そして、現在。圓城菫と胡蝶しのぶが共に柱になって数年。2人は任務以外で顔を合わせることも話すこともない。圓城はしのぶのことを常に「蟲柱サマ」と呼び、しのぶは圓城のことを「圓城さん」と呼ぶ。圓城が蝶屋敷を自ら訪れることもない。蝶屋敷で行われる定期検診だけは来るように、しつこく言われるため、その日だけは蝶屋敷に足を運ぶ。アオイや他の娘達が何かを言いたげに圓城に声をかけるが、他人行儀でよそよそしい態度しかとれなかった。今でも、圓城はしのぶの顔を見るのが苦手だ。その笑顔を見ると苦しくなる。きっとしのぶも圓城の顔を見るのが嫌で堪らないだろう。仕事のために我慢しているのだろうが。
圓城は義足を外しながらぼんやりと考えた。目の前にいるしのぶは笑顔のまま、圓城の足の切断面を診る。
「ああ、炎症兆候もないようですね。綺麗ですし、問題ないでしょう」
「…それでは」
「ええ。退院しても構いませんよ。任務にも戻っても大丈夫です」
圓城はホッとため息をついた。よかった。ようやく自分の家に戻り、任務をこなすことができる。
「あ、それと圓城さん」
「なんですの?」
「明日、緊急の会議があります。本部に来るようにとお館様からの伝達です」
「……うぅ」
圓城は義足を装着しながら思わず呻いた。いつかは本部に行かなければならないと分かっていたが、気が重すぎる。しのぶはそんな圓城の様子を気にする様子もなく、書類に何かを書き込みながら、
「必ず出席してくださいね。すっぽかしは許しません」
と言った。そんなしのぶの光のない笑顔を見ながら、圓城は思いを馳せる。
----この笑顔、嫌いだ。
胡蝶カナエの死から、胡蝶しのぶはずっと怒っている。人も鬼も仲良くすればいいと、姉と同じ和解を唱えながら戦っている。本心では憎悪の炎を燃やしながら、表面は笑顔のままで嘘を付き、理想を追い求める。
私とは反対だ。圓城はうつむいて少しだけ笑った。
--あの日から私はずっと心の中で泣いている。
『圓城さんって、なんでいつも泣いてるんですか?』
いつかの炭治郎の言葉が胸に響く。圓城は目を閉じた。
『……情けないから』
----大切な人を救えなくて
『自分が情けなくて馬鹿で愚かだから、泣いている。誰かを救えるなんて勘違いをしてた自分が腹立たしくて悲しくて』
ちがう。本当は。
しのぶを、支えられなかったから。私はしのぶのそばにいたかった。助けたかった。共に戦いたかった。
きっと、カナエは自分としのぶの関係がこうなったことに悲しんでいる。
--そうよ、炭治郎さん。私、いつも泣いてるの。
師範が亡くなってから、大切なものを、全て失ってしまった。鬼への慈悲の心を捨てた。あの人が願っていた想いを継ぐことは出来なかった。そして、宿ったのは鬼への真っ直ぐな怒りと恨み。そんな自分が悲しくて、情けなくて泣いている。
そして、あの頃のようにしのぶと笑い合うことはきっともうないだろう。それが、一番悲しい。しのぶの思いを1度は否定してしまった自分に、そんな資格はない。しのぶのそばにいたいなんて、それこそ愚かな願いだ。様々な感情を殺しながら戦っている彼女の生き方に、私は、もう、何も言えない。
「圓城さん?今すぐ退院されますか?」
「……ええ。お世話になりました」
「体に十分お気をつけください」
「ええ。それではまた明日」
「はい、また明日」
しのぶに笑顔で見送られて圓城は部屋を出た。荷物を手に持ち、蝶屋敷から足を踏み出す。
今日は穏やかで涼しく、いい天気だ。空が高くて、澄みきった青さが眩しい。圓城はふと立ち止まり、ゆっくりと青い空に向かって手を伸ばした。まるで、空を掴もうとするように。そんな自分の行動に苦笑して、手を下ろす。そして、後ろを振り返り、蝶屋敷を見た。己の、かつての居場所を見た。何かが見えた気がした。自分としのぶが笑顔で手を繋ぎ、蝶屋敷から飛び出す。そんな2人の肩を抱くようにしてカナエが笑う。そんな、幸せな光景が。
「……あ」
圓城は思わずそちらへ手を伸ばしかけた時、その光景は煙のように消えた。幻覚だったようだ。目を見開いて、それから少しだけ笑うと、再び蝶屋敷に背を向けた。そして、大きく歩き出す。
***
私は、いつも泣いている。それでも、涙は流さないと決めました。
あなたの最後の願いだったから。
どんなにつらくても、苦しくても、悲しくても。
過去は二度と戻らない。それならば、前に進むしかない。
前を向いて、護るために戦う。
誰かの幸せが永久に続くように願いながら
たとえ、あなたに二度と逢えなくても
今日を生きる自分をあなたに誇れるように。