夢で逢えますように


メニュー

お気に入り

しおり
作:春川レイ
▼ページ最下部へ


26/83 

悲しみの約束


 

 

 

胡蝶カナエの葬儀が行われた。圓城は目の前の墓を見つめる。しのぶやアオイ、蝶屋敷の少女達が泣いている。カナヲだけは汗をかきながら呆然とした様子で立っていた。しのぶがそんなカナヲの手を握り抱き締める。圓城は少し距離を置いて皆の姿を見つめた。そして再び墓に視線を向ける。カナエの最期を思い出し、涙が滲んできたところで、カナエの声が頭の中で響いた。

『菫、ごめんね。もう泣かないで。』

圓城は唇を強く噛むと着物の裾でゴシゴシと目の周囲を擦る。カナエに泣くなと言われた。だから、耐えなければ。

それに、泣く資格なんてない。救えたはずだった。もう少し早く目覚めて、駆けつければよかった。あの上弦の鬼に敵わないだろうが、せめてカナエの盾になれたかもしれない。もう少し急げばカナエは助かったかもしれないのに。

圓城は墓から目を逸らし、クルリと後ろを振り向くと、足早に屋敷に戻っていった。その後ろ姿をしのぶがじっと見つめていた。

その日からしのぶは自室に篭ってしまった。アオイや他の娘が呼び掛けても出てこない。圓城は少しずつ荷物の整理を始めた。カナエが亡くなった以上、ここに圓城の居場所はないだろう。

「菫さん……」

呼び掛けられて振り向くとアオイが立っていた。

「…出ていって、しまうんですか?」

「……ええ」

「し、しのぶ様は、きっと菫さんにここにいて欲しいと思ってるはずです!」

「…どうかしら。私は、師範を救えなかったわ…」

アオイがその言葉に黙ってうつむいた。

圓城の瞳は悲しみと憎しみに満ちていた。鬼へ慈悲をかけるんじゃなかった。鬼と共存できればいいなんて、馬鹿馬鹿しい。あいつらは残虐で凶悪で、この世に存在してはいけない生き物だ。仲良く出きるわけない--、

 

『鬼を救いたいって思ったんでしょう?私もなのよ。あなたとおんなじ』

 

『鬼と仲良くなれたらって思うのは、おかしいと思う?』

 

『人だけではなく、鬼も救えたらって思ってるの』

 

カナエの言葉を思い出し、耐えきれずにその場にしゃがみこむ。膝に顔を埋めるが、それでも絶対に涙は出さなかった。

「師範、ごめんなさい--」

無理だ。鬼と仲良くなんて。あなたをあんなにひどい方法で殺した鬼を救うなんて。

それでも胸の中でカナエの言葉が響いた。どうしてあんなにも優しい人が、こんな残酷な方法で殺されなければならなかったのだろう。どうして私は、救えなかったのだろう。

圓城は今、自分の夢の力を心の底から憎悪した。

どうしてあんな夢を見せた?

見せるならどうしてもっと早く見せてくれなかった?

もっと早く分かれば間に合ったかもしれないのに!

「----っ、」

自分が不甲斐なくて、情けない。胸が痛くて堪らない。

「菫さん…」

アオイが心配そうに声をかける。圓城はゆっくり立ち上がった。

「しのぶに、声をかけてきますね…」

そう言って、しのぶの部屋に向かった。

「…しのぶ?入ってもいい?」

「……ええ、どうぞ」

すぐに返事があったことに驚きつつ、少し安心して部屋へ足を踏み入れる。そしてしのぶの姿を見て目を見開いた。

しのぶは部屋の真ん中に座っていた。その顔は穏やかに笑っている。その表情を見て圓城は思わず声を上げた。

「…なに、その顔」

「あらあら、何をそんなに驚いているの?」

「……っ!」

張り付けたような笑顔だった。目には光がなく、笑顔の仮面を被っているようだ。圓城はそれ以上何も言えず、ただ目を逸らした。しのぶの正面に正座し、うつむく。言おうとしていた言葉が喉に詰まって出てこない。

