「圓城菫です。今日からお世話になります」
胡蝶カナエの継子になった圓城菫は、蝶屋敷の少女達に挨拶をし深々と頭を下げる。少女達は戸惑ったような顔でソワソワしており、カナエはただいつものようにニコニコと笑っていた。胡蝶しのぶはムスッとした顔で圓城を見つめた。
「じゃあ、しのぶ、菫に屋敷を案内してちょうだい」
「はあ?なんで私が…」
「あらあら、いいじゃない」
「…よろしくお願いします。しのぶさん」
圓城が軽く頭を下げた。しのぶは渋々圓城を引き連れて屋敷を案内する。案内しながらこっそりと圓城を観察した。どこかのお嬢様が道楽で鬼殺隊に入ったという噂は前から聞いたことがあった。そのため、どんなわがままで傲慢な女なのだろうと思っていたが、今のところ圓城はそんな様子は見せない。それどころか、しのぶの後をおずおずと付いてくる様子は幼子のようだった。これで自分より年上だとは信じられない。
案内した後は、菫のために用意した部屋へつれていった。ここで彼女は生活することになる。
「では、これで案内は終わりです。後で姉さんが鍛練を始めると思いますので、準備をしておいてください」
「はい。しのぶさん、お忙しいところありがとうございました」
圓城は丁寧に頭を下げる。しのぶは軽く頷くとその場を後にした。
圓城菫が蝶屋敷に滞在して数日経った。胡蝶しのぶは苦々しい思いで鍛練をしている圓城を見つめた。カナエの言った通り、圓城菫は優秀な剣士だった。基礎的な体力は備わっており運動神経がいい。全集中の呼吸を教わるとすぐに取得し、1日で巨大なひょうたんに息を吹き込み、破壊する事に成功した。恐らくは心肺機能や呼吸器系が元々強いのだろうとカナエが笑いながら言っていた。カナエが課した厳しい訓練を黙々と涼しげな表情でこなしていく。華奢でおしとやかな雰囲気を持つ彼女が、頑強な体力をもって鍛練していく姿は、こう言ってはなんだが少々異常な光景だった。
しかし、欠点や短所もあった。初日の鍛練の後で皆で屋敷を掃除することになったため、圓城に箒や雑巾を渡したところ、圓城は戸惑ったように口を開いた。
「あ、あの、これはどうやって使うのでしょうか?」
「……は?」
話を聞いたところ、圓城は今まで掃除をしたことがないらしい。しのぶは唖然とした。圓城は顔を真っ赤にしてうつむき、消え入るような声で、
「ご教示ください…」
と言った。一体どんな育ち方をしてきたんだと思いながらも事務的に掃除の仕方や道具の使い方を教えた。
それ以外にも料理ができなかったり、洗濯をしたことがないなど、家事全般はいろいろと出来ない事が多く、しのぶは頭を抱えた。蝶屋敷にいるからには家事や負傷者の看護を手伝ってもらう必要がある。しのぶは頭を痛めつつも、一から圓城に指導をした。
「圓城さん、そうではありません。包帯はこうやって巻いてください」
「……こうですの?」
「締めつけ過ぎです。もっと体に負担がかからないように…」
その様子をカナエが微笑ましそうに見つめていたが、冗談じゃない。いい迷惑だ。
ただ、圓城は決して愚痴や文句は言わなかった。どんなに厳しい鍛練でも、どんなに難しい仕事でも失敗しながらもこなしていく。分からない事はすぐに聞き、一度教わった事や聞いた事は忘れなかった。その点はまあ、認めてやってもいい。
それからしばらくして、初めてカナエとしのぶと圓城の3人で任務に赴いた時、しのぶは圓城の強さを目の当たりにした。圓城は瞬発力に優れ、筋力がある。攻撃がとにかく速い。鮮やかに、正確に鬼の頚を斬っていく姿に鳥肌が立った。小柄な体躯を持ち、鬼の頚を斬れないしのぶにとって、喉から手が出るほど欲しい戦闘力だった。
それ故に、しのぶは圓城が気に入らない。雰囲気が、その強さが、全てが気に入らないのだ。
最愛の姉が気にかけ、継子にしたから。その嫉妬もあるのかもしれない。しのぶはいつまでも頑なな態度が崩せなかった。
圓城菫が蝶屋敷に来て1ヶ月ほど経った。圓城は徐々に蝶屋敷の暮らしに慣れてきた。最近はカナエに相談して花の呼吸を習っている。少しずつ取得しつつあるが、圓城は花の呼吸も自分に合っていない事に気づいた。水の呼吸と同様、なんとなく刀を振るっていて、しっくりこないのだ。できれば独自の呼吸の型を作りたいと考えているが、それにはまだまだ自分の実力が足りない。
