「あらあら、師範じゃなくてカナエって呼んでちょうだいって、いつも言ってるでしょう?」
「……」
「姉さんでもいいのよ?」
ぼんやりと頷きそうになって、ハッと我に返った。ゾワリ、ゾワリと寒くなる。
違う!と圓城は後ずさりをした。
これは、この世界は現実ではない!頭の中で声が響いた。これは夢だ。
間違いない。鬼がいる。ここではない、どこかに。
周辺の景色をじっと目を凝らして見つめたが、全く鬼の気配が感じられない。どこからどう見ても平和で穏やかな蝶屋敷の庭だ。それでも、ここが現実ではないという事実は確かに分かるのだ。
なぜなら、圓城は眠るのが嫌いだから。睡眠が嫌いすぎて、夢そのものを本能的に憎悪している。その証拠にさっきから鳥肌が止まらない。吐き気がして、胸が詰まって苦しい。刀を手に取ろうとして、腰に手を伸ばし、そこに刀がないことに気づいた。
早く、早く、ここから出なければ。必死に庭を見渡した。どうすれば、出られる?鬼はどこにいるんだ?
「……どこ、どこにいるの?」
「さあ、菫。お茶の準備を手伝ってちょうだい。今日は菫の好きな、香りのいいお茶もあるのよ」
カナエが優しく圓城の肩に手をかけた。圓城は鬼を探すのを思わず忘れてそちらへ顔を向ける。
「し、師範……」
「あっ、姉さん、菫!何してるのよ!」
そこにやってきた人物を見て、圓城は目を見開いた。
「……し、」
「あら、しのぶ、早かったわね」
「もう、これでも大変だったのよ。菫の好きなお菓子がなかなか売ってなくて。お茶の準備はできた?」
「今から菫とやろうと思ってたのよ~」
「今から?もう仕方ないわね。私もやるわ。ほら、菫、湯呑みを準備して!」
胡蝶しのぶがグイッと圓城の手を引っ張った。圓城は思わずそれにつられそうになるが、慌てて足を踏ん張る。
「菫?どうしたの?あ、もしかして、もっと鍛練したいの?」
「ええ?仕方ないわね。少しなら付き合ってあげてもいいわよ」
カナエとしのぶが笑いかけてきた。その笑顔を見た瞬間、突然呼吸が楽になった。圓城は胸の中に温かい物が満ちるのを感じる。
ああ、2人のこの笑顔、大好きだった。幸せだなぁ。こんなに幸せな夢って初めてだなぁ。目覚めたくないなぁ。もう二度と、現実に帰りたくないなぁ。
夢から出たくないなぁ。
そんな思いに捕らわれた瞬間、圓城は正気に戻った。
「…夢から出たくない?この、私が?」
パッとカナエの顔を見る。
「?、どうしたの?」
カナエが首をかしげ、しのぶもきょとんと圓城を見てきた。
そうだ、何を考えてるんだ。私は、あの日に誓ったのに。
鬼を、倒す。例え、救うことができなくても、もう二度と現実から目を背けない。私は私の意思を貫く。どんなに悲しい現実でも、決して心を捨てない。私は、私を曲げない。私は―-、
人を護るために、鬼を斬るんだ。あなた達と同じように。
「すみません、師範!」
「え、あっ、ちょっと!」
「菫!?どこに行くの?」
圓城はその場から駆け出す。
私は何を考えてるんだ。夢から出たくないなんて。私は馬鹿だ。愚か者だ。未熟者だ。なにが睡柱だ。
それでも、と圓城は思う。頭の中がカナエとしのぶの笑顔でいっぱいになった。涙があふれるのを必死に堪える。悔しい。鬼に見せられた情景に幸福を感じてしまうなんて。
「私は、私は―-―-」
涙の代わりに出てきたのは、鬼への怒りだった。
「許さない。この私に、よりにもよってこの私の夢を蹂躙するとは」
駆け出した足が速くなる。
「夢は私の領域だ。お前ら鬼などが立ち入ることは許さない」
その時、何もなかった腰に重みを感じた。それは圓城の日輪刀だ。ほとんど無意識に刀を手に取る。
「―-―-そこか!」
不意に、自分以外のほんの少しの殺気を感じた。感じるままに、刀で空間を切る。空間が切れたと思った瞬間、不思議な場所が現れた。まるでダンスパーティーが開けそうな、宮廷のようなきらびやかな場所だ。その中心には硝子細工のような玉が浮かんでいた。そして、そのそばには圓城より少し年下だと思われる青年がいて、ギョッとした表情で突然空間に入ってきた圓城を見てきた。
「そいやぁっ!」
一瞬で鬼ではなく人だと悟った圓城は、刀は振るわずに、代わりにいつも鍛練で行っている飛び蹴りを青年に食らわせた。グエッと変な声を出して、青年が倒れこむ。その青年の襟首を両手で強く掴む。
「教えなさい!夢から目覚めるにはどうするの?早く、答えなさい!」
「な、なんでここに?ここには来れないはず…」
「いいから、早く私を目覚めさせなさい!」
圓城が叫ぶように大声で言った瞬間、聞き覚えのある声がした。
「圓城さん、起きて!」