「とは言ったものの、行きたくないわね」
圓城菫の足取りは重かった。圓城は他の柱と交流することはあまりなく、それ故にあまり良好な関係を築いていない。交流するには私生活と仕事があまりに忙しいのと、そもそも例の悪い噂のおかげであまり話す機会もないのだ。特に蟲柱の胡蝶しのぶとは一番関係がよくない。昔いろいろあって、お互い避けている。
「……ちょっと何か差し入れを用意すれば少しは行きやすいかしら」
圓城は近くの店で適当に包帯や創傷被覆材を買い漁った。蝶屋敷ではいくらあっても困らないはずだ。それでも足取りは重い。できれば本当に行きたくない。さっさとしのぶ以外の誰かに治療をしてもらって帰ろう。
「……ごめんください」
「え、あれ?菫様?どうされたんですか?」
蝶屋敷へ向かうとパタパタと足音をたてて迎え入れてくれたのは神崎アオイだ。
「ごきげんよう。アオイさん。ちょっと腕を捻ってしまいましたの。治療をお願いできるかしら?」
「え、ええ、はい。珍しいですね。怪我をするなんて」
「少し油断していましたの。これは、差し入れですわ。使ってくださいね」
「あ、ありがとうございます!」
アオイが差し入れを明るい笑顔で受け取ってくれた。その笑顔を見て、思わず圓城もニッコリ笑ってしまい頭を撫でる。
「もう、頭を撫でないでください!」
「あ、ごめんなさい。なんとなく」
「それよりも!早くしのぶ様のところに行きましょう」
「…それじゃあ、お邪魔しました」
しのぶの名前が出たとたん、圓城がクルリと背を向けたため、アオイは慌てて着物を引っ張り止めた。
「菫様!そんな腕で帰すわけにはいきませんよ!」
「大丈夫。私、気合いと呼吸で全部治せますのよ」
「さすがに無理ですって!」
「では、アオイさんが治療をしてくださいません?」
「それも無理です!まずはしのぶ様に診てもらわないと」
「蟲柱サマの手を患わせるくらいなら、このままで十分ですわ」
「ダメですって!」
二人で蝶屋敷の玄関でワーワー言い合っていると、静かな声が割って入った。
「なんの騒ぎですか?」
圓城とアオイがピタリと言葉を止める。二人揃って声の方へ顔を向けると、胡蝶しのぶが笑顔で立っていた。顔は笑っているが、視線は冷たい。明らかに怒っている。
「アオイ、圓城さん、朝早いですし、他に療養している方もいますので静かにしてください」
「し、しのぶ様、すみません」
「………」
アオイが即座に謝り、圓城は何も言わずに謝罪のためにペコリと頭を下げた。そんな圓城の様子にしのぶはますます怒りを感じたらしく、その場の温度がどんどん低くなっていく気がする。ピリピリとした空気にアオイは思わず唾を飲み込んだ。
「それで、圓城さんはなぜここに?」
「あ、あの、どうやら腕を怪我したようです。しのぶ様、治療をお願いします!」
アオイさん、余計な事を……と圓城は思わず言いそうになったが、我慢した。
「あら、珍しいですね。それではこちらへどうぞ」
しのぶが処置のために手で部屋を指し示しながら歩き出した。圓城は思わずため息をつきながらそれに従う。残されたアオイは、
「お二人とも、昔はあんなに仲良しだったのに…」
ポツリと呟いた。
「それでは腕を見せてください」
しのぶの前に座らせられた圓城は黙って左腕を差し出した。関節の部分が明らかに腫れている。
「まだ痛みは続いていますか?」
「……」
「もしもーし。お口がどこかに行ってしまわれましたか?」
そうしのぶに言われて、圓城は渋々口を開いた。
「痛みは続いていますわ。大したことありませんが」
「……軽い捻挫ですね。これなら保存的な治療で十分でしょう。包帯巻いときますね。」
