「菫、どうしたの?集中できてないわね」
カナエに指摘されて、思わず圓城は顔をしかめた。現在は鍛練をしているが、カナエの言う通りいまいち身が入らない。
「すみません、師範……」
「何かあった?」
「…何も、ありません」
「あらあら、嘘が下手ねぇ」
カナエがクスクス笑う。特に気を悪くした様子はないようだ。圓城は小さくため息をついてから口を開いた。
「…しのぶを、また怒らせてしまったみたいで」
「あら、今度はどうして喧嘩したの?」
「喧嘩、じゃないんです。今度の休みの日に甘味処に行こうって言っただけなのに、なぜか怒ってしまって…」
「甘味処?」
カナエが微笑ましそうな顔をする。
「2人でお出かけなのね。本当にすっかり仲良くなって…」
「いや、2人じゃなくてカナヲさんも…。あ、師範も一緒に行きませんか?」
「残念だけど、その日は私は仕事なの。今度の機会にするわね」
そう言うと圓城は残念そうな顔をする。カナエはニコニコ笑いながら慰めるように頭を撫でた。
「…師範はよく頭を撫でてくれますね」
「あ、嫌だった?」
「いえ…、」
嫌などころか、とても心地よくて嬉しいとはさすがに恥ずかしくて言葉に出せなかった。
「…頭を撫でられるのは、師範が初めてなので…」
「あら、そうなの?ご両親からはしてもらった事はないの?」
その言葉に圓城が苦笑したため、カナエはしまったと思う。カナエは圓城の過去を知らない。鬼殺隊に属するからには、何か事情があるのだろうと考え、カナエの方からはあえて圓城に尋ねた事はなかった。
「……時々、羨ましくなります」
「うん?」
「しのぶが。……しのぶには、師範がいて、帰る場所があるから。私は、事情があって家には帰れないので…それが時折どうしようもなく、寂しくなるんです」
圓城はそう言いながら、自分の言葉に吐き気を覚える。自分からこの世界に飛び込んだのに、情けない。寂しさを、孤独を嘆く資格はない。
「あらあら、あなただって、ここに帰ってくればいいでしょう?」
「……」
「ここはあなたにとっての帰る場所じゃあないのかしら?」
「……」
「帰ってらっしゃい、菫。私もしのぶもみーんな、あなたを待ってるわ。この蝶屋敷で」
カナエの言葉に圓城が頬を赤く染める。そして花が咲いたように無邪気な笑顔を浮かべて、
「はい!」
と大きく返事をした。
そんなカナエと圓城を、少し離れた場所でしのぶはじっと見つめていた。圓城の真っ赤に染まった屈託のない笑顔から目が離せない。
「……」
少しだけ何かを考えるような仕草をする。そして、ふいっと目を逸らして蝶屋敷へ戻っていった。
「お久しぶりです、お嬢様」
「ええ、お久しぶり。じいや、この羽織ありがとう」
休日、朝早くからじいやが蝶屋敷を訪れた。2人で蝶屋敷の庭で小声で挨拶を交わす。じいやは少し大きめの鞄を携えて、いつも通りきっちりと洋装を着こなしていた。
「例の件はどう?資金は大丈夫かしら?」
「はい。ギリギリですが、何とかなりそうです。こちらをご覧ください…」
じいやが鞄から書類を出した。少し時間にも余裕が出てきたため、じいやと連絡を取り合い、事業を始めることにした。まだ計画段階ではあるが少しずつ進んでいる。じいやには社長をやってもらうことになっているので、最近圓城もじいやも大忙しだった。
「……うん。このまま進めてちょうだい。資金が足りないときは何とかするからいつでも連絡して」
「大丈夫でこざいますよ。お嬢様は鍛練もあるのですから。そちらに集中してください」
「ありがとう」
じいやは圓城の顔を眩しそうに見つめた。
「何、じいや?」
「いえいえ、いつの間にかとてもいい顔をするようになったと思いまして」
「そう?」
「…昔のお嬢様はおしとやかで気品ある美しさを持っていましたが、失礼ながらまるでお人形のような無機質さがありました。今のお嬢様は瞳に力が宿っていて、強い意志が感じられます。私は、戦っているお嬢様が一番お美しいと思いますよ」
「まあ、お上手だこと」
圓城はクスクス笑う。そして、身に付けている羽織の裾を少し持ち上げた。
「ねえ」
「はい」
「これ、雛菊でしょう?」
「はい。その通りです」
「……しのぶがね、私みたいな花だって言うの」
「おやおや。それは…」
じいやは苦笑した。
「……綺麗な花だけど、私にはもう、重くて、華やかすぎるわ……」
「私はお似合いだと思いますよ」
圓城はその言葉に少しだけ悲しそうに笑い、何も答えなかった。
「何を話してたの?」
じいやが帰った後、しのぶが圓城に声をかけてきた。圓城がしのぶの方を振り向き、笑って答える。
「あら、もう怒ってないの?」
「最初から怒ってないわよ!それで、あの人と何の話をしてたの?」
「仕事の事で少しね、」
「仕事?」
「うん。鬼殺隊と平行して商売を始めようと思うの」
「は?」
しのぶが驚きでポカンと口を開いた。
「商売って…」
「お金はないより、ある方がいいから。あ、でも副業ってわけじゃないのよ?表向きの経営は使用人がしてくれるから…」
