結論から言うと、猗窩座を倒す事は出来なかったらしい。煉獄が猗窩座の頚を斬ろうと刀を振り下ろし斬り込んだが、最後まで出来なかった。そして、朝日が昇る事に気づいた猗窩座は逃走してしまった、との事だった。その後、一行は鬼殺隊に保護された。列車の中の乗客も、怪我人はいたが、全員の命は助かった。
「……煉獄さんは?」
「あなたよりも重傷です。一命は取り留めましたが、まだ意識は戻っていません」
「……そう」
「あと、圓城さん。言いにくいんですが…」
珍しくしのぶが何かを言おうとして、言葉に詰まったように口ごもった。チラリと、布団に隠れている圓城の下肢の部分を見る。圓城は眉をひそめながら、布団を退かした。
「ああ、なるほど」
そして、苦笑する。左足の、膝から下がそこにはなかった。
「…とても、重傷だったんです。なんでその足で動けたのか分からなかったくらい。あのままでは重度の感染症や壊死を起こす危険もあったので、やむなく…」
「別に構わないわ。私の足一本で他の人の命が助かったんだから」
しのぶが何かを言おうとして、何故か不満そうな顔をする。圓城はそれに構わず、一度深呼吸すると、いつもの外にだけ向ける笑顔を作って頭を下げた。
「蟲柱サマ、この度は治療をしていただき、ありがとうございました。ご迷惑だとは思いますが、今後もよろしくお願いいたします」
「……ええ。あなたの場合、頭と肩の傷もありますので。しばらくは入院になります」
入院という言葉に唇がピクッと引きつる。
「…できれば、自宅で療養したいですわね」
「ふざけないでください。何がなんでも入院していただきます。これは決定事項です」
「……はい」
しのぶが怒りを目に宿らせて笑い、圓城はそれに気圧されて仕方なくうなずいた。
「……アオイに傷の処置と包帯の巻き直しをしてもらってください。私は他の人を見に行かなければならないので。その後はもう少し休んでください」
「…分かりましたわ」
しのぶがスルリと立ち上がり、部屋から出ていった。その姿を見届けた後、圓城は窓から外を見てため息をついた。
「……びっっっくりした」
胡蝶しのぶは圓城の部屋から出て、廊下を進みながら思わす呟いた。圓城の意識が戻らなかった一週間、時間がある時は様子を見に、部屋を訪れていた。全然意識は回復せず、このままでは本当に危ないところだった。意識が戻らないまま、息を引き取ったら、と思うと恐ろしかった。だから、手を握った。生きていることを確認するため。
その瞬間、握った手に反応したかのように圓城は目を開き、意識が戻ったため、しのぶは慌てて手を離したのだ。しかも、意識が混濁していたのか「しのぶ」と名前まで呼んだ。数年ぶりに名前を呼ばれただけなのに、心臓が早鐘を打つ。
「…これしきの事で情けない」
圓城の前では、なんとかいつもの冷静な自分を保てていた、と思う。でも、感情が高ぶったような感覚がまだ消えなかった。
「……」
そんな自分に少し腹が立つ。結局のところ、圓城に関わるといつも振り回されるのだ。それが分かっているのに、放っておけない。
「アオイに知らせなければなりませんね」
声に出してそんな自分の感情を押し消す。そしてアオイに声をかけるため、足を進めた。
「お嬢様、その強靭的な生命力は見直します。しかし、今回は馬鹿すぎました。なんでその足で戦おうとしたんです?」
「……体が勝手に動いたのよ」
その日の夕方、じいやがお見舞いにきてくれた。
「いいじゃない。私の足一本で炎柱サマが助かったんだもの。むしろ安いくらいだわ」
「あなたはもっと自分を大切にすべきです」
じいやが大きなため息をついた。
「それより、じいや。足の事だけど…」
「はい。既に義足を注文しております。新しい隊服も。明日には届くでしょう」
「……デキる使用人がいると楽ね」
「これくらいでお嬢様が鬼殺隊をやめるとは思えませんでしたから。本音を言えば引退をしていただきたいですが」
「それは、嫌だ」
圓城は、キッパリと首を振った。
