「…ただいま」
「おかえりなさいませ、お嬢様。早かったですね。てっきりあちらで夕食を食べてくると思っていましたよ」
圓城が自邸に帰ってきたのはまだ空の明るい夕方だった。
「…ああ、カナヲがなんか誘ってくれそうな感じだったわね。でもまあ、食べないわよ、あの屋敷では」
「……はあ、鬼に対してはあんなに強気なのに、しのぶ様を怖がるとは情けない」
「誰が怖がるもんですかぁっ!私はあの子とはあんまり仲良くないだけよ!」
「あの子と“は”って、お嬢様と仲のいい方なんて全然いないじゃないですか」
「……分かってるけど、地味に傷つくから、もうやめて」
おや、とじいやは目を見開いた。いつもならこれくらいの言葉にキャンキャン噛みついてくるのだが、今日はだいぶ疲れているらしい。
「睡眠をとってきたのでしょう?それなのに疲れるとは、よっぽど蝶屋敷で気を張っていらしたんですね」
「……あの屋敷は私にはきついのよ」
「それで、竈門様とはお話をされたんですか」
「…ちょっとはね。でもあんまり話をする時間はなかったわ」
ふむ、とじいやは少し考える仕草をした。
「お嬢様、竈門様と合同任務ができるよう頼んでみてはどうでしょう?」
「頼むって、お館様に?嫌よ。絶対怪しまれるじゃない。今まで進んで単独任務ばっかり請け負っていたのに」
「じゃあ、いっそのこと、竈門様を継子にするとか」
「それもダメ」
キッパリと首をふる圓城にじいやは首をかしげた。
「なぜです?今彼は個人的な師範はいらっしゃらないんですよね?それなら……」
「あの子の使う呼吸は水よ。あと想像だけどそれも合ってない気がする。私が使う、睡の呼吸では指導は難しいわ」
「はあ、私にはさっぱりですが、そんなものですか。」
「そもそも私、継子をとるのは好きじゃないの。いつ死ぬか分からないし、中途半端な指導はしたくないわ」
あまり思い出したくない記憶がよみがえって、圓城は顔をしかめた。記憶を無理やり振り払うように、首をふってため息をついた。
「まあ、私の夢の中に出てくる少年はあの子で間違いないと思うし、今後様子を探ってみるわ」
「…そうですか。それじゃあ、夕食にしましょう」
「ええ。今日の献立はなに?」
「お嬢様、今夜は少し冷えますから。早めに布団に入ってくださいね」
「はいはい」
「はいは1回」
「はーい。おやすみ」
じいやが屋敷の離れにある自分の部屋へ向かった。圓城も自室に向かうふりをしながら、稽古場へと行く。稽古場で自分用の木刀を握り、そして素振りを始めた。
じいやには言わないが、眠る気はない。昼間にたっぷり睡眠をとったおかげで眠くないし、元々圓城はあまり眠らない。寝るのは4~5日に1回、数時間程度だ。
圓城にとって、睡眠はこの世で一番嫌いな物だ。見たくないのに、他人の苦しむ夢、傷つく夢を見てしまう。眠った日の朝は夢の内容によるが、ひどい時は汗で全身ビッショリとなり、絶叫しながら目を覚ますのだ。
昔は、鬼殺隊に入った頃は、夢が嫌いではなかった。予知夢だと気づいた当時は進んで睡眠をとり、未来を見ようと一生懸命だった。それによって、少しでも人を助けたかったから。
でも、今は見たくない。夢と現実の境目でもがき苦しみ、自分を傷つけるのはもう二度とごめんだ。
素振りを繰り返していると、頭の中で声がした。
『分からないでしょうね』
素振りが止まる。聞こえる。思い出したくない、声が。
『あなたには、理解できないのよ。そうでしょう?』
涙があふれてくるのを必死に堪えながら、圓城は木刀をその場に落とすと、うずくまった。
「分かるよ。分かってるよ…」
ポツリと呟く。
「大丈夫。私には鬼が、斬れる。まだ、斬れるの。その力があるから。大丈夫、大丈夫だもの…まだ、大丈夫」
声が漏れるのを止められなかった。
「…涙腺を、制御しなければ。私はまだ泣いてはいけない。だから、泣くな。大丈夫。私はやれる、鬼を倒せる。」
稽古場に圓城の小さな声が響いた。自分に言い聞かせるように言葉を紡いで、圓城は再び立ち上がり素振りを始めた。