震えながらうつむく圓城の姿をしのぶはしばらくじっと見つめていた。そして、声をかける。

「…感謝します。あの日、あなたが姉を見つけてくれたおかげで最期に言葉を交わすことができました」

「……っ」

「ありがとうございました。」

「……やめてよ!」

圓城は顔を上げながら叫んだ。しのぶと顔を合わせ、その瞳を真っ直ぐに見る。そして口を開いた。

「そんな言葉、聞きたくない!……っ、」

そしてしのぶの笑顔を直視出来ず、再びうつむく。

なぜ救ってくれなかった?なぜ鬼の頚を斬れなかったんだ、と罵倒された方がマシだった。感情の消失した笑顔でそんな言葉をかけられて、呼吸が苦しくなる。

しのぶはそんな圓城の様子を見つめながら再び口を開いた。

「…教えてくれる?姉さんを殺した鬼の事を」

「……しのぶ」

「お願い。あなたは戦ったのでしょう?」

圓城は言葉に詰まる。そしてゆっくりと顔を上げて、再びしのぶと顔を合わせた。その笑顔を、瞳を真っ直ぐに見る。そして口を開いた。

「……しのぶ、無理よ」

「--っ」

「はっきり言う。あなたにあいつは倒せない。今の私も、絶対に敵わない」

「--なんで!」

しのぶが笑顔を崩し、立ち上がる。圓城を鋭い視線で見返し、大声を上げた。

「--姉さんの仇は私が取る!だから、教えなさい!その鬼の事を!」

「敵うわけない!しのぶは頚を斬れない!あんなに強い鬼、しのぶには倒せない!上弦の鬼なのよ!私だって死んでてもおかしくなかった!!」

圓城も立ち上がり同じくらい大きな声で叫ぶ。しのぶが激昂した様子で顔を赤くし、圓城の胸元を乱暴に掴んだ。

「そんなの関係ない!私が鬼を必ず斬るの!だから教えなさい!!」

「私が倒す!必ず私が師範の仇を取る!だから、だから……」

思わず涙がこぼれそうになった。圓城は震えながら声を出す。

「…ごめん。こんな事言う資格ないの、分かってる。でも、師範は、望んで、ないよ……」

突然頬に衝撃が走った。頬の火照ったような感覚と痛みで、しのぶに殴られたことが分かった。圓城が呆然としていると、しのぶが憎悪を瞳に宿し、憎々しげに口を開く。

「分からないでしょうね」

その声が、呪いのように圓城の胸に刺さる。

「あなたには、理解できないのよ。そうでしょう?」

しのぶがまた張り付けたような笑顔を浮かべた。

「家族を、大切な人を殺された気持ちなんて分からないのよ。そうでしょう?理不尽に大切な人を奪われた悲しみも、苦悩も、何も分かっていない。私の気持ちも分かってないでしょう?だから、鬼を救いたいなんて考えを簡単に言えるのよ。姉さんを殺した鬼も救うつもり?」

「しのぶ……ちがう…」

「ああ、姉さんも鬼と仲良くしたいって言ってたものね。そうね、拷問に耐えて罪を償った鬼ならば仲良くできるかもしれないわね…。でも、姉さんを殺した鬼は、私が殺す、必ず。姉さんの望みじゃなくても構わない。これは私の望みなのだから!あなたには関係ない。あなたはたった一年と少し、姉さんの継子だっただけの、無関係な人間なんだから!!私に、口出ししないで!分からないの?迷惑なのよ!」

圓城が目を見開いた。しのぶから目を逸らし、口を開く。震える声が口からこぼれた。

「……そうね。その通りだわ。私の独り善がりでわがままな願望ね……」

「……」

「赤い帽子と服、ベルトで締められた縦縞の袴を着た男の鬼よ。白橡色の長髪に、虹色の目を持っていたわ。気持ち悪い笑い方をしていた。」

小さな声で語ると、しのぶは笑顔のまま強く自分の手を握りしめた。

「……私が、その鬼を必ず殺す。姉さんの仇を……」

「そう。それなら、私も」

圓城が顔を上げた。

「強くなる、今以上に。全ての鬼を倒す。鬼を救うなんて言わない。しのぶの邪魔はもうしない。だから、しのぶも…」

「ええ。約束しましょう。あなたの邪魔はしません。もう関り合いになるのも、やめましょう。……その方がお互いのためだわ。正直、あなたの顔はもう見たくない」

圓城は暗い顔で少し後ずさりした。そして、その場に座り込み頭を下げる。

「…今までありがとうございました。今日でお暇させて頂きます。大変お世話になりました。」

「ええ」

しのぶが短くそう答え、圓城に背を向けた。圓城はその背中を少し見つめて、そのまま立ち上がる。そして静かに問いかけた。

「最後に一つだけ……その笑顔は何?」

「…姉が笑顔が好きだと言ったから」

「……ああ、そう…」

きっとカナエが好きだと言ったのは、そんな感情を殺した笑顔じゃない。無邪気で心から笑う可憐な笑顔だったはずだ。圓城もまた、しのぶのそんな笑顔が大好きだった。

でも、その虚しい笑顔をやめろという資格も、圓城にはない。

「さようなら、胡蝶しのぶ。……ご武運をお祈りしております。」

「ええ、さようなら、圓城菫。あなたもご武運を。」

そしてしのぶの部屋から出ていった。部屋の外ではアオイとカナヲが呆然とした様子で立っていた。恐らく全て聞いていたのだろう。圓城は薄く笑う。

「さようなら、アオイさん、カナヲさん」

「す、菫さん……!」

アオイとカナヲの戸惑った様子を無視して圓城は自室に戻り、荷物を手に取ると蝶屋敷から出ていった。

ただただ何も考えずに歩き続ける。また、涙が出そうになった。

「泣くな、……泣くな!泣くな!泣くな!私は、泣いてはいけない!」

自分に言い聞かせるように呟く。信頼する師範の最後の言葉を守るため、圓城は胸を張るように歩き続ける。

心の中では、どしゃ降りの雨が降っているように泣いている。つらくて、悲しくて、突き刺されるような悲しみが胸を支配する。

「……救えなくて、ごめんなさい」

とうとう最後までしのぶに言えなかった一言が空に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

26/83 



メニュー

お気に入り

しおり

▲ページ最上部へ
Xで読了報告
この作品に感想を書く
この作品を評価する