「絶対にやめない。じいやも知ってるでしょう?私にはやめられない理由がある。例え四肢の全てを失くしたとしても、体が動く限り鬼を斬るわ」
「……はい。お嬢様」
その時ドタバタと足音が聞こえた。
「圓城さん!目が覚めたってーー」
「よかった!よかった!」
「子分その四!体は無事か!」
炭治郎、善逸、伊之助が一緒に入ってきた。
「皆様、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですわ」
「本当に心配しました!意識が回復したって聞いて…」
炭治郎が心から安心したようにそう言った。
「よかった、本当によかった!圓城さん、俺目覚めたらいつの間にか全部終わってて、なんか圓城さんも煉獄さんも意識不明だし…」
「おい、子分!俺様に感謝しろ!俺様が助けたんだからな!」
善逸と伊之助も口々にそう言って、圓城は思わず笑った。
「あなた方も無事で本当によかった。怪我は大丈夫ですの?炭治郎さんはーー」
「俺はもう全然大丈夫です!」
運転手に刺された腹部も回復しつつあるらしい。安心してホッと息をつく圓城に、じいやが声をかけた。
「お嬢様、では私はまだ仕事が残ってますゆえ…」
「ええ。暗くならないうちに帰ってちょうだい。仕事の方はあなたの好きなようにやっていいから。今日はありがとう」
「はい、お嬢様」
炭治郎達がじいやを不思議そうに見た。
「圓城さんのお父さん…じゃないですよね?」
「これはこれは申し遅れました。私は圓城様にお仕えしている使用人でございます」
「使用人!?圓城さんって何者なの!?」
「それでは、私はこれで」
驚愕する善逸をよそに、じいやは素早く部屋から出ていった。
「……ところで、ずっと聞きたかったんですけど、炎柱サマは」
「それが、まだ意識が戻らないんです。大怪我をしてて…」
圓城は顔をしかめる。どうにか回復してくれればいいが。いや、回復しても鬼殺隊に戻れるだろうか。
思わず首を振った。それでも、生きてるのだ。生き残ったのだ。きっと、本来なら煉獄はあそこで命を落とすはずだった。少なくとも、私は救えたのだ。
「…煉獄さんのところに案内してくださる?」
「ダメです、菫様!」
その時、突然アオイが部屋に入ってきて、叫ぶようにそう言った。手には食事を抱えている。どうやら夕食を持ってきてくれたらしい。
「まだ安静にしていてください!煉獄様ほどではないですが、あなただって大変な怪我だったんですよ!」
「やはり、ダメですか。分かりましたわ」
圓城は苦笑しながら素直に頷いた。
炭治郎達も食事のため部屋から出ていった。もう外は暗い。少しずつ夜の静けさが深まっていく。なんだか、とても寂しい気持ちになった。
アオイが持ってきてくれた食事を口に運ぶ。しかし、あまり食欲はなく箸が進まない。
「……」
足さえ無事ならば、あの猗窩座を斬れたかもしれない。今頃になって悔しさが胸を満たす。情けない。本当に情けない。もっと強くならなければーーもっと、もっとーー。
「ムー」
「え?」
突然聞こえた声に、圓城はキョトンとしてベッドの横に顔を向ける。そこには炭治郎の妹、禰豆子が立っていた。
「あ、あら。あなたは…」
「ムー?」
禰豆子が首をかしげる。今の姿は幼女のように小さくなっている。
「禰豆子さんも無事でよかったですわ。そういえばお礼もまだでしたわね」
圓城は思わず穏やかに笑いながら、禰豆子の頭を撫で、言葉を紡いだ。
「あなたのお陰で夢から覚めることができましたわ。本当にありがとうございました」
そうだ。あの時目覚めなかったらと考えるとゾッとする。あの夢の中の出来事は思い出したくない。あの時の、あの夢は、もうどんなに望んでも取り戻せない、圓城の思い出だ。
「……本当に吐き気がする。私は…」
「ムー!」
突然頭を撫でられるがままだった禰豆子が声を上げた。そして、そのまま体を大きくする。
「え、えっと禰豆子さん…?」
圓城よりも体が大きくなった禰豆子がベッドの上に乗り込んでくる。思わず身を引いた瞬間、禰豆子が圓城の腕を引っ張り抱え込むように抱き寄せた。そしてそのまま今度は禰豆子が圓城の頭を撫でる。
