馬鹿な女の話をしようか。
自分の事を救世主だと勘違いした愚かな女の話をしようか。
***
圓城菫が鬼殺隊に入隊し、数ヶ月。鬼狩りとして、圓城はそこそこ優秀だった、と自分でも思う。その頃はただひたすら目の前の鬼を斬る事に集中していた。少しでも気持ちがよそへ向けば、殺され喰われる。だから、任務を命じられれば、鬼を斬る事を一番に考えて刀を振るった。隊員として指定された場所に赴き、無心で鬼を斬り続ける。
鬼殺隊に入ってから、新たな悩みが増えた。自分が使っている呼吸が合ってないような気がするのだ。圓城は水の呼吸を使っている。圓城の育手は、柱ではなかったものの鬼殺隊隊員として甲まで昇りつめ、活躍したという水の呼吸の使い手だったからだ。鬼狩りの数を重ねるうちに、明確な理由はないが、なんとなく自分に合ってないという感覚が芽生えてきた。そして、最大の悩みがもう一つ。
「…まだ、見つからない…」
任務をこなしながら、夢の中で見た赤い髪の少年を探す。合同任務の際には必ず少年がいないかと他の隊員の顔を見て回った。だが、今のところ手がかりはなく、夢の中で見た人物はほとんど見つからない。また、他の隊員達はなぜか圓城を遠巻きにしており、挨拶をしても返してはくれるがどこかよそよそしい。周囲から扱いづらいと思われていることに気づいてからは自分から必要以上に他の隊員に話しかけるのはやめた。それ故に情報が集めにくい。それに、
「……いつ、なのかしら」
恐らく自分が見ている夢は未来の光景なのだろうと、既に検討はついた。しかし、それがいつ起きるかは全く分からないのだ。
その日、圓城は小さな村で住人達を襲い喰らう複数の鬼を倒すため数人の隊員と合同で任務をこなした。特になにも考えず、いつも通りただひたすら鬼の頚を斬って仕事が終わった。
「……もう、帰りましょう」
きっと帰って、眠れば新しい手がかりが見つかるかもしれない。そう信じながら帰路につく。
そんな圓城をよそに、隠の隊員達が、鬼に襲われたがすんでのところで助かった子ども達を保護していた。
その子ども達をチラリと見たが、特に何も感じず足を前へ踏み出した時、子どもの一人が叫んだ。
「……っなんで!」
それは、幼い少年には似合わない苦悩の叫びだった。圓城は思わず足を止める。
「なんでもっと早く来てくれなかったんだ!?もっと早く来てくれれば母ちゃんは助かったのに!!」
後から分かったことだが、被害者の中に少年の母親がいたらしい。鬼に喰われて遺体も残らなかった。少年の叫びは圓城への呪いの言葉となった。
圓城はその場に棒立ちになり身動きができなくなった。
「……っ、なんでだよぅ、…なんで俺は助かったのに、母ちゃんは死んじまったんだよぉ」
少年は耐えきれずに泣き出した。その涙が、泣き声が圓城の胸を刺した。わけの分からない感情が湧き出て胸が痛くなる。鬼狩りとして働きはじめてから、初めての事だった。
それからどうやって家に帰ってきたのか、覚えていない。気がつけば自室の布団の上でぼんやりと日輪刀を手に持ち見つめていた。
なんだろう。この気持ちは。あの少年の叫びが心から離れない。こんな事は初めてだ。なんでこんなに苦しいの?