「……すごい事を考えるのね…」
「そう?でもまだ計画段階だからどうなるかは分からないのよ」
圓城は笑いながらしのぶの肩に手を置いた。
「さて、甘味処に行きましょうか」
「さあ、何を食べましょうかね」
圓城としのぶ、そしてカナヲの3人は甘味処に来て、品書きを見ていた。圓城は楽しそうに笑い、しのぶは落ち着かない様子でキョロキョロしている。カナヲは表情を変えず、大人しく席に座っていた。
「しのぶ、カナヲさん、何が食べたい?お団子?あんみつ?」
「ええっと、ほら、カナヲも品書きを見て」
しのぶが品書きをカナヲに向ける。カナヲがじっとそれを見つめ、やがて懐から銅貨を取り出す。しのぶがやっぱり銅貨を使うのか、と思った時だった。
「あ、そうだわ。カナヲさん、ちょっと待って。銅貨は出さなくていいわ」
「へ?」
圓城がカナヲの行動を止めた。そして、近くにいた給仕を呼び止める。
「すいません。この品書きの物、全てください」
「はあっ!?」
しのぶが圓城の言葉にギョッとした。給仕も驚いた様子を見せたが、すぐに厨房へ下がる。
「ちょっと、何考えてるのよ!全部なんて!」
「あら、大丈夫よ。私、貯金していたからお金はあるわ。少しくらい贅沢しても大丈夫!」
「そういう問題じゃない!食べきれるわけないじゃない!」
「大丈夫、大丈夫。なんとかなるわよ」
ニコニコしながらそう言い放つ圓城に、しのぶは頭を抱えた。やがて給仕がやって来て、団子やあんみつ、わらび餅にお汁粉やおはぎなど大量の甘味を並べた。しのぶは見ただけでげんなりする。こんなに食べきれるわけない。
「菫、あなたねぇ…!」
「はい、カナヲさん。あーん」
「ちょっと、聞いてる!?」
圓城がしのぶを無視してカナヲの口に団子を突っ込んだ。
「美味しい?じゃあ、しのぶもあーん」
「いや、私は自分で…」
モゴモゴ何かを言うしのぶの口にも団子を突っ込む。
「ね?美味しいでしょう」
「……まあ」
しのぶは口の中の団子を飲み込み渋々返事をした。
それから少しずつ3人で大量の甘味を食べ続けた。最初にカナヲがもう入らないと言うように箸を置き、次にしのぶも、
「もう、あんこは一生見たくない」
と、机に突っ伏した。
「うーん、無謀だったかしら?でも美味しかったわねえ、カナヲさん」
「……」
カナヲは何も答えず、圓城をじっと見つめてきた。しのぶが圓城を睨みながら口を開く。
「本当に何を考えてるのよ。こんなに食べきれるわけないじゃない」
「うーん。そうなんだけど、でもね、こういう選択肢もありかなって」
「は?」
圓城があんみつをすくいながら、言葉を続けた。
「カナヲさん、銅貨で自分の意思を決めてるでしょう?でも、裏か表か、どちらかしか選べない。何かを選ぶってことは、それ以外を諦めるってことだから、それなら、ぜーんぶ選ぶって選択肢もあるんじゃないかなって、ふと思ったの」
「……」
「でも、私もさすがにお腹いっぱいだわ。どうしましょうか、これ」
「……っ、もう!本当に信じられない!」
しのぶが怒り、圓城が笑う。そして、そんな2人をカナヲがじっと見つめていた。
結局、店の好意で残りの品は包んでもらう。
「お土産ができてよかったわね。きっとみんな喜ぶわ」
「カナヲ、いくら自分で決めることが出来ないからって、こんなバカなことしちゃダメよ」
間にカナヲを挟んで3人で帰路につく。圓城がカナヲの手を握った。ビクリとするカナヲに微笑みかける。
「今日は楽しかったわ。カナヲさん、私の遊びに付き合ってくれてありがとう」
「……」
カナヲはやはり何も答えない。圓城は手を繋ぐのは嫌だったかな、と思い、手を離した。
「ねえ、もしまた暇な時があったら、アオイや師範とも行きたいわね」
「その時はぜっっったい全部の品を注文させないから!」
「あら残念」
しのぶとそう言いながら歩いていると、ふいに2人の間に挟まったカナヲが圓城としのぶの手を握った。しのぶがハッとその手を見る。圓城は何も言わずにその手を握り返して、ただ笑った。
「ねえ、しのぶ」
「……なに?」
「こうやって、何も考えずに遊びに行ける日々が来るといいわね」
「……」
「時々、想像するの。争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を」
「……」
「でも、待ってるだけじゃ、それは来ないから。だから、ね。私は作りたいの。平和な世の中を、未来を。カナヲさんが生きる世界はそんな希望のある世界であってほしいなぁ」
「……うん」
しのぶは短くそう答えてカナヲの手を強く握った。帰り道、圓城はカナヲに楽しそうに話しかけ続けた。
「帰りにシャボン玉を買って帰りましょうか。私、シャボン玉したことないの。教えてくれる?」
「……」
「次の休みはいつかしらね。あ、ねえ、私もカナヲって呼んでもいい?ずっとそう呼びたかったの」
「……」
カナヲは何も答えなかったが、圓城の手を強く握ってくれた。