「…それで、どうしたんです?」
「…考えさせて下さいって言って帰って来ましたわ」
「…逃げたんですね」
「逃げてません!」
蝶屋敷から帰宅後、圓城は昨日の出来事と、胡蝶カナエに継子にならないかと言われた事をじいやに話した。
「どうするんですか?継子になるんですか?」
「……うーん」
圓城は顔をしかめて思い悩むように両腕を組んだ。継子は最高位剣士である柱にその才覚を見込まれ、直々に育てられる隊士だ。相当優秀でないと選ばれないらしいという話を前に聞いたことがあった。
「…正直言って、とてもいいお話だとは思いますわ。でも…」
「でも?」
「…花柱様の考えが分かりません。なぜ私に声をかけてくださったのか…あと、花柱様はともかく、その妹さんとは仲良くはなれないと思いますわ。既にもう嫌われていますし…」
「お嬢様、妹様にどんな失礼な事を仕出かしたんです?」
「何もしていません!本当に!だって、話したこともありませんのよ!」
と言いつつも、きっとしのぶにとって何か気に入らないことを知らない間にしてしまったのだろう、と圓城は思った。
「…とにかく、しばらく考えてみますわ」
結局考えがまとまらず、じいやにそう言って圓城は口を閉ざした。じいやも少し困ったような顔をしながら仕事へ出掛けた。
***
その剣士の噂は聞いた事があった。鬼殺隊に似つかわしくない少女が入隊した、という噂。
胡蝶カナエは昨日の任務を思い出す。合同任務を命じられ、北の山に赴いた。既に山の付近には数人の隊員が待機していた。その隊員の中にどう見ても剣士に見えない少女がいて、ああ、この子の事か、とカナエは納得した。
外見は本当に鬼殺隊隊員とは思えないほど可憐で清楚な少女だった。夜を表しているような純度の高い黒髪は美しくサラリと背中に流れている。隊服は清潔で、手入れが行き届いた身なりだった。礼儀正しく、背筋をピンと伸ばして立っており、手はお腹の当たりで軽く組んでいる姿は剣士というよりも、良家の娘が間違って紛れ込んだと言われても信じてしまいそうな雰囲気だった。
その少女の顔を見て、カナエはあら?と首をかしげた。どう見ても顔色が悪く気分が悪そうだ。目の下にはクマができている。体調が悪いなら帰らせようか、と考えているうちに山の鬼が暴れ始めたため、カナエは急いで隊員達の持ち場を決めてそれぞれ着かせた。念のため、例の少女はカナエの近くの持ち場を担当させる。鬼を気にしながら、少女の様子をチラチラと見ていたが、どこかぼんやりしているようで、カナエはハラハラした。
しかし、そんな心配と焦りは杞憂に終わった。鬼を目にした途端、少女の瞳に光が宿る。片が付いたのは一瞬だった。カナエが動く前に少女は刀を振るう。呆気なく鬼の頚を斬ることに成功し、カナエは目を見開いた。速い。正確で力強く、そして精密な攻撃だった。
少女のお陰で思ったよりも早く任務は終了した。犠牲者は出ずに済み、怪我人もほとんどいない。他の隊員達に労りの言葉をかけ、少女の方へ視線を向ける。
少女はカナエの言葉が耳に入ってないようだった。自分が今斬った鬼をじっと見つめている。その表情は何を考えているのか分からなかった。カナエは不思議に思い、声をかけようとしたその時だった。
少女の大きな瞳から大粒の涙が溢れだした。カナエは声をかけるのも忘れて呆然とする。何が起きたのか分からず、戸惑っているうちに少女は無言で泣き続ける。そしてそのまま意識を失い、倒れたため、カナエはその体を受け止めた。
「花柱様!大丈夫ですか?」
「ええ。この子を蝶屋敷へ」
隠の隊員に手伝ってもらいながら、蝶屋敷に搬送する。ベッドに寝かせ、全身を観察するも、少女に大きな外傷は見当たらないため、単純な過労と睡眠不足だろうとカナエは判断した。
しばらくすると少女は目を覚ました。恐縮した様子ですぐに帰ろうとする少女を強引に引き留め食事を共にする。
少女は圓城菫と名乗った。自分の妹と同じくらいの年だと思っていたが、カナエの一つ下らしい。それにしては幼い感じがした。礼儀正しい言葉遣いで話し、食事時の動作も箸使いが綺麗できちんとした教養を受けた者であることはすぐに分かった。
食事の時になぜ鬼を見て泣いていたのか尋ねてみた。口ごもった彼女を見て、何か事情があるのなら追求するのはやめようと思ったが、意外にも圓城は箸を置いて、迷うような様子でゆっくり答えてくれた。
「……鬼、なんですけど。鬼は元々人間、だったのに。私は斬るしかなくて、他にも救う方法があればいいのに、とか考えてしまって、でも、鬼殺隊として斬らないわけにはいかなくて。でも、あの、……私は、結局救えなくて。鬼になる前にその事が分かっていたら、とか考えてしまって…でも、私にはできることは何もなくて、命じられるまま、斬るしかなくて…」