「………ああ、そうだわ」
私、誰も救えてない
夢を見たから、その夢の謎を解明したかったから、そしてその夢を通して誰かを救えると思ったから鬼殺隊に入った。だけど、実際の自分は何も救えてない。何もしていないのだ。やったのはただ、目の前の鬼を斬るよう命じられてそれを実行しただけ。その中には必ず被害者がいた。鬼に襲われた一般人、合同任務の時に圓城の目の前で隊員が命を落とした事もある。夢に夢中で、失くした命に対して今までほとんど向き合った事がなかった。圓城は初めてそれに気付き呆然とする。
「……」
だって、仕方ないじゃないか。私の夢はいつの夢なのか分からない。その日の夢を見せてくれるわけじゃない。私は彼らの死を知らなかった。だから、
救えなくても仕方ないじゃないか。
そんな気持ちが心をよぎり、自分に衝撃を受けた。
「………っ、」
涙が溢れてきた。私は鬼を斬るという事について何も考えていない、未熟者だった。夢や目の前の出来事に夢中で、そこに人の命が関わっている事をよく考えていなかった。涙が止めどなく流れ続ける。
「………私は、馬鹿だ」
無力感が胸を満たした。目の前が暗くなる。
どうして都合のいい事ばかり考えていたのだろう。夢を通して誰かを救う、なんて。目の前の人達も救えていないのに。夢の力に魅せられて、救世主気取りだった。
「………」
鬼殺隊に入ったのは鬼を斬るため、救済のためなんて自分で自分を誤魔化していた。結局は圓城の自己満足だった。他の隊員達がよそよそしいのは、きっと無意識にそれに気づいているからではないか。鬼殺隊の隊員として、あるべき心を持っておらず、人を護るために動いていない事が分かってしまうから、だから圓城を避けている。
それに思い当たった瞬間、自分が恥ずかしくてたまらなかった。泣きながら日輪刀を放り出した。そして立ち上がり、今度は木刀を手にすると素振りを始めた。
明日も任務がある。もう寝るべきだ。休息をとらないと、仕事に支障が出る。
でも、どうしても布団に横になる事ができなかった。どうせ見るのは見知らぬ隊員が鬼を倒す夢だ。
誰も救えないなら、こんな夢は見たくない。
睡眠を取らずに働き続けて5日経った。圓城が眠っていないことに気づいたらしいじいやが、心配そうに声をかけてきたが無視して任務へ行く。その日の任務は北の山で暴れている鬼を斬る事だった。合同任務を取り仕切る柱をぼんやり見つめる。命じられるまま、自分の持ち場に付き、刀を手に取った。
任務はアッサリと終了した。圓城の目の前に現れた鬼は既に他の隊員に何度か斬られており、弱っていたからだ。
「水の呼吸 壱ノ型 水面斬り」
できるだけ勢いをつけて水平に刀を振るう。拍子抜けするほど簡単に頚は切れた。
「皆さん、お疲れ様でした」
誰かが労りの言葉を言っていたが、圓城はぼんやりと自分が斬った鬼を見つめた。
この鬼だって、元は人間だった。きっと好きで鬼になったわけではないだろう。こんなに凄惨な最期を迎えるとは思いもしなかっただろう。救えるものなら救いたかった。鬼を倒すのではく、鬼になる前に救える方法があればいいのに。私にその力さえあれば……。
いつの間にかまた涙が溢れていた。声も出さずに無表情で泣き続ける。
救えない。私には人も、鬼も、誰も救うことはできない。
何度も何度もその考えが胸を満たす。目の前が暗くなる。気がついたらその場に倒れこんでいた。
鬼がいる。まだ、幼い少女の鬼だ。雪の中、青年が鬼を斬ろうとしている。それを少年が庇った。これは何度か見た夢だ。でも彼らは一体誰なのだろうーーーー
圓城はゆっくりと目を開けた。知らない天井が目に写り、眉をひそめる。ここはどこ?
