「あああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
突然眠っていた圓城が絶叫しながら飛び起き、その悲鳴が屋敷中に響き渡る。アオイが慌てた様子で部屋へ駆けつけてきた。
「菫さん、どうしました!?」
アオイの声は圓城の耳に届かない。圓城はまるで何かに追われたように息を切らしており、瞳には涙が溢れていた。顔色は真っ青で、苦痛を感じているように表情は歪んでいる。
「……っ、アオイ、師範は!?」
「え、カナエ様なら、任務に行かれましたが…」
「任務!?昼間なのに--」
「何言ってるんですか、もう夜ですよ?」
「はあ!?」
圓城は驚愕しながら外へ視線を向ける。アオイの言った通り、屋敷の庭は真っ暗だった。
「……っ、なんで」
「なんでって、菫さん、昨日任務から帰ってきた後、何をやっても起きなくて。カナエ様が、今日は菫さんの任務はないからゆっくり休ませるようにって…」
「……っ!」
圓城は素早く立ち上がった。寝衣のまま羽織だけを身に付け、刀を手に取る。そして部屋から飛び出した。
「菫さん、どこに行くんですか!?」
アオイの驚愕する声が後ろから聞こえたが無視をした。蝶屋敷から飛び出し、走る。
「
圓城が名前を呼ぶと、鎹鴉が飛んできた。
「花柱はどこにいる!?」
「カァー!圓城ォ!今日ノ任務ハナシ!!任務ハナシ!!休養シロ!」
「師範はどこにいるの!答えなさい!」
圓城は走りながら怒鳴った。鎹鴉の閑は何度か屋敷に戻るように言ってきたが、圓城が短刀をチラつかせると怯えたように、
「花柱ハ南西ノ町ニイル!現在単身任務中!」
と言ってきたため、圓城は大声で、
「案内しなさい!」
と叫んだ。
鎹鴉の後に付いていきながら、ひたすら走る。嫌な予感に心臓が痛みを訴えてきた。あれは夢だ。カナエが鬼に負けるはずはない。だって、あんなに強い人が負けるわけないんだ。だから、あれはただの夢なんだ。
本当に?
圓城は今にも悲鳴をあげそうになる自分の口を片手で防いだ。悲鳴の代わりに鴉に向かって怒鳴る。
「まだ先なの!?もっと早く!!」
「無茶言ウナ!」
鴉が負けじと圓城に叫んだ時、見覚えのある鎹鴉が別方向から飛んでくるのが見えた。
「あれは…!」
間違いない。何度か見た、カナエの鎹鴉だ。
「花柱胡蝶カナエガ単独ニテ上弦ノ鬼ト戦闘中!至急救援ヲ求ム!」
圓城の青白い顔がもっと青くなる。カナエの鎹鴉に
「他の隊員を呼んできて!妹のしのぶも!!」
と声をかけてから、疾風のように駆けた。どうか、どうか間に合いますように------
もう朝も近い。圓城は鴉の案内のもと、素早く足を動かす。そして、人通りのない道で不気味な人物を見つけた。
「----っ!」
それは、どこかで見たことのあるような人物、いや鬼だった。血のような真っ赤な帽子と服、縦縞の袴を着た白橡色の長髪の鬼だ。しかし、先に圓城の目に飛び込んだのはその鬼の足元に倒れている、血にまみれた胡蝶カナエの姿だった。
「っ、あああああぁぁぁぁぁ!」
呼吸をするのも忘れて鬼に斬りかかる。
「おっと、危ないなぁ」
鬼は簡単に圓城の攻撃を避けた。圓城はカナエの前に庇うように立つと、日輪刀を構える。
「……菫、…ダメ、逃げて…」
カナエのか細い声が聞こえたが、圓城は目の前の鬼をただ睨み付ける。
「おやおや、突然攻撃してくるとは物騒だね。君も鬼殺隊かい?」
鬼はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる。その瞳は虹色で、『上弦』『弍』と刻まれていた。
「……死ねェっ!」
圓城は生まれて初めての罵倒を叫びながら刀を振り下ろした。
「睡の呼吸 弍ノ型 枕返し」
渾身の力で刀を振るうも、鬼はやはり簡単にそれから逃れる。そして、不気味に笑いながら口を開いた。
「うわぁ、君、すっごく美味しそうだね!君みたいな純粋培養で大切に育てられましたって感じの女の子は珍しいよ!こんな田舎で君みたいな娘に出会うなんて…運命なのかなぁ…」
鬼の方へ振り向き、再び刀を構えるが、鬼はそれに気づいてないように言葉を続けた。