そう言いながらしのぶが包帯を取り出し、グルグル巻いていく。圓城は黙ったままそれを見つめていた。
「それでは腕の件はこれで終わりです」
「…感謝申し上げますわ。それではごきげんよう」
と立ち上がろうとすると、しのぶが冷たい笑顔のまま声をかけてきた。
「誰が帰っていいと言いましたか?」
「…は?」
「私は“腕の件”は終了と言ったのです」
意味が分からず、圓城は瞬きを繰り返す。
「まだ何かあるんですの?」
「ええ。もちろん」
しのぶが突然両手で圓城の顔をガシリと掴んだ。そのまま顔を近づけてくる。突然綺麗な顔がどんどん近づいてきて、圓城は目を見開いた。
「なんですの、蟲柱サマ」
「……圓城さん。いつから寝ていませんか?」
顔には出さなかったが、圓城はギクリとして視線を逸らせようとした。ここ何日か睡眠をとっていない。誰にも分からないと思っていたのに。
「3日ですか?4日ですか?」
「……」
「体調管理も仕事のうちですよ」
「私が寝ていないからといって、仕事で失敗したことはありませんわ」
「そういう問題ではありません。圓城さん、部屋を用意するので少し睡眠をとってください」
「お断りです。それなら家に帰って睡眠をとりますわ」
「だめです。あなたの事だから、家に帰ったら帰ったらで、鍛錬やら会社の仕事をしようとするでしょう」
「……」
圓城は何も言わずに顔をしかめた。大当たりだ。
「まったく…。睡柱のあなたが睡眠が嫌いとは不思議ですね」
「……それはあまり関係ありませんわよ」
「とにかく、こちらの部屋で布団を用意するので、眠ってください。おうちの方には私から説明しますから」
しのぶが立ち上がったため、圓城は諦めたようにそれに従った。
圓城菫は『睡(ねむり)柱』である。圓城が独自に型を作り出した、『睡の呼吸』を使う。そんな名前を持つ柱ではあるが、圓城は眠るのが好きじゃない。何故なら見てしまうからだ。恐ろしい夢を。
「…蟲柱サマ。やっぱり家に、」
「まだ言いますか」
「…なんでもありませんわ」
今のしのぶに逆らうのは無理だ。圓城は完全に抵抗を諦め布団に入る。そんな圓城を見て、しのぶは少し考えた後、懐から粉薬の入った包みを取り出す。
「…これは?」
「新しく開発した睡眠薬です。おそらくはぐっすり眠れると思いますよ」
「…夢は見ます?」
「え?そこまでは…」
しのぶが困ったように首を傾げる。その様子に苦笑し、圓城は一気に薬を飲み込んだ。そのままおとなしく横たわる。強力な薬なのかすぐに目蓋が重くなってきた。意識を失う寸前に、
「おやすみなさい、菫」
というしのぶの声が聞こえた気がしたが、気のせいにちがいない。
夢を見た。竈門炭治郎が鬼と戦っている。炭治郎だけではなく、金色の髪を持つ少年と、猪頭の少年も戦っていた。
「……あれ?伊之助、あいつどこ行ったんだ?」
「善逸!勝手に部屋を開けたらダメだ!」
「うわっ、人がいた。お、女の人だァっ!しかも美人!」
「あれ、この人…」
「炭治郎、知っているのか?!」
声が聞こえる。どこかで聞いたことがあるような声。圓城は無意識に呻いた。
「うぅぅ…」
「ぜ、善逸、取りあえず一旦この部屋を出よう。この人寝てるみたいだし、」
「うぅぅ、待って、かまぼこ…」
「かまぼこ?」
その瞬間、一気に意識が浮上する。圓城はカッと目を見開き体を起こした。
「あれ?私…?」
頭が痛く、こめかみを押さえる。
「あの?大丈夫ですか?うなされてましたけど、」
「お姉さんっ!大丈夫ですか?かまぼこ買ってきましょうか?あとついでに結婚してください!!」
そして、赤い髪の少年と金色の髪の少年が目の前にいることに驚き、息を呑んだ。