「あ、起きましたか?」
突然声をかけられて、圓城は顔を横に向けた。頭の両脇で蝶の髪飾りを着けて髪を結っている、圓城と同じ年くらいの少女がいた。
「大丈夫ですか?」
少女は心配そうな表情で圓城を見ている。圓城は戸惑いながら体を起こし口を開いた。
「…ここは?」
「蝶屋敷です。あなたは任務終了後、倒れてここに運ばれたんですよ」
「…それは、ご迷惑をおかけしました」
圓城は情けなさにうつむいた。最近の睡眠不足が祟ったのだろう。いろんな人に迷惑をかけて、自分で自分が嫌になる。
「申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。後ほどお礼はさせて頂きますわ。失礼します」
「あ、ちょっと…」
圓城が慌てて立ち上がり、帰ろうとした。それを少女が止めようとしたその時、聞き覚えのある声が割って入った。
「そんなに慌てて帰らなくてもいいじゃない?」
圓城が声の方を向き、そして目を見開いた。そこには、今日の合同任務で出会った花柱、胡蝶カナエが立っていた。
「……花柱様」
「大丈夫?まだ顔色が良くないわ。とにかくもう少し横になって」
心配そうに圓城に声をかけてくる。
「……いえ、あの、もう動けますわ。家に、帰ります」
「ダメよ。せめて一晩入院した方がいいわ」
優しげな声だが、有無を言わせない気迫があった。自分より上位の柱の言葉には背けない。圓城は渋々そのままベッドへ戻った。
「アオイ、食事を用意してくれる?あとはもう一枚布団を。今夜は冷えるわ」
「はい、カナエ様」
アオイと呼ばれた少女が部屋を出ていった。てっきり、花柱もそのまま部屋を出ていくと思ったが、なぜかそのまま圓城のそばに来る。そして、ベッドのそばの椅子に腰かけて口を開いた。
「さて、あなたのお名前は?」
「…圓城菫、と申します」
「あら可愛らしい名前。年は?」
「……15です」
「私の一つ下なのね。もっと下かと思っていたわ」
圓城はギクリとしたが、表情は変えなかった。戸籍上は15だが、実際の年齢は13歳だ。外見の幼さはなかなか隠し切れない。
「それで、圓城菫さん。何日寝ていないの?」
「……」
「最近鏡は見たかしら?目の下にすごいクマがあるわ。それに、今日の任務でもぼんやりとしていたし…」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いいえ、結局あなたが鬼を斬ったのだし、それはいいの。でも、寝不足はよくないわ。あなたには休息が必要よ」
カナエが諭すように優しくそう言うが、圓城はただうつむいた。その様子を見てカナエが首をかしげる。
「もしかして、眠れない理由でもあるのかしら?」
「……いえ」
夢が怖くて眠れないんです、とは口が裂けても言えない。
「とりあえず、今日は…」
カナエが何事か言いかけた時、また誰かが部屋に入ってきた。
「姉さん、ここで食べるの?」
「あら、しのぶ。食事を持ってきてくれたの?」
入ってきたのは、やはり蝶の髪飾りを着けている少し怒ったような表情をした少女だった。胡蝶カナエに似ている。その少女を見た時、圓城は首をかしげた。どこかで見たような気がする。
「あ、この子は私の妹よ。胡蝶しのぶっていうの」
カナエが戸惑っている圓城に妹を紹介した。圓城はペコリと頭を下げたが、しのぶは目礼だけしてすぐに圓城から目を離す。
「久しぶりに戻ってきたんだから、あっちで食べればいいのに。カナヲだって待ってるわ」
「あらあら。嬉しいわねぇ。でも、今日はここで食べるわ」
「姉さん!」
「大丈夫よ~。明日は非番だし、そっちに行くから~」
どうやら、カナエはここで圓城と食事をするらしい。戸惑う圓城をしのぶが睨んできたため、圓城は慌てて口を開いた。
「あ、あの、花柱様、ご家族と食べた方がよろしいのでは……。私ならここで食べて、すぐに休ませていただきますので…」
「私はあなたとお話がしたいのよ」
カナエがニッコリ微笑んでそう言って、圓城は唇が引きつった。結局その気迫に負けてカナエと向き合い食卓についた。しのぶは二人分の食事を運び終わると、プリプリしながら部屋から出ていった。柱と二人きりの食事ではあるが、思ったよりは緊張していない。実家にいる時は、自分よりも身分が高く風格のある上位の人間と食事をするのは珍しくなかった。
「いただきます!」
「……いただきます」
カナエとともに手を合わせて挨拶をし、箸を手に取る。優しい味の和食でとても美味しかった。食事の途中、カナエから何度か話しかけられ、それに細々と答えながら箸を動かす。
「ところで、あなたはなんで泣いていたの?」
