「ごめんください」
その2日後、圓城は再び蝶屋敷を訪れた。
「あっ、菫様!こんにちは!」
出迎えてくれたのは、蝶屋敷で生活する少女、きよだ。
「ごきげんよう。お久しぶりですわね」
「はい!先日はご挨拶できなくてすみませんでした!」
「いえいえ、私が勝手に来て勝手に帰ってしまったのですから…今日は蟲柱サマは?」
「あ、しのぶ様なら用事で出掛けています」
胡蝶しのぶが留守であることにちょっと安心した。
「竈門炭治郎さんはいらっしゃるかしら?様子を見に来たのだけど」
「炭治郎さんならお庭の方ですよ」
そう言われ、蝶屋敷の庭の方へ行くと、ちょうど炭治郎はひょうたんを吹いている所だった。そばには、なほとすみがいて「がんばれ!がんばれ!」と応援している。邪魔したくないため、気付かれないように黙って見守った。
ブオッと低い音がする。炭治郎の顔が真っ赤になったかと思った次の瞬間、バンと鋭い音がしてひょうたんが粉々に割れた。
「割れたーー!!」
「キャーっ」
炭治郎が大声で叫び喜んで、3人娘も続いて叫ぶ。その光景に圓城は思わずクスクス笑いながら拍手をした。
「あれ?圓城さん?」
「ごきげんよう。炭治郎さん。そして、おめでとうございます。ようやく呼吸が分かってきたみたいですわね」
圓城はニッコリ笑いながら炭治郎に近づいた。
「こんにちは。圓城さんはどうしてここに?また体調が悪いんですか?」
「それもありますが、お見舞いに来たんです。あなたに差し入れですよ」
と言って、圓城は大きな重箱を差し出した。
「うわー、なんですか、これ。」
「筋肉をつけるのに効果的な食材を使ったお弁当ですのよ。どうぞ召し上がれ」
「はい、いただきます!」
圓城が箸を渡すと、炭治郎は縁側に座ってすぐさま食べ始めた。
「美味しいです!これ、圓城さんが作ったんですか?」
「いえ、まさか。うちの使用人が作りました」
「しようにん?」
食べながらキョトンとする炭治郎に構わず、圓城は次に、きよ、すみ、なほに包みを手渡した。
「あなた方には、こちらを用意しました。異国で作られているという甘いお菓子ですよ。みんなで食べてくださいね」
「ありがとうございます!」
3人娘が顔を輝かせる。キャーキャー喜ぶ3人娘になごみながら、圓城も炭治郎のそばに腰かけた。
「今日は我妻さんは?2人分持ってきたのだけれど」
「えっと、今はどこにいるか分からなくて。ちょっと諦めかけてる、みたいで」
「習得するまではきついですからねぇ」
「はい。だから、俺が先に頑張って、後で教えてあげようと思って!」
前向きでいい子だなぁ、と圓城は思いながら今度は持ってきた水筒を差し出す。
「お茶です。どうぞ」
「うわ、何から何まですみません」
「…そんなに心配しなくても、大丈夫ですわ」
「え?」
「蟲柱サマは教えるのがかなり上手です。そして、相手のやる気を引き出す方法もよく知っています。そのうちなんとかなりますわよ」
薄く笑いながら圓城がそう言うと、炭治郎がその姿を見て口を開いた。
「…圓城さんって、」
「はい?」
「なんでいつも泣いてるんですか?」
「……うん?」
圓城は首をかしげた。
「あの、俺、鼻がきくんです。圓城さんからはいつも悲しい匂いがするんです。ずっと、ずっと、泣いている、みたいな」
「……」
この少年はかなり鋭い。圓城はどう答えていいか分からず、迷った。
「…炭治郎さんは、意外と積極的ですわね」
「えっ、あっ、すみません」
少し慌てたような様子の炭治郎にクスリと笑う。
「……情けないから」
「え?」
「自分が情けなくて馬鹿で愚かだから、泣いている。誰かを救えるなんて勘違いをしてた自分が腹立たしくて悲しくて、でも涙は流さないって決めたから……」
ポツリと呟くと、急に胸が詰まったように苦しくなった。そんな苦しみを消すように、思い切り立ち上がる。
「次は鬼ごっこかしら?カナヲさんは手強いでしょう?」
「えっ、は、はい」
「でも、あの子に追いついて、そして追い抜くほど頑張らなければ、ね。私はあなたが強くなるのを楽しみにしていますわ」
そう言った時、ちょうどカナヲがテクテクと歩いてきた。圓城の姿を見て、近づいてきたらしい。
「ああ、カナヲさん。ごきげんよう。美味しいお菓子を持ってきたのでぜひ召し上がってくださいね」
「……」
カナヲは何も答えない。圓城は気にせず続けた。
「悪いのだけれど、アオイさんはどこにいらっしゃるかしら?先日負傷した腕がまだ少し痛むから、痛み止めを分けて欲しいのだけれど」