自分でも何を言っているのかよく分からなくなったのだろう。圓城は申し訳なさそうに顔を上げてカナエの方を見た。カナエは思わず微笑みを浮かべた。
ああ、この子は私と同じだ。哀れみと慈悲の心を鬼に向けている。鬼殺隊の隊員達は自分も含めて親兄弟や親しい人を亡くした者が多い。それ故に鬼を憎悪している者がほとんどだ。鬼を救いたい、という考えを持つのは鬼殺隊隊員としてふさわしくないだろう。それでも、自分と同じ考えを持っているこの少女の事が気になって仕方なくなった。
カナエがそばにいることでソワソワしていた圓城は、疲れていたのか早々と寝てしまった。カナエはその場をそっと離れる。蝶屋敷の廊下を歩き、自室に向かっていると途中で妹の胡蝶しのぶが待っていた。
「姉さん、あの人…」
「ああ、やっぱりしのぶも知っていたのね」
「…噂になっていたから。どこかのお嬢様が道楽で鬼殺隊に入ったって」
「う~ん。道楽ではないと思うわ」
カナエは苦笑した。そんな目的で鬼殺隊に入れるほどこの世界は甘くないし、圓城の様子はどう見ても道楽とは思えない。
「あの子ね、とっても優しい子なの。きっとしのぶとも仲良くなれると思うわ。しのぶよりちょっと年上だけど」
「……姉さん、それどういう意味?」
「あの子をね、私の継子にしようと思うの」
「姉さん!?」
言葉にすると、とてもいい考えに思えた。あの子の事をもっと知りたい。あの子の強さをもっと見てみたい。カナエは知らず知らずのうちに胸が高鳴る。そうだ。あの子をそばに置いておこう。
「姉さん、私は絶対に反対よ!!」
「あらあら、いいじゃない。しのぶが思っているより、あの子すごく強いのよ?」
「よくない噂のある隊員なのよ!絶対にやめた方がいいわ!」
「まあまあ。大丈夫よ~」
「姉さん!!」
しのぶが食って掛かったが、カナエは特に気にせずフワフワと笑みを浮かべる。しのぶの反対をかわしつつ絶対に継子にするという意思を固めながら自室に戻った。
翌日、圓城は一晩寝たことで疲労を回復したらしく、スッキリとした表情をしていた。朝食に誘うと、緊張した面持ちで付いてきた。食卓ではしのぶが怒りの視線を向け、他の少女達もチラチラと圓城の方を見るため居心地の悪そうな表情をしていた。
食事の後、すぐに帰るという圓城をカナエは見送る。そして、蝶屋敷の玄関で、継子になるよう誘いをかけた。圓城は戸惑ったように目を白黒させた後、
「…か、考えさせてください」
と呟くように言って、逃げるように帰ってしまった。
「…うーん。来てくれるかしらねぇ」
「姉さん、私は反対だからね」
いつの間にかそばにいたしのぶがまだ顔をしかめてそう言って、カナエは苦笑した。
***
それから、数日後。じいやが目を覚まし、着替えてから洗面所へ向かうと、圓城が既に起きていて食卓の前に静かに座っていた。
「…おはようございます。お嬢様。申し訳ありません。すぐに食事を…」
「おはよう。じいや。とりあえずここに座って」
圓城は真剣な顔で自分の正面に座るよう示す。その顔を見てピンときたじいやはすぐにそこに腰を下ろした。二人で向かい合って正座をする。しばらく圓城は黙っていたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「…じいや。しばらく、この家を任せてもいいかしら?」
「はい。もちろんでございます。お嬢様がいらっしゃらない間、このじいやが留守を預かります」
じいやは穏やかな表情で言葉を返した。
「では、お決めになったのですね」
「…ええ。私は花柱の継子になります」
圓城ははっきりと強い瞳でそう言った。
「…私、水の呼吸が合ってないんです。このままでは、これ以上はきっと強くなれない。だから、花柱の所で学んでこようと思います。だから…」
「はい、お嬢様。行ってらっしゃいませ。ご武運をお祈り申し上げます」
じいやは優しい笑みでそう言って、圓城も少しだけ笑って言葉を返した。
「…行って参ります」
胡蝶しのぶが蝶屋敷の玄関に出向くと、そこには数日前に一泊入院した圓城菫が立っていた。緊張した面持ちでしのぶに声をかけてくる。
「…ごきげんよう。お忙しいところお邪魔して申し訳ありません。花柱様はいらっしゃいますか?」
「…どうぞ、こちらへ」
しのぶは心の中で舌打ちをする。結局来てしまったのか。渋々姉の元へ案内した。
この日、花柱に新しい継子ができた。