「アオイ、今日の昼食はなんですの?」
「卵焼きと焼き魚です」
「それは楽しみですわ。私、アオイの卵焼き好きです」
「褒めても今日の夕食に鯖は出ませんよ」
「あら、残念」
台所でそんな会話ができるくらいにはアオイと打ち解けることができた。アオイが作った鯖の煮込みが圓城のお気に入りだった。最初に作ってくれた日に、美味しかった、絶品だ、と声をかけるとアオイは照れたようにそっぽを向いた。
蝶屋敷の少女達とも徐々に親しく会話ができるようになってきた。圓城が苦手な家事や看護で困ったときはこっそり助けてくれるし、鍛練の際は差し入れもしてくれる。
栗花落カナヲとは残念ながら一度も話したことはない。何度か話しかけてみたが、ニッコリ笑って黙ったままだった。どうやら圓城以外の人にもこんな感じらしいので、圓城は気長に待つことにした。
そして、胡蝶しのぶとは、
「あの、お疲れ様です」
「…お疲れ様です」
全然打ち解けられなかった。継子になってから、鍛練や任務を共にすることが多くなったが、挨拶ぐらいしか交わさない。何か気に入らないことでもあるのか、しのぶは圓城に対してよそよそしい。カナエに相談しようとも思ったが、どう言えばいいのか分からず、結局そのままの状態で日々が過ぎる。
ある日、蝶屋敷に客が訪れた。
「ごめんください」
たまたま手が空いていたしのぶが応対する。そこに立っていたのはピシッと洋装を着こなした初老と思われる男性だった。
「どちら様でしょうか?」
「お初にお目にかかります。私、圓城菫様にお仕えしております使用人です。お嬢様のお荷物を届けに来ました」
使用人?と疑問に思いながらも、圓城を呼んだ。圓城は慌てながら玄関に現れた。
「じいや、わざわざ来なくても、連絡してくれれば取りに行きましたのに」
「いえいえ、仕事関係で近くに用事がありましたので」
圓城と男性が親しげに会話を交わす様子を、しのぶは離れた場所で静かに見ていた。荷物を渡すと、男性はすぐに去っていった。圓城はいくつかの大きな荷物を両手で抱えながら自室に向かう。しのぶは少し迷ったが、圓城の元へ行くと荷物を半分手に取る。
「あ…しのぶさん…?」
「手伝います」
「あ、ありがとうございます。でも、結構重いですよ?」
「これくらい大丈夫です。さっさと運びましょう」
そう言ってしのぶは圓城の部屋へ向かう。圓城も慌てて追いかけた。
「…さっきの方は?」
しのぶが珍しく圓城に話しかけてきた。圓城は戸惑いながら答える。
「私の、使用人です。ずっと私のお世話をしてくれていますの」
「……使用人というのは」
「はい。元々は私の実家に仕えていたのですが、私が家を出る時に付いてきてくれたんです」
「は?家を出た?」
「はい。鬼殺隊に入る事を両親が許してくれるとは思えなかったので、思いきって家を出たんです。その時に、あの人は付いてきてくれました」
しのぶは少し目を見開いて圓城の方を見てきた。
「…それは、ご両親が心配してるのでは」
その言葉に圓城はかなり言いにくそうに言葉を選びながら答える。
「そうですわね。でも、父母や兄弟とは縁を切りました。その、いろいろあって、どうしても鬼殺隊に入りたかったので…」
圓城の言葉を聞きながら、しのぶの心にはドロドロとした黒い感情が渦巻いた。今、再認識した。やっぱり自分は圓城を好きになれない。カナエに気に入られているから、だけではない。圓城は、しのぶが幼い時に鬼によって理不尽に奪われた物を、自分から捨てた。親を、愛してくれる人を、自ら切り捨てた。そして、鬼に全てを奪われたしのぶよりも、自らそれを捨てた圓城の方が鬼狩りとしての実力がある。
しのぶはこっそりと唇を噛んだ。早歩きで圓城の部屋に行き、荷物を畳の上に置く。
「……圓城さん、もう大丈夫ですよね。それじゃあ、私は任務があるので、失礼します」
「あ、待って下さい、しのぶさん!」
目を合わせないようにして部屋を出ようとするしのぶを、圓城は引き留める。
「これ、さっきの使用人がくれましたの。よければおひとつどうぞ」
と差し出してきたのは小さなキャラメルだった。ニッコリ笑う圓城にしのぶは鋭い視線を向ける。
「いりません」
吐き捨てるような口調でそう言うと、その場を去っていった。後に残された圓城は手のひらの小さなキャラメルに視線を落とし、小さくため息をついた。