圓城がそう言うと、カナヲが圓城の着物の端を引っ張って歩き出す。そんなカナヲの様子に苦笑しながら、圓城は引っ張られるがままに歩き出した。
「炭治郎さん。またお話しましょうねぇ」
炭治郎はモグモグとお弁当を食べながら、その後ろ姿を見送った。
「カナヲさん、任務はどうですの?困っていることがあれば……」
「………、ぅ…ぃ」
「はい?」
カナヲが何かをモゴモゴ言ってきたが聞き取れず、圓城は聞き直した。
「ごめんなさい。聞き取れなくて。何かしら?」
そう言っても、カナヲは小さい声で言いにくそうに言葉を紡ぐ。そして、
「……もっとうちに、来て欲しいんです」
やっとの事で聞き取れた言葉に圓城は困ったように眉を寄せた。
「うーん、とは言われても、私はあまり怪我をしませんし、継子のあなたには言いにくいのですけど、蟲柱サマとはあんまり会いたくなくて…」
「…師範は、菫様と、もっと話したいんだと、思います」
カナヲが迷うように、小さな声でそう言ったため、圓城は苦笑した。
「無理ですわ」
「……」
「ごめんなさいね。気を使わせてしまって。でも、私は話したくないんですの」
「……」
「あなたも知ってる通り、いろいろあって、私達は反目し合う関係となってしまった。それでいいんです。私は私の目的ができて、蟲柱サマもそれは同じ。お互いにそれだけは邪魔しないと、決めました。それで、いいんですよ。争うなんて、もうごめんですから。」
「……」
「でも、ありがとう。蟲柱サマと私のためを思ってそう言ってくれたのでしょう?あなたも本当にいい子ねぇ」
カナヲが気落ちしているのが顔色から分かったが、圓城は知らないふりをして、カナヲの頭を撫でた。
「…銅貨が、」
「うん?」
「銅貨が、表を出したから」
ああ、と圓城は笑った。そうだ。カナヲは銅貨を投げて自分の意思を決めていた。それでも、自分に話しかけるのには葛藤があったのだろう。あんなに必死に話しかけてきたのだ。様々な葛藤をして、それを乗り越えて、実行に移した。もしかすると、自分自身の意思が出来てきているのかもしれない。
「あ、アオイさんはむこうの部屋かしら?ここからは1人で大丈夫ですわ。鍛練に戻ってください」
「……」
カナヲがペコリと頭を下げて去っていく。圓城は薄く笑いながらそれを見送った。
気を使わせてしまうとは情けない。やはり、ここには来ない方がいいようだ。痛み止めをもらう事を理由に思いきって蝶屋敷を訪れ、夢の件で炭治郎に探りを入れるつもりが、蝶屋敷では人目もあるためやりにくい。何度も差し入れをするのも怪しまれるし、ここに来るのはやめよう。
「……決して、蟲柱サマが怖いわけではない。ここではやりにくいだけ……」
自分に言い聞かせるように呟くと静かな声がした。
「あら、私が怖いんですか?」
「……」
蟲柱、胡蝶しのぶがいつの間にか後ろに立っていた。
「……ごきげんよう。蟲柱サマ、今日はご不在だと伺ったのですが」
「ついさっき、帰ってきました。圓城さん、今日はどうされたんですか?また怪我ですか?」
しのぶも圓城もニコニコ微笑みながら、会話をしているが、お互いの目は全然笑っていない。特にしのぶは機嫌が悪そうで苛々している。
「…痛み止めを、少しいただけるかしら。先日の腕が時々痛むんですの」
「ああ、分かりました。今すぐ持ってきます」
しのぶはすぐそばの部屋に入り、小さな包みを持ってきた。
「さあ、どうぞ。用事はこれだけですよね?ならとっとと帰ってください」
「……お邪魔しましたわ」
やはり、気のせいではない。しのぶはいつも以上に機嫌が悪い。カナヲが、しのぶは自分と話したがっているなどと言っていたが何か思い違いをしているのだろう。その冷たい瞳に追い出されるように、圓城は去っていった。
やってしまった、と胡蝶しのぶは思う。いつも圓城と話す時は、感情的にならず型通りの対応をしていたのに。先日の炭治郎の指摘が頭に残っており、必要以上に冷淡な対応となってしまった。
圓城に話しかける前、カナヲと二人で話しているのを見てしまった。会話の内容は分からなかったが、カナヲの頭を撫でながら、優しい笑顔で語りかけていた。
決して、自分の前では、もうあんな風に笑わないのに。
不意に浮かんだ考えを頭から振り払う。今、変なことを考えてしまった。きっと自分も疲れてる。
そろそろ、療養中の人々の様子を見に行こう。しのぶは足を踏み出した。