「……はい?」
「さっき倒れる前に鬼を見て、泣いていたわ。どうしてかしら、と思っていたのよ。」
「……」
「あ、答えたくなければ別にいいのよ」
「……うまく、言えないのですが…」
どう答えたらいいのか分からず、箸を置いてから、うつむいて少し口ごもりながらゆっくり口を開いた。
「……鬼、なんですけど。鬼は元々人間、だったのに。私は斬るしかなくて、他にも救う方法があればいいのに、とか考えてしまって、でも、鬼殺隊として斬らないわけにはいかなくて。でも、あの、」
「……」
カナエは黙ったまま話を聞いてくれた。
「……私は、結局救えなくて。鬼になる前にその事が分かっていたら、とか考えてしまって…でも、私にはできることは何もなくて、命じられるまま、斬るしかなくて…」
結局、うまく自分の考えを伝えることができなかった、と思う。きっとカナエも困っているだろう。そんな風に考えながら恐る恐るカナエを見上げ、そして戸惑った。カナエが温かく優しい微笑みを浮かべていた。
「……あなたは優しいのね」
そして圓城の頭を撫でた。圓城は頭を撫でられたのは初めてで、どうすればいいか分からず固まる。そして口を開いた。
「……や、優しくなんかありません!」
「あら、優しいわよ」
「……優しくないです」
「優しい優しい」
違うのだ。圓城はどう言えばいいのか分からず口ごもる。自分は全然優しくない。人の生死ときちんと向き合えない未熟者だ。鬼を救えたら、と思うのも結局は圓城の自己満足だ。
そう思いながらも言葉にはできず、カナエが満足するまで頭を撫でられ続けた。
食事の後もカナエと少し話をした。その後寝るように言われて仕方なくベッドに横たわる。
「……あの、なぜそこにいるんですか?」
「あら、ダメなの?」
カナエは圓城がベッドに入っても、まだそばの椅子に座っていた。
「…そこにいたら眠れません。私なら大丈夫ですから」
「そうねぇ、それなら子守唄でも歌いましょうか」
「いえ、結構です。柱にそんな事をさせるわけにはいきません」
「あら、気にしなくていいのに」
そう言いながら、またカナエが頭を撫でてくる。その感覚が心地よくて、圓城は徐々に目蓋が重くなってくるのを感じた。
「おやすみなさい」
カナエの優しい声が意識を失う寸前で聞こえた。
翌朝、圓城は清々しい気分で目覚めた。思い切り伸びをする。やはり疲れていたのだろう。夢も見ずにぐっすり眠ったのは久しぶりだった。毎日こうだといいのだが。
「おはよう、菫」
「お、おはようございます」
カナエが部屋に入ってきて声をかけられた。突然呼び捨てで名前を呼ばれて戸惑う。
「眠れたかしら?」
「はい。ありがとうございました」
「もしよければ、こちらの部屋で朝食を食べない?皆を紹介するわ」
正直面倒くさかったし、一人がよかったが、断る理由を見つけられず、圓城はカナエに促されるまま部屋を出る。
案内された部屋には大きな食卓があり、昨日会ったしのぶとアオイも含めて何人かの少女が座っていた。カナエに紹介されながらペコリと頭を下げる。ほとんどの少女達が圓城を興味津々に見つめていた。しのぶだけは鋭い目で見てきたが。食事の時間もチラチラ見られながら食べたため、落ち着かなかった。そのため、多分美味しいのに、よく味が分からない。
食事が終わってすぐに圓城は立ち上がった。
「あの、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。そろそろ失礼します」
「あら、もう帰るの?」
「…あまり遅くなると家の者が心配すると思いますので」
嘘だった。じいやは時々任務が長引くことを承知しているのであまり心配はしていない、と思う。問題はさっきから自分を睨み付けてくるしのぶだ。なんでこんなに怒っているんだろう。気づかなかっただけで、自分は何かしてしまったのだろうか。
「じゃあ、お見送りしてくるわね~」
カナエが他の少女達に声をかけて、圓城のそばにきた。しのぶの怒りの視線も漏れなくついてくる。勘弁してちょうだいと思いながら、圓城はカナエに手伝ってもらいながら荷物をまとめ、蝶屋敷の玄関へ向かう。
「花柱様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました」
「あらあら、気にしないで。ここは療養所も兼ねているし」
「いえ、本当に助かりました。また任務が一緒の時はよろしくお願いいたします」
そう言って頭を深く下げる。そして、頭を上げ帰るために後ろを向こうとした時、カナエから声がかけられた。
「菫、私の継子にならない?」
「…………はい?」