「あ、あの禰豆子さん…」
何も言わず、ただただ頭を撫でてくれる。その感覚に次第に心も落ち着いてきた。
「…ありがとう。あなたは優しい子ね。炭治郎さんと同じ」
「ムー」
圓城は穏やかに笑った。そして、禰豆子の体から離れ、口を開く。
「…禰豆子さん。1つお願いがあるんですが」
「…ム?」
「…煉獄さん」
圓城が禰豆子に頼んだのは杖を持ってきてもらう事だった。通じるか分からなかったが、事情を説明すると、禰豆子は任せろと言わんばかりの表情をしてすぐさまどこからか杖を持ってきてくれた。
朝の早い時間、圓城は蝶屋敷の廊下を杖を使って進む。初めは使い勝手がよく分からなくてフラフラしたがすぐに慣れた。そして、煉獄が寝ている部屋にたどり着く。
「……」
ひどい状況だった。身体中包帯だらけで、点滴をしている。
「煉獄さん。申し訳ありませんでした。私は、戦えませんでした。あなたの盾になるのが精一杯でした」
煉獄の目は閉じたままだった。
「…また、来ますね。どうか早く目を覚ましてください。炭治郎さん達も待っています」
圓城はそのまま煉獄の様子を見つめていたが、しばらくするとその場から立ち去った。
もう一ヶ所、行きたい所がある。
「……お久しぶりです、師範」
そこは、胡蝶カナエの墓だった。圓城が誰よりも信頼していた人。もう二度と会えない人。
「師範。圓城菫、ただいま任務を終え帰還しました」
圓城は墓の前に座り込む。
「…師範、私は未熟者です。夢の中であなたと会えた時、一瞬でも夢から出たくない、このまま戦わずにあの場所にいたい、とそう思ってしまいました。」
静かに言葉を紡ぐ。
「……いつも思っています。あなたに会いたい。蝶屋敷に帰りたい。アオイの鯖の煮込みを食べたい。カナヲと一緒に遊びたい。きよ、すみ、なほのお手伝いをしたい……しのぶのそばにいたいって」
馬鹿な女だ。愚かな女だ。そんな事を望むだなんて。
「師範。私は、柱失格です。本当の私は、弱い。柱になるべきじゃなかった。でも、強くなりたかった。鬼を倒したかったんです。あの日あなたを失ってから、全てが変わりました。でも、私には泣く資格がない。最後まで戦うって決めたから、あなたの代わりに人を護るって、そう誓ったからーー」
そして墓を見上げた。
「……寂しい。会いたい。会いたいんです」
涙が流れるのを必死にこらえる。それは、絶対に人前では言えない本音だった。
しばらく座り込んで、じっと墓を見つめていたらしい。気がつくと後ろに誰かが立っていた。振り向かなくても、誰なのかすぐに分かった。
「…よくここにいる事が分かりましたわね」
「なんででしょうねぇ。分かってしまったんですよ。帰ったらお説教です」
胡蝶しのぶが静かに答えた。
「アオイさんは怒っているでしょうね」
「もちろんです。大人しく怒られてください。さあ、帰りますよ」
圓城はゆっくりと立ち上がり、後ろを振り向く。そこにはいつも通り笑みを浮かべるしのぶが立っていた。何を考えているのか分からない。ただ、笑っている。
「…早く任務に戻りたいので、治療をお願いいたしますね」
「そう言うなら、勝手に屋敷から出ていかないでください。大変だったんですよ。きよ、すみ、なほも大騒ぎして」
「ああ、それは謝らなければ」
「そもそも、その杖はどうしたんです」
「禰豆子さんがどこからか持ってきてくれましたわ」
「…彼女にもお説教ですね」
「私が頼んだことなので、あの子は勘弁してあげてくださいな」
「全く、あなたは昔から変わりませんね。いつもいつも、勝手な行動で周りに迷惑をかけて。少しは大人になってください」
「まあ、生意気な。私の方が年上ですわよ」
「それ、戸籍上の年齢でしょう?あなた、実年齢は私と同じじゃないですか」
「あーあ。お腹が空きましたわ」
「ちょっと、聞いています?」
2人でポツポツ話しながら帰路につく。朝日が眩しい。圓城は深呼吸をする。少しだけ、心が晴れたような気がした。