「美味しそうだなぁ……。でも、残念だけど、本当に残念だけど、もう朝だ。そろそろ退散しなくては--」
そう言うと鬼は一気に圓城との距離を詰めた。あまりの速さに反応できず思わず後ずさりしそうになる。鬼は圓城の、刀を握る腕を強く掴んだ。そして、覗き込むように圓城へ顔を近づける。
「ああ、今も美しいけど、まだ幼いね。もう少し大きくなったら、きっともっと別嬪になるよ。その時は美味しく食べてやろう」
「----っ、うわあぁぁぁっ!」
怒りで頭がおかしくなりそうだ。圓城は絶叫しながら片手で短刀を取り出し鬼の頚にへ突き立てようとする。しかし、短刀に触れる前に鬼は素早く消えてしまった。
一瞬だけ呆然としたが、すぐにカナエに駆け寄る。
「師範!師範!大丈夫ですか!?今すぐ助けが--」
圓城はカナエを抱き抱えて、息を呑んだ。カナエの口からは大量の血が流れており、呼吸が弱い。全身がグッタリしており、危険な状態だ。
「師範、頑張ってください、絶対、絶対、大丈夫ですから--」
圓城はカナエを背負い、必死に足を踏み出した。まだ救援の隊員の姿は見えない。
「師範、申し訳ありません、ごめんなさい、頑張って、お願いだから--」
混乱のあまり、わけの分からない言葉が口からはこぼれ出る。涙もどんどんあふれでる。それでも必死に足を動かした。そろそろ救援の隠や隊員が来るはずだ。彼らの助けを借りて蝶屋敷へ運ばなければ--
「……菫、泣いてはダメよ……大丈夫……泣いては…」
背中からカナエの言葉が聞こえた。圓城の肩にカナエの血が流れる。
「姉さん!」
その時、しのぶの声が聞こえた。圓城が足を止め振り返る。後ろから必死の形相で走ってくるしのぶの姿が見えた。
「姉さん!姉さん!」
「……しのぶ」
圓城は泣きながら震えるように声を絞り出す。しのぶは圓城の姿が目に入らないようにカナエの元へ駆け寄ってきた。
「姉さん、どうして……!だれにやられたの?!」
「しのぶ、とにかく師範を運ばないと…」
圓城がそう言った時、カナエが小さく口を開いた。
「…菫、下ろしてちょうだい…」
「師範!」
「…もう無理よ。お願い…」
その言葉に圓城は目の前が真っ暗になる。心の中では分かっていた。傷は深く、この身体の状態ではもう助からないだろう。圓城は一瞬だけ目をつぶり、その場でゆっくりとカナエの身体を下ろした。カナエの身体をしのぶが抱き締める。
「姉さん!菫、どうして下ろすの!早く…」
「しのぶ」
カナエが細い声で妹に語りかけた。そっとしのぶの頬に触れる。
「しのぶ、鬼殺隊を辞めなさい」
しのぶが目を見開いた。
「あなたは頑張っているけれど、本当に頑張っているけれど、たぶんしのぶは……、」
カナエが何かを言いかけて言葉を止める。圓城はカナエが何と言おうとしたのか察し、拳をギュッと握りしめた。
「普通の女の子の幸せを手にいれて……お婆さんになるまで生きて欲しいのよ…もう十分だから…」
しのぶが涙を流しながらカナエの手を握りしめ、叫んだ。
「嫌だ!絶対辞めない!姉さんの仇は必ず取る!」
その声に圓城は痛いほどに唇を噛み締める。
「言って!どんな鬼なの、どいつにやられたの!!カナエ姉さん!言ってよ!!お願い!!こんなことされて、私、普通になんて生きていけない!!」
カナエが静かに涙を流した。そして口を開く。
「……菫が、戦ったわ。だから、菫が--」
そう続けようとした瞬間、カナエが咳き込み更に血を吐く。
「姉さん!」
「……その、鬼は、鋭い対の扇を武器に使ってた」
カナエはそう言った後、少しだけ深く息を吸う。
「……菫、ごめんね。もう泣かないで。しのぶを、よろしくね……」
「……っ、」
圓城はカナエの目を真っ直ぐ見ながら拳を握る。その目からは涙が止めどなく流れ続けた。そして、カナエはしのぶの頬を撫でながら、
「しのぶ、……しのぶ、幸せになって……しのぶ」
と妹の名前を呼び続けた。やがてその声も消える。そして、ゆっくりと静かに呼吸が止まった。まるで花が散るように、命が消える。
その日、胡蝶カナエは永遠の眠りについた。