織を見たからだろう。彼女の羽織は、あの血で汚れていた着物と同じ花が描かれていた。何の花かは分からないが。
不死川のその時の気持ちをなんと形容すればいいのか。なぜ、鬼殺隊に入った?なぜ全てを忘れなかった?なぜ、なぜ、なぜ----?
頭の中が疑問でいっぱいになる。
幸せになれるはずの女だった。鬼とは無縁の世界で生きるはずの女だった。
何か事情があるのだろう。何かの理由があって、鬼を斬っているのだろう。不死川には関係のないことだ。圓城には圓城の事情があるのだから。
結局、不死川はなぜ圓城が鬼殺隊に入ったのか知らない。圓城とあまり関わる機会がなかったし、なんと声をかければいいか分からなかったからだ。圓城から声をかけられた事もほとんどない。圓城が自分で選んだ道だ。自分の邪魔をしなければ、どうでもいい。
それでも、と不死川は少しだけ複雑な感情を抱く。
あの時、自分が鬼から助けた命。死に急いで欲しくなかった。鬼とは無縁の世界で、幸せを享受すればよかったのに。
圓城の姿が、もう随分と長い間顔を見ていない弟と重なる。
ああ、どうしてこいつらは、こんな生き方を選んだのか。不死川はまた舌打ちをした。